みなさまは、
[
坂東眞砂子さん]
をご存知でしょうか。
映画にもなった[死国]の原作者であり、直木賞受賞作の「山妣(やまはは)」などを書かれている作家さんである。
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- 坂東 真砂子 坂東 真砂子
- 死国
山妣(やまはは)
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- 久しぶりの更新(約1ヶ月ぶり)なので、
- ホントは子猫の里親探しの記事か仕事の記事を書こうかと思ってました。
が、
次のような記事を見つけたので思わず筆をとった次第です。
livedoorニュース:女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然
livedoorニュース:仰天!子猫を殺す女流作家と、それを載せる日経新聞
以下日経新聞06.08.19夕刊のエッセイ(コーナー名:プロムナード)全文は、コチラの有名ブログに掲載して下さっています。
きっこのブログ : 猫殺し作家の屁理屈
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これ、ホントに作家さんが書いたエッセイなのだろうか。
あまりにも、文章が稚拙であり理路整然としていない。
というよりも、支離滅裂な文章ではないか。
逆に、ココまで支離滅裂な文章をねらって書いたのであればスゴイかもしれないが。
きっこさんは[屁理屈]と表現されていますが、
正にその通りだと思います。
本文の中に、
「飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある」
とありますが、コレには私も同感なのです。
けっして避妊手術が悪いと言うわけではないですし、飼い主のエゴだとも言いませんが(飼い主の都合ではあると思いますが)
ボク個人としては
「生まれてきた生命(体)に自分の都合で傷をつける(メスを入れる)という行為をしたくない」
だけなのです。
解りやすく説明いたしますと、
「自分のことでも、ピアスを自分であけたり(あけさせたり)、病気や怪我以外でオペは受けたくない(受けさせたくない)」
ってコトなんですが。
ようは、今ある自然の形(今の体)を人間の都合(自分の都合)で変えてはイカンと思うのです。
人間であれば親がお腹を痛めてこの世に授かってくれた自分。
コレを自分の都合(ファッションなど)で勝手にいじっちゃイカンのです。
人間の都合で、他の生命体に不必要に関与してはイカンのです。
ただ、
「この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない」
これには賛同しかねます。
子猫を殺すことが避妊オペをすることと大差ないとは思えません。
確かに、
避妊手術は新しい生命の誕生を不可能にするという行為ではありますが、今ある生命を無くしてはいません。
逆にこの方がなさってる、子猫を殺すと言う行為。
これは、今この世に存在する生命をこの世から無くしているのです。
コレは、大きな差ではないでしょうか。
生命というものは、この世に存在してきた以上
「死にたい」
と自発的に思う生命は人間以外にはいません。
どの生命も、死というものを拒絶するのです。
生まれなければ(子宮に生命体が宿らなければ)生命体そのものが存在しないわけですから、死にたくないと思うことはないでしょう。(この場合、魂の世界のことはおいておきますが)
ただ、この世に生命体として存在する以上はどんな理由であれ個人的な都合でその生命体を殺してはいけない。
これは、当たり前のことではないだろうか。
この方は、自分が母ネコもしくは子猫だったとしたら自分自身(坂東さん自身)がが書いたこの意見を受け入れきるのだろうか?
いや、きっと受け入れることなど出来ないだろう。
母ネコだったら
「ワタシ、SEXはしたいけど子供はイラナイから殺しちゃって。」
子ネコだったら、
「自分が殺されるのもショウガナイよね。」
などとでも、言うのだろうか。
いや、こんな人に限って絶っっっ対言わないだろう。(ひょっとすれば、母ネコのパターンのセリフは言いそうな気がするが)
きっと、泣き喚いて懇願するんだろう。
「殺さないでくれっ!」
と。
今回の自分(坂東さん自身)の思考がおかしいんじゃないかと、チョット考えれば解りそうなものなのだが。
作家というものは、自分の世界以外のことにはこんなにも疎いのモノなんだろうか?
非常に不思議である。
また、
「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。」
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そうでしょうか?
私はそうは思いません。
「人間は神ではない」
あたりまえです。
神であるなどと思うのは、権力を持った人間のみでしょう。
普通の人間であれば、解っていることです。
ただし、
「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。」
個人的にはそうとは思いません。
例えば、ネコなら人間に飼われる様になってから9500年も経っています。(wikipediaより)
このことが何を意味するかといえば、
「ネコの遺伝子には人間に飼われるという記憶を持った遺伝子がある」
ということです。
であるならば
「今のこの21世紀において、ネコには人間に飼育される可能性があることを解っている。」
ということが言えるんじゃないでしょうか。
その遺伝子的な記憶を元に知して、人間に近づくのか否かを決めている部分もあるのではないでしょうか。
また、ホントに人間の干渉なく自然の中で生きることを望む動物であれば、たとえ餌が豊富であろうとも人間が住んでいるであろう場所には絶対に住み着かないでしょう。
たとえば野生のクマ。
町に住み着きますか?
餌があるのをわかってても住み着かないでしょう。
それは、近づけば人間に攻撃されると解ってるからです。
それを、記憶として持っているからです。
そう考えれば、町に住み着いている猫は人間に飼われる可能性があることを解っているとも言えるんじゃないでしょうか。
超個人的結論 :
今回、坂東さんは人間のエゴと言う意味で避妊手術を否定している。
しかし、自分の子猫を殺すという行為自体は避妊手術をさせるのと大差ないと思っている。
また、本来人間は獣を飼ってはいけないとも発言。
しかし、自分は子ネコの時から飼っているネコが3匹もいる。
もし、ネコが喋れるのであれば「避妊手術なんかしたくない・子供を生みたい」と言うであろうとも発言。
しかし、子猫が「殺さないでよ」と言うとは思っていない・もしくは子ネコの「殺さないで」よりも成ネコの「避妊しないで」のほうが重要(大事)だと思っている。
という事は極論ではあるが、人間に置き換えた場合生きていることよりもSEXの方が大事と考えているのかと思われる。
また、
「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。」
とのことから、自分の育ててきたネコは大事だが他のネコ等はどうでもいいという感じも受け取れる。
それに、
「もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」
とは書いてあるが、殺しの痛み・悲しみを引き受けてる人間が書いているような文面ではないと言う事。
なぜなら、痛み・悲しみがわかる人間であれば親ネコ・子ネコ共に現状において最良の選択・行動をするのでないだろうか。
子ネコを殺すことが、とても現状における最良の選択・行動とは思えません。
また、上記のように書くことによって自分へ自ら弁護(言い訳)をしていると思われます。
以上のことからワタクシ個人の意見といたしましては、
この坂東眞砂子こそが(あえて呼び捨てさせていただきます)人間のエゴを行使し、自らのエゴに気付いていない人間のもっとも解りやすい例である。
つまるところ、自分の快楽行為をさらに気持ち良くする為に、自分の職業的技能によって自己弁護をしながらカミングアウトしたかっただけ
と思います。
非常に気分を悪くしたニュースでした。
自分が今現在里親探しをしている為に、怒りと憤りで乱文乱筆になってしまっています。
ホントにスミマセンm(u_u)m
また、今回のこのワタクシの記事を読んで、気分を害されたであろう方々に心より深くお詫び申し上げます。