アイコの世直しブログ 

日本人による、日本人のための、日本改革ブログ!
日本人よ、民族の誇りを取り戻せ!!


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東北関東大地震の被害に遭われました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

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この度の地震は、私の人生で見たこともないような甚大な被害で本当に驚き、ショックで、これが現実のことなのか?と信じられないような状況です。

津波があれほど恐ろしく、あんなにもすごい力で、海沿いだけでなく、数キロ離れてる町までもを押し流すとは。


地震の揺れも今まで誰も経験したことがないような大きさだったようで、本当に被災地にいらっしゃる方の恐怖感を思うと胸が痛みます。

1.5万人以上の方が未だに安否が不明で、亡くなられた方が1800人以上。この数が今後増える可能性があると思うと、言葉もありません。

家族を亡くし、家をなくし、全てを失った方。
心よりお見舞い申し上げます。

今私は海外で以前と変わりなく平和に過ごしております。
そんな自分を本当に済まなく思う反面、こういった生活は奇跡なんだと思えました。
普段何気なく無駄遣いしていた水や、満腹まで食べていた食事が当たり前ではないんだと、大事にしないと今日本で我慢の生活をしているみんなに申し訳ないと身が引き締まります。
私の家族だって、また私自身だって災害に遭わない保障はどこにもないのです。それが身に染みました。

私も募金等の協力、物資等の寄付をしようと今最善の方法を探しています。

東北はまだまだ寒い時期で、雪の予報を見ると、苛酷な状況に涙が出ます。
私の遠縁の親戚も宮城・岩手におります。
まだ安否の確認はとれていません。

少しでも多くの方が救出されますよう心より祈るばかりです。

ロサンゼルスに住む私の友人に聞いたところ、今回の地震が発生する数日前、ロサンゼルスの海岸で、異常な数のいわしが打ち上げられ死んでいたそうです。
海岸が真っ黒いもの、夥しい数のいわしで埋め尽くされていたそうです。
その日、LAは風が異常に強く、専門家は、その風のせいで流されたいわしが、一箇所に一気に集まり、その結果酸欠死したといっていたそうですが、実は、その数日後に起きた今回の東北関東大地震のせいだったのですね。そりゃそうです、風で魚が影響を受けることはないでしょう・・・。

色んな影響が起こるんだなと思いました。

TVにかじりつき情報を見ていますが、被害のひどさに愕然とします。

しかし、そんな苛酷な状況でも誰も文句を言わず、人に迷惑をかけぬよう、みんなで耐えている様子を見ると本当に日本人は素晴しいと思います。

食料を奪い合ったりしないし、避難所に届く物資が人数よりも少ない場合は、自ら配給を遠慮する方もいらっしゃるでしょう。
そんなことができるのは、世界でも日本ぐらいだと思います。
本当です!!!

被災者の方が、自分も津波から逃げ助けを求めているにも関わらず、赤ちゃんを連れているお母さんを先に!とか、お年寄りを先に!とか叫んでいる声を聞くと、日本民族に誇りを感じます。

『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』今こそ、この言葉を合言葉に、みなさん心を強く持って、1日でも早く復興されますことを心より願っております。

私ができること、できる限り協力していきたいと思います。

私が今こうして安全な場所にいられることに心から感謝していますが、同じ瞬間、仲間である、家族である、同じ日本人が苦しく、不安な時間を過ごしているかと思うと、本当に悲しいです。

未だに断水している地域もあるし、停電で暗い夜を不安に過ごしている方々がいる。

節電で少し暗い昼を過ごしているみなさん、心まで暗く、弱くならないよう、我慢強い民族ゆえ大丈夫だと確信していますが、こんなときこそ私たち日本人は強いんだってところを世界に見せ付けてやってください。

どうかどうか皆様の心の中に少しでも希望が芽生え、その灯が強く、力強く灯ることを祈っています。

一刻も早く地震が収まり、皆様の心の傷が癒えますことを祈っております。

我が日本民族は永遠に不滅なり!!!!
私は今回の地震で、より一層日本人であることを誇りに思えました。

皆様に元気と勇気を!

遠くからですが、いつもいつも祈っております。

アイコ

今日の歌は「出せ一億の底力」です。


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第35代アメリカ大統領J・F・ケネディは、大統領就任演説でこう述べました。
「国民諸君、国家が諸君のために何をなし得るかを問うのではなく、諸君が国家に何をなし得るかを考えよ!」


国民の自由と安全を守ってくれるのは、もちろん国家なのですが、それを支えるのは国民であり、その国家のために私たちには何ができるのかという視点を失ってはならないとケネディは言っています。

今から二千年前、北アフリカ地中海で、カルタゴという国が商業によってひときわ繁栄したころがありました。

ところが、カルタゴはローマ帝国に戦争で負けて滅亡してしまいます。

理由は「カルタゴの国民があまりにも個人主義になり、個人の利益を優先して、社会や国の利益を考えなかったことにあった」と言われています。

詳しくは、歴史に学ぼうをご参照ください。

またドイツがフランスのナポレオンに破れ(1806年)滅亡に瀕していたとき、哲学者フィヒテも「ドイツの敗北は、多くの国民が、自分の利益のことしか関心を持たなかったためだ」とカルタゴ滅亡と同じような原因を指摘しています。


しかし、たとえ国家が滅びかけても、志ある国民の、たった一人の力でも、国を蘇らせることは可能なのです!

エンリコ・ミリウス・ダルガスは、1864年当時にドイツ・オーストリアとの戦いに負けて敗戦国だったデンマークを救いました。

領土を奪われ、残された国土も荒れて財産は乏しくなり、国民は苦しみと悲しみの中にあり、人々は希望を失っていました。

そんな中、ダルガスは失望せず、荒れた土地を豊かな田園に変えようという大計画を立てました。

「われわれは貴重な領土を失ったが、荒地を切り開いてバラの花咲く土地に変えよう!」と彼は言います。

ダルガスは失敗と研究を重ね、ついに植林に成功します。
植林された木々は、材木を提供し、周辺の気候を穏やかにし、豊かな田園を生みました。
そして、廃れていた村々も再生し、さらには新しい町村も設けられました。

デンマークは敗戦によって国土が削られましたが、こうして荒地を開発したことで、新たな領土を手に入れることができたのです。

個人の利益をあまりにも優先させすぎた結果、国が危うくなるということは、カルタゴやドイツの歴史が語るところです。

『賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ』

国家を家族にたとえてみましょう。
個々が自分の利益ばかり考え生きたとします。お父さんは稼いだお給料を全て自分の娯楽に使ってしまいます。お母さんは自分を着飾ることばかりを考え子どもたちにごはんも作らず、家の掃除もしません。こどもたちは、勉強もせず夜遊びするようになります。
こんな家庭では、家族を愛することは不可能です。よって、バラバラになります。

国も同じです。

国を護るということは、国民1人ひとりが、国家に何をなし得るかを考え、自分勝手な考えや行動をつつしみ、自分に任された仕事や責任を真心をこめて行うこと、ではないでしょうか。


日本は今、亡国の危機に瀕しています。早く国民ひとりひとりが気づいて護国のために働きましょう!という方クリック感謝いたします☆
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今日の童謡は「からたちの花」です。
北原白秋作詞山田耕筰作曲です。
日本の歌百選に選ばれています。
大正14年(1925年)発表の曲です。
耕筰は幼い頃養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学んだそうです。自身の自伝において、工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いたと述懐しています。この歌は耕筰のこの思い出を白秋が詞にしたものである。とあります。
どうぞお楽しみください。


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民主党の土肥隆一衆院政治倫理審査会長が、10日、竹島の領有権主張を中止するよう日本政府に求める日韓の「キリスト協議員連盟」の共同宣言に名前を連ねた問題の責任を取り、衆院政治倫理審査会長を辞任する意向を固めたそうですが、こういう議員がいるというのが本当に残念です。

土肥隆一は、兵庫県3区から立候補し、7回も当選しています。
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有権者のみなさん、これからは本当に注意して議員を選ばないといけませんね。

ここで竹島問題ですが、1952年以来ずっともめていて決着がついていません。

地図で確認すると、竹島はこちらにあります↓
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もう少し詳しく見ますと、こうです。
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島根県から朝鮮半島までの間には、大きく分けて「隠岐」→「竹島」→「鬱陵島」→「高島」があります。

この中で人が住めるだけの広さを持っているのは、「隠岐」と「鬱陵島」だけです。「竹島」は岩礁であり、「高島」は環礁です。

竹島は二つの島からなっています。
面積は両方あわせて、約0.2平方kmで、日比谷公園ほどの大きさしかありません。

地図を見ていただけるとわかりますが、この4つの島は長い歴史で何度か名前の認識が変わっているようです。ややこしいですね。

日本には、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している古地図が多数あります。
たとえば長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(安永8(1779)年)他、です。

これに対し、韓国が古くから「竹島」を認識していたという根拠はありません。
韓国では、古地図に「竹島」の記載があるなどと言っていますが、その根拠となっているの「新増東国輿地勝覧」に添付された地図には、「鬱陵島」と「于山島」が別個の2つの島として記述されているけれど、そこに描かれた「于山島」は、「鬱陵島」とほぼ同じ大きさで、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置しています。つまり、全く実在しない島です。

そして古文献中にある「于山島」の記述には、その島には「多数の人々が住み、大きな竹を産する」等と書いてあります。
「竹島」は岩礁ですから、記述の内容からして、これは明らかに「鬱陵島」です。

1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し国際法的にも日本の領土になりました。

しかし日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島等と同様に、日本の行政権から外します。(マッカーサーライン)

これを理由に、1952年1月18日、李承晩韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の水産資源を一方的に主張します。

そして、1952年4月にマッカーサーラインは廃止されますが、アメリカはこの韓国の主張を明確に否定します。

「かつて竹島は、朝鮮によって領有権の主張をなされたことは、見られない」

しかし、粘り強く韓国は竹島を自分の領土だと主張し続けています。

これが日韓の竹島問題の始まりです。

そして最近の竹島の写真がこちらです。
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韓国政府による実効支配が既に始まっています。

長い歴史においても、竹島が韓国の領土だったことは一度もない! 史実がないし、証拠がない。なのに、平気な顔で主張してくるのです。

この竹島を日本が韓国に譲ってしまった暁には、ロシアには北方領土を奪われ、中国には尖閣諸島を奪われ、そのうち沖縄だって奪われかねません。

相手の顔を見て行うのが彼らの外交手段です。日本がぼーっとしてる間に、他国の属国となっていたなんて嫌です!

欲しいからってあげるわけにはいかないのです。

この竹島領土問題は、日本政府は常に念頭に置いて、韓国と関係を保つべきだと思います。
例えば、韓国から日本政府に、何か協力を求められた場合は、まず第一に領土問題を持ち上げてから、交渉するのが得策だと思います。

前回、北朝鮮が韓国に攻撃を加えたときに、日本(民主党)は無条件で韓国支援に回りましたが、韓国を支援するということは、つまり、北朝鮮から日本も攻撃される対象になるということを日本政府は、考慮したのでしょうか。
かなりのリスクを伴う判断を簡単にするのではなく、まずは竹島問題を持ち上げ、韓国が領土問題を取り下げない限りは、支援をしないという断固たる姿勢が必要だと思います。

つまり、韓国が竹島に固執すればするほど、韓国側に不利益になるようにしないと、この竹島問題は、武力行使以外では解決しないでしょう。

日本の国土を護りましょう。それすらできない政治家はいりません。

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この記事は、ねずきちのひとりごとさんのブログから引用しています。
さらに詳しく
竹島や鬱陵島の歴史
が書かれています。このふたつを是非ご覧ください。

今日は「蛍の光」を載せます。
みなさん、昔、蛍の光は、4番まで歌われていたのをご存知ですか?
動画開始3分20秒あたりからは、演奏のみとなります。


3番 筑紫の極み、陸の奥、
  海山遠く、隔つとも、
  その眞心は、隔て無く、
  一つに尽くせ、國の為。
4番 千島の奥も、沖繩も、
  八洲の内の、護りなり、
  至らん國に、勲しく、
  努めよ我が背、恙無く。

3番と4番は、歌詞が軍国主義、滅私奉公を思わせるということで敬遠され、学校でも教えなくなりました。また日本固有の領土の千島や沖縄が他国占領下に置かれたという事情もあります。

もう一度全部歌えるようになるといいですね。

最後までお読みいただきまして誠に有難うございます!
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今日は橘曙覧(たちばなの あけみ)という人のお話をしたいと思います。

橘 曙覧(文化9年(1812年)~ 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、江戸時代の幕末の日本の歌人です。

曙覧は、紙などを扱う豊かな商家の長男として生まれましたが、28歳の時に、全財産を弟に譲り、質素な生活をして学問をした人です。

もとの名は五三郎茂時。後に、尚事(なおこと)、さらに橘曙覧と改名します。

橘諸兄((たちばなのもろえ)奈良時代の政治家、元皇族)の血筋を引く橘氏の家柄と称し、そこから国学の師である田中大秀(たなかおおひで)から号として橘の名を与えられ、橘曙覧と称したとあります。

2歳で母に死別し、15歳で父がなくなってます。

京都の頼山陽の弟子、児玉三郎の家塾に学んだりなどし、その後、飛騨高山の田中大秀に入門し、歌を詩作するようになったそうです。

田中大秀は、本居宣長の国学の弟子でもあり、曙覧は、宣長の諡号「秋津彦美豆桜根大人之霊位」((諡号(しごう)あるいは、諡(し、おくりな)は、主に貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと)を書いてもらい、それを床の間に奉って、独学で歌人としての精進を続けました。

妻子を門弟からの援助、寺子屋の月謝などで養い、清貧な生活に甘んじました。

この曙覧の歌集の中に『独楽吟』(どくらくぎん)と題する52首の歌がおさめられています。

たのしみは・・・で始まり、・・・ときで終わります。

例えば、
たのしみは 珍しき書(ふみ) 人にかり 始め一ひら 広げたるとき
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふとき
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無(なか)りし花の 咲ける見るとき
たのしみは 心おかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき

なのです。

これらの歌に歌われた「たのしみ」は、なんてことはない、実にささやかなものです。

しかし、そこには愛と感謝の気持ちがうかがわれ、しみじみと楽しんでいることがわかります。

心理学の河合隼雄さんは「感謝できるのは強い人」だと言っていますが、貧しいながらも学問を続けられた曙覧は、まさに「強い人」であったといえます。

彼の学を伝え聞いて、1865年越前藩主の松平春嶽が、家老の中根雪江を案内に、わざわざ曙覧の自宅まで出仕を求めにやってきた話は有名です。

明治の歌人正岡子規も、この曙覧の歌を激賞しています。歌の内容だけでなく、その高い人格にも注目し、「高い人格から優れた歌は生まれるのだ」と言っています。

質素で慎ましい生活の中で、ささやかなことにも愛や感謝の気持ちを持ち、「楽しみ喜ぶ心を養い続けた」曙覧。

普段、不平不満ばかりつぶやいている現代の私たちが失いかけているものを曙覧はもっているような気がします。

何事にも感謝する。日本人はそんな精神を持った民族であると思う方クリック感謝いたします☆
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今日の唱歌は、「朝日は昇りぬ」です。
1913年発表のこの曲は、最初は「朝の歌」という題名だったようです。
日本の生活の変貌がわかります。
どうぞお聞きください。


最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者です。時代は、徳川9代~11代将軍のころです。9代:家重、10代家治、11代家斉です。

保己一は、武州児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)に生まれました。

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5歳のときに疳(かん)の病気(胃腸病)にかかったのが原因で、徐々に視力が弱っていき、7歳の春に失明しました。そして、5年後の12歳で母と死別するという不幸に見舞われます。

当時、盲目の人は、鍼や琴を習って生計を立てていましたが、保己一は不器用で勘が悪く、それらを習得できなかったといいます。

そして、絶望のどん底に陥った保己一は、自殺を図ります。

そんな保己一を見て、師匠であった雨富検校須賀一(あまとみけんぎょうすがいち、名は雨富須賀一、けんぎょうとは当時の盲官の最高位の名称)が、「お前の好きな道に進むがよい。泥棒と博打以外なら何をやってもよい。今日から3年間、私がお前を養おう。ただし、3年経って、ものにならなかったなら、お前を郷里に帰すぞ」と言ってくれました。

保己一は感激し、発奮します。

そして、何かひとつの仕事や事業を成し遂げるためには、感情に支配されるようではだめだと考え、毎年一年間、絶対に怒らないように!と祈り、実行しました。

保己一は盲目でしたから、それをからかう心無い人たちがいます。しかし、からかわれても保己一は穏やかな顔に笑みをたたえて心を乱さなかったといいます。

保己一の学才に気付いた雨富検校は、保己一に様々な学問を学ばせました。

保己一は書物を人に読んでもらい、優れた記憶力を発揮し、暗記して、それを心の中で考えていくという方法を確立していきます。

江戸時代の国学者、歌人として有名な賀茂真淵(かもの まぶち)にも『六国史』を学びます。出会った年に真淵が亡くなったので、教えを受けたのはわずか半年間でした。

また幕府の若年寄であった堀田正敦(ほった まさあつ)との逸話では、保己一が『今物語』という小冊子を校合(きょうごう:写本の記事の相違を、他の本と照合して訂正したり、異同を書き記すこと)して、あるとき正敦にこれを見せます。

保己一は心中ひそかにこれを得意としていたのですが、正敦は「これぐらいの小冊子で満足してはいけない」と厳しい言葉を与えました。

しかし、保己一はこの言葉をもばねにします。あえて厳しい言葉を与えた正敦も偉いですが、へこたれなかった保己一も素晴しいです。

そして、保己一は『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)という膨大な国史国文関係の資料集を編集することを決意します。

保己一の実力と才能は広く知られるようになり、水戸藩から『大日本史』編集の手伝いを依頼されるまでになります。

そしてその実績によって幕府からこの『群書類従』の編集事業に対する援助を受けられるようになりました。

保己一は群書類従の版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させました。これが今日の原稿用紙の基本様式となりました。

この『群書類従』を出版するときに、保己一は、幕府にある板木屋(はんぎや 出版社のこと)を推薦しました。

以前、下駄の鼻緒が切れたとき、保己一が近くの店の人に「紐をもらいたい」と頼むと、その人はぶっきらぼうに紐を放り投げたため、それは地面に落ちました。それを手探りで探す保己一の姿を見て周囲の者が笑うので、保己一は我慢できず裸足で帰ったということがありました。

実はそのときの店が、保己一の推薦した板木屋だったのです。

「あのときの悔しさがなければ今の自分はない」というのがその理由でした。

心無い言葉にもめげず、かえってそれを自分の発奮の糧にしたところに保己一の精神の強さを見ることができます。

この強さがあったので、『群書類従」670冊!の編集事業を行えたのでしょう。

また、48歳のとき保己一は、わが国の古典を研究する学校(和学講談所)を設立しています。
漢学を研究することが重んじられていた当時において、日本の学問を教える学校が設立されたのは、これが最初でした。

保己一の日本文化の保存と研究に貢献した功績は、偉大です。

また、この保己一の活躍の話は、後にアメリカにわたり、耳と目に重い障害があった少女の心の支えになります。

それが、『奇跡の人』と呼ばれ、世界中の人々に勇気と希望を与えた、あのヘレン・ケラーです!

ヘレン・ケラーは日本にもやってきて、次の言葉を残しています。

「子どものころ、母は塙先生は私が手本とすべき人物だと話してくれました。先生の名前は必ず水の流れのように、世代から世代へと受け継がれていくだろうと信じています。」

保己一の示してくれた生き方そのものから学ぶべきことが山ほどあります。

日本の偉人の一人、塙保己一のお話でした。

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今日の唱歌は、「月」です。
明治43年1910年発表の歌です。
どうぞお聞きください。

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