第7章 アナスタシアの光

私が森にいたときに目撃した最も異常で、神秘的な現象は、
アナスタシアが遠く離れた場所にいる生き物だけでなく、
彼らの命の中で起きていることも見ることができるということだった。

おそらく、他の隠遁者も同じ能力をもっていたはずだ。

彼女は、眼に見えない光の助けを借りて、
そうしたことをしていた。

彼女は、こうした能力を誰でも持っているのだが、
人々は、その存在も、使い方もを知らない、
と主張していた。

「人間は、まだ自然に存在しないものは、まだ発明できないわ。
テレビを作っている技術は、
この光線の持つ可能性を下手に真似したものでしかないの。」
ある人々とは対照的に、
私たちは、
すべてそれぞれが異なる能力を持っていることを知っている。

神秘的で排他的なオーラに包まれている人たちだ。

彼女は、
いつも自分の持っている能力の奥底にある仕組みを説明したり、
理解してもらおうとしたりしていた。

そして、そこには、
人々や彼女の中にある人間として能力には、超自然的なものなどなく、
アナスタシアは、普通の人間であり、普通の女性である、
ということを証明したいと思っていたのだ。

彼女は繰り返し私に、
そうしたこと考慮して、こうした異常な現象を説明する方法を見つけてほしい、
とお願いしてきたのだった。


私たちの文明では、
私たちの脳は、生活や私たち自身を発展させ、
食べ物を得たり、
性的本能を満足させるものと考えられている。

アナスタシアの世界では、
何であれ、こうしたことにほとんど時間を使わないのだった。

ライコフが置かれた状況に自分自身が置かれた人間であっても、
常に食べ物を得る方法や寝る所を得る方法を何とか見つけ出そうとするものだ。

彼らは、決して、アナスタシアがしたようには、自然の力を借りようとは思ったりしない。

文明から外れて生活している全ての部族は、
こうした自然との接点を崇めたりはしない。

アナスタシアによれば、
彼らは十分に純粋でないからだ、
という。

自然と動物の世界は、こうしたことを感じ取っているのだ、
というのだ。
冬の間、リスが、木の実を貯めこむことは、よく目にすることだ。

リスたちがどこでもすることだし、
自然の本能にしたがったものだ。

にもかかわらず、
私は、
他のことに衝撃を受けたのだった。

それは、アナスタシアのそばにいるリスが、
彼女が指を鳴らすと、
彼女の伸ばした腕に飛び乗ろうと、我先に競争し、
すでに殻をかぶった杉の実の中身を彼女の差し出すのだった。

そして、アナスタシアが、
膝のところで足で音を立てると、
リスたちは、まるで。他のリスに伝えるような鳴き声を出した。

そして、
乾燥したマッシュルームを持ってきて、
彼女の目の前の草むらの上に積み上げたのだった。

私の目には、リスたちは喜んでそうしているように見えた。

アナスタシアがリスたちを訓練しているように思ったが、
アナスタシアが言うには、リスたちがそうするのは、
言わば、本能的なもので、
リスの母親が、
手本を見せながら自分の子ども達にこうしたことを教えている、
ということだった。


「おそらく、私たちの祖先の一人が、一度、
リスたちに訓練したのよ。
でも、こうしたことは、
たぶん、リスたちは、
そうすることを運命だと思っているだけなのかもしれないわ。
冬が来る前に、リスたちは、
それぞれ自分たちで使う量を数回に分けて貯めこんでおくの。」


私は、こう、彼女に尋ねた。
「君は、冬の間、防寒具もなしに、
どうやって凍えずにいられるんだい?」

アナスタシアは、自分自身に向けられた疑問に、こう答えた。
「あなたの世界では、何も着ないで、
寒さに耐えることのできる人なんていないのかしら?」


私は、プロファリー・イワノフ(Profiry Ivanov)の書いた本を思い出した。

彼は、裸足で歩き回り、
シャツしか着ていなくても、
どんな寒い季節でも大丈夫だった。

その本で語られていることは、
ファシストたちが、
ロシアの異常な環境に耐えられるかどうかテストしたいと考えてた、
ということだった。

ファシストたちは、
彼を零下20度の森の中で冷たい水を浴びせたり、
終いには、サイドカーに裸のまま乗せたりしたのだった。


アナスタシアが子供の頃には、
自分の母親の母乳に加えて、
多くの他の動物たちの乳を飲んで育った。

動物たちは、
何の抵抗もなく自由に乳首をアナスタシアに差し出し、
乳を飲ませた。

彼女には、食事の時の礼儀なんて関係がなかった。

食べるときに座ったりしなかった。

歩きながら、野いちごや草の芽を摘み、
動くのを止めたりしなかった。


彼女と過ごした三日間の最後の日、
私は、もはや、最初に出会った時と同じような関係ではなかった。

とりわけ、私は、アナスタシアが見たり聞いたりしてしまったのだ。

アナスタシアが、
私の前で、ある種の動物に変わることを、だ。

でもそれは、獣ではない。

彼女は、こうした高度な知性を持っていて、
それは、彼女の生まれながらの記憶の中にあるのだ。

彼女の記憶は、とても豊かで、
もちろん、いつでも見たり聞いたりしたものをすべて覚えているくらいだった。

時々、彼女の能力は平均的な人間の理解力を越えるものだった。

しかし、こうした彼女への考え方は、
まさに、彼女を悩ませ、混乱させるのだった。
彼女と彼女の周りにいる動物世界との関係は、
普通の社会で人々が飼っているペットとの関係と同じくらい
良好なものだった。

動物たちは、
アナスタシアが朝、いつもやることをしているときには、
彼女をただ見ているだけで、彼女に近づいてきたりはしなかった。

しかし、彼女は、動物たちの中の一匹の方を見て、
身振り手振りでとても簡単な挨拶をすることぐらいはした。

幸運にも挨拶をされた動物は、
その場所で喜んで飛び跳ね、
彼女の足元に駆け寄った。


私は、ある日の朝、
彼女が、一匹の離れ狼とふざけて遊んでいる姿を見たことがある。

それは、まるで普通の人間が飼い犬と遊んでいるようだった。

アナスタシアは、
その狼と肩をぶつけ合ったり、
全速力で走ったりしていた。

狼は、彼女を追って、
まさに彼女に追いつこうと、
まだ走っているときに、突然、空中をジャンプして、木の幹を両足で蹴り、彼女に飛びかかり、
別の方向に走っていった。

その狼は、
立ち止まらず、そのまま木の間を走り抜けていき、
そして、急に向きを変え、笑いながら走るアナスタシアを追いかけていた。


アナスタシアは、
食べ物をたべようとか、
服を着ようとかは、
全く考えていなかった。

彼女は、
ほとんど裸かそれにちかい姿で歩いていた。

ただ、杉の実を
いろいろな種類のハーブや野いちごやマッシュルームと一緒に食べることは
忘れていなかった。

彼女が食べるのは、乾燥したマッシュルームだけだった。

彼女は決して、
木の実やマッシュルームを自分で取ろうとはしなかったし、
こうしたものを冬でも貯めこんでおこうとはしなかった。

彼女のために、たくさんのリスが取ってきてくれたものばかりだった。
第6章 アナスタシアの朝

アナスタシアは、
夕暮れ時に、
森の動物達が穴をあけて作った住まいとなっている穴の一つで床についた。

それは、よく熊の地下壕のような巣にあった。

暖かい日なら、
アナスタシアは、草の上で、そのまま眠ることができた。

彼女が目覚めて始めてやることは、
あふれるばかりに喜びの感情を、
昇る太陽や、全ての小枝に芽生える新芽や、
大地から跳ねるように生えてくる植物の芽に向かって爆発させることだった。

彼女は、自分の手でその芽に触れ、
時々、目についたものの場所を変えたりした。

そして、
小さな木を走ってまたいだり、
木の幹を親指で押したりした。

木のてっぺんは、わずかに震え、
花粉やしずくに似た何かを彼女に降らせた。

アナスタシアは、草の上に寝転がり、
五分くらい、満足そうに体を伸ばしたり、
身をよじったりした。

彼女は体全体に保湿クリームと同じようなものを塗られたようだった。

彼女は、
走ったり、
飛び跳ねたりして、
小さな湖に入った。

そこで、ジャンプして、
水をはねてはしゃぎ回ったり、
水に潜ったりした。

彼女は、潜水夫のように、
水に潜るのが上手だった。
そして、彼女が両手をたたくと、突然、「毛皮」が・・・。

私は、これが毛皮なんかではないことに気づき、
恐怖におののいた。

洞穴の外に、
巨大な熊が、ゆっくりと這い出ていった。

アナスタシアがいいというので、
その熊は彼女の手をひと舐めし、
ゆっくりと森の中に消えていった。

わかったことは、
彼女はベラドンナというハーブを私の頭の傍に敷き、
私の隣に熊を寝かせ、私が凍えないようにした、
ということだ。

彼女自身は、洞穴の前で丸まって寝ていたのだった。

「ねえ、どうやってこんなことができたんだい、アナスタシア?
あのオス熊は、僕を噛み砕いて、殺していたかもしれないじゃないか?」

「まず、オスじゃないわ、“メス”熊よ。
彼女は、おそらく、あなたを傷つけたりはしないわ。」
と、アナスタシアは答えた。

「彼女は、とても従順で素直なの。
実際に、彼女に何かを運んでもらうときにも、喜んでしてくれるわ。
彼女は、一晩中、少しも動きはしなかったでしょう。
私の足に自分の鼻を押し付けてきて、満足そうにしたりしていて、
彼女はとても幸せそうだったわ。
彼女は、あなたが寝ぼけて自分の腕をゆらゆらさせたり、
彼女の背中を叩いても、少し身震いしたくらいだったのよ。」
私がアナスタシアと人間の栄養について語ったときの例だ。

彼女の立場は簡単だった。

食べ物のようなものについて考えることは
罪深いことなのだ。

彼女は、
それについて考えることはない。

しかし、
文明的な世界に生きている私たちにとって、
飢えることがあれば、
食べ物について考えざる得ないのだ。


私たちは、
本や新聞の記事やテレビ番組から、
子どもが野生の中に置き去りにされ、
狼によって大きくなるまで養われた、という多くの例を知っている。

しかしながら、この場合、
その子供たちの出産は、人間社会で行われていて、
動物界との関係は、私とアナスタシアとの関係とは異なるものだ。

私は、アナスタシアにこう尋ねた:
「なぜ、君は寒くないんだい?
僕はここでは寒くて防寒具を着ているというのに」

「それはね、」
と彼女は答える。

「布で覆い、
寒さや暑さから身を護っている人の体は、
どんどん環境の変化に追いつくことができなくなってくるのよ。
わたしの場合、人間としての体が、
その能力を失っていなくて、
だから、服なってまったく必要ないの。」



5章 森のベッドルーム

私は、とても自然の森の中で、一晩を過ごすことなんてできなかった。

アナスタシアは、
地面に掘られた洞窟のような穴にあるベッドへ私を連れていってくれた。

わたしは、
旅でひどく疲れきっていて、
すぐに眠ってしまった。

起きたときには、
私は、この上ない喜びと居心地やすさを感じた。

まるで、豪華で快適なベッドに寝ていたかのようだった。

洞穴、いや防空壕に近いその穴は、ゆったりとした広さで、
その床は、羽のような杉の小枝や乾いた草で覆われていて、
良い香りで満ち溢れていた。

私が手足を伸ばしたとき、
片方の手が、毛皮に触れた。

私は、その毛皮は、アナスタシアが狩人からもらったものに違いないと直感した。

その毛皮を近づき、背中をその温もりに押し付けると、
別の鼻息の音がするのがわかった。


アナスタシアは、
私が寝ている森のベッドルームの入り口近くに立っていた。

私が起きたのに気がつくと、
彼女は、すぐにこう言った。

「今日、あなたは神の恵みを授かるかもしれないわ、ウラジミール。
私は、あなたがその神からの祝福を心から受け入れることを薦めるわ。
どうか、恐れたりだけはしないで。」
アナスタシアは、
ここで生まれ、
この自然の環境に欠くことのできない存在だった。

私たちが知っている著名な隠遁者たちとは大違いで、
アナスタシアは、単にある期間だけ森に消えていったというわけではない。

彼女はタイガの森で生まれ、
短い間だけ、
私たちの世界を訪れたのだ。

そして、一目見ただけで、神秘的な現象と言えること、
つまり、私がアナスタシアを自分のモノにしようとしたとき、
私を包みこみ、意識不明にさせたほどの強い恐怖感だが、
そうした神秘的な現象は、とても簡単に説明できることがわかる。

それは、猫や犬や象やトラや鷹などを飼いならすのと同じように、
ここでは、周りの“全て”が、
アナスタシアによって「飼いならされている」のだ。

そして、この“全て”は、
彼女に振りかかる悪意を決して許さないのだ。

アナスタシアは、私に向かって、
彼女が生まれてから一歳になるまで、
彼女の母親は、彼女を草の植えに一人で放っておいた、
と言った。

「それで、君は飢えなかったのかい?」
と私は尋ねた。

タイガの森にある空き地に住んでいる彼女は、
最初、驚いて私を見た。

しかし、こう説明してくれた:

「食べ物なんて、接待に人間が心配しなくていいものなのよ。
人が呼吸するのとちょうど同じように、人は食べるべきなのよ。
栄養なんか気にすべきじゃないわ。
もっと重要な問題を考えることから気をそらしてはいけないの。
創造主は、そうした仕事を自分以外の存在に残していったの。
その結果、人間は人間として生きることができるのだし、
自分自身の運命を全うすることができるのよ」


彼女は、指をパチンと鳴らした。

すると、すぐに小さなリスが彼女のそばまで跳ねるように近寄ってきたので、
自分の手のひらに乗せた。

アナスタシアは、
自分の口近くまで、
そのリスを持ち上げた。

すると、、
リスは口に含んでいてた杉の木の実をに彼女の口に入れた。

杉の実の殻はすでにむかれていた。

このことは、とても普通のこととは思えなかった。

私は、ノボシビルスク近郊の学術団体の複合施設に戻ったとき、
あんなに多くのリスが人に慣れて、
通りがかりの人間から食べ物をもらおうとする様子を思い出すことになった。

リスたちは
何もらえなくても怒りすらしないのだ。

ここでは、私は通常とは逆の様子をみることになった。

しかし、ここはタイガの森なのだ。

私は、こう言った:

「普通の世界では、まあ、僕達の世界のことなんだけれど、
全てのことがこことは異なっている。
アナスタシア、君が自分専用の売店指を鳴らすか、
ドラムなんかを鳴らしても、誰も君に何も与えない。
でも、ここでは、創造主が全てを決めていると君は言う。」

「もし、人間が創造主が生み出した生き物を変えようとしたら。
誰が責められるのかしら?
良かれ悪しかれ、あなたは神聖なものに近づくわ」
こうした疑問は、アナスタシアと会話した後、私に前に立ちふさがった。

そのとき、私は、
入手しようとした隠遁者についてのすべての情報を解読しようとしていた。

しかし、今日に至っても、私はその答えを得ていない。

なぜ、
彼らは一人で経験したことについて、
何も書き残さなかったのだろうか?

この答えは、
持てるもの全てを費やして初めて見えてくるものだと思う。

私は、
シベリアのタイガの森で過ごした3日間に起きた出来事と
私がアナスタシアといっしょに経験したことに残る印象を
書き残そうとしている。

私の書き残した物を読めば、
この現象の本質を理解し、私たちの人生そのもの考える人が現れるかもしれない、
という希望がある。

今のところ、
私が見たり聞いたりしたことだけに基づけば、
一点の曇もなく、たった一つのことだけが明らかだ。
それは:

森の中で孤高に生きた人々は、
アナスタシアも含めて、
私たちとは全く異なる視点や価値観から生まれてきたものを見ている、
ということだ。

アナスタシアの考えることには、
常識では全く受け入れがたいことがある。

真実に近づいたのは誰なのだろうか?

誰が判断できるのだろうか?

私のすべきことは、
単に私が見たり聞いたりしたことを記述することだけだ。

そして、その記述を読めば、答えに近づく人間が生まれる可能性がある。


アナスタシアは、全くの一人で森に住んでいた。

彼女は、彼女のものと言えるような家は持っていなかったし、
着るものもほとんど持っていなかった。

そして、その地域に店と呼べるようなものもなかった。

彼女は、
ここで数千年も生きてきた人たちの子孫だ。

そして、
私たちの文明とは、
まったくかけ離れた生活をしているのを見せてくれた。

アナスタシアと、彼女と同じような生活をしている人々は、
現在でも生き続けている。

彼女たちは、最も賢明な方法と言えることで生活している。

十中八九、
彼女たちの方法は唯一、
正しいと言えるのだ。

アナスタシアたちが私たちの中にいるときは、
私たちに紛れて、
普通のひとたちと何ら変わらない素振りをみせている。

しかし、
自分たちがいつも住んでいる場所では、
アナスタシアたちは、
自然と同化する。

アナスタシアたちが住むような場所を見つけるのは簡単ではない。

実際、こうした場所に住む人は、
例えば、アナスタシアが住む森の空き地ように、
彼らが、より美しく、
誰よりも大切に守られているということがわかって、はじめて知ることができるからだ。



まだ、今はこの現象に近づくときではないのだろうか?

もしかしたら、
私たちすべての人類のマインドを一つにして、
次の疑問の答えを見つけることができるかもしれないというのに。

もし、私たち人類がこれまで生み出してきた偉大な思想家を例外なく調査したとする。

これらの思想家には、宗教的な教えを考案した人々も含まれていて、
その教えにしたがって、
私たちは、現在、人間性の大部分を理解しているか、
少なくても理解しようとこころみられている。

もし、その調査ができたとすれば、
なぜ、思想家たち彼らの教えを作る前に、
森に入って孤独な隠遁者になったのか、という疑問に直面するだろう。

最高峰の学術アカデミーへでなく、森へ入って行くのだ。

なぜ、古代の契約者モーゼは、イエルサレムへ帰還し、
この世界へ英知を示す前に、
山上近くの森に入って、石の台の上で語ったのだろう?


なぜ、イエス・キリストは、
弟子たちの前から立ち去って、砂漠や山や森に向かっていったのだろうか?

ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)は、紀元前6世紀にインドで実在した人物だが、なぜ、彼は、7年間も森の中に一人でいたのだろうか?この隠遁者は、森から出る前に、人間への慈悲を悟り、教えを完成させた。この教えは、数世紀を経て今日でも多くの人々の心を目覚めさせている。そして、人々は、巨大な寺院を作り、彼の教えを仏教と呼んでいる。この人物自身は、最終的に、ブッダとして知られるようになった。

そして、私達自身、
そう遠くない祖先(現在、歴史上の人物として知られているような)
についてはどうだろうか?

たとえば、
セラフィム・サロヴォスキーや
セルゲイ・ラドネジスキー(ラドネジの聖セルギイ)のような人物たちだ。

なぜ、彼らも、森の中で隠遁者になっていったのだろうか?

そして、彼らは森で過ごした短い間に、
どうやって深い英知で物事を考えることができるようになったのだろうか?

世界を支配していた王たちは、
地図にない荒野を旅し、彼らの忠告を受けに来たくらいなのだ。

修道院や威厳のある寺院は、
それぞれ人里から離れた場所に立てられている。

したがって、
例えば、モスクワの近郊のセルジフにあるトリニティ・セルジフ修道院は、
今日、毎年、数年人の人がも訪問するくらい、人々を魅了している。

そして、それは、すべて一つの森の隠遁者から始まったことなのだ。


なぜなのだろうか?

誰のせいで、もしくは何が原因で、
こうした思想家たちは、彼らの英知を得ることができたのか?

誰が彼らに知識を与え、彼らが人生の本質を理解するのを手助けたのか?

どうやって彼らは生きていたのか?彼らがしたことは何だったのか?

彼らは一人で森の中にいるとき、何を考えていたのだろうか?