お節介と課題の分離

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日本支援助言士協会の鶴田です。

 

 

何故かいつも世話をしてしまう人。

 

世話を受けてしまう人。

 

世話好きな人と、レッテルを貼られている人の中にも、

 

「世話好きではないが、いつも周りの人を見ていると危なくて、

 

見ていられないから、手を出してしまうのよ、できたら

 

やりたくないわ」

 

という人もいれば、

 

「世話するのが好きと思ったことはないが、結果的に世話を

 

せざるを得ない立場になってしまうのよ」

 

という人もいる。

 

「人の困っているのを見ていられないから、世話をしてしまう

 

迷惑にならない程度に、困っている人を助けてあげることは

 

自分の性分だから、世話好きと言われても仕方ないわ」

 

という人。

 

 

そう単純に言えないことも多い。

 

 

人の世話をするのが、運命づけられているかのように

 

次から次へと、いろんな問題がふりかかり、東奔西走

 

実を粉にして、動いている人もいる。

 

 

兄が、働き始めて家をでて、姉は結婚して家を出て

 

いき、一人残された末っ子のM子さんは、自分が成人して

 

家を出たいと思ったとき、両親が高齢になり、親の世話をする

 

ことになった。

 

 

数年後、姉が離婚して子どもを連れて、実家に転がり込んで

 

きて、甥や姪の面倒をみることになり、

 

甥や姪が成長したとき、兄がまた、離婚して家に戻ってきた。

 

兄は、体を壊し、M子が生活の面倒を見なければならなくて、

 

両親、甥、姪、姉、兄と共に暮らしていくのだが、一家の負担は

 

M子が背負ってしまうことになり、世話をせざるをえない。

 

 

M子は世話好きできなく、やむなく世話をする立場になって

 

しまったといえる。

 

先日の講座での質問に、世話することは相手の課題に踏み

 

込むことでしょうか?

 

との質問がありました。

 

 

面白い質問です。

 

 

世話をするということと、課題に踏み込むことを同一にくくる

 

ことが適切かどうかを、議論しましたが、ブログを読んでいる

 

皆さんはどう思いますか?