情熱のブラジリアン life style in Japan

日本とブラジルの文化の違いや共通点などを融合し、



新たな文化を生み出しながら、我が道を歩んでいます。



オープンでフレンドリー、暖かいラテン系な道を



一緒に歩んでみませんか。

 

ドキドキ愛を込めて、どんなに小さなことでも

 何かを作り上げながら、幸せをつかめたいラブラブ

  人生を充実した楽しい物語にしたい

     そう思いながら生きていますドキドキ


テーマ:

Esse e o meu avo querido.


Para quem nao conhece, poderao saber um pouco mais sobre ele em japones.


Aos interessados sobre imigracao, colonia japonesa no Brasil, etc...entrem em contato com ele sim!


Eh soh me deixarem um recado e eu passo o email pra vocs, ok?


祖父の記事がありまして、皆様とシェアしようかなと思っています。


85歳の元気な彼は、今、パソコンをマスターし、インターネットの世界に巡りこんでます!フフフ


私のアイドル、紹介します。


写真を見たい皆様には、こちらのサイトでご覧になってください。


http://blog.chugoku-np.co.jp/fureai22/


一応、記事だけをこちらにコピーしました。



2009-12-03


_ [ブラジル ] 日系人の教育志向と高い向上心 (吉田恭子)


 今年8月の初めごろだった。海外リポートに関連した資料集めの過程で、香山栄一(かやま・えいいち)さんという、在ブラジル80年近くになる85歳の「日系準二世」の方と知り合った。サンパウロ市に近いイビウーナ(Ibiuna)という町に暮らす。最初は電話でお話したのだが、その後はもっぱらメールでやり取りをしているため、いわゆるメル友のような関係だ。広島で暮らす私の母よりも少し年上の、大正14年生まれで、メールやインターネットを駆使すると聞いたときはとても驚いた。

【写真説明】 1日の大半を自宅書斎の机の前で過ごす香山さん

 さらに驚いたことは、香山さんの教育体験だった。1932年の12月末、7歳の時に家族と共にブラジルに移住したのだが、その年の4月に日本の尋常小学校に入学してブラジルに出発するまでの8カ月間だけが、長い人生で体験した正規の学校教育だったという。にもかかわらず立派な日本語を話し、書かれる。ちなみに「準二世」というのは、日本生まれで日本育ちの一世でも、ブラジル生まれでブラジル育ちの二世でもない、日本生まれだが日本で教育を受けていないという意味で、一世とも二世とも区別する呼び方のようだ。

 香山さんはブラジルに来てから、移住地での移住者の子弟を対象とした「寺子屋のような」日本語学校で日本語と算術を3年間教わったという。その後、比較的成績の良い生徒が推薦されていく、別の町にある正規のグルッポ・エスコラール(小学校)の4年に編入した。知り合いの家に下宿しながら、午前中は日本語、午後はポルトガル語を1年間学んだという。当時のブラジルの義務教育期間は4年間だけだったので、このグルッポ・エスコラールを終えれば義務教育は修了する。

 しかし香山さんはそれだけでは終わらせず、日本の小学高等科の過程を教科書と学習書を頼りに独学で学んだ。その後は町の文房具店が入荷した「早稲田中学講義録」を全巻入手し、同じ移住地で同じように勉学に励んでいた他の同年代の少数の少年たちと助け合いながら、独学を続けた。そして当時、移住地で入手できた日本の「少年倶楽部(くらぶ)」などの雑誌をむさぼるように読んだという。1日のつらい開拓の仕事を終え、疲れきった体で睡魔と闘いながら、ランプの明かりを頼りに、夜ひとりで勉強することが10代の少年にとってどれほど大変なことだったかは、想像に難くない。

【写真説明】移民関係の蔵書や資料が詰まった、香山さんの書斎にある「香山文庫」の一部

 ブラジル日系移民の方たちの体験をさまざま読んでいて、つくづく感心するのは、言葉もわからないまったく異文化の国の移住地での生活が過酷であったにもかかわらず、くじけることなく頑張った心身の強靭(きょうじん)さだ。さらに日本語の勉強のために、俳句や短歌をたしなむ人が少なくなかったこと。そして子弟教育に対する関心の高さだ。小さな子どもといえども重要な労働力だった苦しい開拓初期の時代ですら「寺子屋のような」学校とはいえ、子どもたちに基本的な教育をしようと、父兄が協力して移住地に学校を作っていた事実は、欧州諸国からの移民たちにそうそう見られる傾向ではない。そしてごくごく普通の市井の人々が、農作業の合間に短歌を詠むなど、他の移民には考えもおよばないことだったろう。日系人の強い向上心と教育志向、そして高い教養を感じる。

 今年はアマゾン入植80周年にあたる。初期にアマゾンに入植したある日系家族の父親が、「お前たちに残してやれる財産は大学に行かせてやること」と言って、子どもたち3人を苦労してみんな、大学まで行かせてくれたという娘さんの回想を、ニッケイ新聞の記事で読んだことがある。親たちが二世以降の世代にはできるだけ、無理をしてでも高等教育を受けさせようと努めた結果、現在、ブラジルの大学で日系人学生の占める割合は全学生数の13~15%と言われている。日系人人口(約150万人)の全人口(約1億9000万人)に占める割合が1%弱という現実を考えると、この数字がいかに大きいか。そして、いかに多くの日系人子弟が高等教育を受けているかが分かる。

 1500年にブラジルが発見されて以来、この国の500年以上の歴史の中で、日系人が国づくりに参加した年月は、近年の5分の1足らずに過ぎない。だが日系人はブラジル農業に画期的な貢献をし「農業の神様」と称されるようになった。しかも現在では、実業家、教師、医師、弁護士、エンジニア、大学教授、軍人、政治家と、ブラジル社会の隅々に至るあらゆる分野に進出して目覚しい活躍をしている。それもこれも日系人の協調性、団結力、忍耐力、あるいは正直、誠実、勤勉といった特質に加え、日系人に共通して見られる向上心と、教育志向の高さのたまものではないかと思う。


 話を香山さんに戻そう。今もかくしゃくとしてお元気そうだが、40年近く前に原因不明の大病を患い、以来、車いす生活を余儀なくされている。そのため他人には計り知れないさまざまな体調不良などを抱えている。加齢に伴い耳が少し遠くなり、最近は体調を崩すことも少なくないようだ。それでも「コンピューターを駆使して最新の情報収集に務め、コロニアの記念誌はもちろん、アルゼンチンやパラグアイなどの南米各国、北米、日本の出版物まで、手の届く限りの移民関係本を収集」し、移民史研究の専門家などとも交流している。コロニアとは、移民一世を中心とした日系社会の一部のことを言う。

 さらに自分史「わが道 -ブラジル移民準二世の半生-」を書き、「思い出で綴(つづ)るチエテ郷土史 - 拓魂のうた」の編さんなどもしている。そして、長年かけて集めた3000冊以上の移民関係の蔵書や資料などで、まるで図書館のような「香山文庫」を自宅に作っている。以前、ピアビルのリポートを書く際、私も、ガルジーノ氏の著書をこの「香山文庫」からお借りした。「おそらく個人としてはコロニア一」の豊富な蔵書や資料を持っているため、新聞記者たちですら香山さんのところに資料を探しに来るほどだという。

【写真説明】 香山さんが書いた自分史(ポルトガル語にも翻訳されている)と、編さんしたチエテ移住地の思い出をつづった本のコピー

 ちなみに香山さんが入植したチエテ移住地というのは、サンパウロ州のほぼ西北端に近く、サンパウロ州内陸部のバストス移住地や、パラナ州北部のトレスバーラス移住地とほぼ同時に造られた大規模な移住地。そこから少しいくとマトグロッソ州境を流れるパラナ河に出る。サンパウロ市から621キロで、現在はペレイラ・バレットと市名が変わっている。2008年に入植80周年を迎えた。

 車いす生活で、人と話をする際はマイクとヘッドホンの助けを借りる必要があるとはいっても、決して引きこもることはない。積極的に外の人たちとのコミュニケーションを図り、インターネットになじめない同年代の仲間に向け、インターネット上で仕入れた面白い記事や珍しい話題を印刷・コピーして配布。情報発信源の役割も果たしている。この中国新聞の海外リポートの愛読者でもあり、印刷・コピーしたものを配布してくださっているという。そういう香山さんをそばで一生懸命支えているご家族の姿はほほえましく、ご家族にとって香山さんが一家の中心である「家長」なのだということがよくわかる。

【写真説明】 1930年代のサンパウロ州の日本人移住地(アリアンサ通信から)

 ここブラジルには香山さんをはじめとする多くの移民の先達たちが、年老いたとは言え、今も好奇心と向上心にあふれて、生き生きと暮らしておられる。その姿に、私自身の20年後、30年後を想像しながら、「新米移民」として大いに励まされ、刺激を受けている。(サンパウロ州パーディーニョ在住)




_ よしだ・きょうこ

 広島市出身。短大を卒業して英語講師などをした後、米国の大学に留学し卒業。帰国後は英語講師、翻訳・通訳業をし、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の広島大会事務局、日本支部事務局に勤務。1992年に再渡米しボストンのNGO(非政府組織)事務局に勤務。2000年、ブラジル人の夫とともに帰国し東京で暮らしていたが、09年3月、夫の早期退職に伴いブラジルへ。夫の実家のあるリオデジャネイロ州パラカンビ市から、サンパウロ州パーディーニョに移り暮らしている。


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GENTE!!! Legal essa aqui!
皆さん、これは面白いよん!

E quem disse que a gente precisa de instrumentos pra fazer uma banda de rock?
ロックバンドには楽器が欠かせないものだと、そう思いますか?

Checa soh esse video aqui!
このビデオをご覧になってください!


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Oi pessoal! Tudo bem?


Faltam 2 dias para as aulas do Community college comecarem!!


E para os alunos de outros cursos, continuem fazendo revisoes!


Espero que voces nao tenham esquecido das materias anteriores.




"Minhas ferias de verao".



Esta eh a casa dos meus sogros.


A casa portuaria estah em Ampuria Brava, na Espanha.



情熱のブラジリアン life style in Japan

A casa eh pequena, mas aconchegante.




情熱のブラジリアン life style in Japan

O meu sogro eh jovem e ... nao eh mais gordo.

( Digo "emagreceu", mas nao chegamos nos verbos do passado ainda)



情熱のブラジリアン life style in Japan


Ele tem um pequeno barco branco.



情熱のブラジリアン life style in Japan


O barco se chama "Lan de Vant".

Em catala significa "Avancar!"


情熱のブラジリアン life style in Japan


Essa eh a paisagem da janela do quarto.


情熱のブラジリアン life style in Japan

Os meus sogros tem uma vida muito dificil...


情熱のブラジリアン life style in Japan

Que dureza, nao?


Ateh a proxima aula!

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