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2009-11-16 06:00:00

A drop of Honey(一滴の蜂蜜)

テーマ:ライティング・リテラシー

  “Perhaps the drop of honey WAS our problem.”
(きっとあの蜂蜜の一滴は“我々の問題”だったんだ)


      ~ アジアに伝わる民話 ~

  ---------------------------

  先日、ある高校生と話をしました。


  その子は、今時の高校生にしては珍しく、と言ってはなんで
  しょうか。とても本質的なことを常に考えているんですね。


  その時も、日本人の「自分さえよければよい」という風潮に
  ついて、いろんな意見を投げかけてくれました。


  その子だけではないのですが、真剣に真面目に考えている
  高校生くらいの子にとっては、この世界が不思議で仕方ない
  ようです。


  「だって、世界でお金のある国が、お金のない国にきちんと
   回せば、飢餓の問題もすぐに解決するじゃん。」


  「戦争が起こるとか、軍備のための競争とか訳わかんない。
   そんなのみんなで話し合って、一斉に軍備を撤廃すれば
   いいだけじゃん。」


  「大人がわかんない。そんな簡単なこと誰でもわかるのに
   “なんでだれもやらないの!”」


  言葉で書くと、ただ“人生とか世の中わかってない青い
  意見だなぁ・・・”と思われるかもしれませんが、
  そう思った方がある意味一番危険かもしれません(笑)。


  完全にこの世界の常識やあり方の中にどっぷりつかって
  いる証拠なのですから。


  簡単なこと、誰でもわかることができていない。


  これが私たちにとって最も身近で、最も古く、そして最新の
  ホットな問題です。私たちはずっとそこを越えられていない
  ように思います。


  特に40代以上の人は、この世界のあり方をつくる側に
  回っています。一つひとつのこの世界のあり方の疑問に
  真剣に向き合い、責任を持つことが大切かと思います。


  --------------------------


  さて、今日のテーマは、あるアジアの国の民話です。
  これは偶然、高校生の英語の教科書を見せてもらった時
  「シンプルでいい話だなぁ」と思ったものです。  
  

  あらすじを紹介しますね。


  ある国の王様と補佐官が王宮の窓辺で、蜂蜜を食べていま
  した。

  
  ところが一滴窓枠のところに落ちてしまう、要はdropした。


  補佐官が「私が拭いておきましょうか?」と聞きますが、
  王様は、「気にするな。それは我々の問題ではない。
  家来たちが後で、きれいにしてくれるだろう。」と答えます。


  しかし、その一滴の蜂蜜が窓から下の道に落ち、


  それにハエがとまり、そのハエにトカゲが飛びつき、


  そのトカゲにネコが飛び掛り、ネコに犬が噛み付きます。


  その様子を上から見ていた補佐官が王様に言います。


  「ネコと犬がケンカをしています。誰かを呼んで止めさせ
   ましょうか?」


  けれど、王様は「気にするな。我々の問題ではない。」
  と答えます。


  今度は、犬をネコの飼い主が叩き、ネコを犬の飼い主が叩き
  始めました。そのうち、お互いの飼い主同士がケンカを始め
  ました。


  補佐官はこれを見て「いまや、二人の人間がケンカをして
  います。やめさせるべきではないでしょうか?」と聞きます。


  王様は「気にするな。それは我々の問題ではない」と同じ答え。


  そのうち、二人の飼い主の友人たちがこのケンカに加わり
  ました。 


  まもなく、兵士たちがやってきてその両側に分かれました。


  市民戦争が始まりました。


  家々は焼け、人々は死に、


  ・・・ついに王宮も焼け落ちました。


  王様は周りを見回し、肩を落とし補佐官に言いました。


  「おそらく私がまちがっていたのだ。きっとあの一滴は、
   “我々の問題”だったのだ。」

  
  というお話でした。


  ご感想があればお待ちしています。



自 遊 自 在



 

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2009-11-09 06:00:00

見えない「→」に敏感になる

テーマ:ライティング・リテラシー

   誰もが人殺しは悪いことだと知っている。

 でも、見えない「→」で人を攻撃をし、人のエネルギーを

   見えないレベルで殺傷していないだろうか?


          ~ 詠み人知らず ~

  ---------------------------


  先週号「『鼻』に思う」に読者の方から感想をいただき
  ました。今日はそちらを最初にご紹介したいと思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  おはようございます。
  読者の***と申します。


  今週も素敵なメルマガありがとうございました。
  とても興味深く、共感できました。


  「傍観者の利己主義」という言葉は初めてでしたが、
  そういう人の性質は、理解していたつもりです。


  というよりは、そんな性質を時々自分の中に発見して、
  「残念」&「変えなきゃ」という気持ちになることが
  ありました。


  でも、今回のメルマガで、一番唸った所は、ここです。

  > そして、その女同士の関係を保つために、うまく
  > いっている恋愛もわざとそんなにうまくいって
> いないように話をしたりして・・・。

 
  みんな図らずして、「傍観者の利己主義」を知っている。
  だから、不幸な面を見せて、好感情を持ってもらおうと
  している。のでしょうね。


  きっと、「傍観者の利己主義」は、そう簡単に無くなる
  感情ではないでしょうから、不幸面も飾らずに見せていく
  ことも大事なのかもしれませんね。


  「明」だけが見える人よりも、「明も暗も」感じる人の
  方が、共感でき魅力も感じますね。


  今回も考えさせられる内容をありがとうございました。
  また今後も楽しみにしています。
  
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  Mさん、丁寧なご感想ありがとうございました。

  
  先週取り上げた『鼻』は、画期的な療法で鼻が短くなった
  内供(ないぐ)に対して、周りが余計嘲笑するようになり、
  結局、内供も元の長い鼻に戻ったことを安堵したというお話
  でした。

   
  この作品で芥川が伝えたかったことの一つが、
  先週取り上げた「人の幸せを喜べない」という「傍観者の
  利己主義」という私たちの根深い性質。


  でも、実はもう一つ芥川が伝えたかった隠されたテーマが
  あったんですね。


  それがMさんが一番唸ってくださった 

  > そして、その女同士の関係を保つために、うまく
  > いっている恋愛もわざとそんなにうまくいって
> いないように話をしたりして・・・。 

  という部分なんです。


  つまり、『鼻』におきかえると、内供はみんなとの関係を
  保ちたいがために、決して本人にとってもよろしくない
  「不恰好な鼻」という状態に戻ることを満足して選んだ
  という側面です。


  ここでのテーマは、「意志」がないこと。


  内供を通して、自分の意志を持たず、周りの状況に
  合わせながら、人生を創ってしまう私たちの愚かさ
  を描いています。


  「意志」は人生というプログラムを立ち上げる動力です。


  周りの人がどうあろうと、大切にしていきたいと思える
  部分(私にとってはこのメルマガで再三取り上げている
  「良心」と呼んでいる部分なのですが・・・)がなければ、
  結局は「傍観者の利己主義」のほうに加担する側になって
  しまいます。


  「傍観者の利己主義」に囲まれた「幸せなような」人生に
  満足して生きていくのか?


  それとも崩れることのない「しあわせ」のために、自分の
  中に新たな種を蒔き、丁寧に時間をかけて育てることを
  選ぶのか?


  時代を超えて私たちに深く迫るテーマです。


  Mさんのおかげで、先週のテーマを、さらにつっこんで
  書かせていただくことができました。


  みなさんが感じたちょっとしたことも、実はするどく
  深いテーマに直結しているかもしれません。


  メルマガをお読みになって何か感じたことがあれば
  どんなことでも結構ですので感想をお寄せくださいね。


  ------------------------

  それでは今日のテーマです。


  先月、ある方と1対1で話す機会がありました。


  その方は、1対1という状況にも関わらず、
  永遠と自説をしゃべりまくりました。


  お互いのコミュニケーションをという名目で時間を
  取り、会う約束をしたにも関わらず、私が話した
  時間は全体の10分の1にも満たなかったと思います。


  非常に疲れました・・・。


  きっと相手の方は、最初からコミュニケーションを
  取る気も、私の話を聞く気がなかったのでしょうね。


  自説を理解させる(押し付ける)気持ちしかなかった
  ようです。
  本人はおそらくそのことに気づいていないと思いますが。


  翌朝、とてもしんどくて中々起きることができません
  でした。日課の朝のウォーキングもできないくらいに
  ダメージを受けました。


  私には、明らかにその前日の相手の方から受けた
  見えない「→」の影響であることが経験上わかります。


  今回の例は極端に思われるかもしれませんが、
  私たちは日常生活の中で、この見えない「→」を頻繁に
  使っています。


  もちろん、私自身も「そんなことしてませんよ」という
  ことではなく、やってしまった後で“失敗した”と深く
  後悔することがたまにあります。


  人は自分の領域から出て、他人をコントロールする
  感情を持って行動する時、この見えない「→」を使い
  他人をエネルギーレベルで殺傷しています。


  冗談ではありません。本当に怖いことです。


  でも、もちろんこの世界では犯罪に問われません。


  今後、私たちは大きくその内面によって住む世界が
  分かれると言われています。


  内面の性質が異なる人とは次第に縁が薄れていく…。


  その一つの指標は、自分の責任をもつ領域をどこまでに
  設定するか、ということがあげられると思います。


  1.法律で犯罪とされなければいい
  2.常識や多数意見に違っていなければいい
  3.「良心」に反することはできない


  このメルマガは3.の領域まで責任を持ちたいと思われる
  方に向けて書いています。


  「良心」というと“そんなの当たり前じゃないか”と
  思われるかもしれませんが、そんなことはありません。


  良心というのはみんなが持っているものだと思います。
  しかし、持っているというのと責任を持とうとすると
  いうのは天と地ほどの開きがあります。


  例えば、以前メルマガで浜口隆則さんの『戦わない経営』
  の中にある「雪が降っても自分のせい」という言葉を
  ご紹介しました。


  “起こる物事すべてが自分の責任だと思い引き受ける姿勢”
  が大切との論調に多くの方が共感していただけたようです。
  数名の方から「とてもよかったです」というご感想もいた
  だきました。


  しかし、それはあくまで「起業家の成功する条件」として
  ご紹介したからだと思います。        


  例えば、「この地球で誰か一人でも飢餓で苦しんでいれば
  それは自分の責任だと思うことが大切です」と書いて
  いたらどうでしょうか?


  「何いってんの?」となりませんか?


  「そんなの俺の、私のせいじゃないよ!!」と。


  良心のレベルで物事に責任を持つとは、見えない
  レベルを含めすべてを自分と関連付け、責任を
  持とうとする姿勢だということができます。


  だから、他人から発せられる見えない「→」には、
  人一倍敏感になりますし、自分の出す見えない「→」
  にも当然敏感になり、そのようなことがないよう
  徹底する姿勢が大切だと思います。

自 遊 自 在



 

2009-11-02 06:00:00

『鼻』に思う

テーマ:ライティング・リテラシー

人間の心には互に矛盾(むじゅん)した二つの感情がある。


          ~ 芥川龍之介 ~

  ---------------------------


  先週は、明治の文豪、夏目漱石さんに登場してもらいました。


  そして、その夏目漱石が絶賛したと言われるのが、芥川龍之介
  の『鼻』。


  きっと、みなさん中学あるいは高校あたりで一度は読まされ
  ましたよね。


  鼻が極端に長く、食事の時は小僧に鼻を下から板で支えてもらい
  ながら食べていた禅智内供(ぜんちないぐ)というお坊さんの
  お話です。


  現代の私たちが薄毛で悩み、画期的な発毛法が求めるように
  禅智内供の頭の中は、鼻を画期的に短くする方法がないか・・・
  ということでいっぱいでした。


  「内供は、震旦(しんたん)の話の序(ついで)に蜀漢の劉玄徳
  (りゅうげんとく)の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが
   鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。」

  
  震旦とは「秦」を由来とする言葉で「支那(中国)」の意味です。
  三国志でおなじみの劉備玄徳の耳が垂れ下がるように長かったという
  のは有名ですよね。それが「鼻のことだったら、どんなに救われた
  だろう・・・」というのですから、まさに愛すべき内供というほか
  ありません。
  

  ある日、中国から来た医者が鼻の短くなるという画期的な方法を
  知っているという情報が入ります。


  あくまで表面的には“鼻のことなんて気にしていませんよぉ~”と
  いうふりをしている内供。


  自分からやってみたいとは絶対に言えません。
  弟子がその方法を試すよう必死に自分を説き伏せ、しぶしぶ試して
  みるか・・・というように話を持っていきます。


  そして、ようやく心から待ち望んでいた画期的な方法とやらを
  試すことになりました。


  その結果、画期的に鼻が短くなり、その辺の鉤鼻(かぎばな)
  とたいして変わらないくらいになった。


  内供も短くなった鼻を鏡で見て、まるで法華経を何年もかけて
  写し終える功徳を積んだような晴れやかな気分になった。
  本来ならここで、めでたし、めでたしのはずです。


  しかし、みんなの反応がおかしい・・・。


  以前より、余計にクスクス笑うようになる。


  「前にはあのようにつけつけとは哂(わら)わなんだて。」


  内供には不思議で仕方がない。


  そして、内供はしだいにせっかく短くなった鼻をだんだん
  うらめしく思うようになってしまうのです。  

    
  芥川はこの話について結論めいたことを『鼻』の本文中に
  述べています。
 

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人間の心には互に矛盾(むじゅん)した二つの感情がある。

   勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。

所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が

出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もち
がする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸

に陥(おとしい)れて見たいような気にさえなる。

そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人

に対して抱くような事になる。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  そして、それを「傍観者の利己主義」と呼んでいます。

 
  最近、若い世代の方たちとこの作品を分かち合った時に
  「よくわからない」と言われてしまったので、例を出して
  説明してみました。


  (女性の方には失礼な例ですが)女性同士の恋愛相談の時で、
  うまくいかない時には、熱心に相談にのってくれていろいろ
  アドバイスをくれたり、必死に励ましてくれたりするけれど、


  本当にその恋愛が成就してしまったら・・・


  ガーン!(うまく行くと思ってなかったのに・・・)


  “おまえだけ幸せになりやがって!!”と、とたんに女同士の
  関係が悪くなってしまう・・・というパターン。


  そして、その女同士の関係を保つために、うまくいっている恋愛も
  わざとそんなにうまくいっていないように話をしたりして・・・。


  もちろん、女性同士の関係がみんなそうというわけでは
  ありませんが、よくありがちな話ですよね。


  話は変わりますが、三浦綾子さんの『氷点』という作品を
  ご存知ですか?


  何度もドラマ化されたのでテレビで見た方も多いと思います。


  『氷点』のテーマは「原罪」(ゲンザイ)です。
  三浦さんはキリスト教を信仰されている関係で、「原罪」
  と表現されていますが、おそらく芥川のいう「傍観者の利己主義」
  と同じようなものだと思います。


  人が幸せになることを心から喜べない・・・という私たちの
  根深い性質をテーマにした作品です。


  三浦さんによると、氷点の登場人物たちは、どうしても幸せに
  なる方向に歩んでくれなかったと振り返っておられます。
  

  結局、夏目漱石も漱石三部作でそのあたりの人間の根深い性
  (さが)を描きたかったわけで、芥川龍之介の『鼻』を絶賛
  した理由もよく理解できると思います。


  ※久しぶりに『鼻』の全文を読んでみたい、という方は・・・
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/42_15228.html


自 遊 自 在



 

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