• 15 Jul
    • アートとセラピー考4

      アートとセラピー考4 個々人は、美術教育の経験の有無にかかわらず、 内面的葛藤を視覚の形に投影する潜在能力をもっている マーガレット・ナウムブルクのことばより ヒーリングについての擬似的行為として、 怪我をしていないのにもかかわらず、感覚的に 直感で身体の一部に包帯を巻くことを実践していた。 その行為が、心身にネガティブな方向で作用も ポジティブで作用することも 感じているのだが、その行為によって身体の バランスも保たれるということである。 ある意味、針や灸のような行為であるといえる。 ボディペイントもその類である。刺青もそうなのだが、 すぐに水で落ちるペイントでもおおきな効果が得られる。 但し、そのような行為自体を精神的なゆがみととらえて 他者は興味を持つ。 どこまでをアートの領域と呼ぶのかという問題も多くあるのだが、 墨ペンで自分の手の甲にいたずらで描く事は、 プライベートであれば特に迷惑をかけないと考えるのは間違いだろうか。 「なぜ」なる質問に追い回されると、自己の行為にたいして すべてが「なぜ」に追い回されて落ち着いて行為自体を進めることができない。 大抵は「なぜ」は周りからもたらされる。 なぜ、文章を書くのか?なぜ、絵を描くのか?果ては、なぜ、生きるのか? なぜは尽きることが無い。なぜを考える意味はあるのかということにも突き当たる。 なぜ、なぜを考えるのか? もうここまでくると、アートセラピーの出番である。 なぜ、人に見せようとするのか? なぜを山のように頭に詰め込んで、何も考えずにただ、絵を描く。 すると、冒頭で挙げた一節に行き着く。 つづく

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  • 14 Jul
    • アートとセラピー考3

      アートとセラピー考3 時間と周りと世界と音とこころ 味 ひさしぶりに座禅を組んでみた。 それも呼吸と同じように自然に組んだ。 組んだ後に思うのだが、無意識に組んだと 数秒後に思い起こす。 金が無いというバナナの皮で激しくすっころんだ えかきはすっころんだ拍子に座禅を組んで、そのまま 猿に変身したと思いきや実は猿でも猫でも犬でもなくて、 頭蓋内の脳の中心で脈を打つ動脈の奇形は、 過去のMRIの写真の中だけでなくて、現実でも脈を打っていて、 今でも神経の痛みは続いていて、 次の神経種はすぐには取らずに体の中で育てようなどと、 財布の中身と相談もしつつも考えるのである。 手術を受けるのはお金がかかります。 手術を受けなくても病院で治療を受けるのはただではありません。 一年のうち、半分を療養として生活をしているというのも 周りの人に言わせるとうらやましいと言う人もいるけども、 健康の方がいいに決まっている!!!と叫びたくなって、 代わりにそう文字を書いて、一息、鼻から息を抜いて、 まだ、自然に禅を組んでいることに気が付いて、 パソコンの前で変な禅の作法をしているなどと、すこし肩の力を抜いた。 私の新しい禅の作法。自己流トートのアートとセラピーの作法。 禅は20年ほど続けているが、 やっと自由になれたのに、また我慢の日々に戻るのですか?と、 「ふと」の言葉にまた、考えさせられて・・・。 おなかがすいたなあ。などと思う。 つづく

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    • アートとセラピー考2

      アートとセラピー考2 同じ絵を描き続けることと アートセラピーとはなにかについて 考えると精神性障害と社会から犬猿されそうである。 同じ絵を描き続けることの意味を大きく知っている。 ここ、1年はお酒を飲むのは、外で誘われた時だけで、 記憶を思い起こして数えてみると6回だけという有様である。 アルコール依存とは縁遠き生活で、気力を保ちたい時には 絵を見るようにしている。 そんなある意味で極限の状態で絵を見ると色についての感じ方も 過敏に感じてそれを詳細に分析できるようになる。 色と形が与える物についても後から思い出せるほどに、 感じたものを得たものを記憶している。 感覚が優れている状態だと自身を自己分析をして、 非常に寂しくなるのは、 私が私を実験体のように扱っていることについてであろうか。 とにかく、病院に行っていると、 ある意味で特殊な扱いを受けていると考えてしまうことは、 とても危険であると思える。 白黒つけることが重要であるのか、世に出すことが重要であるのかについて 問われるなかで、世に出すことが赤であるといわれていても、 とあるところでは興味を持ってもらえると考えたりする。 。。。ここまでいろいろと文章を書いていて、ふと思う。自分を大事にしてください、と。 以前に同じくふと、思ったことは、お体を大事にしてください。だった。 こころが楽になる。 その「ふと」を神の声と名づけているが、はたして神の声と出会ったのか、 はたまた、みなそれぞれにそれがあるのか。 こころが落ち着く言語の流れ、イメージのかたち。 無意識にふわっと色々なその辺を思い贈ったが、 それがこの文章や空白行で伝わるのだろうかなどと、 ここまで書いて煙草に火をつけた。 つづく

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    • アートとセラピー考1

      アートとセラピー考1 唐突ながら社会心理学の領域から考えると 多数派は正常である場合、 少数派は異常として排除される社会がある。 色々な恐怖感や不安感から熱を出して倒れたのだが、 昨年も今年も異常として排除され気味である。 とある本によれば、社会的弱者であるらしい。 派手にすっころんで頭を床にぶつけた感じである。 そのショックからか、 ここのところ、アートとセラピーの両方の観点から 思いにふけることが多い。 昨今のアートセラピーの潮流から考えると、 描く行為自体に感情のコントロールを促す効果があるという考え方と、 絵を読み解くリテラシーの行為にあるという考え方のうち、 ひとつずつを細かく考えてみた。 セラピーや癒しの効果によるリテラシーは、読み解く際に 例えばある色のある線を追って見るということによって、 鑑賞者が癒しや落ち着きを得るというものである。 私の場合は、意図的なものはなくて、多くの画家と同じく、 自分の感じるままに、センスによって絵の画面を仕上げている。 できた絵が相手に落ち着きや癒しを感じさせることは、 私自身も求めていた物であるためであるといえる。 また、絵の所有している方から、病気(筋肉が衰えてゆくという原因不明の病気)が 治ったなどという不思議な意見を聞くと、 この単純な絵を感じることにより何かよいことがあるといわれて嬉しくなる。 リテラシーについては、今までは複雑に考えたことはなく、また、 「あなたが描かないと違う絵になってしまうのね。」 (僕の絵の盗作品でも出回っているのでしょうか?) などと言う意見を聞くと、 私の絵は、単純な絵であると馬鹿にされながらも、 何十枚も同じような絵を描き続けたことが無駄はなかったと思える。 今では、それまでのシリーズも描く事をひかえて、 描く度に違うものに挑戦する日々の中で、また、新しいシリーズにたどり着いた。 今では新しいシリーズを描く事を繰り返している。それは楽しい体験である。 今回の対象もとても興味深く古典的で単純でいて、とても奥が深い。 こころの道程を共にしないと同じ絵はかけないと私も注意している題材である。 この文章、校正も無しで つづく

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  • 03 Jul

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