秋子さんのブログに影響されまくっている。

 

カウブランドのシャンプーを始めて2、3週間になる。

 

 

もうずっと洗剤類に反応して主婦湿疹がでる体質で、

とくに夏場は手が湿疹だらけになり

自己治癒力が弱いこともあって

それがもう嫌でいやで

 

ずっとゴム手袋をして食器洗いをし

なるべく手を洗わないようにし(ハンドソープなどはさらにめったに使わず

髪の毛を洗う時もポリ手袋をしたりしていた。

 

そうやって泡に触らないようにしていても、やっぱり湿疹がでる。

 

ゴム手袋もポリ手袋も邪魔臭く

作業を妨害してくるし

肌触りが悪い。

ポリ手袋などは、ちくちくしてくる。

 

洗濯もいや、

手を洗うのも

食器を洗うのも

風呂に入るのも憂鬱だった。

水が嫌になっていた。

 

 

 

 

カウブランドシャンプーにしてからは素手で髪を洗っても悪化しない。

小さい湿疹がパラッ・・・と出ることもまだ多いけれど、

悪化しない。

 

洗濯も、洗剤を絶対規定量入れなければいけない呪いが解け、

自分の洗濯は

クエン酸を入れたり、

優しい洗剤を半分くらいにしたりしている。

 

以前は十分すすいでいても、

洗剤のにおいに反応して湿疹が出てるんじゃないかと疑っていて、

洗濯ものを干すのがいやだった。

(泡のものに触らないようにしているのに、なぜか出るから・・・)

だから洗うのも憂鬱だった。

自然と、着たものを溜めてからまとめて洗っていた。

 

いまは、さっと洗ってさっと干す。

洗浄力の強い洗剤を使う洗濯が、どれだけプレッシャーだったのか思い知った。

 

 

食器を少なく使って

手と水とたわしだけで洗う。

 

亀の子たわしの硬さで汚れや油をそぎ落とすイメージで洗うと、

良くとれている。

素手で、洗い上がりを撫でて気持ちよさを確認、堪能する。

 

 

家族との食事は相変わらず食器も多く

油物の皿を重ねたりするので

そういう時食器洗い担当になると

ゴム手袋+洗剤が欠かせないのだが

キーーーっとする。

 

 

 

 

最近の私には、私なりの家事の方向性が見えてきた。

一人暮らしをしたり、

誰かと暮らしたり、

そんなふうに

 

私が家事の音頭を取れる立場になってみたいと

時々思うようになってきた。

 

 

 

 

追記

食器磨きに素手で重曹を使うようになってから

なんだか皮膚が、さらに少し強くなったような気がする。

嬉しいことだ。

ずっと心の中でいろんなことにいらいらして噛みついて回って

 

過去の出来事を思い返しては

私が正しい!!

と正当化したくて

 

でもどこかでそう思えないから割り切れない私がいて、

同じ事ぐるぐる考えて嫌な気持ちになって

 

他人に噛みつきたいのか

自分に噛みついているのか

 

判らなくなってへとへとなのに

心の中は戦争モードで疲れていた。

 

 

 

海の波の映像を見たり

イライラしているってことは疲れていたり落ち込んでるんだと思って労ってみたり

 

相手をむちゃくちゃ嫌いになるってことは、

いいたかったしたかったことを我慢してきた=相手を思いやってきた

ってことだから、もともとはものすごく「好き」「大事にしたい」があるんだなぁと気づいてみたり

 

 

そうこうしてきたら

 

ものすご~くさみしい

 

ものすご~く悲しい

 

 

気持ちが出てきて

 

 

 

でもなんだか

そのことにほっとしている。

 

 

言葉もないくらいのさみしさは、

こうやって素で向き合うと

重たくて、

温かくて、

ここにいていいって感じ。

 

 

 

この寂しさを見たくなくて

この悲しさを見たくなくて

 

大きな声で怒り続けていたら

ゴリ押しできる気がして

心の中で怒り狂っていたんだなぁ。

 

でも現実では笑顔で過ごそう、

みんなとなかよくやろうだなんてやっていた。

 

でも、みんながそう思ってるなんてこともなく

「なんでこんなに歩み寄ってるのに!」

「なんでひどいこというの?」

「なんでわかってくれないの?!」って悔しくて悲しくて

そんなこと思う自分が嫌でまた否定して・・・

 

 

 

 

 

 

 

あーーーーーー

疲れた。

 

 

もうやだ。

 

 

というわけで

 

この寂しさ、悲しさを

大切にたいせつに

寄り添っていこうと思います。

あーーーーー

いかに今まで

やらなきゃいけないと

無意識にたくさんのことを

自分に課していたか

 

秋子さんのブログを読んで

ひしひしと感じています。

 

 

まだまだ、削れるぞ。

 

 

 

なんだか、めんどくさくてもやもやするときは

to do list を作るといいんだけど

 

さらには

NOT to do listを作るといいのかもしれない。

 

 

 

 

 

今、家族がしばらく留守にしているので、

家のことを自分流にできる。

 

 

共通スペースに出しっぱなしのものを

家族の部屋に押し込めて(笑

 

目に入るものを極力少なくしたら

あーーー、

気持ちいいようっ。

 

 

 

炎天下の中買い物に行きたくないわ、

食べ物が足りなかったらどうしましょう、なんて

考えていたけれど

 

ところがどっこい

もう半月くらい帰ってきていただかなくて結構です!って

くらい、食料がある。

 

 

炊事を楽にしようと

フライパンに並々トマト煮込みを作ったら、

2日くらいで終わると思ったのに

4日はもちそうな勢い。

 

え、こんなに楽していいのか!と

私でも生きていける気がする!と爽快な自信が湧いてきています。

 

やらなきゃいけないことをいっぱいいっぱいにして

自分をいっぱいいっぱいにしてきて

 

自分を見下して他人も恨んで

意地悪な自分に泣いてばかりだったけど

 

 

もうね、

少なくていいんだ!

なにもかも、

頭の中のものから

行動から

お金や物質から

好きなものも

プレッシャーを感じるものも

 

少なくていい。

抱え込まなくていい。

 

 

 

物も行動も思考も、なにもかも

減らし方はまだ未熟ではありますが

それもまた、「味だ!」などと不敵に笑っています。

 

 

 

今日は寝不足というか

眠りを細切れに取ったため

なんだか変に気が高ぶっています。

 

落ち着きたい。

水曜日にヤなことを言われて、ずっと引きずっている。

今日もその人と居合わせて、

笑顔一つ作ってやるもんか!と心の中で息巻いていた。

 

心の中がすぐに態度に出るというか

態度に出してやる!せいぜい傷つけよ!

という気持ちになる。

そうなるとますます、自分を許せなくなっていって、孤独が増していくのだが・・・。

 

しかも、チキンすぎるのかなんなのか、相手に伝わってないこと多し。

 

 

 

 

 

結局さ、非難されたり批判されたりするような

不完全な自分を嫌ってるんだよな。

許せないのは、そういう自分なんだ。

 

みんながみんな、「大丈夫だよ」「すごくよくやれてるよ」

「103号さん、最高ですね」って言ってくれる状況で、はじめて安心できる。

そういう、脆い、なんの自信もない、虚栄心に満ちた自分がいる。

 

そうやって判ってるつもりでも、

「でもやっぱこいつにだけはもう二度と親切にもしないし笑いかけもしない」

って、憎しみを抱いているわけです。

 

そんな自分を抑え込むと吐き気がしてくるので、

耐えられないくらい辛いので、

態度に出すことだけでも許しているような、そういう状態なんだ・・・。

 

 

うむ。

自分で書いておきながら

救いようがない気がしてきた。

色んな人が、きっと私を「卑怯者!」とか「最低ですね」とか言うだろうな。

 

そう考えて、やっぱり自分を責めている。

 

 

 

 

んだけど今日書きたかったことは

 

 

嫌味とか批判とか非難とかいう、

「103号が完全ではない」と指摘するものを

言われないようにしてる間は

 

自分の望むようには生きられない

 

ということなんだ。

 

 

いい人のふりを続けている間に

被害者意識、利用されてる感、誰もかれもが敵、

そういうものが自分の中で溢れかえってしまった。

 

 

だから卑怯者!とか自分だけ被害者ぶって、うざい!とか、

かつての私が怒り狂いそうなことも、

やっていこうと思うし

それでいいと何度も思い直していこうと思う。

秋子さんのブログを読んでいて、

最近欲しいものがないことに気がついた。

 

 

というより、普段ほしいものを作ろうとしていることに気がついた。

 

カタログが届いて、

でも大して欲しいとときめくものがない。

なんだかがっかりする。

もう一度、見直して、これなら欲しいんじゃないかな、って考え直してみる。

金額と検討する。

なんだか疲れてくる。

だってホントは欲しくない。

なかったら不便かな、困るかな、って考えてる。

楽しくない。

もういいや、って敗北した気分になる。

 

あるいは、お店に入って、

趣味や必要にぴったりくるものがない。

でも「何か」欲しくて、

あるいはなんとなしの必要を満たすために妥協する。

 

妥協して、欲しいものを作り、

財布や将来性と相談して買ったり買わなかったりする。

 

 

 

秋子さんのブログを読んで、

買わない自由を手に入れた。

すがすがしい。

 

な~んだ、ほしがんなくてもいいんだ!

子供の頃に散々はしゃげた100円均一、

学生の頃に歯噛みするほど買いたかったおしゃれな服、小物、

あるいは必要な時になくて泣くほど困ったスキンケアや薬用関係。

 

かつて、きらめいた気持ち、情熱的なまでに欲しかった気持ちに囚われて

 

今、実は冷めた目で見てる自分を「つまんなくなっちゃう」って焦ってたような。

 

 

 

 

 

こんな風に

いつまでミニマリストに影響をされていくかはわからない。

今、ときめいていても、気持ちは移ろう。

 

何か素敵な生き方を貫きたくなる気分があっても、

私はあれこれ試してみる楽しさを知っている。

困難と、楽しさと、喜びを。

 

でも、せっかくだから

今は「最小限にする」喜びを存分に、味わってしまおうと思う。

 

 

 

 

 

 

それから、日々の悩みにはどこまでも「許し」しかないのだなと感じた。

 

自分を責めないと、変われない気がするけど、

自分を責めててもちっとも変われない。

未熟でダメで嫌な自分のまま。

 

受け入れたくない自分を受け入れなくて目をそらしても、

消えてくれない。

むしろコントロールできなくて振り回されるだけ・・・

どれだけ見たくなくても、

いっそ、抱きしめてしまった方がいい。

 

だからもう、許すしかないのだと思う。

 

自分を責めるスキルがレベルマックスで自動発動なんだ。

だから、やめらんないんだ。

それはもう、しょうがない。

 

ただ、そこも「最小限」でいこう。

うまくできない自分も、「許し」ていこう。

 

それしかないな、って思った。

 

 

 

庭でカサブランカが咲いている。

夜、二階の窓を開けて風を入れていると、時折濃密な香りが漂ってくる。

今だけの、静かでゴージャスな喜び。

 

 

 

いつかはなくなってしまうと思う寂しさ、

いつまでもあってほしいと思う叶わない願望、

そんな気持ちを抱くのが、

子供の頃よりうんと早くなった。

 

 

でも実際にいつまでもあったら、

それはそれでうっとおしく

「いつなくなるのかな、今日かな、明日かな」などと薄情に思ったりする。

 

そういう自分を、もてあまして眉をひそめている。

そういうのを、ただフラットに見られたらいいのに。

 

反駁に反駁を重ねる自分を、許すこと。