このブログは半身不随というの出血の後遺症の障害を現実として正面から受け止め(受け入れるのではない)乗り越え、生き抜くために、日々自分自身に言い聞かせ、高い心のテンションを維持するために書いている自分自身のためのブログです。特に以下は僕自身への叱咤激励であり、自分自身を戒めるため、そして障害を持って生きるという苦しみから逃れ、心の安寧を得るためにいつも心の中で唱えているようにしている言葉です。

-----------------------------------僕自身の心を強く持つために-------------------------------


希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲など
とはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。

希望とは体の状態でもない。どんなに苦しい状況であろうと心が破壊されない限り希望は持つことができる。希望を持つことにより人間は「意欲」が湧く。「意欲」は知恵の源泉だ!生きていくための知恵の源泉だから、この知恵の源泉である希望を心から捨てるわけにはいかない。
全人類も希望を持つことにより苦境を脱する英知が発揮できるのだ。

人類が心の中の希望を捨てるということは人類を破滅に向かわせるに等しい。


苦しくても希望をもつための私が唱えなければならない言葉

無私は敵を作らず
無欲は憎しみを作らず
無欲は甘えを知らず
無私は悲しみを作らず
無私無欲は身体的苦痛をも癒す
無私無欲こそ最大の心の平安の根源なり
無私無欲に勝るものなし
しかし無私無欲は無気力にあらず
されど無私無欲は容易ならず。
自ら選んで自ら歩んだわが人生、無念なれど一切悔いなし。



この地上に棲むあらゆる生き物のうちで
人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる
人間のみが、自分の運命を築くことができる

行動はいつも幸せをもたらすものではないが
行動なくしては幸せはない

弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ(M.G)

無暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、
暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである(M.G)

束縛があるからこそ 私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ 私は走れるのだ
涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ(M.G)


人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。

障害者になったからといって、他人の力を借りるしかない生き方だけはしたくない

そんな惨めな生き方だけはしたくない。


たとえ障害者であっても何でもよいから少しでも人の役に立つ人間でありたい


----------------------------------------------------------------------------------------

生死の境をさまよい、ある日突然障害者として生きていかなければならなくなって
、多くのもの(会社だけではなく健常者であれば当たり前にできることや生きる楽しみなど)
を失った絶望感の中で、人間とはな何か、なぜ生きるのか
人類とは何かなどを考えさせられ、人生観が大きく変わりました。
こんな障害者でも社会の役に立つことができないかと考え、下記のような環境技術紹介サイト
を「生きている」健常な右手一本でなんとか作りました。


優秀な環境技術や省エネ技術を持つ日本のモノ作り企業の海外販路開拓をサポートするサイト
http://my-japan.jp



このブログは障害者として生きなければならなくなった自分、そしていつ再出血で死ぬかも
知れないという状況の下で、自分自身がどうやって生きたのかという記録を残しておきたいと
いう気持ちと共に、自分自身への叱咤激励のために書きはじめました。
そして今、障害者ながらエンジニアリング業界の勇士と共にNPO法人を立ち上げることができ、日本のモノ作り企業の海外販路開拓の全面支援をする活動をしています。

そのような活動を続けてきた結果、最近では以下のような脱原発のための再生可能エネルギー活用構想記事まで書くことができるようになりました。

① 2年前に書いた再生可能エネルギー活用構想(太陽光発電+大容量蓄電池+最新型風力発電技術の利用)

② ローテクで実現する脱原発と再生可能エネルギー社会(大容量蓄電池+低温度差発電技術)

③ NASバッテリーを凌ぐ高性能大容量蓄電池 

そして不自由な身体に苦しみ、いつも痛みや痺れに苦しむ事によって
人間が生きる意味について深く考えるようになりました。

そして僕なりに人が生きる意味は、

生きている間にできるだけ多くの人とつながりを持つことだと思うようになりました。

いつかは失うものや老いたときに失うもの(財や命)に生きる意味を求めてはいけない。

人はいつか多くのものを失うのだから、、そしていつか死ぬのだから、、


よろしければ以下のブログ村ランキングボタンをどれか押してやってください。
にほんブログ村 病気ブログ 脳・神経・脊髄の病気へ
にほんブログ村
にほんブログ村 ベンチャーブログ ベンチャー社長へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村




太陽光発電 ブログランキングへ


私のFaceBookページはこちら



よろしければこちらからメールをください


1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016-12-03 15:27:30

ハーズバーグの動機付け衛生理論?によると・・

テーマ:人間について

ハーズバーグの動機付け衛生理論なという理論がある
人事の勉強をした事がある人なら
知っていると思うけど、
人間(社員)を動機付けする(モチベーションを上げる).ためには、

まずは現状が「不満足な状態」ならば、

まずはその不満足な状態を解消してあげなきゃいけない

そして不満足な状態で亡くなった状態において

初めて動機付けが効く(いわゆるモチベーションを上げるための

動機付けのような 手段が効く)ようになるというような理論だったと思う。

うまく説明ができなけど、

この理論を今の僕に当てはめてみると、、、

僕の場合は簡単はモチベーションを上げる事が

できないという事になるのだろう

なぜなら、

僕は半身不随とその疼痛に常時苦しんでいるから、
常時、「不満足な状態」にいることなる(もちろん健常者と比較して・・)

そのため、

僕を健常者のようにモチベーションを上げさせるためには、

まずは現状の半身不随という不満足な状態を解消させるだけの

気持ちの高揚をさせてあげなきゃいけないという事になるのだろうか


そうしなければ、

普通のモチベーションアップ策では効果が出ないと思う。

確かに僕がやる気になるためには、

普通の2倍以上のモチベーション策が必要と感じるしで、

いつも自分自身で苦労しているような気がする
だから

必要以上にいつも前向きになろうと努力しているかもしれない

辛いな、障害って、、

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-24 15:10:24

日本刀引き取り完了!

テーマ:独り言
なんとか、関まで車を運転してきて、
日本刀の引き取り完了!
{EBFCB5C0-8438-46EB-80CC-2AD8ECFF6E70}

それにしても、出来立ての(笑)日本刀の
刀身はいつ見ても美しい!

さぁ、今から帰るとするか
西向きに帰るから
逆光だ〜
(><)
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2016-11-24 06:46:04

今年の冬は超えることができるかな?

テーマ:人間について

今朝はやけに冷えるなぁ

1

麻痺側の拘縮が強くて体が動かない・・

それに拘縮の痛み出てきて辛い、

今日は岐阜県の関まで今年の春に注文を受けた

日本刀が出来上がったというので、今から車を運転して

引き取りに行かなきゃならない。

この体で、右手と右足だけは運転で関まで

行けるかなぁ?などと不安に思う。

 

半身不随になってからというもの

毎年思うことだけれど、冬に入る前の極端に寒くなった日には

この冬は越せるのかなぁ~?いつかまたぶっ倒れて

死んじゃうんじゃないかなぁなどと不安に思ってしまう

熊じゃないけど、

冬眠することなどで冬を越すことができたらいいなぁなどと・・(^_^;)

夏は夏で、極端に熱くなったような初夏の日には

この夏は越せるかなぁ。これだけ暑いとどこかで脳梗塞にでもなって

死んじゃうんじゃないかなぁなどと考えてしまう。
それにしても、寒さ暑さには弱く気になってしまったこの体

いつまで生きることができるんだろう・・

死ぬときはまた脳梗塞が脳出血なんだろうなぁ

こんな情のないことは考えずに、

気合いを入れて、さあ行こう!

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2016-11-23 22:44:45

死後のことなんかどうでも良い?

テーマ:人間について

よく、

「死後の事なんかどうでも良い」

と言う人がいる

 
確かに死後の事など議論しても無意味だと思う。
 
なぜなら、誰も証明する事が出来ないのだから、、
 
あのホーキング博士にしても、
物理学的に死後の世界はないと
「結論付けた」だけであって証明した訳ではない。
 
僕にしたって、自分なりに(まだまだ勉強不足かもしれないが)
脳科学の観点から死後の世界はないと結論付けただけで、
決して証明した訳ではない。
だけど安易に宗教を信仰をして、
自分の頭で考えずにキリスト教イスラムなどのような
他人の考えをそのまま受け入れるのもおかしいと思う
 
そして、
「死後の世界なんかどうでも良い」
と言うような人は、きっと死に直面した事がないだけだろう。
 
本当に死に直面した人ならそんな事は言わない
いや。言えないだろう。
人の死について深く考え、悩むからこそ
有意義な生を生きることができるのではないかと思う。
今の日本、平和になりすぎて
身近に死を感じない人が多くいるのだろう。
紛争地のように残酷な死を毎日のように
感じるのも、問題だけど、
平和過ぎて(平和ボケ?)死を
深く考える事ができないというのも
どうかと思うのだが・・・
 
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
2016-11-23 18:03:57

死後の世界を信じている能天気な人たち・・

テーマ:人間について

先日も死後の世界なんて存在しない、人間は死んでしまったら無になる。
といった記事を書いたけど

宗教などの信者で、何らかの形で死後の世界を信じており、

天国とやらいう人間の脳は作りだした空想の世界が

存在していると信じている人たちは、以下のようなYouTubeの動画のような

世界を考えているのだろうか?

 

 

 

あのテロを繰り返しているISなどの連中も

こんな世界存在していると信じているのだろうか?

それにしても、そんなことを信じて大量虐殺したり

する連中もアホだと思うけど、また殺されてしまうひと達も

死んでも死にきれないだろう。

 

僕は死ぬということはどんなことか考え始めたのは

やはり脳出血起こしてから再出血のリスクが非常に高く

もしもやもや病が原因で再出血を起こすと

死ぬ事は免れないだろうというようなことを

知るようになってから、かなり本気で死ぬという事は

どういうことなのか考えた結果、

「無」であるという結論にたどり着いたのだ。

しかも幸い、脳に関する病で倒れたことが起因して

脳に関して自分なりに勉強をしながら死について考えたとき、

どう考えても「無」という結論しか出なかったのだ。
 

それにしても、前述のような動画のような死後の世界を

を考えているのなら、馬鹿らしくなってくるのだ。

尊大存在もしない世界を

勝手に空想をして喜んでいるバカに見える

というのが、僕の本音だ。

 

いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
2016-11-23 17:15:20

未だにイラッとくる事

テーマ:人間について

脳出血で左半身麻痺の障害者となって、

もう8年になるけれど

未だにイラッとくることがある。
昨日もあったことだけど、自動車に乗ろうとしたときに

どうしても体が車の中に入らない! 。
いったいどうしたんだろう、と思った瞬間、

左側を見た。そうすると、なんと左側の方が

車のドアに半分引っかかっているではないか! 

未だに左半身は「感じる」ことができていないんだ。
ということを思い知らされた瞬間だった。

僕は、左半身麻痺といっても

一般の人が考えているような

左半身がいわゆる「動かない」といった

「運動麻痺」だけではなく

重度の「感覚障害」といった障害もあるのだ。
この障害の症状は誰に言ってもわかるものでは無い。

たとえ毎日過ごしている家族さえも

この何とも言えない辛さはわからないであろう。

なんというか、左半分の世界が「存在しない」

というか、左半分もし世界を感じることができない」

といったような感覚でもある。

つまり、実際には存在しているのに、

その世界が存在していないに等しいのだ。

この何とも言えない辛さだけは未だにイラッときてしまう

でも、それを誰に当たり散らすこともできない

なぜなら、

この感覚は全く同じような感覚障害を負った人でない限り

誰に分かるものでもないからだ。

だから、 一人イラっときて、少し悲しくなって、

 一人黙って気持ちが収まるのを待つしかない。

 

こんな感覚障害などという障害があることは

ほとんどの人は知らないであろう。

 

いわゆる「見えない障害」と言っても良いのではないかと思う

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-20 21:33:38

死後の世界はない。死んだら無になる

テーマ:人間について

死後の世界は存在しない、死ねば魂は無になる」

 

これはあの有名な身体障害者の物理学者スティーブンホーキング博士が 

 

2011年に発表した言葉ですが、前回の記事に納得しておられない方も

 

おられると思いますので紹介しておきます。

 

彼はこのように言っています。

 

「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」

 

そして

 

「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」 

とも断言しています。父

 

や僕はこの考えに賛成であり、

 

普通に考えて納得できる論理的な考え方だと思っています。

 

世の中には不思議な体験をしたという人たちが数多くいますが

 

それらの人たちのほとんどは人間の脳が作った

 

妄想を見ているに過ぎないのです。

 

そしてそれはおそらく死ぬという恐怖、あるいは暗闇という恐怖から

 

逃れるために脳が作り出した幻覚にすぎないのです。

 

そんなことを信じていると悲劇が来ると考えています。

 

なぜなら,

 

人間の歴史に記録されている世の中で

 

最も極悪で残酷な罪は宗教という名の下に行われている

 

 

という厳然たる事実があるからです。

 

現に、現在でもISという組織の連中は脳が暴走した

 

自分勝手な妄想にとらわれて、極悪で、残虐な行為の限りを

 

やり尽くしているではないか。

 

すべては人間の死ぬことに対する恐怖から逃れるための

 

妄想から生まれた悲劇だと思う。

 

自分だけは死んでも永遠の魂が残っていたいという

 

誠に身勝手な妄想から残虐な行為に走ってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2016-11-20 16:42:18

人間、死んだら心を無になり、身体は土に還る

テーマ:人間について

今日これから書く事は、 一部の人(特に何かの宗教を信仰している人)にとっては

受け入れることができない記事になるかもしれないのでご了承ください。

 

人は死んだら、心は魂というようなものになって永遠に残る。

そして死後の世界が存在し、神様というようなものに加護を受ける

などというような考え方、あるいはそのように考えたい人は多いと思うけれど、

ぼくはそんなふうには考えていない。

特に宗教などを信仰しているような人は

死ねば仏になるとか、

神様というような存在に抱かれるとか

考えているような人が多いようだけれど

僕は死んでしまえば、心なんかはなくなってしまい、無になり

身体は炭素や水素、そして酸素のような元素になり

いわゆる地球の土に還ると考えている。

そしてそこには心が存在していた事の痕跡など

全くなくなってしまうのだと思っている。

僕は脳卒中になってからというもの、


この後遺症である半身不随の障害を克服したい一心で

人間の脳について自分なりにかなりの勉強をした結果、

僕はそんな結論に至った。


そんな結論に至った理由について少し説明したいと思います。

よく言われるのが、仮に魂というようなものが存在したとして

その魂というものは、

少なくとも生きている身内の人間を識別できるのだろう。

なぜなら、その霊魂と言われるようなものは

子孫を(何を見守るのか分からないが) 見守っているなどとよく言われる

さらには何かに恨みを抱いているような霊魂であれば

その恨みを抱く対象の人間を識別できるはずだ。

つまり、人間の身体とは別に存在していると考える魂と言われるものは

生きている人間の識別をできるというわけだ。

少なくも身内である母親や父親といったような人間は

 

識別できなければいけないはず・・

ここで、僕は矛盾を感じることがある

脳卒中(脳出血や脳こうそくなどの総称)や脳挫傷などによって

脳に損傷を受けた人の中にカプグラ症候群といったような症状を発症する人がいるということを知った

カプグラ症候群とは、高次脳機能障害の一種であり、

身内の人間(例えば母親)のことを

 

そっくりな偽物と認識してしまう病気だそうだ。

このカプグラ症候群という病気の詳細な症状については

以下の有名な脳科学者であるラマチャンドラン博士の

講演の動画を見ていただければ理解できると思う

ラマチャンドラン 「心について」​


この動画を見ていただければ分かるように

 

脳に損傷を受けてしまった人間の中には

身内の人間さえ識別ができないという状況に

 

陥るということが示されている。

つまり人間の脳こそが人を識別できる能力を

 

持っていることではないのか

前述のように、もしも人間の脳とは別に

 

魂というような心のようなものが存在しているのであれば、

たとえ脳が損傷されようとも、

 

魂(心)同士がお互いを認識しあえることができ、

少なくとも身内の人間をわからなくなってしまうというような事は

 

起こらないのではないのか?

要するに脳=心であるということではないのか?

そして、死んでしまった人の脳はすべて損傷してしまっているか、

もし(日本のように)火葬されたのであれば、

完全に消滅してしまっているはずでは無いのか?

人間の脳が消滅してしまった時点で心(魂? )とかいうものも、

消滅してしまっていることになるのではないか、と思うのだ。

このようなことから

僕は人間は死んでしまえば、心なんかはなくなってしまい、

 

「無にになってしまう」と確信している。

だからこそ、この世の中が存在し、いろいろなことが起こるのは

神様などというものの「創造主」と言われるような存在が創ったものではなく

人間という動物の脳によって判断をし創られてきたものだと考えられるのだ。

それゆえ、宗教信者が、よく言うようなある人間の行動のことを「

 

神への冒涜」だといったようなものは、


非常に馬鹿げた言い方だと思うのだ。

神への冒涜も何も、すべては人間の脳は決めて人間が自ら行動して来た事ばかりであり

そもそも神とか魂などというものが存在しないと確信しているからだ。

それゆえ、いわゆる「あの世(死後の世界) 」なんて存在していないはずだし、

僕自身、あの世なんて存在しない方が良く、死後は無になったほうが良いと考えている。

そのように考えている理由を書くと、また長くなるので、何年か前に書いたの記事を読んで欲しいと思います。


あの世なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと考えるようになった理由


いずれにしても魂などというものも、死後の世界というようなものも

そんなことを信じている人には悪いけど、一切存在しないはずなのだ。

そしてあれほど科学が発達しているアメリカという国の大統領が

キリスト教などというものの聖書に手を置いて、誓いの言葉を述べることが滑稽でならない。。

そして、さらにイスラム教徒のISの連中たちが、「神のご加護ある」などと言って、自らを正当化し

テロを起こしていることに対しても、これも滑稽であるというよりも、

本当にアホではないかと思うのだ・・

残念ながらすべては人間が自ら判断して決め、

行動しているいることばかりなのに・・・・

神様などどこにも存在はしない・・・

そして死後の世界も魂も・・・

残念ながら人間は死んでも誰も神様から加護などというものを

受ける事はありえず2、人間は死んだら心を無になり、身体は土に還るだけなのだ。7

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2016-11-18 19:27:20

人の業(ごう)

テーマ:人間について

僕も含めて、生きているということ自体
誰かに、或いは、何かの生き物の犠牲の上に生きている

例えば、あるビジネスで成功して、

 

たくさん稼ぐことができたのなら

 

その影にはかならず負け組がいる


そうした負け組の上に

 

成功者は生きているに過ぎない。

僕がこんな半身不随という障害者でも


ある程度、生きていられるのは


この日本という国が先進国であり、


その事による様々な最先端の医療技術力や


先進国としての福祉政策の恩恵に


あやかることができているからだと思っている


でも、その影には未だにインフラも1


まともに整っていない日本などの先進国に

(様々な意味で搾取されている)発展途上国の犠牲の上に成り立っている


日本に偶然にも生まれた事でこんな障害者でも生きていられるのではないのか。

 

このようなことは僕のような障害者だけではなく

 

普通に生きている。健常者でも同じことだ。

 

この平和ボケするような日本の中で、

 

毎日くだらないバラエティー番組を見ていられるのも

 

前述のような発展途上国の犠牲の上にあぐらをかいているに過ぎない

 

ということを重く感じなければいけないのではないだろうか

すべての人間はそのような誰か、

 

あるいは何かの生命の犠牲の上にしか


生きることができないのではないか

これを仏教では、業(ごう)というらしい

 


人間はどんなに素晴らしいと言われる人であっても、

 

何らかの業(ごう)を背負っているのではないか

だとしたら、自分がどんなに成功したとしても、

 

このような業(ごう)を背負っていることを

 

人間は生きている限り、絶対に忘れてはいけないのではないだろうか

ただ、生きているだけでも、

 

何かの生命を食らって生きてしか生きていけないのが

 

悲しいかな、人間だ。

 

障害者という、いわゆるマイノリティーな立場に

 

いつの間にか、ある日突然なってしまった僕はそんなことを思うのだ。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2016-11-16 08:03:12

本当の友(パートナー)とは

テーマ:人間について

困難な状況になって、初めて誰が敵だったのか、誰が味方の顔をしていたのか

そして、誰が本当の味方だったのかわかるものである

この言葉にが、誰の言葉だったのか知らないけれど、

この年になって痛感する言葉である。

実際のところ、本当の苦境になったとき、八方塞がりになり、絶体絶命という状況になったとき、ほとんどの、いや99%の人は保身に走るものだ。それは真実だと思う。

人間誰しも自分のみがいちばん大切、それは本能だから仕方がないと思う。
しかし、僕が問題だと思うのは、そんなとき一言で良いから

申し訳ない、君にはついていけない、ごめんなさいといったような

一言が欲しいものだ。

しかし残念ながら、順調な時にいわゆるきれいごとを言っているような人に限って

そのような苦境に立ったとき、なんにも言わず、それどころかこちらを罵倒して

この苦境はあなたのせいだと言わんばかりに、自分の責任は全くないと言って言い逃れをするように逃げるように、足で砂をかけるように踏みつけるようにして逃げていくような奴がいる。これは現実だと思う。

そしてこれはビジネスパートナーだけではなく、いわゆる人生のパートナーにおいても

同じことだと思う。

僕自身はその人がどんな人かを判断する1つの基準として

自分が間違ったときに、素直に、ごめんなさいと言える人かどうか

そして自分は不始末をして世話になったとき、素直にありがとうと言える人かどうか

といった所を見るようにしている。
いざというときに、逃げてしまい、裏切る人に限って、ごめんなさいとありがとうという言葉を本当に言わなければならない時に言うことができないものだと

ぼくは思っている。

このような言葉あくまでも僕の経験上からだけど、

少なくとも、僕にとっては絶対の真実なのだ。

(人生のパートナーとしても、ビジネスパートナーとしても)

本当の友と言える人とは素直にごめんなさいとありがとうを

言える人だと思っている。

 

振り返って、今回のアメリカの大統領選挙を見たとき

あのトランプは確かに暴言を吐いているけど、ビジネスでは成功している。
ビジネスで成功している限りは周りから信頼されているからこそ

成功できているのではないだろうか。

そういう意味ではパートナーとして一緒にやっていける人物ではないかと思っている

あの暴言も本音を言っているが、後から間違っていたとわかれば

彼は素直に間違っていたと言える人間ではないだろうかと感じるのだ。

あくまでもこれは僕の主観での判断だけれど、

これからどのような政策ができるのか見ていたいと思う。

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。