narunia

ディズニーは何がなんでも『ナルニア国物語』の映像化第一弾を
大ヒットさせたかったようだ。

なぜなら、欧米では『指輪物語』と並び、1950年~56年にかけて
計7巻発売された最も有名な児童向けファンタジー(挿絵が挿入
された小説)の古典を「完全映画化」と謳っておいて、しかも、
タイトルに「第一章」と銘打ってしまったからには、「それほど
ヒットしなかったから」「評判がイマイチだったから」といって、
途中でカンタンに止めるわけにはいかないからネ(笑)。

ディズニーの冠にキズがつくばかりか、それじゃあまりにカッコ
悪い。というわけで、ライバルのドリームワークス最大のヒット
作を放った『シュレック』シリーズのアンドリュー・アダムソンを
監督に起用するなど、なりふり構わぬ気合の入れようで、もう
そこにはディズニーのプライドもヘッタクレもない。結果は……

2005年12月9日に全米公開、ファンタジー映画ブームを巻き
起こした『ハリー・ポッター』シリーズの最新作から3週遅れで
初登場1位を記録、トータル興収も3ヵ月以上かけて抜き去り、
全米歴代トータル興収23位の約2億9200万ドルを稼ぐ大ヒット
となった。ちなみに、24位は『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』、
25位が『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(いずれも、全米興収
トータル2億9000万ドル台)で、興行的には一応、これら大ヒット
シリーズと肩を並べる形で、日本でも2006年3月4日公開以来、
1ヵ月以上にわたり興行成績のトップを独走、約1ヵ月半で興収
トータル60億円を超えて、万々歳!……と言いたいところ
だろうが、果たして本当にそうだろうか?

実際、『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』の1作目
は、全米興収で3億ドルを超えており、『スター・ウォーズ/
エピソード1』は4億ドル以上。日本でも、これら大ヒット作の
興収は軒並み100億円を突破しており、やや見劣りする
成績、と見ることもできる。

しかし問題は、数字の差よりも、「続きが早く観たい!」という
4月以降の宣伝文句に「?」を100 個ぐらい付けたい人が少なく
なかった、という点だ。いくら、なりふり構わぬ大ヒット狙い、
とは言っても、「続きが早く観たい!」は詐欺まがいスレスレの
誇大広告?…とさえ感じた。事実、「続きが早く観たい」なんて
コレっぽっちも思わなかったし……。

最初、主人公の兄弟姉妹4人が第二次大戦中のロンドンから疎開
した先の屋敷で、ナルニア国への入口となっている衣装ダンスを
発見するまでの展開が、予想以上にトントンといい調子だったの
で、「これは面白くなりそうだぞ…」と思って見ていたのだが、
その後の物語を見ていくにつれて、だんだんオープニングのいい
調子の描写がちっとも後半の展開に生かされていないなあ……
ということ気づかされいく。子供向けのキャラクター(英語を喋る
動物たち)はいいとしても、物語自体に引き込まれなかったのが
最大の難点だ。主人公の子供たちをヒーローに仕立て上げておき
ながら、そこには映画的な必然性がまったく感じられない。縁も
ゆかりもないナルニア国の戦争に、なんで主人公の子供たちが
命のリスクも省みず加わるのか、そのモチベーションが弱いから、
あんまり応援する気にもなれないし、現実世界に帰れなくなる、
という類の緊張感もない。そんなことを子供向けのファンタジーに
求めちゃいけないのかもしれないが、緊張感のない戦闘シーン
ほど盛り上がらない見せ場はない。だから、「どうぞ、ご自由に
ヒーローごっこをやってな」っていう気分にさせられてしまう。

結局、大人向けには作られてないんだな……と思ってはみたものの、
2時間12分という長さは、決して子供向けとも言い切れない。
やはり、どっちつかずな印象は拭いきれない。この後、
どうなる??……っていう終わり方でもなかったし、
それなのに「続きが早く観たい!」なんて誰が思う?
……多分、それは原作のファンの感想なんだろう。

実はこの映画、欧米の観客の評価は予想外に高い。どうしてなんだ、
と不思議だった。彼らのレベルが低いから?……いや、おそらく原作
の浸透度合いが日本と違うからなんだ、というのが結論だ。確かに、
C・S・ルイスの原作本は、この一年で過去50年の日本での発行部数
を上回ったほど一気にブレイクした感じで、日本人にとっては決して
メジャーな本ではなかった。私も恥ずかしながら、この映画の宣伝を
観るまで、この本の存在すら知らなかった。そして、数少ない日本の
原作ファンの感想を聞くと概ね評価が高い。「よくぞ、ここまで映像化
してくれた」という印象なのだ。映画を観た後、原作本を読んで、
そのことに気づいた。

例えば、冒頭のいいテンポの描写は、原作にはない。小説の中では
最初の1~2ページ目で衣装ダンスが発見されるところから始まる
(主人公の兄弟姉妹は、空襲で田舎に疎開してきた、と説明がある
だけで、最初から屋敷の中にいて、それ以前の描写はない。つまり
冒頭のシークエンスは映画のオリジナルなのだ。そこが後半の展開
に生かされない、などと原作を読んでいたら考えもしなかったろう)

……というように、映画の描写の方が原作よりも詳しい。その印象
の差は大きい。私のように、映画で初めて本作に触れた大人たちの
感想は惨憺たるものだが、原作を読んでいる人には「評価が高い」
という稀な例のような気もする。

普通、原作ファンは自分の勝手なイメージと映画の印象の差に
多かれ少なかれ違和感を覚え、必然的に映画の方の印象が
悪くなってしまうことが多いからだ。だから、基本的には映画を
観る前に、あえて原作は読まないようにしている。

それにしても、今から『第2章』以降が不安だ。原作では、最初に
発売された『ライオンと魔女』が、ナルニアの歴史時間軸でいうと
2番目の話で、2番目に発売された『カスピアン王子のつのぶえ』
が、4番目の話になる。おそらく、これが第2章ということになる
のだろうけど、時代的には『ライオンと魔女』の百年後の物語で、
実は間に4人の兄弟姉妹が王として統治する時代の話『馬と少年』
(発売順では5番目)が存在する。そこで、この物語を発売順に
『第5章』として映画化した場合、彼らはもうすっかり大人に
なっている可能性が高いわけで……それで大丈夫なのかな?

『ハリー・ポッター』もそうだけど、十代の子供の成長は早いからね、
それで時代が前後する『ナルニア国物語』の原作を発売の順に
映画化しようと思ったら、大急ぎで撮影しないと違和感が出ちゃう
んじゃないだろうか、なんて余計な(?)心配もしたくなる。

いずれにしても、第2章は1作目で最も目立ってた「氷の女王」
(『ザ・ビーチ』でデカプリを食っちゃうティルダ・スウィントン)が
出てこないし、英語を喋るライオン「アスラン」が中心になって
ナルニアの起源が描かれる最初の話『魔術師のおい』(発売順で
は6番目)に戻るとも思えないし、キャラクターがあまり立っている
とは言えない兄弟姉妹4人が再び主人公になるであろう『第2章』
の出来が、どんどん不安になってくる……と思わない?

実は、既に7巻ものを3章で完結させる、という噂も流れており、
一方で原作ファンは4番目に発売された『銀のいす』(時間軸では
6番目)が最も面白い、とも話しているし、一体どうなることやら……
やっぱり、この映画に関しては例外的に原作を読んでから観る方が
楽しめるみたいだ。本を読む気がない人には、総合評価★★★
……がいいとこ。原作は、挿絵入りで200 頁程度。すぐ読めるし、
続きが早く観たくなるかもヨ!



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞二
ライオンと魔女



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
カスピアン王子のつのぶえ



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
朝びらき丸 東の海へ



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
銀のいす



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
馬と少年



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
魔術師のおい



C.S.ルイス, ポーリン・ベインズ, 瀬田 貞次
さいごの戦い
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malpaso

(前回の続き……写真は、この映画とは関係ありませんが、
このマルパソのロゴの帽子が欲しいなあ、と思って……笑)

今、全米で最も売れているクリント・イーストウッド関連
(監督のみ、出演のみも含む)作品のDVDは?

これが実に意外な結果で驚いている。答えは、
『荒鷲の要塞』(1968年)という戦争映画だ。

なんと40年近く前の主演作……驚いたのは、それだけじゃない。
正確にはリチャード・バートンが主演で、イーストウッドは二番目
という映画だからだ。今となっては、イーストウッドの名前が
最初に出て来ない極めて珍しい映画とも言える。最近の監督作
と『ダーティ・ハリー』シリーズ程度しか見たことのない人には、
特にこの結果を知ってほしい。つまり、いかにイーストウッド
というスーパースターがどういうところで支持されているのか、
DVDの売れ筋で窺い知ることができるからだ。ちなみに、
一位は『荒鷲の要塞』、二位は『マディソン郡の橋』(1995年)、
三位は『アウトロー』(1976年)、というのがTOP3。

二位の『マディソン郡の橋』は一応、10年以上前の映画だが、
イーストウッドのキャリアの中では、まだ最近の映画、って感じ。
それほどイートウッドのキャリアは深遠で、適当に数本見たぐらいで
いい加減なこと書いてるような記事を見ると腹が立ってくる。
この映画に関しては、これまでの彼のキャリアの中では異色な
感じだが、これ以降の彼の作品を見ていると異色な感じはあまり
しないかもしれない。詳しくは、またの機会にゆっくり話そうと思う。

三位の『アウトロー』は、イーストウッド監督主演の西部劇の代表作
だから、当然の結果!……南北戦争のドサクサで軍隊に一家を惨殺
された男が、戦争が終わってからも一人軍隊に対して戦争を続ける
という、全盛期のイーストウッドが堪能できるアクション映画だ。
そういう意味で、この映画は大好きだ…(総合評価★★★★!)
当時はアメリカ建国200年記念作品の一本として公開された。



ワーナー・ホーム・ビデオ
アウトロー 特別版

一位の『荒鷲の要塞』も、当然のことながら面白い。第二次大戦中の
ドイツを舞台に繰り広げられるスパイ・アクション的なノリの話だ。

1968年といえば、ハリウッドで仕事にあぶれたイーストウッドが、
イタリアに渡ってマカロニウェスタン・ブームの顔となり、
主演スターとして逆輸入される形でハリウッドに迎えられた年。

相手役のリチャード・バートンは、50年代から約30年間にわたって
ハリウッドで主役を張ってきた英国を代表するスター。特に60年代
は、エリザベス・テイラーと『クレオパトラ』で共演後、結婚・離婚を
繰り返す世紀のロマンスでゴシップを騒がせ、まさにキャリアの
最盛期にあった頃の主演作。
対するイーストウッドは、人気急上昇中とはいえ、初のハリウッド
大作への出演で、まだまだ初々しさが残っている頃。

そんな二人が、英米混成チームの代表として特殊任務を果たすべく
ドイツの要塞へ潜入する。目的は二重スパイを割り出すこと……が、
潜入チームにも二重スパイがいると知って、「なんじゃ、そりゃ?」
と、困惑するイーストウッドの顔がアクションより笑わせてくれる。
イーストウッドはいつも理性を失うことなく、困惑する演技がいい!

しかし、ネタバレなしに、この物語を紹介するのは難しいなぁ(笑)。

とにかくイーストウッドは撃ちまくる、そのケーブルカーでの戦いは
特に有名(特撮は40年近くも前の映画なので、文句は言うまい)。
最後に、イーストウッドが「今度こういう複雑な作戦をやる時は、
イギリス人だけでやってくれよな」と吐き捨てる、それがまた
いいんだよね、バリバリのイーストウッド的な発言で!(笑)

この複雑な戦争スパイ映画の脚本を書いたのは、イギリスの著名な
ベストセラー作家、アリステア・マクリーン。彼の小説は、60年代~
70年代にかけて十数本も映画化されているが、『荒鷲の要塞』は
初めて最初から映画のために書かれた物語で、小説になったのは
映画化の後だ。とは言え、彼の小説で最も英米で売れたのが、
この小説なのだ。間違いなく、映画も小説も、最も彼らしい傑作と
言えるだろう。彼の最も有名な作品『ナバロンの要塞』(1961年)と
同じく、戦争冒険小説的な色合いが強い作品で、そういう映画が
70年代以降(ベトナム戦争以降)、ほとんど製作されなくなり、
ヒット作の続編として作られても『ナバロンの嵐』(1978年)の
ように、オールスターキャストでもヒットしなくなってしまった
のは、寂しい限り。時代の要請で仕方がないんだろうとは思う
けど、今、戦争映画と言えば、ほぼ100%、反戦映画だからね。
たまには冒険アクション的な戦争映画も見たいと思ってしまう。

『荒鷲の要塞』は、戦争冒険映画というジャンルが成立し得た
最後の時代の傑作ではないだろうか(総合評価★★★★!)……



Alistair MacLean
Where Eagles Dare (Adrenaline Classics Series)



Alistair MacLean
Where Eagles Dare
特にオープニング、小太鼓の音が次第に高鳴り、
ブラスの音が重厚にかぶさるメインタイトルの音楽は、迫力満点!
あまりにその音楽が好きで、昔レコードを買ってしまったぐらい…
(笑)。日本ではCD化されていないのではないかと思うけど、
重苦しいサスペンス音楽と派手なアクションシーンの音楽の対比が
強烈で、しかもアルバムの最後には劇中に使われた第二次大戦当時の
ムード音楽なども入っていて、なかなか楽しめる出来の一枚でしたヨ。

作曲のロン・グッドウィンは、後に『ナバロンの嵐』でも
快活な戦争冒険映画的音楽で楽しませてくれた人。実は、
このテーマ曲、公開当時から結構好きで、レコード化されなかったのが
残念でならなかった。その後、CDにはなったのかな?
しかし、なぜかカセットテープで、この音楽を持っている。
不思議だ。どうしてなんだか、いまだによく憶えてないけど(笑)
……今でも、たまにこのテーマ曲が頭の中を過ったりする。
『荒鷲の要塞』とは全然、違うタイプの曲なんだけどね。



ワーナー・ホーム・ビデオ
荒鷲の要塞
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how to lose a guy in 10 days

原作のある映画では、何も削ぎ落とすばかりが脚色作業じゃない。
短編が原作の場合、最近の『サウンド・オブ・サンダー』しかり、
ミリオンダラー・ベイビー』しかり、原作に相当肉付けしないと
一本の映画にはならない。前者のケースは、最初の設定だけが原作
の話で、中盤から結末に至るまで、ほとんどオリジナルの物語だ。
後者は同じ作家の他の短編小説の話を寄せ集めて再構築し、監督の
意向を反映させたもの。いずれにせよ、原作にはないオリジナルの
部分の割合が非常に高いので、原作の評価と映画の評価はまったく
別モノになる。

中には『ポーラー・エクスプレス』のように短編の絵本を原作に、
そのイメージをまったく損なうことなく、出だしと結末を原作通り
に設定し、中間の話を膨らます形で成功している脚色の例もある。

また、ごく稀に物語自体が原作には存在しない、という例もある。
そんな珍しい脚色成功例が、『10日間で上手に男をフル方法』だ…
(原作はハウツーのイメージカットだけで、物語がないのだ!)

全米では、2003年2月に公開(日本では2003年8月公開)され、
1億ドル以上を稼ぐ大ヒット作となっているので、その意味でも
成功作として評価していいラブコメだ。が、日本語のタイトルは
意味がまったく逆さま。原題は『How to lose a guy in 10 days』
(10日間で男にフラれる方法)というコメント程度の文字しかない
イラスト主体のハウツー・パロディ本。OL二人が自らの体験や、
友達のフラれた話を基に、よくある「男に嫌われる女性の言動」を
羅列しただけの絵本みたいなものがベストセラーになってしまった
のは、その内容が本質を突いていて実に面白いからだ。

このベストセラー本が、どういう風に脚色されたのかというと……

“10日間で恋人をつくれば大口クライアントを担当させる”という
約束を取り付けた広告代理店勤務の独身男と、政治記事を書きたい
のに上司の企画から“10日間で男にフラれる方法”を体験取材する
ことになった新米ライターの女。この二人がお互いの目的を果たす
ために出会って、“偽りの恋愛”を繰り広げるが、次第に……

という典型的なラブコメ物語になっている。この男女を演じるのは
……まず、男の方は『評決のとき』(1996年)でブレイクした後、
知的な好青年役が続いたマシュー・マコノヒー。『サラマンダー』
(2002年)ではタフガイ系にイメチェンを果たし、『ウェディング
・プランナー』(2001年)のヒットでラブコメへの出演も増えた。
一方、女の方は『あの頃ペニー・レインと』(2000年)でブレイク
したケイト・ハドソン。80年代のラブコメ女王ゴールディ・ホーン
の娘だから、血は争えないということか、コメディセンスは抜群。



ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
あの頃ペニー・レインと

そんな彼女が、男性の好きなスポーツ観戦をわざと邪魔したり、
相手の仕事中にどうでもいい内容の電話をかけまくったり、
留守伝に何度もしつこくメッセージを入れたり、
男の部屋を自分の物で埋めつくしたり……といった
男にフラれるパターンをこれでもか、と実践する!

それだけでも十分面白いのだが、男はなかなかフッてくれない。
そのうち実家の家族団欒にまで招待されて、予想通りというか、
二人はマジでお互いのことが好きになっていく……(笑)
というラブコメの定番路線を突き進む。

ところが、お互いの目的がバレて、パーティ会場は一瞬のうちに
修羅場と化す(この最後の盛り上がりシーンは少しヤリ過ぎ?)

この時、二人がデュエットするのが、カーリー・サイモンの1973年
のナンバー1ヒット曲「うつろな愛」だ。オリジナルはサビの部分
で、なんとミック・ジャガーがハモっている、とっても好きな曲…
(彼の鼻にかかったダミ声のせいで、「とても歌いにくかった」と
カーリー・サイモンは笑って話していた)

さらに、ニューヨークからはフェリーで行くのが便利な彼の実家の
スタッテン島の風景等、全編ニューヨークとその近郊で撮影された
雰囲気がまた大好きだ。ハリソン・フォードとシガニー・ウィバー
共演の『ワーキング・ガール』(1988年)や、ニコラス・ケイジと
ブリジット・フォンダが共演した『あなたに降る夢』(1993年)、
ジョン・キューザックとケイト・ベッキンセイルが共演した
『セレンディピティ』(2001年)など、ニューヨークロケの
ラブコメにはなぜか不思議な風情があって、例を挙げれば
キリがないほど好きな映画が多い。

この映画も、予想通りの結末を迎える定番のラブコメだから、
単に本編だけ見たら及第点ぐらいの出来かもしれない。けれど
DVDでは、例の原作がいかに映画化されていったか、という
特典映像が収録されており、これは映画製作者や脚本家に
とっても参考になる話が満載だ。本編よりそっちの方が
人によっては興味深く見られるかもしれない。
というわけで、総合評価は大アマの★★★★

ちなみに、監督のドナルド・ペトリは、ジュリア・ロバーツの初
主演作『ミスティック・ピザ』(1988年)で注目され、その後も
ジャック・レモンとウォルター・マッソーのコンビを復活させた
『ラブリー・オールドメン』(1993年)や、
サンドラ・ブロック主演で1億ドル突破のヒットとなった
『デンジャラス・ビューティー』(2001年)など、
コメディ演出を得意とする監督だ。



パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
10日間で男を上手にフル方法 スペシャル・コレクターズ・エディション



サントラ, キース・アーバン, ルース, シャンタール・クレヴィアジック, ジョージ・ソログッド, デストロイヤーズ, アル・グリーン, ジン・ブロッサムズ
10日間で男を上手にフル方法 オリジナル・サウンドトラック(CCCD)
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サウンド・オブ・サンダー
3月25日公開のSF娯楽映画『サウンド・オブ・サンダー』は、
初登場で4位か5位、3週目に入っても7位とベスト10内をキープ
して、予想外のヒットになっている。なぜ「予想外」かといえば、
全米では「酷評一色」で、まともに公開もされず、今や2億ドル
が全米大ヒット作の目安といわれているなか、嘘か誠か
200万ドル(2億円強)しか稼げなかったからだ!

でも、そこまで「つまらない映画」だとは思わなかった。
先入観を捨て、適当にいい加減なSFサスペンス(&ホラー?)
として楽しんじゃえば、損した気分にまではならないはずだ。

元を辿れば、悪い先入観の発端となっているのは、この映画が
製作過程で監督交代などのゴタゴタが続いたからで、完成さえ
おぼつかない状況で監督を引き継いだのは、ベテラン職人監督
ピーター・ハイアムズだ。シュワちゃんのSFアクション大作
『エンド・オブ・デイズ』(1999)でも製作中止になりそうな
状況で監督を押しつけられてスンナリ完成させた「立て直し屋」
としての実績が買われたようだが、実はこの監督、70年代から
「SF映画のようなアクション映画」を数多く、「文字通り」
撮影も兼ねて撮り上げている。作品の出来はイロイロだが、
エリオット・グールド主演の『カプリコン・1』(1977年)
ショーン・コネリー主演の『アウトランド』(1981年)
ジャン・クロード・ヴァンダム主演の『タイムコップ』(1994年)
宇宙とは関係ないけど『レリック』(1997年)もSF的な話だし、
さらに『2001年宇宙の旅』の続編『2010年』(1984年)といった
普通の監督なら尻込みしそうな本格的SFにも取り組んでいる。
いずれも話題作として、そこそこヒットしているところが凄い!



ビデオメーカー
カプリコン・1



東宝
エンド・オブ・デイズ




ワーナー・ホーム・ビデオ
2010年【ワイド版】

で、今回はSF怪奇小説の巨匠レイ・ブラッドベリの古典的短編
「いかずちの音」の映画化。だからといって「本格的なSF映画」
を期待しちゃいけない。そもそもレイ・ブラッドベリを「SF小説」
というジャンルで語ってしまうことに、誤った先入観は起因する。

確かに、レイ・ブラッドベリの作品群には、本作が収められている
『太陽の黄金の林檎』や『火星年代記』といった宇宙を題材とした
名作短編集が目立つ。しかし、いわゆる科学(サイエンス)的な話
かというと、全然違う。むしろスティーヴン・キングの風変わりな
説明のつかない短編ミステリーのノリに近いような感じさえする。



レイ ブラッドベリ, Ray Bradbury, 小笠原 豊樹
太陽の黄金の林檎



レイ・ブラッドベリ, 小笠原 豊樹
火星年代記

実は、そんな風情のあるレイ・ブラッドベリの短編小説が大好きで、
特に名作「霧笛」など22篇が収められている『太陽の黄金の林檎』
はオススメ。アッと言う間に読めるので、何度も読み返してしまう。
T-REXのマーク・ボラン(嘘か誠か、魔女に教育を受けた、と
本人は生前、語っていた)もレイ・ブラッドベリのファンだった
らしく、「いかずちの音」に出てくる恐竜の運命にインスパイア
されてバンド名を決めた、というのも有名な逸話。

この原作は、わすか十数ページの短編だ。タイムマシンを使って、
死ぬ間際の恐竜を何度も見学できるツアーの話……ある日、ツアー
コンダクターが現代に戻ってみると何もかもが微妙に違っていて、
その原因は、お客が過去をほんの少し変えてしまったからだった
(有名な小説なのでネタバレしますが、一匹の蝶を踏んづけていた)
……という程度の内容。

映画『サウンド・オブ・サンダー』は、この原作を大幅に肉付けし、
第一波、第二波、と次第に現代がジャングル化して得体の知れない
生物が襲ってくるホラーもどきのSFサスペンス映画になっている。
現代を激変させた原因を究明し、再びタイムマシンで過去へ行って
元通りに戻さないと現代文明がこのままでは壊滅する、という展開
でハリウッド的なエンターテインメント一色に染めた感じ。なぜ、
そうなるのか、なんて質問は無意味だ。レイ・ブラッドベリの小説
だって、科学的になぜ、どうして?……なんてところに、いちいち
引っ掛かっていたら、ちっとも楽しめない。レイ・ブラッドベリの
古典的な小説を娯楽映画として映像化すると、必然的にB級映画的
な匂いがする話になってしまうんじゃないだろうか、とさえ思う。

彼の映画化作品で最も有名なのは、フランソワ・トリュフォー監督
唯一のハリウッド映画『華氏451』(1966年)で、これは本の紙
が発火する温度のこと。本が諸悪の根源として焼かれる近未来世界
を描いたSFで、この長編もトリュフォーがハリウッド式映画作り
に馴染めず、トラブル続きだった作品。ここでも、風変わりな背景
や舞台設定などにB級映画的な匂いを感じてしまうのは、もう原作
の持つ力としか思えない。レイ・ブラッドベリ作品の映画化では、
最も評価が高いようだけど、やっぱり総合評価★★★ぐらい……
彼の小説の風情を映像化すると、どうしてもこうなるんだな。



ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
華氏451

実際、この巨匠を誤った先入観で過大評価しない限り、彼の映画化
作品はファンが見ても、失望するほど酷くはないと思うけれども、
小説にある寓話的な憂いや滑稽さが、映像化するとチープな印象に
なってしまうのは、彼の作品の特徴だと割り切るしかないだろう。

例えば、アーヴィングの小説は監督が違っても、全部フワフワした
感じの映画になっちゃってるでしょ?(笑)……多分、それと同じ
なんだろうね。だから今回は、むしろ、どんなふうに短編が肉付け
されたのかを興味津々で見入っていた。

結論としては、違う進化の過程で変移した生物(マンドリルの顔に
狼の鳴き声、ラプトルのような尻尾、そしてコウモリのように眠る
……なんじゃ、そりゃ?)の襲撃ばかり目立つクリーチャーもの的
な盛り上がりが映画の最大の見どころになってしまっているので、
原作の寓話的「憂い、ユーモア、滑稽さ」は薄れ、「恐怖とサスペ
ンス」の色が濃い。当然、こんな怪物は原作には出てこない!!
しかも、この怪物が見てくれ的に、そんな怖さを感じないところが
レイ・ブラッドベリ的な感覚で、ますますB級映画的な匂いを醸し
出してしまい、それがいいんだか、悪いんだか……いずれにしても
巨匠の深いSF的世界を期待する向きには、どうしても駄作に見え
てしまうんだろうなあ……というわけで、総合評価★★★

主演のエドワード・バーンズは、自分で脚本や監督もできる才人
だけど、多分、彼もレイ・ブラッドベリが好きだったのかな?
タイムトラベル会社の社長を演じる名優ベン・キングズレーも…?

もう一人、ヒロインの科学者を演じるキャサリン・マコーマックは
メル・ギブソンのオスカー受賞作『ブレイブハート』(1995年)で
彼の恋人(映画が始まってすぐクビを切られる)役だった女優だと
思うんだけど……違うかな?

最後に、レイ・ブラッドベリは巨匠と呼ばれるようになる以前、
一度だけ映画の脚本を手掛けたことがあるいる(トリビア!)…
それがなんと、ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』(1956年)
なんだよね。原作は言わずもがな、ヘミングウェイの古典的名作。
白い島のような鯨=モビー・ディックへの個人的復讐の念から
航海に出る偏執狂的エイハブ船長をグレゴリー・ペックが演じた
名作だ。巨匠の原作を若き日の巨匠(当時30代半ば)が
脚色した、そういう視点で『白鯨』を見ると、今までとは全然
違った感覚で楽しむことができて、もっと面白いと思うヨ!
個人的にも総合評価★★★★!……と言いたいところだけど、
どうなのかなあ……ヘミングウェイの原作ものとしては、
異色な感じがすることは確か。ブラッドベリの影響大?
これがブラッドベリの映像化の限界なのかな?




20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
白鯨
ミリオンダラー・ベイビー
クラッシュ』でアカデミー作品賞を獲ったポール・ハギス脚本、
同じく『クラッシュ』に出演していたライアン・フィリップ主演、
そして『南極物語』に主演したポール・ウォーカーも出演する、
クリント・イーストウッド監督の次回作『父親たちの星条旗』が
既にクランクアップして今秋、日本公開されることになった。

前作『ミリオンダラー・ベイビー』は、再びアカデミー監督賞と
作品賞を彼にもたらした他、主演女優賞、助演男優賞も獲得し、
興行的にも『ザ・シークレット・サービス』以来の全米1億ドル
突破となる大ヒットで、あまりに皆が大絶賛するもんだから、
子供の頃からのクリント・イーストウッドのファンとしては
「あまのじゃく」的な気分に陥り、昨年見た映画の「第1位」
投票までしておきながら、これまで紹介記事を書いてこなかった。

だいたい内容的には皆さんが書いている通りの傑作で、自分も同じ
ような紹介記事を書いても仕方ないし、より詳しく書こうとすれば
キリがなくなりそうで、出世作の『荒野の用心棒』(1964年)から
1本ずつ全部(正確には見てないのが数本ある)紹介したい衝動に
今でも駆られるけど、それじゃ何カ月もかかってしまうし…(笑)

最も笑った紹介文は、「実話でもないのに、私の日常より不幸になる
人の話を見せられて、ドーッと落ち込んだ。普通に生活したい人は、
見ない方がいい。地獄の炎に焼かれますよ!」みたいな感想だった。

でも、時々トンチンカンな紹介文を書いてる人もいて(おそらく、
ここ十数年ほどのイーストウッドしか見てないからだと思われる)、
意外と最盛期の彼を見てなくて、知らない人が多いんだなぁ~と。
それで、少しずつイーストウッドについて書きたくなってきた。

言うまでもなく、イーストウッド最盛期の主演作は半数近くが西部劇。
スクリーンで何十人、何百人もの人を殺してきた暴力アクション系の
大スターとして認識されてきた。彼の最後の西部劇『許されざる者』
(1991年、アカデミー監督賞・作品賞受賞作)は、そんなヒーロー像
に対する訣別とも取れる内容で、その頃から「出演せずに監督だけ」
という作品も増え、それまでの「男の美学」的なテイストに加えて
監督の立場から「人生」を俯瞰で描くようになってきた。だから、
「女に彼の魅力など、わかるワケない」と勝手に思い込んでいる
昔からのイーストウッドのファンは、いまだに彼のタフガイ像を
追い求め、主演している監督作こそ彼の王道だと信じてやまない。
本当はその程度じゃ言い足りないんだけど、彼の作品を見る上で、
この点だけは最低、共通認識として押さえておいてほしいと思う。

とりあえず、イーストウッドが主演しているかどうかは別として、
『ミリオンダラー・ベイビー』の構成は『ミスティック・リバー』と
よく似ている。最初に人物がサッと紹介され、中盤は女性ボクサーと
老トレーナーが二人三脚でチャンピオンを目指す話で物語を引っ張る
(『ミスティック・リバー』は推理劇として展開する)……そのへん
の細かい描写は、原作者が本物のカットマン(止血師)だったので、
リアルなことこの上ない。ところが両作とも最後になって、それまで
の展開から予想されるテーマとは全然違う話だってことがわかる。
この構成力は、もはや名人芸の域に達していると言えるだろう。

ただし『ミリオンダラー・ベイビー』は、語り口が前作とは全然違う。



F・X・トゥール, 東 理夫
テン・カウント
原作は『テン・カウント』というボクシング短編小説の一編で、これに
他の短編の話を挿入して一本の脚本にまとめたのがポール・ハギスだ。
『ミリオンダラー・ベイビー』として発売されている本は、彼が構成し
直した映画のノベライズで、原作をかなり肉付けしたもの。最も大きな
違いは、原作にモーガン・フリーマンの役は存在しないということだ。



F.X. トゥール, F.X. Toole, 東 理夫
ミリオンダラー・ベイビー
しかし、当初サンドラ・ブロックのところに脚本が持ち込まれた時は、
まだモーガン・フリーマンの役はなかったものと思われる。なぜなら、
サンドラ・ブロックが自分で監督もしたいと言い出して、ワーナーが
これに難色を示し、主役候補が二転三転した時点でイーストウッドの
参加は決まっておらず、主役はあくまで女性だったと思われるからだ。

つまり、モーガン・フリーマンの役を加えることによって、何が一番
変わってしまうかを考えた場合、彼はイーストウッドの人物像を語る
相棒役として登場するため、そこで初めてフォーカスされる主人公が
完全に老トレーナーになってしまう点だ。しかも、彼の存在は二人の
物語を俯瞰の視点で語るナレーションの役割も果たしているが、実は
そのナレーションが最後の最後にモーガン・フリーマンの手紙の内容
だったとわかる。手紙の相手は、老トレーナーの人生の後悔の根源に
ある、劇中には登場してこない娘だ。老トレーナーは、返事が一通も
来ないにも関わらず、いつも自分の娘に手紙を書いている。おそらく
何らかの理由で決別したのだろうが、それが彼の人生最大の後悔の念
となって、毎週欠かさず教会に通って神父に答えを求めている--
そんな状況で出会った女性ボクサーとの話をモーガン・フリーマンが
消息を絶った父親に代わって「君の父親は、こういう人だったんだよ」
と、彼の娘に宛てた手紙の内容--それがこの物語だったことになる。

原作の小説は、ボクシング業界に携わっていた著者がその裏側にある
真実をリアルに描いているだけだ。それはそれで興味深く面白いが、
それをモーガン・フリーマンの視点で語るという奥行きのある複雑な
構造の話に変えてしまったことで炙り出されるのは、女性ボクサーの
「尊厳死」の問題ではなく、老トレーナーの人生と娘への愛情だ。

つまり、イーストウッドの演出は原作の女性ボクサーとのリアルな
やり取りをすべて会えない娘への愛情の表現に昇華させてしまって
いるわけだ。イーストウッドが監督に決まった後、それを指示して
ポール・ハギスに書き直させたと思うのは、そのためだ。原作には
ない役で助演男優賞を獲らせてしまうぐらい、その変更は成功して
いる。ポール・ハギスが脚色賞の候補どまりで、イーストウッドが
監督賞を受賞したのは、そういうことなんじゃないだろうか。



ポニーキャニオン
ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション



ポニーキャニオン
ミリオンダラー・ベイビー
この映画が『ミスティック・リバー』よりも遙かに好きなのは、
そんな完璧なるイーストウッドのための美学に貫かれた作品に
なっているからだ。しかも、彼が泣くシーンなど今までトンと
見た記憶がない。暗闇に隠れて、その顔はよく見えなかったが
……もし、それがイーストウッドでなかったら、こんなに好き
にはならなかった。彼が演じているから、総合評価★★★★★
なのだ。これがファンとしての結論。だから、
他人がどう思おうと、彼には主演男優賞をあげて欲しかった。

次回作『父親たちの星条旗』に、彼は出てこない。監督のみだ。
それでも、ポール・ハギスが原作『硫黄島の星条旗』をどう料理
してるか楽しみ!……しかも、この“硫黄島プロジェクト”は、
日本側から第二次大戦の硫黄島決戦を描く第2弾も撮影中で、
今月クランクアップの予定。『硫黄島からの手紙』という
タイトルで今年12月に公開される。主演は、渡辺謙。
イーストウッドが自ら指名した。他にも二宮和也、伊原剛志、
加瀬亮、中村獅童、そして裕木奈江も出演するらしい。
イーストウッドにとっては前代未聞の意欲作となる。




ジェイムズ ブラッドリー, ロン パワーズ, James Bradley, Ron Powers, 島田 三蔵
硫黄島の星条旗
ショーン・ペン
『クラッシュ』での映画君のコメントを読んで、どうしても
『ミスティック・リバー』(2003年)について書きたくなった。
なぜかというと、イーストウッドのことが好きな井筒監督でさえ、
この映画のこと、ちゃんと理解されていなかったから…。
深夜テレビの「こちとら自腹じゃ」コーナーでは、
3点満点の採点で、★★(二つ)付けているにもかかわらず、
「こんなラストで、ええんか?」みたいなことを言ってた…(笑)。

そればかりか、この映画に対する紹介や感想を読んで、ほとんど
満足できる解説にお目にかかったことがない。「珍しい映画」だ。

なかには「理解不能、共感不能」なんて書いてる人もいた。
ある意味、素直でいいかもしれないけど…(笑)。

欧米での評論は、ちゃんと読んだことがないが、極めて評価が高い。
一方で観客の反応は、極端に賛否が分かれている。それでも、
クリント・イーストウッドが出演してない監督作においては
最大のヒット(全米興収9000万ドル)となった映画だ。まあ、もちろん、
これだけの役者を揃えてアカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)、
助演男優賞(ティム・ロビンス)を受賞し、作品賞・監督賞・脚色賞、
さらに助演女優賞(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の6部門でオスカー
候補となったのだから、当然といえば当然なのだが、前述のように、
多くの観客にきちんと理解されている映画とは決して言い難い。

なかには理解不足を棚に上げて「愚作」とか「娯楽映画」とか書いてる
人もいたし、ティム・ロビンス演じるデイブが可哀相すぎる、と嘆く人も
少なくなかった。確かに、少年時代の一件からしてデイブの人生は
「可哀相すぎる」と思うが、後味の悪さも含め、それが演出意図だ。
問題は、それが何を描いているかってこと……(そのことを満足に
書いてる人がほとんど見当たらない。あなたは理解してますよね?)

少年時代のトラウマの影響を描いた映画か?……正確には全然違う。
では、親友3人のその後の友情を描いた映画?……それも少し違う。
では、単なる犯人探しの娯楽ミステリー映画?……明らかに違う。
確かに、この映画は犯人探しの推理ドラマの形で物語を見せている。
それが映画のヒットには不可欠だったろう。しかし、テーマは別だ。
だって真犯人が誰だったかなど、忘れてしまっても問題ないぐらい、
『ミスティック・リバー』では、ちっとも重要じゃなかったでしょ?

(以下、ネタバレしてます。見てない人は注意してください!)

では、オープニングシーンから、順を追って見ていこう。
少年時代、親友3人のうち、デイブだけがゲイに連れ去られ性的虐待
を受ける。そのことは、お互いタブーの話として3人は大人になる。
実はここからして、イーストウッドの壮大なダマしが始まっている。
ただし、それは真犯人を勘違いさせる、という意味の演出じゃない。
「オープニングシーンは不要」などと書いてる人もいたが、まったく
この映画をわかってない証拠だ。

映画の前半のエピソードは、実はすべて観客の既成概念や思い込みを
助長させるための仕掛けでしかなく、その最も象徴的シークエンスが、
ショーン・ペンの一人娘が惨殺され、その夜のデイブの行動が不審な
ことから少年時代の忌まわしい記憶が観客に蘇ってくるという展開だ。

娘の惨殺現場のショーン・ペンの激しい悲しみの演出が尋常じゃない
……イーストウッドにしては珍しく、確か俯瞰のハイスピード撮影で
警官にモミクチャに制止されるショーン・ペンをご丁寧に映し出す。

これでもう、すっかり観客はダマされる。実際に娘がいる井筒監督も
そうだった(笑)。「すごい剣幕やね…」「昔のトラウマっていうのは
必ず人間性に影響するもんなんや…」と、映画を見ながら井筒監督は
得意気に解説していた……それは、まさにイーストウッドが意図した
演出の通り勘違いしていく人の反応に他ならない。つまり、実際それ
は見ている人の既成概念に過ぎないからだ。いわゆる、思い込みだ。

イーストウッドの演出は、そうした観客の思い込みの上に、さらに
「これでもか、これでもか」と勘違いを固定概念化させる、ダマシの
セリフやシーンを入念に散りばめていく。以下がその展開だ。
この事件を担当する刑事がもう一人の親友だったケビン・ベーコン。
相棒がローレンス・フィッシュバーン。相棒はデイブの過去を暴き、
彼が怪しいと睨む。デイブの妻(マーシャ・ゲイ・ハーデン)さえも
夫の過去の秘密を初めて知り、夫が信じられなくなる。そして、夫の
親友だったショーン・ペンに、デイブが事件の夜、血だらけで帰宅し
たことを告白する。ショーン・ペンは犯人がデイブだと確信し、報復
を決行する。少年時代の事件が「もしデイブじゃなくて自分だったら
立場が逆だったかも」と、彼がケビン・ベーコンと何度も話し込むの
も、観客の勘違いを固定概念化させるためのダメ押し的演出だ。残る
ストーリーで重要なのは、デイブが犯人ではない、という点だけだ。

結局、デイブはショーン・ペンに殺され、その後、真犯人が判明した
のに、ケビン・ベーコンはデイブの殺人事件とすることで=これ以上
親友を失いたくない、という私的な判断で、真実を闇に葬って終わる。

それで、井筒監督のように固定概念がすっかり出来上がっている人に
とっては、とんでもなく納得できない結末になってしまうわけだ。

しかし、頭の柔らかい純粋な心の人なら、そこで何が描かれていたか
気がつくことだろう。つまり、「あなたの思い込みは真実ではない」
って話なんだね。『クラッシュ』とテーマは同じ、と前回書いたのは、
そういう意味だったんだけど、描き方がまったく違う。こちらの方が
推理ミステリーの形で、はるかに辛い現実を突きつけるから暗くなる。

人間は自分の知ってる既成概念の中で、勝手に真実はこう、と決めつけ
ているケースが多い。ところが、その通りでない現実を突きつけられる
と、にわかに納得できず困惑する。井筒監督の反応がまさに、それだ。

だからイーストウッドの演出は、観客を勘違いさせないと成功したとは
言えないし、その意味では成功しているんだけど、あまりにその演出が
入念でしつこ過ぎた(笑)のか、ダマされて納得できないまま見終えて
しまった観客も多くいた(テーマがちゃんと伝わらなかった)。そうした
意味では『クラッシュ』ほど成功してないとも言える。微妙なんだな。
そのバランスを取るのが非常に難しかったと思う。別の見方をすれば、
映画自体より、それを見た観客のいろんな反応や感想の方が
ずっと面白い?…かもしれないね(笑)……総合評価★★★★

この映画は極めて原作に忠実だが、ラストだけがちょっと違う。原作は
ケビン・ベーコンの刑事がショーン・ペンに対してかなり非難するし、
ショーン・ペンの妻(ローラ・リニー)も真実を知って夫を殴る。が、
映画はそこを描かず、どこまでの人が真実を知ったのかどうかも
判然としない。それで、映画の方がより一層、「現実は闇に葬られ、
表面に出てこないこともある」「真実は皆が知っている現実とは違う」
という人間世界の悲しい不条理を強く打ち出し、極めて硬派なテーマを
扱った話になっている。まさに、『ミスティック・リバー』のタイトルそのもの。

この脚本を書いたのは、大好きな『ロック・ユー!』や『ペイバック』
の監督・脚本家のブライアン・ヘルゲランド。イーストウッドが主演、
監督した『ブラッド・ワーク』(2002年、総合評価★★★★)も彼の脚本。
今、一番好きな脚本家の一人だ。

それでも納得できない方のために、この話の続きはコチラから!!



ワーナー・ホーム・ビデオ
ブラッド・ワーク 特別版



ワーナー・ホーム・ビデオ
ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉



デニス ルヘイン, 加賀山 卓朗
ミスティック・リバー
プライドと偏見
映画を観おわって、パンフレットや宣伝文句を読んだ時、
「なんかストーリーや解説のニュアンスが観た印象と違うなあ~」
って思ったこと、結構ありませんか?

映画って、見た目のイメージが人によって違うから、
そこが原作の小説と映画の大きな違いにつながったりする。

例えば、原作の小説で「第一印象は最悪だった」と書いてあれば、
それ以外に解釈の余地はなく、誰もが「第一印象は最悪だった」
と、何の疑いもなくインプットされるけれど、映画の場合は大抵、
それは映像で表現されるため、(モノローグで「彼の第一印象は
最悪でした」などと規定される場合を除けば)観る人の素養や
印象によって解釈に幅ができる。

この場合、セリフは嘘つきなので、まったくアテにならない。
「彼って、最悪ね」と喋った若い女が、彼をじっと見つめている、
……そんな映像があったとしたら、おそらく半分以上の観客は、
「彼女は彼が気になっている」と解釈し、もっと言えば
「彼女は恋に落ちそうだ」と先読みしてしまうはず。

つまり、映画の観客は映像を信じて、セリフは信じない。
原作の小説は、そこに書いてあることを信じるしかない。

その大きな違いが、映画の印象や解釈を原作とは別のものにして
しまうんだけど、また、そこに監督(演出家)独自の解釈が入る
(ヘタな監督だと、そこに誤解を生じさせる)余地も生まれる。

実は『プライドと偏見』を観て、パンフレットに書いてある通り
「第一印象が最悪」だったとは見えなかった。さらに、宣伝文句
を読むと「愛してると認めるには、男のプライドは高すぎた。
愛してると応えるには、女の偏見が邪魔をする」と書いてある
が、そのコピーもまた観た印象のニュアンスとは全然違う。

男(ダーシー)は、かなり早い段階で愛してることを自認していた
し、シャイな性格で、それをうまく伝えることができなかっただけ
(そんなにプライドが高かったら、あんな簡単にはコクれない)で、
偏見もない。あるのは、自分の財産目当てに結婚しようとする相手
や、その家族に対する猜疑心だ。それは、妹がそんな男にダマされ、
傷つけられたのを目の当たりにしていたから、と説明されている。

原作がどうあれ、映画を観た印象をストーリーにすると、こうなる。

主人公の若い女は、金持ちのダーシーを最初から気にかけていたが、
金持ちのノーブルな態度に対する偏見から、あからさまにそういう
素振りを見せて財産目当てに結婚したがる女と見られるのは自分の
プライドが許さず、彼にコクられても姉と家族のプライドを傷つけ
られた経緯から本心は明かせなかった。しかし、次第に彼の誠実な
行動に触れて、自分の偏見に気づき、プライドを捨てて素直に彼を
愛している、と言えるようになり、めでたく結婚、ハッピーエンド
……そんな話に見えたんだけど、あなたの印象はどうでした?

つまり、『プライドと偏見』は主人公のものであり、それを捨てる
ことで幸せになった女の話、と監督が解釈したように思えてくる。

そうなると当初、『ファースト・インプレッション』(第一印象)
という仮題が付けられ、階級制度を越えて恋愛する自由な女性像を
描いたイギリス女流文学の最高峰と呼ばれる原作『自負と偏見』
(新潮社刊、ジェーン・オースティン著)とは、多少ニュアンスが
違う話になっているような気がしてならない。


J. オースティン, Jane Austen, 中野 好夫
自負と偏見
確かに200年も前の古典が原作だと、何度も映画化されていたり、
当然、そこには代表作と呼ばれるようなものがあったりして、
リメイク作品は「原作」より「旧作」との違いや影響を受けて
取り沙汰されるケースが多くなる。さらに、その後は、
より「原作」に忠実なものへの回帰があったり、
逆に、まったく新しい感覚の解釈が出てきたり……

これまでは、1940年代のモノクロ映画『高慢と偏見』(日本未公開)
のローレンス・オリヴィエ、グリア・ガースン主演バージョンが
代表作としてあった。より原作の詳細部分を再現した英国TV版
『高慢と偏見』(コリン・ファース主演)の人気も高い。



ビデオメーカー
高慢と偏見【字幕版】



アイ・ヴィー・シー
高慢と偏見



ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
ブリジット・ジョーンズの日記

さらに、原作のエスプリを現代に置き換えて2001年に大ヒットした
『ブリジット・ジョーンズの日記』(こちらもコリン・ファースが
ダーシー役で、レニー・ゼルウィガーとヒュー・グラント共演)を
経て、果たして最新作『プライドと偏見』は、どんな感じなの?
というのが最大の注目点だったが、結果オーライの出来だった。

主演は英国生まれの若手売れっ子スター、キーラ・ナイトレイ
その両親にドナルド・サザーランド、ブレンダ・ブレッシン、
長女に007シリーズ最近作でデビューしたロザムンド・パイク、
さらに007シリーズのM役で最近レギュラーのジュディ・デンチ。
注目のダーシー役は新顔で、映画主演2本目という舞台の若手実力派
マシュー・マクファディン。英国のいい役者が揃っている。

その一方、脚本は長編映画初挑戦となるデボラ・モガーで、
ジョー・ライト監督も、これが初の長編映画という未知数の存在。
しかも、この監督、「原作は読んだことがなかった」らしく、
単に渡された脚本を読んで感動し、映画化を決めたという。
結果オーライとは、そういう意味だ。だから、原作のディテールに
左右されず、英国ロケの美しい映像で綺麗にまとめることができた。
英米での評価は、驚くほど高い。ただ、その評価をそのまんま
日本人が受け取ると、「??」になりかねない。なにしろ、
米国のゴールデン・グローブ賞で『プライドと偏見』は、
「ドラマ部門」でなく、「ミュージカル、コメディ部門」で
各賞ノミネートされされているぐらい……(日本では高尚な
文芸ロマンス映画っていう感覚で受け取られているでしょ?)

要は、構えて見る必要のない現代感覚の時代ものコメディとして
楽しむべきなんだな。原作が書かれた当時の主題や主張とは異なる、
という前提で、古典の風情や映像を楽しんでしまえばいい。すると、
「アメリカ人は階級を超えた恋の話がホント好きなんだなぁ」とか、
「やっぱり美人と金持ちは、今も昔も得だなぁ」とか、
下世話な感覚で高尚なものを見た気分にさせてくれる。

そういう意味で、古典の映画化としては上出来だけど、
本格派指向の日本人には物足りない感じの映画になった
ということなんでしょう。総合評価★★★