『経済学・哲学草稿』は第一草稿[一]労賃に始まる。

おそらく著者がこれを書いた年齢に近かったころに一度読んだ記憶とは全く異なる書き出しであることにまず驚いてしまった。昭和42年の旧版である。

記憶では、仕事の場と家族の生活の場が分離(疎外)される事態から書き起こされていたはずで、今回読み直始めた「労賃」の記述のような激越さはなかった。もっと静かな印象を、つまり哲学側から滑り出す構成だったという記憶になっている。

読み直し始めたこの版は、まさに当時の「工場労働」という人類が初めて体験する新しい労働の怒濤のドキュメントのようである。

「資本」が玉突きの最初の一撃の如く、人の生活や意識を加速度的に変えていく瞬間を切り取った「衝撃のドキュメンタリー」のように読める。資本の爆発、ビッグバンの活写。それはすさまじい勢いであったのだ。

執筆されたのは1843年から45年の間とされる草稿に登場する「労働者」とは工場労働者であり、資本家とは、まさに投資家に近い姿を以て登場している。

株式を売買するより直接に、工場を運転するための設備投資をするわけだが、不思議にこの資本家たちは、今日の投資家に似ている。

「もはや彼は利子では生活できないから、彼の資本を食い尽くしてしまい、したがって資本家たることをやめるか、あるいは、みずから事業に手をつけ、自分の商品を富んだ資本家よりも安く売り(中略)高くなった労賃を支払うか(略)みすから破滅するか・・・」

といった記述が出てくる。

チャートは国民経済学者が作成する諸表である。

そして「金持ち父さん・貧乏父さん」などは「哲学なき労賃草稿」であることがはっきりしてくる。