今回の件名・・・・。
それは何故か・・・・?
それは、前述の文化の話しをもっと掘り下げて行くと良く解ります。
一体彼等はどれ程緻密な文化を創り上げていたのでしょうか?
今回はその事をお話ししていきますね(*^^)v
【驚愕の暦と天文学】
彼等が用いていたのは太陰暦と呼べるもので
※現在日本を始め多くの国が使っている暦(こよみ)は太陽暦(新暦)です。
これは地球がおよそ365.24日で太陽を1周することを利用して作った暦です。
なので、現在と同じ暦と言う事になります。
因みに、日本では明治5年以前の日本は、太陰太陽暦(たいいんたいようれき)といって月の運行を元にしてひと月の日にちを割り当てていました
それは、月の満ち欠けで、年月をはかる、世界最古の暦(こよみ)と言えるものだった。
彼らの用いた暦は、驚異的とも言える恐ろしく正確な暦でした。
日食、月食のタイミングを始め、様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想出来たのである。
さらに、信じられないことには、2万5920年かかって地球の地軸が円を描くという歳差運動(さいさうんどう)の周期すら知っていた!
記録によれば、シュメール人は、当時、すでに何百もの天文用語を使っていたことも判明している。
メソポタミアの地に登場して、たかだか2千年ほどで、どうして、そのようなデータがわかったのでしょうか?
【かの有名なハンムラビ法典でさえ二番煎じである】
「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典。
歴史の教科書に載って居てどなたも御存知のこの、実は二番煎じです。
そもそも、この法典を造り出したバビロン第1王朝と言う物は、この文明を引き継いたアルム人が造ったものだからです。
そして、その基になったのは、シュメール人の法体系でした。
世界最古の法律はシュメール文明より始まったのです。
【かの有名なバベルの塔も二番手である】
旧約聖書に出て来る「バベルの塔」も、その実体は高さ100メートルはあろう巨大なジッグラドだと言われている。
~ウィキペディアより引用~
旧約聖書の『創世記』に記されているバベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものと考えられる。
いくつかのジッグラトが発掘されており、最大規模の遺跡としてはエラム王国のチョガ・ザンビール遺跡(現イラン)のもの
実際のチョガ・ザンビール遺跡です
比較的保存状態が良いものとしてはシュメール人都市国家のウル遺跡(現イラク)のものが挙げられる。
ウル遺跡
その他にも、前述の「ノアの箱舟」の話の事もそうでしたね(*^^)v
【しかしこの文明には前例となるモデルがないのです(*_*)】
かくのごとく高度な様々な知識に加えて、文化的にも素晴らしい文明が、何を手本にし、また何に影響を受けたのか全く不明と言われて居ます。
シュメール文明は、紀元前3800千年ほど前に、奇跡と思える暦、高度な数学、複雑な社会機構や合金技術を持った状態でいきなり歴史に登場して来たという事が分かって居ます。
それが、古代史最大の謎と言われている理由です。
【その答えが次回で明らかに・・・・】
上記の理由は、いくつかの文献を見れば分かります。
それらは、シュメール人達が自分で答えを言って居るからです。
その、恐るべし答えとは何でしょうか?
次回明らかに・・・・・
続きは→その13