2008-11-01 05:50:52
echigoya-smwriterの投稿
【コラム】 ダメンズ・ウォーカー②
テーマ:女性の研究
倉田真由美の『だめんずうぉ~か~』の単行本版には、毎号有名人との対談が載っています。その8巻目で、齋藤孝と対談していました。
私の印象では、齋藤孝、自分がダメンズだという自覚がそうとうはっきりありますね。それで、一生懸命にダメンズを養護する論理を組み立てようとする。まあ、はっきり言って詭弁だらけなんですが。
その中でも、特に印象に残ったのが、以下の部分です。
『齋藤 大体、世の中の人ってのは、本質錯誤に陥っているんですよ。「本質というのは、表層に現れない」という思い込みがあるんです。ですから、普段のその人というのは本質的じゃないと思いこんでいるわけね。だから、普段俺様をやっていて、一瞬だけ優しくなる男の”瞬間の優しさ”を本質だと思ってしまう。
倉田 まさに、それだね。
齋藤 反対に、普段はすごい優しいんだけど、たまにキレたりすると、「やっぱりこいつキレるヤツなんだ」と。たまに垣間見せるほうを本質だと思っちゃうわけです。本質錯誤癖というのは世の中に蔓延している認識の病なんだよ。どう考えたって、99%優しい男のほうが優しいに決まってる。なのに、ギリシャ哲学以来、「本質というのは隠されている」という信仰があって、本質を見ようというときに、表層じゃなくて、めくってみようと思うんだよ。
(中略)
齋藤 だから、だめんずになる資格がある男というのは、女が持っている普遍的な本質錯誤癖というのをうまくつかんでいるヤツだね。』(『だめんずうぉ~か~』8巻 153p~154p)
かなり笑えます。ギリシャ哲学をかじったことのある人なら、特に。古代ギリシャ人がものの本質を探ったのは見えざる神の意志を知りたいと望んだからで、表層と本質が必ず食い違うなどとは一言も言っていません。表層も正しいのです。だから、現象学なんて学問ができた。そもそも、表層が間違っていたとすれば、あらゆる哲学はその手がかりを失います。
まあ、哲学の話はここでの問題ではないので、男女の心理についての部分について見ていきます。
先ず、「女が持っている普遍的な本質錯誤癖」という言い方。ここで書いているような心の動きは実際にあると思いますが、すべての女性の心理ではありません。もしそうだとすると、全ての「良い人」は彼女もできずに悶々と暮らしていなければなりません。
現実の「良い人」は、けっこうチャーミングな女の子を彼女にしていたり、ちゃんと結婚して幸せな家庭を築いている人がほとんどです。危険な男・駄目な男に惹かれるダメンズウオーカーもたくさん居るのでしょうが、そうでない女性もまた、たくさん居るということです。
そもそも、「本質錯誤癖」というのも随分いかがわしい説明です。ダメンズに惹かれるのは女の本質なんだと強弁したいのでしょうが、理屈になっていません。
もし同じ心の動きを私が理解しようとするなら、心理学でいう「合理化」という概念で説明するでしょう。
共依存と呼んでもよい、ダメンズウオーカーと呼んでもよい。そういう癖のある女性がここに居ます。前回の話で紹介した、家庭内ストックホルム・シンドロームによって、そういう呪いをかけられてしまった女性です。
例えば、どうしても暴力的な男性に惹かれてしまう女性が居るとします。
こんな彼女でも、男性に暴力をふるわれることが好きな訳ではないのです。もう暴力的な男と付き合うのは懲り懲りだ。今度付き合うなら、絶対に暴力をふるわない優しい人を選ぶと、本気で考えています。
そんな彼女の前に、本当に優しい男が現れる。前の暴力男とは全然違う男です。常に彼女のことを尊重して、第一に考えてくれます。暴力はおろか、声を荒げて怒鳴りつけることさえしません。本当に、彼女が夢見ていた理想の男性です。
ところが、魅力を感じないのです。それは男性が、すごい美人だと思いながら、自分のストライク・ゾーンから外れたタイプだとアプローチできないのと同じです。
自分でも納得できません。本当に、絵に描いたような理想の男性です。彼と結ばれれば絶対に幸せになれるんです。でも、彼と二人の愛の生活というのが、どうしてもピンとこないのです。
そんな時、彼が珍しく乱暴な言葉で彼女を責めた。
彼女はほっとします。自分の中で納得のいかない不可解な心を、自分に納得させることができるからです。
ああ、この人は一見優しそうに見えるけれども、本当は違うんだ。私はもう少しで騙されるところだった。もう、こんな人に近付くのはやめておこう。
逆に、すごく暴力的な男が近付いてきたとします。これまでの経験から言って、この男と付き合い始めたら、間違いなく酷い目に遭います。もう、絶対に近付くのはやめようと心に決めた、典型的な暴力男です。
ところが、気になるのです。駄目だと頭では分かっていても、心が惹かれていくのです。その男が他の女とイチャイチャしていたりすると、嫉妬ではらわたが煮えくり返ります。
必死でその男に近付くまいとします。近付けば、結果がどうなるかは分かり切っていますから。それでも、どうしてもその男のことが気になって仕方が無いのです。
そんなとき、その男がふと優しいところを垣間見せます。
彼女はほっとします。自分の中で納得のいかない不可解な心を、自分に納得させることができるからです。
ああ、この人は一見乱暴そうに見えるけれども、本当は違うんだ。きっとこの人は今までの男とは違うんだ。だから、私がこの人と付き合っても、きっと前みたいなことにはならないに違い無い。
つまり、こういうことです。ダメンズウオーカーの女性は、優しい男の垣間見せる乱暴な一面を嫌っているのではありません。優しさそのものに馴染めないのです。乱暴さが許せないというのは、自分でも理解できない不条理な心の動きを合理化するための言い訳です。
逆もまた、然り。ダメンズウオーカーの女性は、暴力男の垣間見せる優しさに惹かれているのではありません。暴力的な面に、惹かれるのです。優しさを知って好きになったというのは、自分でも理解できない不条理な心の動きを合理化するための言い訳に過ぎません。
でも、全ての女性がダメンズウオーカーという訳ではありません。99%の優しさがあれば、1%の欠点を許せる女性も居ます。99%の暴力男が1%の優しさを見せても信用しないという女性も居る訳です。
ただ、ダメンズの周りにはダメンズウオーカーしか集まってこないので、全ての女性がダメンズウオーカーに見えてしまうだけなのです。
もしこれを読んでいる男性の方で自分には娘が居るという方は、ぜひ自分のお嬢さんを、優しさに惹かれる、暴力癖、虚言癖、浪費癖などを嫌う女性に育ててあげてください。
私の印象では、齋藤孝、自分がダメンズだという自覚がそうとうはっきりありますね。それで、一生懸命にダメンズを養護する論理を組み立てようとする。まあ、はっきり言って詭弁だらけなんですが。
その中でも、特に印象に残ったのが、以下の部分です。
『齋藤 大体、世の中の人ってのは、本質錯誤に陥っているんですよ。「本質というのは、表層に現れない」という思い込みがあるんです。ですから、普段のその人というのは本質的じゃないと思いこんでいるわけね。だから、普段俺様をやっていて、一瞬だけ優しくなる男の”瞬間の優しさ”を本質だと思ってしまう。
倉田 まさに、それだね。
齋藤 反対に、普段はすごい優しいんだけど、たまにキレたりすると、「やっぱりこいつキレるヤツなんだ」と。たまに垣間見せるほうを本質だと思っちゃうわけです。本質錯誤癖というのは世の中に蔓延している認識の病なんだよ。どう考えたって、99%優しい男のほうが優しいに決まってる。なのに、ギリシャ哲学以来、「本質というのは隠されている」という信仰があって、本質を見ようというときに、表層じゃなくて、めくってみようと思うんだよ。
(中略)
齋藤 だから、だめんずになる資格がある男というのは、女が持っている普遍的な本質錯誤癖というのをうまくつかんでいるヤツだね。』(『だめんずうぉ~か~』8巻 153p~154p)
かなり笑えます。ギリシャ哲学をかじったことのある人なら、特に。古代ギリシャ人がものの本質を探ったのは見えざる神の意志を知りたいと望んだからで、表層と本質が必ず食い違うなどとは一言も言っていません。表層も正しいのです。だから、現象学なんて学問ができた。そもそも、表層が間違っていたとすれば、あらゆる哲学はその手がかりを失います。
まあ、哲学の話はここでの問題ではないので、男女の心理についての部分について見ていきます。
先ず、「女が持っている普遍的な本質錯誤癖」という言い方。ここで書いているような心の動きは実際にあると思いますが、すべての女性の心理ではありません。もしそうだとすると、全ての「良い人」は彼女もできずに悶々と暮らしていなければなりません。
現実の「良い人」は、けっこうチャーミングな女の子を彼女にしていたり、ちゃんと結婚して幸せな家庭を築いている人がほとんどです。危険な男・駄目な男に惹かれるダメンズウオーカーもたくさん居るのでしょうが、そうでない女性もまた、たくさん居るということです。
そもそも、「本質錯誤癖」というのも随分いかがわしい説明です。ダメンズに惹かれるのは女の本質なんだと強弁したいのでしょうが、理屈になっていません。
もし同じ心の動きを私が理解しようとするなら、心理学でいう「合理化」という概念で説明するでしょう。
共依存と呼んでもよい、ダメンズウオーカーと呼んでもよい。そういう癖のある女性がここに居ます。前回の話で紹介した、家庭内ストックホルム・シンドロームによって、そういう呪いをかけられてしまった女性です。
例えば、どうしても暴力的な男性に惹かれてしまう女性が居るとします。
こんな彼女でも、男性に暴力をふるわれることが好きな訳ではないのです。もう暴力的な男と付き合うのは懲り懲りだ。今度付き合うなら、絶対に暴力をふるわない優しい人を選ぶと、本気で考えています。
そんな彼女の前に、本当に優しい男が現れる。前の暴力男とは全然違う男です。常に彼女のことを尊重して、第一に考えてくれます。暴力はおろか、声を荒げて怒鳴りつけることさえしません。本当に、彼女が夢見ていた理想の男性です。
ところが、魅力を感じないのです。それは男性が、すごい美人だと思いながら、自分のストライク・ゾーンから外れたタイプだとアプローチできないのと同じです。
自分でも納得できません。本当に、絵に描いたような理想の男性です。彼と結ばれれば絶対に幸せになれるんです。でも、彼と二人の愛の生活というのが、どうしてもピンとこないのです。
そんな時、彼が珍しく乱暴な言葉で彼女を責めた。
彼女はほっとします。自分の中で納得のいかない不可解な心を、自分に納得させることができるからです。
ああ、この人は一見優しそうに見えるけれども、本当は違うんだ。私はもう少しで騙されるところだった。もう、こんな人に近付くのはやめておこう。
逆に、すごく暴力的な男が近付いてきたとします。これまでの経験から言って、この男と付き合い始めたら、間違いなく酷い目に遭います。もう、絶対に近付くのはやめようと心に決めた、典型的な暴力男です。
ところが、気になるのです。駄目だと頭では分かっていても、心が惹かれていくのです。その男が他の女とイチャイチャしていたりすると、嫉妬ではらわたが煮えくり返ります。
必死でその男に近付くまいとします。近付けば、結果がどうなるかは分かり切っていますから。それでも、どうしてもその男のことが気になって仕方が無いのです。
そんなとき、その男がふと優しいところを垣間見せます。
彼女はほっとします。自分の中で納得のいかない不可解な心を、自分に納得させることができるからです。
ああ、この人は一見乱暴そうに見えるけれども、本当は違うんだ。きっとこの人は今までの男とは違うんだ。だから、私がこの人と付き合っても、きっと前みたいなことにはならないに違い無い。
つまり、こういうことです。ダメンズウオーカーの女性は、優しい男の垣間見せる乱暴な一面を嫌っているのではありません。優しさそのものに馴染めないのです。乱暴さが許せないというのは、自分でも理解できない不条理な心の動きを合理化するための言い訳です。
逆もまた、然り。ダメンズウオーカーの女性は、暴力男の垣間見せる優しさに惹かれているのではありません。暴力的な面に、惹かれるのです。優しさを知って好きになったというのは、自分でも理解できない不条理な心の動きを合理化するための言い訳に過ぎません。
でも、全ての女性がダメンズウオーカーという訳ではありません。99%の優しさがあれば、1%の欠点を許せる女性も居ます。99%の暴力男が1%の優しさを見せても信用しないという女性も居る訳です。
ただ、ダメンズの周りにはダメンズウオーカーしか集まってこないので、全ての女性がダメンズウオーカーに見えてしまうだけなのです。
もしこれを読んでいる男性の方で自分には娘が居るという方は、ぜひ自分のお嬢さんを、優しさに惹かれる、暴力癖、虚言癖、浪費癖などを嫌う女性に育ててあげてください。
コラムの目次
http://echigoya.h.fc2.com/kurumaya/kurumaya.html




