ワキ毛を剃りました。
別に、その道に入り込んだわけでも
スイマーを目指しているわけでもなく
素直な心持ちで、
ごくごく単純に


剃ったら、また生えてくるのか?という好奇心に過ぎません。


三十年ちょっと連れ添った伴侶
雨の日も風の日も、暑い夏も厳寒の冬も、文句一つ言わず
ただうなだれてぶらさがっていたワキ毛
なんの役にも立たないと、存在の無価値を責められても、そよそよと受け流していたワキ毛

彼らはワキに生えてしまった己の運命を、髪の毛に訴えたり
胸毛に憧れたり
すね毛に嫉妬したりしなかったのだろうか。

へそ毛や鼻毛をバカにしたり、耳毛をいじめたりしないのだろうか。


毛にも命があるならば、たぶん社会があり、階級や身分、貧富の差があったりするかもしれない。
ブロンドは偉く、黒は平民だったり
股間の毛は王族貴族
睫毛は近衛師団
眉毛は大臣で、髪の毛が騎士だったりするかもしれない。

そんな風に考えていくと、
やはりワキ毛はあまりいい地位にいるとは思えない。


そんな、風雪流れ旅のような人生を送ってきた三十年ものの彼を

私は切り捨てた。

冷たい奴なのかもしれない。
しかし、私にも言い分はあった。

黒いはずが茶色に部分脱色し、ストレートに伸びるべき背筋がいささか曲がり、
中には誰にいたずらされたのか、何本か結び目で結束しているものもいたのだ。

不良化し、やる気なく、徒党を組んで組合運動でも始めそうな輩を野放しにするわけにはいかない。
四十数年肉体をやってきて、十二年目くらいに入社した中堅幹部としては、ワキ毛に自覚が足りなかったと言わざるをえないのである。
JALが生き残るために大屶を振るうのなら、小也ともこの肉体の経営者である自分も、なんらかのリストラをする必要に迫られたのである。


次に生えてくるワキ毛には、しっかりと教育をしていこうと思う。

自分にしかできない仕事をするように、と。
美しく、凛として、頼りがいのある毛として活躍してほしい、と。


今夜、風呂で、じっくりとワキに話し掛けてみようと考えている。
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ナウのしくみ という本を古本屋で見つけて読んでいる。
80年代当時からの人気コラムニスト 泉麻人の著書。
週刊文春に連載されていたこのコラムは、高校生のころから愛読していたが、イマを切り取る泉氏の才能は、四半世紀たったいまでも色褪せていない。

当時、俄かブームとなった登場人物や商品は、読むほどに懐かしく、昭和の終わりから平成のはじめにかけての薄っぺらい 勢い のようなものを思い出させてくれる。

流行の認定基準が甘くなり、同時に賞味期限サイクルがどんどん短くなったのもこの頃からである。

どんな流行であっても、一ヵ月でエリマキトカゲになってしまい、よそ見している間にキャベツ畑人形になってしまう厳しい現実。

ヤクルトが輸入したホームラン製造機ホーマーはいつのまにか消え、
セーラーズのパーカーを着る人は絶滅し、
焼き芋味のジュース カゴメの意欲作「IMO」を知る人は、今やカゴメ社員のみである。

この数年、出ては消え、消えては出てくるさまざまな商品のなかに、将来懐かしさをもって酒の肴になれるモノは果たしてどれだけあるだろうか。


拡張を続けるユニクロにパーソンズの危うさを感じるのは私だけだろうか。


最新流行 の‘最新’が取れた後は、先端であることを捨て、伝統の皮を被った定番になるしかない。と、泉氏は三十年前に言い切っているところが凄い。

銀座店を隣のビルまで拡張し、あと少しでお向かいの松坂屋に並ぶ勢いのユニクロが限界を感じたとき、
さらに隣の隣あたりにある老舗の佃煮屋なんかを買収し、

銀座一黒(ユニクロ)創業文久元年

なんてフリースに染め抜いた暖簾をかける日は近い。

泉麻人が切り取った時代の表層は、いつしかこの国の歴史文献になってしまった。
新たに事業を起こす方には、ぜひ一読することをお薦めしたい。



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