このブログは半身不随というの出血の後遺症の障害を現実として正面から受け止め(受け入れるのではない)乗り越え、生き抜くために、日々自分自身に言い聞かせ、高い心のテンションを維持するために書いている自分自身のためのブログです。特に以下は僕自身への叱咤激励であり、自分自身を戒めるため、そして障害を持って生きるという苦しみから逃れ、心の安寧を得るためにいつも心の中で唱えているようにしている言葉です。

-----------------------------------僕自身の心を強く持つために-------------------------------


希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲など
とはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。

希望とは体の状態でもない。どんなに苦しい状況であろうと心が破壊されない限り希望は持つことができる。希望を持つことにより人間は「意欲」が湧く。「意欲」は知恵の源泉だ!生きていくための知恵の源泉だから、この知恵の源泉である希望を心から捨てるわけにはいかない。
全人類も希望を持つことにより苦境を脱する英知が発揮できるのだ。

人類が心の中の希望を捨てるということは人類を破滅に向かわせるに等しい。


苦しくても希望をもつための私が唱えなければならない言葉

無私は敵を作らず
無欲は憎しみを作らず
無欲は甘えを知らず
無私は悲しみを作らず
無私無欲は身体的苦痛をも癒す
無私無欲こそ最大の心の平安の根源なり
無私無欲に勝るものなし
しかし無私無欲は無気力にあらず
されど無私無欲は容易ならず。
自ら選んで自ら歩んだわが人生、無念なれど一切悔いなし。



この地上に棲むあらゆる生き物のうちで
人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる
人間のみが、自分の運命を築くことができる

行動はいつも幸せをもたらすものではないが
行動なくしては幸せはない

弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ(M.G)

無暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、
暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである(M.G)

束縛があるからこそ 私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ 私は走れるのだ
涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ(M.G)


人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。

障害者になったからといって、他人の力を借りるしかない生き方だけはしたくない

そんな惨めな生き方だけはしたくない。


たとえ障害者であっても何でもよいから少しでも人の役に立つ人間でありたい


----------------------------------------------------------------------------------------

生死の境をさまよい、ある日突然障害者として生きていかなければならなくなって
、多くのもの(会社だけではなく健常者であれば当たり前にできることや生きる楽しみなど)
を失った絶望感の中で、人間とはな何か、なぜ生きるのか
人類とは何かなどを考えさせられ、人生観が大きく変わりました。
こんな障害者でも社会の役に立つことができないかと考え、下記のような環境技術紹介サイト
を「生きている」健常な右手一本でなんとか作りました。


優秀な環境技術や省エネ技術を持つ日本のモノ作り企業の海外販路開拓をサポートするサイト
http://my-japan.jp



このブログは障害者として生きなければならなくなった自分、そしていつ再出血で死ぬかも
知れないという状況の下で、自分自身がどうやって生きたのかという記録を残しておきたいと
いう気持ちと共に、自分自身への叱咤激励のために書きはじめました。
そして今、障害者ながらエンジニアリング業界の勇士と共にNPO法人を立ち上げることができ、日本のモノ作り企業の海外販路開拓の全面支援をする活動をしています。

そのような活動を続けてきた結果、最近では以下のような脱原発のための再生可能エネルギー活用構想記事まで書くことができるようになりました。

① 2年前に書いた再生可能エネルギー活用構想(太陽光発電+大容量蓄電池+最新型風力発電技術の利用)

② ローテクで実現する脱原発と再生可能エネルギー社会(大容量蓄電池+低温度差発電技術)

③ NASバッテリーを凌ぐ高性能大容量蓄電池 

そして不自由な身体に苦しみ、いつも痛みや痺れに苦しむ事によって
人間が生きる意味について深く考えるようになりました。

そして僕なりに人が生きる意味は、

生きている間にできるだけ多くの人とつながりを持つことだと思うようになりました。

いつかは失うものや老いたときに失うもの(財や命)に生きる意味を求めてはいけない。

人はいつか多くのものを失うのだから、、そしていつか死ぬのだから、、


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2016-08-29 22:11:38

障害者の障害を「個性」などと抜かすヤツがむかつく

テーマ:独り言

以前にも書いたことのあるテーマだけど

ときどき障害者の障害を「個性」などと抜かす奴がいる。

以前、誰かに

「岡下さんのことを『障害者』だとは思っていません。個性だと思っています」

と言われたことがある

その人なりの私への心配りだったのだろう

でもね、

障害者の障害って、

「個性」などという美しい言葉で言えるほど

生ぬるいものでは無い!

はっきりと言う

障害が障害だ!

障害とは人が生きていくにあたって、明らかに障害である

それも大きな障害なのだ

「個性」などと抜かす奴は

何にもわかっちゃいない

障害なんてそんな甘いものじゃない

 

それで

ちょっとネットで調べたら、障害は個性というのは

どうやら大ベストセラーになった乙武さんの著書「五体不満足」が

その語源らしいことがわかった。

そこでもっとよく調べてみると、、

多くの方が「障害は個性」=乙武氏の言葉と

思っているらしいことも分かったのだけど

後のインタビューで乙武氏は、

「障害は個性などとは言っていない、この言葉が一人歩きしている」

と発言している。

28の

本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」

といううな広告文があり、そのキャッチコピーによって

障害者本人である著者の乙武氏の

言葉として広まってしまったようなのだ。。

 

 

なるほど

ならば納得できる。

個性とは・・僕なりの解釈では

個性とは「自分らしさ」だと思っている

僕の「自分らしさ」

それはたぶん障害者になる前の自分に本当の「自分らしさ」があったように思う

僕の健常者の頃の「自分らしさ」

それは・・

水泳は得意で

スキューバダイビングが大好きで

インストラクターのライセンスを持っており

海の中で水中写真を撮影するのが得意・・

そんな自分が 僕の「自分らしさ」であり、 「個性」だったように思う。

そして、ブラインドタッチができないにもかかわらず

タイピングがやたら早い・・という人のことも、僕の「個性」だったように思う。

 

そして今、その「自分らしさ」を発揮しようにもそれを邪魔しているのが

半身不随という正に障害なのだ!き

障害は「自分らしさ(個性?)」の表現さえもさせてくれない!

 

障害は断じて「個性」なんかではない!

そんな甘いものではない

本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」とのような広告文を書いた

コピーライターは明らかに乙武氏の障害を

「美談」にしようとしているふしがあると感じるのだ

障害を負って生きるということは

決して「美談」になんかならない!

僕は断言したい!

障害者が主人公のドラマなどは、

どれも努力、克服、感動、涙、

それでも生きる的な脚色が加えられるため、

僕が見るとまったく感動しない

なぜなら

あまりにも嘘っぽくて現実を直視しているとは思えないからだ

障害者の本当の現実はテレビドラマなんかに

映し出されているような場面には存在しない!

例えば・・

汚い話だけど、

トイレの中・・

片手ではトイレットペーパーさえまともに切ることができない

片手で拭こうとしたときに

倒れそうになる・・

我ながらなんとも情けない・・


左手が使えなくなった今では

お茶漬けさえ食べることができない・・

だから食べない。。

情けなくなるから・・

そんな日常の些細な部分で

日々情けなく辛い思いをしているのだ。

そんな事はメディアなどでも

取り上げられない(誰にもわからない)ことなのだ

そこにこそ、

障害者の本当の辛い部分が存在するのだ。

といっても

健常者には何もわからないんだろうけどね。。

わからないなら、わからないでいい

変に美しい言葉を使って美談にしてしまい、

感動話にするのはやめてくれ!

もうたくさんだ!

現実は何~にもわかっちゃいないくせに!

そして、これが僕の現実・・・・

去年秋のもやもや病の手術時の僕の頭の中さ

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2016-08-29 13:38:22

感動ポルノ

テーマ:人間について

昨日、日本テレビの24時間テレビに並行して、 

NHKのEテレのバリバラで感動ポルノをテーマに

障害者が生出演して討論が行われていた。

 

障害者×感動』の方程式」生放送

 

僕も感動ポルノという言葉をこの放送で初めて知った。

感動ポルノとは、ご自身も障がいを持つジャーナリストの

ステラ・ヤング氏が作った造語で、

障害者を非障害者などが感動するための「モノ」

として扱うような行為のことを意味する言葉だそうです。

以下参照ください。


障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される

ステラ・ヤング氏によると

「手がない女の子が口にペンをくわえて絵を描く姿、

カーボンファイバーの義肢で走る子ども、

こうした姿を見たとき、

みなさんは

『自分は人生は最悪だけど、

下には下がいる。彼らよりはマシ』

だと思うでしょう。

私たちはこれを“感動ポルノ”と名付けました」

との事・・・


そういえば、実は僕にも思い当たる節がある。

このブログを書き始めて丸4年で、もう2200記事目になるけど

当初、障害者となってしまってから1、 2年

ひどく打ちのめされていた時期に

このブログを書いていたときに

気づいたことがある。


それはブログのタイトルに

「辛い」「苦しい」「死にたい」

などのネガティブな言葉を使った時に限って

アクセス数が増えるということに気がついていた。

これっておそらく僕自身が

いわゆる感動ポルノの対象に

なっていたのだろうと感じるのだ。

こんな言い方をすると失礼かもしれないけれど

人の不幸を見て、自分の幸せを感じる

というようなことではないのだろうか。

そもそも世の中のメディアのニュース自体

そのほとんどが「人の不幸」を扱っている。

 

かつて、故三宅久之氏も言っていたけど

「人の幸福なんてニュースなんかにならない

ニュースは人の不幸しか扱わない」と・・

 

なぜなら、

人が最も幸せを感じるときとは、

他人の不幸を見たときだそうだから・・

 

いわゆる

人の不幸は蜜の味

というやつだ。

 

そんなふうに考えると

結局、僕自身も感動ポルノの「道具」に

になっていたのかなぁって感じて

ちょっと悲しくなるなぁ・・


 

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2016-08-26 20:45:58

遮熱塗料の実験結果

テーマ:独り言
今回、知り合いから遮熱塗料なる商品を紹介してもらい、

販売してみないかと誘われた。。

その遮熱塗料のメーカーによると、

その遮熱塗料を打ったときには、内外温度差が

最大15℃の差が出るという触れこみだった。

僕はそんなに温度差が出るのであれば、

その辺のエアコン以上の冷暖房効果があるはないか、

と思ってちょっと少し話に乗ってみた。

そしてそのメーカーから様々な実験結果のデーターが送られてきた。

そして、その最大15度の差が出たという。中東における某難民キャンプで

実験でデーターというものを見せてもらった。
21
それが以下のグラフである。
グラフ-1




ぼくはこのグラフを見て、とっさに思った

あれ!バラツキが大きいデータだなぁ

これだけバラツキが大きければ

果たしてきちんとした

統計的に有意差検定をしているんだろうか?

と言うのも

僕は元来、 4年間の間

大手化学メーカーの研究室の所属で

包装材料用フイルムの研究開発を

さんざんやっていた経験があるからだ。

その経験上、バラつきの大きいデータについては

統計の有意差検定無しでは、

信用するに値しないデータであるということを、

当時の研究室で叩きこまれていたからだと思う。

僕は研究室で研究していたのは

いわゆるシュリンク包装材料の研究開発で

シュリンク包装材料とは熱で縮むことによって

ぴっちりと包装できる包装材料のことで

当時はカセットテープを5つか6つセット売りをするときに

それらを一括してしっかりと放送してしまうという

現在であれば以下の写真のようなDVDを

dvd





数枚一括して放送してしまう包装材料フィルムのことですが

そのフィルムを対して写真を印刷できるようにする、

というのが僕の開発目標テーマだった。

当時、何度も何度も実験をして、その実験データの結果が

本当に有意差があるものなのか

つまり確実に誰が印刷しても写真が印刷できるのか

というところまでしっかりと検定をしなければならなかった

つまりどの会社が印刷しても写真が印刷できるかどうか

ということを保証しなければならなかったのだ。

そのためには実験装置によって、

実験回数も数百回とこなし

さらに本機(生産本機)でも確実に確実に

実験機で出したようなデータが出るレベルまで保証しないと

いわゆる商品として採用してもらい、営業部は扱ってくれない

というような厳しい試験結果に対する評価の中で

僕は実験をいやになるほど繰り返していた。

ちなみに、ちょっと自慢話になるのだけれど

この包装材料に以下の画像のように


dvd





上記のように女の人の写真が写っているような

写真をフィルムに印刷できるようにしたのは

この僕なのだ。

それまでは写真印刷をしようとすると

ハーフトーン印刷(半調印刷という)という

ベタ塗りではなく、少し薄い色の印刷部分はインキの厚みが薄いため

ピンホールという「インキの穴」ができてしまい印刷出来なかったのだ

それを、フィルムの表目荒さを0.2ミクロン単位で調整することによって

写真印刷ができるように僕がしたのです。


その時、(もちろん会社名で)特許を申請して特許取得したのだけれど

もうすでに15年以上経っているので、その時は期限切れだけれど

まだ、以下のように特許情報だけは残っている。


半調印刷性包装材料特許


余談になるけど、

この特許の発明者は僕なので

何年か前に青色発光ダイオードの発明者が

発明したことに対する対価が少ないと言って

裁判起こした事件があったとき、

僕はその化学メーカーを辞めて10年以上経過していたけど

突然その各メーカーから電話があって、

特許の発明者に対して報奨金を出すことに決まりましたと

連絡があり、突然30万円程度売り込まれてきた記憶がある。

在職当時はこのような発言をしても、

その報奨金はたった2,000円だったのだけれど

青色発光ダイオードに関する裁判も見て、危惧したのか

10年以上経ってから発明者に対して30万円程度ではあるが

報奨金が売り込まれてきた。

でもよく考えると、

こんな風に写真が印刷できるようになった包装材用フィルムは

今ではどこにでも出回っている。

その市場規模を考えると、

僕の発明の価値はたった30万円程度かなぁ・・

と思ったんだけど・・

今更、まぁいっかという感じで

何もしなかったんだ9けど・・・

話を元に戻して、

そんな研究室での実験に関する経験による僕にとって

前述の遮熱塗料のデータのばらつきをとても気になった

さらにそのデータをよく見てみると・・・

以下のように横軸の目盛が

なんと2時間になっているではないか

さらに、よく見てみると・・

15℃の差があると矢印で示されている

通常塗料の指している部分と、この遮熱塗料の

指している部分をよく見ると

どう見ても40分以上は離れているとしか見えない。

いや、 1時間近くずれているようにも見える。

それが以下のグラフの部分だ。
グラフ-2




それでメーカーに問い合わせ見ると

実験は1回きりで、

そもそも有意差検定という統計の意味すら知らないようだった。

メイクアップそれで、これはまずいと思い

実際にその遮熱塗料を取り寄せて

自分で実験してなければ納得のいかないと思い

実際にその遮熱塗料を取り寄せて実験をしてみた。


一般の塗料とその15℃の内外温度差が出るという遮熱塗料を塗った

アクリルボックスを同じ条件で炎天下に置き、

どのような差が出るのか実験をしてみた。

その2つのアクリルボックスを晴れの日の

朝から正午まで隣同士で太陽の下に置いておき

そのアクリルボックスの内部の温度について比較をしてみた

その結果は以下の通りだった。

デジタル温度計の上の数字が温度で下の数字が湿度です。

test-07-24




なんとその差はたったの1.7℃!

僕はこの結果を見た瞬間、

この商品を販売することはやめる

ヘタに販売したら,クレームだらけになるという判断からだ・・。

と、すぐに決断をした。

この商品・・

以前問題になった以下のような断熱フィルムの二の舞にならないとも限らない。

断熱フィルム「根拠なし」、消費者庁が措置命令 業者は提訴へ
(日経新聞)


おそらくメーカーはいくつかの実験結果の中から

都合の良いデーターが出た品だけをアピール用の実験データとして

ピックアップしたのだろう。

その上、統計的な有意差検定を行っていない。

これが「実験結果」というものの「怖さ」であると思う。

というわけで、メーカーが出してきたような効果や効能などは

よほどしっかりとした実験を行い、さらにその実験結果の

有意差検定をしっかりと行っているかどうかを確認できなければ

怪しいものだと僕は思っている。

所詮、実験というものは、きわめて条件が整備された

実験室などのような場所でしか同じようなデータを出すことができない

いわゆる通常の環境(実験室ような環境では無い環境)

では再現ができなくなってしまう。

これはよくあることだ。

あのSTAP細胞の小保方さんにしても

実験室という特殊な環境で、しかも僕は推測するに

小保方さん独特の実験のコツようなものがあったのではないか

と考えている

でもそれは小保方さんが行っていた研究室で、

しかも小保方さんの周り居た同じスタッフで

さらに小保方流の実験の仕方をしなければSATP細胞は

(万が一あったとしても)再現しないのであろう。

つまり、去年のような、絶対的監視の中で

岡田さんの実験室とは全く違う環境の中で、

しかも小保方さんのスタッフが全くいないという

小保方さんにとって特殊な環境の中では成功するはずがない

のだろう。

などと僕は思っています。
















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2016-08-20 09:53:41

もしも・・・

テーマ:独り言
2008年11月20日14時10分すぎ、

当時、僕は(1963年1月1日生れだから)45歳と11ヶ月14時間10分過ぎの年齢・・

僕はある有名なフットボールチーム Nリーグの

公式WEBサイトの制作の委託先である大手通信会社N社からのメールを確認した。

そのメールは当時制作中だったその公式ウェブサイトに関するクレームだった。


その内容を読んだ瞬間、そのクレームが理不尽に思え、

怒りで僕は頭に血が上った。

その瞬間、後頭部で何かが弾けるような感じがした、

と同時に、

後頭部に何か熱いものが流れた…

そのときう僕は「あ!血管が破れた! 」とわかった。

その瞬間、目の前の景色がぐるぐる回り始めた・・

デスクに座っていることもできなくなり、

椅子から崩れ落ちるように床に倒れた。

これが僕の人生が180度変わり、障害者として

生きることになる瞬間だった・・

救急隊が駆けつけ、

救急車の中で救急隊員が

「血圧 190 !」

「血圧 185 ! 」

「血圧 180 」

と徐々に血圧が下がっている事を示す声が叫んでいるのが聴こえて

少しホッとした気持ちになり、

僕はそのときつぶやくように

「もやもや病です」と

救急隊員に告げた。

今でも当時の状況ははっきりと覚えている。


今から考えると様々な医師の意見を聞いた限り、

この僕の脳出血の原因は、

もやもや病だけが原因ではないようだ。

当時の状況から考えて・・

様々な偶然ともいえるような要因が重なり合って

脳出血が起こったらしい。

それは

もやもや病という基礎疾患に加えて

当時のストレスから

異常なほどの高血圧症(当時、上が常時180mmHg程度あり,下が120mmHgだった)

になり、

さらに加えて脳出血の前夜に

取り引きをしていた銀行からの招待で

新しい取引先の紹介を受けるということで

懇親会のお誘いを受けて

大酒を飲んでしまったこと

という2つの要因が偶然にも重なりあって

脳出血として発症してしまったらしい。


医師によると

前日の深酒が原因で血液中の水分が蒸発してしまい

血液の粘度が高くなってしまい

それが原因で血栓が発生し、それが脳の毛細血管のどこかに詰まり

脳内血管内の圧力が高まり、

さらに基礎疾患であるもやもや病のために

人より非常に細い血管が存在することが仇になって

その細い血管が圧力に耐えきれずに破れたのだろう

という推測である。

もやもや病以外の2つの要因がなければ

僕は脳出血など起こしていなかったかもしれないのである。

僕は今でも健常者のままであり

好きな水泳もスキューバダイビングもやっていたかもしれないのである。

実際に脳内でもやもや病を発症していても

一生もやもや病であるということを

気付かないまま(出血発症などせずに)

癌や老衰などで死んでいく人もいるという。


僕の脳出血のもやもや病以外の2つの要因については・・



歴史に「もしも」はない

とは言われるけれど

人生にも「もしも」はないと思うけれど

自分の人生を振り返ってみれば

「もしもあの時こうだったら・・」

と感じることがいくつかある。



そもそも、もしも僕が柄にもなく

会社の社長などしていなかったら

ストレスによって

あのような高血圧にもなっていなかっただろうし、

銀行から懇親会などへ誘われることもなかっただろう。

などと思ってしまのだ。

もっと時間を巻き戻してみると

僕がIT系の会社などを起業するようなことになった事の発端は

もっとずっと昔のことになる。。

それは20代の頃になるのだけど、

当時勤めていた中堅クラスのコンサル会社を

退職していなければ、その後IT企業に就職することはなかっただろうし

そこから自分で起業することもなかっただろう。

というのも、今の家内に関係している。。

当時、好意を抱いていたある女性がいたのだけれど

様々な理由でその女性とは「パートナー」になる事は難しい

という状況があった。

そんな中で、僕はある人から今の家内を紹介してもらった。

当時の僕は男女の惚れた腫れたに関わっているような柄でもなかったので

(今の)家内を紹介してもらってから

2週間後には好意を抱いていた女性は諦め、

(今の)家内を 「パートナー」にすると

自分自身に対してコミットしていた。

そして今の家内が「パートナー」になるまでは

あっという間だった。

その後IT企業に就職して、

今の家内のパートナーとしての助言を受けて

起業をするに至ったのです。

「もしも」あの時、(今の)家内にコミットしていなければ

脳出血などしていなかったもしれないと思うこともある。

でも、後悔している訳では無い。

一切そんなことに後悔などしていない。

なぜなら、それらの決断は自分自身の選択であり

すべての決断は

自分に対しても「コミット」してきたという自負があるから・・



でも、ときどき思う、、

もしも、脳出血を起こしていなかったら・・・

今、どんな人生になっていたのだろう・・と


脳出血起こした当時の状況だけを考えたときには

脳出血起こしたからこそ、良かったと思う部分もある。

それは、当時、銀行から、無担保無保証で僕の企画に対して

数千万円のに融資を受けることができていたのだけど

それに対して僕は相当の負担を感じていた。

なぜなら、僕が立案した企画が

思うように進んでいなかったからである。

当時、このままでは数千万円の借り入れを返済することは

難しいという状況だった。

そのようなことも高血圧の要因となっていたと思う。

結局、脳出血起こしたことによって廃業(倒産)することになってしまったのだが

その倒産の原因はあくまでも「経営の失敗」ではなく、

脳出血という「事故」として扱われたため、

裁判所でも免責を簡単に受けることができ、

貸し付けをしていた銀行などの金融機関も

事故として扱ったため、

僕自身に大きな問題を起こすことがなかった。。

でも、もしあの時脳出血起こしていなかったら

僕の企画が失敗したことによって、 「倒産」していたかもしれない。

つまり、 「経営の失敗」を追求されていたかもしれないのだ。

そう考えると、

脳出血は「救いの手」だったのかもしれない。

などと思っている。



もっともっと時間を巻き戻すと

もし、今の家内に出会っていなければ、

IT起業などしていなかっただろうし

そもそも脳出血の原因になるようなことさえ

起こっていなかったのではいかとさえ

考えてしまい、

今ごろどんな人生を送っていたのだろうとも

考えてしまう。


でも、これから、どのような人生になっていこうとも

僕は脳出血起こし、半身不随という障害者になった

ということは

いろんな意味で、

僕にとっては「人生の宝」になると信じようと思う。

だから、障害者というのは考えた以上にひどく辛いものだけれども

脳出血後、様々な辛いことがたくさんあったけれども

自分の人生に「もしも」など考えないようにしようと思う。
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2016-08-19 18:42:56

1+1=3

テーマ:人間について
1+1=3

僕の家族です。

妻+僕=息子と父と母

人間だけが

1+1=3

になれる

生き物だけが

1+1<3

になれる

家族ができるから・・

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2016-08-17 06:23:27

浮気はした方が悪い?された方が悪い?

テーマ:人間について
今回はちょっとくだらないテーマかもしれないけれど

実は人間の本質を考えるよりテーマだと思っている。

いつの時代も

芸能人などの浮気の報道が世間を騒がしているけれど

そして必ずほとんどの場合、

浮気はした方が加害者で、

浮気をされた方は被害者というような構図に

なっているような気がするけれど、

本当にそうなのだろうか?

よく詐欺に遭ったような人たちのことを、

詐欺行為をする人たちはもちろん悪いけれど

詐欺に遭う人たち自身も

(注意不足や油断のために)

詐欺に遭ってしまうのだから

詐欺の被害者も悪いところ(非)があるではないか

というような話もあるように

浮気にしても、必ずしも

浮気をした方が加害者なのだろうか

と少し考えることがある

日本の民法770条にも、

配偶者に不貞行為(いわゆる浮気)が

あった時には離婚を提起できると書かれてあり

浮気はした方が悪いと言う固定概念(常識?)があるように思う。

ちょっと「常識」を疑ってみても良いと思って

考えてみたのだけど、

実は僕は

以前から人間の本質のひとつとして

あることを常々思っていることがある。


それは

人間とは飽きる動物

ということである。

典型的な例として

わかりやすいのが食べ物だろう

どんなに美味い料理であっても

仮に特上のトロの寿司などを

毎日、毎日食べていると人間は飽きるものである。

一年365日毎日特上のトロの寿司を食べさせられたりしたら

見るのも嫌になるくらい飽きてしまうだろう。

それは特上のステーキにしても同じことだろう。

このような事は食べ物だけではなく、

給料などについても同じことが言えると思う。

僕が以前経営者をやっていた頃、

感じたことなのだけど、

従業員というものは給料を上げたときには

とても喜ぶ・・

それは当たり前のことだ。

でも

その上げた給料が

いつまでも続くと喜んでいたはずのその金額は

その従業員にとって

当たり前

になってしまい

今度は

いつまでもその金額から上がらないと

なんと!

喜んでいたはずのその金額が

不満に変わってしまうのだ!


これって

いわゆる飽きるというか、慣れというか

そういったものではないのだろうか

振り返って

結婚生活などを考えてみると、


結婚するときにはどんなに

お互いに魅力を感じていても

毎日お互いに同じ男(女)と暮らしていると

飽きてしまうということも

人間の本質ではないのだろうか

そうやって考えてみると

浮気は相手に対してして飽きてしまうという

人間の本能のようなものがある限り

避けられないのではないかと思う。

つまり誰しも、結婚して以降

そのままの状態でいた場合には

どんなに素晴らしい男性(女性)であっても

飽きられて、浮気されてしまって

ある意味当たり前とは言えないだろうか。

そんな視点から考えると、

飽きられてしまった方(浮気された方)

の努力が足りなかった

とも言えるのではないだろうか。

もちろん浮気をする方が悪いのだけど

された側の努力も足りなかったという側面も

あるのではないかと考えられないだろうか。

そんなふうに考えていて思う事は

夫婦生活を続けていく

(一般的に数十年は続けていくことが前提になるのだから)

浮気をされた側も、いつ浮気をする側になるかもしれない11

という状況にあるのではないかと思う

それを避けるには、

お互いに対する「変化」し続けることによって

相手から飽きられないようにするか

あるいは


例えが変な事例だけど

もし、最上級のステーキのような相手が配偶者だったとして

それに飽きてきて、

たまには梅干しのお茶漬けが食べたい

などと思ったときには、

最上級のステーキに対して

梅干のお茶漬けに変身することを望むのは酷だから・・笑

その最上級のステーキに分からないように、

こっそりと梅干のお茶漬けを食べること

(こっそりと浮気をするようなこと)

によって

飽きないようにする努力なんかも

必要悪

では無いだろうか

あのビル・クリントンなんかも

特上ステーキクラスの才女のヒラリークリントンに

飽きて、

たまにはお茶漬け?(普通の女性)が食べたいと

思ったんじゃないだろうか・・笑

でもあれは(お茶漬け)を食べてしまったことを

(特上ステーキ)にばれたことがまずかっただろう。。


そして最上級のステーキさんは相手に飽きられないよう

刺激を与えるために

ときにはわさびなどをトッピングすることによって

刺激を与えるという努力も必要なのではないだろうか

などと


くだらないことを考えている僕でした・・笑








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2016-08-14 15:49:23

心の刷り込み

テーマ:人間について
心への「刷り込み」によって

病気にならなかったり病気になったり

死ななかったり、死んでしまったり

してしまうということを知っているでしょうか。


人間というものは

幼い頃からその心に何らかの「刷り込み」というものがあるそうです。

例えば、自分はたくさんの人の前でしゃべることが苦手だというような

「刷り込み」を自分の心にしてしまうと、

実際にたくさんの人々の前でしゃべるような機会があった時には、

本当に緊張してしまい喋れなくなってしまうというわけです。

このような心の「刷り込み」によって影響されることは、

単にこのような得手・不得手というようなことだけではなく、

病気やその人生も左右することもあるというのです。

それはあのいい加減なスピリチュアルというような超常的なことではなく、

その「刷り込み」が脳にまで、影響を及ぼし、

結果として刷り込まれたことが実際の体の現象として起こると言うのです。

これはプラシーボ効果としてよく知られている現象らしいのですが、

例えば体の具合の悪いので病院に行ったとします。

その診断の結果風邪だと判明して病院から風邪薬を処方しておくと言われて

その薬を服用して治ったとしましょう。

しかし実はその時の医者が処方したのは単なる栄養剤で風邪薬ではなかったのです。

しかし患者さんはそれを風邪薬だと信じて「刷り込まれて」服用したため

実際に風邪の症状も改善して完治するというようなことがあるそうです。

薬品メーカーなどで薬の効果を試験をするときには

必ずプラシーボ(偽薬:本来の成分が入っていない偽の薬)を

被験者に服用してもらって、

本来の成分が入っている本当の薬を服用してもらった被験者と比較するらしいのです。

その時になんと60%ものの人がプラシーボ(偽薬)を

服用して症状が改善したという報告をするそうです。

これこそまさに心への「刷り込み」によって

(脳が)その偽薬を本当の薬と思い込むことによって、

体の病気をを改善してしまうのだということらしいです。

こんな話を聞いて思い当たることが1つあるのです。

それはある人が花粉症で鼻づまりなどを起こしていたときに、

当初は風邪かな、 、と思っていたらしいのです。

その時は花粉症の季節になってもそれほど大した症状は

出ていなかったにもかかわらず、

あるとき花粉症と診断された瞬間から

花粉症の季節になると猛烈に花粉症の症状で悩まされ始めた人がいるのです。

これはまさしく「刷り込み」効果ではないかと思うのです。そ

う考えると自分は頭痛持ちだと考えているような人ほど

本当に頭痛に悩まされてしまうというわけです。


例えば僕なんかは、生まれて3ヶ月で肺炎になり、

死の淵をさまよったと両親から聞いています。

その時に医者はほぼ助からないと言われたにもかかわらず、

僕は奇跡的に回復したそうです。

もちろんそんなことは記憶にないのですが、

小さい頃からそんな話を(特に父親から)聞かされて、

さらに「おまえはイザというときには、運が良い人間だ」

ということを聞かされ続け、

たぶんいつの間にか僕の心に「刷り込み」をされていたと思うのです。

そして僕は45歳の時脳出血で倒れてしまった。。

多分あの時も死の淵をさまよっていたのかもしれないとおもうのです。

でもいつの間にか僕の心に「イザというときには運が良い方向になる」という

の脳への「刷り込み」されていたことが僕を生きる方向に向けたのではないか

とも思えるのです。

そう考えると僕自身「イザというときには運が良い」

通常は運が悪い?(-_-;)

ということを刷り込まれてしまっているので、

そのまま「刷り込み」を維持することによって、もしかしたらこんな体だけど、


案外長生きするのかなぁなどと考えている僕でした。
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2016-08-14 07:16:50

結婚というコミットメント

テーマ:人間について
最近、夫婦が少し相性が合わないと

思うとすぐに離婚をする傾向にあるyように思う

でもよく考えてみると、

どんな夫婦でも、結婚式の時には

以下のようないわゆる「誓いの言葉」を

誓ったのではないだろうか。


○○さん、あなたはこの女性を

健康な時も病の時も富める時も

貧しい時も良い時も悪い時も

愛し合い敬いなぐさめ助けて

変わることなく愛することを誓いますか

「はい」

○○さん、あなたはこの男性を

健康な時も病の時も富める時も貧しい時も

良い時も悪い時も愛し合い敬い

なぐさめ助けて変わることなく

愛することを誓いますか

「はい」

あなた方は自分自身をお互いに捧げますか

「はい

というように・・・


キリスト教形式なのであれば、

それは建前として

神様に対して誓ったはずだと思う。

そしてその誓いの言葉とは

絶対的な約束、

つまりコミットメントした

ということではないのだろうか


そして離婚をするときには、

ほとんどの場合、

相手の責任と言うようにその責任をパートナーに

押しつけているのではないだろうか?

僕自身は結婚の際のコミットメント(誓いの言葉)

というものは

神様などという存在もしないものに対してではなく

自分自身に対するコミットメント(誓い)だ

考えている。

だから、どんなにパートナーが変質してしまおうとも

この誓いの言葉を破ることになる

パートナーが変質したという理由は

理由にならないのではないだろうか

自分自身だって変わる(変質する)ものだ。

変わらない(変質しない)人間なんていないだろう

お互いに変わる(変質する)ことを前提に

(相手に対しても、自分に対しても)

コミットメントするのではないだろうか

離婚というものは

自分に対する約束を破ることに

なるのだと僕は思っている。

パートナーの責任などではなく

自分自身が、自分自身への約束を

守れなかっただけの話だと思う。

だからこそ僕は、

何としても自分に対する約束を

破るようなことはしたくない。

自分への約束(誓い)さえも

守れないような人生なんて

どんな目標を持っても、

どんな志を持っても

その自分の目標や志を

破ってしまうようなものだから

生きていても仕方がないような

人生ではないだろうか。

そんなふうに考えると

離婚というものが最近の風潮であり

離婚しないということが古い考えだと

言うような人もいるけれど

そんなことはないと思う。

自分自身にが自分自身に対する約束を守るという事は

古いも新しいもなく、

絶対的に普遍的で大切なものではないだろうか。





だからこそ僕は、

途中でこんな障害者になってしまったけれど

自分への約束は、自然死するまでは

絶対に破らない。

(力が足りないかもしれないけど)

(守りきれないかもしれないけど)

全力でパートナーを守ろうと思っている。

どんなことがあっても・・・ね。

たとえパートナーは変質したとしても

その約束(誓い)見破ることは

パートナーの問題ではなく

自分自身に対する約束(誓い)を

破ってしまうことになるのだから

自分の問題ではないのだろうか?

自慢げにバツイチなどと言っている人もいるが

そんな人を(人間的にも、社会的にも)

信用できるのだろうか?

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2016-08-04 10:00:54

活性酸素が病気の原因と書く事は殺人犯の弁護士のような仕事?

テーマ:独り言
僕は今、安定した仕事として

インターネットマーケティングのための

SEO対策のためのサテライトサイト

SEO対策をされている方であれば、

サテライトサイトとは何かわかると思いますが・・

そのサテライトサイト用のコンテンツ文章の作成という仕事をしています。

このサテライトサイトのためのコンテンツ文章作成には1つのルールがあります。


それは、

・指定されたキーワードを一定の確率で出現させる事

そしてもう一つは

・製作した文章がその指定されたキーワードに対して否定的になるような
文章にならないようにする事。


というようなルールがあるのです。

もちろんサテライトサイトというものはある商品やサービスを

(肯定的に)アピールする必要があるわけですから

このルールについてては問題を感じている訳では無いのですが


このルールに沿って僕が仕事をしているなかで、

僕にとって

とても引っかかることが出てきてしまうのです。

それは指定されたキーワードには

美容や健康食品に関係するキーワードが

非常に多くあるのですが、

そのようなキーワードを軸として文章を書いていると

最近よく文章を書くために調べていて出てくることに

「活性酸素」という言葉が出てきます。

そして、多くの健康食品にしても、医薬品にしても

この活性酸素を除去することができる「抗酸化作用」

というものがあるとアピールしている商品や製品があるのです。

それらの商品や製品を否定的な文章では製作することは、

文書作成ルールに反するため書くことができないのですが、

それが僕にとっては

「嘘をついているようで」

とても心苦しいと思いながら書いているわけです。


なぜなら、

巷では「活性酸素」というものが

DNAを傷つけることによって

がんの発症原因になるとか

老化の原因になるなどという情報がたくさんあります。


しかし、以前から僕はこの活性酸素というものが

様々な病気の原因であると言う理論に

とても疑問があったのです。


僕はもともとは化学工学の出身なので、

ある程度分かるのですが

活性酸素というものは、ヒドロキシラジカルと呼ばれ


酸素中でも非常に不安定な物質であるため、

何らかの物質とすぐに結合してしまい、

安定した物質になろうとする性質があるわけです。

活性酸素の性質がこのような性質であるが故に

活性酸素というものが「存在」する瞬間は極め

て一瞬のことだということはわかっていました。


そんな一瞬しか存在できないような活性酸素が

人間の体の何か(DNAとか細胞)に対して

影響を与えてしまうとか、傷つけてしまう、

というようなことはありえないと思っていたわけです。

そして最近、以下のような情報を見つけたのです。

活性酸素は病気の原因か?

この情報は故船井幸雄氏のブログだということですが

ここには明確に

活性酸素は0.001秒で消滅するため、存在しないというほうが正しい

というように記載されています。

そして

「活性酸素はガン細胞の発生に関係するDNA損傷の現場に到達する前に消えてしまう」

とまで書かれています。

さらに、日経サイエンスのサイトで以下のような情報も見つけたのです。

覆る活性酸素悪玉説



上述の2つの情報を読む限り、

これまで健康食品会社だけでなく

医者でさえも主張し続けていた活性酸素というものが

病気の原因となる事が覆ってしまうことになります。

僕にとっては

このような情報を知ってしまった状況の中で

ある商品が活性酸素を除去する作用があるという

いわゆる抗酸化作用があるから、

アンチエイジングに効果があるなどという

肯定的な文章をサテライトサイトのために書くという事は

まるで

凶悪で残忍な殺人犯の弁護士として、

その殺人犯が正しいなどと擁護しなければならない仕事だなぁ

などと思いながら仕事をしている自分がいるのです。

これって案外辛い仕事です。。笑



このような活性酸素以外に関係する文章にも最近も流行している

「水素水」なるものの文章を作ることがあったわけですが

その効果果についても僕にとっては疑問だらけなのです。

なぜなら、水素分子などというものはそう簡単に

水の中に溶解させ閉じ込めるなどということは

とてもじゃないですが、ほとんど不可能に近いはずだからです。

この水素水に対しても今年に入って

国から以下のような情報が出ているのです。


「国民生活センターが注意呼びかけ 「健康効果なし」

「国が警告…商品を医師も推奨コメント



そういう意味で、

このような水素水が健康に良いというなどという

「僕にとってはまるっきり嘘」の文章を

まるで正しいかのように肯定的に書いているときには

「自分」というものを無くしてしまおうと心がけているわけです。。(-_-;)










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2016-08-03 08:13:36

桜井誠は「怒りの塊」になっている・・ だからこそ怖い

テーマ:人間について
桜井誠は「怒りの塊」になっている

僕はある人から人間の「怒り」というものにについて

以下のような教えてもらったことがある。



まず、本当は怒りというものについて、

しっかりと理解できているいる人は、ほとんどいないのだということ・・・

よく世の中では、韓国などの対応に対して日本が怒るのは当たり前だ、

怒って何が悪い!

こんなことを言われて怒るのは当たり前だ、

怒らないなんて腰抜けだ

このような言葉を、僕たちは日ごろからよく耳にしています。

たとえ日本という国レベルでなくても、

普通の人々であっても、

日常生活において怒っている人の数を数えたら、

枚挙に暇が無いということを、、、


そう考えると、

皆さんの周りでもたくさんいるでしょう。

ものすごく、いろんな人に対して(教師や親や政府なのに対して)

酷い言葉でしゃべったり、悪態を聞いたりしている人たちが、、、

特に最近では、

怒るということが堂々とした態度だというような風潮まであると思います。

しかし怒りなどとという言葉は本来、

気軽に口にできる代物ではないということです。

実は「私は怒りました」などというのは

「私はバカです」と自分の吹聴して回る事と

同じようなことなのだということを、

「怒り」の本当の意味を知っていたならば、

そう簡単には口にはできないはずなのだということ、

逆に言えば「怒り」という言葉を

これだけ頻繁に耳にするという事は

多くの人が「怒り」ということに対して何も知らないということでもあるわけです。

「怒る」ということを実に簡単なのですが、

でも怒りっぱなしの人生はとても辛く苦しいものです。

楽しく気軽に幸せに生きていきたいという願望を持っていながらも、

それが一向に構わない理由は

「スカイツリーが高いことにも腹が立つ」といったような感じで

人生のすべてががいわゆる「怒り漬け」になっているからなのだと言われました。

そして、このような怒りの感情がなぜ悪いのかというと、

それは人間の感情には「どんどん強くなる」 、という性質があると言うのです。

つまり、ある一瞬、ある感情「喜怒哀楽という感情」が芽生えると、

それは放っておくと「どんどん強くなってくる」というわけです。

簡単な例を示しますと「今日は退屈だ!退屈で、退屈で、嫌だ! 」

というような感情の時にも「怒り」という感情が心の中にはあるということですが、

でも、それは大した「怒り」怒りでは無いのかもしれません。

ところが、そのような小さな「怒り」であっても静電気などと同じように、

それが集まってくると雷という強烈なものすごい電圧の何でも破壊してしまうような

雷のようなものにに変わってしまうのと同じように、

どんどん強くなってくる傾向にあるのです。

たとえ、ほんの小さな誰にも影響のない「怒り」であったとしても、

そのようにどんどん強くなってしまうと非常に危険なのです。

そうなると、その強烈な怒りは自分自身が爆発してしまうが、

その怒りは雷のように他人まで破壊してしまう可能性があるわけです。

怒りが強烈に強くなってしまうと

自分に歯もじりじりと噛んでしまったり、

拳を握りしめてしまったり、

筋肉がに震えてきたりというような状態になってくるのです。

そのような状態が継続するとその怒りはなかなか消えなくて、

なんにしても何ヶ月でも一生でも続くのです。

そのような感情のこと「怨み」というそうです。

この「怒り」は「怨み」変化すると、

一生、その「怒り」は続いてしまうそうです。

これを聞いたときに、僕にもとても思い当たるふしがあるのです。

それは8年前脳出血によって半身不随という障害者になってしまったというとき、

酷く「辛く悲しい」といういわゆる暗い気持ちになったののです。

そして今から振り返ってみるとその心の奥底には

は障害者になってしまったことに対する

悲しみというよりも「怒り」に近い感情

のがあったのでしょう。

それは、考えれば考えるほど(本来考えなければよかったと今になって思うのですが)

「悲しい」と思っていた感情が、

いつの間にか何かに対して(それは人であった場合もあります)

に対する「怒り」変化していったと思うわけです。

それは今から当時の心の変化を考えて、

客観的に観察してみると今ではよくわかるのです。

その「怒り」は「こんな脳出血を起こしてしまったのは、

無理な仕事を押しつけた親会社の誰々のせいだ」 とか、

「無理な要求をするクライアントのせいだ」、

挙句の果てには「当時高血圧になり始めていた僕に対して

血圧を抑えるようなしっかりと食事を提供してくれなかった妻が悪い

などというような無茶な怒りにまで

変化していったことを思い出します。

こんなふうに自分の中の「悲しい感情」だけだったものが

他人に対する怒りに変化していったことが今から考えると自分でもよくわかります。

そしてその「自分で勝手に創造してしまった怒りの原因」のことを

考えれば考えるほど

自分の中にある「その人(クライアント?)そして 妻」に対する「怒り」

の感情は考えれば考えるほどどんどん果てしなく増幅していったのです。

そして、このようないわゆる暗い感情にによって幸福というものが失われた感情、

そして不幸を感じてしまう感情などがあまりにも強烈に変化してくると、

じっとしていられなくなるのです。

さらに強くなってくると日常生活の様々な行動の中で

いろいろなものを破壊していくのです。

これは僕の場合にも典型的に起こっていたのです。

左利きであった左半身の体力に自信のあった僕が

脳出血によって左半身が動かなくなってしまい、

人間としてごく当たり前の動きができなくなってしまった

自分に強烈な悲しみよりも怒りのようなものもを覚えてしまい、

それが原因で目の前にあるものを健常な右手で(杖などを使って)

叩いて壊してしまったことがよくあります。

そして挙げ句の果てには、その怒りはどんどん増幅してしまい、

杖をついて歩いているうちに、その杖が憎たらしくなって道路の側溝に

健常な右手で叩いて叩いて叩きまくり、鉄製の固い杖を曲げてしまったことを覚えています。

このような「小さな悲しみ」

理不尽などによる)ほんの小さな怒り」が自分の心の中で

何回も繰り返して考えることによって勝手に増幅していってしまい、

つ様々なものを破壊していってしまうのです。

そして真っ先に破壊してしまう対する対象は自分自身だったのです。

僕自身もそんな「怒りによって自分自身を破壊「いわゆる自殺」

をしようとしてしまったことがありました。

たとえ自殺などしなくても、自分自身のを破壊してから、

その後に他人まで破壊していってしまうものです。

つまり、世の中の破壊(戦争)の原因は「怒り」そのものでもあるというわけです。

というような教えていただいたことを、

僕自身が脳出血を起こして障害者になってからの人生を振り返ると、

とても実感してしまい、

なるほど「怒り」というのはとても恐ろしいものだということを悟ったというか理解して

そして実感できたと考えています。

こんなふうに「小さな怒り」が

前述のように人間の感情の特性として「どんどん勝手に強くなってしまう」

ということを少なくとも僕は実感している。


「怒る人ほど頭が悪い?」

そして、この世の中で怒る人ほど頭が悪い人はいないと言うわけです。

そんな事は無いでしょうと思う人もいるでしょうけれど

でもこれは本当のことであり、人間の本質でもあるのだということです。

でも実際、怒る人は本当に恥ずかしいほど頭が悪いというわけです。

つまり怒っている人はバカなのです。

よ~く考えてみてください

怒っているときの自分の心を実際にできるだけ客観的に観察してみてください。

そんな怒っていると自分には知恵の一つも出てこないし、

おそらく動物以下の状態でしょう。

知識や能力才能のある普通の人間になりたいのであれば

決して怒ってはいけないのです。

人間の心の感情というものは、波のようなもので、

いつでも浮いたり沈んだりしています。

これまでの人生を振り返ってみれば、

本当に頭が冴えてしっかりと物事を正確に把握して行動していた時は

決して怒ってはいなかったはずだということです。

まず怒るのは馬鹿のすることだという事だ

ということを自分に言い聞かせる事だということを

大切なことだと思うのです。


人間が起こるときには、

我々はその瞬間に「完全に最低なバカな人間)になってしまうということです。

怒れば怒るほど、我々人間は自分のバカそのものを

刺激してしまいどんどんバカになってしまうというのです。

それでは怒る回数が増えてくると、どんな風になるのでしょうか。

人間の心にはどんな人にも経験があると思いますが、

何かをある言葉を繰り返すと、

それを信じて心の中に植え付けてしまうという特性があります。

例えば「これは良い」「これは良い」「これは良い」「これは良い」「これは良い」

というような情報を何度も繰り返し心の中に入ってくると

全てが良いものだと決めつけるようになってしまうのです。

また逆にネガティブな情報で、

「あなたは頭が悪い」「あなたは頭が悪い」「あなたは頭が悪い」「あなたは頭が悪い」

というようなことを何度も聞かされてしまうと、

本当に自分は頭が悪いのではないか、と思い込んでしまい、

そして本当に頭が悪くなってしまうことが実際にはあるわけです。

これは「心の刷り込み」というものだそうです。

もっと簡単な例で言うと、例えば、 「私はたくさんの人の前でしゃべるのが苦手だ」

というようなことを何度も心の中で繰り返してしまうと、

たくさんの人の前でしゃべるとき、

本当に緊張してしまって喋れなくなってしまうものです。

このように人間の心というものは同じ事を繰り返して言い聞かせると

案外あっさりと本当にその通りになってしもうものであるということです。

これは怒りについても全く同じことが起こるのです。

怒る回数が増えれば増えるほど、

その人は「怒りそのもの」になってしまうということです。

それはもう人間ではなくなってしまい、「怒りの塊の肉の塊のお化け」

のようなものと同じになってしまうということです。

前置きがとっても長くなってしまいましたが、

これは僕が教えてもらった怒りというものに対する考え方です。

そう考えて桜井誠氏を客観的に観察してみると、

彼はもう既に「怒りの塊」になっているような気がするのです。

彼は当初は韓国人の理不尽に対して、冷静に論理的に考えていたのかもしれません。

でもその時点では、ほんの少し怒りという感情がよぎったのでしょう。

そしてそれを何度も繰り返して考えるようになってしまったのでしょう。


それこそがいつの間にか前述したような


「何回も怒りを繰り返してしまっている]

状態になったのではないかと思うわけです。

そして、現在ではいわゆる「怒りの塊」になってしまってるように思えてならないのです。

彼はヘイトスピーチなどしていないと言うけれど、

下記の動画で叫んでいる言葉を聞いてみると、どう考えても

汚い言葉で、(ヘイトスピーチという言葉を否定したとしても

罵倒というような言葉を繰り返しており

理路整然と問題点を指摘しているようには思えないでしょう。

<いわゆるヘイトスピーチ中の動画>


みんなスピーチをしている在特会ぬ人々

不公平な韓国人への優遇措置を「

「許せない」「許せない」「許せない」「許せない」「許せない」「許せない」

などと叫んでいます

彼らのなかには、もう「怒り」しかありません。そこには冷静で客観的に思考力は

失われているように思います

(本人たちはしっかりと思考していると錯覚していると思いますが)

そこには「怒り」という感情しかないと言うことを気づいていません。



<選挙戦の演説のスピーチ中の動画>




この演説でのスピーチは徐々に「怒り」に変わります。

動画の表題には「最強の神演説(新小岩)」等と書いていますが
(たぶん在特会のメンバーが投稿した動画なのでしょう)

神演説?

とてもそうは思えません。

怒りをぶちまけているだけで、

怒っているうちに論理も飛躍し偏り始めます。

僕は彼らの街頭での主張聞いて、決して間違っているとは思わないのですが、

でも、その彼らはスピーチをしながら徐々に怒りが怒りを呼び「怒りの塊」に

なっているようで非常に危険に感じるのです


彼は1人で演説するときは、

最初のうちは理路整然と話しているように見えるのですが、

その心の中には「非常に強い怒り」が存在しているため、

しゃべっているうちにその「怒り」は心の中で繰り返されてしまい、

「怒りそのもの」という怒りの塊になっていき、

最終的には汚い言葉で暴言を吐くようになってしまい、

無用に人の心を傷つけるようになってしまうのです。

そしてそれを彼自身は気づくことができなくなってしまっているように、

僕には思えるのです。

それはまるであのヒトラーに似ているのではないか、

と僕には思えるのです。

あのヒトラーも当時のドイツ経済の原因を、

ユダヤ人の「商売のしたたかさ(彼にとってはユダヤ人の搾取にみえたのでしょう)

書いている過程の中で自分の心の中でどんどん怒りとして繰り返してしまい、

最終的に「怒りの塊に」なってしまい、いわゆる化け物と化していってしまったのではないか、

そして、

結果としてユダヤ人の大虐殺という

凶行に出てしまったのではないかと僕には思えるのです。

そんなふうに考えて桜井誠氏をよくよく観察していると、

彼の論理自体は正当性があるように見えるけれど、

その中には強い怒りだけしか感じてこないのです。

それはもう憎しみとか、恨みというような段階になっているような気がしてならないのです。

だからこそ、危険だと僕には思えるのです。

さらに今のアメリカのトランプ大統領候補も同じな傾向が見えるのです。

彼もメキシコ国境からの不法移民がアメリカの利益を、

そして雇用を奪っていると主張しています。

それに関しても、彼はビジネスマンとして長い間(何度も何度も)ひどい目にあったが

(何度も何度も)怒ってしまった結果、

彼自身も「怒りの塊」となってしまっており、

それはもう前述の桜井誠氏と同じように

化け物と化しているように僕には思えるのです。

だから僕はとても危険だと感じています。


僕自身、障害者となってから、

当初悲しみという「暗い感情」何もできなくなってしまったという

「辛い感情」を毎日見る麻痺してしまった左半身を感じてみる都度に

繰り返してしまい、

それが怒りにかわり、

何度も何度も左半身を見るたびにその辛い感情を言葉で心の中で繰り返してしまい

、怒りの塊になってしまっていた時期があったと感じています。

そしてその時期は周りの人が本当に憎らしく感じ、

周りの人まで傷つけようとまでは思わなかったけれども、

自分自身に対して、いつの間にか強烈な怒りを感じてしまっていて、

自分自身を本当に殺そう「いわゆる自殺しようと」考えるようなことを実際に考え、

(今だから書くことが出来ますが)その手段を真剣に考えていたような時期があります。

だからこそ怒りの塊になってしまった人間は怖いと思うのです。

そして、その恐ろしい「怒り」が起こる最初は、

瞬間、瞬間に移り変わる人間の心の過程の中で、

ほんの一瞬よぎっただけの小さな小さな「怒り」から芽を出すから、

ほとんどの人は怒りが大きくなってしまったときに

なぜこんな「怒り」を持つようになってしまったのか

気付く事ができないと僕は感じ、

それこそが怖いと思う訳です。


悲しみや辛さのというような

「暗い感情」が、怒りに変わって強くなってしまうと、

いろいろなものを「破壊」してしまうと確かに感じるわけです。


そして、その「怒り」というものが

真っ先に破壊してしまうのは自分自身であり、

その破壊された自分自身は実際に

自分の正常な思考力を奪いとられてしまうと思うのです。そ

して、その正常な思考力を奪いとられてしまった自分自身が

次に破壊するのが他人ではないか、と感じます。

そんなふうに考えると、

戦争などの世界の破壊の原因は

人間の心の中の「怒り」と痛切に感じるのです。

イスラエルとパレスチナの関係にしても

「憎しみの連鎖」というような言葉が使われていますが、

これも何千年という長期にわたって

お互いに何度も何度も「怒り」を感じ続け、

そして何度も何度も考え続けることによって、

その「怒り」がどんどん増幅していき「怒りの塊」に

膨張し続けた結果ではないかと思います

そのため、お互いに膨張しきった「怒りの塊」が

今更、誰にもどうしようもないほどに、

大きくなってしまっているのではないかと感じるのです。

振り返って

この極東の中国や韓国などの日本に対する攻撃も

当初はそれほど大きくなかった「怒り」がそれぞれの国民が

何回も何回も考えれば考えるために

その小さかった怒りが勝手にその本当の問題とは関係なくに

膨張して「怒り」がコントロールできないほどになり、

現在のような極端な反日という傾向になっているのではないかと

危惧するのです。

結局、東京都知事選は小池百合子氏の圧勝で終わったけれど、

万が一にも「怒りの塊と化していると思われる」桜井誠氏ような人が

当選するような事にでもなったら、僕ははとても怖いと思っていたのです

。やはり良識ある東京都民は(おそらく本能的に危険な人物を避けて)

適切な人物を当選させたと僕は思っているのです。

桜井誠氏の指摘している問題点をすべて否定している訳では無いけれど

でも、それによって桜井誠氏が、いわゆる「怒りの塊」になっていることが

もっとも恐ろしいことだと思うのです。
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