このブログは半身不随というの出血の後遺症の障害を現実として正面から受け止め(受け入れるのではない)乗り越え、生き抜くために、日々自分自身に言い聞かせ、高い心のテンションを維持するために書いている自分自身のためのブログです。特に以下は僕自身への叱咤激励であり、自分自身を戒めるため、そして障害を持って生きるという苦しみから逃れ、心の安寧を得るためにいつも心の中で唱えているようにしている言葉です。

-----------------------------------僕自身の心を強く持つために-------------------------------


希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲など
とはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。

希望とは体の状態でもない。どんなに苦しい状況であろうと心が破壊されない限り希望は持つことができる。希望を持つことにより人間は「意欲」が湧く。「意欲」は知恵の源泉だ!生きていくための知恵の源泉だから、この知恵の源泉である希望を心から捨てるわけにはいかない。
全人類も希望を持つことにより苦境を脱する英知が発揮できるのだ。

人類が心の中の希望を捨てるということは人類を破滅に向かわせるに等しい。


苦しくても希望をもつための私が唱えなければならない言葉

無私は敵を作らず
無欲は憎しみを作らず
無欲は甘えを知らず
無私は悲しみを作らず
無私無欲は身体的苦痛をも癒す
無私無欲こそ最大の心の平安の根源なり
無私無欲に勝るものなし
しかし無私無欲は無気力にあらず
されど無私無欲は容易ならず。
自ら選んで自ら歩んだわが人生、無念なれど一切悔いなし。



この地上に棲むあらゆる生き物のうちで
人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる
人間のみが、自分の運命を築くことができる

行動はいつも幸せをもたらすものではないが
行動なくしては幸せはない

弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ(M.G)

無暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、
暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである(M.G)

束縛があるからこそ 私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ 私は走れるのだ
涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ(M.G)


人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。

障害者になったからといって、他人の力を借りるしかない生き方だけはしたくない

そんな惨めな生き方だけはしたくない。


たとえ障害者であっても何でもよいから少しでも人の役に立つ人間でありたい


----------------------------------------------------------------------------------------

生死の境をさまよい、ある日突然障害者として生きていかなければならなくなって
、多くのもの(会社だけではなく健常者であれば当たり前にできることや生きる楽しみなど)
を失った絶望感の中で、人間とはな何か、なぜ生きるのか
人類とは何かなどを考えさせられ、人生観が大きく変わりました。


このブログは障害者として生きなければならなくなった自分、そしていつ再出血で死ぬかも
知れないという状況の下で、自分自身がどうやって生きたのかという記録を残しておきたいと
いう気持ちと共に、自分自身への叱咤激励のために書きはじめました。


そして不自由な身体に苦しみ、いつも痛みや痺れに苦しむ事によって
人間が生きる意味について深く考えるようになりました。

そして僕なりに人が生きる意味は、

生きている間にできるだけ多くの人とつながりを持つことだと思うようになりました。

いつかは失うものや老いたときに失うもの(財や命)に生きる意味を求めてはいけない。

人はいつか多くのものを失うのだから、、そしていつか死ぬのだから、、


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Shunsuke Okashita






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2017-06-24 12:28:22

皆、こんなはずはない!と思う、誰しも同じ 病と死

テーマ:人間について

小林麻央さんが亡くなった

このニュースを聞いて僕は

皆同じなんだなぁ〜って感じた

というのは

僕自身、8年前脳出血で倒れ

障害者になってしまったことは

まさに晴天の霹靂だった

あり得ない!

この僕が障害者!?

そんなはずはない!

うまく表現できないけど、

何か自分にとって

「特別な出来事」

いや、「普通の人とは違う」

というような事を感じていたと思う

小林麻央さんがイギリスBBC に

寄せたといわれる奇稿に

書かれていた言われる文章の中に

「病気になった事が私にとって代表する出来事ではない」

という一節に非常に共感した

 

この一節に共感した人は、たぶん少ないと思う

なぜなら、前述のように僕は当初

障害者になってしまった事が

僕の人生にとって特別な出来事

つまり代表的な出来事であり

いわゆる自分の人生悲劇だ

と感じていたと思うけど、

最近になって

ようやく何も「特別な出来事」ではなく

もっともっと特別で代表的な

大切な出来事があったと感じ

それこそが僕にとって豊かな人生を

送った証だと思うようになってきた

ちょっと最近、関心を持っている

いわゆる「ブッダの仏教」を

引き合いに出して申し訳ないけど

あのブッダが言ったという

人間が「生きる事は苦」である

という言葉の中の

その「苦」とは

いわryる

「生」「老」「病」「死」

であり

誰もほとんどの人が怖れているであろう

老いからも逃れらないし

最期の逃れらない「死」の

前には必ず「病」なり

最終的には「死」を迎える

この過程からは誰も逃れらない

つまり、

僕は少し早く「死を」迎える前の「病」

なっただけのことであり、

こんなことは人にとってごく普通のことであり、

そのことに対して何も思い悩む必要はない

思い悩んだところで

逃れらないのだから、、

そんなことで思い悩んでいても

辛いだけ、、、

人間誰しも

いつ病に伏し、死を迎えるか分からない

だったらどうせ生きているなら

こんな障害者でも

生きられる限り


工夫をして生きて、生きて、生きまくり

運命の死?を迎えるまでは

懸命に生きようと思う

誰もが皆同じ道を通り

病に伏し、死を迎えるのだ。

僕だけが特別じゃないんだ。

だから、そんな「当たり前の出来事」に

思い悩むのは止めようと思う

こんな体でも、精一杯、生きて

 

少しでも人の役に立つ人間になろうと思う

なぜなら、

 

自分がしたことで最も喜びを感じることは

自分が豊かになったり、健康に

なったことではなく、

人さまから、感謝されたときほど

喜はないから。。



 

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2017-06-17 12:48:22

僕には宗教は信じることは不可能

テーマ:人間について

僕はこれまでにもこのブログで魂とか神様とか


といったような神秘的なものを一切信じることができない。


と頻繁に書いてきたけれど

今日は僕が宗教を信じることができない理由について


書いてみようと思う

僕が宗教を含めて魂を、監査の通というものを
「一切」

信じることができなくなったのは
この脳出血という大病を患ってからである。

なぜなら、脳出血ということを起こしてしまったことによって
後遺症を克服したい一心で脳というものについて
自分なりに勉強したことも影響しているけれど

それよりも

自分がなぜこんな大病を患ってしまい
ほぼ人生の半分を棒に振るようなことに
なってしまわなければならないのか。

といったことを考えるにつけ
宗教というものを信じることが
できなくなってしまったと思う。

なぜなら、どんな宗教でも


「こうすれば、こうなる」
 

といったように決められている部分が
あるからだ。

例えば簡単な話、

「良いことをすれば、天国に行ける」
とか
「悪いことをすれば報いを受ける」 


といったように、まるで神秘的な存在が
人間の所業に対して
特定の条件をもとに特定の結果を与えているような
感じがするからである。

そのことを考えると


なぜ僕は脳卒中などと言う大病を


人生の約半分の45歳で患ってしまい


残りの半分は人生をほとんど棒に振ってしまったような


状態にならなければならないのか

といったことを考えたとき

どの宗教を考えてみても


その理由が全くわからない。

もちろん人間だから

 

多少の嘘をついたりすることはあったけれども


ほとんどの宗教で言うような


人生の半分を棒に降らなければならないほどの悪いこと?


した覚えがない・・

 

と思う

つまり、

 

それほどの(宗教でいう)原因となるものが


僕には見つからない

よくよく考えてみると、

 

現代科学(医学)の方が


はるかに納得はできる原因があるからこそ

宗教などよりも現代科学の方が納得できる

例えば

 

僕の脳出血の原因の1つである基礎疾患としての


モヤモヤ病にしたって


その発症確率は100万人当たり3人と言われているが


それにしたって、

 

なぜ、そんな確率は低い病気にならなければならないのか


ということが

 

宗教などの教義?などでは説明がつかない


しかし、

 

現代医学で言うところの遺伝子科学であれば


3年前に京都大学の医学部が発見したという

 

このモヤモヤ病の起因となる遺伝子を発見した事の方が

 

はるかに納得はできる

それによると、

 

 約7500世代前の人類(僕の祖先)で


何らかの遺伝子異常が起こったからだという

このような科学(医学)的な根拠の方が


はるかに僕はもやもや病となり

 

脳出血に至った原因としては納得ができやすい

様々な宗教で言っているような

 

原因?(人間の所業)が原因で

 

脳出血を起こしてしまい、

 

人生の半分を棒に振ってしまった


などというようなことの方が


少なくとも僕にとっては


とても納得しがたい。

そのような意味からも、

 

僕にとっては

宗教も含めて


そこでうわれている神様や魂などという


ものを信じる事は僕には不可能く

それよりも

 

科学によるいわゆる因果律、


つまり、
 

物理的な原因があって、

 

そしてその結果が生まれる

といったほうが

 

はるかに合理的で僕には納得しやすい

そんな意味で

 

原始仏教(現代仏教ではない)で

 

あのブッダが言ったという

「この世の中は神秘的な存在があるわけではなく
すべては因果律で決まっている」


といった言葉が

 

宗教の中でも


僕にとっては最も納得しやすい言葉なので


僕はブッダを言ったと言われるこの言葉を


もっとも納得できるものだと思っている

それにしても

 

このブッダでさえも


(僕には到底信じることができない)輪廻

というものだけは存在していると


言っていたという

そんなことからも、

 

僕は

 

どの宗教も


到底、僕には信じることが不可能である

 

そんな(僕は)信じることができない宗教のもとで

 

紛争が起こり、

 

人が死んでいるということは

 

僕には耐えることができない

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2017-06-17 10:05:41

豊洲市場は第2のATCでは? たぶん機能しなくなる

テーマ:人間について

小池知事が豊洲市場問題の決着を付けるため
苦肉の策?として、どうやら築地市場との併用?
のような案を出すようだ。

僕はこの豊洲市場の問題を見ていて
以前から感じていたのだけど、

小池知事がどんな解決策を取るにせよ
おそらく、豊洲市場は機能しなくなるだろう
と感じていた。

なぜなら、豊洲市場がまるで大阪の
ATC(アジア太平洋トレードセンター)のように
思えたからだ。

今、このATC(アジア太平洋トレードセンター)は
全く機能していない。

このATC(アジア太平洋トレードセンター)が創設された時期
僕は20歳代だったけど、友人と一緒に雑貨の輸入卸売業を
営んでいた。

その当時大阪市が突如提案を持ち込んできたのが
ATC(アジア太平洋トレードセンター)への入居提案だった。

大阪市の職員曰く、
ATC(アジア太平洋トレードセンター)構想は
大阪の船場センター街の機能をこのATCに移す事が目的だという

当時、僕はその船場センター街の卸問屋と取引をしていた。
船場センター街といえば、江戸時代から天下の台所として
栄え始めた全国各地の特産物を売りに出している商人の町
つまりマーケット(市場)である

そのマーケット(市場)を行政の力で大阪の南港に移すという
構想だった。

でもこれは失敗するなと当時も感じたのだけど、
その理由は、ATCへの入居提案をしてきた大阪市の職員が
言った入居に必要な敷金が1億円と言ったときだった。

「1億円!?」

当時の僕たちの雑貨の輸入卸の年間売上は
せいぜい数千万だったと思う。

そんな小さな商売をしている業者に対して
「敷金が1億円の入居提案」を持ってくる大阪市の職員は
頭がおかしいのではないかと感じたからだ。

それは当然僕たちのような業者だけではない
船場センター街の卸売業者のほとんどは
中小零細企業だ

僕たちと同じような規模野業者がほとんどである

そんな業者に「敷金が1億円の入居提案」をしても
まず、断るだろう

僕たちも当然「1億円!?無理!」と断った。

当時バブル崩壊後で
そのATC構想はバブル景気真っ盛りのときに
計画されたものでお金をジャブジャブつぎ込んで
作った施設だった。

だから敷金1億円というとんでもない金額になったのだろう。

案の定、ATCは機能せず、
未だに大阪では船場センター街が卸売の商売の町である

今、問題になっている豊洲市場も
ATCと似たような道を辿るように思えるのだ。

だって豊洲市場も大幅なキャッシュフロー赤字で
年間(確か数百億円の赤字)になるという

だとしたら、豊洲市場へ移転する業者の入居費用(テナント料?)
も将来的にはおのずと高くせざる得ないだろう。

それで業者が耐えることができるのか?

今はバブル景気ではない
超が付くほどの不景気だと思う

業者が高い家賃に耐えるのは無理!

そんな事からも豊洲市場は将来的には
機能しなくなると思うのだ。

結局、大阪の船場センター街と同じように
築地市場がそのまま栄えるのではなかろうか

と思うのだ。

そもそも、市場(マーケット)に行政が
介入すること自体無理があると僕は思う。

話は変わるけど


行政介入といえば、加計学園問題も同じように感じる

日本には国立大学が多くあり、文科省が管理?してるようだけど
欧米の一流大学といえば全て私立である
あの米国のハーバード大学、MIT、コーネル大学、プリンストン大学、
イェール大学、コロンビア大学、スタンフォード大学
そして英国のオックスフォード大学、ケンブリッヂ大学
すべて私立である

つまり民間で運営しているわけだ。
だから学部創設なども自由だ。

加計学園も私立である
にも関わらず行政介入している


そこが日本のおかしいところではないかと思うのは
僕だけだろうか

そういうところが
日本が資本主義でありながら
かぎりなく社会主義だと言われるゆえんではないだろうか

豊洲市場問題だけをテーマに書くつもりだったけど
書いているうちにテーマが広くなってしまった・・





 

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2017-06-17 10:05:19

豊洲市場は第2のATCでは? たぶん機能しなくなる

テーマ:人間について

小池知事が豊洲市場問題の決着を付けるため
苦肉の策?として、どうやら築地市場との併用?
のような案を出すようだ。

僕はこの豊洲市場の問題を見ていて
以前から感じていたのだけど、

小池知事がどんな解決策を取るにせよ
おそらく、豊洲市場は機能しなくなるだろう
と感じていた。

なぜなら、豊洲市場がまるで大阪の
ATC(アジア太平洋トレードセンター)のように
思えたからだ。

今、このATC(アジア太平洋トレードセンター)は
全く機能していない。

このATC(アジア太平洋トレードセンター)が創設された時期
僕は20歳代だったけど、友人と一緒に雑貨の輸入卸売業を
営んでいた。

その当時大阪市が突如提案を持ち込んできたのが
ATC(アジア太平洋トレードセンター)への入居提案だった。

大阪市の職員曰く、
ATC(アジア太平洋トレードセンター)構想は
大阪の船場センター街の機能をこのATCに移す事が目的だという

当時、僕はその船場センター街の卸問屋と取引をしていた。
船場センター街といえば、江戸時代から天下の台所として
栄え始めた全国各地の特産物を売りに出している商人の町
つまりマーケット(市場)である

そのマーケット(市場)を行政の力で大阪の南港に移すという
構想だった。

でもこれは失敗するなと当時も感じたのだけど、
その理由は、ATCへの入居提案をしてきた大阪市の職員が
言った入居に必要な敷金が1億円と言ったときだった。

「1億円!?」

当時の僕たちの雑貨の輸入卸の年間売上は
せいぜい数千万だったと思う。

そんな小さな商売をしている業者に対して
「敷金が1億円の入居提案」を持ってくる大阪市の職員は
頭がおかしいのではないかと感じたからだ。

それは当然僕たちのような業者だけではない
船場センター街の卸売業者のほとんどは
中小零細企業だ

僕たちと同じような規模野業者がほとんどである

そんな業者に「敷金が1億円の入居提案」をしても
まず、断るだろう

僕たちも当然「1億円!?無理!」と断った。

当時バブル崩壊後で
そのATC構想はバブル景気真っ盛りのときに
計画されたものでお金をジャブジャブつぎ込んで
作った施設だった。

だから敷金1億円というとんでもない金額になったのだろう。

案の定、ATCは機能せず、
未だに大阪では船場センター街が卸売の商売の町である

今、問題になっている豊洲市場も
ATCと似たような道を辿るように思えるのだ。

だって豊洲市場も大幅なキャッシュフロー赤字で
年間(確か数百億円の赤字)になるという

だとしたら、豊洲市場へ移転する業者の入居費用(テナント料?)
も将来的にはおのずと高くせざる得ないだろう。

それで業者が耐えることができるのか?

今はバブル景気ではない
超が付くほどの不景気だと思う

業者が高い家賃に耐えるのは無理!

そんな事からも豊洲市場は将来的には
機能しなくなると思うのだ。

結局、大阪の船場センター街と同じように
築地市場がそのまま栄えるのではなかろうか

と思うのだ。

そもそも、市場(マーケット)に行政が
介入すること自体無理があると僕は思う。

話は変わるけど


行政介入といえば、加計学園問題も同じように感じる

日本には国立大学が多くあり、文科省が管理?してるようだけど
欧米の一流大学といえば全て私立である
あの米国のハーバード大学、MIT、コーネル大学、プリンストン大学、
イェール大学、コロンビア大学、スタンフォード大学
そして英国のオックスフォード大学、ケンブリッヂ大学
すべて私立である

つまり民間で運営しているわけだ。
だから学部創設なども自由だ。

加計学園も私立である
にも関わらず行政介入している


そこが日本のおかしいところではないかと思うのは
僕だけだろうか

そういうところが
日本が資本主義でありながら
かぎりなく社会主義だと言われるゆえんではないだろうか

豊洲市場問題だけをテーマに書くつもりだったけど
書いているうちにテーマが広くなってしまった・・





 

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2017-06-11 07:27:50

過去はどうにもならない

テーマ:人間について

過去のことはどうにもならない。

もう、済んでしまったこと
今さら、何を言ったって、変えることが
できるものではない
 
しかし、人間の悩み、悲しみ、そして怒りという感情は
ほとんどの場合、過去の過ちや過去の出来事などが
原因となっていることが多いのではないだろうか。
 
もう済んでしまい、
今さら変える事ができない、どうにもならないことに
対して悩み、悲しみ、怒りを感じ、
ネガテイブな精神状態になっている
のではなかろうか。
 
僕自身、8年も前に発症した脳出血と
そのせいで障害者になってしまった事
に対して、悩み、苦しむ事が多かった。
今さらどうにもならない事に対して
悩み、苦しんでいたのだ。
 
よく、考えればアホらしいことではないか
 
過去に学ぶことは良い事だろう
でも、過去に悩み、悲しみ、怒るような
ことは全く生産的ではないのではないか。
 
実際、日本と韓国や中国などと問題になり、
中国や韓国が怒り、問題にする事は
全て過去の事で、今さらどうにもならない事ばかり
ではないだろうか。
謝罪をしろというけれど、
謝罪をしたところで
過去が変わるものではない。
 
そんな事はムダなことではないだろうか?
 
そんな謝罪をする事よりも、これから
同じ過ち?(過ちはなかったと主張する人も
いるけれど)をしないように、
どうすべきかを考える事の方がはるかに
大事な事ではなかろうか
 
もちろん、過去の過ちに対して
「償い」をする事は大切だと思う
 
過去に借金などをして踏む倒して
しまったりしたときや、
 
極端な何かの過ちで人を殺めてっしまたり
したことによって、その遺された人が困窮に
陥ったりした際には、
何らかの「償い」をすることで
その困窮してしまった人達を救うことが
できるなら、たとえ過去の過ちであっても
その「償い」は「未来」に役立つことだから、
大切なことだと思う。
 
でも過去の(もう償う事にさえできないような)過ち
に対して、怒り、悲しみ、恨みを持つことは
ムダではないのだろうか
 
僕自身の悩みや怒りを客観的に観察しても
そう感じる。
 
過去に起こった脳出血や障害者になってしまった事、
罵倒されたさまざまな出来事に
怒り、悲しみを覚えてしまう
 
実にムダな事に怒り、
悲しみを覚えてしまう
 
そんな自分を顧みるにあたり
そんな風に感じるのだ。
 
分かり易いので、例に書いたけれど
日本と中国や韓国の問題だけではない。
 
日本て米国だって、
まだまだ、パールハーバーの事でわだかまり(怒ったり,恨み続けている)
があると感じる。
 
ユダヤ人とかつてのドイツだって
同じではないか?
国と国だけではなく、
個人と個人の人間同士だって
怒りや憎しみを抱くのは
そのほとんどが、過去に起こった
今さらどうにもならない事が
原因でトラブルが起こっているように
感じる。
 
そんな事を思うにつけ、
人間というものは、
愚かだなって感じてしまうのだ。
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2017-06-10 23:13:45

過去を全て忘れたい

テーマ:人間について

過去のことを全て忘れられたら良いな。

健常だった頃、水泳が得意で、スキューバダイビングが好きで、あちらこちらの南の海に潜りに行ったこと、、
 
だって、多分、もう二度とできないんだし、「もう二度とできない」って感じる事が、こんなに辛いのも、
 
過去に「できていた」記憶があるから
できなくなった今が辛い。
こんな記憶さえなければ、今の自分だけを考えて、この体でどうすれば良いか未来に事だけを考えてりゃいい。。
 
それだけじゃない。
自分のもやもや病や息子のもやもや病のことを僕の実家の親の責任だと言い放って
金を出させた「ヤツ」の事も忘れてしまいたい。
 
覚えているから怒りが込み上げる
 
何もかも、忘れてしまいたい。
過去なんて、終わったしまった事。
どうにもできない。
なのに、人間は思い出しては、
怒り、悔やみ、後悔し、落ち込む・・
 
人間ってバカだなぁって思う
 
 
 
 
 
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2017-06-03 08:33:53

都民ファーストの会は日本ファーストの会に変わる?

テーマ:人間について

小池知事が自民党を離党して

正式にら都民ファーストの会の
代表になった。
 
これって、
 
かつて、大阪維新の会が
日本維新の会に変わったように
日本ファーストの会に変わる
のではないか?
 
そして、トランプのアメリカンファーストに対抗して江戸時代のように
鎖国したりして、、
 
なんて思うのは僕だけ?(笑)
 
本当に日本ファーストの会ならぬ
ジャパニーズファーストの会になったら
笑うな、、
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2017-06-01 18:31:35

人類は必ず滅ぶ

テーマ:人間について

久しぶりの投稿だ。

 

でも、ちょっとく暗い話題?(自分では自然の摂理だと考えているので暗い話題とは思っていない)だけど

 

そんな「人類滅亡」は必ずするというテーマについてツラツラと思うままに強は書こうと思う。

 

どう考えても、やっぱり人類は必ず滅ぶと思てならない。誰がどんなに否定をしても、、

なぜ、人類が滅亡すると感じるかというと、

 

最近の北朝鮮の核開発の状況や世界の保護主義化の傾向、 ISの台頭や地球温暖化の問題など

いろいろあると思う

でも、僕が考える人類滅亡野毛人はそんなけこ「だけ」ではない


なぜならば、

 

至極簡単なことだけど、この世は諸行無常だから。

諸行無常とは、ご存知の通り、「永遠なるものは一切存在しないということ」

よく、使われる表現で申し訳ないけど、

例えば鉛筆を机の上に放置しておけば、どうなるか?
明日には何も変わっていないだろう


明後日にも変わっていないだろう


そして、10日後にも何も変わっていないだろう

でも、1000年後には


きっと、鉛筆は朽ち果てているだろう。

では、その鉛筆はいつ朽ち果てたのか?

それは1000年の間の瞬間、瞬間、仏教で言う「刹那」な瞬間、

「刹那」とは西洋数字と時間で言うと0.0001秒にも満たない短いという

その時間さえ測ることが困難な瞬間にも朽ち続けている

つまり、この世はいつ終わることなく、変わり続けているのだろう。

要するにこの世は何もかもが諸行無常である

人間だって同じ、

生まれた人は必ず死ぬ。

永遠に生きる人間などどこにも存在しない

日々、そして瞬間、瞬間、つまり刹那な間に人間の細胞も

 

生まれては死に生まれては死んでいる


一時も同じ瞬間はない。

そうして人間自体も老い続け、最後には病に伏し、死んでしまう。

人間、いや生き物全てが、生まれては死に、生まれては死んでいくことを


続けているのだろう。

だから人間の集まりである人類も永遠な存在ではない

必ずいつか消滅、つまり滅ぶのだと確信する

永遠なるものは一切存在しないから、人間や生き物だけではなく、


この地球という星さえも同じ

どんな星でも永遠の星は存在しない 太陽のような恒星さえ、いつかは矮星となり消えていく

そうして、また、超新星爆発を起こし、あらたな全く別の恒星が生まれる


そしてそのあらたな恒星は消えていった太陽とは何の関係もない。

ましてや太陽の生まれ変わりなんかではない。

そんなこと(生まれては死に、新たにまた、全く新しいものが生まれるというようなこと)

 

を繰り返すのがこの世の中なのだろう。

あの筋委縮性硬化症と言われている車椅子の天才物理学者である

 

スティーブンホーキングも言っている

もしこの宇宙に人類と同じような高度な文明を持つ生き物?が存在したらどうなるか

もし、そんなものがいたら、この宇宙の自然バランスを崩してしまい

 

「一瞬のうち」に滅びてなくなると、、

その一瞬とはどんな時間の長さかと聞くと、100年だそうだ。

人類も産業革命から約100年強だ

もしかしたら宇宙の自然のバランスを崩すのは人類だと言っているのではないのか?

この宇宙の年齢は宇宙が生まれてから130億年だという(どうやって測定できたのか知らないが)

だとしたら、たかが100年なんて


宇宙にすればほんの一瞬、つまり刹那な瞬間、閃光のような瞬間

そんな瞬間に文明が生まれ、滅び消える

人類が生まれたのはたかだか1万年程前

人類の歴史さえ、宇宙にすればほんの一瞬、刹那な瞬間にすぎない

キリストさんが生まれたというのもたかだか2000年前

そのキリストさんも単なる人間の想像物にすぎない

そんな宇宙にすれば、最後の「一瞬」に生まれた、

 

ましてや想像物などに全知全能がある訳がない

それもまた、ほんの一瞬で消え行くのだろう

人類は神様が守るから破滅などしない


信じるものは救われるなんて人間に都合のよいことを信じる

 

おめでたい人々もいるが、そんな人々もやがては死に、消え行く

それも、宇宙からすればほんの一瞬の事であり、諸行無常の一部分にすぎない

実際、前述のように人類破滅の兆候もある気がする

産業革命以降の急激な温暖化

温暖化が人類の文明の影響ではないにせよ、

地球40億年のサイクルの一環だとしても、

 

そんな地球のサイクルならもっとこれからは温暖化し、

 

それどころか灼熱化して、今度は寒冷化が始まり、氷河期になる

多分、人類の科学ではそんな地球のサイクルは乗り切れない

この地球46億年の間にも、今の人類のような文明が存在していたかもしれない

地球の歴史で分かっているのは

 

たかだか恐竜時代と言われている5億年前の地球40億歳までらしい

その時点で初めて微生物の化石が見つかり、

 

それ以前の40億年の間のことはほとんど何も分からず、

(微生物が存在為ていたことくらいしか分かっていないから)

 

何もかも(文明などなく、単細胞伸び生物しかいない地球だったという)

 

のも推測でしかない。

 

もしかしたら文明があって、その文明は完全消滅し、微生物の化石しか残らなかったのかも知れない


だからそれまでの40億年の間に今の人類のような文明が栄えていたとしてもおかしくない

そしてその文明が何らかの原因(今の核兵器のようなものを開発して自滅したのか

地球のサイクルを乗り切れなかったのか分からないけど)

様々な原因で破滅して、完全消滅して、なんの痕跡もなくなってしまったとしてもおかしくはない

そう考えると、今の人類も、間もなく破滅すると考えてもおかしくはない

既に核技術は人類にとって、制御不能なオーバーサイエンス化(特に核技術は)しているように感じるが、、

いずれにせよ、

 

人類の文明なんて宇宙からすれば、ほんの閃光のように生まれき消えゆくのだろう。

つまりあっという間に破滅すると考えてもおかしくはない

僕も障害者だ!もやもや病だと騒いでいるけど、

 

こんなことも宇宙からすれば、


ほんの宇宙の片隅で

 

しかも小さな小さな目にも見えないよう出来事で、

 

そして、

 

人類の破滅という出来事さえも取るに足らない刹那な瞬間のどうでもように事なのだろう

などと考えているおかしな僕でした







 

2017-05-07 06:34:26

もう疲れたな

テーマ:人間について

脳出血起こしてから、もう8年間
何をするにも不自由
もう充分かなぁって思う

 

僕ももう54歳

出血性のもやもや病で再出血を起こして
死ぬ確率が最も高い年齢は統計的には45歳から55歳


脳出血を発症したのが45歳だったから
僕は55歳まで生きていられるかどうか分からないと思っていた
もしあと10年生きることができるなら
精一杯生きてみようと思っていた。


そしてもう9年生きている

10年生きていられるかどうか分からない中で

9年生きられれば充分だよな。
この9年、自分なりに精一杯生きてきたつもり
でもこんな身体、もう疲れたな


もうそろそろ無になっても良いのかなって思う今日この頃・・


いつも書いている通り
人間死ねばに仏になったり永遠の魂なんて残ると思っちゃいない


無になるだけ・・

生まれる前のように何も思わないし、何も感じない状態になるだけ

この世の中には存在さえわからない。
つまり、この世の中はは消えてなくなると同じことだと思っている
 

もうそんな状態に戻っても良い事じゃないのかな
なんて思っている
生きることが辛いことだ。
一切皆苦、、、確かに苦をの連続であるとは思う。


もうそろそろ無になっても良いのかな

 

もやもや病も進行していることだし、

脳血管はどんどん細くなりつつある

おそらくまもなくまた脳の再出血か

脳梗塞で無になるのだろうな。

できれば楽な方が良いな

若い頃、ダイビングの練習中に

起こしたブラックアウトのように

脳出血か脳梗塞で脳の酸欠で

一瞬にして意識がなくなれば良いな

 

 

2017-05-04 16:51:24

人類も人間も必ず滅び死んでしまうだな・・

テーマ:人間について

最近の世界情勢を見ても、自分自身のことを考えても
人類も人間もいずれ必ず滅んでしまい、また、人間は必ず死んでしまう
と感じている。
人間は、いずれ死んでしまうのは当たり前のことだけれども。
実際のところほとんどが生きている人は、自分が必ず死ぬということを
頭では理解していても、


感覚的には
誰しも現在の「健康で健やかなな状態」が
いつまでも続くと感じているのではないだろうか。
僕自身も脳出血で倒れる前の健常なときには
その状態が(頭ではいつか死ぬと分かっていても)
感覚的にはいつまでも続くような感じを受けていたような気がする。

しかし残念ながら僕は8年前に脳出血に見舞われ、
ある日突然障害者になってしまい、全くと言って良いほど
考えてもいなかった。人生に変わってしまった。
それからというもの、ぼくは必ずもう一度脳血管障害(脳出血か脳梗塞)
死んでしまうと確信している。なぜなら僕の脳出血の基礎疾患である
もやもや病は進行性の病気だからだ。
つまり、今現在も、脳の血管は細くなり続けているという事だ。
ということが、年をとるにつれて血管ももろくなり、さらに細くなるということが
脳の中で続いているということになる。
そんなことになっていれば、いずれ血流が止まってしまうが、再び血管が破れて
脳出血になるだろうことが容易に推察ができる。
そんなことを考えているとまさしく諸行無常を感じている。

そして人類も同じようなものではないかと思う
現在の世界情勢に関しても歴史を振り返れば、同じようなことを繰り返している
ような気がしてならない

今の北朝鮮だってかつての日本やドイツにとても似ているように思うし、
現在のヨーロッパの国々もかつてのドイツのような
排他的で内向き志向になっているような気がしてならない。

アメリカを筆頭にして・・・世界中の国々が、そんな風潮になったとしたら

たぶん人類はそう遠くない未来に滅んでしまうような気がする。

みんなが平和を望むと言いながら
いつまでも平和は続くものではない事は
諸行無常という自然の摂理から考えれば
当たり前のことのあるかもしれない。

どんなに永遠の平和を望んでも永遠なるものはどこにも存在しないし
作ることもできないというのは残念ながらこの世中ではないだろうか。

健常者だったとしたら、このゴールデンウィークなどには
沖縄もしくは海外の南の海にスキューバダイビングなどに行っていたことだろうと
想像しているけれど、残念ながら僕は一人部屋で映画を見ている。

そんなことをしている自分があの頃(ダイビングをしていた頃)の自分が
永遠2続くものではなかったのだなあと実感をしながら、
そんなことを考えているこの長い休みが少し辛い。

どうせ消滅してしまう自分という人間やこの人類に
こだわる必要もないのだろう。

ちょっとネガティブになっているかな・・・

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