3月12日、民進党の党大会に呼んでいただいたのね。そこで10分ちょっと、短いごあいさつをさせてもらったんです。で、その後、ものすごい反響があって。いま本人が一番驚いているというのが正直なところ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=fE0jOpOA9IU&feature=share

 

でも、みなさんがとても関心を持ってくださったのだから、どうしてこんなスピーチになったのか、少しだけ感じたことをお話したいと思います。

 

このスピーチ原稿は前日から一晩かけて書きあげたもの。僕は民進党の前原誠司さんを会長とする「尊厳ある生活保障総合調査会」(通称「前原調査会」)のアドバイザーをやっている。秋口には報告書をまとめることになっていて、そこに僕の哲学や思想のすべてをぶつけたいと思っている。20年かけて作りあげた大切な思想。それを前原さんに預けるわけです。だからこそ、どんな思いで僕があの場に立ったのか、民進党のみなさんにきちんと説明をしたいと思った。「ただ手伝うんじゃない、俺が人生をかけて作りあげた宝物を預けるんだ」・・・そんな思いというか、力みがあった。

 

なぜこのスピーチが評価してもらえたのか、僕自身にはよくわからない。でも多くの人に共感して頂いた以上は理由があるはずだ。ハッキリ言えることがあるとすれば、伝えたいことをそのままストレートに伝えられたこと、もっと正確に言うならば、民進党の支持者というよりも、人間という立場で想いを語ることができたことだ。

 

僕は2011年4月に急性硬膜下血腫で死にかけたのね。そのときに「いまを生きる」と言う言葉の意味をはじめて知った。いま死んだら死んでも死にきれない、そう心の底から感じた。人間って子どもの頃からある目標に向かっていきているじゃない?でも、その道半ばにして、明日死ぬことになったらみんなはどう感じるかな。きっとものすごい後悔するんじゃないかな。少なくとも僕はそうだった。

 

目的を成し遂げようとする。そのためにはいろんな妥協が必要になる。そのうち妥協と妥協でがんじがらめになり、利害関係が生まれ、結局は言いたいことが言えなくなる。自分の夢をかなえるために身動きが取れなくなる。僕はそんな生き方が嫌で嫌でしょうがなかった。誰かのために話すんじゃない。いまこの瞬間に伝えるべきことを伝える。自分が正しいと信じるものを全力で伝える。あとの結果は聞いている人たちが決めてくれる。もし、自分の望まない結果になったとすれば、それは僕の思想、僕の言葉に力がなかったということ。とてもシンプルだ。でも一番難しいことかもしれない。

 

僕は学者だ。「学者は象牙の塔のなかで勉強だけしていちゃだめだ」とよく言われる。でも、そこはちょっと違うんだよね。僕は、真理にのみ忠実であろう、政治的なしがらみから自由であろう、そういう学者の想いはとても正しいものだと思っている。僕自身もそのように生きていきたいと思っているし、そのような立場、客観的な立場からでしか、正しい事実は導き出されないと思う。だからこそ、僕は20年間、政治とは距離をとって生きてきた。

 

でも、いまそれをやれば、傍観者になってしまえば、この生きづらい社会を子どもたちに放り出す罪を犯す「歴史の加害者」となる、そういう危機感がある。だからこそ、大好きな研究を犠牲にしても、明らかに学者の領分を踏み越えてしまっても、それでも僕は発言しようと決めた。自民党の好き嫌いじゃない。国民のもうひとつの選択肢をつくるために頑張ろうと決めた。もちろんいつまでもダラダラやるんじゃだめだ。オリンピックのあとの日本経済は急速にしぼんでいく。その前に次の時代の方向性を示さなければ無責任だ。そこまでは徹底的にやる、そう決めた。

 

人間にとって帰るべき場所があるということはとても幸せなことだ。僕の思想や僕の言葉がみんなの心に届かず、あるいはレッテル貼りをされ、叩き潰されたとするじゃない?実際、そのことを心ある友人たちはみな、ずっと心配してくれている。でも、そうなるとすれば、それは嬉しいことでもある。だって、大好きな家族とともに生き、静かに本を読み、僕たちの生きる社会をより深く考える時間が与えられるんだから。

 

民進党の、あるいは前原さんのお手伝いをすることへの心配もよくされる。政党の垣根を超えて、先生の思想を広げてくださいともよく言われる。でも、前原さんは僕を「三顧の礼」で迎えてくれた人だ。僕の住む小田原までわざわざ来てくださったこともある。自分の思想を広め、現実を変えるために、あちこちで発言するのもひとつの生き方だろう。でも、僕はそういう人間にはなれないし、なりたくもない。なぜならそんな人間は信頼できないからだ。いかなる理由があれ、意気に感じればその人と一緒に闘う。その人の仲間のために発言する。それは生き方の問題であり、死に方の問題でもある。

 

死に方・・・ちょっとおっかないね(笑)でもこれ大事。僕が政治的に押しつぶされるときが来るかもしれないじゃない?でもそれは、だれかが僕の存在を無視できなくなったときだよね。自分のちっぽけさは自分がいちばんよく知っている。その僕なんかがそこまで気にかけてもらえるときが来るとすれば、僕に共感してくださったみなさん、そのときこそがチャンスです。僕の思想を踏み台にして大きく跳びあがり、温かい未来へと時代を推し進めてください。踏んでもらえるその瞬間まで、僕は発言し続けます。

 

この数日ゼミ生の卒業旅行に呼んでもらって富山に行っていました。先生のいる卒業旅行でいいの?って思いながらも、こんなに愉しく、別れが寂しい旅行はなかった。別れ際にはなんだか泣けてきた。明後日、追いコンでまた会えるのに(笑)大切な人たちを想い、その人たちのために生きていく。とても幸せなこと。シンプルな生き方をますますシンプルにして、もう少しだけ頑張ろうと思います。

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