9日間もひきこもっていたせいか、外にまともに出るだけでテンションが上がりきってしまう。

というよりも、夏だからであろう。

出るときに気付いたのだが、去年旅行に行ったときとそっくりそのまんまの格好をしている。

ポロシャツ気味Tシャツ、ショートパンツ、サンダル、スポーツウォッチ、キャップ、サングラス、リブストロング、リュック……。冷静になってみればシンガポールで買ってそのまま実家に送ったジョルダーノのショートパンツと、わざわざ買ったはいいが出発間際に忘れたサンダルに限ってはそのときと違ったが、ご愛嬌である。


ひきこもりのために山病、いや、ここはひねりもなくあえて≪ひきこもり病≫とでもいっておこうか、それにかかり気味だったようにも思う。

それでもホンモノの≪ひきこもり病≫ではないようではあった(そもそも僕の性にはあまり合わない)。


夏だ! 夏だ!


暑苦しい格好をしているものを見ると、おまえらアホか、と思ってしまう。全く身勝手で、思われる人からすると甚だ迷惑のことである。それも、ついこの間まで春物ではなく秋物を着ていた僕が言うのだからもうどうしようもない。

色や素材など、暑苦しい格好をしているおなごを見るとその服を脱がしたくなる。いや、決して変な意味で言うつもりではないのだが、しかし言い訳はできない。

学校でニット帽など被っているものがいると、お前アホかと思ってしまう。今日暑苦しい格好をしているものは全員アホ認定してしまおうか、と思ったが、何とも身勝手で、おまけに心が狭いことこの上ない。しかし、だからこその僕である。


だいたひかるの「どうでもいいですよ~」ではないが、素面ではない。



それでも随分久しぶりに街に出たために、やはり≪ひきこもり病≫にかかっていたようである。見る女(ひと)見る女ものすごく可愛く見える。よっぽどのことがない限りは、カチューシャをしているかヴィトンのバッグを持ったもの以外は。

あれ、今日はもしかして満月なのだろうか、もしそうなら(一応それなりに)納得できるのだが、と思い帰りに見てみたが、多分そうではなかった。曇りまくっていたのでわかりにくかったが。


1ヶ月か2ヶ月か前に、東京でカチューシャが流行っているということを知り、それ以来テレビでも街でも何かと目に付くようになった。しかし残念なことに彼女らの中に可愛い子やきれいな子はいない。絶対にいないと言ってしまいたいぐらいである。

こう言うと誰もが、お前鏡見ろと言うだろうが、生憎僕は鏡が嫌いなのだ。

考えれば、いやそんなことをしないでも反射的にわかるだろうが、彼女らは「流行っているから」という絶対な理由でのみつけているのである。そんなこと、見ればわかる。

それをして可愛い子なら、流行っていようがいまいが可愛いわけである。


ああ、僕がキムタクか福山なら、と思う。

「カチューシャしている女はブスしかいない」と言ってしまえばそれでいいのである。

あるいはエビちゃんなら。毎日鏡を見てその度に自分で自分に惚れるであろう。現代版ナルシスである。これからは「ナルシスト」に取って代わって≪エビシスト≫と言う言葉が出回るであろう。


話が逸れた。


もしくはみのもんたなら、「カチューシャしていると健康なお子さんが産めなくなっちゃいますから、娘さんがカチューシャつけているお母さんは今すぐ~」と言えばいいし、太くても細木数子なら、うんちゃらかんちゃら言った後に「地獄に落ちるわよ!」と言ってしまい、江原か美輪さんなら適当にそれっぽいことを言い、どうにかしてカチューシャの流行をぶっ壊してやるのに。


まあ、そんなことをしたところで次なるカチューシャが出てくるのが早まるだけなのだろうが……。


全く、あんなものを流行らしたのは誰なのだ。やはり噂どおり、ルイス・ガルシアのせいなのだろうか(←ウソ。多分……)。

確かにウイイレではスーパーサブとして、ときには先発として、そしてロッベンを早くに休ませたいときには左サイドとして随分と活躍してもらったが、イケメンだからといって何でもかんでも許されると思ったら大間違いである。いや、ルイス・ガルシアに何の罪もなければとんだ冤罪であるのだが……。




しかしやはり僕は身勝手でかつ都合のいいおとこなのだろう。





30年ほど前のようにサブリナパンツが流行り、おまけにあのぺッタンコのバレエシューズを履いている女学生(この時点でなんとなく古めかしい)を見れば言うに決まっている。



「萌え! 萌え!」



やれやれ、である。しかし、何もすることがないし、何もする気がないので、しょうがないしょうがない。のいるこいるのいるこいる。僕は今なにもしていない。指を動かしているだけである。


人が多い日はひきこもりに限る。人が多い日にわざわざ出かけるのは素人である(なんの?)。

泊まりで遠出するのならまだしも、例えばGWに日帰りで近場に出かける一家がいたとすると、どうして普段の週末に行かないの? と思う。しょうがないしょうがない。


気が付けば5月。今日は6日だと思っていた(日付や曜日がわからなくなったらあぶない)。そしてオードリーの誕生日だと思っていた。もちろん、亡くなっていなければのことではあるが。しかし実際には4日だったらしい。今日、誕生日記念に『ローマの休日』でも観るか、と思ったが、めんどうなのでやめた。どうでもいいどうでもいい。それにしても、僕が人の誕生日、それも好きな人のそれを忘れるのは珍しい。初めてではなかろうか。

最近知ったのだが、「ローマン・ホリデイ」と書くとなんかダサいので「Roman holiday」は「鬼の居ぬ間に洗濯」のニュアンスがある諺らしい。なかなかシャレている。

それから、これも僕が大好きな映画である『カッコーの巣の上で』の「カッコー」(これはそんなにダサくない)は「精神病患者」の隠語で、「カッコーの巣」は「精神病院」の隠語らしい。これもなかなかにシャレているが、日本語にすると全くわからないし、タイトルだけならほのぼの映画である。実際僕は最初そう思っていた。

仮に邦題が「鬼の居ぬ間に洗濯」ならあんなにヒットしなかっただろう。しかし、そうでないとタイトルの良さが半減する。もはや何を言っているのか意味不明である。


冒頭でもあるが、5月になった。もうそろそろ、僕が去年旅行に発ってから1年が経つ。本来なら日が経つにつれ、いや、1秒ずつ生きるに従ってあの日々は遠ざかるはずなのだが、不思議なことに、僕の中では日に日にあの日々が近づいているのである。

5月27日だったか、去年の日本ダービーの日であった。次の日、セブンイレブンで新聞を立ち読みし(真似しちゃダメ)、ディープインパクトの2冠達成を知った。

きっと心のどこかで、5月27日になると香港に行ける、そう思っているじゃないかなセルジオ越後。


毎年、5月27日になると香港が近づき、その日を境にまた1日ずつ去っていくのだろうか――。


初めて香港の地を踏んだ瞬間、あの興奮を忘れない。6月の勝利の歌を忘れない。


ああ、初めての一人での海外旅行――。

この、地を踏んだ興奮――。


この感情はもう二度と味わえないのか、そうなるとなんかもったいない気がする。


そう思っていたが、1年経った今なら、またあの興奮を味わえそうな気がする(インドに行きたい)。




日記をろくに書かなかったせいで、今、少しずつその旅行をまとめている。もうすぐ香港に着くが、着けない。あの日々と一緒に色々なものがやってくるせいだ。





香港で出会った、ある女の子である。僕より少し年上だろうか、当時彼女はある場所で働いていたが、去年の8月にそこを退職し(このことはそのときに聞いていた)、今はIFCで働いている(これは少し後に、そう決まっていることを知った)。らしい。

IFCというのがわからないので調べてみた。


偉大である。当時・限りなく大学生に近いニート、現・限りなくニートに近い大学生の僕とはまさに月とスッポン鍋伊藤英明下ネタである。


ああ俺は経済大国ニッポンにいながら何をしているのだ、と思う。何をしているのだ、ではなく、何もしていないのである。生きているとも言い難い。そこにいるだけである。


そういえばあのとき、日本代表に初めて選出されて以来の加地さん並に英語が上達したし、使いたい表現を覚え、使った。相手が使って、僕が気に入った表現があればすぐに真似をした。真似をするとそのまま発音も覚えられる。また、間違えたらその分覚えた。ある種のスーパーサイヤ人である。

理由はいわずもがな。アレである、アレ。





(どんだけヒマやねん)





そういえば、大学の面白い先生が講義で少し話したせいもあるのか、久しぶりに『あいのり』を少し観たら、アレックが帰り、スイスに入った。スイスといえば、僕がイタリア、ベルギーの並んで行きたいところである。理由はアレである、アレ。つまり、オードリーである。

あれを観ると、あー俺もタイガータイガー恋しタイガー、とはならないが、タイガータイガー旅しタイガー、となる。

(旅を)したいから観るのか、観るから(旅を)したくなるのかはわからないが。




タイガータイガーじれっタイガー 




こんなところ二度と見るものかと思い、お気に入りから消したものの、来ている。

大体僕は、ここが好き、ここが嫌い、というようなことがなく、ただ単に、好きか、嫌いか、という人間だ。

さらに、不幸な性格で、ここはいいところ、ここは悪いところ、ということができない。

なので元来僕はネットが嫌いなのだ。

特に最近は『1億総作家』といわれているぐらい、だれでも自分のブログを持てる。そうして僕も書いている。

少し前は、パンピーでもテレビに出られるということで、『1億総タレント』だったらしい。

ちなみに、ベトナムは『1億総ツンデレ』だ。考えたのは僕。実際には人口はそんなに多くないし、当然半分は男なので、『4000万総ツンデレ』といったところなのだろうか。


「ネットは多くの人の意見が~」とか「リアルでは会うことのできない~」と言う人もいるだろうが、僕は嫌いだ。

大体がエゴとエゴのシー・ソー・キュートで、人の頭を半分に割ってそれを見ているような気がしてしまうからだ。

それに友達でも何でもない人間の「○○しま~す☆」だとかいうものを見てもどうしようもない。最近ではネット上のことで“トモダチ”という輩も少なくないらしい。よっぽど「トモダチ」が欲しいのだろうか。


僕がもし頭を半分に割られてそれを人に見られたら恥ずかしくて街を歩けないし、数少ない僕の友達もみんな去っていくだろうし、これからもう二度と友達ができないだろう、こんなことをする奴は低俗な奴しかいない、と思い、つまりだから僕は今こんなことをしている。


それに、何も変えられないし変わらない。





少し前に読んだ『麻雀放浪記』の(激闘編)で、


「××産業の、○○でございます――」

××産業の手前、自分の臭いを消そうと努めている。いつの間にか自分の名前よりも肩書きの方が大きくなっている。いつのまにかだ。そうして私は、臭いといわれて、屈辱を感じている。


とあった。


ああ俺の感じていた違和感はこれだったのかと思った。

この時代ですでにそうなのだから、今はもっとそうだろう。


職業がなんだとか、どこの大学かだとか、どこに住んでいるかだとか、なに人だとか、挙句にどんな車に乗っているかだとか、どんなブランドのものを持っているだとかなんやかやだ。


ああ俺もこんな風に生きたいなと思うが、どうせなれないだろう。

そうしてだからこそドサ健に憧れるのだろう。



「俺はもう上野(のがみ)の健じゃねえ。場所なんかどこだってかまわねえよ」



(森サブ――!)

(おっさん――!)

(哲よゥ――!)



ドサ健かっこいー!





なんやかんや言うてますが、部屋にネットがまともに繋がるようになったということもあり、HDチェックしながら更新と。

やれやれここに全く来ない日はいつになるのやら……。そもそも来るのだろうかやれやれ。



最近は観る映画がピーゴロや今岡最悪ー! 満塁でゲッツー! かいいとこポテンヒットや内野安打続きだったので、お口直しに借りてきたのが『麗しのサブリナ』。中日岩瀬以上の鉄板中の鉄板。僕はギャンブラーではないので、こうなるとオードリーに。


できれば『マイ・フェア・レディ』か『パリの恋人』を借りたかったのだが、貸し出し中。

OBである社長のよしみか学校の目の前に比較的安く借りられるTSUTAYAがあるのだが、ここで借りるヤングはみんながみんな同窓だろう、と勝手もいいところで思っていて、そんなときにオードリー主演作が借りられていると、残念な反面なんか嬉しい(笑)。おほ、観てくれてるやん♪って。



これ何?(笑) 恋?(笑) 恋?(笑)  ←なんとなく矢部が言いそう。



昨日、ちょうど11時にテレビ欄を見たら、『鈴木杏京都デート』とあったので、『ハニカミ』を観た。ちょうど新幹線で京都に着いたところで、1坊のときに『正直しんどい』で菅野美穂が京都に来てその後近鉄電車で奈良(堂本剛の地元)に行くときのことを思い出した。

「く……。このとき京都駅にいれば……」と思ったものだ。たしか4月のO・Aだったのでロケは3月だったとすると、そのとき僕はちょうど京都にいた。



さて、鈴木杏の相手だが、香港の俳優で鈴木杏と顔見知りらしかった。なぜに? と思ったが、『イニシャルD』で競演したらしい。

「そういえば、聞いたことがある(テリーマン)」

香港の映画館でその映画の看板があり、しかも映画の予告編でも出てきた。



肝心のデート。5分ぐらいしてMCの久本・中島が出たところで観るのをやめた。




日本の女の子

香港の男

日本でデート



これの逆が、



香港の女の子

日本の男

香港でデート




く……。したかったぞ……。

当時はまだディズニーランドはなかったが香港島に遊園地があるらしかった。中国に行っても近くに大都市はないし、他にはマカオに行くぐらいしかなさそうだから、冷静に考えてみれ地元のヤングなら何回も行ったことあるだろうし、飽きていた可能性は高かったが。

桜井亜美よろしく。


そんなことを思い出した。

僕にしては珍しく、一応メールは残してはいるが、とても見返せない。やれやれ。



あれからもうすぐ1年。

月日が流れるのは早い。



ま、これでいいのだ ←強がり


なんだっていいのだ。

なんだっていいし、なんだってよくない。




せっかく卒業するまで時間があるので、2年半の間、キチガイのように小説を読んだり映画を観たい。僕は理想が高かったりジャンルの好き嫌いが激しいのか、どちらも100ずつ読んで、観れば十分かな、とも思っているが、まあ分からん。何でもそうなのだが、結局どれだけ読んでも観ても満たされないだろうから、少々多くても意味がないとは思う。説明はめんどい。よって、きっとこれではわけわかめ。違うことに関してだけど、ことわざでもあったじゃないかな(←ことわざ好き)。


少し前から自分の部屋にネットがつながりにくくなっているので、かなり不便。週末にPC使うときはサッカー観たいのに。



これでもか! というほど本を読むか映画を読んでいる人と出会ってみたいが、きっと会えない。時間があるときにするという人ではなく、もう、それしかしないような人だ。そんな人は大学にほとんどいないだろうし、いたとしても幾らか確率が高いのはうちなら文学部と思うのだが、いずれにしろ、ほとんどいない。


当たり前だが、こういう人は映画サークルなどには入っていない。


芸能人なら太田と品川。2人とも友達はいない。品川も結婚したらしいから(よく知らないが)、2人とも嫁さなんはいる。他には思い当たらないが、もしかすると劇団ひとりも多少はそうかもしれない。川島(劇団ひとり)と品川はネクラなところが一緒。お笑いには意外と多い。岡村、今田。川島と品川はB型じゃないかな? B型はこの種の人間が多い。今田はたしかB。


僕が好きな何人かの作家にもいる。



一つだけ、多少は出会える確率が上がる方法がある。自分がそうなればいい。たしか、ことわざにもあったじゃないかな。「志の高い人間には志の高い人間が集まる」みたいな意味のが。と、思ったのだが、僕がことわざを「あ」から順に全て見ていって、気に入ったものをノートに書き(これだけで400以上)、特に気に入ったものには◎や☆や○の印をつけていて、前にそれを読み返したのだが、なかった。長い日本語の文章は特に難しい。



だいたい、こんなことをしている時点で、もうダメだ。本当に時間が必要な人はブログなどしない。趣味もない。いかに更新の間が空いたか、あるいは端からしないかが、バロメーター。

「最近、時間がない」とか「充実している」と書いている人は、ウソだ。そうじゃないけど、そうなりたいから書いている。「最悪」と言うことができるのなら、それは「最悪」ではないのと同じ。


忘れていたが、マンガでもいい。僕もマンガが好きだから。




とは思ったが、僕は遊ぶのも大好きなので(一人でも二人以上でも)、きっとそうはいかないし、元々あることを除くとほとんどのことは広く浅くが性に合っているので、やっぱりそういう人たちには出会えないだろう。別にいい。出会えてもいいし、出会えなくてもいい。




あー、ミニーマウスとデートしたい。←危ないヤツ






チャリンコまじ快適。


最近のマイブームであり流行語は専ら「アドレナリン」。

昨日はわけありで学校の行く前に出まくっていたということもあってか、講義中はそこまでではなかったが、

またもやスマッシュヒットだ。


商業経営論は5限ということもあり、やたらと登録者数が多く、何よりもとんでもなくやかましかった。今までもあまり使ったことのある言葉ではないが、今まで「やかましい」と使っていたのは本当はやかましくなかったのではないか? というぐらいだ。今までの「やかましい」を表す新しい言葉を作るか、またはこの「やかましい」を表す新しい言葉を作る必要がある。教室の形もあり、必修の『経済原論』(二村よさらば)を思い出した。

おいおいおまえら、ここは今出だよ? やはり徐々に1坊をこっちに連れてくるのが問題。大学としては早く都市に帰って来たいのだろうが(遅えよ)。とはいうものの、ほとんどは商学部の3坊なのだろうが、とんでもなくやかましい。始まる前は仕方ないとも思ったが、始まってからもそんなんだ。やれやれ。結局は先生がだまらしたが、これからどうやら。


5限だと当然4限が終わる頃には学校に着くことになり、あの、講義終了後のキャンパスが嫌。うるさいし、あほばっかやし……。ほんの一つだけ触れておくと、学内のほとんどは喫煙場所なのに、ガンガン吸ったり挙句の果てには歩きタバコをする輩がうじゅじゃいるぐらいだ。きっと高校時代に覚えても何も意味がない英単語や事実とは異なる世界史や日本史を受験のためだけにとにかくひたすらに頭に詰め込んだせいで、どたまがいかれてしまったのだろう。中には顔だけはすっかりくたびれたサラリーマンと変わらない、スーツを着た者もいる。死ぬまでそこで吸っておけ。

すれ違う者は多少我慢するが、僕が座っている横や前で吸い始めたらどうなるか。覚悟しておけ、くそ野朗!



内容も面白そうなのだが、何よりも先生が面白い。終わってからは話すことなかったが、少し話しただけでもおもしろす。


(いつもそうだが、途中で文を付け加えるとすごく不自然)



英語も中々おもしろす。教科書買うまで自分でもすっかり忘れていたが、海外旅行で使う英語。かなり実践的。なはずなのだが、結局は教科書英語。あの習う表現を聞く・話すときはあるのだろうか? やれやれ。

イメージとして、高圧的で傲慢な偉そうなおっさんかと勝手に思っていたが、1坊のときの先生に似て腰の低いおっちゃん先生でナイス。大学の英語の先生はそういう人間が多い感じがしていたが、冷静に考えてみればそうでもない。今までの4人中3人はかなりゆるい先生だった。1人はモロにそうだったが。典型的「イキってる」おばさん。たしか松田という名だった(出していいのかよw)。

しかし、2人当たったスペ語のおっさんはまさに、これ。イキってる、イキってる。名前は忘れた。せっかく大学入ったらスペ語しようと工房のときから決めていたが、絶対に取らないと決めた。もちろん、落としたのはこのおっさん共のせいにはしていない。僕が嫌いなだけだ。



我ながら書いていておもしろくないことばかり書いてしまった。やれやれ。


帰り、外に出るといきなり朝原宣治がいて、ビックリした。そういえば、ついこの間、大阪世界陸上に出るために現役続行を決め、近くにある大阪GPか何かの大会に出場し、母校の大学院に進んだとどこかで見たばかりだった。2年前、学内での講演会を聞いたこともあるし。声を掛けようかと思ったが、結局できず(もはや文章めちゃくちゃ)。

わかってもらえると思うが、こういうときは「声掛けよう、声掛けよう」と思うと、もう無理。思ったときには声を発していないといけない。それがフットボールアワーの岩尾であれ、街ですれ違ったとんでもない美人(後に『あいのり』の『ソルト』だとわかる)であれ。

(ちょw おれ、何口走ってんのw)ってなぐあいに。



この時期に大学周辺に現れる、≪駐禁ホイホイ≫てらこわす。引っかかるゴキブリもゴキブリだが。





人を殺した。


夢を見た。正直、焦った。

今日かどうか知らないが、講義を途中で抜け出し、2,3日逃亡した挙句、御用。おまわりに連れて行かれながら、「やべえ、出席足りねえw 今期無理ならマジ辞めるしかねえw」と思ったが、その前にそもそも退学だろ。「やべえ、ニュース出る」とも思った。

どうせなら自分が死ぬ夢を見ればいいのに。自分が死ぬ夢は縁起がいいらしい。




1坊のとき、夜の授業(もう飽きた)を取っていた人が「夜はやっぱ社会人が多いのさ」と言っていたが、どう見てもスーツ着た4坊なのだが。関係ないけど、これは群馬弁なのか? たしか群馬県人だったような……。女の子は平均的関東弁だったが(当時は特に萌えた)。

そして意外と大きな教室だから正直、びっくらこいた。高校の教室ぐらいの大きさだと思っていたが、その一回りか二回り大きな教室や、200人は余裕で入れる中教室だった。


僕の夜の授業(クドイ)のイメージとしては、せいぜい20~30人のほとんどは社会人で、徐々に話すようになり、それが広がっていくと。

授業が終わって、


僕「○■さん、これからどうですか? これ(麻雀を表す手)」

○■さん「おっ、いいねー。どこで? そこの雀荘?」

僕「いや、★さん宅です。あと◇●さんも来ます」

○■さん「家どこ?」

僕「すぐそこらしいです」

○■「おっけー。ルールは?」

僕「やっぱ“ナシナシ”っしょ」

★さん「いや、“アリアリ”やろ」

◇●「後で決めたらええやん」

★さん「そやな」

僕「そうっすね」



とまあ、こんな感じだ。

うーん……ある意味では1坊のときとなんら変わっていない。




あるいは帰りの途中、


―――――――――――――――――――――――――――


(お、うまそう♪ 焼き鳥食ってこ♪)

「砂肝10本」



茂一「でーい! やっぱ焼き鳥ではもの足りんか! よし! 鉄板焼きだ!」


「もんじゃ2つ」



茂一「ぬー! こーなったら焼肉! 焼肉だ!」


「生中とユッケとキムチの盛り合わせ。それが前菜で肉はね……。

豚トロと地鶏とカルビとタン塩を2つずつ」


「あ、あとデザートにシャーベット2つね、お姉ちゃん」




―――――――――――――――――――――――――――


そ、それがなんだこのザマは……

焼肉どころか焼き鳥、さらにはミニストップにすら寄れないなんて……




うーん、なんか混ざったぞ。



ま、メシなんざ気の向くままに行けばいいし問題ないのだが(お金さえあればorz)、麻雀には飢えているかも。これも一人で雀荘に行けば問題ないのだが(行ったことねーw)、どうもショバ代を取られるのが気に食わない。友達がいないので仕方ないのだが……。


大学生は第二外語で一生使いもしない「ズドゥラーストゥヴィチェ」とか「オ・ルヴォワール」とか「グーテン・ターク」とか「晩安」とか覚えるぐらいなら先に麻雀を覚えるべきだ。別に僕が友達がいなくて麻雀すら打てないから言っているわけではない。麻雀そのものが良いというわけだわさ。

だいたい、よっぽど勉強した人以外、仮に旅行に行こうが絶対に話せない。挨拶程度なら問題ないだろうが、下手をするとそれすらも話せない。というよりも、話さない。つまり、「能力がない」というわけではなく、「能力があるのに、ビビるから」という意味だ。



ま、いいではないか(by二宮亜美)。



しかし、学校、というよりも講義がとんでもなく面白い。このまま突っ走ればヤバイのではないか? というぐらいだ。

ま、がんばっていきまーっしょい


じゃなかった、焦らず気張らず。じゃない、怠けず気張らず。




岡部がシンボリルドルフに対して「一流馬は絶好調である必要はない。普通の調子で勝てるから、普通でいい」と言っていたらしいとかなんとか。僕は一流とは真逆にいるが(そもそも馬でもない)。


今、落合もこんなこと言ってたような気がするのを思い出した。選手時代か監督になってからかは忘れたが。


ま、いいではないか二宮亜美。








昨日、学校に着いたら、途端に『リアル』の高橋の気分になった。すぐになんとも思わなくなったが。

今までも何度か陥ったことがあったので、3巻を読みながら「わかるわかる」と思ったことを覚えている。ちなみに、2巻のときには清春に感情移入をしていたが、普段は専ら野宮、ときにはミッチー。そして屋上のあずみ萌え。


1年のとき、入学してから2日経った日。履修を決めるべく、ベンチに座って一人、要項を読んでいた。女の人が自信なさ気に「1回生……?」と訊いてきた。サークルの勧誘かな? とも思ったが、それにしては自信がなさ過ぎる。その前に、僕も彼女が1回生だと思っていたのだ。


その少し前、履修相談の教室で彼女を見かけた。特に奇抜なファッションをしているわけでもないし、とんでもない美人というわけでもない、スーちゃんがなりたかった、ふつうの女の子だった。小柄で「まるい」という印象の。

「1回やけど……、自分は?」

「1回……みたいなもん」

? 僕が言葉の意味を上手く汲み取れないでいると、彼女が言った。

「2回やねんけど、ほとんど単位取れてないから」

なるほど。「座ったら?」


彼女も履修相談の教室で見かけた僕のことを覚えており、確実に1回だと言うことで声を掛けたらしい。それから僕の仮の時間割を見、「あ、いっしょ☆」 「あ、これも一緒☆」と、嬉しそうに声を上げていた。


後にも先にも、どうして彼女が去年一年間全く学校に来なかったのかは聞かなかった。その後、公立高校が甲子園でノーアウト一塁のランナーを確実に送りバントで進めるように、お約束のサークルの話になった。

「やる気ない系サークルに入らへん?」と彼女が言った。僕はそんなものに用はなかったので、断った。とにかく、友達がいないことを恐れているようだった。


その後はあまりよく覚えていないが、キャンパスを歩き、彼女が希望するようなサークルを見つけては「あそこは?」と訊いていた(と思う)。彼女はその度に「あ、でも少し知ってる人いるから……」と二の足を踏んだ。

そのときもほんの少しは彼女の気持ちがわかる気がしていたが、後に僕は、もっと彼女の気持ちがわからなくもない、となる(日本語むずかすぃー)。


その後はもう覚えていない。多分、適当にはなして適当に別れたと思う。



約1ヵ月後だったか、僕がクラブの連中とマネージャーを勧誘していたとき、食堂で出会ったら、2人の女の子と一緒にいた。未だ少しは不安もある風だったが、少しは気が楽になったのではないか、と思った。







それっきり彼女とは会っていないし、今会うとさすがに僕でも気づかないと思う。シューカツ仕様になっているだろうから、友達でなければ、カトゥーンのメンバーや『スペイン語会話』(まだ観てないけどw)の女の子を区別するくらいに難しいことだ。







一年後、まさに自分がそうなっていようとは、そのときは思いもしなかった。そして二年後、三年後も……。




俺達の代でバスケットをしていて武石中の三井寿を知らない奴はいなかったよ……

それが こんなになるなんて……



あのときは想像もしなかったよ……

自分がこんなになるなんて……


(1回目)



――あんときは、あんときは思いもしなかった

     その7番は俺ので

      お前らは俺の仲間で


   俺もそこで走っているはずだったんだ――



――誰よりも速く



(2回目)


今気づいたら、文字サイズが簡単に変えられるようになった臭い。


昼に出かける前、「行きたくねー、行きたくねー」と思い、どうせ今日、ろくに内容進まへんにゃろなー、と理由を付け、行くのを本気で止めかけたが、さすがにそうするとこれから先がマズイ、ということで何とか行ってきた。


講義が始まるまで、なんやかや思ったが、それはめんどうくさいので端折るとし、久しぶりの講義。


最初は工業簿記だったが、もう、ヤバス。アドレナリン出まくり。初めということもあり、内容そのものは大したことはないが、そこから派生する話が激おもしろ。原価計算だとか、コスト削減だとか、他にも何やかや、久しぶりに聞き、考えた。

1年のときにしていたバイトでは、働きながらやたらと原価のことを考えていたことを思い出した。瞳孔開きまくりなのが自分でも分かってしまった。フクちゃんの如く、もしかすると勉強に飢えていたのかもしれない。いや、それは絶対にウソだ。それならニート以上にニートしていたときに(まだ抜け出していない)しているはずだから。ま、いいではないか。


その後の財務諸表論でも思ったのだが、大学はいい加減、教室で写メールを撮るのを認めてもいいのではないだろうか? ほとんどみんな、黒板をそのまんま写しているようなのだから、そっちの方がシャー芯もノートも時間も労力も使わなくて済むのに。経済的で合理的。



しかし、時間が中途。帰ってメシ食うなら酒ねえとやってらんねえ! べらんべえ! 

シムソンズよろしく、酒飲みてー。寿司食いてー。




きっと毎週月曜は中々寝付けない。

あの先生の講義、もう一つ取っていたような……。簿記Ⅲだったかな? コウボ以上に初歩だが……、ま、出席も取るし……。



(タイトル通りに進むかも)



もう4月も10日。早い。

昨日の昼、えげつないぐらいの憂鬱に襲われた。気持ち悪くなるぐらいだった。

少しはマシになっただろうか。そろそろ桜も散ってくるだろうし、それに連れてだんだんマシになってくるだろうか。というよりも、ならないと困る(笑)。


昔は春は苦手ではなかった。高3のとき、初めて少しキツかったが、これは他のことも絡んでのことだろう。1坊のときもそうだったが、今年含めて特にこの3年はヒドイ。


春は陽気になるというのはウソで、憂鬱になり、想像力も思考力も働かなくなる、ということを言っている人が何人かいるのを本で読んだ。めんどうくさいので理由は書かないが(おい)。



正直、たまに若人あきらのようになりたいと思ってしまうことがある(笑)。まじで(笑)。だが、そうなるとそれはそれで不都合が生じる。

卒業したら行きたいところがある。それを忘れたら困る(笑)。まあ、何か紙にでも書いておけばいいのかもしれないが、そこで人と会ったときに覚えていないと意味がない。

(うはw 相当病んでるw)


それまでにお金は貯めないといけないし、言葉もできるだけ話せないといけないし、他にも知恵やら知識やら何やらかんやら持って行かないといけないし、2年半という時間は決して短い時間じゃないはずなのだが……。年は食ってしまうが(苦笑)。



書くことない、終わっておこう。