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まずは、お金、貨幣、通貨などと呼ばれるものが存在しない状態で物事を考えましょう。

今月、熊本を中心とする九州地方において、壮絶な規模の地震が発生しました。あの阪神淡路大震災と同規模とのことです。現地では多くの方々が亡くなり、西日本新聞などによると19日の時点で19万人超という人々が避難生活を送っておられます。
食糧不足、水不足、日用品不足は続き、風呂に入れない、一部の人は車中で寝泊まり、などという話も聞こえてきます。


さて。


衰えたりとはいえ、日本にはまだ何とか土木建築に関する機材が存在します。人材もあります。もちろん人手不足は承知していますが、サービス業ほどではなくなったとも聞きますし、そもそも他の業務から震災復旧に力点を移すことは全く自然なことではないかと思われます。
でも、それら機材と人材がフル稼働していないとすれば、あなたはどのように感じますか。さすがに現場の機材はフル稼働状態かも知れませんが、他の地域にはまだまだ余力があるとしたら、どうですか。

とはいえ財源がね・・・

という話は受け付けません。財源って何ですか。いまは「お金、貨幣、通貨などと呼ばれるものが存在しない状態」で考えましょうという前提ですよ。
というか、もっと直接的に言いましょうか。この国には、避難生活を送っておられる方々を早急に助け、元の生活に戻るための能力があるのに、敢えてそれを使わないということです。
一人の子供が川に落ちて溺れているとします。また、あなたは、泳ぎと体力には自信があるとします。でも、敢えて助けないということです。


理由は何ですか。

その子が嫌いだからですか。

単に面倒だからですか。


目の前で溺れている子供を助けない理由は、無いはずです。しかし今の政治は正にそういう選択をしている。さすがに「完全無視」とまでは言いませんが、さっさと飛び込んで抱きかかえればいいところを、そこら辺の竹竿を使って岸に寄せてみようとか、「いずれ可能な限りのことはするから頑張れー」と遠くから声をかけるとか、その程度の対策しかとっていません。


日本国政府は、東北や九州の人々が嫌いなわけではありません。
(たぶんね。)

日本国政府は、東北や九州の人々を助けるのが面倒なわけではありません。
(たぶんね。)


助けられるのなら、助けたいのです。でも、そうしない。
つまりは、結局、最終的には、おかねがないということなのです。
そして連日くどくどと書いているように、「おかねがない」は理由にならないのです。現実に助ける手段があるなら、助けるのは当然です。同じ国民ではないのか。
先日も述べたように、お金(通貨)の本質は供給力です。「実現力」と言い換えてもいいでしょう。何度も言うようですが「ショベルカーの一掻き」こそがお金なのです。しかし、ショベルカーの一掻きをもって納税としたり、お米や日用品の代金にするのは困難だから、便宜上「お金」というものを価値の仮の結晶として使っているに過ぎません。

だからね、自民党政調会長の稲田朋美さん、税金や国債を原資に、いくら重機をコキ使ってもお金は無くならないんですよ。なぜって、守銭奴のあなたが考える「お金」とは福沢諭吉が印刷された紙切れのことですが、本質的、本来的な意味での「お金」は、重機が持つ能力に他ならないからです。
重機をコキ使うことでお金が貰える(儲かる)となれば、企業はガンガン投資して重機を増やします。そして人を雇い、育てます。それは「税金の浪費」ではなく、逆に「お金が増える」ことを意味します。

恐らくこの話を聞いても(まぁ耳に入ることは無いでしょうが)、稲田さんは「お金を使って逆に増えるなどという魔法は存在しない」「節約こそが余力を生む」と言い張るのでしょう。
その魔法は、企業や家計には、確かに存在しませんが、一国の政府なら当たり前のことなのです。


お金は、使えば、無くなる


と考えている人が政治をやると、せっかくの重機という「本質的意味でのお金」を腐らせ、人材が育つ機会を失います。理由は簡単です。企業が萎縮するからです。だって儲からないからね。当然でしょうよ。

為政者がアホだと、このようにして、次の大震災に対応できる能力はどんどん奪われていきます。もう一度念を押しますよ。ここで言う「次の大震災に対応できる能力」とは土木建築業における能力のことであり、それはすなわち「お金」です


「お金は、使えば、無くなる」のではない。

「お金は、為政者が、アホだと、無くなる」のです。


ついでだから追記しておきます。
私はこの世を現実的に変える能力(供給力)こそが「お金」に他ならないのだと何度も述べていますが、言うまでもなく、日本に重機を100兆台そろえたとしても、それは超大金持ちを意味しません。あくまでも、それに見合っただけの需要があってこそ「お金」は意味があります。

仮に全国民の8割が土建業者と化した(笑)場合、それらが全て働けるだけの仕事は国内に無いのだから意味がありません。「価値の仮の結晶」であるお金に換算すれば、ショベルカーの一掻きは10円にもならないかもしれません。
従って、企業は儲からない。企業は儲かる話には飛びつきますが、儲からない話には絶対に食いつかないので、こういう事態には陥りません。仮に陥るとしたら、必要も無い公共事業を、無駄に、際限なく、繰り返した場合だけであり、これはこれで亡国の一途ということになります。

言わんとすることは、ご理解頂けるでしょうか。

私は「公共事業を無駄に際限なくやれ」とは言っていません。言い方を変えれば「公共事業はいかなる場合でも善だ」なんてことは言っていません。公共事業にも、場合によっては悪となる場合があります。
ただし、


現時点において公共事業を拡大することは、

少なくとも需給ギャップを満たす程度に拡大することは、

明らかに理に適っている


と言っているだけです。
いま現在、東北や九州には「無尽蔵の眠れる需要」があります。これも言い方を変えると、企業が無尽蔵に儲かる道があり、すなわちそれは我々の給料増にも結びつく道なのです。もちろん第一義的には被災者が元の生活を取り戻すための道ですが。
では、それを眠れる需要ではなく、実質的な需要にする主体は誰でしょうか?


被災者ですか?
違いますね。被災者が橋の復旧を発注することなんてあり得ません。


被災自治体ですか?
これも違います。何度も言いますが自治体は破綻しうる存在ですよ。従って自治体は「おかねがない」という理由が正当に成立するのだし、実際にありません。



おい起きろ。政府。お前だよ。



眠れる需要を叩き起こすべき政府が、むしろ率先して寝ている!!
予備費をやっとこさ23億円手当しただけで、中長期的な金の担保については一言もない。なんだこれ。そんなんで企業が動くわけないだろうが。会社は慈善事業じゃないんだよ。


このままでは、東北に続き、19万人の避難者を初めとする九州の被災地は見捨てられます。そして政府は、


「見捨てるなんてとんでもない。可能な限りのことは全力でやりました」

「おかねの許す範囲でね」


と言い続ける。

日本、発狂中。


政府はさっさと起きろ!!
そして眠れる需要を叩き起こすべきだ!!
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