ふじなまさきなまの「俺は強い」

偉そうに「俺は強い」と威張っているように見えるかもしれませんが、弱いから、強くなりたいからこう言ってるのです。「そうなりたい」と願う「アファメーション」です。


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バレーについて少し違う問題提起をしましたが、

サッカーでも、ありましたね。。。


http://news.nifty.com/cs/sports/soccerdetail/nikkansp-p-sc-tp0-091104-0007/1.htm

http://news.nifty.com/cs/sports/soccerdetail/nikkansp-f-sc-tp0-091105-0038/1.htm

http://news.nifty.com/cs/sports/soccerdetail/kyodo-2009110501000819/1.htm


いい大人が情けない。


スポーツ選手の教育。


現場の指導者は、きっと、


「どっからどこまで教えなきゃいけないんだ!?!」


と、嘆いているでしょう。



やはり、言動・マナーとかに、子どもの頃からうるさく言ってあげなきゃなんですよね。

TPO とか、マナー とか、今の教育現場では大事にされなさすぎ。


挨拶、言葉遣い、気配り。


あたりまえのことが出来ない。

親も躾けをしない。


教師は親に向かって堂々と


 「勉強なんかより、よっぽど大事なものがある!」


と言えなきゃいけないと思う。


きっと、教師も出来ないのかもしれない。



昔、自分が学生の頃、

 

「鈴木健二 気配りのすすめ」 なんて本が大ヒットしましたよね。


再版してもらいましょうか?



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「教育・体育科教育」なんてテーマで久々に書いてみようかと思う。


先週で終了した「教育実習」。

附属でやる実習は厳しいと評判のようであるが、そうかなぁ、と思う。

昔話をするようになっては「歳」なのかもしれないが、せざるを得ない。


我々の時は4週間である。

で、保健以外に実技を3種目持った。

バレー、サッカー、柔道。

そんなのが当時は当たり前である。

で、そりゃ大変であった。

大学に入って初めて真面目に一生懸命勉強したと思う。

そんなことは今も昔も変わらないだろう。

だから、そんなことは実はどうでも良い。

誰しもそんなきっかけから勉強をするようになる。

それで良いのである。


ところが、今回は大変なことに気づいてしまった。


それは、はっきり言ってしまえば 文部科学省に対する批判 になるのだが、

言わずにはおられない!


何か。


教生の実技能力の低さ である。


勉強は今回のことをきっかけにやっていけば問題はない。

生徒とのやり取りも場数をこなして慣れていけば問題はない。


ところがである。


22才くらいの彼らが、これから実技を練習して、どの程度の上達が期待できるだろうか?


専門種目以外の実技が、はっきり言って 下手!

途中で 業を煮やして、 バレーの実技講習会をやったんですわ。

そうしたら、連中の下手なことったらない!

高校生の授業に参加させても、


間違いなく 見劣りする!


こんなことを参観に来て下さった 大学の先生と ぶっちゃけ 話をした。


すると、


大学の先生達も困っているとのこと。


センター試験になり、「体育」を目指すからではなく、

点数が これくらい だったから 筑波の体育に行く と言う奴が増えた。


そんなことを以前は聞いた。

それはそれで問題だろうと思っていたが、

今回はそんなモノではない!

みんな「体育」の勉強をやりたくて来ていても、実技能力が低いのがいるというのだ。


原因はどうやら 「種目選択制」 である!

何年か前に、「体育嫌いを無くす方策の一つ」として、

文科省が打ち出した「中学校時代から種目選択制でやるように!」との指示である。


こんなところにまで波及するとは思いもしなかった!


そもそも TF では、高校3年生になるまで 体育での種目選択制 は採用していない。

ま、語弊があるので言えば、スポーツ大会用の授業の際に、僅かながらも1年から選択させている。

それだけである。

理由は簡単。

文科省の方針に反対だからである!


まあ、そもそも、体育が好きな連中ばかりいるような学校だからこんなことを言ってられるのかもしれないが、

中学生の時から 「自分が好きな種目だけやっていく体育」 なんてものがあって良いはずがない!

文科省の指示はそうである。


「バレーが好きな子は、中学3年間、ずっとバレーを頑張りなさい。」


確かに聞こえは言い。

自分で好きで選んだのだから、一生懸命やるかもしれない。


でも、そんなので良いのだろうか?


TFでは、1・2年はいろいろやらせる。

種目は指定されている。

バレーが好きだろうが、サッカーはやらなければならない。

暑い夏だろうと、柔道をやらなければならない。

倒立前転ができないと泣こうと、マット運動をやらなければならない。

バタフライだか、溺れているんだかわからない状況でも、100m個人メドレーを泳がなければならない。

泳げない子は、夏休みの最初に 「水泳補習授業」 に招待される。


その経験から、いろいろなことを学び、

いろいろなことができるようななる。


体育とは、そういうモノではないだろうか?


イヤだからやらない。

好きだからやる。


それだけでは、様々な体の機能は正しく身に付かない。


つまり、もう、その世代が大学生になっているのだ。


「はい、バレーはやったことがありません。」


平気で言うのですよ!

ありえないっしょ!!


昔から、球技は得意だけど体操系はダメ。

とか、その逆は何人もいた。

190以上あるような連中は 「蹴上がり」 に苦しみ、「倒立前転」に苦しんだ。

筋肉質で皮下脂肪が無くて浮かない連中は、海での「立ち泳ぎ」に苦しんだ。

その横で、190以上ある奴は海底につま先が届いていたりする^^;


でも、根本的には、子供の頃から様々なスポーツ種目に触れ、体育では 跳び箱も、鉄棒もやらされていた。

遊びでもいろいろやって来た。

だから、生徒の前で見本を見せるには、そこそこ形になる実技能力を持っていた。


ところが、今の大学生たるや、見本に耐えない!


悲しい。


これは 学生達が怠惰な学生生活をおくってきたからではない!

そうなるべくしてなってしまったのだ!

そのように育てられてしまったのだ!

これは、彼らのセイでも、大学のセイでもない!


はっきり言って、そのような政策を打ち出した、文科省 の責任である!


きっと、文科省には、勉強はできたけど、体育はできなくて辛い思いをした方々しかいないのかもしれない。

そんな人たちも犠牲者である。

イヤな思いしかさせられなかった体育の授業をやった体育教師の責任である。

「体育科」の本当の存在意義を語れなかった体育科教員の責任である。


これは本当に困った問題である。

「専門種目しかできない体育教師」


これはまずいことになった。


世の体育科教育に関わる全ての人間は、

このことを重要視して考えていかなければならない!


小学校・中学校・高校 での体育が、将来の体育科教員を作るのだ。

そこがいい加減になれば、将来の体育科教育は無い!


教科選択制が進み、体育が選択制になるとしたら、

必修から外されるとしたら。


世の体育科教師は喰いっぱぐれることになる。


じつは、そんな レベルの低い話ではない。


日本中が まともな運動能力のない人間 ばかりになってしまう。

これは はっきり言って、日本における人類の危機 である!


現在の都会は、只でさえ、人間の運動機能を衰えさせる方向へと動いている。

幼児期の子供達の運動機会は失われ、室内遊びとゲームボーイに形を変えている。

人間が本来持っていた運動能力は、

大部分が 遊び の中で作られていた。

そして、子供の頃からの、少しの労働の中で作られていた。

それが減少し、体育の必要性を増大させた。


にも関わらず、体育科がこのような衰退する状況を呈していっては、どうなるのだ!


今度、教育実習生の反省を大学の先生達とやるときには、

この問題を強く訴えようと思う。

で、大学から文科省に、それ以上に強く訴えてもらいたい。



ここへ来て 「土曜日に授業をやっても良い」 とか言い出した始末!


誰が 土曜日を休みにしろと言ったんだ!

現場の教師は 一言も言ってないし、そのお陰でどれだけ困ったことか!!


まったく、美しい日本 は良いけれど、

教育をもっとまじめに考えてくれなきゃ困りますよ!


何タラ教育会議も、有名な元不良教師や飲み屋の社長を入れて、何になると言うのだ!?

そんなに考えさせるくらいなら、現場の教師の意見を聞け!



教育実習生達よ、お疲れさまでした。

現場は大変なんだから、これからももっと勉強し、トレーニングし、身体を動かし続けるのだぞ!





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ともこさんの疑問の続き。
別に恐縮しないで下さいね>ともこさん。
ちょうど語りたかった内容にあっていたから書かせていただくだけですから。^^

ちょうど、と言うのは、前にも紹介した 平日毎朝やってる TFM 石川みのる の SKY と言う番組でも、ちょうどそんな話しになったんです。彼のブログに俺もコメントを書きました。http://reco.jfn.co.jp/blog/ishikawa/


そこに書いたことは、精神疾患に対する考え方が我が国は遅れているということ。


ちょうど来週からの保健の授業ではそのあたりがメインテーマになります。

「精神の健康」という単元です。


で、ともこさんの質問にあった 「学校カウンセラー」 。

はっきり言って、あまり意味がないと思います。


但し、カウンセラーを否定しているのではありません!

せっかくのカウンセラーが機能しない今の社会を否定しているのです。



つまり、現状のように 「精神疾患」 や 「カウンセリングを受けること」 が、

これほどまでに偏見を持たれていると、カウンセリングが機能しないだろうと言うことです。


これは授業でも一番強調するところです。


きたやまおさむ という方をご存じでしょうか?

その昔(1967)、「帰ってきたヨッパライ」 という歌で一斉を風靡した フォーク・クルセイダース のメンバーであり、

「戦争を知らない子供たち」 で71年のレコード大賞作詞賞を受賞。

その後医師となり、現在は精神科医として活躍されている方。

その方が書かれた本。


きたやま おさむ
みんなの精神科―心とからだのカウンセリング〈38〉

自らが精神科医として働きながら、一般の人たちに対して精神科が敷居が高いことを嘆き(?)、

もっと低くなることを訴えている本です。


授業でもこの本は紹介しますし、TFの図書館にも入れてもらったんじゃないかな。


わかりやすく言えば、


「歯医者に行くように、精神科医に行くことを普通のこととして考えられるような日本になって欲しい!」


と言う訴えなのです。


裏返せば、今はまだそうではないと言うこと。


話を戻しますと、この感覚が変わらない限り、 「学校カウンセラー」 は、

開店休業状態 が続いてしまう、と言うことです。

もちろん、そのカウンセラーや担任の先生が指示を出して、

生徒に受けさせると言うことで機能させることは可能でしょうが、

本当はもう少し先に進むべきだと思っています。


現状、TFにカウンセリングルームがあってカウンセラーの先生がいたとして、

生徒達にどのような動きが生じるでしょう?


「わりぃ、今日俺、カウンセリングの先生のところに行くから、練習遅れる。先に行ってて!」


こんな会話ができるでしょうか?


実は現状でもTFは、大学の協力ですぐそばにカウンセリングをしてもらえる施設があります。

そこは保健室の先生を通じて、予約が可能です。

現実には利用されているようですが、どことなく、コソコソと利用されているのではないでしょうか?

ちっとも悪いことではないのに!


すべて親や生徒の感覚の遅れ(?)なのです。


そのため以前に、精神の健康の授業を俺がやったあと、

やたらとその申し込みに来る生徒が増えた、と聞いたことがあります。


カウンセリングを受けることを 普通のこと として捉え、受けてみよう、と思えるようになったのだろうと思います。


とても良いことです。


またある年には、女子バレー部の2年生全員をお願いして 集団カウンセリング を受けさせたこともあります。

授業でも公言してです。

力が出し切れない、など、様々な悩みや問題を抱えていたので、その解決を目指しました。

効果もあったと思います。


今では アファメーション のお陰で、そのようなことも必要なくなりましたが、

スポーツをやっている生徒は、もっと気軽にカウンセリングを利用しちゃえばいいのに!と訴えました。


もちろんこれは、生徒達に カウンセリングを受けること は 特別なことではない! 

と言うことを、女子バレー部員を使って紹介したようなもので、

現実に運動部の連中が次から次へとその先生を訪れるようになったら、

もっと重大な問題を抱えている生徒達に対応する時間が無くなってしまうので、

やめてくれ、と言われそうですが。


でも、そのくらいになるようでないと、各学校にカウンセラーをおいても、思ったような効果は期待できないと思うのです。


結論を言えば、各学校に学校カウンセラーをおくことには賛成です!

しかし、それと同時に、あるいはそれ以上に、カウンセリングを受けるということや、

精神科に通うことに対する偏見を無くしていかなければならないでしょう。


それが何よりも大切です!


マスコミに文句を言ったところで、馬の耳に念仏 でしょうが、

最初に授業で使わせて貰う 宮沢りえちゃん の 拒食症時代の 某週刊誌の記事。


ひどいモンです!


『本誌だけが掴んだ!宮沢りえ「生命の危機」を示すこれだけの根拠』

記事の中でも 「**病院に通っている!」とか、「K病院の精神科だという。」と書かれています。

当時、「本誌だけ」どころか、少しでも 「拒食症」 の知識がある人なら、だれだって彼女の症状は理解できるほどになっていましたよ。

それを思いっきり興味本位な 三流週刊誌記事 に仕立て上げている。さすが週間GD!


あれがいまだに我が国の状況だと思います。


「宮沢りえが なんと 歯医者に行っていた!」


記事になりませんよね?

なんで同じじゃないんだろう?!


結局、賢明な宮沢りえとその周囲は、彼女を日本のアホなマスコミから遠ざけて、渡米して治療に専念しましたよね。

大正解!

その後、無事に復帰して、今もまだ可愛い姿で活躍していますが、

俺的には、往年のスタイルの良い彼女の方が好きだったなぁ。。。。

あの年齢での拒食はせっかくの美貌を台無しにしてしまい、その後の快復もすごく時間がかかった。

でも、かのカレンカーペンターのような結末にならず、今も素敵な笑顔を見せてくれていることにホッとしています。


なんせ、俺、彼女が三井のリハウスで脚光を浴びる以前に、コカコーラのCMでもチェックし、

さらにその前に セブンティーンの表紙を飾っていた頃からのお気に入りでしたから!

彼女がローティーンかな。

もう、20年も前だね。

ちなみに、話題騒然とした 初のヌード写真集 「サンタフェ」 は、持っていませんが、

もっと若い頃の、水着までの 初写真集 は持っています! v^^v

実は、某くんにもらったのだけれど!

きっとここを読んでいる 某くん(あえて くん ね ^^)ありがとう!大事にしてるよ!


お~~っと、話が飛んでもない方向へずれてしまった!


と言うことで、来週からの保健の授業は 「精神の健康」 に入ります。

生徒諸君は、身近なこと、自分のこととして考えて下さいね。



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今日は、テーマも新たにして、真面目に行きます!

先日の本校での研究大会の話です。


さて、先日の研究大会では、 「体育で何を学ぶのか?」 を大きなテーマとして捉え、

2年前より 「コミュニケーション」 という切り口でやって来ています。


つまり 

 「コミュニケーション能力」 は体育科教育の中で教えるべきもの と言えるのではないか

ということなのです。


特にこのところの若者を考えてみると、いじめや自殺など、

彼らのコミュニケーション能力の低さが気になってしまう。


で、日常的に体育の授業をやっていると、ちょっとしたことが気になるのです。


「ハイ、二人組を作ってぇ~。」


で、必ず余ってしまう子


そこに、いろいろな 「仕掛け」 を作らなければならない。


「お互いに名前を呼び合ってパスをする」

という練習を指定したり。


TFは、小学校から上がって来る子と、中学校から入ってくる子、高校から入って来る子の3通りがいる。

だから、高校から入学した大人しい子は、疎外感を感じるおそれがある。


だから我々もそんな意味で気を使う。

しかし3年間クラス替えがない!

だから上級生になるに連れて中の良さはクラス単位で濃くなっていく。

でも逆に、部活などでも繋がらないと別のクラスの子とは、仲良くなるチャンスが少ない。

だから、身体接触などを伴う体育は重要だと思うのだ。


それでも、比較的に中の良い(人の良い?)連中が多いTFだから、コミュニケーションは取れているものが多い方だとは思う。


でも、我々から見ていると、まだまだ。


「え、そんなこと、『頼む』と一言言えばいいじゃないか?」


とか思うことがある。


挨拶も下手な気がする。

だから体育を通じてそんな機会を作る。

今回のバレーボールでは、


「前半戦は、敢えてチームを固定せず、即席で練習試合を行い、いろいろな奴とのプレー、交流機会を増やす。」


「練習ゲームの中で、『テクニカルタイムアウト』を導入し、積極的に話し合いの時間を作る。」


というあたりを目玉としつつ、授業開始時から、「コミュニケーション」「話し合い」「チームワーク」「作戦作り」を重視していると伝える。


まあ、2年生の男子だし、うちの連中はスポーツの好きな奴らが多いから、普通にしていればどんどんやるのだけれど。


でも、そんな仕掛けにより 「下手な奴バッシング」 みたいなイヤな状況は消えていくと思う。

(滅多に無いようだけれど...。)


公開授業で誉められたのは、自分では気づかずにやっていたことなのだけれども、


「ミスをしたものは、『ごめ~ん』と言う、周りは『ドンマ~イ』と言う!」 ということ。


あたりまえなのだけれど、それだけでもムードが悪くならないで済む。


そんなことが、教えるべき内容になってしまうと言うのが、実は本当はおかしなことなのだろうけれど、現実はそうなのだから仕方がない。

分科会で話をしてくれたある先生の学校は、単位制で、体育もいろいろな種目を取れるようになっているらしい。

そうすると、そもそも単位制で、HRの様なものもなく行われているその学校には、やはり人間関係の下手な子が集まるという。

で、体育も、「あまり他人と関係しなくて済む種目」に人気が集まるという。

だからそれに対して疑問視をしていると。

子供は本来、家庭でスタートし、幼稚園に入って 「集団の中で活動する」 トレーニングを始める。

そこで初めて「他人」と接するのだ。

ところがそこで上手く行かないまま、ずっと高校生になる。(あるいは途中からの挫折)

いずれにしろ、社会性を拒否したまま成長する。

他人との交流が下手な人間はいても良いのだとは思うが、

社会性を身につけることは人間にとって極めて大切なことなのではないだろうか?

それは「他人との交流が苦手」という人の存在も含めての社会性だ。

文部科学省は、体育の種目選択を推進している。


だからその通りやると、先ほどのように「他人と接する機会の少ない種目」しかやらなくても良くなってしまう。


座学とは違い、身体活動、身体接触、他人との交流などを求められるはずの体育活動がそれを取り払った活動だけを選んで良い、となると、そのような経験はどこでするというのだろう?


だから、と言うだけではないが、TFではまともな種目選択は3年生になってからである。

1.2年のうちは、それぞれに価値のある種目を教員が設定し、

全員が必修で行わなければならない。

好きなものも嫌いなものも。やったことがあろうと無かろうと。


だから人間に幅ができると思う。

今回の研究会では、やはりこれから先、我々体育科教員は、「体力」や「技術」を向上させることだけにとらわれるのではなく、「知識」ももちろんのこと、「コミュニケーション能力」を育てることも使命の一つだと思うべきなのではないだろうか、という結論に達したような気がしている。


それが「座学」と違った、「体育科」の存在価値の一つでもあるのだ。

ご意見など、お寄せ下さい。


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