冬の間、リスが、木の実を貯めこむことは、よく目にすることだ。
リスたちがどこでもすることだし、
自然の本能にしたがったものだ。
にもかかわらず、
私は、
他のことに衝撃を受けたのだった。
それは、アナスタシアのそばにいるリスが、
彼女が指を鳴らすと、
彼女の伸ばした腕に飛び乗ろうと、我先に競争し、
すでに殻をかぶった杉の実の中身を彼女の差し出すのだった。
そして、アナスタシアが、
膝のところで足で音を立てると、
リスたちは、まるで。他のリスに伝えるような鳴き声を出した。
そして、
乾燥したマッシュルームを持ってきて、
彼女の目の前の草むらの上に積み上げたのだった。
私の目には、リスたちは喜んでそうしているように見えた。
アナスタシアがリスたちを訓練しているように思ったが、
アナスタシアが言うには、リスたちがそうするのは、
言わば、本能的なもので、
リスの母親が、
手本を見せながら自分の子ども達にこうしたことを教えている、
ということだった。
「おそらく、私たちの祖先の一人が、一度、
リスたちに訓練したのよ。
でも、こうしたことは、
たぶん、リスたちは、
そうすることを運命だと思っているだけなのかもしれないわ。
冬が来る前に、リスたちは、
それぞれ自分たちで使う量を数回に分けて貯めこんでおくの。」
私は、こう、彼女に尋ねた。
「君は、冬の間、防寒具もなしに、
どうやって凍えずにいられるんだい?」
アナスタシアは、自分自身に向けられた疑問に、こう答えた。
「あなたの世界では、何も着ないで、
寒さに耐えることのできる人なんていないのかしら?」
私は、プロファリー・イワノフ(Profiry Ivanov)の書いた本を思い出した。
彼は、裸足で歩き回り、
シャツしか着ていなくても、
どんな寒い季節でも大丈夫だった。
その本で語られていることは、
ファシストたちが、
ロシアの異常な環境に耐えられるかどうかテストしたいと考えてた、
ということだった。
ファシストたちは、
彼を零下20度の森の中で冷たい水を浴びせたり、
終いには、サイドカーに裸のまま乗せたりしたのだった。
アナスタシアが子供の頃には、
自分の母親の母乳に加えて、
多くの他の動物たちの乳を飲んで育った。
動物たちは、
何の抵抗もなく自由に乳首をアナスタシアに差し出し、
乳を飲ませた。
彼女には、食事の時の礼儀なんて関係がなかった。
食べるときに座ったりしなかった。
歩きながら、野いちごや草の芽を摘み、
動くのを止めたりしなかった。
彼女と過ごした三日間の最後の日、
私は、もはや、最初に出会った時と同じような関係ではなかった。
とりわけ、私は、アナスタシアが見たり聞いたりしてしまったのだ。
アナスタシアが、
私の前で、ある種の動物に変わることを、だ。
でもそれは、獣ではない。
彼女は、こうした高度な知性を持っていて、
それは、彼女の生まれながらの記憶の中にあるのだ。
彼女の記憶は、とても豊かで、
もちろん、いつでも見たり聞いたりしたものをすべて覚えているくらいだった。
時々、彼女の能力は平均的な人間の理解力を越えるものだった。
しかし、こうした彼女への考え方は、
まさに、彼女を悩ませ、混乱させるのだった。