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2015-03-24 00:18:39

建築フェスティバル講演

テーマ:デンマーク事情

2203

コペンハーゲン建築フェスティバルの一環として、気候変動対策の講演を聞きに行った。

というのも、ここ近年毎年のようにコペンハーゲンが洪水に見舞われるので、それに対して何が行われているのか興味があったのである。

 

会場は、ブラックダイアモンド横にあるガラスドームだった。

訪れるのはこれが初めてで、今まで、遠目からなんか景観壊しているよな、、と思っていたが、中はかなりヒュゲリないい感じのところだった。

100%再生可能エネルギーのエコ建築らしく、中に庭と木造の2階建ての建物が入っている。一階は大スクリーンのある会議室、2階はオフィスになっている。屋内庭園にはごろんと寝転がり、ひなたぼっこしているひともいた。

 

二人の建築家の講演があり、一人目は洪水対策のプロジェクトについて、二人目は都市計画に関する話だった。

大規模な洪水対策プロジェクトはオルボーで走っているようで、段差の低いところに水を回収してその水を川に流す、ということをやっているらしい。しかしポイントなのは、そこを多目的スペースにし、ただ水を回収するのではなく、サッカー場にしたりして、普段は別のことで使えるスペースにしているということである。

 

都市計画の話では、豪雨に関係すると言われているヒートアイランド現象を緩和させるために、緑地計画をしているらしい。なんと、中心地とフリデリクスベアの公園の温度差が5度までひらくこともあるという。道路や、街の中のちょっとしたスペースに緑を増やし、なおかつ子供が遊べるところをつくっていくとのこと。帰りにノアポート駅に向かう途中、講演で出てきた公園のところに偶然通りかかり、こんなところに作られたんだ、と驚いた。確かに密集した建物の中に緑のスペースがあるとほっとするかもしれない。

そして、5本指計画が功を奏して近郊地にひとが分散し、1960年代に70万人まで増えたコペンハーゲンの人口が50万人まで減少、今も55万人程度ほどで推移しているが、今後を見越して現在はNordhavnが再開発され住宅地が造成されつつある。そのため現在Lyngbyvejから環状2号線に直接抜ける道路がつくられていてNordhavnへのアクセスが容易になろうとしている。

ゆくゆくは、より埋立地を増やしてウォーターパークのようなものを作るアイデアもあるらしい。

ただ機能性を高めるためだけでなく、ひとが楽しめるスペースにもする、ということがポイントのようである。

 

今後自動車を減らす施策も出てくるのかという質問があったが、実際にはデンマークの一人あたりのガソリン消費量は多くはなく、それはたぶんないだろうと。しかし今、Noerrebroと中央駅とOesterportを結ぶ環状地下鉄の工事が進行中で、2018年で完成するというそのメトロができれば、かなりコペン内の移動がラクになるのでは、と思った。

昨日、FB201941日にあるというメトロ完成パーティのインビテーションがきたが、わたしもその完成が待ち遠しい。

 

コペンの人口は横ばいでも、大コペンハーゲンの人口は増えていると思われる。コペンの昼間人口が増加していくのなら、そのための対策も必要とされるであろう。

やっとノアポート駅の工事が終わり、道路をつぶした分スペースが広くなってうれしい限りであるが、メトロの工事であちこちがまだ工事中である。

人口増大がより著しい東京のほうがいろいろ開発されていると思うが、コペンのようなあまり大きくない都市でもいろんなプロジェクトが走っており興味深いと思った。

 


ドーム内1
ドーム内


屋内庭園
屋内庭園


オフィス
オフィス



ドーム
会場のドーム

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2015-03-10 06:27:13

確定申告×女子会×言語交換

テーマ:デンマーク事情

今日から税務局サイトで2014年度の年間課税書のデジタル配信が始まり、早速チェックして追加徴税の支払いも終了した。

去年はアパートを買ったり、ローンを借りたり、シングルマザーになったりと変化が多すぎて申告するのが面倒だとあえて何も手をつけなかったが、去年途中からありえない額での税金控除がかかるようになり手取りが1000krも増えたりしていたので、これはあとになって相当払わされることになるのでは、、と戦々恐々としたのだった。

シングルペアレンツ対象の税金控除は増額されたのは去年の9月とかだったので、思ったよりも控除額は多くはなかったが、申告していなかった固定資産税分11000krまるまる請求されることも覚悟していたので、それよりは少なかったので一応ホッとした。これまた申告していなかったローンの利子分の控除で少々相殺してくれたのであろう。それでも6500krとかだから痛い出費ではあったが。市に払う土地の固定資産税は別途現金での支払いだし、国に払う物件自体の固定資産税も、収入には関係なくやはり別途で絶対価値の1%税金が引かれるので、アパートでも結構まとまった税金を払わされるのである。


でも、このアパートを引き継いでからまる1年たち、去年の今頃は新生活に不安を感じながら一人でペンキ塗りに精を出しわびしくなっていたものだけれど、意外と経済的にも物理的にもなんとかなったなぁという感じである。

まだキッチンの水漏れ問題は解決していないし、仕事も危ない橋を渡ってはいるが。

とりあえず、現在のわたしのサラリーをカバーしているプロジェクトは3か月延長になって9月末終了になったとのこと。夏休み前に終わってしまうと思っていたので、あと半年ということでも、ものすごくほっとした。

今月末に今のプロポーサルを提出したら、また別のアプリケーションを書くことも考えている。

 

*************

 

昨日は国際女性デーだったそうだが、それとは関係ないけど土曜日の夜は日本人女子研究者との集いだった。 

やっぱり女性のほうが、旦那さんやお子さんの事情とうまくバランスを保ちながらキャリアを築くケースが多く、柔軟に生きざるをえないのか、話を聞いて刺激を受ける。

みんないろんな事情をもちながら、それぞれがんばっているなぁ、と。

たくさん論文を書くひとがいたり、別の大学とのコラボを進めてまったく新しいことを始めてみたり、着々と第一線で活躍されたり。

しかも今は正職員でも真に身分を保証されているわけではないから(自分のサラリー、プラス、オーバーヘッド込みのお金をどこからかもってこなくてはならない。)、研究界にどうやって生き残っていくか話すのはとても興味深い。

でも、わたしの行きついた答えは、それに「絶対の方法はない。」なのであるが。

デンマーク語もソーシャライズもがんばっても、ダメな場合もあるし。

ま、やれるだけのことはやる、しかないのかもしれない。

 

*************

 

今日は言語交換で、互いに日本の漫画本を持参して話したのだが、面白かった。わたしが持参したのは、大人向けの漫画ばかりで、漫画でもいろんなジャンルがあるということをみせたかっただけだが、彼女がもってきたのはニューヨークの紀伊国屋で購入したというベタベタの少女漫画で、ことばがティーンの口語だけに訳すのが難しかった。

いや、全体として訳すのは簡単だけど、一語一語を別々に訳すのが難しかった。「ていうか」って、わたしも多用するくせにいきなりつまずいた。というか、この「~って」も出てきたが、訳せなかった。

しかも、わたしは漫画好き、というか、10歳のときからオタクに近い漫画好きで一時期は漫画家になりたいと思うほどのディープなファンで読み慣れているだけに、あまり意識したことがなかったけれど、ダイローグにモノローグが重なったり、吹き出しが誰のものかわかりにくかったりとか、漫画という表現そのものが言語以上に難解なのかも、、と思った。

しかも、人の名前が認識しにくかったらしい。訳していた漫画に、登場人物として主人公のおじさんが「諭吉」だったのだが、名前と認識できず辞書で調べて「一万円札」と出てくるのでどうしても意味が理解できなかったらしい。一万円と変換されるのも笑ってしまったが。

確かに、英語やデンマーク語のように固有名詞であれば最初は大文字、というように普通名詞との区別がないから、特にボキャブラリーが少ない場合には名前とわかりにくいかもしれない。

わたしの好きな漫画について、デンマーク人の視点からみることが新鮮で楽しかった。

同時に、わたしのデンマーク語レベルを、この日本語の無意識レベルにまでもっていくのは難しいな、とも思った。

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2015-03-03 23:54:42

帰化申請-親権証明

テーマ:デンマーク事情

金曜日に大使館に戸籍謄本と翻訳をもっていき、結局翻訳は一部日付が間違っていたとかでメールでデジタル書類を送付したのだが、今日翻訳証明と事項証明を取りに行った。

出生証明、婚姻証明、離婚証明、婚姻要件具備証明、死亡証明以外は、事項証明しかないらしい。サイトには、「ある特定の身分上の事項が戸籍謄本に記載されていることを証明するもの」とあるから、親権にしぼって証明してくれると思っていたが、娘だけでなくわたしに関する事項まで含めた証明書を発行してもらうに至ったのだった。でも、親権についても書いてあるから充分であるはずである。

 

で、以下のカバーレターをつけ、

・戸籍謄本

・翻訳証明

・事項証明

・結婚するときにデンマーク当局から取り寄せた、公文書のアポスティーユに関する記述のコピー

を添付して、法務局に送付した。

 

Justits Ministeriet

Udlændingeafdelingen

3. marts 2015.

 

Indsendelse af dokumentation for forældremyndigheden over *********

Vedlagt fremsendes:

- Udskift på japansk af det japanske familieregister med rådhusenes stempler.

- Oversættelse til engelsk af familieregisteret påtegnet af den japanske ambassade i København.

- Dokument påtegnet med bekræftelse fra den japanske ambassade i København på, at jeg har forældremyndigheden over min datter *** ifølge det japanske familieregister.

- Kopi af Statsamtet regler vedr. retskraft og legalisering af dokumenter, som jeg fik da jeg ansøgte om ret til at kunne indgå ægteskab. Ifølge reglen kan legalisering ske ved en bekræftelse fra den japanske ambassade i København.

 

På denne baggrund vil jeg gerne bede Dem om at bekræfte, at jeg har forældremyndigheden over min datter *********.

 

Med venlig hilsen

*******

 

法務局からの手紙によると、これを受け取り次第、返事がくるまで3か月かかるとのこと。

あとは野となれ、山となれ、である。

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2015-03-02 05:25:00

SAS・CA職務放棄騒動

テーマ:デンマーク事情

SAS

 

うーん、、デンマークに12年近く住んできてもまだまだ謎の国だ。。。

 

金曜日から始まったSAS(スカンジナビア航空)のキャビンアテンダントの職務放棄騒動。

nedlaeggelse=放棄」という意味が最初わからなかったが、「ストライキ」ではないのは、もともと組合と会社間での規約にある合法のストライキではなく、まったく事前の通告もなく突然職務をボイコットする違法行為だからだそうで、SASは警察もよび職務放棄をそそのかしているスタッフ10人を空港から追い出そうとしたり、裁判所にかけあい職務復帰の命令を出してもらうなど、政府当局も巻き込む騒動に発展している。

 

どうも、もうすでになくなっていたと思っていた、LCC航空会社CimberSASが買収し、SASCA147 人がCimberに出向させられることになったが、現在の労働条件や給与の継続の保証は2017年までとしており、今のところ合意に至っておらず、その結果の職務放棄も2度目だそうである。

結局、ヒルトンホテルでのミーティングも不調、裁判所命令も受け入れず、いまだ放棄したままで、明日の12時までに戻らなければ解雇にする、とSASは警告を出している。

 

おそらくは、SASCAたちは解雇覚悟で職務放棄していると思われる。たぶん、SASが翻意しない限り、月曜日以降も放棄は継続するであろう。

ではなぜ出向命令が出てすんなり辞めなかったのか。

それは、これがどれだけ不当な命令なのか会社に知らしめる目的があったのであろう。実際この3日間で会社にとっても相当の損害が出ている。

 

これは、2013年に起きた小学校のロックアウトのように、不毛の戦いのようにもみえる。

今の航空会社の競争激化でSASが赤字財政になって久しく、2005年からすでに緊縮財政プランを出しており、その中のひとつとして、LCCCimberを買収して、航路の一部をLCCに替えていくというのがあった。

そもそもが、人件費の高い北欧で航空会社をもつこと自体困難なことなのかもしれない。

まぁ、エンジニアのわたしにとっても他人事ではないのだが。実際多くの企業で工場を東欧に移転しているわけで。

 

しかし、今回初めて目にしたことば「職務放棄」。

本当にデンマーク何が起きるかわからない。。

小学校のロックアウトもショックだったけど、「ストライキ」ではない「ストライキ」までも起こるとは。

ちなみに、知人がSASで出張に行くはずであったが、出発予定時刻の2時間後になって初めて欠航になると知らされた挙句、それまでですでに4時間空港で待たされたのに、預けた荷物を回収するのにまた待たされ、その2時間後にやっと空港をあとにしたという。荷物受け取り場では人の嵐荷物の嵐だったそうだ。通常でも普通に混んでいるのに、3040便の欠航便分の荷物が追加されたわけである。

もしストライキであれば、荷物を預けることもなかったかもしれないし、それ以前にあらかじめ予定を変えることも可能であっただろう。しかし事前通告なしの職務放棄となるとそのときまでどうなるかわからない。

今後も何か驚かさせることが起きるような気がする。

2015-02-18 04:40:30

法務局からの電話

テーマ:デンマーク事情

土曜日の事件についてメディアは連日大賑わいである。

なので最近は毎日のように新聞を買っているのだが、今日もそのことだけで10ページはさいてあった。

刑務所に入っている間に過激派になってしまうリスクがあること、昨日のコペンであった追悼会のこと(30000人も集まったらしい。)、土曜日のこと、表現の自由のこと、犯人の生い立ちについて、と5テーマもあった。

昨日、日本の友達とスカイプで話したら、「今デンマーク大変なんでしょ?大丈夫?」と言われ、逆に驚かされた。

大使館からのメールで、デンマークへの渡航に対する注意勧告も出されたとのことであるが、そこまで大げさにするほどのことなのかと思ってしまった。

確かに死亡者もでた痛ましい事件ではあったが、表現の自由を脅かすテロ、というほどのものだったのか、、わたしには正直そこまでは思えないのである。

言ってしまえば、秋葉原の殺傷事件のようなもの、というか。

犯人はパレスチナ人でユダヤ人を憎悪し、イスラム国にシンパシーはもっていたようではあるが、実際にイスラム国につながっていたわけではなく、「孤独な一匹狼」だったらしい。両親は離婚し、しばらく母親のいるヨルダンにも住んでいたが、5年前にデンマークに戻ったものの、9年生が終われなかったらしい。その後VUC(成人学校)に通うが、わりと優秀なのに、議論になるとときどきキレていたそうだ。特にパレスチナ問題に関しては相当感情的になっていたらしい。なのに自分のことはあまり語りたがらなかったとか。VUCもやめてしまったそうである。

それだけですでに複雑な環境にあったことがうかがわれる。もしかすると、社会に対してもう憎悪をもっていたのではないかな、と。なので、デンマークだから、とか、表現の自由うんぬんとか関係なく、ただ個人の問題だったのではないかと。

だけど、犯人の経てきたプロセスがまさに、デンマークになじめなくてぐれていった外国人というステレオタイプそのままなので、ますます外国人に対する偏見を強めることになるのではないかと戦々恐々としている。

 

実際、娘のクラスではさんざんテロについて話し合われたそうだが、事件そのものだけでなく、今後ますます外国人締め付けが厳しくなるであろうこと、さらには次回の国政選挙では極右政党のデンマーク国民党が政権に入ることまで話したそうだ。まぁ、この事件の前からDF党の支持率は20%と安定して推移していたので、いずれにしても彼らの影響力は増大するであろうが。

 

そんなわけで、1年以上前に出した帰化申請のことも気になっていたのだが、住所が変更されたことも確認したいし電話しようかな~と思っていたところ、今日法務局から電話がかかってきたのである。

なんでも、一緒に申請している娘の親権について、パーソナル情報の中には何の記載もないため、わたしが本当に親権をもっていることについて、日本の外務省のアポスティーユ付きの証明が必要とのこと。

帰化申請のときに、戸籍謄本原本と、翻訳と大使館の翻訳証明も一緒に提出したが、その証明コピーを改めてみてみると、大使館はあくまでも翻訳が正しいことを保証しているだけで、戸籍謄本が本物の書類であることを証明しているものではないとご丁寧に書いてある。内容を保証しているわけではないから、実質その戸籍謄本は意味がないわけである。

法務局は具体的にどうすればいいかわからないようであったが、要するにわたしが親権をもっていることの外務省のお墨付きが必要なことは理解したので、自分でやり方を考えますと言って電話を切ったのだった。

で、外務省のホームページをみてみると、在外公館でも戸籍謄本に記載されている事項について証明することができるとのこと。

そう書いてあるのだから、できるはずで、念のためにそのサイトをコピーして大使館にみせてお願いするつもりである。

でもサイトには3か月以内のフレッシュな文書でなければ証明できないとあるので、日本にいる家族に頼んで戸籍謄本を送ってもらい、大使館まで行かなければならない。

面倒だが、とりあえずわたしの申請をみてくれていることがわかっただけホっとした。

申請をして警察で面接をしたのはおととしの12月、なのに法務局から申請が受理されたと手紙が来たのは去年の2月だった。それから最長で1416か月かかると書かれていたのだ。だから、めいっぱいかかるとして今年の6月まで何の音沙汰がなかったら連絡しようと思っていたのだった。

今のところは何の問題もないことであったが、、どうなることか。

2014-12-30 22:01:44

幸福度の記事

テーマ:デンマーク事情

昨日のデンマーク語で、フィンランドとまだ共同研究する話をしたら、フィンランドは世界でもっとも政治的にクリーンで汚職度が低いという話になり、北欧はどこもクリーンな国が多いが、対して南欧は汚職がひどいと。半分スペイン人でもある先生いわく、スペインは賄賂は当たり前のものであるらしい。スペイン人が常に政治に文句を言うのに辟易した経験があるが、汚職度は国民の国に対する信用に直接影響し、それがまた国民の国に対する貢献の姿勢にもつながっていくのだろう。

日本は南欧ほどひどくないにしても、力関係は存在し汚職はある。そして、共産国よりは民主主義であるが、デンマークほどではない。というか、デンマークに来てから、日本は民主主義にみせかけているだけと思ったほどである。一応全員の同意をとってますと表面的にみせつつ、実は力でそうさせているだけ、というのが往々にしてあるからである。

先生に、どうして北欧は平等で民主主義がいきわたっているのか、と聞いたら、

「北の国のひとは、気候的に不利な分全員が働かないとやっていけないから、自ずと真面目な気質が生まれたのでは?」

とのこと。なんでも、民主国家の最適気候というのがあるらしく、暑すぎても寒過ぎてもダメらしい。

デンマークは、バイキング時代以降王国ではあるが、ほかの国に比べると力は大きくなく、農民も比較的優遇されていたそうである。

 

デンマーク語の帰りに買った新聞に、ちょうど幸福度に関する記事が載っており、オーフス大学の教授によると、幸福度は福祉の充実度合いだけでなく、どれだけ自由で平等な社会かどうかというのが関係しているとのこと。

先生と話したことと合致していたので、かぶりついて読みふけってしまった。

それによると、自分で選択できない、ということがかなりのストレスを生み不満がでてくるとのこと。

特に、ギリシャ、スペイン、イタリアなど、権力集中型の国では、クライシスのときに国民の不満が爆発したと。わたしも、「政府が悪い。」と呪文のように聞かされていたときのことを思い出す。

ま、日本でも似たような現象が起きたし、もしかして今も現在進行形なのかもしれないが。

それに対して、デンマークではリーマンショックのあとやはり不景気の波をかぶったものの、そういった不満はあまり聞かなかったような気がする。うちの会社でもリストラがあって40人中10人も切られたし、身近で何人も解雇されたのを目の当たりにしたが、意外と淡々としたものだった。

やっぱり国を信用していれば、悪いことが起きてもしょうがないと受け入れられるけれど、信用していないと、悪いことが起きたのは国のせい、ということにしたくなるのだろう。

 

つくづく思ったのは、力関係がいかにストレスを与えるか、である。

わたしは日本でストレスを感じていたのは、何も政府に対してだけでなく、もっと身近なところでも、例えば親子関係であったり、夫婦関係であったり、学校でも感じていたと思う。

親や配偶者に力でねじ伏せられると、わたしに対する思いやりや愛情なんてないのではないかと疑い、相手は自分のエゴでわたしを利用しているのではないかと不信感をもったのである。

わたしが希望した大学に合格したとき、「もっといい大学に行けたのに。」と言われたときには、親はわたしが合格した喜びを共感する愛情の前に、「もっといい大学に入った」子供をもつことを誇りたいというエゴがあったのではないかと。

また結婚生活で話し合いなしで地方に赴任になったばかりでなく、そこで公務員試験を受け、わたしなりにやりがいのある仕事を得ようとがんばっていたときにも、「なんでそんなことするわけ?」と言われ、このひとは、ただ自分にとって都合のいい「飯炊きと子育てをする」妻が欲しいだけなのではないかと、やはり夫の愛情を疑ったのである。

高校は高校で、わたしが推薦で希望の大学に合格してからも、わたしはとっととバイトを始めて小遣いを稼ぎたかったし、せっかくだからほかのことをやりたかったのに、ほかの大学を受けるようさんざん勧めてきた。それも、高校にとっての実績稼ぎのためである。

 

今は本当に幸せだと思う。

自分の好きなことをし、それでいて、そのことに文句を言うひとは誰もいない。

自由なだけ責任もあり、大変なこともあるし、誰も守ってくれない、突然解雇されるかもしれないという不安があるけれど、それも自分が選んだことだからと納得しているだけきもちがラクである。悪いことが起きても、誰かをアテにするのではなく、自分でなんとかしなければと思えるようになった。

 

そう、力関係があると、ある意味お互いに依存しあうことになるような気もする。平等で、民主主義がいきわたった社会は、実は自立が求められ、個々の責任が生じてくる。

でも、ここ10年くらいずっとデンマークは幸福度1位の国で、概してそうした個人主義の社会は幸福度も高い傾向があるのではないかと思う。

2014-12-18 05:47:17

80/20の法則

テーマ:デンマーク事情

忙しい。。

おとといは、長時間実験のあと、夜に言語交換の子を我が家によび、、あんかけチャーハン、から揚げ、レタスとわかめのサラダを用意したのだった。

まるで王将メニューだけど、ベルリン旅行の直後だから楽に用意できるものとチョイスした結果で、ラーメンは先週クリスマスランチのために作っておいたスープの一部を使い、チャーハンは朝作っておいたのだった。なので直前に、ラーメンの具(ゆで卵、わかめ、ネギ)を用意し、から揚げとサラダを作っただけですんだ。

幸いどれも喜んでくれた。

手をかけずにすんだとはいえ、デンマーク人に出す日本のごはんとしては妥当なメニューだと思う。寿司も簡単だけど、きょうびどこでも食べられるし新鮮さはない。その点ラーメンは、デンマークでは食べられないし、それでいて万人受けするものだと思う。それでクリスマスランチにももっていこうと目論んでいるのだが。

 

昨日は、これといった用事がなかっただけに、細々とした用事を一気に片付けようと、かえってめまぐるしい一日だった。

9時~15時半まで実験をし、郵便局にサンプルを送付しにいき、家で洗濯、夕飯の準備、夕飯、片付け、掃除をし、買い物に行き、靴と食料品を買い込み、19時に大学に戻ってポーランド人の子とある用事をすませ、そのあと21時半まで実験室で作業したのだった。

本当は、買い物でクリスマスランチのゲーム用のプレゼントと、クリスマスプレゼントを買いたかったが、とてもそんな時間はなかった。

 

今日は、朝夕飯の支度をしてから職場に急ぎ、明日で最後の子のお別れ朝食会に出て、お昼まで頼まれ仕事をやっつけ、サンプルが乾く間に、明日のクリスマスランチに足りないものを買いにいこうと、ショッピングセンターへ。

ついでだからとクリスマスプレゼントの一部も購入し、家に帰ってランチを食べながら、家にあるもので明日のゲーム用のプレゼントをパッキングし、大学へ。

頼まれ仕事のサンプルを顕微鏡でチェックしたあと頼み主に届け、今日中にスウェーデンに送らなければならないサンプルの写真撮影をしてパッキングをし、劇混みの郵便局(というか、スーパーの中に併設されている郵便部門というか)に行き、なんとか送付完了して家に帰り、急いで夕飯を食べて語学学校へ行ったのだった。

 

18時から始まるデンマーク語のために、昨日遅くまで作業した挙句、今日もストレスフルなスケジュールになり、だから12月にデンマーク語は行きたくなかったんだよ、と心の中で何度も毒づいていたが、行ったら行ったで楽しかった。

今日は、前回から2週間あまりの忙しさでほとんど準備できなかったので、ひとつ書いていたエッセイを一緒にチェックしたあと、スライドなしでプレゼンのようなものをしたのだが、これが面白い議論になったのである。

 

テーマは、「なぜ、デンマークでは短時間労働で、日本は長時間労働か。」

先週お茶した日本人の方との話で、「日本では完璧さを求めるがゆえに、とてつもないエネルギーを必要とされる。」ということばがずっと心の中で残り、話のネタにしたいと思ったのである。

というか、その方とお会いしたのは、日本とコラボレーションをする手がかりをつかむためで、おかげで共同研究の話が着々と進みつつある。

でもわたしの本当の夢は、日本にもっとデンマーク式を導入したい、というものである。しかし、その方と日本人の完璧さについて話して、かなり難しい道のりだと思い、そのことについてわたしなりにまとめたいと思っていたのである。

だから本当はそのネタでもう一本エッセイを書くつもりだったが、忙しくてエネルギーがなく書けなかったのだった。

 

先生に、ある程度の結果を求めるのなら、それほど時間をかけなくてもいいが、99%から100%というたった1%の精度を上げるだけでとたんに膨大なエネルギーが求められ、その結果100%を追求する日本人は長時間労働を強いられているんだと思う、と言ったところ、

「デンマークの、80/20法則って知ってる?」

と聞かれたのだった。

わたしは知らなかったが、なんでも、100%の結果を得るために100%の労力をかけるよりも、たった20%の労力だけで80%の結果を得られるのなら、それでよしとしよう、残り80%の労力を、20%ずつ4つの別のことに費やし、結果80%×5400%になるほうがかえって効率的だ、というものらしい。

うーん、、確かに、、、と思った。

わたしは仕事はまったく完璧にできていないけれど、同時にいろんなことも同時並行でこなしている。

不十分とはいえとりあえず博士号を取得し、なおかつ娘を育て、英語とデンマーク語と2言語も習得した。さらに、ハンドボールやバレーボールなど趣味ももった。またデンマークでは外食産業が日常的ではないということもあり、思い切り料理して友達をよぶ、という楽しみも得た。旅行も日本にいたときよりもしている。

そういう意味では、キャリア的にイマイチかもしれないけれど、そのかわりほかに得るものがたくさんあったからより充実しているといえるかもしれない。

 

そして、日本ではひとりにいろんな能力を求められるが、デンマークは分業制が進んでいて、不得意なことがあってもまったく不利にならない。日本で苦手なことを克服しようとするのも、ある意味エネルギーの無駄になるのかもしれない。ともかくわたしは日本で疲弊した。なんでもパーフェクトを求められ。

ただ、それがまったく悪いということではなく、アドバンテージになることもあるので、何もかもデンマークがいい、というわけでもないが。

例えば、車とかパソコンのような高い精度が求められるものは、デンマークでは作れないと思う。主要産業も、一部にしかエンドユーザーになりえない変ったものが多いような気がする。

 

先生とそのことについて、次回にまとめようということになった。

なんだかんだ、次回は2回分で最終回。

さみしい気もするが、でもすでに先生にはいろんなことを教わったような気がする。

一番大きいのは、言語そのものではなく、自分でイニチアティブをとるという姿勢に変えさせられたことである。

おかげで、日本との共同研究を含んだプロジェクトのアプリケーションは、会社から正式にゴーサインが出る見込みである。そのことで同僚と話し、

「でもね、わたしがイニチアティブとらなければ、何も起きないことを学んだよ。だからわたしがドラフト書いて形にして本当のアプリケーションにもっていこうと思って。」

と言ったら、

「そのとおり。」

と言われたのだった。

2014-12-03 07:57:36

コペンハーゲンの歴史

テーマ:デンマーク事情

日曜日のコペンめぐりは、女子6人の集団でまわったのだが、うちひとりが建築をバッググラウンドにしているひとで、わざわざこのために事前に勉強をしてくださり、彼女の説明付き散策だったわけである。

最初はアマーの建築学校からスタートで、

「昔はこのあたりは海でした。」

と言われ、そういえば東京も、お茶の水あたりにあった小山を削ってその土で相当の面積を埋め立てたと友達から聞き、昔と今の地形の変化を東京江戸博物館でみたことがあるけれど、アマーも近年まで方言が残るほど孤立しているところだと聞いたことがあるし、コペンハーゲンも相当な変遷を経てきたのかな、と気になったのだった。

 

それで今日ふと調べてみたところ、1400年代のコペンハーゲンの地形図が出てきて、メッセンジャーでみんなにみせたら、盛り上がったのだった。

「確かに、アマーは島だったんですね!」

今も、「på Amager」だし、一応島といえば島だが、短い橋でつながれ、ほぼ陸続きの感覚であるのに比べれば、埋め立てる前は本当に舟でしか渡れない島だったのである。

国立美術館のところとチボリにある池は、お堀の名残だと聞いたことはあったが、その外側にある4つの人口湖が、もともと川だったとは知らなかった。


kort 1400
1400年代


kort 1800
1800年代、まだ現在のところまで埋め立てられてなく、アマーは要塞に阻まれている。

kort idag
現在

 

それから、コペンハーゲンの歴史を読み始めたら、とまらず。。

クリスチャンスボーのところにあったアブサロン司祭のお城ができたのは1167年だが、コペンハーゲンが中心地になったのは、カルマー同盟が始まった1400年代から。

要塞を築きだしたのは、スウェーデンと戦争をするようになった1500年代。

埋め立てでクリスチャンハウンができたのは1618年。埋め立て技師であるオランダ人移民が住むところだったらしい。結局は、普通の町のひとつになったけれど、そのせいか、クリスチャンハウンはアムステルダムを彷彿とさせる。螺旋塔で有名なボアフレルサー教会は、オランダのバロックスタイルで、珍しく短い長方形で内装もゴージャスな感じであるが、設計士はデンマーク人だそうで、あまりそのことには関係ないらしい。螺旋塔ができたのは、ルネサンス期の影響が大きかった1752年、らせんの向きが間違っていたことを苦にして設計士が自殺したのは有名な話である。

しかし、アマーが普通の住宅地になってきたのは1890年ころだそうである。それまで、要塞で隔てられ、孤立していたのだろう。

 

それから、裁判所を通ったときに、そこは1900年初頭まで市庁舎も兼ねていたという話で、新しく今の市庁舎ができたのは人口の激増のためとのことであったが、確かに1800年ころ10万人だったのが、1900年ころには50万人にふくれあがっていたらしい。世界中の産業革命の影響である。

労働者が激増したのは1800年代後半、社会民主党ができたのは1871年である。

今も、コペンハーゲン市の人口は56万人、フレデリクスベアは10万人であるが、1930年代に人口を分散させるため、5本指の方向で鉄道を敷いたらしい。IshoejRoedovreHerlevBagsvaerdLyngbyというベッドタウンができ、今はそれらを含む「大コペンハーゲン」の人口は120万人である。今も昔も中心地のキャパはそれほど変わってないのかもしれない。

 

、、と、とまらないのである。

2014-10-28 07:30:02

外国人としての困難

テーマ:デンマーク事情

昨日の女子会はとても楽しかった。

7人だか集まったが、全員デンマークに来た事情がてんでバラバラで、その過程について聞くのも興味深いが、その異なる状況の中で、それぞれ異なる経験を言いあい、情報交換するのも面白い。

わたしなどは、在デンマーク11年半でメンバーの中ではもっとも長いといえど、多数が経験しているであろうことを案外経験してなかったりする。

例えば、デンマークの若者文化。もともと遊ぶタイプでなく、日本でさえ若者文化に疎かったけれど、デンマークでも育児と仕事とデンマーク語に明け暮れ、気がついたら遊ぶにはトウが立ち過ぎのアラフォー。深夜のクラブなど行ったことがない。パーティも、踊るよりも飲んでしゃべる方が好き。大音量の音楽も苦手である。

あと、就職活動をしたことがない。メンバーのひとりが、金曜日にうちの大学の外国人妻向けのワークショップに参加したついでに、わたしのオフィスにも寄ってくれ、その話をしてくれたのだが、どういうカヴァーレターがデンマークで受けるのか聞いたときに、わたしさえ知らない事実で面白いと思った。

ひとりは、デンマークでは面接で趣味のことも結構聞いてくると言っており、確かにデンマークでは仕事に直接関係する能力だけでなく、パーソナリティも重視されるかもしれないと思った。

バレーボールで、青年部のリーダーをやっているひとも、娘のチームのリーダーをしているひとも、本業がありながら、そのボランティア職にも相当時間を費やしてくれているようだが、そういうふうに無償なのに責任もって社会貢献する姿勢は本当に素敵、と思う。

というか、同僚をみても、サッカーをやるひと、チェスをやるひと、テニスをやるひと、旅をしまくるひと、劇をやっているひと、ダイビングをやるひと、マウンテンバイクのレースに参加するひと、ビールを作るひと、ロケットプロジェクトに参加しているひと、、、などなど、ほとんどのひとが仕事以外の何かをもっている。

わたしだったら、なんというべきか。。バレーボールもやめてしまったし、ハンドボールも以前ほどの情熱はなくなってしまったし。でも、だからといって仕事以外に何もしていないわけではない。

もし面接を受けて、そういう質問をされたとしたら、素直に、「自分探しをしています。」というだろう。

なまじデンマーク在住が長くなって日本人らしさを失いつつも、かといってデンマーク人にもなれない。そのマイノリティの自分とどう向き合い受け入れ、この社会の中でどういうふうに生きて行くのか模索するために、デンマーク語を学び、ワークショップに参加し、聖書を読んでますと。そしていろんなひとを招き、彼らのために半日かけて料理し、彼らと楽しいひとときを過ごすことが至福のときであると。

 

それで、当然ビザのことはわたしたちにとっての最大の関心事でもあるわけだが、、

友達が、FBで知り合いのひとが滞在許可申請を却下されたことを投稿していたのと、それに触発されて永住権を申請できるであろうポスドクと話したことから、久しぶりに移民局のサイトをみてみたのである。

ポスドクは、もう在デン52か月で、3年間余りのPhD期間を経て、半年間あいたあとにうちの大学に来ている。そしてPD3も合格しているので、永住権の要件はばっちり満たしていると思いきや、なんと永住権を給付されるであろうときにも労働していることが条件であり、来年の1月、もしくは少し期間をのばしてもらっても6月までの契約しかもたない彼は、永住権給付の権利をもたないと言う。

わたしが申請したときには、申請時に最近3年間のうち2年半以上のフルタイム勤務の経験を有することが条件で、別にその先のことについては問われなかったような気がしたので、まさか、、と思い、よくよく移民局サイトをみてみると、永住権要件の最後に、

  

Man skal fortsat være i beskæftigelse eller under uddannelse på det tidspunkt, hvor den permanente opholdstilladelse vil kunne gives

 

とある。これって、かなり微妙な言い回しではないだろうか。だって、永住権給付のタイミングなど誰もわからないのだから。3カ月かもしれないけれど、1年かかるかもしれない。つまり、給付がどのタイミングでも勤務していることが見込まれる、パーマネント契約をもっていることが必須なのかと。

わたしが申請したときは、ポイント制度の導入直後で、もっとも厳しいタイミングだと思っていたけれど、今でこそデンマーク語能力の要件はかなり緩くなったとはいえ、逆に勤務要件は厳しくなったような気がする。

うちに、デンマーク語は少ししかできないけれど、学術界産業界ともにデンマークになくてはならない非EU職員がおり、デンマーク語ネイティブ、もしくはそれに限りなく近い流暢なレベルの助教授3人を軽々差し置いて教授に昇進した。

むしろ、そういうひとにとって永住権取得が有利になったと思う。どれくらいデンマーク社会にインタグレートしているかよりも、デンマーク社会にいかに貢献しているかのほうが重視されるようになったというか。さすが、インテリ層支持の多いラディケーレが政権に入っているだけのことはある。

わたしのときはDFが支持党だったから、いかにインタグレートしているかをみせるかに躍起になったというのに。

http://ameblo.jp/els910/entry-10570861293.html

 

それにしてもころころ変わりすぎる。

わたしがずっとつっぱしってきたのも、永住権をとるのがどれだけ大変なのか知っていたから。結果的にはそれでよかったけれど、仕事も育児もデンマーク語もすべてがハードだった。

今も大変。時間があれば、残業もするし、デンマーク語のレポートを書いたりする。デンマーク語をブラッシュアップするためになにかないかなーと模索したり。

もちろん楽しんでもいるけれど、やっぱり普通のデンマーク人に比べて、わたしは外国人だからやらなければならないことに時間を費やしていると思う。

デンマークで外国人として生きて行くのは難しい。

2014-10-09 06:52:46

教会の女性集会

テーマ:デンマーク事情

娘が8年生になって勉強の姿勢が激変した。頻繁に机に向かっている姿をみるようになった。

そのかいあってか、模擬試験でいい点をとるようになり、それもまた自信につながってよりやる気になるといういいサイクルが生まれているようだ。

しかしそれだけでなく、学んでいる内容そのものにも興味がわいているのがうかがえ、話しだすと盛り上がる。

今は歴史で第二次世界大戦について勉強しており、原爆についても教科書にあり、4年前に訪れた広島の原爆博物館も思い出したそうだ。

それで、原爆の子のモデルとなった、見た目は何の損傷もなかったのに、10年後だかに亡くなった女の子のことをよく覚えていて、わたしは、放射線の人体被害は本当に恐ろしいもので、だからこそ、津波で爆発した福島の原発の付近で、今も立ち入り禁止のところがあるのだと話をした。

それから、ヒトラーのこともさんざん取り上げられているらしく、来年の修学旅行ではアウシュビッツにも行くそうだが、なぜユダヤ人が迫害されることになったのかという話にもなった。娘は、ヒトラーがなぜユダヤ人をそこまで嫌ったのか理解できなかったようだ。わたしも理解できないが、今聖書を読んでいて、ユダヤ人が長年「迫害される民族」であったことを話した。

わたしは、娘に勉強しなさいと言ったことはないが、こうして自ら学ぶことの楽しさを知ってくれるのはうれしいものである。わたしもまだまだ学び途中であるが、どうしてなのかを考え、話し合うのは楽しい。

 

今日は、教会の女性の集まりに参加してきた。

テーマは、「女性牧師」について。

キリスト教でご法度はずだった女性の牧師は男性とはどう違うのかという話だった。

デンマークでも、女性牧師が入ってきたのはそう昔ではないらしい。今でこそこの教会では、4人のうち3人女性らしいが、初めて女性牧師が入ったのは1998年だそうである。

 

男性と同じようにはならないけれど、まぁ実際女性のほうが信仰心が厚い傾向があるし、ことばの理解度や共感は女性のほうが長け、また祭司の権威が昔ほどではなくなった今、キャリア志向の高い男性を惹きつける職業ではなくなり、女性も入りやすい世界になったという話だったが、言われてみて、わたしはデンマークであまりジェンダーを意識したことがないなーと思った。

女王、女性首相、女性牧師、、、

日本で見当たらない存在であるにもかかわらず、最初から違和感がなかったような気がする。

これでも、島根ではバリバリ、ジェンダー議論に興味をもち、上野千鶴子の本も何冊も入手したにもかかわらずである。

 

会社では、28人のエンジニアのうち、女性はわたしを含む2人しかいなく、そのもうひとりは取締役でグループリーダーをやっているけれど、そのことについてもあまり気にしたことがなかった。

もちろん、仕事で性差を感じることはよくある。特に今のプロジェクトはエンジン関係とプラクティカルで力仕事も多く、男手が必要になることが頻繁にある。今日も急きょ25kgの化学薬品が必要になり、北シェランの某会社までピックアップしにいったが、そこでも誰かに頼んでわたしの車に積んでもらい、職場に着いてからは同僚をつかまえて運んでもらった。つい先日もエンジンからネジを取り除きたいのにできなくて、それもお願いした。

ちなみに、そのリーダーはわたし以上にそういう作業系の仕事ができないタイプである。そのかわり、彼女はマネージメントの能力が誰よりも優れている。

だからもちろん、性別によって得意不得意の傾向があるのは否めないが、それはあくまでも個性のひとつであって、男女でどちらが優位かと決められることではない。

圧倒的に女性が少ない世界ではあるので、男性向きの仕事であることは認める。でも、自分が女だからといって卑屈になったことはない。

 

わたしが島根でジェンダー論に嵌っていたのは、男と同じようにはできなくても、同じくらいがんばっても認めてくれない悔しさが根底にあったからだと思う。

確かに、仕事の面では全然キャリアを築いてなかったけれど、そのかわり育児や家事に励み、子育てのワークショップにも参加したり、わたしなりに育児を模索してがんばっていたけれど、子供を育てることは当たり前のことでそれ以上でもそれ以下でもないと見られていたことに忸怩たる思いがあった。

 

それに対してデンマークでは、職場でもヒエラルキーがなく、教授だから偉いとかないし、もちろん男女差別もない。そして、育児も仕事と同じくらい重要とみなされ、男性でも子供のためにバンバン休むし、エリートのひとでも子供関係のイベントに積極的に参加する。保護者会は半分は父親だし、バレーボールの保護者会は父親のほうが多いほど。娘のバレーボールチームの保護者代表は、エリート男性で、仕事も忙しそうなのに、バレーボール関係でも相当エネルギーを費やしてくれている。

男女で視点も違うし、むしろ保護者会でいい塩梅で男女混ざるのはいいなぁと思う。

そう、男女で違うのは当たり前。重要なのは、その違いを認め、尊重しあうことだと思う。

 

うーん、このあたりのことを次のデンマーク語のエッセイで書くべきかもしれない。

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