シャリステラとシャルロッテが喧嘩した時や、ウィルベルが水の王の強さを感じて逃げ出した時など、追いかけてちゃんと向き合って話してみなさいと、周りからアドバイスされるパターンがいくつか出てきました。
何かの衝撃があって、その場にいられなくなって、誰かが出ていってしまうということが、時々起こります。女の子が夜中に外に出ていってしまった時には、危ない目に合わないか心配して、誰か様子を見に行ってあげてという話になります。あるいは学校の先生が、生徒たちの振る舞いに腹を立てて出ていってしまった時には、生徒たちの中から、これは行って謝罪しないと、後々まずいことになりそうだと判断する人が出てくるでしょう。
女の子が夜中に出歩くと危ないという発想は、合理的に理解できるので、その場合はいいのですが、それ以外の時に、追いかけて関係を修復すべきだというアイデアが、絶対的に正しいかのように言われることについて、僕は本当かなと疑ってしまいます。
もし追いかけなかったならどうなるかを考えると、心の中にわだかまりを持ったままで、よそよそしくお互いの役割を果たすことになるかもしれないし、そこで関係が切れてそれ以降会わなくなることもあるかもしれません。それを考えると、それは追いかけてよく話し合った方がいいということになりますが、多分、追いかけて、と言う人は、そうしなかった時のことを考えて言っているのではなくて、人間関係の法則として、礼儀作法として、それが正しいという固定観念で言っているような気がするのです。
反対の立場に立っても、本当に心配してとか、本当に悪かったと思ってとか、ここで関係が壊れるのは嫌だと考えて、というような本当の理由で、追いかけてきてくれるのだったら、うれしいかもしれませんが、形式的にそうした方がいいと考えただけだったり、誰かに言われてだったりすると、謝罪や関係の修復も、形だけのものになって、全然うれしいことにならないと思うんですが、そういう感じ方は一般的じゃないのかもしれません。
形として表すと、それが本当だと思う人が多く、形として表さないと、本当は心から心配してくれる人がいても、そんなことは存在しないことになる、という人の方が多いのかもしれません。
キースグリフは、錬金術の熟達者で、アーシャの師匠だそうですが(アーシャのアトリエはやっていないのでわからない)、シャルロッテやシャリステラにとっては、気難しくて付き合い方が難しい人となっています。
キースグリフは経験を積んだ熟達者で、シャルロッテやシャリステラはまだ素人同然なので、教えてくださいと言っても、まだ早いということになるし、アドバイスをくださいと言っても、すぐやめてしまうかもしれないのに、忙しい時間を割いて教える価値があるのか、ということになってしまいます。
キースグリフは、世界の衰退の現象「黄昏」について調べています。それは世界を崩壊から救うためなんでしょうが、すぐに答えが出るわけでもなく、長い道のりになるので、自分のことを真理の研究者だとみなしています。学問的な探求にいそしむ人間ということです。
それでシャルロッテが自分の力量を上げ、その道でやっていくために、錬金術を教えてほしいと言っても、キースグリフとしては、自分の考えていることとのあまりの落差に、まともに相手をする気にもならないということでしょう。そして、シャリステラが自分の村の水涸れを解決するために、キースグリフの力を借りたいと言っても、水涸れは「黄昏」が引き起こす一つの結果にすぎないので、本質的なことと違うと感じて、その提案にも乗り気にはならないようです。
アーシャの解説によると、キースグリフは本気で取り組む人間しか相手をしたくないと考えているようで、まず自分たちで行動し、何かの結果を得た上で、それをキースグリフに見せて、本気であることを示すといい、ということらしいのです。
キースグリフが、親切でないとは言い切れないのは、シャルロッテたちと最初に会った時に、素人同然だけれども、全くの素人では知らないことを知っていることに気がついて、少しだけヒントをくれたということがあったので、そこに能力がある人や、努力する人には協力する気にもなるという、彼の人間性が表れているのかもしれません。