2009-05-25 06:00:00

木の自由を考える

テーマ:ライティング・リテラシー

    ところが木は、動けないからこそ一つの能力を身につけた
    ような気がする。

    それは自分が必要としているものを呼び寄せる能力である。

           
             ~「木の自由を考えながら」 内山 節~

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  「植物は不自由だなぁ・・・」

  そんな風に思ったことはありませんか?


  でも、逆に

  「植物はいいなぁ。じっとしているだけで何もしなくていいし。」

  と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。


  私はもちろん両方あります(笑)。


  でも、

  「植物は動けないから不自由。」

  という考えも

  「植物は動かなくてもいいから楽。」

  という考えも一面的すぎると思いませんか?


  植物と話したことはありませんが、植物は植物でとても大変な
  思いをされています。


  植物は一旦そこに根を下ろしたら場所を自分で移動することが
  できません。


  でも、花を咲かせることで花粉を運ぶ蝶を呼び寄せたり、
  木の実をつけることで種子を遠くに運ぶ鳥たちを呼び寄せる
  ことができます。


  木に巣を作ってくれればその虫や鳥のふんが肥料になり、
  豊かな土壌へと環境が変わっていきます。


  ただ、植物の環境を変える力は一瞬で発揮できるものでは
  ありません。


  例えば豊かな土壌をたった1cmつくるのに100年がかかる
  というのはよく言われることです。


  植物たちは何とか環境に適応しながらそれを成し遂げる力を
  持っています。


  でも・・・。


  この地球には、そんな自然の息の長い営みを一瞬で破壊
  できる人間という生物が存在します。


  自然にとっては全く計算が立たないばかりか、
  すべての労力を無にされてしまうのが私たち人間の存在です。


  すでに人間と自然は根深い対立構造に入っているといって
  いいでしょう。


  対立構造というのはおかしいのかもしれません。
  自然から生まれ、自然の恵みによって生かされている私たち
  人間だけが、例外的に自然の法則から離れ、圧倒的少数派
  として全体に盾突いている・・・・。


  しかし、その破壊力があまりにも強大すぎるため自然のシステム
  そのものを今、破壊せんとしている・・・。


  私はエコにはまったく興味はありません。


  今、記したような対立構造の根深さは、”地球にやさしく”とか
  ”環境に配慮を”といったレベルの問題ではないと感じるからです。


  じゃぁ、どうすればいいのか?


  それを各人が考えなければならないと思います。


  国の政策が変わるとか人類全体の意識が変わるなどという
  ことに期待するのではなく、自分の在り方をとことん見つめ直す
  しかありません。


  とにかくそういった私たちが活かされているものやシステム、
  仕組みに対するテ-マをいつも意識において深く考える習慣をもつ・・・。


  そして、そこから紡ぎだされ表現したいと思うことを体験や経験を
  通して書いていくことがライティングリテラシーの源泉だと思います。

 
  みなさんのご意見をお聞かせください。

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