暗闇の中で答えをさがす | いまのしゅんかん

暗闇の中で答えをさがす

KBH

 

やっと噂のラーメン屋に行ってきたが、おいしかった。

食券機があったり、自動販売機があったりと、懐かしいものもあった。

ただ思ったのは、やっぱりラーメンって、たとえ友達といても黙々と食べてしまう。しゃべりながら食べるところではないかもしれないな、、と。逆に、ひとりで気が向いたら食べにきてもいいかも、、とも思った。

今日は寒かったがきもちいいほどの晴天だったので散歩した。湖が凍っていたので氷の上を歩き、カフェで外でお茶をした。マイナス2度でも意外と外にいられるものである。今日は外に出ているひとが多く、外でお茶を飲んでいるひともたくさんいた。

  

***********************

  

金曜日にイラン人の友達に久しぶりに会ったことを書きたいと思う。

 

実は、12月からずっときもちが沈みがちで、だからといって冬鬱というわけでもなく、ビタミンDを飲んでいるから朝から起きられないということはなく、やるべきことはやっているし、とりあえず表面上はつつがなく過ごしてはいたのだが、漠然とした不安や恐怖感が常にあり、最近は寝るのも難しく、ひどいときには、車を運転するだけで恐怖で冷や汗をかくほど。そして来月に控えているアメリカ旅行が本当に苦痛でしかたがなく、本気で行きたくない、、と思っていたのだった。

だから彼女に会いたくなったわけではなく、たまたま彼女の同僚であるデンマーク人の子と言語交換したときに彼女の話が出たので、そういえば新年の挨拶もしてないしメールくらいは送ろうと送ったところ、トントン拍子に会うことになったのだが、案の定、彼女はわたしの問題の本質をついてきたのである。

 

まず彼女が言ったのは、人生は玉ねぎのようなものであると。

ある状態にあってやっと打破しても別の層にいきつくと。しかし、その層をはがしていくことで核にせまっていくことができるとのこと。

それを聞いて、ああ、わたしはある層の中にいるのだと思った。

不毛な関係を清算して離婚して名実とともに自立ができたと思ったら、今度は孤独との戦いがあり、しばらくは誰かと関係をもったり、酒を飲んでごまかしたり、楽しみをもって一時的にそのさみしさから逃れたりしていたが、おととしの後半にデンマーク語の先生と出会い、ひとりで生きていくことの覚悟を決め、去年は恋人を得ることよりも自分を立て直すことに注力しようとヨガをやったりスピリチュアルなひとと会って話したりして自己価値も徐々に見出してきたが、その上でまた別の問題に直面したのである。

いや、新しい問題というよりは、もともとわたしがずーっともっていた問題だけど、蓋をして直視していなかった問題がぶり返したというべきだろうか。

しかし、まぁ、問題をクリアしても、それですべてが解決、というわけにはいかないらしい。

それに気が付いただけでも、だいぶきもちがラクになった。

 

次に響くことばだったのは、暗闇の中でしか答えはみつからない、である。

ある人が暗闇の中で鍵をなくし、明るい外で鍵をさがそうとしたと。当然鍵はみつかるわけはないのである。

一見バカのような話だけど、これは殊更ずしんとくるものだった。

ずっと不安の中にいて、わたしはそれと真摯に向き合おうとしていなかった。というか、むしろ逃げようとしていた。それこそ、酒を飲んだりしてごまかそうとしていた。酒を飲んだり楽しいことをなんかすると、その瞬間は痛みがやわらぐ。しかし、その余韻からさめるとまた痛みを感じ、決してそれからのがれることはできないのである。

それこそ、わたしはなんでこんなに不安なのだろう、と、その痛みの中で答えをみつけていくしかないのである。

 

この類のことは、ずーっとわたしがもっている問題で、今まさにそれに向き合うときなのかもしれない、、と彼女と話して思った。

お金に対する異常なまでの心配と、何か起きるかもしれないという不安である。

おそらくは、わたしがわたしを信じていないことが原因なのだと思う。

何か起きたときに、それを自力で乗り越えていくことができない、もしくは、誰も助けを得ることができないと思い込んでいる。だから、できる限り問題が起きないように備えておかないと気が済まないのだと思う。

ヘタレなのも、自分が困難な状況に耐えられる自信がないから。できる限り安全な道を選んで冒険はしたくないタイプなのである。

だから、娘のマックブックがこわれたとき、iPhone6をなくしたとき、わたしの虫歯が発見されたときは本当にストレスだった。まとまってウン千クローナの請求書がくると本当にゲンナリした。

今はそれでもまだいいけど、2年後に娘が18歳で成人したら、今享受している育児手当もシングルマザー税金控除もなくなり、本当に経済的にやっていけるのか不安になった。

そしてその不安を娘にもぶつけてしまっていた。娘もたまらなかっただろうと思う。

正直、今までこのお金の心配性が悪癖だと自覚していなかったが、彼女と話して、実はこれがわたしを痛みつけていて、そして娘をも傷つけていることに気が付き、この癖をなおしたいと思うようになった。

 

彼女は彼女で、わたしと会ってなかった3か月間の間にいろんなことがあって、今も難しい状況にあるのだが、にもかかわらず非常に落ち着いていてその問題を直視しているようにみえた。

すごいなーと思ったし、彼女と会ってよかったと心から思った。わたしが忘れていたことを彼女に思い出させてくれたような気がする。

 

話が変わるのだが、わたしが好きなハンドボールの国際大会が始まり、デンマーク対ロシア戦を観た。

前半ピリっとしなかったのが、後半スターのMikkel HansenからMichael Damgaardに代わり雰囲気が一変した。Michael Damgaardは粗削りで精度が低いながらも、自分からシュートしにいったり、味方さえもえっと思うような絶妙なパスをしたりして相手をかきまわす。その思い切りの良さがとてもきもちいいなぁと思った。彼がティーンネージャーのときから注目していたが、雰囲気におされることなく積極的に攻めていく姿勢が好きだな、と思った。

デンマークもメンタルにやられるとものすごくそれがわかるが、みていてゲンナリする。でも、今のわたしもまさにそうで。Michael Damgaardみたいに、実力はともかくとして自信をもったポジティブな姿勢をもつようになりたいと思った。