アンジェラの灰(続)・ 教会の役割

2005-09-08 テーマ:

信心深くないし、積極的に宗教活動に参加したりする気ゼロの私にとっては、宗教団体や信者の行動について、ナゼ???という不可解なことがあります。


教会での「ざんげ」という行為に対しても、

「どんな罪を犯しても、懺悔さえすれば、それで許されるって、おかしくない??」

などと罰当たりなことを思ってしまい、

「ごめん!で済んだら、警察いらん!」

という言葉が頭の中をぐるぐる。


けれど、アンジェラの灰  のフランク少年がまっとうに大人になったのには、教会の役目は大きかったのだなあ、と感じました。

自分の家庭や社会を取り巻く貧困、生まれてからずっと経験してきたつらい思い出、不条理な世界に対するやりきれない気持ち、自分が犯してしまった間違いを後悔する気持ち、心の中に澱が溜まりに溜まって、どうしようもない16歳の誕生日当日。

立ち寄った教会で涙を流していると、神父がやさしく包み込んでくれます。

「君の心を苦しめているものを、神に話してみなさい。」

誰にも話せずにいた思いを吐き出します。


神は、君をお許しになったよ。 だから、君も自分のことを許さなくてはいけない。 

神は、君を愛しておられる。 だから、君も自分のことを愛さなくてはいけない。

自分自身の中にある神を愛せないことには、神がお創りになった全てのものを愛すことは出来ないのだから。


このような神父の言葉を聞き、穏やかな気持ちで教会をあとにします。


誰にも分かち合えない、心の中の気持ちを聞いてもらう。

こんなにダメな自分でも、愛してもらい、許してもらい、肯定してもらえる。


それだけで、人間のつらさはとても軽くなるものなのです。

16歳の誕生日、教会という場がなかったら、フランクは耐え切れず、将来は全く違ったものになっていたのではないか?

そう思いました。


また、神父のことは 'Father' と呼びかけますが、愛してはいても、今、助けにはなってくれない実の父親の役割を、まさに神父が担ってくれたのだなあ、とも思いました。


私は、「懺悔」の意味を、初めて少し理解できたようです。

コメント

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1 ■自分も

信心深くなく、海外で信仰のことを訊かれて困ったりしますが・・・

こちらで生活規範がしっかりした人々は、多分にもれず信心深いように思えますが、マレーシアでもフィリピンでも・・・

気のせいですかね?

2 ■そうですねー、

困るとき、ありますよね。
私もアメリカでは、別に何も信じていないなんて言ってしまうと面倒なので「私は仏教徒だから!」と、強く言い放っていました。
宗教のおかげで、生活規範がしっかりするなら、ほんとうに良いことだと思います。
でも、排他的になってしまったりする場合をみると、どうかなあ・・・って思ってしまいます。

3 ■読みました

こんにちは。はじめて遊びに来ました!
私も数年前にこの本を読みました。宗教とは無縁の生活を送っているので、内容的にとっつき辛かったです。映画は未見、見たらまた違うように感じるかもしれないです。

4 ■信仰

外国映画の中では信仰が大きなポイントになってること多いですね。
アンジェラの灰(映画)、気になりつつも切なそうで未見なんです。レンタリストにいれときますw
コンスタンティンも宗教に関連してると思います。

5 ■排他的は

問題ですよね。
教義を厳密に適用しようとすると、排他的になり易いのですかね、
宗教って?
でも、そうなら不思議ですね。

6 ■J美 さん、さいこさん

この本、途中で少年がカトリックの学校で勉強をし始めるところあたり、ちょっと退屈になってしまうんですよね。 それを乗り越えると、また面白く読めるんですが。
映画も、割と原作に忠実に作られていると読みました。 私も観ようと思っています。

7 ■abroaddiary さん

極端に言うと、宗教を広める段階で、「これを信じないと、天国にいけない」とか「こういう教義にのっとって生活しない人は悪である」と言う部分がありますよね。 それをそのまま受け取ってしまうと、人は人だから・・・とか、別の宗教の人もいい人は一杯いるんだし・・・とか、思えなくなってしまうのでしょうか??

8 ■罪と罰

罪に対する良心の呵責、それ自体が既に罰せられているという事。
その上に懺悔は成り立つのではないかなー、と思っています。
タイトルしか知りませんでしたが、ただ重くツライだけの話しではなさそうなので(家族愛もありそうだし)読んでみようと思います。

9 ■良心の呵責を

感じるのは罰・・・そうですね。
呵責さえ感じなくなってしまうと、人間としてダメってことですね。
rie さんも読まれたら、また感想教えてください。
ところで、この本についてはまだまだ書きたいことがあって、続編アリです。 ちょっとしつこいですかねえ・・・・とは思っているんですけどね。

10 ■フランクの周りの大人

「告解」システムは、大人になってカトリックに鞍替えした私からすると、やっぱりいまいち慣れないものだったりします^_^;。
それまで告解をしていても、あの時に出会った神父だけが、フランク少年の心を癒せたのではないかなぁ、と思いました。
フランク少年にとって、この神父との出会いと、校長のオハロラン先生との出会いが大きかったのでしょうね。
あとは、かろうじてパーおじくらいかしら…。
フランク少年は、数少ない信頼できるおとなとの出会いを大切にしたようにも思います。
肉体的にも精神的な意味でも、ほんとうによくぞ生き延びた…、と思います。

11 ■Re:フランクの周りの大人 >つなさん 

今読書中の、伊集院静氏の自伝的小説を読んでいても思ったのですが、
昔も今も、大変な困難を抱えた家庭事情の中で生まれ育つ子供というのは必ずいて、困った親だって必ずいるのですよね。
でも、本人の資質などにもよるのでしょうけれど、親ではなくても、他の大人が良い影響を与えてくれたり、心の支えになるような言葉や行動を与えてくれたりすることで、生きる助けになることがありますね。
それをしっかり受け止め、モノに出来るかどうかということも、大切かもしれませんが。

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