2006-04-27 20:14:10

言葉の暴力には反対です。

テーマ:世界の事情

先日の記事 にコメントをありがとうございました。レスをさせていただくまえに、あたらしい記事をあげて大変に失礼いたします。




わたしは非常にものぐさな人間で、人の尻馬に乗って騒ぐのは好きですが、自分から何かをするということはあまりないです。


でも。


言論の自由を信じている人間として、やはり、言葉の暴力は許せないです。


また、ネットの特徴としての匿名性に乗じて、何をしてもいい、ということを許し、そこに一種の無法状態を作り出すことはやっぱり、許せないです。


また、礼儀正しく振舞う人の良心に付け込んで、暴言を吐き、思うままに言葉の暴力を振るう人は、やっぱり許せない。


そういう人には、何をいっても無駄かもしれない。


そういう人は、どんなにしても言葉の暴力を振るい続けるかもしれない。


言葉の暴力はどんなにしても、煙のように忍び込んできて、避ける事も、それから自分を守ることもできない。それは深い深い傷を残す。


言葉の暴力のまえに、わたしは無力だと思う。


でも。


だからこそ。


やっぱり、言葉の暴力はいけないと、反対だと、言いたいです。




そういうわけで、バナーを作ってみました・・・。


言葉の暴力反対バナー5  黒背景。

言葉の暴力反対バナー1  交通標識風・・・駐車禁止かよっ

言葉の暴力反対バナー4   みどり~。

言葉の暴力反対バナー3 あお・・・地球は青いわ。

言葉の暴力反対バナー2  オレンジ。



よろしかったら、お持ちください・・・。

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2006-04-26 15:52:20

わがままでしょうか?

テーマ:世界の事情

こうして、だれでもアクセスできるところで、文章や写真やイラストなどを公開しているということは、それに対して批判を受けたりすることも覚悟をしているということだと思う。それはちょっと、というのなら、パスワードをつけて知り合いだけに公開するということもできる。


どちらにするかはその人の選択だと思う。


とりあえず、わたしは公開をするほうを選んだ。その際に、嫌われることもあるだろうし、痛いことをいわれることもあるだろうし、間違いを指摘されて赤面することもあるだろうし、批判もされるだろう、と覚悟はした。


そして、わたしがこういう場所でいろんなことを書いたり表現したりすることで、不愉快な思いをする人もいるだろうと思う。何気ない一言や表現が、誰かにとって非常に不愉快だったり、トラウマをまともについたりすることもあるだろう。


それに関しては、そういう意図ではなかったのに、そういうことになってしまって本当に申し訳ないと思う。思うだけで何もできないけれど。そういう可能性があることを知っているので、なるべくそうならないように気をつけ続けることしかできない。


また、そういう可能性があったとしても、やはり、自分の意見を明確に言いたいこともある。自分のしたことを書きたいこともある。その場合は、批判を受けたりお叱りを受けたら、きちんとそれに答えるだけの覚悟をしておきたい。


特定の社会的に大きな影響力を持つ誰かを手厳しく批判することはあっても、ある個人を一方的に傷つけることや痛めつけるこを目的とした文章は書かない、と自分で自分を戒めていたい。


同じような気遣いをコメントを下さる方に要求するのは筋違いだろうか。



*******************

最近ね、ちょっと考えてて。いろんなことを見てしまったので。


それでね、読むのも自由だけど、読まないのも自由よね。自分にとって不愉快だから消えてなくなれ、発言するなっていうことは誰にもできないと思うんだよね。


それで、バナーを作ってみました(こちら )。

                     ↑リンク間違ってました。

                      修正しました。 

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2006-01-29 02:19:26

障害はかっこ悪いのか?

テーマ:世界の事情

青バラ先生のこちらの記事 を読んで、怒髪天をつく、という言葉の意味がよくわかった気がします。


詳しくは、青バラ先生の記事を読んでいただけると幸いです。


しかし、障害者がかっこ悪いって、いったいどういう事なんでしょうね。この、東インの社長様は謝罪したそうですけど。そんなの、言われたから、企業イメージのためにした謝罪であることが明々白々。


かっこ悪いのは、あなたです(写真みて 判断して見てください。わたしの判断は正しい)。ものを考えずに自分が偉いと思ってそれに胡坐をかき、自分の都合のいいごまかしをして、それがばれたら適当に謝ればいいという態度で、差別発言をし、それを指摘されたら、おたおたと謝罪文を書いてみたりする、そういう底の浅さと想像力のなさが、かっこ悪いです。しかも、その謝罪。


動揺していたから、不適当な発言があった?


動揺しているときって、人間って意外と本性が出ますよね。想像力というものが働かなくなりますからね。そして、あなたの発言は、不適当、というような評価は当てはまらないと思います。


失礼、とか、品性を欠く、とか、人格を疑う、とか、そういう評価じゃないですか。


お詫びを言うと言ってるけど、口先だけのお詫びなんて、誰も欲していないと思います。行動で示してください。つまり、


辞めてください。



*************************************

ちなみにー。


不注意な読み手であるわたしは、これ、東急インだと思ってしまいました。違うんだー。


東横インです。


わたしと同じまちがいをする人がたくさんいると見えて、東急インのHPには、


東急インおよび東急グループは、「東横イン」とは一切関連がございません。


と注意が出ていました。


みんな、間違えないでね♪


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2005-12-11 00:27:44

Homo Sacer

テーマ:世界の事情

ローマ法にHomo Sacerというものがあらわれる。これがいったいなんなのかはよく分からなくなっているのだそうだ。

意味は、「聖なる人」。

でも、この意味はネガティブな意味だ。なぜなら彼らは殺人罪などを犯したため、人間としての権利を剥奪されている、らしい、から・・・。

この聖なる人は、神へのいけにえにはなれない。


その理由はよく分からないんだけど・・・。


多分・・・すでに神様のものだから、神様にいけにえとしてささげられない、ということなんだろうな・・・と思っている。ゆえに、聖なる人と呼ばれるのでは・・・と、勝手に考えている。


さらに、神のものであるのがから、ここの人ではありえない。よその人。外に属する人。


そして、誰でも、この聖なる人を殺してもいいのだ。罪を構成することは無い。


聖なる人はそういう意味において、その社会の守られたメンバーではない。その社会のメンバーでありつつも、疎外され、人間とは認めてもらえない。その社会のシステムによって、聖なる人と定義されているけれど、社会はメンバーとして守ってくれない。

いや、人間ですらないのだ。


聖なる人を見ることで、その社会の正式メンバーは、自分が正式な守られた安全なメンバーであることを確認できる。そうして、安心して自分の住んでいる社会のシステムを是認する。それが、たとえゆがんだものであっても。


そういう意味において、社会はこの聖なる人を必要としている。自分たちの社会を認識し、安全を確認するために。そのために、殺してもいい人がいることを必要としている。殺す相手を必要としている。


あいつは、ひどい奴だからさ。殺していいんだよ。俺たちの仲間じゃないんだよ。俺たちとは違うんだよ。


違う。それではだめだ。

自分たちの中にも、殺人者がいる。


それは、わたしかもしれないのだ。


わたしは、Homo Sacerになりたい。


あなたがわたしを殺すために振り上げる刀を恐れずに見返そう。わたしを殺すあなたも、また、殺人者なのだと。それがこの社会の本当の姿なのだと。



***********************


あのね、ものすごく難しい哲学の本があるんです。凹むとこういう本を読んで現実逃避。ぜーんぜん分からないんだけど、そこででてきたHomo Sacer(ホモ・セイカ)という概念に惹かれています。


内側に作り出す外側。
自分たちの罪をごまかし、自分たちが正しいと思わせてくれる存在。


犯罪を犯した人を


片親

外人

不登校児

同性愛者

少しあの人は頭がおかしい


などの言葉で形容して、自分たちの仲間の一員ではない、とすることで、自分たちの安心感を作り出すこと。自分たちを守るために比ゆ的に・本当に殺してもいい人を作る。


たとえば、広島で女の子を殺した犯人が捕まったと報道するとき、「殺人容疑者、逮捕」という見出しではなく、「ペルー人を殺害容疑で逮捕」と書くようなものだ。


こんなひどい犯罪をするのは外人ですよ、日本人じゃないよ。

↑しかし、外人って嫌な言葉です。


そういっているのだ。でもね、それは嘘だよね。子供をさらって首をちょん切った1990年代のはじめに起きた事件の犯人は日本人だったし、酒鬼薔薇事件も日本人だったよね。


そうすると、その事件の犯人たちを、「いや、あの人たちは、どこそこがおかしい」といいたがるんだけど。でも、そんなことはないと思う。

それでも、とにかく、こういうことは自分たちはしない、と思わせてくれる。


ここで、いってしまえば、自分たち、という定義自体、どうなのよ、と思う(この議論は長くなるので、・・・わたしの基本的立場は網野善彦の「日本論の視座」と同じです、と言っておこう)。


こういう、社会的「殺人」もあるけど。実際にわたしは具体的殺人も犯している。


わたしだって、毎日人を殺している。それが、ただ、長い長いリモートコントロールの手の先で行われていて、この手が血に染まっていないだけで。


第三世界で飢饉で死んでいっている人たちも、こうして豊かな生活をしているわたしにとってのHomo Sacerだ。彼らが死ぬことで、わたしの生活が安定する。彼らが死んでもいい、彼らの生活を良くするために自分が貧しい想いをするのは、今よりも水準の低い生活をするのは嫌だ、という自分の欲求のために、彼らの死を見て見ぬふりをする。


誰かを搾取することで、わたしが豊かな生活を送れる。ナイキの工場の劣悪な環境で働く第三世界の人たち。インドのカーペット工場の子供の奴隷・・・。


そして、未来においてもわたしは殺人を犯す。今、ほんのちょっとの節約をしないために、もしかしたら起こるかもしれない気象異常、地球の温暖化、オゾン層の消失。それによって、死ぬかもしれない未来の子供たち。彼らも、わたしにとってのHomo Sacerだ。


わたしはこれらの殺人の罪のために裁かれることは無い。

***********************************


「血に染まったわたしの手」の続きを書こうとして、いろいろと調べました。


それで、具体的に書こうか、どうしようか、迷っていたときにこのHomo Sacerという概念に突き当たりました。


それで、一年目でいきなりですが、


わたしにはあの記事の続きは書けない。


というのが結論です(スミマセン)。知識が足りない、こういう概念をきちんと理解するだけの基盤がない、ましてや説明するなど・・・プルプルプルプル。

↑で、えらそうに、説明してますが、ごめんなさい、はっきり言います。


Homo Sacerはもっともっと複雑な概念です。

これはあくまでも単純化して、自分に納得がいくように再構築した議論です。


ただ、自分の手が、どう転んでも血に染まっている、と忘れないでいたい・・・だから、なにができるわけじゃないけど。何がどうなるわけでも、人が死なないわけでもないけど。だから、なんでこんなことをぐだぐだいってんだよ、バカか、お前は、といわれても、


はい。そのとおりです。


としか言いようがないんだけど。



それと同時に、聖書で姦通罪を犯した女性を指し、


「汝らの中で罪なき者あれば、この女を石もて打て」


といったキリストの言葉も思い出します。


誰か、わたしに石を投げてくれ。



************************************

Giorgio Agamben
Homo Sacer: Sovereign Power and Bare Life (Meridian (Stanford, Calif.).)
ネタ本です。むずかしー、わからんー。せんせー、ゆるしてー。だれか、せつめいしてー。

網野 善彦
日本論の視座―列島の社会と国家

これは、日本という概念のいい加減さと、その言葉に与えられたイメージがいかに歴史的・政治的に作られたかがすごくわかりやすく説明されています。いつも、風呂場においておいて、半身浴をしながら読んでます。

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2005-11-18 20:27:17

血に染まったわたしの手1

テーマ:世界の事情

こちらの記事 にコメントをありがとうございました。コメントをいただいてわたしもいろいろと考えました。いただいたコメントにそれぞれお返事をしようと思ったのですが、そうするとものすごく長くなることに気がついたので、お返事のかわりにこの記事を上げさせていただきます。


それで、分からないことがあったので、その辺が専門のHに聞いたら、非常に詳しく説明をされてしまった・・・。あっさりの説明でよかったんですけど・・・。おかげで、せっかくの気持ちのいい午後が・・・。


まあ、いいや。気を取り直して行こう。


***************************


「戦争」について


国際連合の憲章では、武力は国際紛争を解決する手段としてはこれを用いることを禁ずる、という条文があります。これ、憲法第9条にそっくりだと思いませんか? 9条はこの国連憲章からきているんです。


ということは、第9条があろうとなかろうと、日本は国連加盟国ですから戦争をすることは許されていないわけです。そして、これはすべての国連加盟国に同じように適用される決まりです。


こういった背景もあって、わたしは第9条に関しては廃止されてもいいんじゃないかと思っています。国民がきちんと政治家を見張っていれば、民主主義の国なのですから、またしても軍事政権になることはないはずです。不法な武力行使も起きないはずです。また、残念ですが、軍事行動をしていないからといって、日本が国家として一人の人間も殺していない、とは言えないのでは・・・とも考えています(この点は次回で)。


現段階では国連に加盟していない国は、北朝鮮*と台湾(が国かどうかについてはちょっとややこしい議論があるのですが、まあ、一応)くらいでしょうか? ですから、実質的には戦争は国と国との紛争解決手段としては存在していないことになります。


しかし、現実としては武力行使が行われています。


これは、大きく分けて次の3つの場合に可能です。


*大変に申し訳ありません。北朝鮮は国連加盟国です。ご指摘を下さった方にお礼を申し上げます。


1) 自衛権の行使。個別的自衛権と、条約によって集団自衛権を持つ場合がある。


個別自衛権とは各国が持っている自衛権のことで、自国が違法な武力行使の対象となったときに使えるものです。集団的自衛権とは条約によって、Aという国が攻撃を受けた際にBという国が一緒に戦うという約束をしている際に生じる権利です。


個別的自衛権は、個人の持っている正当防衛権に相当するものです。個人の場合、正当防衛であったかどうかは裁判所などで判断されますが、国家の場合には裁判所に相当する国際的機関がありません。そのため、個別的自衛権を主張して武力行使を行うと、何でもOKという状態になってしまいます。


冷戦の時には、片一方の陣営が個別的自衛権を主張した行動をすれば、もう片一方も同じように個別的自衛権を主張して武力行使を行う可能性が非常に高かったです。そのため、この個別的自衛権が武力行使の理由となった例は今までほとんどありませんでした。


集団的自衛権は、第一次世界大戦の時に日本が日英条約により、シベリア出兵をした、というのがその一例です。これから見ても分かるように、集団的自衛権は条約にのっとって全く関係ない国が変なところで武力行使をして利権をあさる可能性があります。そのため、やはり、ほとんど使われたことがありません。


追記: 書くと長くなっちゃうので、書きませんでしたが、国際司法裁判所もあるし、International War Tribunal(日本語?? なんていうんだろう・・・知らないんです・・・国際戦争裁判所?)。でも、拘束力が無い・・・。ヨーロッパ・ユニオンレベルでは拘束力のある司法機関が国家の司法機関の上位に位置していたりしますが・・・ヨーロッパ内だけだし。・・・国際社会ってついつい国内社会と比較して理解しようとしてしまうんだけど、違う部分も多いんですよね・・・。特に法制度において。


2) 国連安全保障理事会が武力による介入を要請した場合。


これは、1991年の第一次イラク戦争が最近の例かと思います。イラクの不法な武力行使に対して安全保障理事会が国連加盟国に軍を出動させるように要請したのです。


不法な武力行使が一国から他国に行われた際に、それを制裁するために行われる武力行使です。国連軍がそれにあたるようになると一番理想的な形かと思います。


しかし、国連は軍を持ちませんから、加盟国の中から軍を出せる国(というと、アメリカが中心になるわけですが)が任意で参加する形になります。


また、安全保障理事会の拒否権の発動などの問題もあり、必ずしも、不法行為を制裁するため・・・と言い切れない政治的部分が出てくることは否めません。


さらに、このシステムには非常に大きな穴があるのです。


安全保障理事会ですべての議題を議論している時間は、当たり前ですが、ありません。よって、その下部組織であるところの地域的合意というところで、地域別に安全保障問題についての議論が行われます。そして、その地域的合意によって、武力行使が必要である、と判断された場合、武力行使をしてもいい・・・という少々強引な議論をする国が少なからず、あります。アメリカなんですけど。


アメリカがキューバに介入したとき、武力行使の合法性はこの地域的合意に求められたそうです。


それは、おかしいやないか!


というわけで、では、安全保障理事会で話しましょう、ということになります。


すると、アメリカは拒否権を持っているわけですから、キューバに対するアメリカの武力行使は不法であるという議題は可決されません。


というわけで、アメリカの行為は不法行為ではない、という政治的詭弁が成り立つわけですね。


こういう意味においても安全保障理事会の常任理事国の制度は問題があるのです・・・。


3) 国連総会で武力行使を是認する場合


安全保障理事会で武力行使をしてもよいと可決されなかった場合、さらに総会でそれを認めてもらう、という道が残されています。総会は単なる多数決で拒否権をもつ国はありませんから、安全保障理事会で否決されたものでも通る可能性があります。


しかし、安全保障理事会と違い、総会は武力行使を加盟国に要請することができませんから、してもいいですよ、という許可を与えることしかできません。ですから、アメリカやフランス、イギリスなどの軍事力をもつ国が、いいですよ、いってあげましょ、といわない限り武力行使が実現することはありません。


ということは、やはり、軍事大国、と呼ばれる国の都合で武力行使ができたりできなかったりする・・・わけです。




ちなみに、国連平和維持軍は、軍は軍でも打たれたら打ち返すことしかできませんし、武力行使をすることも禁じられています。治安維持活動が中心です。ですから、平和維持軍の出動は武力行使とはみなされません。


しかし、こういう問題の難しさというのは、法律の定義などは非常にあやふやだ・・・という点に尽きるような気がします。まあ、定義をする、ということ事態に問題があるわけなので・・・それに、法律や概念は解釈して何ぼ・・・という部分も大きいし・・・。そして、その解釈の仕方が常に大国と呼ばれる国に有利なように利用されてきたことも否めませんよね・・・。それを日本は止めてこなかったし・・・。ここではアメリカを例にとって説明したりしていますが・・・。

・・・もう少し、国際法について勉強をして戦争法の存在意義について勉強したり、日本が軍を持たずとも国家として殺人をしてきたことについて、続きを書きたいと思っています。


結論としては、わたしは戦争に参加もしていないし、むしろ武力行使には反対しているものの、わたしの手は血に染まっている・・・ということが言いたいのですが。こんな記事を書いているひとつの理由は、その血に染まった手を何とかしたい・・・からなのです。こんな記事程度で何とかなるわけではないけれど。少しだけ、罪の意識をごまかしたい・・・。


追記:

ご指摘をいただいたので、間違いを直すついでに、国連加盟国のリストを確認してみました(人の知識に頼ってはいけない、自分で確認しろよ・・・と学習した・笑・・・楽なんだけどね、人から聞くだけだとさ・・・自分で調べるのめんどくさい・・・とか、わがままを言ってみる・爆)。


そうすると、きいたことの無い国がたくさんあるんですよ。世界は広い・・・とか、わけもなく感動するわたしでした。知らないことがあるってすばらしい・・・(爆)。




*********************************************


この記事を書いている最中に日本の教育に憂いを感じておられる方から匿名でコメントをいただきました。

ほかにコメントをいただいた方たちに個別にレスをしないで申し訳ありませんが、この方にだけ、ここで、レスをさせていただきたいと思います。非常に長く丁寧なコメントを二つもいただいたので、喜びのあまり、特別に本文中でレスです。

ほかにコメントをいただいた方たちはわたしもその方たちのブログへよくお邪魔し、ある程度存じ上げているので、少し、甘えております。申し訳ありません。



********匿名の日本の教育を憂いておられるあなた様********

いただいたコメントへのリンクはこちらです。


わたしも日本の教育には非常に不安を感じているひとりです。そして、自分の論理性の弱さや、知識不足などをいつも非常に心もとなく思っています。


その部分をついつい忘れてしまいそうになっているときに、ご丁寧にその部分をご指摘いただき大変にありがたく思っています。


完璧な知識と論理性をお持ちのあなたにとっては世界はばかげていて、わたしのようなオバカさんがいろいろ考えながら的外れなことを言うのを見るのは非常に腹の立つことだろうと思われます。しかしながら、わたしは取るに足りない一個人ですが、それでも発言をしないわけにはいきません。たとえそれが、ばかげたことであり、間違っていたとしても。


なぜなら、こうして発言をすることで、あなたのようなより多くの知識をお持ちの方から学ぶこともできるし、違う考えをお持ちの方と議論をすることもできるからです。今回、勉強をさせていただいて、本当にありがたく思っています。忘れかけていた向上心を再発見したような気持ちです。しかし、あまりにもご立派なご意見ですので、わたしのようなものではあなたの議論の相手にはならないと恥じ入っております。よって、今回はご指摘・お教えのみ、ありがたくいただいておきたいと思っております。


論理性・客観性・公平性を失くさないようにこれからも勤めて行きたいと思っています。あなたも、是非、これからもご自分のお言葉に忠実に、論理性・客観性・公平性をお大事になさってくださいませ。

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2005-11-16 20:42:26

アメリカ軍の白燐使用についての考察

テーマ:世界の事情

今朝のBBCのニュースを聞いて信じられない思い。


アメリカ軍が白燐(White phospherous)を去年のFalluja攻撃の際に使っていたことを認めたというのです。(http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4440664.stm )


去年、Fallja攻撃の後、白燐を使ったのではないか、という疑いがもたれたときは、アメリカ政府はこれを全面否定していました。


白燐は皮膚につくと反応を起こし、その部分をやけだたれさせる化学物質です。


もう少し詳しく正確に書くと、白燐は非常に発火しやすいので、夜間攻撃などの際に照明弾として使われたり、昼間の作戦では煙幕の役割を果たしたりするものとしてよく使われます。でも、人体にとっては有害で、皮膚につくと瞬時にその部分にひどいやけどを起こす化学物質でもあります。


ただ、化学兵器、というと、その化学物質の毒性により有効な兵器、と定義されるのです。白燐の場合、毒性ではなく発火性によって人体に損害を及ぼすわけなので・・・。


だから、確かに、化学兵器と通常兵器の中間にあって、ちょっとどっちとも言いがたい・・・という微妙な部分がある。


そこの部分を利用して、アメリカ軍のVenable大佐は


白燐は確かにFalluja攻撃において使われたが、それは、通常兵器であり、化学兵器ではない。


と、主張しています。


Venable大佐はさらに


白燐は、戦場において、Incendiary weapon(日本語訳が分かりません・・・隠れている敵なんかを追い出してくるために使ったりするものです・・・催涙弾とか、あの系統)として敵に対して使われることがある。


と主張しています。


確かにアメリカ政府は白燐の使用を禁止する国際条約に加盟はしていません。だから、アメリカ軍が使うのは違法行為ではない、というわけ。


ついでに言うと、地雷の使用禁止の国際条約にも加盟していないし、二酸化炭素などの温暖化ガスの排気の規制をする京都議定書にも調印していません。


でも、白燐はやはり、Incendiary Weaponなのだから、民間人に対して使ってはいけないはず。


Convention on Certain Conventional Weapons (ある種の通常兵器に関する条約)のプロトコール3で、incendiary weaponsを民間人に対して使うことは禁じられています。


しかし。


アメリカはこのプロトコール3に批准していません。


だから、白燐の使用は「不法行為ではない」とアメリカ軍は主張するのです。


白燐は酸素がある限り燃え続けるため、人体に付着した際に非常に深い火傷・・・場合によっては骨にまで達する火傷を負わせます。そのため、白りんの使用は民間人がそのターゲットエリアにいない場合においてのみ、戦場における使用が許されている・・・というのが、国際法の基本的解釈だそうです。


Fallujaには民間人がまだいる段階で攻撃が行われました。


また、やはり、その効果のあまりにもひどいことから、法的には化学兵器と分類されてはいないものの、このFalluja攻撃の際に使用されたようなやり方で民間人にも影響を及ぼした場合には、化学兵器として使用された、と言ってもいいのではないか、という意見もあります。


法的には言い逃れができるようですが。


さて、白燐を使用することが、果たして正義にかなっているものか、どうか。


・・・といっても、まあ、今回のイラク戦争ははじめっから国際法を無視して、不法に始まった戦争だし、その基本的目的もぜんぜん正義にかなってないし、しかも、アメリカやイギリスの国内で戦争に行くことを決める段階でも嘘だのなんだの山のようにありましたしね・・・。


いまさら、正義が戦場において行われていることを期待するのは、ばかげたことかもしれませんよね・・・と皮肉を言ってみたりして。

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2005-11-09 20:14:24

衛星写真

テーマ:世界の事情

少し前に、complexologistさんがGoogleの地図のサービスを紹介されていました(こちらの記事 )。


最近、もう一つ、Googleの同じようなサービスを見つけました。


Google Earth


これ、英語バージョンしかないのかな?


プログラムをダウンロードする必要があります。それから、ネットに接続していないと使えません。


宇宙空間から始まって、ぐーっとズームしていくのもおもしろいし、別の町に移るときに地球の上をまわって飛ぶようになるのも臨場感があっておもしろいです。


目的地に着いて、そこをズームするにはダブルクリックをするのですが、ズームインする前に、ちょっとだけズームアウトするあたり、これからダイブしますよって感じでおもしろい。それで、すうっと目的地に舞い降りていく感じも、不思議な浮遊感があっておもしろいです。


是非お試しあれ。


観光ガイドも充実していて、グランドキャニオンのバーチャルツアーなんかもあります。


ただ、有名なところだと、ごちゃごちゃとインフォメーションなんかがうるさいんだけど・・・。まあ、その辺はご愛嬌で。


horseshoe falls, USA


のキーワードで検索すると、ナイアガラの滝が見れます。なぜか、Niagara fallsでは出てこないんです。


それで、結構な高度から、ぐーっとズームインしていくと、おちるーおちるーっていう感じの臨場感があります。


友達の家を見つけて、そこをダブルクリックするとふわーっと友達の家に下りて行きます。空から訪ねていっているようでなかなか楽しいです。


でも、やりすぎると、乗り物酔いを起こします(笑)。ナイアガラの滝でやりすぎて、ちょっと今眩暈が・・・(笑)。


それで、Nazcaを探したんですが、残念ながら精度の高い写真はありませんでした。


それから、わたしの住んでいる町も、精度の高い写真はありませんでした。


でも、北朝鮮なんかだとかなり詳しく見れるんです。


バーチャル観光とか、バーチャル訪問とか、衛星写真で楽しんでいたけど・・・。


やっぱり、軍事目的のためのものなんだな・・・と思いました。



追記(11月10日)

Google Earthは英語のプログラムですが、日本語のWindowsXPでも問題なく走りました。英語のWindowsXPでも、もちろん問題なく走りました(両方とも自分のPCで確認済み)。

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2005-09-27 11:41:00

ニューオリンズがなかなかうまく復興できないわけ。

テーマ:世界の事情

ニューオリンズはジャズの発祥の地として有名だけど、海抜がマイナスで洪水がおきやすいことでも有名。そして、その後者のため、先回の台風では壊滅的な打撃を受けました。


亡くなられた方、被害者の方、ならびにその親族や友人の皆様に遅ればせながら心からのお見舞いを申し上げます。


しかし、被害の後始末がなかなかかみ合わずに、避難勧告が解除されたかと思うと、ほかの行政部門からは解除されていないと言われ、避難地へ逆戻りとか起きています。とにかく、行政の不手際が目立ちます。しかも、各行政部門が連絡がきちんと取れていない様子。


こういう時にこそ、大統領の真価が発揮される、はずですが。


ブッシュ君は何をしているのでしょう。


もちろん、陣頭指揮を執るべく・・・
































































bush


えー、一応、電話をしているつもり。





***************************************:

この写真、Why they never got the orders in New Orleans (ニューオリンズに指令がきちんと行かないわけ)と題したもので、だんながどっかからか見つけてきて、離れている妻にメールで送ってきました。


・・・いや、いいんですよ、べつに、愛情の示し方は人それぞれ(笑)。


しかし、この写真、よく見ると、後ろにトニー・ブレアーの顔写真が飾ってあります。このあたり、アフガニスタン戦争から第二次湾岸戦争にいたる国際政治の背景を踏まえてみると、なかなかわたしのツボにはまった写真でした。

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2005-09-09 04:02:42

いかなる形であってもテロは許せない

テーマ:世界の事情

まず、誤解のないように初めに断っておきたいのですが、この記事は動物実験の是非についてではありません。動物実験をめぐる様々な論争は非常に複雑で、いろいろな視点が考慮されなければいけないし、そう簡単にいいとか悪いとかいえる問題ではないと考えています。


今日のこの記事は、正義という名のもとで行われるテロに対する批判です。


ハンティントンという会社があります。イギリス資本の会社で、動物実験がそのおもな業務です。この会社は過去何年間も「動物の権利を保護する」と主張するグループからの様々な活動の対象とされてきています。


職員へ対する「圧力」は、駐車している自家用車の破壊、自宅への無言電話、投石、家族のメンバーを誘拐するとの脅し、など、があります。


会社に対しても、ビルの外にバリケードを張り、出入りする人たちに向けて罵詈雑言を浴びせかける、脅しをする、敷地内に侵入しその施設を壊そうとする、などの「活動」が行われています。


そのハンティントンの株が、9月8日付でニューヨーク株式市場において上場されることになっていたのですが、直前になっていきなり、上場が中止されました。「動物の権利を保護する」団体からの圧力と脅迫がその理由のようです。(こちらの記事を参考にどうぞ )


実際、ハンティントンの株主に対しては、過去に何度か爆発物によるアタックなどが行われたことがあります。また、ロンドンの株式市場においては2001年にハンティントンの株は上場されなくなっています。やはり、様々な「抗議行動」の結果です。


ハンティントンの株が上場されてもされなくても、わたしはどうでもいいです。


しかし、株が上場されなかった背景にあることが、こういった「動物の権利を保護する」団体の「活動」や「圧力」にあることが問題だと思うのです。


いわゆる民主主義の原則にのっとった言論による活動や圧力であればかまわない。でも、実際に行われていることはテロ活動と言えるのではないかと思います。


テロとは、政治的目的のため、言論ではなく暴力を使うこと。


自分たちの目的が正しいと信じるあまり、自分たちのとっている手段が非合法なものであっても、それを正当化する。テロリスト達は、自分たちを正義の戦士と呼んでみたりもする。


でも、暴力はあくまでも暴力で、政治目的のために利用されるのであれば、そこで行われている行為はテロリズムでしかないです。


その暴力を用いる主体が国家であっても、ある団体であっても、政治目的のために使われる暴力はテロリズムであると考えます。


どんな形であっても、テロリズムは許せません。アメリカとイギリスのイラク戦争に反対するのと同じ理由で、こういった「動物の権利を保護する」団体のある種の活動にもわたしは賛同できません。




*********************


しかし、ちょっと問題があるんですよね。


じゃあ、わたしはいかなる場合においても暴力を用いないのか、完全なpacifist(平和主義者、絶対に暴力を使わない)なのか、と聞かれると・・・。


多分、暴力でもって圧制をしてくるものに対して、自分の信念を守るためにであれば自由フランスのパルティザンのように戦うのではないか、と思います。


そのときのわたしの行為は、では、テロではないのか・・・。一応、暴力に対抗するための暴力だから・・・と、言い逃れることもできると思うんだけど。まあ、なるべく、ビラを張るとか、歌う、とか、塩を作る、とか、無抵抗の抵抗を心がけたいと思うんですけどね。


とりあえず、今のところ、そういう状況下におかれていない幸せを噛み締めながら、安全な場所からテロを批判してみたりしているわけです。ちょっとずるいです。



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2005-09-01 03:44:53

生態系を保護する・管理する・再構築する/人間の傲慢さと義務

テーマ:世界の事情

ついに、ブロードバンド導入。家中をワイヤレス接続した。


で、ネットでラジオなど聞いたりするようになった。これは、いい。ことにBBCのRadio4が聞けるのがうれしい。


それで、ニュースを聞いていたら、


「Great busterds」


という言葉が聞こえてきた。なになに、偉大なる乱暴もの? わたしのことかい?


Busterdって言うのは、このやろう、とか、怒鳴りつけるときに使うんだけど。わたしの場合、親しみを込めて、You, busterd!って言われることも多い(笑)。


その乱暴ものを自然に帰したとか、去年自然に帰したのはほとんど死んじゃったとか、言っている。


都会の乱暴もの達が裸になって、自然の中を自由に走ってゆく。それを涙ながらに見送る自然保護団体の人たち。やっぱり、ヌーディズムって言うのは、究極の平和運動なんだわ。とってもユートピアな風景の妄想が・・・。


そんなはずはない。


分からないので、BBCのサイトで調べると。


あ、bustardsね。雁の一種。すみません、いまいち、こういう微妙な発音の違いが聞き取れないんです。


このbustards、イングランドのノーフォークにいたけれど絶滅してしまったので、もう一度、自然繁殖計画を立てている、というのがこのニュース


最近、こういう絶滅してしまった動物をもう一度生態系の中に戻そうとする試みがあちらこちらで行われている。多様性を持った生態系を復活させるためだ。生態系が単純化されると、害虫の急増や、ある植物の異常繁殖などが起きてしまう。自然の中にそういったものを繁殖させないようにストップする機構がかけてしまうからだ。


例えば、池にある程度の魚がいれば、藻を食べるので、池は魚と藻のバランスが取れる。でも、もし、魚がいなくなると、藻が大量発生し、結局は池は駄目になる。逆でも同じ。(これはちょっと単純化しすぎた説明だけど)。


だから、こういった再繁殖計画というのはとても大事だと思うし、数が減ってしまった動物を保護することも大事だと思う。


でも、このニュースと前後して、アルプスの熊 も話題に上った。


イタリア側のアルプスで熊の再繁殖計画が着手された。それで、ある程度増えたのはいいんだけど、くまはもちろん国境なんて知らない。彼らのパラダイムには縄張りはあるけれど、人間が勝手に決めた国境は彼らのパラダイムにはない。だから、スイス側に入ってしまった。


入ってしまった、というもの、人間的パラダイムからの発言で、熊的に言えば、縄張りを求めていいところを探しただけ。スイスは実に理想的。たくさんの畑があって、果物が食べ放題(熊は雑食は雑食だけど基本的には菜食主義者です)。時にはおいしい子羊なんかも食べられる。自然は充分に保護されてるし。


ところが、人間の立場からするとこれはちょっと困る。危険だし、農家の人にとっては結構死活問題だったりする。


このときに、農家の人は、環境保護、多様な生態系の確保、という「正しい」スローガンのもとに黙るべきなんだろうか。


多分、それは違うと思う。


わたしたち人間はものすごい勢いで繁殖した。そして、生態系に重大な変化をもたらした。でも、それを何とか修復する技術も同時に得た。そうして、人間によって修復された生態系は最早、もともと自律性を持って存在していた生態系ではない。人間によって管理された生態系だと思う。


だから、人間がその多様性を失わないように管理するしかないんだと思う。それが、増えすぎてしまった熊の間引きという形を取るのかもしれないけれど。


例えば、アフリカでは象の保護が進んでいる。象はサバンナに生える木を倒して、サバンナの森林化を防ぐ、という重大な生態系の中における役割を持っている。でも、増えすぎた象は、新しい土地を求めて森林をどんどん押し倒し始めた。象には人間以外の天敵はいない。だから、保護されると際限もなく増えてしまう。そして、かえって、生態系のバランスを損なう結果となりかねない。


人間は自然に介入して、自然の形を変えてしまった。でも、同時に管理する能力も持っている。植林、再繁殖計画、保護区の設定、漁獲量の割り当て、自然保護、動物保護・・・。


そういう風に他の生命を管理をすることを傲慢だと非難されるのはしょうがないけれど。そして、確かに人間は傲慢だと思うけれど。


でも、もうわたしたちは自然には戻れない。人間は傲慢にも他の生命を管理している。その事実を受け入れるしかないんだと、この二つのニュースを聞きながら考えたのでした。そして、それは、必ずしもネガティブな意味だけを持っているだけではないと思う。



*************************
ヌーディズムと平和運動の関係はそのうち。これ、結構重要な話なんです。多分、「せきらら性教育」のほうで。最近このことについて息子と話したので。


久しぶりにまじめな話題。この環境保護と人間の権利の相克は難しいと思うんです。自分なりに考えてみて。でも、なんか言いたりない感じがするけど。こういう問題って、やっぱり絶対的に正しい何かがあるわけじゃないと思うんです。そのときそのときに応じて、多様性を持って、最善の方法を模索し続けるしかないんじゃないか、と。


そのときに、その方法の是非についての議論が感情的なものにならないようにするしかないと思うんです。社会的な意義と、環境的な意義、研究の意義はそれぞれ違うだろうし。それをお互いに理解して、話し合ってゆく。やっぱりそこに落ち着くのかな。


過激な動物保護団体のするようなテロ活動は、やはり、何の解決にもならないような気がします。


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