(307)大肛昔話(病床数の変遷) | 大阪肛門科診療所 院長 佐々木いわおブログ──『過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君』

大阪肛門科診療所 院長 佐々木いわおブログ──『過ぎたるは及ばざるにしかずだよ、佐々木君』

「切りすぎた肛門は元には戻せないんだよ・・」故隅越幸男先生の言葉をいつも心の真ん中に置いて「切りすぎない手術」「切らない肛門診療」を追求する肛門科専門医が、手術のこと、治療のこと、日常のことを、綴ります。


今日ナースとの雑談していて
当院の昔話?をしていたんですが
病床数の変遷をちょっと書いてみます。

私が当院に赴任した平成10年ごろ
名称は大阪肛門病院でした。
ベッド数は48床。
え?!・・48って?
そう、当時は48人も入院できたんです!!
病室にはところ狭しとベッドが並んでました。
でも入院患者さんはパラパラ、くらいの(笑)
人口密度の低い病院。
法律の関係で
邪魔でもベッドは移動できませんし、
そんな数のベッドを保管できる場所もありません。
入院患者さんがいなくても所定の場所に
ベッドを置いておかねばならないんです。
そんなベッドは入院している患者さんが
荷物を置いていました。
・・ま、いいかって感じでした(笑)。

赴任当時は

私の前任者が急病で倒れたりして、
患者さんが激減していた時期でした。
その後徐々に患者さんの数は回復して、
最終的に毎月40件くらいは
手術していたように思います。
看護師さんも毎晩当直していて、
毎日、何曜日でも手術ができる体制でした。

しかし、48というベッド数は
当院にはいかにも多すぎるんですよ。
数年間悩んだ挙げ句、
ベッド数を25床まで減らす申請をしました。
なんで数年も悩んだのかというと、
大阪は病床過剰地域と言って
つまり病院のベッドが余っている地域なんです。
だから
個人の病院が新たに病床を増やしたいと申請しても
普通は許可が出ないんです。
だから一旦減らしたが最後、
またほしいと言っても、
もう許可が出ないんです。

「オレ・・後悔しないよな?
うん、しない。
後悔しないぞ!」
と決心して、病床を減らしました。

さて、赴任当時から、
「専門家のプライドにかけて
不必要な手術はしない」という
ポリシーを貫いていましたが、
その後、
直腸性便秘という考え方に出会い
さらに手術件数が減ってきます。
とうとう、
「手術日は1ヶ月のうち2〜3日だけに
かためて手術する」ことにしました。
最初は木金土の3日間が手術日でした。
そのうち、金・土の2日になり、
さらに金曜の1日だけになりました。
これは現在まで続いています。

平成19年、
こんどは病院から有床診療所に組織変更し
ベッドは19床になりました。
病院と有床診療所の違いは、
ベッドの数です。
20床以上は病院、
19床以下だと有床診療所です。
これもやはり大分悩んだ末の結論でした。
今度はベッド数だけではなく、
名称も変わります。
父祖伝来の名称との永遠のサヨナラ。
何度も自問自答して決心しました。

結果、良かったと思っています。
今では病院だったことを知っている
患者さんの方が少ないくらいです。
唯一変更して困ったコトは、
名称が長いこと(笑)。
「大阪肛門病院」と「大阪肛門科診療所」。
ちょっとした違いに見えるかも知れませんが、
手書きするのは大変だ、と(笑)。

まあ、それもすぐに慣れましたが。

いえ、みのり先生はしばらくの間
ぶうぶう言ってましたかねえ(笑)

ちょっと昔話でした(笑)

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