2006-01-27 19:23:31

認めなきゃいけないのか?

テーマ:セクシュアリティーについて考えてみる

だんなが、しつこくしつこく、インターネットでBBCのラジオニュースが聞けるようにしてくれ、と言ってくる。


「そんなん、BBCのHPにはいって、指示に従ったらええやん!」

「だって、リアルプレーヤーが必要って言うんだもん!」

「それをダウンロードしたらええやん!」

「どこから?」

「リンクがそこにあるやろ(怒)」

「あ・・・」


ばかめ。


「聞けるようになった。ふーんだ、ふーんだ、eiが助けてくれなくっても自分でできるもーん」


け。


まあ、そんな一件があったあと、だんなはネットでラジオニュースを聞いていたけど、突然、怒り出した。


イギリスの民主党があたらしい党首を決めるらしいんだけど、その候補者の一人(サイモン・ヒューズ)が、ここ数日、ゲイじゃないのか?といわれていたらしい。それを、一応遠まわしに否定していたらしいんだけど。


この日のヘッドラインの



を聞いて、だんなは怒り出した。

「なんで、ゲイって認めなきゃいけないんだ? 犯罪じゃないんだし、そんなのほっとけばいいじゃん!」

わたしも、そう思う。

このニュースについて、ピーター・テチェットというゲイの活動家がインタビューを受けていたけれど、わたしの考えは彼とほぼ同じ。

テチェットはこんな風に言っていた。

ゲイであることは犯罪ではないのだから、それを人に言う義務は誰にもない。

確かに、政治家にはゲイでありながらも、それを隠して、ホモセクシュアルに対して差別的な言動をとったりする人がいる。そういう行為はHomophobia(ホモセクシュアルに対する病的非理性的恐怖症)であるし、偽善的だ。だから、そのような場合には、その人のセクシュアリティーを公けにすることは必要だと思う。

しかし、サイモン・ヒューズに関しては、彼は一度もゲイに対して差別的な言動もとったことはなく、ゲイの権利を守る法案などにも常に賛成票を投じている。そういった意味において、彼はHomophobiaでもなく、偽善的でもない。

こういう場合には、彼のセクシュアリティーを公けにする必要はないだろう。ましてや、それを攻撃することなどまったく必要がない。

さまざまな立場にいる人で、自分のセクシュアリティーについては黙っている人がまだまだ多い。これは、カミングアウトすることによって自分が自分の属しているコミュニティーから差別を受けたり、排他的扱いを受けたりするからだ。こういう可能性がある限り、セクシュアリティーについて黙っていてはいけない、というのは、おかしい。黙っている権利だってあるはずだ。

本当に、わたしもそう思う。カミングアウトできたら、それは簡単でいいだろう。でも、実際にはそんなに簡単にできない。カミングアウトできないのは、その人に勇気がないからでも、その人がずるいからでもない。そういう人に対して偏見と差別を持っている社会が悪いのだ。


ゲイであることをカミングアウトしろ、そして、ゲイであることを「認めろ」と要求する背後には、やはり、どれだけイギリスがゲイに対して理解があるとはいえ、ゲイに対する恐怖感があるのかな・・・と感じた。


「だってさ、君がゲイだってわかってないと、安心できないじゃん」


と、暗に言っているような気がする。


この背後には、ゲイというセクシュアリティーを、性の怪物としてとらえている部分があるんだと思う。だから、怪物の居場所をはっきりさせることによって、安心感がほしいんだろう・・・。そこには、ゲイと性犯罪人を同列で捕らえている部分があるような気がする。


でも、ゲイは性犯罪人ではない。


だから、それを必要な場合を除いて、公けに言う必要はない。


そう思います。



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2006-01-25 21:07:58

何気ない会話

テーマ:近辺雑感

息子が学校で転んでひじをすりむいた。それで、絆創膏をはってくれ、といってきた。


だんなが、絆創膏を風呂場のキャビネットにとりに行こうとすると、息子が


「Oh, come on! Here you are! Ha」

もー、何してんだよぉ。ここにあるんだよ。はぁ。


と言った。思いっきり失礼な口調でね。このあとは、いわずと知れた、非常に不愉快な会話と、不愉快な言葉の応酬・・・。


ほんのちょっとね、柔らかく言うとか、柔らかく受けるとか、一拍おいてから言うとかね、ほんのちょっとのことで、もっと気持ちのいい会話ができるようになるんだけど。お互いのイライラをぶつけ合って、どっぷり自己嫌悪。


しかし、息子がえらい点は、こういうことがあった後に、謝りにくること。わたしにはできぬ(すまぬ)。


たとえば、人は言葉を獲得することで、コミュニケーションが潤滑になった。インターネットのおかげで情報量も豊かになった。


息子との関係に関して言えば、彼がほとんど話せなかったころよりも、彼との会話量などは確かに増えている。


でも。


そこで伝えているものはどうだろう。わたしは、ちゃんと愛情を伝えられているのだろうか。


息子が小さかったときに


「ねー、Yちゃんー」

「なあに?」

「なんでもない」


「ねー、おかあー」

「なあに?」

「なんでもない」


というくだらない会話をよくした。そのときに伝えられていたことが、今、どれだけ言葉を使っても伝えられていないような気がする。


ま、今、これを息子にやったら、


「用事がないなら呼ばないでよ(怒)」


なんてことになって、またしても騒ぎが起きるんだろうけど。


何も言わない、ということも、言葉の使い方かな。


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2006-01-12 02:28:30

誰だって幸福になる権利は持っている。

テーマ:セクシュアリティーについて考えてみる

この記事を書こうと思い立ってから、もう一ヶ月以上になっています。忙しかったから、と言ってしまえばそれまでなんだけど。それ以外にも、このことについては、わたし自身の非常に個人的な部分においてかなり考えることがあって。


いろんな言葉の使い方があるんだけど、ゲイ、という言葉はわたしは同じジェンダーを持つ人をを愛する人たちをさす言葉として使っています。女性も男性もトランスセクシュアルも第三ジェンダーも含めます。


わたしが、普通、ホモセクシュアル、レズビアン、という言葉であらわされる人たちをゲイという言葉で示すのにはいくつかの理由があります。


ホモセクシュアルは異性愛を意味するヘテロセクシュアルに対応していていい言葉なのですが、差別的な意味で使われていることが多く、誤解を招くかな、と思うことがひとつ。


レズビアンはレズボズ島に住んでいる人という意味で、サッフォーという古代ギリシャの女性詩人がここに住んでいて、女性同士が愛し合う耽美的な詩をたくさん書いた・・・(ご参考までにこちら )かららしい・・・。しかし、レズボズ島にはいろんなジェンダーの人が住んでいるわけなので、なんとなく、その地名に由来する言葉を使いたくない。


ゲイ、という言葉を使うのは、長年すんでいたイングランドではそれが同じジェンダーの人を愛する人たちをさす言葉でなじみがあることがひとつの理由。


もうひとつは、これは以前に書いたんだけど、gayという言葉はもともと喜ばしい・幸せなという意味を持っている言葉だから。自分について正直であることで、自分が幸せであると、自分たちを差別する人たちに向って宣言をする誇り高い言葉だから。


・・・まあ、日本では、やっぱり差別用語になっていて、理解がされていないみたいだけど。


以上、本文に入る前に、長々と説明をさせていただきました。


わたしのセクシュアリティーについての基本的立場はセクシュアリティーによる差別は一切許してはいけないというものです。もう少し詳しく説明してあるこちらの二つの記事を読んでいただけると幸いです。


怒りながらゲイを語る

もうちょっとゲイについて語る


それと、セクシュアリティーについて考えてみる、というテーマで、関連した記事を一まとめにしてみました。


まだまだ勉強不足です。間違いや、不適当な表現などありましたら、やさしく指摘していただけるとうれしいです(甘えてる・・・笑)。


また、こういった記事に関して不快感をもたれる方もいると思います。それは人それぞれです。わたしは単にすべての人は幸福になる権利を持っており、それを守る・守ってもらう権利があると考えています。そういう考えで、こういった記事を書いています。ゲイの権利など守る必要がない考える方もいらっしゃるでしょう。わたしは、その考えは間違っていると思います。でも、ここにおいて、そういう深い議論をするだけの余裕もありませんし、時間もありません。ですので、わたしの側で不愉快である、と判断したコメントは勝手に削除させていただきますので、ご容赦ください。


それから、バイセクシュアルもあります。でも、この場合、へテロの場合は権利が保障されていて、ゲイのがわの権利が保障されていないので、まあ、二つに分けて(勝手にわけてます)。ですので、特にバイセクシュアルについては言及していません。


*****************************


2005年の12月は、わたしにとって次の二つのニュースが大きな意味を持っていました。


一つ目は、12月5日にイギリスにおいてゲイの「結婚」が法制化されたこと。ただし、結婚という言葉は使わずにCivil Partnership(市民的配偶関係、以下CPと省略します)と呼んでいます。


これは、結婚という言葉にヨーロッパ文化圏においては、宗教的意味合いが非常に濃いこと(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などにおいて。ことに、カソリックにおいては)が主な理由です。結婚という言葉を使うと、非常に反対が多くなり、法制化に手間取る可能性が高かった、と予想されていたようです。そして、同性間の配偶関係を認めるというのは法的にあたらしい概念であるので、新しい法律用語を作ったほうがいいだろう、という考えもあるようです。


この新しい法律については賛否両論あります。結婚という言葉を使うべきだと言う人もいれば、同性間の配偶関係は絶対に認めるべきではないという人たちもいます。


反対をする人たちの主張は、


結婚というものは異性間で行われることが正常であり、そうすることによって家族というものが成立する。同性間の配偶関係を認めると、彼ら・彼女らの生活形態が、伝統的な安定した家族のあり方を侵食する。


というもののようです。


しかし、このような考え方はいくつかの宗教的伝統に根ざした考え方で、この考え方を「真実である」とするには無理があるようにわたしは思います。


まず、何を持って正常とするかは、時代背景や文化的価値観によって異なります。現在では法律的に禁止されている三親等以下の結婚がごく普通に行われていた時代もありますし、日本においても、ゲイの関係が当たり前のものとしてとらえられていた時代もあります。


また、最近の研究で明らかになってきたように、生物学的性は遺伝子によって決まりますが、社会における自分の性の位置づけとしてのジェンダー、自分の性的傾向であるセクシュアリティーは、必ずしも遺伝子によって決定されるわけではないようです。脳の構造などの先天的要素が強いのではないか、といわれています。これらの研究の結果として、西ヨーロッパにおいては、ヘテロ以外のセクシュアリティーも自然なものであり、その自分の自然に正直に生きてゆくことは、個人の権利であると考えられる傾向が強くなりつつあります。


その考えの結果として、オランダやイギリス、ドイツにおける同性間の配偶関係を法制化するという動きがあるのです。


最後に、「ゲイの生活スタイルが伝統的家族形態を脅かす」というよくあるゲイに対する否定はまったくの誤解に基づくものだとわたしは考えます。

たとえば、すべてのヘテロセクシュアルの男性がすべての女性に対して欲情をし性交をしたいと考えていて、それを行動にうつしたいと思っている、とわたしが言ったとします。すると、多分、ほとんどの方から、


「あなたは男性というものに対しての強い恐怖を持っていて、その恐怖によって男性の性的な部分を怪物のように取り扱っていますね」


と言われると思います。そして、その恐怖は、わたしが男性をよく知らないことによって生じている、と判断されるのではないかと思います。


それとまったく同じことが、ゲイに対して行われているのではないでしょうか。それゆえ、「伝統的な家族形態が脅かされる」と言われるのではないか、と考えています。そういった意味においてラトビアで12月15日にゲイの結婚を憲法において禁止した 、というニュースは非常に興味深いです。


ラトビアは、2005年、EUのメンバーになりました。EUではゲイの権利を認める動きが進んでいます。ラトビアはこういったゲイの権利を認める動きに強い懸念を示し、憲法を改正し、ゲイの配偶関係を禁止する条項を書き加えました。国内法ではすでに同性間の配偶関係は禁止されているのですが、EU法のほうが国内法よりも優位に立つ場合があるため、EU法よりも上位に位置すると一般的に考えられている自国の憲法に改正をくわえたわけです。


EU法では今のところ、同性間の配偶関係は合法化されていませんが、いつされるかわからない、という感じをラトビアの国会議員の中で受けている人が多いようです。しかし、EU内にもカソリック国などあり、EU法として同性間の配偶関係が合法化されるのはまだではないかとわたしは思っています。


ラトビアの総理大臣やそのほかの内閣のメンバーはこの改正には賛成しておらず、必ずしも、ラトビアが国として一致した意見を持っているわけではありません。


ただ、国内法だけではなく、憲法まで改正してまでも、同性間の配偶関係を禁止しようとする動きや、この憲法の改正を要求したラトビアの与党の理由


ホモセクシュアル的生活形態から伝統的家族グループを守る。


などを見る限り、冷静に判断をして、というよりは、恐怖におびえてヒステリカルに行動しているという印象をどうしても受けてしまいます。

ゲイの生活形態というと、なぜ、乱交などのイメージが強いのでしょうか。これは、メディアなどの責任が問われるべきではないかと思います。しかし、実際には、へテロセクシュアルのカップルと同じようにお互いに対して愛情と責任を持ったカップルが多く存在しています。たとえば、今回のイギリスのCPを認める法律によって配偶関係を結んだエルトン・ジョンと彼の長年のパートナーなどがそのいい例であると思います。

そういった意味において、ゲイのカップルも異性のカップルと変わりはありません。二人の間で子供ができないことくらいでしょうか。しかし、異性のカップルでも子供ができない人たちはたくさんいます。それについてはさまざまな解決法があります。子供がほしくないというカップルもたくさんいます。子供がほしくないのであるから、この二人は結婚すべきでないとはいえないのではないでしょうか。


基本的にイギリスの今回のCPの法制化は、このように愛情と責任を持って関係を持っているにもかかわらず、配偶関係が成立できないため、相続権や、自分のパートナーの子供に対する権利、また、パートナーが病気などになったときに詳しい情報を知る権利などが与えられていないことに対する批判から始まったようです。


つまり、結婚をすることによって、二人がお互いの権利を守り、お互いに対して権利を持つことができるのと同じ権利を、同性間のカップルにも与えるのが今回の法律の主眼であると言ってよいかと思います。結婚というものをロマンティックな関係の結果としてではなく、お互いに責任を持ち一緒に生活をしていく際に二人が持つ権利としてとらえています。

この権利をお互いに対して持つというのは実ははなり大事なことです。以前、マッチーさん に尾辻かな子大阪府議員の書かれた新聞の記事をおくっていただいたのですが、そこでも、やはり、同居をしているパートナーが病気になったときや、たとえば事故にあった際などに、詳しい情報や安否などを知る権利がないことが指摘されています。


また、同じ記事の中で尾辻さんは人権問題としてゲイの権利が問題にされている、というのは表面上で、異性を好きになることが自然であると性教育の本に書かれる、ゲイについて教科書などで言及すべきではないという発言がおきる、など、実際にはゲイに対する差別が深まっていることも指摘されています。


そういった意味において、同性間の配偶関係を認める法律を作る、ということは、単にゲイの権利を法的に認めるだけではなく、ゲイのカップルも、ヘテロのそれと同じように、お互いに責任と愛情を持って結ばれているのだ、なんら違いはないのだ、と、広く一般に伝える役割も持っているのではないかと思います。


CPと結婚の間には違いはありません。子供に対する権利も二人で持ちます。離婚も異性間のそれと同じようにきちんとした法的手続きをふまなければできません。あるとすると、どの段階でそういう法的関係が成立したとみなされるか、です。CPの場合は、書類に二人が署名をすれば成立します。結婚は書類への二人の署名が行われ、証人と戸籍吏の前で口頭で結婚の宣言がなされた場合に成立します。


この違いは、ヨーロッパにおける言語論の伝統において面白い点だと思いますが、本論から外れるので、ここでは一応、無視します。


誰にでも幸せになる権利はあります。そして、自分の愛する人を守る権利を持つことはとても大切です。結婚という制度は、愛しているから、というような感情的なものだけではなく、自分の愛する人を守り権利を与えるという、非常に重要な法的側面を持っています。


日本でも、一日も早く、こういったことが議論され、ゲイの権利も含めた人権に対する理解が深まることを願ってやみません。

******************************


文中で言及した尾辻かな子さんの記事です。上下に分かれています。クリックすると大きくなります。

Otsuji1

Otsuji2


参考までに

ゲイの結婚の歴史

ラトビアがゲイの結婚を禁止

イギリスでゲイのシビル・パートナーシップが法制化。

ゲイの結婚の詳細


**************************:

業務連絡

マッチーさん、もう、ものすごく時間がかかりました! ごめんなさい。記事をおくってくださってどうもありがとう。

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2006-01-01 00:00:00

あけましておめでとうございます。

テーマ:ブログ

今年もよろしくお願いします。


2006年元旦

えい

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