12月8日は、真珠湾攻撃から73周年 |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ


毎年この日付に合わせてアップし直している記事です。
「前に読んだよ!」という方はスルーしちゃってください。


真珠湾攻撃

(英語:ATTCK ON PEARL HARBOR 日本時間1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、休日である日曜日を狙ってハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空攻撃である。


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詳説日本史研究(山川出版社 2000年版) より書き起こし
 ↑高校教師用の教科書です。私は教師ではありません。教員免許も持ってません。趣味で所有しております。

450頁~451頁
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日本は1941(昭和16)年9月6日の御前会議で、もし日米交渉で10月上旬までに日本の要求が通らないときは、米・英両国と開戦を決意するという方針(帝国国策遂行要領)を決定した。

はじめは開戦に消極的だった海軍も、このころにはしだいに陸軍の強硬策に同調するようになっていた。

日本側の要求は、

①米・英の日中戦争への不介入、
②米・英は極東において日本の国防の脅威になるような行動に出ないこと、
③米・英は日本の物資獲得に協力すること、

であったが、アメリカ側は日本軍の中国・仏印からの撤退、日独伊三国同盟の事実上の空文化を強く主張し、交渉は全く行き詰った。


筆者・注)対日経済封鎖であるABCD包囲網は8月に実施された。

1941(昭和16)年10月半ばになり、近衛首相はなお開戦をためらい、中国からの撤兵問題ではアメリカに譲歩しても、日米交渉を継続しようとしたが、陸軍大臣の東条英機(1884~1948)は撤兵に強く反対し、交渉打ち切りを主張して譲らず、ついに第3次近衛内閣は総辞職した。

そのあとを受けて、東条英機が木戸幸一(1889~1977)内大臣ら重臣会議の推薦によって首相に任命され、陸軍大臣を兼任した。組閣に際して9月6日の再検討という天皇の意向を伝えられ、東条はその再検討を進めた。

その結果、東条英機内閣のもとで、政府・軍部の最高首脳を集めて開かれた11月1~2日の大本営・政府連絡会議で、開戦準備と対米交渉を並行して進めるが、12月1日までに交渉が妥結しなければ、対米英開戦することを改めて決定した(正式決定は11月5日の御前会議)。

このころになると、アメリカも日本の南方進出が続く以上、戦争は不可避と考え、11月26日に、

①日本軍の中国・仏印からの全面撤兵、
②三国同盟の空文化、
③国民政府(重慶政府=蒋介石政権)以外の政権の否認、

などを要求した覚書(ハル=ノート)を日本側に提示した。

これは、満州事変以来の日本の対外政策をほとんど全面的に否定しており、これまでのアメリカの対日提案のなかで、もっとも強硬なものであった。

ハル=ノートをアメリカの最後通牒とみなした日本は、12月1日の御前会議で最終的に米・英両国との開戦を決定した。

そして、1941(昭和16)年12月8日、日本陸軍はイギリス領マレー半島に(一部の日本軍はタイ領に)上陸し、海軍はアメリカ海軍の重要基地であるハワイの真珠湾を攻撃するなど、日本は東南アジア・太平洋地域で軍事行動を開始し、アメリカ・イギリスに宣戦を布告した。

ここに太平洋戦争がはじまり、3日後ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦を布告したので、第二次世界大戦はアジア・太平洋地域とヨーロッパ地域を戦場とする空前の大戦争に発展したのである。


451頁欄外に記載)アメリカ・イギリスは、日本の対米英宣戦布告後、まもなく日本に対して宣戦を布告した。また1941(昭和16)年12月9日、中国の国民政府も、対日・独・伊に宣戦を布告し、翌年1月、タイが日本側に立って米・英に宣戦を布告した。



ちょっと休憩しましょうか?
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では休憩中に、この映像をごらんください。15分です。
~映画~ 「凛として愛」からダイジェスト版



映画全編はこちらをどうぞ(平成14年制作・泉水隆一監督・1:07:24)↓
 http://youtu.be/CpCXzX55bJE

この映画は中華人民共和国と大韓民国の強い圧力によって僅か二日で公開を打ち切られました。
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452頁~参考
日本占領下の東南アジア

日本軍は占領地に軍政を敷いた。地域により異なるが、戦争初期には、日本軍は欧米諸国の植民地支配からの解放をもたらすものとして、しばしば現地で歓迎を受け、日本も旧宗主国に対する現地住民の民族運動を支援した。

例えば、ビルマ人による独立軍、シンガポールなどで日本軍の捕虜となったインド人兵士によるインド国民軍が組織され、日本軍とともにイギリス軍と戦った。日本は1943(昭和18)年ビルマ・フィリピンの独立を認め、イギリスからの独立をめざすインド仮政府を承認した。

しかし、何よりも優先されたのは、日本軍の軍事上の必要だった。日本の東南アジア占領の主な目的は、石油。ゴム・ボーキサイトなど重要軍需資源の獲得にあり、そのための資源の略奪的調達は、現地の経済を混乱させた。

また、独立を認めた地域でも、日本軍が実権を握り、住民の歴史・文化・生活様式などを無視した神社崇拝や天皇崇拝の強要、日本語の学習、土木工事への強制就労、集会の禁止などが住民の反発を呼んだ。

とりわけシンガポールでは多数の中国系住民を反日活動の容疑で処刑し(シンガポール華僑虐殺事件)、フィリピンでも数々の残虐行為があったため、これらの地域では、抗日の動きが早くから強かった。こうして戦局の悪化に伴い、日本軍は各地で住民の抵抗運動に悩まされたのである。



筆者・注)
「しかし」以降の文章は理屈がオカシイ。シンガポールの華僑は中華系だから反日で当然。フィリピンは元アメリカの植民地ですから、アメリカべったりな利権もちのフィリピン人もおったでしょう。

このふたつの事例だけをとりあげて、東南アジア全体で反日の機運が高まったみたいな誘導は、意図的で悪意のある記述の仕方だと思います。

欧米植民地の東南アジアの人々に、民族自決や欧米人との戦い方や最新の産業技術などを教えたのは間違いなく日本人です。だから彼らは親日なのでしょう。独立を守っていたタイは日本側について第2次世界大戦に参戦しています。





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~ ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ お し ま い  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~