本* The Memory Keeper's Daughter

2008-10-29 テーマ:

アジアで数年暮らした後、アメリカに戻って思うのは、

何らかのハンディキャップを抱えている人にとって、本人も家族も堂々と暮らしていきやすい社会

ということ。


例えば、車椅子の人にとってどれだけ普通に生活できるか、とか。

精神的に不安定だったりすることも、それほど社会的に引け目を感じず医者に相談できる、とか。


中国では自閉症などに対しても、まだまだ誤った認識が多く、そうした子供を持つと家族全体が・・・とくに産んだ母親が・・・・とんでもない悪いことをした結果のような目で見られるため、普通の社会と接点を持つことも難しく、内へ内へと隠れたり隠したりして暮らすことになるのが従来の様子らしい。

こちらの中華系の社会でも同じ状態だったのが、このところようやく、一般のアメリカ人社会の意識の方向へと変化しつつあるとのこと。


とはいっても、アメリカだって昔からそのようにハンディのある人を受け入れる体制が整っていたわけではないですよね。 

ほんの、ここ30年、40年で大きく変わってきたのでしょう。




The Memory Keeper's Daughter The Memory Keeper's Daughter
Kim Edwards

Penguin Books Ltd 2007-04-26
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1964年のアメリカを舞台としてスタートするこのお話。

主人公の夫婦、デイビッドとノラの間に、双子の赤ちゃんが生また。

医者であるデイビッドが自らとりあげたのは、健常な男の子ポールと、一目でダウン症とわかる女の赤ちゃんフィービー。

デイビッドは、とっさにフィービーを施設に送る判断をし、ノラには死産だったと嘘をつく。


現代の社会に住む私たちには、

なんと酷い!

と思われるデイビッドの行為ですが、当時のアメリカ医療界では

ダウン症の子供は、専門の施設に送るのがベスト

と認識されていたらしいです。


デイビッドは、ダウン症の子供は大抵若くして命を落としてしまうから、愛し育てた子供を亡くす哀しみを妻に味合わせないために、双子の妹を失くす哀しみをポールに与えないために、このような行為をしてしまったわけです。

自分の大切な家族を守るための嘘。

・・・だったはずなのに、この嘘が彼らの家庭生活に陰を落とし続け、その陰はどんどん暗く大きく影響してきます。


一方、本来の家族から生まれながらに引き離されたフィービー。

赤ん坊を施設に預けてくるよう言付かった看護婦のキャロラインは、フィービーを連れて行方をくらまし、自らの手で育てる決意をします。


お話は、デイビッドの視点、ノラの視点、キャロラインの視点、ポールの視点を行きつ戻りつしながら、二つの家庭が交互に描かれます。


健常者として生まれ、実の両親の元で一見何不自由なく育ったポール。

ダウン症を抱えて、本当の母親でないキャロラインに育てられたフィービー。

二人を見ていると、

どのような人生が価値があるか、どのような人生が幸せかなんて、表面的な条件だけではわからないし、誰にも予想も出来ず、決めることなんか出来ないのだ、

と感じます。


一つの嘘がひきおこす、のちのちの影響の大きさ・・・・

その嘘をついてしまったデイビッドも、消して卑怯な人物ではないのです。

読み進めるにつれて、だんだん明らかになるデイビッドの過去。

ダウン症のわが子を見て、とっさによそにやってしまう判断のもととなる体験をしているのですが、彼は全て自分の内側に留めてしまうタイプなのですね。

妻や息子には、物語の最後に至っても、その胸のうちや苦しみや彼の幼少時代の体験は完全に理解されることないまま、読者である私たちだけが知ってしまう・・・・


デイビッドの嘘がもとで大きく運命が変わる二人の女性。

妻のノラも、看護婦のキャロラインも、本来自ら行動を起こし幸せを積極的に作り上げるようなタイプではありません。

自分を幸せにしてくれる誰かがあらわれて、その男性に導かれ守られて自分の人生ができあがるような漠然とした気持ちでいた女性達。

彼女らは、それぞれに哀しみや困難を抱えた人生でもがくうちに、いつしか自分の足でしっかり歩き、幸せを掴み取る術を身に着けていった様子。


登場人物それぞれは、皆なんらかの哀しみ、孤独感、困難を抱えた人生を送っています。

でも、読後、

そんな彼らの人生は、最終的に悪くない

気の毒だと私たちが同情をよせるようなものではない

と感じるのです。


読後もしばらく登場人物たちのことが心から離れないような、本書を薦めて下さったのは、樹衣子さん(ブログ「千の天使がバスケットボールする」リンク )。

感謝です!!



コメント

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1 ■読みました!

わあ、嬉しいな!読みました、こちら。

隠し事をしているということも、やっぱりノラとデイビッドの心に距離をつくってしまったのかなーと思ったし、それが息子さんとの距離になったのかなあとも思ったし。

生む前にダウン症の調査をしている人が身近にいて、もしそうだったらどうしていたのだろうと、、今でも聞けませんが、丁度そんなときに読んだ本だったのでいろいろ考えてしまいました。

2 ■共感!

確かに、中国ではいまもなお
障害をもった方が堂々と歩いている姿を見たことがありませんね…
私の妹はダウン症なのですが、母が中国に来たときにも
不気味なくらい見ないなぁと言っていました。
『気の毒だと同情を寄せるようなものではない』 というの、確かに!と思います。

3 ■イタリアでは

>有閑マダムさまへ

せっかく弊ブログのリンクをしていただいていたのに、うっかりTBもしてしまいました。

>現代の社会に住む私たちには、
なんと酷い!と思われるデイビッドの行為ですが、当時のアメリカ医療界では
ダウン症の子供は、専門の施設に送るのがベストと認識されていたらしいです。

この考え方って米国らしい合理性を感じさせられたのですが、イタリア映画の『ミルコのひかり』によると、昔といっても1970年代ぐらいまでは、イタリアでは盲目のこどもたちは通常教育を受けられず、全寮制の盲学校入りを強要されたそうです。この映画も地味ですが、障碍をもつことのハンディとは別の豊かな感性や人生を教えてくれます。ついでに、映画を観た時の感想をURLにはりました。


4 ■kuunel さん、

クウネルさんも読まれていたんですね!

私は、夫婦だからといって、必ずしも何もかも相手に言う必要はないと思うんです。
特に相手を傷つけない配慮から、黙っていることだってあると思う。
デイビッドもそのつもりだったのでしょうけれど、あまりにも嘘で隠した事実が大きくて。
これは、知らなかった妻にしてみたら許せないかも・・・と思います。

5 ■あきさん、

ダウン症や、様々なハンディキャップを持つ子供を持つ親御さんに対しては、ついつい
「大変だろうな~」
なんて思ってしまいがちなんですが、そうしたハンディキャップは、その子の存在を形作る要素のほんの一つに過ぎないわけですよね。
ダウン症、ということで、ひと括りにしてはいけないですね。

中国は、あれだけ人口の多い国なのだから、様々な人がいて不思議じゃないのに、、、、やっぱり外には出てきにくい現状が続いているのでしょうか。 またそれも、時間がたてば意識もかわってくるのかもしれませんが・・・・。

6 ■樹衣子さん、

1970年代というと、まだ3,40年前のこと。
それでも、イタリアもそうした状態だったのですね。

人権問題などに目覚めた後の社会で暮らす私たちには、それが当然のことであり、まだそうした考えが浸透していない国のことを、さも酷いところのように思ってしまいがちですよね。
でも、社会の成熟段階が違うだけだとしたら、やっぱりある程度の時間がかかるのは仕方がない、とも言えるかもしれませんね。

映画の記事、読みに伺いますね!

7 ■そう言えば

中国事情はよくわかりませんが、イーユン・リーの短編小説で、都会の大学に進学した主人公(弟)の姉には知的障碍があり、彼は大学の友人には姉の存在を秘密にしているという物語があります。姉は両親の慈しみを受けて成人まで生きるのですが、家の中にこもりっきりで外の世界を知らずに育ちます。思うに、中国では目に見えない障碍のある子どもは殆ど外出せず、一目でわかる障碍のあるこどもは、逆に物乞いという選択肢もあるようです。

>社会の成熟段階が違うだけだとしたら

本当にそうですね。。。

8 ■樹衣子さん、

ほとんど家にこもりっきりか、あるいは物乞い。
なんという選択肢でしょうか。

でも、中国といっても広いので、地域によっても、またその家庭の経済的・社会的地位によっても違うのでしょうね。

今思い出しましたが、シンガポールの首相(中国系)に関しても、実は障碍のある子供が生まれたのに、そのことは秘密にしたままでその子供を産んだ妻は離縁された・・・という話を聞いたことがあります。 真偽のほどは私にはわかりませんが、かなり本当っぽい話ではあったんですよ・・・。

9 ■嘘の核

マダムさん、こんばんは。

オススメといえば、新潮クレストブックス、ナンシー・ヒューストンの「時のかさなり」もとても良かったです♪
一族四代にわたる六歳の子供の視点で語られるのですが、これもまた、その人の行動にはそれなりの理由があるんだなぁ、と感じさせられるものでした。

デヴィッドのついた嘘は、(事が大きいにしても)一般には「やさしい嘘」なのかもしれませんが、その喪失にノラがあれだけ拘っていただけに、それを核としては幸せは生まれなかったんですねえ。

ノラとキャロライン、確かに最初は二人とも「待つ女」だったのに、豊かに実りある人生を送っていましたね!

(トラバは承認制でしたっけ?
最近、飛ばないことも多いので、URL欄に記事のアドレスを入れておきました。)

10 ■つなさん、

「時のかさなり」、気になる本としてメモに加えますー!

デイヴィットは、色々な感情や過去を全て自分の内側だけに留めておく人なんですよね。 これはやろうと思っても、出来ない人には出来ないし、美点でもあるはずなのですが、一緒に人生を共有していく家族にとっては、寂しいことなのかもしれませんねえ。

人間が幸せに生きていくって、簡単なようで、難しいようで、この本で登場するそれぞれの人物の生きる様子を読むと、色々考えてしまいますよね。

TBは承認制にしているので、反映が遅れてしまい、お手数をおかけしてスミマセンでした。
無事に届いています~。

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  • 1 ブログタイトル:千の天使がバスケットボールする
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