http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160819/k10010642961000.html?utm_int=word_contents_list-items_001&word_result=News%20Up

 

日本人のメダルラッシュにわくリオデジャネイロオリンピックですが、残念ながら結果を残せなかった選手に対して「税金のむだづかいだ」などと批判する意見が、ソーシャルメディアに多く投稿され議論になっています。しかし、そもそもオリンピックにいくら税金が使われているのか、はっきりした数字は公になっていないことを皆さんご存じでしょうか?
 
こうした意見に異を唱えているのが、元オリンピック選手の為末大さんです。
ツイッターで「税金を投入したのにメダルが取れなかったという議論のおそろしいところは、税金が使われていない人間などいないわけだから、すべての人が税金に見合うリターンを国家にもたらしているのかという発想になる」と意見を述べたところ、5000回以上リツイートされ、共感が広がりました。
為末さんに改めて考えを聞いたところ、「例えば100枚セットの宝くじを買うようなもので、お金をかけたから全員が必ずメダルを取れるというものではありません。選手の義務は一生懸命頑張るところまでで、その結果、メダルを取れなかったことを責めても、誰もハッピーにならないと思います。一方で、オリンピックのために税金をどの程度使っていくかは、広く議論すべきことだと思います」と述べました。
(8月19日付NHKニュースウェブから一部引用)。

 

記事にある批判的な意見というのは、一方的な期待が裏切られたことに対する単なる感情の吐露だと思いますが、税金の使い方ということに関して考えてみる一つの題材としては面白いように思いました。

 

 

税金の使われ方に関しては、税金を投入した以上は何らかのリターン(経済的なリターンだけではなく、不特定多数の国民が便益を享受できるという意味でのリターンも含む。リターンというものをどこまで具体的に想定するかということも問題になるとは思います。)が見込めなければならないという性質のものとそうではないものとに分けることができるように思います。

 

 

例えば、経済効果を狙った公共事業であればそれを実施することによる経済浮揚効果の検証がなければならないでしょうし、公共交通を整備するという場合には、たとえ経済的にはペイしないとしてもそれにより不特定多数の国民(市民・住民)が便益を受けることができるのであれば税金を投入することは許されるはずです。

多くの場合、税金の投入についてはそれのよりどのようなリターンが得られるのかという視点が重要であることは論を待たないと思います。

 

 

スポーツやオリンピックといったものについて、リターンで税金投入の効果を計測しようとすると(もっとも、一口にスポーツやオリンピックのための税金投入といっても、公共事業的な施設の建設から直接的に選手を支援する強化費用のようなものまで様々だと思いますが、あくまでも選手個人を支援するためのもの、と限定することとします。ただ記事によるとそこまで限定するというのもなかなか難しいようですが)、一つは、どれだけメダル獲得できたかということになると思いますが、さすがに、今の時代の日本で、そこまでの露骨な「国威発揚」的な目的を持たせて選手個人をそのための「道具」とするという発想が許容されるわけはないので(もっとも、本音の部分では国民みんながメダルを期待してしまっているというところはあります)、スポーツやオリンピックに対して税金を投入する際のリターンをどう考えるかということが問題となりますが、オリンピックで日本選手が活躍することで日本が元気になるというのでは抽象的に過ぎると思われるし、スポーツを支援することで国民の体力向上や増進に繋がるというのも、ある程度は的を得ているとは思いますが、例えば、国立の強化施設を作ったとして、それを使うことができるのが一部の選手だけであるという場合には一般の国民にとってはメリットがないということになりそうです。

結局、国の本音のところでは「国威発揚」のためにメダルを取るという目的があるのに、別のことで説明しようとするので、なんとなくちぐはぐになってしまっているというような気がします。

 

 

一方で、必ずしも、投入に見合った(具体的な)リターンが得られなくても、税金を投入するということも考えられると思います。

我々が社会を作っているのは、個人ではなし得ないことがらについて、他の人々の支援を得てそれを達成するため、ということがいえます。

スポーツやオリンピックの目的の第一義が国家のためではないとするならば、スポーツにおいて世界を極めるというのは個人的な夢ということになりますが(誤解なく言えば、選手個人が努力しメダルをつかみ取った結果として国家の名誉があるのだと思います)、そのために、施設を建てるとか海外からコーチを呼んで来たり、海外遠征したり、さまざまな用具等の準備をしたりということは個人のみでなし得るものではなく、何らかの支援が必要になります。それをスポーツ団体や組織、企業などあくまでも自助の一環として行うのか、税金を投入するのかという議論はあり得ますが、個人がその夢(憲法的にいえば「幸福」)を追求するために、国がそれを支援するというのはおかしなことではないように思います。

 

 

私もうまく考えはまとまらないのですが、何でもかんでも得られる具体的なリターンで測ろうとすると、哲学や文学のような役に立たないような学問は意味がないとか生活保護の支出はまったくリターンがないとか・・・とてもぎすぎすした社会になってしまうように思います。

 

 

 

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