杉村太蔵

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あれだけ無知っぷりを披露してもなぜか愛される杉村太蔵を書く。


杉村太蔵 (1979年8月13日~)は、日本の政治家、衆議院議員である。

2005年11月現在、自由民主党所属国会議員で最年少である。


彼の国会議員になるきっかけは、

自由民主党のホームページで候補者を公募していることを発見した事である。

彼はそれを見つけ、すぐに論文を提出した。

その後、3度の面接を経て合格した。

一度は自由民主党福岡県連から福岡1区出馬の推薦を取り付けたが、

党中央が難色を示したため、比例南関東ブロック35位での出馬となった。

当選の可能性は極めて低いと見られていたが、

今回の郵政民営化選挙での自民党歴史的大勝で同ブロックの多くの候補者が

次々と小選挙区で当選し順位が上がったことにより奇跡的に当選した。


当選直後からその無邪気な発言が物議を醸して話題になるが、

その後自民党幹事長武部勤から厳重注意を受ける。

ちなみに実家は北海道旭川市で2代続いて歯科医を営み、自らも高校時代にテニスで国体優勝している。


これまでの発言として

「パシリのヒラリーマンが国会議員ですよ!」

「棚からぼた餅という言葉は僕のためにあるような言葉」

「料亭行った事ないですよ、行ってみたいですよ!料亭!」

「国会議員はJR全部タダですよ!」

「新幹線も飛行機もグリーンですよ!?グリーン!!グリーンなんて乗ったことないですよ!!!

当選したおかげで移動は全部グリーン!これが全部ただですよ!?ただ!!!」

「120%小泉チルドレンでございます。」

「歩き方も分からないのでキッチリ派閥に入って勉強します、ハイ…」

(その後記者から「小泉が新人議員に派閥に入るなと指示」と聞かされ)

「…え、総理が派閥に入るなと!?総理が!!?総理がおっしゃるならその通りだと」

「(通信費)ひゃくまんえんもらえるんですよ!?年間かと思ったら毎月ひゃくまんですよ!!」

「これで念願のBMWが買える。…と思ったら運転するなですよ。 

ディーラーに予約までしたのに…おれのBMが…」

BMWは会見によると買っておらず、予約もしてないという。

「僕の夢は週刊誌でクソミソに書かれること。」

「議員宿舎は3LDKで楽しみ」


2005年9月27日にこれらの発言に対し有権者に迷惑を掛けたとして謝罪会見を開いた。

当選1回で党本部で単独会見を開くのは史上初だと言われる。

会見ではフリーター、ニート世代の代表として彼らの生の声を国会に届けたいとも語った。


1979年8月13日 北海道旭川市出身

1992年 旭川市末広北小学校卒業

1995年 旭川市六合中学卒業

1998年 北海道札幌藻岩高等学校普通科卒業

1999年 筑波大学体育専門学群入学

2004年 筑波大学体育専門学群中退

2005年 ドイツ証券会社勤務(派遣契約社員として)

2005年 第44回衆議院議員総選挙において初当選(比例代表南関東ブロック)

2005年9月13日 勤務先へ辞表提出

2005年9月22日 決算行政監視委員会の委員へ就任


札幌藻岩ってあんまり賢いトコじゃないから(北大に5人くらいの合格者を出してたと思う)

たぶん、スポーツ推薦で筑波大へ入ったんだろう。



大仁田厚参院議員が教育係に立候補。

杉村太蔵衆院議員に“政治家のイロハ”をたたき込む考えを示した。

神奈川県参院補選の応援に杉村氏を連れて行くプランを用意していた。

「ドブ板選挙の現場を味わわせ、根性を鍛え直す」と宣言。

先輩からの誘いに反応がない場合は、党幹部へ直訴し“強制連行”も辞さない構えだ。
「バカヤロー!政治家としてドブ板選挙で根性をたたき直せ!」。

女性問題や年金未納など週刊誌上をにぎわせる杉村氏のスキャンダル。

これまでの放言がウソのように“貝”になった後輩に、大仁田氏は“育成プラン”とぶち上げた。
まず、ハートを鍛え直す。それには現場から。

党参院本部から神奈川補選への応援要請がある大仁田氏は「政治家の原点はミカン箱。ドブ板が一番。

箱の上で(応援演説を)やれ!応援を依頼されようがされまいが連れて行ってやる」と宣言。

商店街を回り、一人ひとりと握手。

街頭演説の経験がないルーキーを壇に上げ、民衆とガチンコで対話させ、内面から鍛え直す考えだ。
秘書を通じ“激励文”を渡した。だが、杉村氏がまだ目を通していないことを伝え聞くと「ナメてんのか?

政治家として最低だ」と激怒。

あいさつなし、マスコミを通じたメッセージにも反応はなく「幼稚とかじゃなく人間的に問題。

教育係は何をやってるんだ」と顔を真っ赤にした。
ニートの代表になる、という杉村氏には

「試練を乗り越えないとニートの代表にはなれない。

お騒がせマンで終わってほしくない」とエールを送った。


前首相秘書官の小野次郎衆院議員(山梨3区で落選、復活当選)と

飯島勲首相秘書官の2人が後見人に決定。


とりあえず、大仁田とのクッションができたってこと



◆公設第一秘書公募

杉村太蔵事務所では1日から、ホームページ(HP)上で公設第一秘書の公募を開始した。

これまで、同事務所では第二秘書しか決まっていなかった。

「公募というのはリフレッシュする人材発掘の大きなツールだと思う。自分自身も公募だった」と太蔵氏。

年齢、性別、経歴、学歴は不問。志望者は事務所に履歴書と論文を郵送する。

締め切りは06年3月31日必着。

すでに事務所には電話やメールで100通を超える問い合わせがきているという。

太蔵氏は「やる気があり、強い情熱がある人が希望。

永田町の『な』の字も知らない人間だからできることもある」としている。

また、今後の議員活動として「杉村太蔵が聞きたいっ!」(全4回予定)を開催。

太蔵氏がじかに有権者と対話し、さまざまな声を聞くことが目的だ。

太蔵氏は「みなさんの声を国政に届けるのが、僕の仕事だと思っている。

一人でも来ていただければやります」と意気込んでいる。第1回は9日に開催される。


◆国民と直接対話する場「杉村太蔵が聞きたいっ!」(全4回予定)を開催する

自民党の“お騒がせルーキー”杉村太蔵衆院議員(26)のもとに、問い合わせが殺到している。

「かなり問い合わせがきています。何人かの方に関心を持っていただいて感謝しています」と話した。

「電話が鳴りやまない状況」だという。

公募している公設第一秘書については「まだ、文書(履歴書+論文)などは届いていません」と。

全国の大学からは、学園祭への出演依頼が複数きていることも明らかになった。

事務所では「どこに行くかはまったく、分かりません。

当日になって、突然、出かけることもありますので…」と、サプライズ登場を予告した。


特別国会が閉会した1日、自民党の杉村太蔵衆院議員(26)が“怒とうの42日間”を振り返った。

初当選以降、自由奔放な発言で注目を浴びてきた太蔵氏は

「体重が7キロ減りました。国会では結構、歩きますから」と、わずか1か月あまりで激やせしたことを告白。

さらには普段の生活の様子や過熱したマスコミ報道など、これまで感じたことも語った。


―今国会を振り返って。

「めちゃくちゃ楽しかったことは事実です。

見るもの、聞くもの、会う人、これだけ刺激的というか、毎日、いろんなことを考えさせられた。

杉村太蔵だからできることがたくさんある。それを一生懸命やろうと思いました。

相当、必死に一日一日過ごしました。ものすごい重圧でした」

―やせましたか。

「今朝、量ったら69・9キロでした。7キロやせました。

それだけ仕事が激務になりました。(議員の仕事は)意外とデスクワークじゃない。結構、歩きますから」

―ご飯は食べてますか。

「3食がっちり食べてます。食べるのは大好きですから。

ただ、ホテルの食事もいいですが、フリーター時代に、過酷な肉体労働が終わった後、

駆け込んで食べたビッグマックのほうが、はるかにうまいです」

―お酒は。

「ヒラリーマン時代のほうが随分飲んでました。今はほとんど飲まなくなりました。

飲んでも酔えない。飲んでも飲んでもシャキとしなきゃというのがある。

今の杉村太蔵の現状を表してます。それくらい日々、緊張の連続でした」

―ヒラリーマン時代は何を飲んでましたか。

「ビールをしこたま飲んで、芋焼酎ブームの時は芋焼酎。ワインブームの時はワイン。

カクテルも、何でもいけました。昔はグデングデン、グデングデン。

大酒豪というわけではないですが、年がら年中グデングデンでした」

―たばこは。

「まったくノースモーキングですね。学生時代は格好つけてふかしたこともありましたが、

全然、おいしくなくてだめでした。スポーツマンなので、体に悪いことはしなかったです。

健康であるということは大きいですね」

―リラックス方法は。

「本当にないです。気分転換に映画を見に行こうと思っても、

自意識過剰かもしれないですが、何か見られている気がする。

誰かと飲んでも、(雑誌などに)出ちゃったらどうしようとか、

党に迷惑かかったらどうしようかと思いますので」

―議員宿舎での生活は。

「テレビも冷蔵庫もいまだにないんです。お皿1枚、ないんです。ただ、ベッドがあるだけです」

―休みの日は。

「先日、唯一リラックスしました。ヒラリーマン時代から行っていた新橋のマンガ喫茶に行ったんです。

畳一畳ほどもない個室で、ずっと勉強していたんですが…。

あれはちょっと『うわー』とリラックスしました。

テレビは見られるし、インターネットはできるし、ジュースは飲み放題だし、

めったに人に会わないし、暗いし、静かだし、3時間くらいいました。

会社にいた時から、マンガ喫茶は憩いの場でしたから。僕、狭い所が好きなんです」

―マスコミというものを、どう感じましたか。

「テレビに出ると本当に恥ずかしくて恥ずかしくて…。

夜、ニュースを見ると『新人議員』とでてくる。

『あっ、やばい』と思っていると、杉村太蔵がでてきて、コメンテーターの方がぼろくそに言う。

それを見て消すんです。『誰も見てなきゃいいな』と思って寝る。でも、なかなか眠れないんです」

―雑誌などで“スキャンダル報道”もありました。

「いろんなことがありました。すべてが初めての体験。僕の中では、情報の洪水でした。

常に心がけていたことは、自分を見失わないようにしよう、

自分の与えられた使命を絶対に忘れないようにしよう、ということでした」 

―つらい時に心の支えになったものは。

「たまに町を歩いても『頑張ってください』と言われるのが、何よりも励みになった。

こんなにうれしいことはないです」

―今回の改造内閣を命名すると。

「『ラストスパート内閣』です。

テニスでもそうですが、マッチポイントに近づけば近づくほど、最高のパフォーマンスが求められる。

歳出削減に徹底的に取り組んで、一気にこの1年で勝負をかける内閣だと思い、名付けました」

―将来は何を目指す。

「まだまだ先のことは…。今、何をすべきかです」

―ライブドアの堀江貴文社長は「国会議員なら総理を目指すべき」と言ってますが。

「何と言っても、私はヒラリーマン根性が抜けませんね。

会社に入った時も『まずリストラされないようにしよう』と。

今も『まずは除名されないようにしよう』と思っています。

僕はホリエモンじゃないんです、“ホリダシモン”でもないかもしれないですが…」

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