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ゴスペルのエネルギーを継ぐ、次世代クワイヤーミュージックの先鋒
「Dreamers Union Choir」メンバーのブログ


テーマ:
Power Chorusのロゴ誕生です。
(デザイン 小川ニック氏)
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みなさんこんにちは。
島根、山口、広島での各100人ワークショップを終えて帰着したタローです。

僕は、寂しく、卑屈で、鼻持ちならない少年でした。
今、何百キロも離れた場所で、僕の伝える音楽を聞いたり歌ったりしてみようと言う人々に囲まれる事は、あまりにも幸せな事で、胸が熱くさえなります。

先日、メンバー同士が結婚した事も含め、DUCというグループはすでに、一人一人のメンバーにとっての歴史となり始めています。
今日は、僕にとってのこのグループに至る歴史をつづります。

全ての苦悩するミュージシャン達へ届けたく、少し素直な言葉で書いて行きたいとと思います。

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■ビートルズバンド 

高一の時に組んだビートルズバンドは、一瞬の花だった。優れたメンバーに恵まれながら、僕は自分の音楽的な能力のなさにうちひしがれていた。それに、バンドマンであるメンバー達とは住む世界が違い過ぎ、上手くいかなかった。

 
■アカペラ

やがてアカペラを始めて楽譜を書くようになった。一曲の一音一音を丁寧にとり、その能力にメンバーがいくらか着いて来た。だがやがて、僕と音楽をやるのは別に楽しくない、という結論にメンバーは至った。メンバー達は僕を外して新しいグループを作った。


■初のバンド

大学の時に初めて組んだバンドは、うまくいかなかった。理論と演奏と打ち込みの音楽制作(当時はまだシンセサイザーに入力していく形が主流)を学んだ僕は、自分の思い描いた音を正確に演奏してくれることだけをメンバーに求めていた。給料を払うわけではない。みんなでスタジオ代やライブのチケットノルマを割っていたのに、これで一瞬でもバンドをやれていたことの方を不思議に思うべきだろう。何のキャリアも裏付けもありはしないのに、「僕の才能を信じてメンバーになるのだから、僕の音楽が求めるものの再現に務めるのは当然だ。」と考えていた、鼻持ちならない人間だった。


■バンド2期

当然のようにいくらかのメンバーが辞めていき、それでも僕の書いた曲を気にって新しいメンバーが入り、バンドは第二期といえる段階に入った。
今度は僕が以前より多くの負担を背負う形だった。それは、僕の音楽をやるのだから僕が負うべきものは僕が負う、という考えに僕自身が変わって行っていたからだった。しかし内心、僕の負担を分かってくれないメンバーを恨めしんでもいた。僕の言葉にはインパクトがあったそうで、この頃からキジマ教などと揶揄されるようになったが、おごった僕に人を集めておく人間性などありはしない。やがて結果が出せないことが分かると、やはりメンバーたちはやめて行った。僕の楽曲にメンバーが集まったグループであり、結果がなくても一緒にいて居心地がいいようなグループでは決してなかった。
この間に大学も卒業している。


■バンド三期

第三期においては、負担はほぼ全部僕がかぶっていた。僕の音楽だ、僕がやる。そう結論づけていた。結果は皮肉なまでに、その通りになった。メンバーたちは誰も、僕の音楽が売れるかどうかに責任を追わなかった。関心さえ持っていないように見えた。僕は疲れ果て、メンバーは愛想をつかした。

この間にどん底があり、僕は、教会やゴスペルシンガー達の為に演奏する、という「自分の音楽からはなれた場所」で、音楽で食ってゆけるようになった。(参照日記)


■クラススタート

 その後、僕は「自分の音楽」を休んだ。そして、ゴスペルの矛盾をつき、それを解決すべく、Cool Chorus Movementという12,3人のコーラスのクラスをスタートした。ゴスペルを深く学んだ僕独自のコンセプトだ。
 すぐに、クラスには大きな問題があることがわかった。メンバー間のレベルの差だ。ボーカルとしてプロ指向の実力者たちがクラスに混ざって学んでいたが、初心者たちも多かった。学びが早い者は極度に早く、これに合わせると初心者は到底ついて来られない。初心者に合わせるとプロ指向達の不満が募った。僕はどちらの要望も叶えられず、その他の要因も重なってクラスは閉鎖せざるを得なくなった。
 僕のコンセプトは誰にとっても答えとなるはずだ、との確信はもっていたものの、僕はまだ、自分のクラスに未来の成長ビジョンを持っていなかった。


■コーラスユニット

 信じてくれたプロ指向のシンガーたちを投げ出すわけにはいかなかった。僕は彼らをチームにした。全員に優れたソロ能力のある6人プラス僕のグループだった。バンドマンの中でも、自分のライブというものを常に企画し負担し続けなくてはならない「シンガー」というものが、夢を追うのにいかに大変な時間を強いられているか身にしみてわかっていたので、シンガーたちをチーム化することでこれを解決しようという実験でもあった。チームは、アメリカ人シンガーのバックとして高級ホテルで歌うなど、そこそこの活躍を見せた。

僕自身が食っていいけるようになったからだろうか、自分の夢への情熱が消えたのだろうか、この時点で僕は、僕ではなく、シンガーたちのためにチームを運営するようになっていた。これまでのバンド運営の経験と知識を総動員してメンバーたちの要求と不満をさばきながらチームを運営していた。

この時までに僕が気づいていた知性がある。今まで自分のためにつみたててきた能力を他人のために使おうとする時、初めて人生がまわりだす、という事だった。これが、成功と呼ばれるものの入口なのだろう。

 このチームの活動の外で、僕はゴスペルの方面で様々なキャリアを積みかさね、ああ、ゴスペルの木島さん、と言われる事に慣れ始めていた。


■オリジナル曲の新シーズン

 やがて、僕はチームのために曲を書くことにした。このチームがアーティストであるためにはオリジナルが必要だったからだ。
 でも僕は、恐怖していた。これまでがそうであったように、オリジナルを書き始めたら全てが終わってしまうのではないか。そのオリジナルをメンバーが好きになってくれなかったら分裂を招くことになる。それに、これが「僕の音楽」になってしまったら、僕の執着が生まれてしまう。それはやはりチームを崩壊に導くのではないか。
 だが、僕以外のメンバーに曲をかかせる事の方が運営的な問題が大きい。

「みんなが歌えるメッセージだ。みんなが高らかに叫べるメッセージじゃなければチームは成り立たない。」

 そう考えた。
「ああ、これが宗教だったらどんなに楽だろう。ゴスペルのように宗教団体なら、みんなで歌うメッセージに迷ったりはしないのに。」
 そう考える僕に、The Sounds Of Blackness が勇気を与えてくれた (I'm Going All The Way がお気に入りだった)。そしてまぶたには、中学/高校の時に体験した、雑多な人間達がみんなで歌う黒人霊歌のビジョンが張り付いていた。

 僕の頭の中で鳴っているコード進行とコーラスのサウンドに、僕は詞をつけ始めた。
 これは、シンガーたちの歌だ。シンガーたちが生きている時間、彼らが今の苦悩をやがて自分のためではなく他人のために使えるようになる日を思う。そのコーラスは力強く、苦悩との戦いの戦歌でもある。

♪嵐の後は、悲しみの歌...
storm, storm makes you stronger...♪

Sad Song Will Make Youが生まれた。

当初からR&Bやゴスペルのカバーだけを歌って来たメンバーたちは、オリジナル曲という発想をいぶかしみながらも、出来上がった録音に興奮した。
テーマも、ボーカルの音域も、僕ではなく、他の誰かの為に書く。15年以上オリジナル曲を書いて来た僕に初めて訪れた新しいシーズンだった。

こうして、オリジナル曲は問題ではなくなった。だが、崩壊は思わぬポイントで起こった。


■それでも崩壊する。

チャリティーをやろう、と僕が持ちかけた時だ。チームの精神は、この曲を通してそちらへ傾いてゆくと感じていた。それは、シンガーたちに誇りを与え、多くの人々に歌歌いの愛の気高さを示して行くことにもつながるという淡いビジョンがあった。しかし、メンバーの反応は僕にとっては意外なもので、僕はまた自分が孤立していることに気づかされてしまった。

「自分たちが売れていないのにチャリティーはおかしいと思う。まずは、自分たちが売れてからの話だと思う。」
一人のメンバーのその意見に、ほとんどのメンバーがうんうん、と納得した。

そうだ。このチームはもともと他の人に何かをしようなどという思いで生まれたのではなかった。苦悩するメンバー達の音楽的な経験やミュージシャンや現場とのコネクションをサポートする為にスタートしたのだった。彼らは、経済的に追い込まれていた。シンガーとして生きるというのは、そういうことでもあった。
「そうか。そうだね、じゃあまた今度考えよう」と僕は言った。この時に、チームの中で、また、チームと僕の間で、何かがぷつりと切れていた。


■クワイアーの誕生。

その時は来た。ベナン人の友人がベナン共和国の建国記念日のイベントのためにクワイアーを組織してくれというのだ。その日は3週間後だった。ベナンという国の窮状は聞いていたし、その友人は故国の為のチャリティーに力を入れていた。イベントは直接チャリティーではなかったものの、アフリカ諸国の大使が集まってJICAの施設で行うアフリカ理解の色の強いイベントだった。



僕は、まわりのミュージシャンやシンガーたちに声をかけて、短期間で歌えるシンガー、と条件をつけてメンバーを募った。当時の僕のチームには勿論声をかけたが、参加したのは、先だってのチャリティーの話の時に周りに同意しなかったたった一人だけだった。

集まった20人ほどのメンバーたちは、僕の指導により3回のリハーサルで一つのサウンドを作り出した。
イベントを終え、出来上がったサウンドに興奮したメンバーたちは、チャリティーコンサートの企画に入った。

足りなかった最後のピースがそろった、と僕は考えていた。他の誰かのために自分の音楽を出来ることの喜び。僕がやっと辿り着いたその知性を、若くしてすでに持っているシンガーたち。こうして、7年を数えてなお集まる事に喜び、成長し続ける事に喜ぶ事が出来る堅固なグループが生まれた。このグループのサウンドが僕に曲を書かせ、僕はそれを自分の音楽として執着する必要もなくなった。僕の書きたい音のために演奏者を集めるのではなく、集まったシンガー達の音にふわさしくあるように歌を書き始めたからだ。
 堅固なのはチームというより、コンセプトだった。今後メンバーが変わっても、僕がいなくなっても、残るであろうコンセプト、音楽的スキルに優れ美しい心をもったシンガー達を惹き付け続けるコンセプトの端緒がここに生まれた。
 個々のシンガーとしての出世ためにでなく、人生に焦ってもその焦りを解決するために歌うのではない。世界の何かを、誰かの人生の何かを変えるために歌う歌唄いたちの集団。

急ごしらえだったJICA公演では Team Taro Choir と暫定で名乗っていたが、それはコンセプトを現していない。僕の名前から離れ、このシンガー達を現した名前が必要だ。


ジョン・レノンが "イマジン" で歌っていた。「世界中の全ての人が、平和に暮らしてるって想像してごらん。こんな風に僕が言えば君は僕を、夢想家だって言うだろう。でも、僕だけじゃないはずなんだ。」
それで僕らは自分たちを、「手をとった夢想家達/Dreamers Union」と名付けた。

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See you at:
11/23 Power Chorus Showcase!!
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