えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。


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 このブログに「ハムレット」で検索して、やってきてくれる方が、時々います。いきなりこういう異端の説を読まされて、どう思ってるだろうなあとも思うのですが。それ以上に、実は「ハムレット」についてまだ書いていない重要な話が残っているのです。現状、私のハムレット論は尻切れトンボに終わっていて、たいへん心苦しいなあ、と(勝手に)思いました。
 ちょうど内田樹先生の「街場のメディア論」を読んだところで、著作というのは予め値札がついた商品ではない、未知の誰かが「あ、これはもしかしたら私への贈り物かもしれない」と思ってくれた時点ではじめて価値を生じる、そういうものなんだ、書籍やコンテンツを「予め価値のある、貨幣と即時交換でないと渡せない商品である」というビジネスモデルに出版関係者が囚われている限り未来はない、とまあそんな話で。ま、なるほどなあと思いますので、私も自分の独自のシェイクスピア論を虚空に向かって投げてみることにします。「ほお、なるほど」と思った人は、心の中で「へえーボタン」を押してやってください。


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 さて、前置きが長くなりましたが。
 本来、デンンマーク王家とは縁もゆかりもなさそうな隣の国の王子「フォーティンブラス」が、どうして最後にデンマーク王におさまるのか。ハムレットはどうして死に際にフォーティンブラスを次の王に指名するのか。どうしてそれに誰も文句を言わずに従うのか。普通、「ハムレット」を読んでいてもっとも分からないのは、ここじゃないでしょうか。なので、いよいよ「フォーティンブラスの謎」について考えてみます。
 
 半年前にこのブログで延々と説明した「ハムレットの初期設定」を改めて要約すると、こんなかんじです。
 
 「デンマークの王位継承権者は、最後の生き残りの王女ガートルードである。彼女と結婚する資格を争って決闘したのが、先王ハムレットと、隣国ノルウェーの王フォーティンブラス(先代)である。ハムレット王が勝ってデンマーク王になったものの、ハムレット王子はこの決闘の当日に生まれた、つまり婚前交渉によってできた子供なので、私生児とみなされる。本来、王位継承権がないハムレット王子は、ヴィッテンブルグの神学校に留学させられ、聖職者になるはずだった。ところが、先王が新たな子をなさぬうちに急死したため、隣国のフォーティンブラス(二代目)が「繰り上がり継承権」を主張して戦争準備を始める。そこで新王クローディアスは、まずハムレット王子を呼び戻して、彼が庶子ではなく王位継承権者であることを宣言、デンマークが空位となる事態を防ぐ。いっぽうフォーティンブラスには、デンマーク王位への野心を捨てさせるかわりに、彼のポーランド侵攻を支援するという形で「外交的決着」をはかり、戦争を回避することに成功する。しかし、こうした新王の和平政策を「妥協、屈辱」と考えるタカ派青年将校たちは、ハムレット王子を「反クローディアス王」の旗頭として担ごうと画策する・・・。
 
 フォーティンブラスという名前は、ラテン語で「強い腕」、いかにも武力至上主義者です(シェイクスピア時代の劇の登場人物は、案外こんな感じでつけられます。歌舞伎で「荒獅子男之助」なんてのが出てくるのと一緒ですね)。
 「ブラス」はロシア語なら「ボリス」です。わたし二十年ほど昔、劇団四季友の会の会報に、ゴルバチョフをクローディアス、ボリス・エリツィンをフォーテンンブラスに譬えて分析した文章を書いて、ちょっとウケたことがあります(笑)。クローディアスは、まさに「二枚腰の和平交渉で戦争を回避する、老練でしたたかな政治家」です。若いフォーティンブラスを丸めこんだ手腕は、名君と言ってもいいくらいです。
 それはともかく。こう考えてくると、ちょっと不思議なことがあります。若いフォーティンブラスというけど、彼は何歳なんだ。少なくともハムレットの三十歳より上です。だって、三十年前の決闘で先代フォーティンブラスは死んでいるのですから、当然そのときまでに生まれていなくてはいけません。
 現代日本で三十歳の代議士は若造ですが、この時代の三十歳ってどうなんでしょう、いいかげん大人、というより、「何者かになろうとする」ならギリギリの年齢じゃないでしょうか。先代ノルウェー王の一人息子のはずが、三十過ぎても王になれず「部屋住み」のまま、叔父である現王にとっても厄介者であるようです。
 何故なのか。理由はもう明らかですよね。彼もハムレットと同じ「バスタード(私生児)」だからです。
 先代フォーティンブラスは、決闘のときに独身だったはずです。でなければガートルードとの結婚を賭けた決闘に臨む資格はありません。とゆうことは、フォーティンブラス王子の母は、正妻ではない愛人か、さもなくば妻であったものが離婚させられた(もしかしたら消された?)か。どちらにせよ、単なる側室の子という以上に鬱屈した人生を送ってきたことが容易に想像されます。
 彼は王子といっても、王位継承権はおろか、受け継ぐ領地のひとつもないのです。何者かになるためには、自分の名前の通り、「強い腕」で強奪していかなければならないのです。だから、デンマーク王の死去に際して、「無理筋」だと承知のうえで、強引に継承権を主張して見せたのも、彼にとっておそらくこれが人生最後のチャンスであり、これを逃せば一生冷や飯食いのまま終わるからです。
 
 フォーティンブラスが、ハムレットの合わせ鏡であることは、誰しも感じるところでしょう。「王子でありながら叔父王の監視下で冷や飯を食っている」という同じような境遇にありながら、一方は「何者かになろう」という意志でガムシャラにあがき、一方は「何者になるべきかわからない」とウジウジしている、この対照性は見事です。ハムレットがフォーティンブラスに羨望の念を持つのは当然です。
 しかし、「同じような境遇」といっても、仔細にみると雲泥の差ともいえます。フォーティンブラスのほうがハングリーさにおいて格段に上です。フォーティンブラスは「叔父王からは疎まれ、父も母も(おそらく)すでに世にない」、何も持たない身です。それに対してハムレットは、自分で主観的にどう感じていたとしても、客観的には「次の王位を叔父から約束され、実の母は身近にいる」、何不自由ない幸福な立場です。ついでに可愛い彼女もいます(それがいちばん大事♪)。それでいったい、何をウジウジ悩んでいるのでしょうか。
 そうした身も蓋もない真実が、終盤まで全く出番のない「フォーテンブラス」という合わせ鏡の存在によって、浮き彫りにされるのです。
 シェイクスピアというのは実に油断ならん作家で、主人公を必ずしも「観客が全幅の共感をもつようなキャラクター」に描くことはしないのです。NHKの大河ドラマのように、なんでもかんでも主人公の手柄にして「ひたすらさわやかなヒーロー」をでっちあげるような安っぽいことは決してしません。むしろ、観客から「なにやってんだコイツ」とイライラされるような、悲劇的最後も自業自得であるかのような主人公を設定することのほうが、圧倒的に多いのです。ハムレット、リア王、マクベス、オセロ、みんなそうです(ロミオとジュリエットだって同じです、これについてはいずれゆっくり語ります)。
 フォーティンブラスがいること、これこそがシェイクスピアの、いや世界史上の最高傑作であるこの劇の「キモ」であると言っていいのです。(明日に続く

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