2008-10-19 02:26:22 echigoya-smwriterの投稿

【コラム】 サドとマゾサド

テーマ:SM談義

 サドとマゾサドの違いを論じる前に、私なりにサドとマゾの違いを定義しておきたいのですが。

 一言で言って、人がサディストになるか、マゾヒストになるかの分岐点は、興味の対象が自分であるか、他人であるかの違いだと思うのです。

 SM的快楽と言っても色々あります。拘束感、圧迫感、痛み、熱さ、息苦しさ、恥ずかしさ、惨めさ、きっと他にも色々あります。

 これらは全部、マゾヒストがどういう感覚でSM的快楽を感じるかによって規定されています。つまり、SMプレイの主役はマゾヒストなのです。

「Mは満足のM」という言葉は、きっとそういう意味です。SMプレイがSMプレイとして成り立つのは、マゾヒストがそこにSM的快楽を感じている場合だけです。もしそれが無ければ、そのプレイは単なる暴力、単なる虐待になってしまいます。

 一方、サディストというのは、SM的快楽を自分で体験してみたいのではなく、誰かに体験させてみたい人間です。SM的快楽に陶酔し、悶え狂いたいのではなく、誰かを自分の手で、SM的快楽に陶酔させ、悶え狂わせたいのです。

「SはサービスのS」という言葉は、そういう意味です。例えば鞭好きのサディストが居たとして、自分の嗜虐性を満足させようとして思い切りきつい鞭を入れたとして、打たれたマゾヒストが痛がるばかりで少しも悶えず、しまいに怒り出してサディストを置き去りにしてさっさと帰ってしまったとします。この時、サディストは自分のしたいことを存分にしている訳ですが、自分のSM的欲求は全然満たされていません。あくまでも、マゾヒストが満足を感じてそれを反応として返してくれて初めて、サディストの心は満たされるのです。だからサディストは、マゾヒストのSM的願望を満たすことにやっきになるのです。

 つまり、こういうことです。人がSM的変態性欲に目覚めた時、その感覚を自分で体験してみたいと思った人間がマゾヒストで、その感覚を人に体験させてみたいと思った人間がサディストなのです。

 この定義でいうと、マゾサドとは、変態性欲の快感を、自分で感じたいという欲望と、人に感じさせたいという欲望の両方を持っている人間のことです。

 ある人に言わせると、SMの変態というのは究極的にマゾヒストしか存在しないということです。サディストがマゾヒストを責める時、実は深層心理の奥で、責められている自分を想像して責めているのだと言うのです。そして、責められて興奮している自分を想像して、間接的にSM的満足を得るのだというのです。

 マゾサドにとってのSMとは、きっとこういうものなのだと思います。

 純サドの立場を私が代表していいのかどうか、分かりませんが、私が思うに、純サドの歓びは、科学者のそれに似ています。マゾヒストを観察し、洞察し、そしてその洞察が正しかったのかどうか、実際のプレイで検証します。そして自分の洞察が正しかったことが立証された時、サディストはSM的な歓びを感じることができるのです。

 マゾヒストに対する洞察が的中し、サディストが思っていた通りの反応をマゾヒストが示す時、あるいはサディストが思っていた以上の反応をマゾヒストが示す時、サディストは神の快楽を得ることができます。サディストにとってSMプレイというのは、きっと自分の所有するマゾヒストの神になることなのだろうと思うのです。

「マゾはエゴマゾ」という言葉があります。自分が気持ち良くなることに貪欲なマゾイストは、究極的なエゴイストでもあるという意味です。

 例えば、ご奉仕するとか、飼育されるとかいう言葉があります。ですがそれは、マゾヒストがご奉仕したい、飼育されたいと思うから成立するプレイです。マゾにその気が無いのにサディストが一方的に奉仕を強要したり、飼育しようとしたりしても、マゾは鼻先でフンと笑って去っていきます。

「マゾはエゴマゾ」とするならば、「マゾサドはエゴサド」です。相手がどんなプレイを望んでいるのか、どのレベルのプレイまで受けられるのかも考えず、自分のしたいプレイをしたいようにしてしまうのが、エゴサド、つまりマゾサドの特徴です。

 それでうまくいく場合もあります。マゾっけの強いマゾヒストの場合、相手の反応を見ながら徐々にプレイのレベルを上げていく純サドのプレイは物足りなく感じたりします。マゾサドは最初からエンジン全開で過激プレイを挑んでいったりしますから、マゾヒストも最初から満足できたりするのです。

 ですがその一方で、まだ経験の浅いマゾヒストとマゾサドがプレイした場合、最初からきつい責めをされることで恐怖心が生まれて、その後そのプレイを受け入れることができなくなったりすることがよくあります。

 相手に完成されたマゾヒズムを要求するのもマゾサドの特徴です。自分のしたいプレイ、したいレベルのプレイを受けられないと、例えば関西弁で「ヘタレM(根性無しのM)」と馬鹿にしたりします。

 純サドの場合、むしろ経験の浅いマゾヒストと巡り合うことを喜びます。マゾヒストが知らないSM的快感を教え込む調教は、経験の浅いマゾヒスト相手にこそ成り立つからです。

 経験豊かなマゾヒスト相手に調教を行うことも可能です。ただしその場合、プレイの内容をエスカレートしていく必要があります。そのマゾヒストがこれまで一度も受けたことの無い過激プレイを仕掛けていき、それを相手に受け入れさせることでそれは成り立ちます。

 ですが、プレイが過激になればなるほど、サディストの負担もマゾヒストの負担も大きくなっていき、またプレイの危険度も増していきます。反応の初々しさという面から言っても、やはり経験の浅いマゾヒストの調教の方が楽しいのではないかと、私は思います。

 プレイの間の自意識が強いのもマゾサドの特徴です。

 マゾヒストの神になるということは、マゾヒストに起こる全ての出来事についてサディストが責任を担うということでもあります。ですからサディストは、プレイが始まってから終わるまで、今マゾヒストの体になにが起こっているのか、マゾヒストは今何を考えているのか、全神経を集中させます。自分のことに気を回す余裕など、普通はありません。

 ところがマゾサドは、自分のことを頻りに気にします。責めている自分が格好良く思えたり、失敗した自分を格好悪く思ったり。時には自分を意識し過ぎてマゾヒストのことを忘れ、とんでもない失敗をやらかしたりします。

 思い付く限り、純サドとマゾサドの違いを列挙してみました。まだ他にもあるかもしれません。

 結論としては、経験豊かで過激なプレイを好むマゾヒストはマゾサドと、まだ経験の浅いマゾヒストは純サドとプレイを楽しむ方が良い、ということでしょうか。




コラムの目次

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