第29回「科学の目 科学のこころ」長谷川 眞理子著
テーマ:地球/宇宙/サイエンス今や科学は思いもよらぬ発展を遂げて、今なお、その発展は止まる事をしらない気がする、いつ人類の探求が終わりを遂げるのか? いや、終わりを遂げることがあるのか?私達は常に科学の発展を目にして行くだろう。
19世紀のダーウィンの時代には考えもつかないことがありすぎる。しかしその発展は、時代を変えてきた先人の知恵があってこそ今がある。
そんな気がしてならない。
では、一体ダーウィンの時代にはどの様な思想や考え方があったのだろう。それを今回紹介する書籍から考えていこう。
- 科学の目、科学のこころ (岩波新書)/長谷川 眞理子
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まず、科学の発展は古代ギリシアから始まっていた。
その当時何かな構造やシステムを考える上で必要にモデルがあったと言われている。それは人体の構造である。
ギリシア人は自然を理解する上で人体の構造を一つのモデルにしていたと言われている。
いまではその対比は人体ではないのかもしれない。しかしその当時のことを考えると、人体以外で複雑で自然に近いものとといえば、人体以外なかったと推測できるのではないだろうか。
というように昔はそのような考えのもとで科学を発展させてきた。
今では。バソコンや主に機械、動物など様々なものを活用できるような時代になった。
本書はこのように出発して、この後に生物全般の話し、そして科学と社会の話し、そしてまとめにはいるという流れである。
最後にはこんな内容になっている。
ダーウィンの時代にはより優れた血統改善のためにより優れた血統を増やし、望ましくない人間の繁殖を妨げることによって人類を改良するための科学と定義されている。これを優生学というのですが、何故このような思想が生まれたかというと、この時代は資本主義の発展で貧富の差の増大によって、悲惨になったので、その社会を改良せねばならないと思い、その考え方に至ったとされている。
本書ではこのようにまとめられている。「優生思想は1900年代初頭における急速な遺伝学の発展と社会改良思想とを背景に、人類の生物学改良が可能であると考えた、性急な理想主義の産物であった。」
しかし、その思想に関して、社会にとって何が好ましくて、何が好ましくないのか?いったい何を基準にして判断するのか。という社会思想が科学を安易に使おうとして失敗した例でもある。
では私達はなにを基準にすればよいのか?悩むところである。
今の政治でもそうだが、日本にとって何が好ましくて、何が好ましくないのか?という問いに対して、頭を悩ませる次第である。
しかし一つ言えるのは、好ましくないものを排除するという考え方は今後の社会にとってもよくないだろうと思う。
不必要だと思われていたものにもれっきとした考えがあり科学があります。
それを見極めることが本書で伝えたかったことではないだろうかと私はおもう。
以上で話しは終わりだが、ここで長谷川氏が建築について話している箇所があったのでちょっと紹介しよう。
このようにまとめている。
「数学的な線や物理法則は、なぜ人間の審美的感覚を刺激するのだろう?自然界の生物が作り出す形は、なぜ美しくみえるのだろう?その答えは、数学や物理学ではなく、私達の神経系の構成に関する生物学の中にあるに違いない」と著者は考えている。
数学的な線とかは20世紀の建築が装飾から解き放たれて、線の美、合理主義な建築美が現れてきた背景にある。
おもしろい見解だと思う。生物学と建築学はなんの接点もないかのように見えるが、実は建築学ももとは人体をモデルにしていたし、なんのおかしな点もないことが時代を読めばわかることである。
とまぁ話がそれたが、これで今回の書籍の紹介を終えたいと思う。
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