このブログは半身不随というの出血の後遺症の障害を現実として正面から受け止め(受け入れるのではない)乗り越え、生き抜くために、日々自分自身に言い聞かせ、高い心のテンションを維持するために書いている自分自身のためのブログです。特に以下は僕自身への叱咤激励であり、自分自身を戒めるため、そして障害を持って生きるという苦しみから逃れ、心の安寧を得るためにいつも心の中で唱えているようにしている言葉です。

-----------------------------------僕自身の心を強く持つために-------------------------------


希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲など
とはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。

希望とは体の状態でもない。どんなに苦しい状況であろうと心が破壊されない限り希望は持つことができる。希望を持つことにより人間は「意欲」が湧く。「意欲」は知恵の源泉だ!生きていくための知恵の源泉だから、この知恵の源泉である希望を心から捨てるわけにはいかない。
全人類も希望を持つことにより苦境を脱する英知が発揮できるのだ。

人類が心の中の希望を捨てるということは人類を破滅に向かわせるに等しい。


苦しくても希望をもつための私が唱えなければならない言葉

無私は敵を作らず
無欲は憎しみを作らず
無欲は甘えを知らず
無私は悲しみを作らず
無私無欲は身体的苦痛をも癒す
無私無欲こそ最大の心の平安の根源なり
無私無欲に勝るものなし
しかし無私無欲は無気力にあらず
されど無私無欲は容易ならず。
自ら選んで自ら歩んだわが人生、無念なれど一切悔いなし。



この地上に棲むあらゆる生き物のうちで
人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる
人間のみが、自分の運命を築くことができる

行動はいつも幸せをもたらすものではないが
行動なくしては幸せはない

弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ(M.G)

無暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、
暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである(M.G)

束縛があるからこそ 私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ 私は走れるのだ
涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ(M.G)


人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。

障害者になったからといって、他人の力を借りるしかない生き方だけはしたくない

そんな惨めな生き方だけはしたくない。


たとえ障害者であっても何でもよいから少しでも人の役に立つ人間でありたい


----------------------------------------------------------------------------------------

生死の境をさまよい、ある日突然障害者として生きていかなければならなくなって
、多くのもの(会社だけではなく健常者であれば当たり前にできることや生きる楽しみなど)
を失った絶望感の中で、人間とはな何か、なぜ生きるのか
人類とは何かなどを考えさせられ、人生観が大きく変わりました。


このブログは障害者として生きなければならなくなった自分、そしていつ再出血で死ぬかも
知れないという状況の下で、自分自身がどうやって生きたのかという記録を残しておきたいと
いう気持ちと共に、自分自身への叱咤激励のために書きはじめました。


そして不自由な身体に苦しみ、いつも痛みや痺れに苦しむ事によって
人間が生きる意味について深く考えるようになりました。

そして僕なりに人が生きる意味は、

生きている間にできるだけ多くの人とつながりを持つことだと思うようになりました。

いつかは失うものや老いたときに失うもの(財や命)に生きる意味を求めてはいけない。

人はいつか多くのものを失うのだから、、そしていつか死ぬのだから、、


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Shunsuke Okashita






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2017-05-07 06:34:26

もう疲れたな

テーマ:人間について

脳出血起こしてから、もう8年間
何をするにも不自由
もう充分かなぁって思う

 

僕ももう54歳

出血性のもやもや病で再出血を起こして
死ぬ確率が最も高い年齢は統計的には45歳から55歳


脳出血を発症したのが45歳だったから
僕は55歳まで生きていられるかどうか分からないと思っていた
もしあと10年生きることができるなら
精一杯生きてみようと思っていた。


そしてもう9年生きている

10年生きていられるかどうか分からない中で

9年生きられれば充分だよな。
この9年、自分なりに精一杯生きてきたつもり
でもこんな身体、もう疲れたな


もうそろそろ無になっても良いのかなって思う今日この頃・・


いつも書いている通り
人間死ねばに仏になったり永遠の魂なんて残ると思っちゃいない


無になるだけ・・

生まれる前のように何も思わないし、何も感じない状態になるだけ

この世の中には存在さえわからない。
つまり、この世の中はは消えてなくなると同じことだと思っている
 

もうそんな状態に戻っても良い事じゃないのかな
なんて思っている
生きることが辛いことだ。
一切皆苦、、、確かに苦をの連続であるとは思う。


もうそろそろ無になっても良いのかな

 

もやもや病も進行していることだし、

脳血管はどんどん細くなりつつある

おそらくまもなくまた脳の再出血か

脳梗塞で無になるのだろうな。

できれば楽な方が良いな

若い頃、ダイビングの練習中に

起こしたブラックアウトのように

脳出血か脳梗塞で脳の酸欠で

一瞬にして意識がなくなれば良いな

 

 

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2017-05-04 16:51:24

人類も人間も必ず滅び死んでしまうだな・・

テーマ:人間について

最近の世界情勢を見ても、自分自身のことを考えても
人類も人間もいずれ必ず滅んでしまい、また、人間は必ず死んでしまう
と感じている。
人間は、いずれ死んでしまうのは当たり前のことだけれども。
実際のところほとんどが生きている人は、自分が必ず死ぬということを
頭では理解していても、


感覚的には
誰しも現在の「健康で健やかなな状態」が
いつまでも続くと感じているのではないだろうか。
僕自身も脳出血で倒れる前の健常なときには
その状態が(頭ではいつか死ぬと分かっていても)
感覚的にはいつまでも続くような感じを受けていたような気がする。

しかし残念ながら僕は8年前に脳出血に見舞われ、
ある日突然障害者になってしまい、全くと言って良いほど
考えてもいなかった。人生に変わってしまった。
それからというもの、ぼくは必ずもう一度脳血管障害(脳出血か脳梗塞)
死んでしまうと確信している。なぜなら僕の脳出血の基礎疾患である
もやもや病は進行性の病気だからだ。
つまり、今現在も、脳の血管は細くなり続けているという事だ。
ということが、年をとるにつれて血管ももろくなり、さらに細くなるということが
脳の中で続いているということになる。
そんなことになっていれば、いずれ血流が止まってしまうが、再び血管が破れて
脳出血になるだろうことが容易に推察ができる。
そんなことを考えているとまさしく諸行無常を感じている。

そして人類も同じようなものではないかと思う
現在の世界情勢に関しても歴史を振り返れば、同じようなことを繰り返している
ような気がしてならない

今の北朝鮮だってかつての日本やドイツにとても似ているように思うし、
現在のヨーロッパの国々もかつてのドイツのような
排他的で内向き志向になっているような気がしてならない。

アメリカを筆頭にして・・・世界中の国々が、そんな風潮になったとしたら

たぶん人類はそう遠くない未来に滅んでしまうような気がする。

みんなが平和を望むと言いながら
いつまでも平和は続くものではない事は
諸行無常という自然の摂理から考えれば
当たり前のことのあるかもしれない。

どんなに永遠の平和を望んでも永遠なるものはどこにも存在しないし
作ることもできないというのは残念ながらこの世中ではないだろうか。

健常者だったとしたら、このゴールデンウィークなどには
沖縄もしくは海外の南の海にスキューバダイビングなどに行っていたことだろうと
想像しているけれど、残念ながら僕は一人部屋で映画を見ている。

そんなことをしている自分があの頃(ダイビングをしていた頃)の自分が
永遠2続くものではなかったのだなあと実感をしながら、
そんなことを考えているこの長い休みが少し辛い。

どうせ消滅してしまう自分という人間やこの人類に
こだわる必要もないのだろう。

ちょっとネガティブになっているかな・・・

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2017-04-29 12:17:30

使命だけで生きる

テーマ:人間について

8年前に脳出血起こしてから、

半身不随というひどく不自由な障害者になりながらも
そして様々な工夫をしてなんとか仕事をしながら、
少ないながらも収入を得ながら
僕は今現在も生きている。

ときどき僕は思う、

僕は何のために生きているのだろうか、と。

半身不随という

障害者になることによってわかったことは

それまで健常者だった頃に「夢」とか「楽しみ」などを目的に
一生懸命働きながら生きていたけれども
このような障害者になるということは
その生きる目的としていた「夢」とか「楽しみ」などが
 

ほぼ全て奪い取られてしまうという事である。
 

例えば、僕の場合、スキューバダイビングが好きで水が得意な人間だったためか
楽しみとしては南の島の人ってその海で泳いだりダイビングしたりして
いわゆるリゾートを満喫する、といったようなことが一つの楽しみとして
あるいは目標として毎日頑張って働いていたような気がする。

でも、そのようなものが、今は全くないのだ。
じゃあなぜ僕は生きているんだろう。時々不思議に思う。
たぶんこうなのだろう

生きなければならないから生きている

ということなのだろう
つまり、息子や妻を食わせて、生きて行かせるためだけに
生きているだけのような気がする。

カッコ良い言い方をすれば、
「使命」のためだけに生きているとも言えるのだろう
僕はやはり生きている限り、こんな身体でも、
せっかくできた家族を養うことが僕の使命であり
与えられた最大の役割であると思っている
そしてその役割を果たすために僕は生きていると思う
健常者の時とはまるで真逆の生き方をしているみたいだけれど
それでも僕は今仕事をしているときだけは心が充実しており
満足しているような気がする
 

今、生きていることに、自分さえ満足できていれば
それでもいいのだろう。

それにしても、変わったな

僕の生き方・・・

そんな感じの生き方にもかかわらず
こんな体で再度事業を立ち上げようとしている僕は
生きていて一体なぜ、何が楽しいと感じているのだろうか

時々自分のことながら不思議に思うのだ。

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2017-04-25 06:53:58

自国第一主義になり、ディスクローズできないのは弱さの証

テーマ:人間について

近年になって、アメリカでもヨーロッパでも「自国第一主義」という耳障りの良い言い方で内向きになり

あらゆることのディスクローズを拒否し、内向きになろうとする傾向が強くなっている気がする。

そしてそれは自分の国を弱くて自信がなくなっている証でもある、と僕は思うのだ。

これは一人の人間でも同じことが言えると思う。日本には「弱犬の遠吠え」と言う諺があるけれど

この遠吠えは、決して相手を攻撃するための威嚇ではなく、自らを防御するために自分より強い相手を

自分に近づけないようにするための行為だと思う。

つまり、 「自己防衛」のために、いわゆる「内向き指向」になってしまっているのだろう。

人間の性格でも同じだと思っている。
人間は正確にはさまざまな性格があるけれど、その「性格」というものは、そのほとんどが

自らを守るためのいわゆる「自己防衛」見にできあがってきたものが、

その性格ではないだろうかと僕は思っている。

 

例えば、常に下を向いて相手に目を合わさないような人というのは目を合わさないことによって

相手から何か自分が答えることができないような質問「攻撃」を受けることがないようにするために

目を合わさないようにするような癖「性格」になってしまったのではないだろうかと僕は思っている。

また、その他にも、いわゆる「つっけんどんでツンとした態度」といったような態度をする性格も

決して攻撃的になっているのではなく、それはあくまでもそのような態度をすることによって、

相手から自分が答えることができないような質問や会話(これはその人にとって攻撃と映る)

などを拒否するために長年培った性格であり態度であると僕は思っている。
こんな風に、人間の性格というものはほぼ全てがいわゆる「自己防衛」から

出来上がっているのではないかと僕は思う。

 

本当に精神的に強い人間であれば「自己防衛」などする必要はないから

その性格はオープンで、どんな人でも接しやすい性格になるのではないだろうかと思う。

 

これは、国レベルで言えば、ディスクローズできるかどうか

ということではないだろうか?

つまり移民に対して不寛容になるということではないのか。
いつの歴史も白人は人種に対して

寛容にきだとなるべきだと「きれい事」を言いながら

自分たちが苦しくなるとは突然不寛容になり、排他的になり、さらには自分たち以外の人種に対して

攻撃的にまでなっているのが、本質ではないだろうか。

 

今、ヨーロッパの国々が内向きになり、他の民族(難民)の受け入れに対して

拒否的な姿勢になり、排他的になっているのは、自らが強いからではなく

自らの国が弱いという事を表わしているのではないか、と感じる。

 

極端な国ですが、北朝鮮などは自らが弱いと思っているからこそ

攻撃的な姿勢になり、さらに自国の様々なことをディスクローズすることを恐れているように思うのだ。

しかし、世界中の国々がこのように自らの弱さを自覚してしまい

内向きになってしまえばしまうほど、表面的には自国第一主義などと「攻撃的な姿勢」を表現するようになり
その事を相手国にとってみれば「脅威」に感じてしまい、双方に緊張が高まり

何かのきっかけでお互いに暴発してしまうのではないだろうか、といった

危惧を感じているのはを感じており、いつ北朝鮮がその精神的弱さのために

暴発してしまい、それをきっかけとして世界大戦にまで広がりやしないかというような

危機感を抱いているのは僕だけだろうか

 

とは言え、

この日本がヨーロッパ諸国のこのような現状を批判できる立場ではないが・・・

というのも、今、ぼくは外国人労働者の受け入れと発見のビジネスをやろうとしている。
そのような中で聞いた日本の外国人受け入れの現状を聞いたところを

日本における入国管理局の日本に就労を求めて来日する外国人に対する

対応のひどさの現状を知って驚愕しているからだ。

それこそ人権侵害ではないかと思うほどの酷い仕打ちを行い、さらには

罵倒されまくるというのだ。人間扱いしていないような対応だという。

 (特に東南アジアの人々に対しては酷い対応だと聞く)

これはまさに日本国自体が他の受け入れに対して恐怖感を持っている証拠ではないだろうか

これから、少子高齢化が世界に類を見ないほど急激に進む日本にとって

このようなことで本当に大丈夫なのだろうか?

この日本こそ、自らの国の弱さをそのような形で表しているのではないかと思うと

悲しくなるのだ。

 

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2017-04-23 07:10:37

人生は苦しみや悲しみに満ちている

テーマ:人間について

人の人生とは確かに夢や希望は大切だけれども
ただ残念ながら本来の姿は、
そんな夢と希望だけでは支え切れないほどの
多くの苦しみや悲しみに満ちているというのが現実だと思う。
自分の夢が叶い、
今どんなに幸せで何も文句は付けないほどの状況であろうとも
それが、いつまでも続くと思ってはいけない。
人はいつか病に伏し、苦しみ、もがき、
のたうちまわるほど悲しみにうちひしがれ
死にゆくものなのだ。
永遠に続く幸福など存在しない。
永遠の命も存在しないし、永遠の魂なども存在しない。
仏教じゃないけれど、この世は諸行無常
何一つ永遠のあるものは存在しない。

 

若い人はそんな悲観的な思いになる必要もないだろうとは思う
しかしながら、年齢を重ねていくことによって
いつも明るい未来に向けて進んでいけない事に気づいてしまい
悟ってしまうのが人間では無いだろうか


この世界を見てもいつもどこかに
苦しみや悲しみでいっぱいになっているではないか。
今問題になっているシリアだって苦しみや悲しみに満ち溢れている。
ほとんどの日本人は他人事のようだけれど、
あの北朝鮮だっていつ日本を攻撃してくるかわからない。
もし、化学兵器などをミサイルで打ち込んだりしてきたら
この日本も苦しみや悲しみに満ち溢れるだろう。

とても危険だと思う。
アメリカや中国などは北朝鮮に対して
経済制裁をすると言っているけれども
そのような制裁で苦しくなったとしても
人間というものは「参った」と降参するようなものではないからだ。
僕だって、こんな障害者だけれども。
もし、周りが徹底的に僕を打ちのめそうとしてきたら
僕は必ず相手の弱点を必死で探し当てて、不意をついて
その相手を必ずぶちのめしてやろうと思うだろう。
それが人間だと思う。

それは、かつて日本がABCD包囲網という形で石油の禁輸によって
苦しい状況に追い込まれてどうしたか?
降参するような事はなかった。


では何をしたか
 

なんと真珠湾を奇襲したのである

 

北朝鮮も

それと同じようなことをする可能性が高いと僕は思っている


残念ながらそれが人間であり
それによってこの世の中はいつの時代も、

苦しみや悲しみに満ちてしまうんだと思う
人間1人の人生でさえも一生平安と言う事はありえない。
僕だってそうだ。
たった45歳でまさか脳卒中になり、障害者になるなどとは
考えてもいなかった。
人一倍体力にも地震があり、20歳代には自分で言うのもなんだけど
フィンスイミングではぶっちぎりで日本でNO2のスピードだった僕である
そんな僕が、よもや脳卒中などになって障害者となってしまい、
歩くことさえままならないような状況になるとは想像もしていなかった。
起こりえないと思っていることが起こってしまうことがこの世の中であると思う。


今の日本で、北朝鮮が本気で攻めてくると思っている人は
ほとんどいないのではないだろうか。
まさか自分が・・・と思っている人はほとんどであろう
アメリカが、あるいは国際社会は何とかしてくれるのであろうと
考えている人たちがほとんどではないだろうか。
まさか自分が現在のシリアのような状況に置かれると考えている人は
ほとんどいないのではないだろうか

そのほとんど考えられもしないことが起こってしまい
ある日突然、苦しみや悲しみに満ち溢れた日々を過ごす羽目になってしまうのが
人の人生だとは思う。

 

そして今、 一人の人間ではなく、
日本という一つの国家が戦後70年間平和であったことが
いずれ、まもなく崩れさるだろうと言うことを感じているのは
僕だけだろうか

 

そして僕はその時どうするだろうか
僕に対して傷つけてやろうと向かってくる奴に対して
こんな身体でも頭を使い、八つ裂きにすることを考えている

人間なんて所詮死んでしまえば無になってしまうだけだ
僕は少なくとも持っている
神も魂も霊魂などもどこにも存在はしない。
その事は証明ができないことだから
僕はそう信じているだけのことだからどうでも良いのだけれども
人が死んだところで大した事は無い
単に無になるだけだから
無になってしまえば、人間であったときの
苦しみや悲しみからも解き放たれるのだから、
それで何の問題があるのだろうか。
と僕は思っている


人間は来ている限り、常に苦しみや悲しみにつきまとわれ

いずれその苦しみや悲しみに覆い尽くされて死に行くのだと思う

そして、死んでしまえば、無となり、

そんな悲しみや苦しみも同時に消え去ってしまうのだろう。

そして自分が生まれる前の旦那の存在しない状態に戻るだけなのだろう

これは最近僕が考えている

人間観であり国家観でもあり

世界観でもある

そこには善も悪もない

ただそんな現実だけが横たわっているだけ・・・

 

 


 

2017-04-12 23:54:40

呑気な日本のメディア

テーマ:人間について

日本のメディアは呑気な気がする。
北朝鮮の金正恩そろそろ本気で日本(特に東京/大阪)に向けて
ミサイル撃ってきそうな気配がする。


アメリカの空母カールビンソンも空母ロナルドレーガンも北朝鮮に向かわせている
アメリカも本気モードかも
アメリカが先制攻撃するなら、金正恩は真っ先に日本(特に東京/大阪)に向けて
ミサイルを撃つだろう。

 

僕がもし金正恩の立場だったら絶対そうする
なぜなら、アメリカとタ対マンで「ケンカ」しても
勝てる訳がないと本当は理解しているから・・

 

だとしたら、何をしてても(先制攻撃)何も反撃できない
(防衛訓練はしても攻撃訓練は一切していない自衛隊という
「軍隊もどき」しかいない日本を攻撃するだろう。


その方が世界(特に世界経済)へのインパクトが強く、

力を誇示することができるから・・

 

そんな危機的状況なのに日本のメディアは一日中浅田真央の引退報道ばかり・・
平和ボケで見て見ぬふりをしているフリをしているとしか思えない。

僕は少なくとも(核ミサイルか化学兵器ミサイルか分からんが)
明日にでも東京か大阪にミサイルが飛んできてもおかしくはないと思っている

 

だってアメリカがシリアにミサイル攻撃したときのように「事前通告」するとは思えない
僕なら何の兆候も見せず(人工衛星にも察知されないように)に
いきなりミサイル攻撃すると思うから・・

 

だって少しでも兆候を見せたら、の空母カールビンソンも空母ロナルドレーガンに攻撃され
自分は斬首されるかもしれないから・・

絶対に気配を見せずに日本をミサイル攻撃する。
皆、そんな危機感ないのかなぁ・・


僕はもうこの半身不随の身体では、それほど生きたくないと思っているから
それで死んでも本望かもしれない。


でも化学兵器で苦しんで死ぬんはやっぱり嫌だな・・

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2017-03-29 21:22:19

”2013年80冊目に読んだ本「気骨 経営者 土光敏夫の闘い」”

テーマ:人間について
2017-03-21 16:13:20

やっぱり月間100時間程度の残業でうつ病や過労死はありえないと思う

テーマ:人間について

前回の記事で長時間労働を過労死の原因ではないと言う記事を書いたけれど

そのコメントに1ヶ月に100時間以上の残業をしたことによって

鬱病になってしまった人がいるというコメントがあったけれど。
それは長時間残業(たったの100時間の残業で長時間残業とは言えないと思うが)

自体が原因ではないかと思う。

納期に追われていたということなので

納期遅れなどが原因で誰か(上司もしくはクライアント)から

責められていたとかいうことが原因なのではないかと思う。

 

なぜそんな風に考える方と、僕自身

自分の会社を立ち上げる前のIT系の会社では朝9時から夜は23時頃まで

働いていたけれど(ときにはそのまま徹夜をするようなこともあったけど)

年俸制だったので、一切残業はつかなかった。

つまり、一日当たり約5時間が6時間の残業

(月間にすると150時間から180時間以上)だったけれど
うつ病になるようなこともなかったし、

その残業時間だけでにの体は疲れたけれども、

精神までおかしくなるようなことはなかった。(聞き手は

 

僕は人間観として

 

人間というものは

身体を傷つけられたときには生きようとするけれど、
精神を傷つけられたときには死のうとする

 

というのが人間だと思うからだ。

 

その典型的なものがいわゆる最近問題になっている。
学校や会社における「いじめ」だと思うのだ

この「いじめ」ほとんどの場合「無視をする」とか「陰口を叩く」 。
といったような対象者の身体に対して何も傷つけるようなことはない

行動であるからだ。

 

逆に殴ったり蹴ったりなど身体的に傷つけられた場合には

その人間は必死に生きようとするはずだと思う。
もしくは、より強くなって仕返しをしてやろうと思うのではないだろうか。
 

つまり、 「精神的な暴力」もしくは「精神的な自信喪失など」がない限り

人間なんて、そう簡単にうつ病なんかにはならないのだろうし、

ましてや死のうなんて思わないのではないだろうか

 

そんな意味で長時間の残業の原因は、何らかの失敗を納期遅れを

しまくったことによって、取引業者もしくは上司なのに

その失敗や納期遅れに対して責められ続けたと言うようなことが

本当の原因ではないかと少なくとも僕は思うわけなのです。

 

確かに長時間労働は身体は疲れてしまうけれど。
身体が疲れてしまうことが、精神的な崩壊につながるとは

少なくとも僕には思えないからだ。

 

 

 

 

 

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2017-03-20 10:17:12

残業時間の問題では無いのではないか?

テーマ:人間について

D社において自殺者を出してしまったことによって

過剰な残業時間などがその原因として

問題視されるようになってしまってきていますが

本当に残業時間の多さが原因だったのだろうか? 。
そもそも労働時間は長いというだけで

うつ病などの精神病になったりして、

死まで選んだりするような事はありえるのだろうか。
僕は違う場合じゃないかと思う。
本質を外れた議論になってしまっているのではないか、

と感じている。

他にもハラスメントのような状況があったのではないか、

と感じている。

そのようなことを隠蔽するために労働時間や残業時間を

前面に出してきてるような気がするのだが・・

 

そのため、問題の本質とは外れた残業時間という的外れな

ことを問題視する議論になってしまってはいないだろうか、

と懸念している。

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2017-03-19 17:52:10

残業100時間未満という規制が日本をダメにするのではないか

テーマ:人間について

現在、世の中で、例の大手広告会社D社が自殺者を出したことによって
その原因は残業時間の多さによる過労死だという。


本当にそうなのだろうか?
 

そして今残業に対する規制の問題が話題になっている。
その理論で、 1ヶ月あたりの残業時間100時間が過労死ラインなどと
ささやかれているようだ。


たかが100時間?で過労死?
 

僕の父からよく聞かされていたことだけど


僕の父は中卒で、いわゆる丁稚奉公として
この大阪に出てきて働いたという。
当時の働く時間は朝6時から夜の12時までだったそうだ。

睡眠時間は6時間、
あとははぶっ通しで働いたそうだ。
つまり一日当たり、18時間働いていたことになる。


それが、当時の丁稚の働き方で当然のことだったそうだ。
世界でも奇跡的言われる戦後の日本の高度成長は
そのような戦後復興のために必死で働くいわゆる「企業戦士」たちによって
実現されたのではないかと思う。


それに引き換え、今議論されているような1ヶ月あたりの残業時間が

100時間で過労死のラインというような「学者?たち」の議論は

どうにも納得できない
1ヶ月あたり100時間の残業を単純計算すると、

一日当たりたった3時間の残業ではないか
つまり、一日当たりの労働時間はその3時間をフルに残業したとしても、
労働基準法による上限の労働時間は8時間にプラスしても
たかが11時間ではないか。

僕の父が若い頃の労働時間に比べても7時間も少ないではないか。

そんな労働時間レベルで人間は過労死なんかするものなんだろうか?

 

今の僕でさえも一日当たり14時間働いている。
僕は今、とある会社の契約社員として在宅で物書きの仕事をしながら
個人事業主としても仕事をしている。
その契約社員として働いている会社の賃金は
物書きの仕事の内容は良し悪しは関係なく
また仕事のノルマもなく、単なる時給制のアルバイトのようなものだ。

その時給も現在の大阪府における最低賃金である。


そして、労働時間は報告制である。
そしてさらに労働基準法の関係かもしれないが
一日当たり8時間以上の報告はしてはいけない(つまり8時間以上働くな)
というような条件である。

 

それでも同じような在宅で仕事をしている人たちは、仕事量が
Web上で公開され比較されるため
根底には負けず嫌いなぼくは1時間あたりで書くことができる文章量を
負けたくないがために、 1日14時間以上仕事して、
1時間当たりの文章量ではトップに立っている。


そしてその労働時間の報告は8時間を超えないように報告している。

それでもぼくは別に文句もない。
なぜなら、他の在宅労働者に負けていないからだ

 

負けたくない

 

この気持ちがあればの自宅は14時間程度の仕事をしても
僕にとっては何の苦でもない。

 

そんなことから僕は思うんだけど、 
1ヶ月の残業時間がたかだた100時間で
過労死なんですわけがないと思っている

 

前述のように、日本の高度成長は僕の父のような
がむしゃらに寝る間も惜しむことなく働いてきた
戦後のいわゆる「企業戦士」たちによって
成し遂げられ、その結果
現在の世界でもトップクラスの経済大国の日本に
成田のではないかと思う。

 

それが今、


たかだか1ヶ月の100時間の残業で規制しようとしている

そんなことではあっという間に他の国に
追い抜かれてしまうのではないかと僕は懸念している

 

僕も脳出血で倒れる前は零細企業の一社長業をしていたけれど

それこそ僕の父のように一日当たり18時間程度は働いていたのではないだろうか


零細企業の社長なんてそんなふうに、それこそ、寝る暇もないほど、
必死に働いているのが普通だろう。
それでも競合他社になかなか勝つことはできない。
徹夜の仕事も何回もしたように思う。

世の中は競争である。


所詮は弱肉強食の世界だと僕は思っている

 

僕のようにたとえ障害者になったとしても
負けてしまったら終わりだ。

 

それこそ
人が生きるという事は勝つか負けるかの勝負である


極端だけれども、
負ける事は死を意味するといっても過言ではないと思う。

 

そんな生死をかけるべき仕事(僕は少なくとも仕事の事はそう思っている)
たかが1日3時間のの残業で規制されたら
たまったもんじゃない。

 

もしそんなことが法律で規制されてしまったら
それこそ日本は衰退の一途をたどるのではないだろうかと
懸念している。

 

ぼくは思う

 

労働基準法などで決められている一日8時間のを労働時間の上限なんて、

所詮はアメリカなどの西欧諸国に

(押し付けられた)規制ではないのだろうかと・・・


本来の日本人はもっと勤勉であり、たかだか一日当たり8時間程度の
労働時間でへばってしまうような人間ではないと思っている。

(本来の)日本人はもっと強靭ではないかと思うのだ。


一日当たり8時間という労働時間時間の基準などは

僕から言わせれば(怠慢な)西洋人たちの基準に過ぎない
のではないかと思っている。

 

そんな基準をクソ真面目に守ったり
今回のような残業時間の規制をしたりしたりしていると
それこそ、日本は衰退の一途をたどっていくのではないかと感じているが
他の人はどう考えているのだろう
 

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