• 04 Jan
    • 【新聞掲載】笑うお食事会

      新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。2017年12月29日(金)に開催しました、『笑うお食事会』の様子が2017年12月31日の福島民友新聞に掲載いただきました。2017年12月31日(日) 福島民友新聞 掲載おかげさまで第九回児童養護施設アイリス学園の子供たちへの笑うお食事会無事に終了させていただきました。来年の第十回笑おうお食事会も12月29日をよていさせていただいています。今年も、遠方はアフリカ、京都、山形より福島の会にご参加いただきましてありがとうございます。子供たちの思い出のために、子供たちを通じて自分自身を磨かれる志ある皆様とのご縁に感謝しかありません。また採用と教育研究所にご縁いただきましてありがとうございます。御礼・感謝採用と教育研究所一同

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  • 30 Dec
    • エニアグラム心理学のご案内

      **************************************************人を活かす経営 エニアグラム体験型研修**************************************************日にち:2018年5月15日(火)、16日(水)時  間:10:00~17:00(受付9:30~)講 師:吉田 久夫 氏参加料:お一人様 2日間30,000円(税込)     ※1日のみの参加も可能。料金は、2日間に同じ。申込締切:2018年5月5日(土)お問い合わせ:採用と教育研究所          メール info@saiyoutokyouiku.com****************************************************【講師プロフィール】吉 田 久 夫 氏****************************************************昭和16年、秋田県生まれ。昭和39年、早稲田大学政治経済学部卒業。電子機器メーカーに16年間勤務。その間、欧州並びに米国に7年間駐在。その後、株式会社講談社経営総合研究所代表取締役等を経て、(株)日本総研コンサルティング取締役(HR研究所代表)、特定非営利活動法人(NPO)コミュニオン理事長、国際エニアグラムカレッジ公認ファシリテーター。「エニアグラムによるリーダーシップ能力開発セミナー」、「人間関係の悩みを解消する心理学エニアグラム・セミナー」等の講師を務めながら、エニアグラムの普及活動を行っている。主な著書・論文は「人づきあいが9倍楽しくなる心理学」、「キャリアカウンセリング」など。***************************************************●お申し込み方法※FAXまたはE-mailでお申込みください。※Eメールでお申込みの際は、申込書の項目全て掲載し送信下さい。※参加料は、当日受付にてお支払いください。お申込み用紙◆エニアグラムとは・・・⾃⼰理解と他者理解のツールとして、近年、アメリカで注目されている「エニアグラム」。⼈間の⼈格特性が、⽣まれながらにして9つのタイプに分けられるという医学的、⼼理学的な研究成果によって⽀えられています。⽇本国内ではソニーがリーダー研修として、また財務省、法務省、⼈事院でもプログラムが採用されています。エニアグラムを学ぶことで、⾃分がどのような気質(⼈格特性・⾃我の基盤)を持って⽣れたかの知識理解ばかりではなく、⼈格的成⻑の進むべき⽅向と健全度の⾼い、あるべき成⻑の姿が理解できます。さらには各性格タイプが持つ根源的怖れを解放させ、全ての⼈間に与えられている豊かな本質が持つ⼒を引き出します。エニアグラムとは、成熟し、優れた⼈格の⼤⼈へと成⻑させる⼿助けとなるものです。研修は、笑いがいっぱいの、楽しいひとときですので、ぜひ気軽にご参加ください。

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    • 御礼・笑うお食事会

      おかげさまで第九回児童養護施設アイリス学園の子供たちへの笑うお食事会無事に終了させていただきました。来年の第十回笑おうお食事会も12月29日をよていさせていただいています。今年も、遠方はアフリカ、京都、山形より福島の会にご参加いただきましてありがとうございます。子供たちの思い出のために、子供たちを通じて自分自身を磨かれる志ある皆様とのご縁に感謝しかありません。また今年も採用と教育研究所にご縁いただきましてありがとうございます。御礼・感謝採用と教育研究所一同

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  • 17 Dec
    • 防災士認定をいただきました

      こんにちは。採用と教育研究所です。先日、日本防災士機構 『防災士』の研修・試験にチャレンジして参りました。防災士とは゛自助゛゛共助゛゛協働゛を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待され、そのための十分な意識と一定の知識・技能を修得したことを、日本防災士機構が認証した人。防災士の基本理念1 自助  自分の命は自分で守る。2 共助  地域・職場で助け合い、被害拡大を防ぐ。3 協働  市民、企業、自治体、防災機関等が協力して活動する。平成15年10月防災士第1号が誕生して以来、平成29年11月30日までに138,475名の防災士が認証されいま、全国の地方自治体や国立大学等の教育機関、及び民間研修機関では積極的な防災士の養成の取り組みが進められ、それぞれの地域において自主防災組織や小中学校、各事業所等で防災士の配置・活用の働きが広がっています。日本防災士機構では、防災士10万人誕生を大きなステップととらえ、さらに防災士の養成、防災士の活動の充実、活用の拡大を推進して、防災士が日本の防災力の向上の基盤を形成するための「新しい公共財」として不可欠の役割を果していくことをめざしています。『防災士』ときくと、特別な資格を持っている人のように感じるかもしれませんが、年齢・国籍・経験等一切制限はなく、特にシニア世代が、男女の性別および職業経験を超えて防災士として活躍することが望まれています。震災を経験した私たちだからこそできることがあるのかもしれません。防災士、みなさまもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

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  • 15 Dec
    • YELL vol.15 株式会社渡辺養蜂場 ~挑戦から進化~ その2

      ~養蜂の歴史~ ここで、養蜂の歴史を遡ってみましょう。 養蜂には、旧式養蜂と近代養蜂と 2 種類 の方式があります。旧式養蜂は自然に営ま れている巣を探し、それを採集し、砕いて、 ハチミツを絞り取るという方式です。この 方式は数万年前から 19 世紀半ばまでの長 い期間行われていたようです。一方、近代 養蜂はミツバチを家畜として飼育管理する 方式です。このことを可能にし、近代養蜂 の幕をあけたのは、ラングストロス(L. Langstroth)というアメリカ人です。1851 年、彼の考案した可動式(取り外しのでき る)巣枠がこの飼育管理を可能にしました。 その後、養蜂が産業として急速に近代化さ れ、養蜂技術は世界各地に普及することに なっていきました。 日本の養蜂のはじめは、5 世紀中ごろと 言われています。ハチミツは貴重なものと して扱われ、献上品の 1 つになっていました。 本格的に養蜂が行われるようになったの は、江戸時代からです、ミツバチに関する 生態や養蜂技術に関する本が出版されるよ うになったことで、旧式養蜂が広く浸透しました。しかし、それでも、採蜜量は現在 の 1,2 割程度だったそうです。明治時代になると、新政府は各種産業部門に積極的施策を進め、養蜂もまたその 1 つとして取り 上げられました。そのため、ミツバチの研 究がすすめられ、養蜂業は大きな注目をあ びるようになり、熱気を生みました。その 時売買されていたのは、ハチミツではなく、 ミツバチそのものでした。 大正時代になると、明治時代の熱気はぱ たりと消え、ミツバチの取引は行き詰り、 養蜂業の大きな曲がり角に差し掛かりまし た。ここで活路を見出したのが、花の咲い ているところ、咲いているところを移動し て、ハチミツを生産する転地養蜂でした。 徐々に転地養蜂の成果が出始めたことによ り、転地養蜂が盛んになっていきました。 転地養蜂が軌道に乗るにつれて、日本の 養蜂産業は基盤が整ってきました。大正 7 年に第 1 次世界大戦が勃発し、欧州市場に おける糖分欠乏のため蜜価は暴騰して、つ いに日本にも輸出の需要が殺到しました。 しかし、日本の養蜂産業の基盤は整ったば かりだったため、生産額はきわめて微々た るもので、需要に合わせた集荷には多大の 労苦がありました。 昭和に入って戦時下においては、ハチミ ツは甘味栄養資源としてのみでなく、蜜蝋とともに医薬的効果が認められていまし た。蜜蝋は爆弾、砲弾、あるいはプロペラの滑沢、魚雷、スクリュー、光学兵器、錆 止め等々、その用途は広汎にわたっていま した。しかし、戦況が悪化するにつれ、養 蜂器具、給餌用砂糖などの入手が困難にな るとともに、養蜂家の招集や徴用などで、 養蜂界は様々な困難に見舞われました。 やがて、敗戦を迎えた昭和 20 年 8 月頃 の食糧難では、特に甘味不足ははなはだし く、はちみつがもっぱら甘味代用として、 空前の関心を集めました。また、わずかな 砂糖も統制配給下にあったため、甘くさえ あれば、何でも値段にかまわず飛ぶように 売れ、栄養に富むハチミツは非常に珍重さ れました。当時まだ蜂蜜は価格の統制下に ありましたが、需給のアンバランスから公 定価はほとんど守られず価格は上がる一 方でした。 戦後の混乱が収まると、やがて迎える高度経済成長期で国土の自然は荒廃の一途 をたどり、養蜂を取り巻く環境は次第に厳 しさを増していきました。そんな中、昭和 30 年「養蜂振興法」が成立し、養蜂の地位 が確立されることになりました。しかし、 昭和 38 年の蜂蜜輸入自由化には大打撃を 受けました。 しかし、この頃から新しい局面も開ける ことになりました。ポリネーションの登場です。都市域の拡大・開発と、残された農 地での徹底した農薬による防虫などのた め、本来受粉に欠くことのできない昆虫まで減少させることになったのです。昆虫に よる受粉が十分に行われないため、果樹な どで奇形果や小型果を生じることが多く なり、これを解決するためにミツバチの導 入が少しずつ増加していきました。さらに、昭和 40 年代になると、作物の経済価 値を上げるためのハウス栽培が盛んにな り、ハウス内での受粉作業におけるミツバ チの需要が急増していきました。 昭和 60 年代以降は、土地の開発がより 進み、自然環境が激変しました。野山では 少なくなった花を求めてミツバチが農地 へ行けば、農薬との接点が多くなり、影響 を受けます。その農地での耕作状態も大きく変化し、昭和 45 年頃に比べ、かつての主要な蜜源の栽培面積は激減しました。安価なハチミツの輸入が急増し、国産ハチミ ツの価格が低迷する中、養蜂家の高齢化が進み、昭和 60 年には飼育戸数が 9,499 戸で したが、平成 17 年には 4,790 戸まで落ち込 みました。しかし、それ以降はまた増加傾向 にあります。 近年では、ハチミツの国内流通量約 41 千 トンのうち、国産はちみつの生産量は約 2.8 千トンにとどまっており、ハチミツの国内自 給率は 7%程度です。 最近では、国産の農産物が見直されるとと もに、国産ハチミツの価格が上昇傾向にある ことや、自然との接点が希薄になっている都 市部での養蜂が注目されたことから、ミツバ チへの関心が高まり、飼育戸数は増加傾向に ありますが、一方で蜜源植物の植栽面積は、 引き続き減少しており、蜂場の確保に関する トラブルが急増しています。 また、イチゴ栽培、メロンなどの農産物の 花粉交配でのミツバチの重要性はますます 増しています。今や、花を訪れることで行う 受粉が農産物生産の約 35%を支えており、 家畜としてのミツバチの総産出額は 約 3,500 億円にのぼっています。このうち約 98%が花粉媒介用のミツバチの働きです。 平成 24 年には、養蜂の環境が大きく変化 したことを受けて養蜂振興法が改正され、平 成 25 年 1 月 1 日から施行されています。 それぞれの時代の中で、養蜂業への価値観 は変化してきましたが、現在では農産物生産 を支えている存在にまでなっています。 「もしも地球上からミツバチがいなくな れば、人間は 4 年以上生きられないだろう」 というアインシュタインの言葉を意味、重さ をとても感じてきます。これからも、より一 層養蜂業の重要性は増していくでしょう。~経営理念~ 養蜂業の重要性も考えると、養蜂業を長 く続けていくことが求められます。 佐吉さんは、経営理念や経営方針などを 学びたいという想いから、平成 20 年ごろ、 福島県中小企業家同友会に所属します。そ こで学んだことを活かして、渡辺養蜂場の 経営理念を作ります。それまで経営理念を 考えたことが無かったそうで、初めての試 みだったそうです。渡辺養蜂場では 3 つの 経営理念が掲げられています。1、お客様に健康を提案致します私の養蜂場は大自然の恵みを頂き一人 でも多くの方々がその恩恵を受け毎日健 康で暮らしていくためのお手伝いをする 会社であります。 2、働きがいのある会社をつくりますすべての社員と力を合わせ社員一人ひ とりが自分の能力を十分に発揮し、伸ば し、豊かな生活と明るい未来を築く企業を目指します。 3、限りなく挑戦をします会社をより発展させ続けることはより 大きく社会に貢献し続けることになりま す。今日より明日、今年より来年へとお客 様の満足と働き甲斐のある会社の創造を 目指し限りなく挑戦し続けます。 以上の 3 つの経営理念のもと、社員の皆さんが働かれています。 佐吉さんは、この経営理念を毎週朝礼で 社員の皆さんと唱和するようにしていま す。すると、社員の皆さんの目の色がみるみる変わったそうで、これまでとは別人の ように社員の皆さんがお仕事されるようになったと語ってくださいます。 社員の皆さんが佐吉さんの考えた経理 理念に共感し、意識してお仕事されているからこそ表情や行動に表れています。経営理 念を掲げることの大切さ、そして、経営理念で人の働き方が変わることを教えてくださっています。~今後の挑戦~ 苦難から脱却するための挑戦、佐吉さん自 らの学びによって社員を変える、この 2 つが 大きな要因となり、渡辺養蜂場を進化させて います。これからも「挑戦」という言葉を掲 げて、さらに進化し続けていきます。 苦難から脱却するための挑戦、佐吉さん自 らの学びによって社員を変える、この 2 つが 大きな要因となり、渡辺養蜂場を進化させて います。これからも「挑戦」という言葉を掲 げて、さらに進化し続けていきます。 すでに新たな挑戦を模索しています。それ は、ひまわりのハチミツの商品化です。平成 28 年の夏、福島県田村市大越町でひまわり を活用して地域おこしに取り組む「牧野ひまわり会」の佐久間辰一会長や会員のみなさん が育てたひまわり畑近くでミツバチを放しました。 そのひまわりは「福島ひまわり里親プロジ ェクト」の全国で福島を応援するためにひまわりを育てた方々から福島へ届けられた種 から育てたひまわりです。しかし、悪天候が続いたことやひまわりの咲いている時期が短かったことがあり、ハチミツを採るどころかミツバチ自体が餓死寸前まで弱ってしまっていました。この年は失敗に終わってしま いましたが、佐吉さんの「挑戦」への想いは 強く、「2017年こそはひまわりからハチミツを採ります!」と意気込んでくださっていま す。夏に咲き誇り、見る人々に元気と希望を 与えるひまわり。そのひまわりから採れるハチミツが商品として販売されることが楽しみです。YELL vol.15 完▼YELL vol.15 ダウンロードURLhttp://www.saiyoutokyouiku.com/wp/wp-content/uploads/2017/04/a2222f8a63cf78b4a26767d1683a5b00-1.pdf

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  • 01 Dec
    • 第9回 笑うお食事会のお知らせ

      採用と教育研究所 所長半田真仁です。今年も開催いたします「第9回 笑うお食事会」のご案内です。福島県福島市にあります児童養護施設「アイリス学園」にご縁を頂いております。こんなのんびりした福島ですら、たくさんの子ども達が施設に通われてます。以前は両親が他界された方が多かったそうですが現在は、ネグレクト〔育児放棄〕や虐待がほとんどだそうです。そんな子どもたちが一番寂しい時期が、年末年始だそうです。クリスマスがすんだら、施設の約半数の子どもたちは、「短期であれば」「親類の元であれば」と、条件付きですが施設からの帰宅ができるそうです。一方で、帰りたくともその場所が無い子たちもいます。そんな子たちは、いつも一緒にいてくれる仲間たちがいつも応援してくれるボランティアのみなさんが家族と過ごしている中でそのまま施設で年を越すことになります。なにか大人としてできることはないだろうか考察・・・・。そこで、子供たちに笑いと感動ランチのイベントを企画させていただくことになりました。大人が輝くと、子どもが輝く内容は、大人が子ども1人分のランチとバス代、そしてご自身の昼食代を負担して頂きます。それだけでなく、ご自身も子どもたちと一緒に食事、アミューズメント施設にて一緒に本気で遊びをしていただきます。今回の味噌はこれです。ただお金だけではなく一緒に参加していただきます。ただ、募金するのではなく子どもたちと共に学び、共に成長する。そんなきっかけにして頂けたらと思います。子供たちは毎年30名前後参されています。そこで、ボランテイアに参加してくださいます大人〔大学生以上〕を30名もしくは、チャリテイー募金を募集しています。残金が出ましたら施設にかかわる事柄に全て寄付させていただく予定です。お金だけではなく一緒にすごしていただくことが味噌です。一年の最後一緒に最高の年末をしめくくり一年に感謝する時間を一緒に過ごしませんか?■財布のチェーンや、リング〔指輪〕や、ネックレス、時計、ピアスは身長差のある子どもたちを 傷つける恐れがあるので外してご参加くださいませ。■名刺交換、携帯電話、メールなど子ども達に個人情報を絶対に教えないで下さい。〔相手から聞かれた場合も〕■写真・ビデオ撮影禁止〔沢山の事情を抱えていらっしゃる子どもたちなのでブログアップ、写真は禁止です。〕■子ども達と個人的に次回会うような約束は絶対にしないで下さい。■動きやすい汚れても良い格好で参加ください。アミューズメント施設では動き、食事中も汚れることもあります。■つめを切ってください〔折たり、子ども達を傷つける可能性もあるので〕■禁煙 〔イベント開始から終了後まで禁煙です。喫煙場所もご用意していません。〕■なにかご不明な点がありましたら遠慮なく主催者までおっしゃってくださいませ。■ボランテイアで東京より医師、学園職員5名参加予定ですので安心してご参加くださいませ☆イベント終了後懇親会の予定はありません。☆参加者同士の名刺交換も予定していません(原則禁止)。☆丸一日、子ども達と純粋にただただ遊んで、子ども達と語っていただくのみの一日になります。あくまでも、子どもが真ん中、主役の一日にさせていただくために大人たちのための楽しいサポートサプライズの予定はございませんのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。第8回 笑うお食事会日  時:2017年12月29日 10:00~15:00場  所:福島県郡山市 恩野菜横塚店     (〒963-8803 福島県郡山市横塚2丁目1−6)募集人数:50名参 加 費 :1万円〔子供1人の食事+ご自身のお食事代+子供へのお土産+子供の移動費1名分〕※ジャージ等動きやすい格好でご参加ください◆当日タイムスケジュール 10:00 参加者集合。店舗内にて事前研修  11:00 子どもたちが温野菜に到着 交流 班分け 11:30 アミューズメント施設へ 12:50 食事会場へ移動 13:00 食事 14:30 食事終了→子ども達お見送り→全体研修(大人のみ) 15:30 終了予定 16:00 子供たちは、施設到着詳細サイトhttps://warauosyokuji.jimdo.com/▼お申込み▼お問い合わせ採用と教育研究所までメール:info@saiyoutokyouiku.com

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    • YELL vol.15 株式会社渡辺養蜂場 ~挑戦から進化~ その1

       株式会社渡辺養蜂場は、福島県二本松市にある養蜂場で、山に囲まれた地形を 活かしてアカシヤ、山桜、リンゴ、栗、 柿といった11種類の花のハチミツを販売 しています。また、ローヤルゼリーの販売、養蜂家やハウス農家向けのミツバチの販売も行って います。販売しているすべての商品は渡辺養蜂場自家製で、購入していただくすべて の皆さんの健康を願い感謝を込めて養蜂 を行っています。 株式会社渡辺養蜂場は平成 22 年 10 月に 渡辺佐吉さんによって設立されました。 佐吉さんは養蜂を始める前まで椎茸栽培を行う農家でした。また、佐吉さんのお 父様泉二(せんじ)さんは炭を販売していま した。炭の販売から椎茸農家、そして、養蜂場へとなぜ変わっていったのか。 そこを紐解いていくと、渡辺養蜂場の強 みが見えてきます。 佐吉さんのお父様、渡辺泉二さんは、太 平洋戦争で海軍に所属し、激動の時を過ご されました。終戦後、戦争から戻ってきて、 何をしようかと考えているとき、泉二さん が目を付けたのが、炭焼きでした。 当時、炭を焼く技術が泉二さんの住む地 域ではありませんでした。また、その地域 では仕事が無く、周囲の人々の生活も厳し かったそうです。泉二さんは炭焼きの仕事 を分担し、木を切る作業を地域住民に、炭 を焼く作業を泉二さん自らが行うように しました。炭が手に入りにくい地域だった こともあり、炭が出来たと聞けば、泉二さ んのところに大勢の人が集まり、行列にな るくらい繁盛したそうです。炭は売れ、そ の売れたお金の一部を賃金として雇った 方に支払い、お金の巡りもとても良かったそうです。 そんな中で、昭和 22 年に佐吉さんが まれます。 佐吉さんが 15 歳の時、高校に進学した いと泉二さんに伝えると、「高校にはやら ない。百姓にならなくなるから」と言われ、 進学することを反対されます。それでも、 佐吉さんは学校に行って勉強したいとい う意志が強かったため、福島県矢吹原経営 伝習農場(現:福島県農業総合センター農 業短期大学校)に 1 年間通います。そこで、 佐吉さんにとって運命的な出逢いがあり ました。それが椎茸です。 福島県矢吹原経営伝習農場を卒業後、早速、佐吉さんは 300 本の原木から椎茸栽培 を開始します。泉二さんが炭焼きで使用す るために植えた木がすべて椎茸のなる木 だったこともあり、出だしも上々でした。 原木に菌を植え、収穫できるまで 2 年間育 て、とうとう収穫。実際に売りに出せば、 当時は 1 本の原木から採れた椎茸が 40 円 で売れたため、300 本の原木から採れた椎 茸の売り上げは 12,000 円になりました。 当時の大卒の平均月給が 8,000 円だったそうなので、佐吉さんもこれはすごいと思っ たそうです。 また、時代の流れも佐吉さんに味方します。当時、日本は高度経済成長期で活気あ る時代でした。通常であれば、福島県二本 松市で椎茸は 1 日 200 袋売れればよしと言われていましたが、時代が時代だったので 椎茸はどんどん売れていきました。そして、 二本松市だけでなく、福島市の青果市場で も売りに出すと、二本松市だと 40 円の椎茸 が 50 円で売られました。二本松市より福島 市のほうが人口も多く、たくさんの人たち が食べるので、どんどん売れていきました。 そのため、栽培を拡大させていき、昭和 57 年には年植 45,000 本にもなりました。~1 度目の苦難と養蜂との出会い~ しかし、平成 2 年ごろ中国から大量に値 段の安いオガクズ椎茸が輸入されるよう になります。安い中国産椎茸が売れるよう になり、佐吉さんの椎茸の売れ行きはどん どん下がっていきます。それにより、平成 5 年には経営が大変悪化してしまい、転職 を含め次期経営の柱探しに奔走すること になります。そんな時、佐吉さんはご近所の友人の仕事のお手伝いに行くと、そこの友人は養蜂 を行っており、「これ、なめてみろ」とハ チミツを佐吉さんに勧めたそうです。その 時、「こんなにうまいものが自然界から採 れるのか」と思い、その方にお願いして、 ミツバチの巣箱 3 箱を購入します。それが きっかけで養蜂場への道が開かれていき ます。ただ、初めての養蜂ということもあ り、失敗することも考えて、すぐにハチミ ツだけの販売に絞らず、椎茸とハチミツの 二刀流の経営がしばらく続きます。 椎茸はその後も、中国産の椎茸に押され てしまい、売り上げは上がりませんでし た。一方で、ハチミツはどんどん売り上げ を伸ばしていきます。この状況から佐吉さ んは、とうとう一大決心をします。平成 22 年 10 月 1 日に「株式会社渡辺養蜂場」を 設立しました。これまで行ってきた椎茸で はなく、ハチミツで勝負していくことを決 めます。売り上げも平成 22 年にはハチミ ツが 8 割、椎茸が 2 割と大部分がハチミツ の売り上げになっていたこともあり、養蜂に手ごたえを感じていました。~2度目の苦難と挑戦~ 「これから養蜂でやっていくぞ!」と勢 いづいている矢先に、悲劇は起こります。 2011 年 3 月 11 日、東日本大震災発生。二 本松市も震度 6 強の強い揺れに襲われまし た。 そして、福島第一原子力発電所の事故。 放射能により椎茸栽培をしても売ること ができなくなります。ただ、幸いにも、ハ チミツからはミツバチが放射能の解る昆虫 であるため、放射能が検出されませんでし た。安心して販売できると佐吉さんもこの 時は思っていました。しかし、風評被害に よりハチミツは全く売れなくなり、売り上 げが一時ほとんどゼロになってしまいまし た。 「お金が入ってこなくなるわけだから頭が真っ白になりどうしようかと。明日死の うかなというぐらいひどかった」と佐吉さ んは当時のことを振り返りながら語ってく ださいます。しかし、そんな状態でも、佐 吉さんは「ハチミツしかないと思ってやっ た。投げ出すことはしなかった」とあきらめず、福島の自然の恵みを無駄にしたくな い気持ちを奮い立たせます。 風評被害に負けないためにはどうしたらよいか、佐吉さんは 2 つのことを考えつきます。 1 つ目は「徹底した品質」にこだわってい くことです。ミツバチは集めたミツにふた をかぶせてハチミツを熟成させます。このふたを削り取る作業はとても手間がかかり ますが、すべて手作業で大量生産よりもあ くまでも「品質」にこだわります。 2 つ目は、新たな挑戦に挑みます。それは 「優秀な女王バチをつくる」ことです。  佐吉さんが 3 箱のミツバチの巣箱を友人 から購入した後、初めての養蜂ということ もあり、1 箱の女王バチが死んでしまいま す。その時に、その友人に相談したところ、 新しい女王バチの作り方を教わります。福 島県内には女王バチを育成できる方は10人 程度しかいないと言われています。その女 王バチ育成技術を活かして女王バチ繁殖の 飼育士となります。飼育した沢山の女王バ チの中から優秀な女王バチを選抜し、作物 や果物の花粉交配用や個人養蜂家向けのハチとしてインターネットで全国販売を開始 します。ここでいう「優秀な女王バチ」とは、産卵力が強い女王バチのことを言いま す。働きバチは寿命が 2 ヶ月程度しかあり ません。働きバチが増えないと、ハチミツを採ることはできません。女王バチの産卵力が強ければ、働きバチを増やすことができ、ハチミツをたくさん採ることができます。佐吉さんが育てたハチの評判はどんどん広がっていき、収入源の1つになっていきます。 2 つの震災後の挑戦によって、商品への信頼と売り上げが徐々に回復していきます。 それによって、平成 27 年にはとうとう震災 前の売り上げを超えます。震災前は約 3,500 万円でしたが、平成 27 年は約 8,000 万円と 倍以上の売り上げにまで上がりました。 佐吉さんはこれまでに 2 度の大きな苦難 を経験しました。1度目は椎茸の下落によ る経営悪化、そして、 2 度目が東日本大震災、 原子力発電所の事故による風評被害。それ までのいい流れを一瞬にして断ち切る出来 事でした。しかし、佐吉さんは「中国産の 椎茸のせい」、「原子力発電所の事故のせい」 ではなく、「中国産の椎茸が出回ったからこ そ」養蜂をスタートさせましたし、「原子力 発電所の事故があったからこそ」商品の質 の向上、女王バチの育成、販売を行い、売 り上げを大幅にアップさせています。苦難 をどのように考え、脱却するために何をす るべきか、挑戦をしていくかを考え、行動 していくことで成功へと導かれています。 また、佐吉さんはある方の力がとても大 きかったと語ります。その方は、渡辺義巳 さん。 まだ佐吉さんが椎茸栽培を行っていた時に、中学3年生だった義巳さんは春休み期 間中に椎茸の菌を植えるアルバイトをしま す。そして、高校に入学してからもアルバ イトを続け、そのまま就職されました。義 巳さんは、現在は養蜂部長として、お客様により喜んで頂けるような新商品の開発を行っています。 「その時代時代に合わせながら生き延び ることが大切」と佐吉さんは語ります。時 代の流れを見失うことなく、変化すればそ れに合った商品を販売する、そのために商 品開発を行うことが大切になってきます。 「流れ」に背かないことは成功するための1つの要因と言えそうです。~養蜂の苦悩とミツバチの必要性~ 佐吉さん、義巳さんともに養蜂を行う上 で苦労していることを教えてくださいまし た。それは、農家さんが使用する農薬です。 農薬とミツバチ、一軒なんの関係もないように見えますが、とても関連しています。 米農家さんは、カメムシの被害や米が病気 にならないように稲の花が咲く時期に農薬 を蒔くそうです。その花の蜜や農薬の入っ た田んぼの水をミツバチが吸ってしまう と、そのミツバチは弱ってしまい死んでし まいます。カメムシでなくても、除虫剤に は変わりません。つまり、ミツバチは巣か ら半径 2~3km の範囲を飛ぶので、その範囲 に農薬がまかれてしまうと死んでしまう可 能性があるのです。渡辺養蜂場さん付近で もカメムシの被害や病気が蔓延するように なり、農薬を蒔く農家さんが増えてきたた めに、ミツバチが増えなくて困っているそ うです。さらに、近年は新種の強い農薬を蒔く農 家さんもいらっしゃるそうで、それが巣箱 に入ってしまい、巣の中のハチのほとんど が死んでしまったということもあったそう です。 相対性理論などを発表したアルベルト・ アインシュタインは養蜂に関して次のよう に述べています。 「もしも地球上からミツバチがいなくなれば、人間は 4 年以上生きられないだろう」 なぜなら、ミツバチがいなくなれば植物は受粉できず絶滅に至り、その結果、酸素が供給されなくなって人間も生きていけな いというわけです。 農家さんも農薬を蒔かざるを得ない状況 に立たされていることも理解できます。しかし、ハチミツという素晴らしい贈りものを届けてくれるだけでなく、果物や野菜の受粉を助け、私たちに豊かな食をもたらしてくれるミツバチの生活環境も考える必要 があります~つづく~

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  • 28 Nov
    • 【研修のご案内】エニアグラム体験型研修 2018年5月開催

      こんにちは。採用と教育研究所事務局です。会津若松市、京都府宇治市で開催しご好評をいただいた『吉田久夫先生のエニアグラム体験型研修』が、来年5月に開催決定いたしました。前回参加できなかった方、お待たせいたしました。2018年5月15日(火)、16(水)エニアグラムの体験型研修が郡山市で開催です。定員40名となっておりますので、お早めにお申し込みください。**************************************************人を活かす経営 エニアグラム体験型研修**************************************************日にち:2018年5月15日(火)、16日(水)時  間:10:00~17:00(受付9:30~)講 師:吉田 久夫 氏参加料:お一人様 2日間30,000円(税込)     ※1日のみの参加も可能。料金は、2日間に同じ。申込締切:2018年5月5日(土)お問い合わせ:採用と教育研究所          メール info@saiyoutokyouiku.com****************************************************【講師プロフィール】吉 田 久 夫 氏****************************************************昭和16年、秋田県生まれ。昭和39年、早稲田大学政治経済学部卒業。電子機器メーカーに16年間勤務。その間、欧州並びに米国に7年間駐在。その後、株式会社講談社経営総合研究所代表取締役等を経て、(株)日本総研コンサルティング取締役(HR研究所代表)、特定非営利活動法人(NPO)コミュニオン理事長、国際エニアグラムカレッジ公認ファシリテーター。「エニアグラムによるリーダーシップ能力開発セミナー」、「人間関係の悩みを解消する心理学エニアグラム・セミナー」等の講師を務めながら、エニアグラムの普及活動を行っている。主な著書・論文は「人づきあいが9倍楽しくなる心理学」、「キャリアカウンセリング」など。***************************************************●お申し込み方法※FAXまたはE-mailでお申込みください。※Eメールでお申込みの際は、申込書の項目全て掲載し送信下さい。※参加料は、当日受付にてお支払いください。お申込み用紙◆エニアグラムとは・・・⾃⼰理解と他者理解のツールとして、近年、アメリカで注目されている「エニアグラム」。⼈間の⼈格特性が、⽣まれながらにして9つのタイプに分けられるという医学的、⼼理学的な研究成果によって⽀えられています。⽇本国内ではソニーがリーダー研修として、また財務省、法務省、⼈事院でもプログラムが採用されています。エニアグラムを学ぶことで、⾃分がどのような気質(⼈格特性・⾃我の基盤)を持って⽣れたかの知識理解ばかりではなく、⼈格的成⻑の進むべき⽅向と健全度の⾼い、あるべき成⻑の姿が理解できます。さらには各性格タイプが持つ根源的怖れを解放させ、全ての⼈間に与えられている豊かな本質が持つ⼒を引き出します。エニアグラムとは、成熟し、優れた⼈格の⼤⼈へと成⻑させる⼿助けとなるものです。研修は、笑いがいっぱいの、楽しいひとときですので、ぜひ気軽にご参加ください。

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  • 15 Nov
    • YELL vol.14 (株)クラロン 代表取締役会長 田中須美子×福島西高校 野球部 その3

      先生: では、好きな言葉を聞いてみまし ょうか。生徒: 好きな言葉は今までは無かったの ですけれども、田中会長のお話を聞いてこ れからは「感謝」の言葉を大切にしていき たいなと思いました。会長: はい、そうしてくださいね。感謝っていうのは誰相手にでも出来ることで しょう。まずは両親に感謝してください。 一番大事なのは両親です。そして兄弟、お友達。今、皆さんは反抗期ですか?半田: 今、反抗期の方いらっしゃいます か?(一同笑)会長:あんまりいませんね。半田: 今、思春期の方はいらっしゃいますか?(一同笑)会長: 反抗期って男性より女性のほうが 面倒臭いじゃない?女子生徒: いえ、あまりそんなことはないです。会長: 偉いわねぇ。反抗期だと親と喋り たくないでしょ?親もどう扱ったらいい か迷っているのですよ。可哀想なのは親の方ですよ。小学 3 年生の教科書の「生産」 のところでクラロンが紹介されていて、授 業の一環で福島市内の学校の多くの生徒 が見学に来るのです。 すると主人はいつも工場の案内の他に色々 なことを学校の先生以上にお話ししており ました。先生の講義よりも楽しいと言って もらえた事もありました。その時に「親に 向かって私を生んでくれてありがとうと言 ってごらんなさい、お母さんたち感激する よ」とお話をしたところ、後に生徒さんか ら感想文をいただいたことがありました。 台所でお母さんが家事をしている時にそっ と後ろから腕を回して「お母さん、僕を産 んでくれてありがとう」と言ったらお母さ んがびっくりしてぼろぼろと泣き出してし まったそうなのです。私ももしそんなこと を言われたら泣きますよね。親は皆さんを 産んでここまで育てて、素直な子に育てさ せたいと思っていてもそういう時に反抗さ れるとどうしたらいいのか、本当に可哀想 に思います。迷っているのですもの。 でも皆さんどうしても照れくさいという のなら、食事しているときにでも「今日の ○○美味いよ」とひと言言ってみてごらん なさい。明日からすごいご馳走出るから。 (一同笑) 言うのは勇気がいると思いますが。お母さ んきっと喜びますよ。やってみましょう。先生:好きな言葉をもう一人くらい聞いてみましょう。誰か好きな言葉を言ってみて ください。生徒: ジャージに刺繍で)自分の好きな言 葉を入れているのですが、「一戦千笑」とい う言葉で、ずっと笑っていられるように野 球をしていたいので入れました。半田: ジャージに入ってらっしゃるので す。会長: 「応援は力なり」なんて言葉もありますね。私は主人の後を引き継いで福島 県の体操協会の会長をしていて各地によく 応援に行っていました。スポーツは苦手な のですが好きなスポーツがひとつありま す。日本古来の「薙刀」です。ちなみに主人は剣道で皇居の御前試合の選手に選ばれ たこともありました。私の女学校時代の薙刀の経験の中でも先生 に「参った!」と言わせたことは今でも自慢できることです。ぜひ皆さんも野球で監督に参ったと言わせるくらい頑張ってください。ところでその一戦千笑とはどういう 意味なのですか?生徒: 自分は結構明るい方なので、プレーで落ち込んだりしないようにという意味 も込めました。会長: 自分でそういう風に言葉を作ってそれを信念に持てるということは良いこと だと思います。多くの試合に全力を注いで 自分も笑いたい、そして相手も笑わせたい ということですね。頑張ってください。半田: (元プロ野球選手の)新庄みたいな感じですね。それでは次に4番目の質問ですね。「大切にしている言葉はありますか」という、ご質問でした。会長: 皆さんもきっとあると思います、 大切な言葉。これは昔からの言葉でなくて も自分で作った言葉でもいいです。私はたくさんあります。91 歳まで生きているとた くさんの言葉が。その時代によって変わっ てもきますが変わらないで持っているという言葉があります。それは「人は鏡」という言葉です。今の時代はあまり使いません が、言い換えると「人の振り見て我が振り直せ」の意味です。例えば相手が変な態度 をしているとか変な言葉を使うとか変な服 装をしているだとかいうような時、又自分 がやられて嫌なことは自分も相手にやらな いということです。ですから「人は鏡」を 私は若い頃から自分の大切な言葉にしていました。 それからもう一つは半田さんにもいつか 申し上げましたが「一期一会」。これは皆さ んもよくご存知だと思います。それから「一 座建立」と「余情残心」がありますね。 この3つの言葉は実は茶の湯の言葉の中から井伊(直弼)大老が言った言葉なのです。これは半田さんがよく調べてくださっ た言葉なので説明お願いいたします。半田: はい。3つセットの言葉なのですが、「一期一会」という言葉は皆さんご存 知のように今日皆さんとお会いしている ことですね。茶の湯というのは元々戦の前 のこれから死ぬかもしれないという時に お茶を飲んで身震いさせるもので、皆さん で言うところの試合前の円陣を組むこと のような行為なのです。戦は基本的に殺し 合いですから「今日が最後かもしれない」 という一期一会の気持ちでお会いさせて いただくということでした。クラロンさん のおもてなしは全てこの3つの言葉に凝 縮されていますね。 「一座建立」という言葉は男性より女性 の方がありがちなのですけれども、お食事 などに行かれるとどうしても仲良し同士でお話をすることが多いのですが、本日のような一座(人の一集団)の時は一つの話 題で一人ぼっちの誰かを残さないように 皆で会話をしましょうという事です。これ はお茶を立てるリーダーがそういうおも てなしの心で座を盛り立てていこうとい うものです。 「余情残心」というのは帰り際に「もう 少し皆さんとお会いしたいなぁ」という心 を残した状態で最後までお見送りをして 差し上げるということです。相手も「もう 少しあなたとお会いしたいなぁ」という時 に「また」という気持ちをしっかり背中に残して帰っていただくというような言葉になります。会長: ということで私もこの言葉は一番好きです。人は鏡というのは子供の時から の私の心情でしたが。ですから会社にいら したお客様でも、それから皆さんにこうし て集まってもらった時でも一期一会です。 再びお目にかかることは無いかも知れま せん。どこかでは会うかも知れません。で も今が一番大事な時、今ここでおもてなし をしようという気持ちで私は皆さんと向 き合っています。 それから一座建立は皆さんと同じお話 をする皆さんと同じ心構えをして一つの話題でお話をしあう、楽しみあうということ です。余情残心は半田さんがおっしゃったよ うに名残を心に持ちながらまた機会があっ たらおいでくださいねという心を込めてお 見送りをする、今日はそういう気持ちで皆さ んとお話をしているつもりです。ということで丁度時間になりました。半田: 何かご質問ありましたらお願い致し ます。生徒: 会長さんにとって「生き甲斐」とは 何ですか。会長: 私の生き甲斐は、まずはこの会社を いつまでも長く経営していきたいというこ とです。理由は障がいのある社員がいるから です。障がい者は身体障がい者と知的障がい 者、精神障がい者の3つに分けられます。う ちの会社でいるのは知的障がい者が多いの ですが、重複している人も少なくありませ ん。今は働いてくれているそうした社員たち がいつかは定年退職しなければならない時 が来ます。その時にどうするか、というのが 今私の一番の悩みなのです。働けるうちは働 いてもらえばいいのですが働けなくなった 場合にどうするか。そうした方を収容してく れる施設を今考えています。それを見つけて いくことが一つの使命です。 それから精神対話士というものがありま す。私は年齢も年齢ですので力をもって何か をすることは出来ません。しかし、震災でい まだ苦しんでいる方などのお話を聞いてあ げることは出来ます。皆さんも誰かから相談 を受けたときに真剣になってお話を聞いて あげる、それが一つの精神対話士という言葉 に詰まっていると思います。皆さんも是非お 友達の頼りになれるようになってあげられ たらいいと思います。私もそのつもりでおり ます。それが今のところの生き甲斐を見つけ る一つの鍵だと思っています。半田: 突然話が変わりますけど、健康の秘 訣は「歯」ですよね。会長は全部ご自分の歯 なのですよね。会長が好きな食べ物あるのですよね?会長: シャケ!(即答で一同笑)シャケと言っても(シャケの)皮。栄養あるのですよ。半田: 会長のご自宅に行くと夜なのに 豆とかアーモンドとかバリバリ食べられ るのですよ。ご自分の歯なので。会長: 全部自分の歯です。歯医者さん からはあんまり硬いものは食べないでく ださいと言われています。だんだん歳とってくると歯も弱くなりますから。でも 柔らかいものは食べ甲斐がなくてね。こ っそり隠れてバリバリと食べています。 (一同笑) 音出なくちゃ駄目だからね。半田: 南部せんべいとかよく二人で夜食べます。会長: 昨日青森に出張した従業員がいたのだけれど南部せんべい買ってきてく れて。(一同笑) 知れ渡っているのね。 特に胡麻の南部せんべいが好きなのをみ んな知っていていつも買ってきてくれる のです。半田さんがダンボール一箱分の 南部せんべいをくれたこともありまし た。ご飯より好き。変な話になったね。 皆さん野球やられている以上身体は元気 ですよね?半田: 会長は夜中に片足立ちでトレー ニングされたりするのですよね?私は負けます。会長: 若い方は何分もやられると思い ますが、私は今頑張れば 1 分間くらいは出来ます。半田: 朝は新聞一紙読まれて昼には新聞二 誌読んでとか、あとは中国の漢和辞典の故事 成語とか読まれていますよね。クラロンさん と会長の本当に面白い話があるのでそれは また次回ということで。先生: 分かりました、以上ということで。 会長: それでは「余情残心」を持って、皆 さんとお別れということで。またどこかで会 いましょう。でも私音痴なのです。というの は音楽も音痴なのですが人音痴でもあるの です。一度お目にかかってもまた初めまして と言うかもしれませんから、その場合は「あの時会ったでしょ」と言ってくだされば思い出しますから。半田: 本日は会長から皆さんへプレゼント がございます。中を開けてもらってよろしい ですか。(福島西高等学校野球部のテーマである「青春激走」の字が入ったタオルを持って集合写真へ)YELLvol.14 完▼YELLvol.14 ダウンロードURLhttp://www.saiyoutokyouiku.com/wp/wp-content/uploads/2017/04/YELL-vol.14-.pdf

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  • 01 Nov
    • 第9回 笑うお食事会のお知らせ

      採用と教育研究所 所長半田真仁です。今年も開催いたします「第9回 笑うお食事会」のご案内です。福島県福島市にあります児童養護施設「アイリス学園」にご縁を頂いております。こんなのんびりした福島ですら、たくさんの子ども達が施設に通われてます。以前は両親が他界された方が多かったそうですが現在は、ネグレクト〔育児放棄〕や虐待がほとんどだそうです。そんな子どもたちが一番寂しい時期が、年末年始だそうです。クリスマスがすんだら、施設の約半数の子どもたちは、「短期であれば」「親類の元であれば」と、条件付きですが施設からの帰宅ができるそうです。一方で、帰りたくともその場所が無い子たちもいます。そんな子たちは、いつも一緒にいてくれる仲間たちがいつも応援してくれるボランティアのみなさんが家族と過ごしている中でそのまま施設で年を越すことになります。なにか大人としてできることはないだろうか考察・・・・。そこで、子供たちに笑いと感動ランチのイベントを企画させていただくことになりました。大人が輝くと、子どもが輝く内容は、大人が子ども1人分のランチとバス代、そしてご自身の昼食代を負担して頂きます。それだけでなく、ご自身も子どもたちと一緒に食事、アミューズメント施設にて一緒に本気で遊びをしていただきます。今回の味噌はこれです。ただお金だけではなく一緒に参加していただきます。ただ、募金するのではなく子どもたちと共に学び、共に成長する。そんなきっかけにして頂けたらと思います。子供たちは毎年30名前後参されています。そこで、ボランテイアに参加してくださいます大人〔大学生以上〕を30名もしくは、チャリテイー募金を募集しています。残金が出ましたら施設にかかわる事柄に全て寄付させていただく予定です。お金だけではなく一緒にすごしていただくことが味噌です。一年の最後一緒に最高の年末をしめくくり一年に感謝する時間を一緒に過ごしませんか?■財布のチェーンや、リング〔指輪〕や、ネックレス、時計、ピアスは身長差のある子どもたちを 傷つける恐れがあるので外してご参加くださいませ。■名刺交換、携帯電話、メールなど子ども達に個人情報を絶対に教えないで下さい。〔相手から聞かれた場合も〕■写真・ビデオ撮影禁止〔沢山の事情を抱えていらっしゃる子どもたちなのでブログアップ、写真は禁止です。〕■子ども達と個人的に次回会うような約束は絶対にしないで下さい。■動きやすい汚れても良い格好で参加ください。アミューズメント施設では動き、食事中も汚れることもあります。■つめを切ってください〔折たり、子ども達を傷つける可能性もあるので〕■禁煙 〔イベント開始から終了後まで禁煙です。喫煙場所もご用意していません。〕■なにかご不明な点がありましたら遠慮なく主催者までおっしゃってくださいませ。■ボランテイアで東京より医師、学園職員5名参加予定ですので安心してご参加くださいませ☆イベント終了後懇親会の予定はありません。☆参加者同士の名刺交換も予定していません(原則禁止)。☆丸一日、子ども達と純粋にただただ遊んで、子ども達と語っていただくのみの一日になります。あくまでも、子どもが真ん中、主役の一日にさせていただくために大人たちのための楽しいサポートサプライズの予定はございませんのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。第8回 笑うお食事会日  時:2017年12月29日 10:00~15:00場  所:福島県郡山市 恩野菜横塚店     (〒963-8803 福島県郡山市横塚2丁目1−6)募集人数:50名参 加 費 :1万円〔子供1人の食事+ご自身のお食事代+子供へのお土産+子供の移動費1名分〕※ジャージ等動きやすい格好でご参加ください◆当日タイムスケジュール 10:00 参加者集合。店舗内にて事前研修  11:00 子どもたちが温野菜に到着 交流 班分け 11:30 アミューズメント施設へ 12:50 食事会場へ移動 13:00 食事 14:30 食事終了→子ども達お見送り→全体研修(大人のみ) 15:30 終了予定 16:00 子供たちは、施設到着詳細サイトhttps://warauosyokuji.jimdo.com/▼お申込み▼お問い合わせ採用と教育研究所までメール:info@saiyoutokyouiku.com

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    • YELL vol.14 (株)クラロン 代表取締役会長 田中須美子×福島西高校 野球部 その2

      会長: 皆さん、何年生ですか?3年生?先生: 1年生と2年生です。会長: となるとまだこれから一年二年はあ るわけですね。そうすると将来自分の就く職 業についてはどうなのですか今から考えて いるものなのですか?先生: やはり公務員志望とか就職希望の生 徒は考えていると思うのですけれども。会長: 皆さん自分のこれからの職業につい て考えていますか?先生: 自分の職業のことについて誰がどのくらいまで考えているのか、私も分からないのです。半田: では、聞いてみましょうか。会長: はい。半田: では、あちらの方から。生徒: 自分は今、高校卒業後に就職を考え ています。ただ、自分に合っているもの、自分に適しているもの、自分のやりたいことと いうのが具体的に見つからなくて。今のところ卒業後について具体的に考えると何も決 まっていないというような状況です。会長: やっぱりお家の職業を継ぐというのもあるからね。先生: 彼のご両親は飲食店を経営されています。会長: それでは将来、ご両親はやはりお店を継いでもらいたいとお考えなのですか?生徒: 父は自分自身が親に無理やり店を継がされた経験があって、自分には自由な将来 を歩んでいいと言ってくれています。会長: 親御さんとしての気持ちだわね。 やっぱり親御さんは自分の仕事を継いでも らいたいという気持ちと自分が苦労したか らこそ子供には違う道を歩んでほしいとい う気持ちがありますよね。でも皆さん決まっ ているというのは素晴らしいことですね。2 年生 1 年生でね。すごいですね。 私が 91 歳だから皆さんは曾孫くらいの年 齢だけれども私が皆さんくらいの年齢の当 時は昭和 14 年くらいでしょうか、昔は女学 校と呼ばれていたのですが、その頃は 16 歳。 職業はみんな親が決めていたのです。男の子 も。女の子は職業につくなんて事なかったで すから。もう結婚するのが当たり前、嫁に行 くのが当たり前。だから私たちもそういうこ とを初めから言われてきましたし、私は 3 歳 のときからもうお婿さんになる人が決まっ ていましたから。何も知らない人ですよ。反 抗して今の状態ですけれども。その人とは結婚しませんでしたけれども。半田: 会長は大好きなのです、旦那さんの ことが。 会長も職業安定所に行って「ひめゆり部隊」に志願されたのですよね。会長: 挺身隊というものがありましてね。 戦争中に。職業紹介所、今で言うハローワー クに自分で行って、沖縄に行きますといって サインをして親にも無断で志願したのです。 そうしましたらなんとその職業紹介所の所 長さんが私の父と友達だったのです。私は全 然知らなかったのですけれども所長さんが 住所と名前から私だと気付いて父に電話し てしまったのです。父はもうびっくり仰天。 私は監禁されてしまいました。 その当時、私は秋田の方のある繊維組合で 働いていました。男性は皆召集されていなく なってしまったので、19歳の時にはもう組 合の所長の次の地位になって仕事をしてい ました。「日本は絶対に勝つ」と思わされて いる中で挺身隊に行くぞと思っていました ら、その年に終戦になったので、行かずに済 んだのですけれども。半田: 行かれていたら間違いなく、今この世にはいらっしゃらなかったですね。会長: そうですね。でもあの時は行って ももうかまわないという気持ちでしたし、 今でもそう思っています。別に行かなくて よかったなとは全然思っていませんね。そ れだけその時の情熱というか信念というか 純真だというか気持ちがありまして。今で もその気持ちは持っています。もちろんそ の後主人と結婚して、それはそれで幸せな 生活でしたけれども。生きて主人と巡り会 ったおかげでとても幸せな人生になったと 今でも思っております。ちょっとお惚気話 になってしまいましたね。半田: この話の流れで行くと、明日になってしまいますね。(一同笑) それでは次の質問にうつりましょうか。 次は、「若者にこういう生き方をしてほしいというようなことはありますか?」という ご質問でした。会長: これは先ほどにも言いましたよう に自分の将来ってものを一本の道ではなく 何本も道があると捉えた上で、迷っていた ら引き返すということですね。それからも う一つ皆さんにお願いしたいことがあります。それは「尊敬する師を見つけること」 そして「友人を作ること」です。それには 出会いを作ること。そしてさらに出会いの中から「心の友」を見つけることですね。 親友は別に1人だけではなくていいと思い ます。2 人でも 3 人でも親友を見つけるこ とです。そしてさらに愛する人を見つける こと。これは人生の上で私は一番大事なこ とだと思います。そして私は今それを実行 しております。愛する人は天国に行ってし まいましたけれども、心の友とする人は何 人もいます。だから今私は独りではない。 そして半田さんのお友達がおっしゃった言葉「あなたは独りではないよ。そばに誰かがいるよ」という言葉にいつも感動しております。人と人との繋がりを大事にするこ とです。皆さん親友はおりますか?よかっ た。寂しくないよ友達がいると。男とか女 とか関係なく。昔の格言に「小人(しょうにん・心が小さい 人)は縁を見つけても縁を知らず」そして「中 人(ちゅうじん・普通の人)は縁に出会っても 縁に気づかない」さらに「大人(たいじん・ 立派な大人)は袖擦りあうも縁を生かす」と いうものがあります。私は今半田さんと縁を 作っていますけれどもその縁も平成 25 年で すから 3 年前からですね。ある学校の教員採用試験の面接官をした時に初めてお会いし まして、担当が別になったのでその時に名刺 を交換したきりお会いしなかったのですけれども、半年後に法政大学の坂本教授の講演 会の場面で偶然再会いたしまして、名前も忘 れていたのですけれどもそうこうしている うちにバタバタと今のような状態になって おります。今では私の独り善がりですけども 心の友にさせてもらっています。半田: ありがとうございます。私はまだ38歳なのですけれども、会長は年下からでも 年齢関係なく学べる姿勢というのがすごいなといつも思っております。会長: 私の話は多分年寄りくさいと思いますよ。半田さんが私に合わせてくれているのだと思います。これも思いやりですね。そして次は「感謝の心を持つ」これも大事ですね。これは誰に対しても同じことです。 感謝の心のない所には幸せは生まれないと 思います。感謝しましょう。実は私の主人が 亡くなった時に、机の引き出しを開けてみま したら 1 枚のメモが入っておりました。それ は主人が書いたメモだったのですけれども、 その中にいくつかのことが書かれていまし た。それは「感謝をしたか」「挨拶をしたか」 「感動をしたか」「この日一日満足の日であったか」そして「油断はするな」でした。と いうのも会社を経営している関係上、やはり 世情に対しても経済に対しても油断をしないでやれ、という意味だったと思って今でも 大事にしております。油断をするなというと 悪い意味に取る人もいるかもしれませんけ ども、やはりそれは私の大事な言葉となって おります。皆さんも何か好きな言葉ってあるでしょ?~続く~

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  • 15 Oct
    • YELL vol.14 (株)クラロン 代表取締役会長 田中須美子×福島西高校 野球部 その1 

      会長: 西高の野球部の皆さん今日はよ くいらしてくださいました。ありがとう ございます。学校のすぐ近くにクラロンはあるのですが、ご存じない方もたくさ んいらっしゃると思います。でも私の方 では西高さんに体操着をお納めしており ますので、西高さんはお得意様、お客様 としてよく存じ上げております。いつもご愛顧をいただいておりましてありがと うございます。 今日は思いがけずこのような機会をい ただいて、まずは半田さんの方からご説 明があったと思いますが、クラロンの仕 事内容などを知っていただきたいと思い ます。これまで講演会などでお話をした ことがありますけれども、主に経営者の 方や年配の方相手が多かったのです。こうやって高校生の方を前にし、とても楽 しみにしておりました。よろしくお願いいたします。  (会社説明の映像鑑賞する) 半田: 事前に西高の皆様からご質問を頂 戴しておりましたので、その質問からまず お話いただきます。会長が(回答に)困っ てしまいました質問がありまして、それに ついては皆さんからのお話をお聞きした いそうです。会長: 若い人たちとお話しするというの はいいですね。エネルギーをたくさんもら おうと思っております。今まで若い人から の質問って受けたことがないものですか ら、前もってどんな質問があるかを半田さ んに知らせていただきました。そうしまし たら、まず、一番は「人は何のために働く のか」という質問をいただきました。 これは私、初めての質問です。よく、「人は何のために生きるのか。」そういうこと は世間一般でお話ししますよね。でも「何 のために働くのか」ということになると、 私の年代では、何のためというよりも、働 くということは自然であって、よく昔は 「働かざる者食うべからず」「稼ぐに追い つく貧乏なし」とか言いました。聞いたこ とありますか?そういう言葉。初めて? そういう言葉のある時代に育ったから「何 のために働くか」って聞かれると皆様にな んとお答えしたらよいのか分かりません でした。逆に皆さんに「では、何で働かな いのか。働く必要がないのか」ということ を私の方が質問したいと思いました。 実はこのことで一晩頭を悩ませまして、 一週間前に東京で尊敬する法政大学の坂 本教授にお目にかかった際に「こういうわ けで一週間後に若い方の前でお話するこ とになっているのですが、先生はどう思われますか。」と教えを頂きました。 すると坂本教授は、それは「人の役に立つ ため」、そしてもう一つ「人に感謝された いため」、それから「人に必要とされたい ため」、さらに「人に愛されたいため」と おっしゃいました。 そのとき私は、それに1つ付け加えました。それは、「自分のために働く」という ことです。今までの4つは、人のために働 くことでした。でも自分のために働くとい うことも大事ではないかと思うのです。 この4つの言葉に私の1つの言葉を加 えて、私自身の思っていることとして皆さ んに今お話ししました。人の役に立つとい うことや人に喜んでもらうということは、やっぱり嬉しいですよね。人の役に立つこと が嬉しいというのは自己満足であっても、や っぱり嬉しいですよね。 頼りにされる、信頼されるというのも嬉し いことです。 次第に坂本教授のおっしゃった言葉が胸 にしみて来ました。 逆に働かなくてもいいやと、働く必要がな いと思っている方はいらっしゃるのでしょ うか? 病気や何かで働けなくなったということ とは別にして。ふつうの健康体、ふつうの精神を持っている人が。 だから、働くということは、生きていると いう証拠だと思うのですよ。 生きているから働くのです。 では、なぜ生きているのかということにな ったら、これはやっぱり自分が勝手に生まれ てきたのではない。やはり、この世に生まれ てきたということは、天の恵み、神の恵みで あって別に偶然でもないのです。必然性があ って生まれてきたのですから。 生まれてきたからには、やはり今の4つの 言葉に繋がるはずです。「なぜ生きるのか」 と「なぜ働くのか」の定義は同じではないか と思いました。 それについては逆に皆さんの意見を聞き たいと思っておりました。ちゃんとペンも用意してありますからおっしゃってください。先生: ではまず、キャプテンから。生徒(キャプテン): 働かないと収入を得 られないわけですので、収入を得て、将来家族ができたら家族を養い、生活をしていくためだと思います。会長: そうですね。それは必要なことですよね。お金を得る、収入を得る。言いにくいことであっても、これは一番必要なことですよね。先生: では次は、公務員希望の生徒から。生徒(公務員希望) : 自分は今消防士にな りたいと思っています。人それぞれの仕事 に対してどうしてこの仕事を選んだのかと 言うと。自分は地域の人や、社会の人に貢 献できるような仕事に就きたいと思ってい ます。将来は消防士になって社会や地域の 人のために働きたいと思っています。会長: 今は皆さん学生だから、学校での 学業に励む、あとは皆さん野球部だからス ポーツに励む。そして、社会に出たら自分 に合った職業を見つけるということが一番 大事なことですよね。今おっしゃったよう に消防士になるとか。実は私の甥は消防署 の所長だったのです。もう亡くなりました けど。福島市の消防署長。頑張ってくださ い。 生徒: ありがとうございます。 会長: 火を消してください。恋の火は消 さないで。(一同笑)先生: もう1人いきますか。生徒: 自分は仕事といわれるとよく分か らなかったので、自分が今やっている野球 で考えてみました。何のために野球をやっ ているのかというのを考えてみると、野球は今後自分が社会に出た時に役に立つこと が一番学べるスポーツだと思います。体力と忍耐力というのはどんな仕事に就い ても必要なことだと思うので、自分は人間に生まれてきたからにはしっかり働きたい と思います。また、先輩と同級生が言った ように楽しく生きるためにも必要なことだ と思いました。会長: とてもいいことだわね。今スポー ツで頑張っているというのは。社会に出て もスポーツで頑張るという、スポーツを職 業にすることもあるわけですからね。今若 いうちは、スポーツをやって身体を鍛えま しょう。「健全な肉体に、健全な精神が宿る」 ということわざが昔からありますよね。ま ずは身体を丈夫にして、やはり頭が健全で なければ、身体もついていかないですし、 両方健全にしましょう。とってもいいこと ですから、スポーツで頑張ってください。生徒: はい。ありがとうございます。会長: 次に行きましょうか。「仕事をする 上で大切にしていることは何でしょうか」 という質問がありました。自分の出来る仕 事を見つけるということも大切。それから、 その仕事に就いていくことも大切。特に男 性の方は一生の仕事にしていかなければな らない。そういう覚悟もしていかねばなら ないと思います。でも私はそうばかりとも 思いません。仕事は辛いこと、苦労なことではなく、楽しくやれる仕事を見つけるこ とも大切です。うちの会社には障がい者が 35名います。その一人がある時病気にな って、2週間休みました。そして、退院し た次の日出勤してきたので、私は「こんな に早く出てきていいの?まだ体が慣れなく ても大丈夫なの?」と言ったのですよ。そ うしたら、やはり貧血で倒れてしまったの です。だから私は「少し休みなさい。うちの会社はあなたが何日休んでも解雇するなんてことはしませんから。」と言って帰した のですが、一日休んで次の日にまた出勤し てきました。 これは親御さんが、「お前早く行かないと 会社クビになるよ。」と言ったのじゃないか と思っていたのです。それからしばらく経ってその方の親御さんとお会いした折に、「あんなに早く出させないで、もう少し休 ませたら。」と言ったところ、実は本人が「会社に働きに行くのが楽しい。お友達に会うのが楽しい。お昼にみんなでお弁当を食べるのが楽しい。おしゃべりするのも楽しい。 だから家にいるより、会社にいる方が楽しい。」と言って無理やり働きに出ていったと いうことだったのです。 また、ある子が、忌引きの時も休まない で出てきたのですよ。私びっくりしまして、 この時も親御さんに忌引きなのに大丈夫な のかと電話してみると、やっぱり本人が「会 社に出て行くのが楽しい」って言うのだそ うなのです。それを聞かされた時は本当に この会社をやっていて良かったと思いまし た。殊に障がいを持っている子供というの はすぐにはどこでも雇ってくれないのです よ。会社で皆さんを採用しているというこ とは何かやはり社会にとっても私たちも貢 献しているのじゃないかと、この会社は絶 対に無くしちゃいけないと、そういう風に 思いました。 だから、やはり仕事というものは楽しく やるべきだと思います。そうでなくては続 かないですし。それでもし、自分が職業に 就いても、「これは自分に合わないのじゃな いか」と思うことがあるかもしれません。 でも私は「道はひとつではない」と思います。いくつでも道はあると思います。よく 昔の人に自分の道は一本道だと言われた方 がいらっしゃるけれども、私は、道は何本 でもあっていいと思うのです。だから決し てへこたれるなと。そしてもし自分に合わ ないのではないかという時はもう引き返し ましょう。よく山に行って遭難した話があ りますが、どうしても頂上まで登り切りた いという気持ちで登って行っても引き返す のも勇気なのです。皆さんも聞いたことが あると思いますが、引き返すことも勇気な のです。だから「自分の進む道は一本だけ ではない」と、そういう風に思ってもいい のではないでしょうか。半田: ありがとうございます。~つづく~

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  • 05 Oct
  • 01 Oct
    • 第9回 笑うお食事会のお知らせ

      採用と教育研究所 所長半田真仁です。今年も開催いたします「第9回 笑うお食事会」のご案内です。福島県福島市にあります児童養護施設「アイリス学園」にご縁を頂いております。こんなのんびりした福島ですら、たくさんの子ども達が施設に通われてます。以前は両親が他界された方が多かったそうですが現在は、ネグレクト〔育児放棄〕や虐待がほとんどだそうです。そんな子どもたちが一番寂しい時期が、年末年始だそうです。クリスマスがすんだら、施設の約半数の子どもたちは、「短期であれば」「親類の元であれば」と、条件付きですが施設からの帰宅ができるそうです。一方で、帰りたくともその場所が無い子たちもいます。そんな子たちは、いつも一緒にいてくれる仲間たちがいつも応援してくれるボランティアのみなさんが家族と過ごしている中でそのまま施設で年を越すことになります。なにか大人としてできることはないだろうか考察・・・・。そこで、子供たちに笑いと感動ランチのイベントを企画させていただくことになりました。大人が輝くと、子どもが輝く内容は、大人が子ども1人分のランチとバス代、そしてご自身の昼食代を負担して頂きます。それだけでなく、ご自身も子どもたちと一緒に食事、アミューズメント施設にて一緒に本気で遊びをしていただきます。今回の味噌はこれです。ただお金だけではなく一緒に参加していただきます。ただ、募金するのではなく子どもたちと共に学び、共に成長する。そんなきっかけにして頂けたらと思います。子供たちは毎年30名前後参されています。そこで、ボランテイアに参加してくださいます大人〔大学生以上〕を30名もしくは、チャリテイー募金を募集しています。残金が出ましたら施設にかかわる事柄に全て寄付させていただく予定です。お金だけではなく一緒にすごしていただくことが味噌です。一年の最後一緒に最高の年末をしめくくり一年に感謝する時間を一緒に過ごしませんか?■財布のチェーンや、リング〔指輪〕や、ネックレス、時計、ピアスは身長差のある子どもたちを 傷つける恐れがあるので外してご参加くださいませ。■名刺交換、携帯電話、メールなど子ども達に個人情報を絶対に教えないで下さい。〔相手から聞かれた場合も〕■写真・ビデオ撮影禁止〔沢山の事情を抱えていらっしゃる子どもたちなのでブログアップ、写真は禁止です。〕■子ども達と個人的に次回会うような約束は絶対にしないで下さい。■動きやすい汚れても良い格好で参加ください。アミューズメント施設では動き、食事中も汚れることもあります。■つめを切ってください〔折たり、子ども達を傷つける可能性もあるので〕■禁煙 〔イベント開始から終了後まで禁煙です。喫煙場所もご用意していません。〕■なにかご不明な点がありましたら遠慮なく主催者までおっしゃってくださいませ。■ボランテイアで東京より医師、学園職員5名参加予定ですので安心してご参加くださいませ☆イベント終了後懇親会の予定はありません。☆参加者同士の名刺交換も予定していません(原則禁止)。☆丸一日、子ども達と純粋にただただ遊んで、子ども達と語っていただくのみの一日になります。あくまでも、子どもが真ん中、主役の一日にさせていただくために大人たちのための楽しいサポートサプライズの予定はございませんのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。第8回 笑うお食事会日  時:2017年12月29日 10:00~15:00場  所:福島県郡山市 恩野菜横塚店     (〒963-8803 福島県郡山市横塚2丁目1−6)募集人数:50名参 加 費 :1万円〔子供1人の食事+ご自身のお食事代+子供へのお土産+子供の移動費1名分〕※ジャージ等動きやすい格好でご参加ください◆当日タイムスケジュール 10:00 参加者集合。店舗内にて事前研修  11:00 子どもたちが温野菜に到着 交流 班分け 11:30 アミューズメント施設へ 12:50 食事会場へ移動 13:00 食事 14:30 食事終了→子ども達お見送り→全体研修(大人のみ) 15:30 終了予定 16:00 子供たちは、施設到着詳細サイトhttps://warauosyokuji.jimdo.com/▼お申込み▼お問い合わせ採用と教育研究所までメール:info@saiyoutokyouiku.com

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    • YELL vol.13 株式会社クラロン~働く喜びを守る~ その3

      ■働くことが楽しい株式会社クラロンでは、障がい者雇用以外にも、女性・高齢者の雇用も積極的に行っています。 従業員数は全体で134名ですが、そのうち100名が女性で、そのうち12名が管理職に就かれています。その一人である、営業課長の小手森タンさん。80歳。定年は65歳と規定されていますが、クラロンでは希望で1年毎延長することが可能なので、会長からは「死ぬまでここにいなさい」と伝えられているそうです。 小手森さんは「働くことが楽しくて仕方がない」とおっしゃいます。会社に居場所があり、自分の能力を思う存分に活かせ、それを通して自分の価値を見いだせているからこその言葉です。それは健常者だけではなく、障がい者にとっても同じです。 一時期入院されていたD子さんがいました。退院しても普通は何日か休むだろうと思っていたのですが、その子は退院した次の日に出勤してきました。しかし、病み上がりですから、貧血で倒れてしまいました。そこで、須美子さんは「休んでもあなたのことを退職にしないから、休みなさい」と伝えて、次の日休ませました。また次の日も休むだろうと思っていたのですが、次の日出勤しました。この時、須美子さんは、D子さんが親に「早く出勤しないと会社をクビになるかもしれないから出勤しなさい」と言われたのだと思い、親のことを心の中で快く思っていませんでした。その出来事から数年後、D子さんの親と会う機会があったので、「どうしてあんなに早く出勤させたのですか?」と尋ねたところ、「本人が『早く会社に行きたい。会社に行って働くのが楽しい。そして、お友達にも会いたい』と言うもんだから、仕方なく出勤させたんです」と言われました。クラロンが働く人にとって心の支えであり、楽しい職場であることが分かります。 高齢者は能力が落ちているわけではありません。むしろ、経験が豊富で、会社としてはずっと働いてほしいと思っています。それに応えるかのように、働いている方も自分の能力を活かしたいと思ってくれています。また、障がい者であっても、優れている点やできることは必ずあります。このように人を活かせる会社の環境づくりが行き届いているところもクラロンの強みです。■伝承伝達 創業者の善六さんのメモにあった「感謝したか」を会長である須美子さんも大事にされていますが、社員の方もやはり大事にされています。 営業課長の小手森タンさんと係長の荒川富士栄さんは、善六さんの月命日に14年間一度も欠かさずお墓参りに行かれています。なぜ、欠かさないのか尋ねると、「私は何も知らないのに、ここに雇っていただいて、ここまで成長させてもらったことに感謝しています。その感謝の気持ちを本当に何万分の一しか返せないけれども、少しでも返すという気持ちで行っています。月命日に行くのは自然なことで、当たり前なことです」とおっしゃいます。 そして、小手森さんは、会長が何気なくお話される言葉をいつもメモされています。その言葉を通して、勉強し、学んでいるのです。感謝の気持ちを忘れない。善六さんの遺志は須美子さんの中で受け継がれ、その須美子さんの言葉から社員の皆さんへと伝承伝達され、社員の皆さんの精神の中でも生きている。善六さんが大切にされてきた想いを社内で受け継いでいるところも、クラロンの強みの1つと言えそうです。■生き続ける想い 今のクラロンは、田中夫婦が二人三脚で誠心誠意を持って会社を創設し、障がい者雇用、女性・高齢者雇用と向き合い続けてきたから存在します。そして、これからも障がい者雇用、女性・高齢者雇用は大事に続けていきます。そのためにも、進化をし続けることが求められます。スポーツウェアの受注の大多数を占める学校であっても、まだ開拓できるところがあります。開拓を行うためにも、営業の人財育成を行い、新たな商品開発も積極的に行っていきます。 創業60年を迎えても、まだまだ勢いのある株式会社クラロン。その源となっているのは、障がい者の働く喜びを守りたいという、田中夫婦の優しく、そして、熱意のある想いです。その想いは会社、そこで働く社員の皆さんの中でこれからも生き続けていくでしょう。YELL vol.13 完▼YELL vol.13 ダウンロードURLhttp://www.saiyoutokyouiku.com/wp/wp-content/uploads/2017/04/YELL-vol.13.pdf

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  • 29 Sep
    • のぞみ鍼灸整骨院 小川由智氏講演会 in 福島

      こんばんは採用と教育研究所です。来月10月22日(日)にのぞみ鍼灸整骨院(京都府)の小川由智院長をお迎えして講演会を開催いたします。*************************************************日  時:平成29年10月22日(日)19:00~21:00(受付18:30~)参加料:お一人様3千円(税込・書籍付)会  場:ホテルサンルートプラザ福島     福島県福島市大町7-11     (JR福島駅西口より徒歩約10分)申込方法:申込書に必要事項をご記入の上       メールまたはFAXでお申し込みください。メール info@saiyoutokyouiku.comFAX  024-529-5794    申込締切:10月15日(日)受付分まで。       なお、定員になり次第締め切らせていただきます。▼講師プロフィール昭和55年生まれ。三重県志摩市出身。三重県立伊勢高等学校卒業後、米田柔整専門学校、佛眼鍼灸理療学校を卒業。整骨院、整形外科、カイロプラティック、鍼などの治療院で技術を習得したのち、有限会社こじまに入社。仕事の本質に気づき、その想いを伝えるため『第1回治療家甲子園』に出場し、決勝大会へ勝ち進んだ経験をもつ。現在、のぞみ鍼灸整骨院の院長を務め、家族・仲間・患者様・地域・業界への貢献と次世代への伝承伝達を人生の理念に掲げNO.2として有限会社こじま のぞみ鍼灸整骨院を支え続けている。大事にしている言葉は「感謝・貢献・恩送り」の三信条。*****************************************************治療だけでなく、患者さんやご家族への心配りも大事に安心・満足していただけるサービスを日々追求していらっしゃる治療院です。さらに、第一回治療家甲子園で全国大会へ出場するなどスタッフが生き生き働き、チャレンジできる環境づくりや教育に力をいれていらっしゃる会社さんです。治療家の方はもちろん、接客業に携わる方リーダー・幹部となる方にもおすすめの内容です。京都の治療家の話を聴けるチャンスですので、この機会に、ぜひご参加ください。

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  • 15 Sep
    • YELL vol.13 株式会社クラロン~働く喜びを守る~ その2

      ■創業者田中善六さんの生涯 このような会社の土台を作ってきた、創業者の田中善六さんはどのような方だったのでしょうか。 「皆に優しく、正義感溢れる人」と須美子さんはおっしゃいます。ある日、障がいの子が言い争いをしていたそうです。その内容を聴いてみると、1人は「社長さんは偉いんだよ」と言い、もう1人の子は「いや、違うよ。社長さんは”友達”なんだよ」と言っていました。そこで、善六さんは、「社長っていうのは、あなたたちの”友達”なんだよ」と言って、その場を収めたそうです。そのエピソードから、善六さんの優しさに加えて、心の温かさも感じられ、健常者も障がい者も関係なく、親しみやすい方だったのだと感じられます。 善六さんは1922年5月15日、福島県福島市で生まれました。六番目の子どもだったので、善六と名づけられます。子どものころは、日が暮れるまで、真っ黒になって遊ぶわんぱく坊主でした。そのため、勉学が疎かになっていたようですが、努力を重ねて、旧制福島中学に入学します。しかし、気持ちは中途半端で勉強に身が入らず、そんな善六さんにお父さんは怒り、田畑に連れ出し、家業の手伝いをさせます。そんな姿を同級生に見られ、恥ずかしい思いをし、真面目に勉強をするようになります。そして、陸軍士官学校に合格。そこで、厳しい教育を受けます。 21歳の時、フィリピンへ配属。当時、日本は太平洋戦争中で、戦況は厳しくなっていました。善六さんが22歳の時、戦闘中に右耳を損傷。それ以来、善六さんの右耳から音が遠くなります。 戦争が終わり、1946年に親類からの紹介で、管財支所に嘱託就職することになります。そして、1年後の1947年に須美子さんと結婚。しかし、この年、GHQによる公職追放令で、善六さんは官職を失ってしまいます。職を失ってしまいましたが、世話する人があって、ある建設業で働きます。当時、肉体労働者には”加配米”といって米の配給量が加算されていました。それを水増しして支社に請求することが常識だったようで、善六さんは「節を曲げない」ことを肝に銘じて信念を貫いてきたため、不正は苦痛でした。この一件などに嫌気がさして半年ほどで会社を辞めることにしたのです。1948年に知人の紹介で、東京の疎開工場だったガラス会社に就職。そこで労を惜しまず働きます。 しかし、善六さんは人間関係のこじれなどから1955年に辞表を書きます。ちょうどそのころ、クラロンの前身である「綿メリヤス」工場を手放したいという話が出てきます。山形の経営者で、義母と知り合いの関係から善六さんも資本参加していた会社でした。 善六さんは妻須美子さんの賛成も得て、その会社を買うことにし、資金集めに奔走することになります。やっとのことで資金をつくり、1956年2月に創業しました。初めはリヤカーを1台購入して、これに製品のメリヤス肌着を積み、自転車で引きながら売って歩きました。創業当時は「綿メリヤス」の社名で商売していましたが、1959年2月に「クラロンメリヤス」に社名変更しました。倉敷紡績の糸と、鐘渕化学のカネカロンという糸を使っていたので、「倉(クラ)」と「ロン」を組み合わせて、「クラロン」と名付けます。 ところが、これが大きな問題になります。化学企業グループの「クラレ」の商標、特許を侵害してしまいます。善六さんは、大阪府にあるクラレ本社に行き、必死に謝り、悪意のない過失だったと釈明し、今後、誠意をもって償うことを訴えました。それによって、クラレ側と心が通じ、賠償金を免除する代わりに、2つの条件を出されました。1つは、3年以内の社名変更。2つ目はビニロンの糸を使ってトレーニングシャツを作ること。 早速、善六さんは会社で白のトレーニングシャツを作り、学校の市場開拓に全力をあげます。 1964年の東京オリンピックを前に、白のトレーニングシャツは飛ぶように売れます。しかし、スポーツ・体育着用品は流通が固定化され、新規参入が非常に難しく、当時、がむしゃらにストレートな学校攻勢をかけていたので、既存業者から”異端児”扱いされ、締め出しをくらってしまいます。 それでも、東京オリンピックをきっかけにスポーツウェアは全盛を迎え、会社の業績も伸び、倉敷紡績はもちろん、クラレも次第に応援してくれるようになり、商標も不問にされ、かえって倉敷紡績から技術者を派遣して製品の品質向上に大きく寄与する結果となりました。 1968年、善六さんにとって、大きな出会いがありました。それは、「国際ロータリー」との出会いです。 ロータリーの精神は、「職業を通じて社会を奉仕する」です。善六さんもロータリークラブの会員となり活動していくなかで、「私に出来る奉仕とは、何だろうか?」と考えるようになります。 そのころ、時を同じくして養護学校の先生が「教え子を縫製工として雇用してほしい」と頼んできました。その生徒は面接しても返事はなく、動作も鈍そうで弱々しく、善六さんもこれには渋りました。それでも、その先生は「障がい者、特に知的障がいの子どもは働きたくても、会社が雇ってくれない。私はこの子をどうしても自立させてやりたいんです。田中さん、どうか使ってみてやって下さい。この子だって、いい点はあるんです」と熱っぽく訴えてきました。この訴えを聞いて、善六さんはその先生の教育愛に感動し、パッと何かが閃きました。「そうだ、働く場がなくて困っている障がい者に、職場を提供することは、ロータリーの職業奉仕にかなうのではないか」と。この時、善六さんは障がい者に雇用の門戸を開くことを決心します。 しかし、その子は職場に拒否反応を起こします。そこで、善六さんは時間の許す限り、一対一で仕事を教えますが、何度も挫折感を味わい、いっそのこと投げ出そうとも思います。そんなある日、善六さんがその子に「上手にできるようになったね」と何気なく褒めてあげると、「はい」と返事をしてくれました。その顔を覗き込んでみると、素晴らしい笑顔で、善六さんもこのときの嬉しさは、何にもたとえようがない、ただただ嬉しくて、胸が熱くなったと話しています。採用して1年半後のことでした。仕事は遅いけれど、まじめに黙々と働くその子の姿に、善六さんはその子の隠れた能力を発見した喜びを感じ、「障がい者にも必ずいい点がある」と言ったその子の先生の言葉は本当だったと確信します。その子によって、善六さんの”奉仕”の目が開き、障がい者雇用の促進が善六さんのライフワークになります。1956年創業当時すでに3人の障がいのある子を採用しておりましたから、特別な負担はありませんでした。 しかし、「クラロンで働いていると、変な目で見られてお嫁に行けなくなる」といって辞めていく人がいたり、ある中学校の就職担当の先生が「あそこは、まともな者が行く会社じゃない」と蔑視したと聞いたりします。それでも、善六さんは働きたくても働く場が少ない障がい者たちに、可能な限り門戸を開いてやりたいと信念を曲げませんでした。むしろ、それらの言葉から健常者も、障がい者も、同じテーブルに座っての教育が必要であったと、反省していました。 1971年、11月には善六さんが発起人となり、養護学校の先生をはじめ、福島市教育委員会、福島公共職業安定所、事業所などの協力を得て、福島市中学校職能開発研究協議会を発足します。そこで、障がいのある生徒が、それぞれの能力に応じて仕事に打ち込み、ひとり歩きできるようにと願いを込めて、職場での適応訓練や、事業所と学校、行政側との研修会(勉強会)、生徒対象の職場見学、そして、職場実習の協力等々の活動を積み重ねていきます。それによって、徐々に成果が出始めて、生徒たちが職を得て、喜々として働き、健常者にひけをとらない働きぶりと真面目さが高く評価されるようになっていきました。 それからの善六さんは、一生懸命ロータリアンとして生きていく中で、国際ロータリー第253地区のガバナーというトップリーダー、国際ロータリー会長代理という大役を務めることになります。その他にも、福島成蹊女子高等学校(現福島成蹊高等学校)の理事長、福島県心身障害者雇用促進協議会会長なども務めます。  そして、2002年3月、善六さんは癌でこの世を去ります。  このような生涯を経た善六さんには、常に影のように寄り添い、温かく、時に厳しく、そして、岐路に立ち迷ったときには必ず、行く手を照らす優秀なサポーターがいます。妻須美子さんです。結婚が1947年ですから、様々な挫折、浪々、独立と荒海を一緒に乗り越えてこられています。善六さんも「会社もロータリーも、妻なしでは語れない」といい、善六さんの不自由な右耳の代わりになっていたそうです。そして、善六さんは「夫唱婦随、ときには婦唱夫随で偕老同穴」と須美子さんとの信頼関係をとても固いものであると述べています。二人三脚で共に生き、そして、現在は善六さんの遺志を継いで、会長である須美子さんと社長である氏川守義さんでクラロンを成長させています。■守り続けた言葉 生前、善六さんは、ロータリアンとして、4つのことを守ることにしていました。1つ目は、真実かどうか。自分の行動一つ一つが正しいのかどうかを常に自分の中で問いながら生きていく。2つ目は、みんなに公平かどうか。これは誰でも同じように接するということではなく、しっかり仕事をした方に対してはそれなりの評価を与えたり、教育したりするというとらえ方です。3つ目は、好意と友情を深めるか。人に対して、好意を持つ、友情を持つことを常に想って人と接する。4つ目は、みんなのためになるかどうか。自分のやっていることが常にみんなのためになっているのか。 この4つのことを「4つのテスト」といって、自分の行動・言動を常に反省して守るようにしていました。 また、善六さんが亡くなり、須美子さんが善六さんの机の中を整理している際に、   笑顔を絶やすな    あいさつしたか  感謝したか  油断はないか  満足の一日だったかと書かれたメモが出てきました。これらの言葉は善六さんが生前いつも口にしていた言葉でした。須美子さんはこのメモを善六さんの写真とともに写真立てにいれ、机の上に飾っています。 特に、須美子さんは「感謝する」ことを大切にされています。「クラロンでの仕事は私だけではできない仕事。みんなが真剣に仕事してくれるからこそ、私が今生きていられる」と社員の皆さんにお話されています。また、障がい者雇用に関してもこのように語っています。「障がい者の採用は学校側からの依頼が多いです。養護学校の先生からお話を受けて、採用したのは全部ですね。だから、学校の先生にも感謝しているんです。こういうチャンスを作ってくれたことに。」 そして、「油断はないか」という言葉を常に忘れないように、善六さんが戦後建設業の仕事をする際に履いていた地下足袋を大切にし、当時の苦しかった生活のことを常に胸に置いて油断しないように、心の戒めとされています。その他にも善六さんは、善六さんのお母さんからの教えを大事にされていました。例えば、「謙虚に生きよ」や「世のため、人のため」が挙げられます。そういった1つ1つの教えが善六さんの中で生き、それが行動に表していたからこそ、周りからの信用信頼も厚かったのでしょう。■褒める 善六さんは、障がい者に指導するうえで、大切にしていたポイントがありました。それは「褒める」ことです。指導者たる人は、注意を与える前に、必ず正鵠(せいこく)を射るような褒め言葉を与えることが肝要であるとして、褒めることの地道な取り組みが、障がい者にとり、やがて希望や夢を育んでいくものと善六さんは考えていました。 その「褒める」ことに関するエピソードを教えていただきました。B君という力が強く、言うことを聞かない、気にくわないことがあると手当たり次第に物を投げるという障がいの子がいました。善六さんもこれには困り、一計を案じました。ある日、工場の通路に裁断した反物を置いてもらい、そこを歩いてわざと転んで、大きな声で「あ~痛い」と言うと、近くにいたB君が「社長、どうした」と脇に来て言いました。それには善六さんも嬉しくて、さらにB君の名前を大きく呼びながら「B君は、優しい心を持っているね。私だから良かったが、他の人だったらケガをするではないか。どうだ2人で片付けよう」と40kgもあるその反物を担ごうとしたら、B君が「社長、腰を痛めるから俺一人で担ぐ」と言って自分から進んで片付けてくれました。反物は置き場所によって、通路をふさぎ、それが事故の要因になります。B君は、その出来事以来、自分の任務の一つと思って反物の片付けをするようになりました。ところが、善六さんがいるときはいいのですが、他の社員に「たまったから、片付けて」と言われると、ぷいとどこかへ行ってしまうのです。 そこで、善六さんはその社員に「君たちの言い方が悪いんだ。相手にやさしい言葉を考えなければならない。反物がそこにあることによって、どれだけの人に迷惑がかかるか、生産が落ちるか、無ければどれだけ人が助かるかということを順序よくかみ砕いて繰り返し教えることが必要ではないか」と伝え、B君には「君の力は素晴らしい。その力のおかげで、みんなが本当に喜んでいる。君が片付けてくれた通路を安心してどんどん歩けているじゃないか。それほど大事な仕事を君にあずけているんだ」と言い聞かせました。その後、B君は50kgもある反物を一人で担いで整理するようになります。善六さんは時々手伝いに行ってみたのですが、「これは俺の仕事で、社長の仕事ではない」と手伝わせてくれませんでした。そんなあるとき、B君が風邪で会社を休みました。そして、その日にB君の母親から電話がかかってきて、「社長さん、うちの子どもは38度5分の熱があるの。そして、うわごとのように、『俺が会社に行かないと社長が困るから』と言っているけれど、うちの子どもが会社へ行かないと何か困るようなことがあるのですか」という内容でした。善六さんは、それを聞いたとき思わず涙を流しました。B君は心の底から会社を思う気持ちになった、そんなに立派な子どもに育ってくれたのです。そして、障がい者が美しい心、責任感や陰ひなたのない心を持ち合わせていると善六さんは強く感じたのです。 「褒める」ことを繰り返すことで、社員に喜びを感じさせ、それを通して仕事に対する自信や誇りを持たせ、能力を引き出すきっかけになるのです。■美しい人間の生き方 善六さんは障がい者から「美しい人間の生き方を学ばせていただいている」とおっしゃっていました。その1人であるC子さんのエピソードを紹介します。 C子さんという素直で温和な性格の方が入社しました。C子さんも障害のある子で、入社後の職場適応訓練では、単純な反復作業が健常者の5割程度の能力でした。一方、時間をかけて正確に仕事をこなそうとする面がある方でもありました。1年間、教えるほうも教わるほうも血のにじむような努力が重ねられ、どうにか仕事をこなせるようにまでなっていきました。しかし、仕事に慣れるにつれて集中力が失われ、持久力に欠けてきました。善六さんは仕事を教えている社員に、諦めずに根気強く技術の習得にあたるよう伝え、こまごまと指示を与え、指導してくれたおかげで、C子さんは仕事がうまくできるようになりました。いつの間にか、C子さん自身よりも善六さんの方が、確実に進歩するC子さんの仕事ぶりに期待するほどになっていました。 そんなC子さんは仕事を通して成長されたのですが、彼女にはある言葉が支えとなっていました。「私の将来の夢は人の役に立つことです。私はどんなことをするにものろのろで、うまくいきません。人に迷惑をかけます。この会社に入ったら一生懸命頑張って、人の役に立ちたいと思っています。母がつねづね言います。『あなたにもできるところがある』と励ましてくれます。私はこの言葉を信じ、一生懸命働きます。」 これは、C子さんが入社したとき書いた作文の一節です。この文章にもある、「あなたにもできるところがある」というC子さんの母親の言葉が彼女に力を与え、C子さんの挫けようとする心を奮い起こしてくれたのでした。 のちに、C子さんは成人を迎え、成人の日には、C子さんの母親が1年も前から用意してくれた着物を着て、「早く社長さんに見せたくて!」と両親とともに挨拶に来られたそうです。「お陰様で!こんなに立派に成長しました。社長さん!」あとは言葉にならず、母親の頬には涙が流れていました。 善六さん自身、障がい者とのふれあいがなかったら、美しい心を美しいと感ずる人間にはなれなかったろうとおっしゃっています。そのくらい善六さんの中で障がい者と共に仕事をし、時間を過ごすことの影響は大きかったのです。

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  • 05 Sep
    • 法政大学大学院 坂本ゼミ クラロン訪問

      9月4日(月)、『日本でいちばん大切にしたい会社』で有名な、法政大学大学院の坂本光司教授とそのゼミ生の皆さまが、株式会社クラロン様を訪問されました。その際、坂本先生が弊社の社外報『YELL vol.13 株式会社クラロン特集』の内容について紹介してくださいました。YELLは弊社のHPからご覧いただけます。興味のある方はぜひご覧ください。▼これまでのYELLhttp://www.saiyoutokyouiku.com/yell坂本先生、ゼミ生の皆さま、株式会社クラロン様ありがとうございます。

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  • 01 Sep
    • YELL vol.13 株式会社クラロン~働く喜びを守る~ その1

       株式会社クラロンは、福島県福島市にある学校体育着の専門メーカーとして、「みんなが望む健康、みんなに優しいスポーツウェア」を経営理念に掲げ、東北、新潟県、栃木県、茨城県所在の幼稚園、小学校、中学校、高校約1,200校の園児、児童生徒に体育着を提供しています。さらに、官公庁、病院、企業に品質の良い機能的な製品も提供しています。近年では、介護分野にも進出し、ウェアや生活着などの現場に応じた機能・デザインを細かく受注できることを強みとしています。また、本業である体育着の分野でも、1学年10人に満たない学校からの受注や、特殊な規格外サイズの対応、あるいは身体障がい者用の特別仕様の体操着制作なども行い、更に小ロットに特化した戦略が功を奉し、好業績を保っています。 株式会社クラロンは1956年2月に肌着の製造販売業として、田中善六さんによって創業されました。その後、1964年の東京オリンピックを機に、これからはスポーツの時代になるということで、体育着の製造に転換し現在に至り、今年2016年で創業60年を迎えました。 そんな歴史のある株式会社クラロンは、2015年3月に行われた、第5回『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞で厚生労働大臣賞を受賞しました。受賞理由として、創業以来、障がい者の正規雇用に取り組み、現在の障がい者雇用率は実雇用率35.1%(重度ダブルカウントを含む)と福島県トップの実雇用率を誇り、また、高齢者雇用・女性雇用にも積極的で、1956年の創業以来、今日までの長年に亘り、障がい者、女性、高齢者を顕著に数多く雇用されているからです。 しかし、障がい者雇用には苦労が多かったのです。 自閉症のあるAさんは情緒不安定になると、奇声を上げ続けます。そんな時、創業者である田中善六さんはAさんを倉庫に誘い、大声を出させることで情緒を安定させていました。このような状況を2年続けました。また、善六さんは社内でAさんを見かけるたびに、Aさんの肩をトントンと叩くと、Aさんはニコニコして仕事に戻るようになっていきました。 善六さんが2002年3月に他界し、善六さんの妻である専務の田中須美子さんが社長となります。しかし、最愛の夫、絶対的存在だった夫を亡くし、絶望のあまり立ち上る力を失いました。 そんなある日、須美子さんが工場に入ると、Aさんが「肩、肩」と言って駆け寄り、「社長さん、頑張って!」と声をかけてくれました。Aさんの行動が須美子さんの心を動かし、胸を熱くさせました。「主人はこの世を去っても主人の魂はこの子の心の中で生きている」 この出来事は、会社を継続することはもちろん、社員一人一人の母となることを須美子さんに決意させます。日本の障がい者雇用に関する法制度は、1960年の「身体障害者雇用促進法」から始まり、1976年には障がい者雇用が義務化されます。2015年には「従業員数50人以上の企業」は障がい者を「従業員の占める割合が2.0%以上」雇用することが義務化されました。しかし、年々改善されてきていますが、対象事業所における実際の雇用率は「1.88%」(平成27年 厚生労働省)と、まだ下回っているのが現状です。その点、株式会社クラロンは1956年の創業時から18%(正社員17名のうち3名)の障がい者雇用があり、現在は35.1%を誇っています。 創業当時から現在にかけて、なぜ高い障がい者雇用率を保つことができるのでしょうか。 現会長の須美子さん(91)はこのように語っています。「障がい者を雇用しようと思ったのは、義務感によって雇用したわけでもありません。自然なことです。女性を雇用することも自然。高齢者を雇用することも自然。自然だから持続しているのではないでしょうか。」 善六さんは陸軍士官学校を卒業後、戦地で耳を損傷してしまい、聴覚が不自由になってしまいました。そんなことからも、田中夫妻にとって、障がい者は特別な存在ではなかったのです。普通のことであり、自然なこと。そのような考えが、障がい者雇用率に表れているのです。 そして、障がいを持っているから仕事ができないということは決してありません。障がいをもつ社員は、単純作業でも飽きずに集中し続けることが得意で、無遅刻無欠勤が極端に少ないのです。年末の仕事納めの際に、その1年間無遅刻無欠勤の社員に社内で表彰しています。どんな理由であろうと1秒であっても遅れたり、休んだりしただけで表彰の対象になりません。そのくらい厳しいルールにし、価値のあるものとしています。昨年は12名表彰されましたが、そのうちの10名が障がい者です。そんな彼らの姿は健常者のお手本となり、「障がい者は大切な戦力です」と須美子さんは言い切ります。そのような考えも障がい者雇用率の高さに表れています。須美子さんは「働く障がい者から学んだ美しい心は、私共の人生をも変えて、人が人を育て、1人も疎かにしない教育の大切さを教えられ、今やその考えが会社内にしっかり根を下ろしていることが何よりありがたいことです」とおっしゃいます。障がい者を雇用することは義務化されているとはいえ、企業にとっては並大抵なものではないでしょう。しかし、株式会社クラロンのように障がい者雇用を通して、社員一人ひとりが学び、成長していくこともできます。 そして、須美子さんはこのようにも言います。「雇ってあげているという考えは間違いで、自分のほうが支えられ、励まされ、元気をもらっています。少子化で体操着の売り上げは減っており、経営環境は厳しい。けれども、“この子たち”(障がい者)の『働く喜び』を守るためにできる限り雇用を続けたい。そのために企業としてきちんと利益を生みたい」と。■株式会社クラロンの3つの考え 株式会社クラロンでは、理念「みんなが望む健康、みんなに優しいスポーツウェア」に3つの想いが込められています。 1つ目は、お客様が購入しやすい価格。 2つ目は、機能性です。どんなにかっこいいデザインであっても、すぐに傷んでしまってはいけない。子どもであれば3年くらい同じ体育着を着続けることを考えても機能性の高い商品を製造すること。 3つ目は、どんなに少ない人数からの注文も受け付ける。 これら3つの想いが創業の理念に含まれています。 この創業の理念の他にも、会社として大事にしている考えが2つあります。 1つ目は、「人が人を育てる」です。障がい者を社員みんなで育てていく。それを通して、健常者・障がい者ともに成長していく。もちろん、健常者同士でも同じく成長していく。そのように互いを助け合い、協力しながら仕事をしていくことを意味しています。 実際に、採用時は仕事をするのも難しかった障がいを持つ社員も1年後には、健常者に仲間入りするほどに成長していた出来事がありました。それは、職場の方々の温かい理解と協力によって仕事ができるようになることで生まれる喜びが喜びを生み出し、さらに仕事に興味と楽しさを培っていったからです。 2つ目は、「1人を大切にする」です。この言葉は創業者の田中善六さんの言葉です。障がい者を雇用していく中で、一人として脱落者を出さないようにしていくことが大切で、そのために、教育をしたり、適材適所を見極めて仕事をさせたり、作業を分割化したりと工夫を凝らしています。そして、障がい者・健常者関係なく社員一人ひとりを大切にする想いが込められています。 障がい者にとって、自分に合った仕事ができることはとても嬉しいことだと思います。そういう場所に、親も障がいを持った子どもを就かせたいと思うでしょう。現会長の須美子さんからこんなエピソードを教えて頂きました。 ある個人経営の電気屋さんがあり、須美子さんはそこでよく電化製品を購入していました。ある日、その電気屋さんが、「近くに引っ越しました」と須美子さんのところへあいさつに訪れました。ただ近くといってもクラロンからまだ距離があります。 ある時、ランニングパンツを須美子さんはその電気屋さんに「息子さんに履かせてください」と言って差し上げると、電気屋さんから「うちの子がランニングするようになればいいんだけれどね…」と返ってきました。その時初めて、須美子さんは電気屋さんの息子が障がいを持っていることを知ります。それから数年後、また電気屋さんが訪れて、「また近くに引っ越しました」とあいさつに来ました。1年経ち、息子さんが養護学校を卒業したので、電気屋さんが訪れて、「息子をクラロンに就職させてくれませんか」と相談され、快く引き受けました。 須美子さんは、その一連の出来事を振り返り、電気屋さんが息子をクラロンで働かせるために、引越しをしていたことに気が付きます。ことわざに「孟母(もうぼ)三遷(さんせん)」という言葉があります。これは、孟子の家族は、はじめ墓地の近くに住んでいましたが、子どもの孟子は葬式のまねばかりして遊ぶので、市場の近くに引っ越します。ところが、今度は、孟子が商人の真似ばかりするので、今度は学校の近くに引っ越します。すると、孟子は礼儀作法を真似るようになり、これこそ教育に最適の場所だとその地に定住したという故事。つまり、子供の教育には、良い環境を選ぶことが大事だということを意味しています。 障がいを持つ子どもの親は我が子のことを非常に心配しています。「1人を大切にする」クラロンであれば安心できると、電気屋さんは思ったのでしょう。この子は今素晴らしい戦力となって勤続27年を迎えました。 「創業の理念」「人が人を育てる」「1人を大切にする」、これら3つの考えが創業60年を迎えた今でも、社内で根を下ろしているからこそ、障がい者雇用、女性・高齢者雇用につながっています。

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  • 31 Aug
    • 日本三大饅頭 柏屋薄皮饅頭 『珈琲♡和菓子アワード2017』

      こんにちは。採用と教育研究所です。福島県のおみやげといったら、これですよね。銘菓「薄皮饅頭」日本三大饅頭「薄皮饅頭」の柏屋さんただいま珈琲♡和菓子アワード2017にチャレンジ中です。http://sen.agf.jp/award/detail.html?id=86お気に入りのスイーツに1日1票投票できます。8月31日の24時まで。現在暫定2位!本日最終日、福島県の企業としては、柏屋さんに1位になってもらいたい…(*^-^*)ということでシェア&ワンクリックで応援よろしくお願いいたします♡~投票のルール~1回まで投票いただけます。※翌日はまた同じ和菓子への投票が出来ますので、是非毎日ご投票ください。※不正な投票が判明した際は、投票数から除外させていただく場合がございます。※投票は、8月31日(木)24時をもって、締め切りとさせていただきます。http://sen.agf.jp/award/detail.html?id=86

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半田 真仁

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