「挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信と感動」をもたらす「新しい社会的価値」を創造する。株式会社ドリームビジョン

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2016-05-20 00:03:02

僕はベンチャー支援はしていない!

テーマ:人生はすべて必然。
昨日の午後1時、とある外国人とのMTGのため、有楽町にある「日本外国特派員協会(FCCJ)」に初めて行った。様々な著名人の記者会見が行われた場所で、壁には所狭しと要人の方々の写真が飾られている。

そういえば、ケンコーコムの後藤さんが、インターネットでの市販薬の販売に関する規制に関して反論する記者会見を行ったのも、日本外国特派員協会だったと思う。

ところで、日比谷線で有楽町から恵比寿に戻り、地上に出たところ、黒いスーツに白いブラウス、ピンで止めたひっつめ髪の就職活動と思しき女子学生数人と遭遇した。

個性も何も感じられない格好を何故、するのだろう?訪問先の会社が、そういう格好を求めるのだろうか?まあ、そういうことなのだろう。

そういう僕は、カジュアルなシャツに、カジュアルな薄いジャケット、白いGパンにスニーカー。髪の毛は茶髪だ・・・。

50歳過ぎのオジサンがそういう格好をしているのに、どうして、20歳そこそこの若い女性が、判で押したような決まり切った格好をしなければならないのだろう?どう考えてもオカシイよね?

個性を尊重する価値観も自由も感じられない。僕だったら、そんな会社には就職したくない。

ところで、僕は「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じる。というか、その表現が嫌いである。

3~4ヶ月前だったと思うが、日本ベンチャーキャピタル協会主催の会合に初めて参加した際に、「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じるという持論を吠えた。

僕のことを「ベンチャー支援を熱心にやっていますね」という人が多いが、僕はそう言われるのは不愉快だ。

「ベンチャー支援」と言っている人達(会社)は、実は「自分たちのため」にやっている。

何故なら、新規事業を開発するために、自社内だけでは埒が明かず、ベンチャーの人達に投資したり、事業提携したりしているわけで、最近流行りの言葉で言えば、オープンイノベーションを推進しているということだ。

本当に「支援」したいなら、手弁当でやればいい。自分たちのしていることを誤解してはいけない。

では、僕がやっていることは何で、何のためにそれらをやっているのか?

僕は起業家やベンチャー企業が好きだし、僕自身、28歳の時から起業家として生きていた。

2011年3月からは、若い起業家や創業間もないベンチャー企業に投資する仕事をしてきたし、Innovation Weekend なるピッチイベントを始めて、2014年からは「World Tour」と称し、Singapore, London, Boston, New York, Sn Francisco, Berlin 等で開催するなど、ある意味、経済合理性を超えてやっているところもあるのは事実である。

投資をしていなくても、僕を慕って来てくれる若い起業家や起業家の卵の人達には、自分の時間が許す限り、相談にものっている。そして、僕自身、今もメンタリティーは起業家である。

でも、支援をしているというつもりはない。

僕が自分で起業したり、ベンチャー投資をしたり、Innovation Weekend World Tour を行っている目的は、日本のベンチャーシーンをグローバル化し、国際競争力を高めたいということと、面白い事業や企業を創ることにより、若い人たちに「雇用」をもたらしたい、それも「Innovative」な仕事をもたらしたい!ということだ。

高齢化社会の到来を踏まえて、政府は大企業に「定年延長」を求めたりしているが、それはイコール、若者の雇用機会を奪うことにもなり兼ねない。というか、なっているだろう。

また、同じ60歳なり65歳でも、能力、体力、健康状態は人によって異なるだろう…。定年という制度自体、議論の余地がある。

いずれにしても、経済が成長しない国では、雇用は「椅子取りゲーム」になる。

また、統計的にも検証されているが、雇用を生み出すのは、既存の事業を行う「中小企業」ではなく、ベンチャー企業である。

若者に「イノベイティブ&クリエイティな仕事」を創りだす!

そして、僕自身、自分の仕事として、その過程や仕組みづくりを楽しみたい。それが僕のやりたいことである。

ところで、クレア法律事務所を経営されている、本業は弁護士の「古田さん」という方がいる。プロジェクトニッポンの松谷さんという方から紹介されて知り合ってから、かれこれ8年くらいになる。

その古田さんはまさしく、「ベンチャー支援」をしている。つまり、手弁当でやっているということだ。

Founder Institute(FI)というアクセラレーターがあるが、その東京ブランチを立ち上げ、運営されている。

FIは、Adeo Ressi という起業家が立ち上げたアクセラレーターで、シリコンバレーに本拠がある。

卒業率は7%だったかな?という、かなりシビアなプログラムで有名だ。卒業生には、Evernote の元CEO, Phil Libin もいるらしい。

古田さんに頼まれ、その FI Tokyo で、何度か講演をしたり、メンターとして、参加者の発表にコメントや質問をしたりしたことがある。

実は、5/25(水)にも、メンターとして参加させていただくことになっている。

僕が1990年代後半、ネットビジネスを立ち上げた頃と較べると、日本、特に「Tokyo」の起業環境は見違えるほど充実してきたが、シリコンバレーと較べると、まだまだ見劣りするのも事実である。

ベンチャーキャピタルに集まる資金の金額、ベンチャー企業に投資される金額ともに、シリコンバレーと較べると一桁小さいのは勿論だが、起業して成功し、エンジェル投資家として次世代の起業家に投資をしたり、メンターとして、文字通り、ベンチャーを「支援」する人がもっと増える必要がある。

そういう意味で、古田さんのような方は、とても貴重な存在である。

話は変わるが、僕が株主兼社外取締役を務めるラソナという会社の経営会議を終えて、日本外国特派員協会に向かう途中、東郷公園という公園に、遠足か何かから帰ってきたと思われる保育園(or 幼稚園)の園児たちがいた。

僕は思わず、嬉しくなり(僕は子供が好きだ)、ギャーギャーと騒ぎうるさい子供たちでいっぱいになっている公園の敷地をわざわざ通って、広い道路に出た。

子供の声が「騒音」だと言って、保育園の建設に反対する人達の気持ちが僕には理解できない。

彼らこそ「未来」なのに・・・。

子供たちという意味では、日本外国特派員協会から帰る途中、広尾駅から乗ってきた、小学校高学年もしくは中学生の男の子二人組にも言葉にできない感情を覚えた。

彼らの健やかな成長を願って止まない。
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2016-05-10 10:58:24

良く言えば「少年ハート」。要するに「バカ」ということだ。

テーマ:人生はすべて必然。
GWが終わり、日曜日の夜から仕事モードに戻った。一昨夜、昨夜と夜遅くまで仕事をしたせいで、体調が思わしくない。何度も書いているが、20代、30代の頃のような体力はない。でも、やらなければいけないこと、やりたいことはたくさんある・・・。

集中力がなく、睡眠不足で心と身体がハイになっているので、気持ちを静めるために、ブログを書くことにした。

今朝、大阪へ向かう新幹線を待つ品川駅のホームで、Peatix 原田さんが4年半前に書いたブログを再読した。そのブログに登場する「藤田遼平さん」という若者とは、昨年のSLUSH ASIAで会っていたが、その時は、その藤田さんが、原田さんのブログで紹介されていた人だとは分からなかった。今朝、藤田遼平さん自身が、原田さんのブログをfacebookにポストしていたことで、彼が、原田さんが「一流のバカ」と形容していた人だと知った。

とても良いエントリーなので是非、一読して欲しい。

そのエントリーで、原田さんはご自身のことも「バカ」と言っている。自慢しても仕方ないが、バカという意味では、恐らく、僕も負けない・・・。

僕がまだ起業したての30代前半の頃、ある女友達が僕を称して「少年ハート」と呼んでいたが、要するに「バカ」ということだ。

同じバカでも、原田さんは御三家と言われる「武蔵」という進学校(高校)を卒業し、大学は米国の名門「Yale 大学」に進んでいる。言ってみれば、「エリート兼バカ」なわけだが、僕は正真正銘のバカである・・・。

でも、最近、浮名を流したミュージシャンが歌っているように、自分は自分にしかなれないわけで、僕という人間を極めよう。

今朝は、もうひとつ、久しぶりに読んだものがある。谷内進さんという人が4年前の今日、facebookに投稿した「ホンダアップル」の会社としてのメッセージ(姿勢)の比較である。

両社のメッセージの詳細は、YOUTUBEのリンクを貼っておいたので、そちらをご覧いただきたいが、ホンダのメッセージに僕がコメントした内容を4年ぶりに読み返して、少々違和感を覚えた。

簡単に説明すると、ホンダのメッセージは「頑張っていれば、いつか夢は叶うとか、努力は報われるとかいうのは幻想だ。たいてい、正義は勝てやしないし、現実の世の中ではよくあることだ。でも、それがどうした?スタートはそこからだ。技術開発は失敗が99%。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。昨日までの自分を超えろ。昨日までのホンダを超えろ。負けるもんか」ということだ。何だかんだ言って、殆ど書いてしまったw。

それに対する僕のコメントは「HONDAがHONDAたる所以ですね。こういう青臭い?想いが大切だと思います。経済合理性では、人は感動しませんから!」だった。

でも、今の僕は、そうはコメントしないだろう・・・。

ところで、思いの外、多くの人が読んでくれたようで、中にはわざわざ直接、メッセージをくれた人もいたが、今年(おそらく僕の人生で)最大のチャレンジである某ビッグプロジェクトが、思うように進展しない。

理由は単純で、充分な時間を投下できていないからだ・・・。

冒頭に書いたように、「体力の衰え」は「稼働できる時間が短くなる」ことを意味している。

であれば、物事を整理し、自分の人生にとって、敢えて少しカッコつけて言えば、自分が世の中に貢献できないことは、思い切ってバサバサと捨てて、本当に自分が「世の中に価値」をもたらすことができることに集中する必要がある。

さらに言えば、50歳を超えてからでなく、若い時からそういう生き方をして来るべきだった。考えてみれば、結婚して以来、表現は違うが、いつも妻が言っていたことだ。

でも、時間は戻すことができないので、この先の人生をそういうふうに生きるしかない。

さて、話を「今の僕だったら、なんとコメントするか?」に戻すと、たぶん、こうコメントするだろう。

「自分が持って生まれた能力には限界があるし、捨てられないものもある。また、世の中のことは、自分ではどうにも出来ないことの方が多い。恐らく、殆どすべて。でも、自分だけはコントロールできる。でも、それすらも出来ない自分がいる。でも、それが自分でもある。そういう自分を認めて、結果を案ずるのを止めて、とにかく、自分にできることを精一杯やる。それでダメだったら、潔く、それを受け入れる」。

たぶん、そんなことを書くと思う。

品川駅へ向かう山手線の中で考えたが、僕という人間は結局、「自分が傷つくのが怖い(人間)」ということだ。

でも(という接続詞が多くて申し訳ない)、年齢のせいというか、この先の人生を意識するようになったせいか、具体的には、残された時間は少ないということを意識するようになったせいか、多少は変わってきた気がしている。

仮に、失敗しても、上手く行かなかったとしても、いいじゃないか?

でも、自分にだけは負けたくない、と思っている。

僕の人生の目標は、マラソンの有森裕子さんがオリンピックで2度めのメダルを獲った時に「初めて、自分で自分を褒めたいと思った」と言ったように、「一度でいいから、自分で自分を褒められるようにしたい」ということだ。

まあ、それもそう簡単なことではないんだけど、この世を去る時に「どうしてあの時、もっと頑張らなかったんだろう・・・」とは思いたくないから…。

カッコつけずに頑張ろう!ってことだ。

カッコつけずに頑張ろう!ってことでは、Innovation Weekend San Francisco 2015優勝で、Innovation Weekend Grand Finale 2015 準優勝の Lisa Q. Fetterman が、どういう理由か分からないが、僕に「松岡修造さん」のビデオメッセージを送って来たw。

これも「人生はすべて必然」か・・・。

@大阪へ向かう新幹線の車中

追伸その1:次回のエントリーでは、イアン・ブレマーの「スーパーパワー。Gゼロ時代のアメリカの選択」を読んだ感想を書くことにする。備忘録として書いておく。

追伸その2:今朝の山手線の車両で、ベビーカーで、1歳半ぐらいの男の子を連れた、たぶん40代前半と思われるお母さんと一緒になった。何人目のお子さんかは分からないが、とても幸せな気持ちになった。そういうお母さんと子供に優しい日本であって欲しい。

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2016-05-02 20:57:38

「野菜工場」と「シリコンバレー」。

テーマ:社会の構造を考える。
先日、とあることで、千葉県柏の葉キャンパスにある「千葉大学」を訪ねた。「水耕栽培」や「LED」による「野菜作り」に関するレクチャーを受け、キャンパス内に広がる「野菜工場(研究施設)」を見学するためだ。

レクチャーをして下さったのは、野菜工場に関する日本の第一人者の丸尾教授。丸尾教授の話は非常に分かりやすく、予備知識の乏しい僕にも、日本そして農業先進国オランダの野菜工場の現状がとてもよく理解できた。

日本におけるLEDと水耕栽培による野菜作りは、露地物に対してまだまだコスト競争力がなく、すべての野菜生産量に占めるシェアは、まだ数%と記憶している。

それでも、今から10年後には、野菜の種類によっては30%程度にはなるだろうということだ。

現状はどうか?例えば「朝取りレタス」は「朝10時に店頭に並ぶ(その必要があるかは疑問)」が、そのためには「午前0時」から「投光器」を使って収穫しているという。そんな激務の後継者は見つからないし、親も継がせたくない。

一方、レタスを含めて、野菜の5~6割が「業務用(カットレタス:スーパー、レストラン向け)」になって来ているらしく、となると、味は勿論、食感(歯応え)、色味等は大切だが、見てくれが悪くても問題はない。LEDと水耕栽培によるレタス(に限らない)栽培では、そのような需要を反映した品種開発をすれば良い。

また、ご存じの方も多いと思うが、日本の農業人口の約半分(46.8%)は「70歳以上」。 日本の就農人口は、10年後には確実に「半分」になる!

ひょっとすると、一年中、好きな野菜をリーズナブルな値段で食べられる今の時代は、ある意味、特殊とも言えるかもしれないし、今後は就農人口が減り、国産野菜は値段が高くなり、その野菜の旬な季節しか食べられなくなるかもしれない(丸尾教授)。TPPによる廉価な野菜の輸入は増えるだろうけど、日本人は「国産」が好きだからね・・・。

では、農業先進国のオランダではどうか? DENSO等の「日本の技術(農業ロボット)」が使われているが、それを「オランダの企業」が「システム化」しているらしい。どこかで聞いたような話である。

因みに、日本の技術は、定植日に、開花日、収穫日が予測できるらしい。つまり、光量や温度をコントロールすることで、出荷日を調整することが可能ということだ。凄いことである。

また、オランダには「Glass City」なる「10km x 10km」の広さの「野菜工場の集積地」があるらしい。然るに、ロジスティクスを含めて「労働効率・生産性」を高くできる。

この「集積地」であるが、I.T.の世界で言えば「シリコンバレー」である。

リスクマネー、リーガル(法律)、アカウンティング(会計)、起業成功者によるエンジェル投資、EXIT候補企業(スタートアップを買収する大企業)、起業家を歓迎するカルチャー、グローバルな銀行等が、50マイル内に存在している。

それが、ユニコーンと呼ばれる時価総額「10億ドル」以上のスタートアップ(株式未公開)を多数産む理由である。

日本における「I.T.系スタートアップ」の「集積地」は間違いなく「東京」である。

では、日本に「農業」における「集積地」はあるのだろうか? 現時点では恐らく無いだろう。

シリコンバレーは政策で出来たエリアではないが、オランダの農業の成功には政策が働いているように思う。

政府は事業には介入せず、民間に任せれば良い、という話はよく聞くし、僕も基本的にはそう考えているが、ある程度のモーメンタム(勢い)が着いた後は、New York や London が成功しているように、政府が後押しすることは有効なように思う。

たった半日の「野菜工場ツアー」ではあったが、想像していた以上に「農業」は「サイエンス」であり、「テクノロジー」だということが理解できた。

僕が20歳若かったら、農業ベンチャーをやろうと思ったかもしれない・・・。そのぐらい「可能性」を感じた。

日本には素晴らしい技術がたくさんある。問題は、どうやってそれらを事業化するか?である。

甚だ微力ながら、貢献したい。
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2016-05-02 13:41:02

「人生」には「今」しかない。「GW」と「ぎっくり腰」。

テーマ:人生はすべて必然。
2016年のGWが始まって4日目。皆さんはいかがお過ごしだろうか?僕は情けないことに、GW2日目、ぎっくり腰をやってしまい、残念なスタートとなった・・・。

原因は自分なりに推測がつく。先々週、New York と Silicon Valley に出張しており、往路のNRT-JFKが約12時間、帰路のSFO-NRTが約10時間、その途中、NYCからSFOまで約5時間の国内線にも乗っており、唯でさえ腰痛持ちの50歳を超えた身体にエコノミーは堪えた。

帰国後はアポが詰まっており身体を休める暇もなく、また、GW初日は、建築中の自宅に行き、次男を右腕で抱えながら脚立を登って3階まで行ったのだが、限界に達していた腰には無謀だったのだろう。翌日、次男にトイレから呼ばれて、彼のお尻を拭こうと思い前屈みになった瞬間、左腰に「ピキピキ・・・」という痛みが走った。これはヤバイ!と思い、すぐにアイスノンで腰を冷やし、スポーツマッサージの先生に電話して、鍼治療を予約した。

40代後半までは、体脂肪率は15~16%。体内年齢は25~26歳をキープしていたが、さすがに、50歳を超えた辺りから徐々にスコアが悪くなり、体脂肪率が17%、体内年齢は27~28歳になった。

ところが、この前の年末年始で帰省中に太ってしまった結果、体脂肪率が18~19%、体内年齢が31~33歳になり、そこから戻せず、不本意なスコアに甘んじている。

因みに、僕の身長と年齢では、体脂肪率18%でも「やや多い」と表示される・・・。

結論として、運動するしかない。要するに、その「時間」を作り出すことが必要になる。

「時間とは最も厄介な資源」だと言ったのはドラッカーである。「形も無いし、目に見えないし、保存もできない」。最後の「保存ができない」という点が最も厄介な点である。

つまり、今、やるしかない・・・。

ドラッカーはこうも言っている。「大きな成果を上げるには『まとまった時間』が必要である」。細切れな時間がいくらあっても、大きな成果を上げることはできない。

「何かを得るには何かを捨てないとね」。テレビ朝日の戦隊ヒーローシリーズ「海賊戦隊ゴーカイジャー」に登場する「バスコ」が言うように「古いものを捨てないと、新しいものは入らない」わけで、時間を増やすか?処理能力を上げるか?そのいずれも出来ないのであれば、新しい何かのために、優先順位の低いものをバサッと捨てるしかない。

「どうしてもやりたいこと」か「どうしてもやならければいけないこと」以外は思い切って捨ててしまう勇気が必要だ。

ところで、facebookの「過去の今日(だったと思う)」という機能が気に入っていることは以前のエントリーにも書いたが、実はこのエントリーで書こうと思っていたことは、何年か前の「5月1日」のことだ。

ところが、facebookで久しぶりに見た、その何年か前の「5月1日」の出来事を思い出すことができない・・・。もう一度、その日のポストを見つけようとしても、facebook の機能は何年か前の「5月2日(今日)」のことを表示するようになっている。

それではと、Timelineの機能で、2013年、2012年の「5月1日」を探してみたが、2013年5月1日には何もポストしておらず、2012年5月1日は、何度やっても途中でスタックしてしまい、数十分ほど使った後、探すのを諦めた・・・。

「後でやろう・・・」は、時間を無駄にするだけということだ。

年齢と共に記憶力が衰えたのであれば、キャプチャーを撮るなり、メモをするなりする必要がある。

人生には過去も未来もなく、「今」しかない、ということだ。

ところで、上述の通り、過去のタイムラインを辿る途中、ここ数年の自分のポスト、特にブログを見つけた。

自画自賛で恐縮だが、それなりにいい事を書いている・・・。

問題は「君は、それを実践できているか?」ということだ。

臨床心理士をしている妻に言わせると、知識や理屈としては知っていても、行動が伴わないのであれば、それは理解できたこととは言えない、ということだ。

まだまだ修行が足りない・・・。
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2016-04-25 03:26:49

Always do what you say you will do.

テーマ:人生はすべて必然。
New York や Silicon Valley に滞在していても、熊本の地震のニュースが目に入って来る。文字通り、距離を感じるが、何とも痛ましい気持ちになる。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、被災された方々が一日も早く普通の日常に戻れることを望みます。

今回の出張も、いつもどおり得るものが多く、とても生産的な一週間になったが、それが年齢のせいか、他の要因かは分からないが、今までは感じなかったことを感じた。

New York 行きのフライトの中で、「杉原千畝(すぎはら ちうね)」という日本人の外交官に関する映画を見た。

彼は、第二次世界大戦中のポーランドで、ナチスドイツの迫害によって祖国を追われたユダヤ人を救うために、本国(日本)の外務省の許可を得ず、2,000人を超える人達に「日本行きの通過ビザ」を発給した。

僕は、2012年6月、初めてロンドンを訪ねた時に、偶然?にも、自分の父親が「杉原千畝」によって助けられたという人に会った。シリアルアントレプレナーであり、Innovation Warehouse というアクセラレーターを運営する「Ami Shpiro」という方だ。

「当時の日本で、組織の命令に背くことがどれほど大変なことかは想像に難くない。自分が今、こうして生きているのは、杉原千畝が父を救ってくれたからだ。日本には本当に感謝している」と彼は言っていた。

杉原千畝は、満州の学校(中学?高校?)を出たらしいが、その学校には、以下の「3つの教え」があったそうだ。

「人の世話になるな」。
「人の世話をしろ」。
「見返りを求めるな」。

僕は、28歳の時に「徒手空拳」で起業し、苦労をしながら頑張ってきたし、1990年代後半のネットバブルの最終列車に飛び乗り、VCから資金調達をし、エクセレントではないにしても、それなりの結果を残してきたと思っている。

そして今は「日本のスタートアップシーンをグローバル化する」こと(に挑戦する)で、今後の日本経済の発展に微力ながら貢献したいと思っている。

でも、いったい自分は何をしたいのか?その根底を自分自身に問い質していくと、結局は、そういう仕事を通じて「社会から認められたい」という欲求に支配されていることに気がつく。

所詮は"自分のため"である・・・。

ナチスドイツという意味では、もうひとつ、「Woman in Gold」という映画を見た。第二次世界大戦中の「オーストリア」で、ナチスドイツの迫害を逃れて、米国に亡命した女性のことを描いた実話に基づく映画である。

また、途中で時間切れになってしまったが、「ネイティブ・アメリカン(インディアン)」と「白人」の戦いを描いた映画で、レオナルド・ディカプリオ主演の「Revenant(帰ってきた人)」という映画も見た。

昨夜、San Francisco でお会いした、こちらに住む日本人の方々から伺った話だが、今も「ネイティブ・アメリカン」の方々が存在し、彼らの保護区のような地域があるそうだ。

極少数となった彼らは、自己の「アイデンティティ」や「米国社会における存在意義」に思い悩み、アルコール中毒や麻薬中毒になってしまう人が少なくないという。

人類は、筆舌に尽くし難い悲惨な歴史のもとに、今を生きている。僕たちの平和な生活は、多くの人立ちの犠牲の上に成り立っている。

ところで、NYCで会ったベンチャー投資をしている、ある男性が、自分のポリシーだと言って教えてくれたことがある。

Always tell the truth.
Always do what you say you will do.
Obey billionaire!

3番目には色々と思うところがあるが、それなりに真実を突いていると思う。

これからの人生を考える上で有意義な出張だった。

at San Francisco Int'l Airport
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2016-04-18 08:41:44

「責任」を「引き受ける」。

テーマ:人生はすべて必然。
自分で約束した期限は守れなかったが、何とかNYC&Silicon Valley出張前に「宿題」は提出した。清々しい気分だ。

先々週の金曜日から次男の体調が悪くなった。最初はヘルパンギーナ(幼児が感染するウイルス)と診断されたものの、一週間経っても症状が回復せず、先週の木曜日、急遽、予定を変更し、僕が次男を総合病院に連れてった。

診断の結果は「溶連菌感染症」。実は3月下旬にも罹っており、まさか&ひょっとして・・・とは思っていたものの、やはり・・・という結果だった。

物事はそこで収束せず、次は「妻」が感染し、その次は「長男」が感染した。つまり、僕以外の家族全員が「溶連菌」に感染したということだ。

僕は何故か、インフルエンザも、家族全員が感染しても移らない・・・。

というわけで、こうして、成田エクスプレスに乗り、New York 出張へ向かうことができている。

ところで、ETICを通じて知り合い、何度かお話をさせていただいたことのある田坂広志さんが、ご自身の著書のなかで「責任」を「引き受ける」ということを書かれている。

文字上の意味は誰にでも理解できることだし、僕も理解したつもりでいた。しかし、田坂さんがご著書で仰っていた「その意味はとても深く」、僕はその本質を理解していなかったということを理解した。

つい先日のことである。

人間は本能的に、いや、僕のような我儘な人間は、と言った方がよいかもしれないが、冷静に考えれば「やらない選択肢は無い」という事実を理解せず、「やりたくない」という理由で「意思決定」を避けたがり「先延ばし」にする。

でも、よくよく冷静になって考えると、嫌なことでも、あるいは自分が責任を負いたくないことでも、それを「捨てるという選択肢」が「現実的ではない(捨てることはできない)」のであれば、その「責任」を「引き受ける」しかない。

結局はそれが「自分自身にとっても合理的」であり「メリット」を享受することになる。

もうひとつ、別の話になるが、僕は何でも「自分でやらなければ気が済まない人間」だ(だった?)が、それは裏を返すと、結局は「他人を信用しない」ということになる。何でも自分でやった方が満足の行く結果になると思っているわけで、それは傲慢な考え方だ。

当たり前のことだが、大きなことを成し遂げるには、たくさんの人、それも「たくさんの優秀な人達」を巻き込む必要がある。

誰かに任せて、仮に、それが上手く行かなかったとしても、自分にキャパシティが無かったのであれば、結局は出来なかったのと同じことだ。

能力的には出来たとしても、それをする「時間」がなければ結局は出来ないことと同じである。

とある会議での議論で、田坂さんの仰ることの意味が、少し分かったような気がした。
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2016-04-11 23:33:32

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

テーマ:人生はすべて必然。
アメブロでブログを書き始めたのは2006年4月16日だったので、ちょうど10年になる。先程、過去のエントリーを確認して、その事実に気がついた。

今の仕事を始めた2011年3月以降は書く頻度が激減し、2012年以降はせいぜい月に1~2回ほどの更新しかできなくなった。2015年は年間で僅か1回だった。

色々と心境の変化があり、また、心境だけでなく物理的な変化もあり、数週間前から、またブログを書くようになった。10年を意識したわけではないが、ある人に、Wordpress で僕のオリジナルブログページを作成してもらっており、近いうちにアメブロから引っ越す予定である。

何かをするには時間が要る。ブログを書くのにも同じように時間が必要だ。

年齢のせいするのは哀しいが、歳とともに体力は確実に衰え、長時間労働はできなくなる。しかし、やるべきこと、やりたいことは減るわけではない。となると、自ずと「何かを捨てる」必要が出てくる。

実は「書きかけ」のエントリーに、10代の頃のことを書いた。当時の僕は「あわよくば」ミュージシャンになりたい!と思っていた。でも、世の中、あわよくば・・・なんかではミュージシャンにはなれない。

本気でミュージシャンになりたいと思い、毎日毎日、死に物狂いで練習し、曲を書いてもなれない人が殆どであり、仮になれたとしても、ミュージシャンで食べていける人は極々一握りだろう。

あわよくば・・・なんかでなれてしまったら、そういう人達に失礼だ。

何事も「成功する保証はない」。二度と戻らない時間が過ぎ去った後でなければ、そのことが成功したか、それとも失敗したかは分からない。

つまりは「失敗しても構わない」と思えることでなければ、勝負はできない。

男は何かの勝負をする時、「負けることを覚悟する必要がある」と、僕が好きな「相田みつを」が書いていた。

ところで先日、facebook のポストで、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の辞任に関してコメントするような経営に関する知見はないと書いたが、「老害」批判一色の報道やコメントには違和感を感じるところがある。

確かに、それこそ、いい大人が、記者会見の席でお家騒動の話を延々とするのは興冷めな話ではあるが、周囲の猛烈な反対を押し切ってセブン・イレブンを開業し、同様に猛烈な反対を押し切ってセブン銀行を立ち上げてきた功績に対する敬意を表さないのは、失礼な話だ。

また、僕はどのような方かは存じ上げないが、セブン・イレブンの井阪社長の交代人事提案に関しても、世の中が批判している「世襲」に関する噂は噂でしかないとしたら(という前提だとして)、鈴木敏文会長ならではの「嗅覚」があったのかもしれない。

あれだけの経営者が、最高益を更新している最中の会社の社長交代を提案するには、それなりの判断があったのではないか?という気もする。いずれにしても、後味の悪い結果だったことは間違いない。それも鈴木敏文会長の責任と言えばそれまでだが・・・。

話を元に戻すと、僕は「あわよくば」のミュージシャンを諦めた後は、また「あわよくば」で俳優を目指し、オーディションには受かったが、負けを覚悟してまで勝負する勇気は無かった。僕にとっては、それだけのことでしかなかったということだ。

あと7年という年月が過ぎれば、僕は還暦を迎える。インタースコープというベンチャー企業を立ち上げ、Yahoo! Japan に売却するまでの時間と同じである。

中学生の頃、地元(福島県郡山市)の本屋が、本を買った客に配っていたカバーには、こう書いてあった。

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

これからの7年間。「積読」というわけにはいかない。

「人生は短い」。
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2016-04-04 12:30:38

祝「起業25周年」。父の思い出。

テーマ:人生はすべて必然。
桜の季節になると、父のことを思い出す。今日(4/4)は父の命日。昭和6年4月27日に生まれ、昭和62年(1987年)4月4日に亡くなった。55歳だった。

父には色々なことを教わった。

「いいか、世の中には2種類のタイプの人間がいる。一人は自分で経験したことからしか学べない人間。もう一人は、本を読んだり、歴史から学んだりできる人間だ。何でも経験できるに越したことはないが、人生の時間は限られている。ところで、お前はどちらの人間だ?」

僕がいくつの時のことだったかは忘れたが、その時の父の気持ちが、今は痛いほどよく分かる。というか、申し訳なくて、涙が出そうになる…。

大腸ガンになり、あまり先が長くないと知っていた父は、ある時、僕たち3人兄弟を病室のベットの足元に立たせて、ひとりずつ、説教をした。僕に対しては、こんな話をした。

「お父さんが生きていれば、お前が結婚する時には、マンションの頭金ぐらいは出してやれる。事業を始める時には、資本金ぐらいは出してやれる。でも、これからは一切、そういう援助は無いと思って生きていけ。それがどういう意味か分かるか?お前の友達が一万円を使うとき、お前は五千円しか使えないぞ。もし、お前も一万円を使いたいなら、友達の2倍のおカネを稼ぐ必要がある」。

放蕩息子だった僕も、こうしてブログに書けるほど(今までにも何度か書いているし、「挫折のすすめ」にも書いた)、よく憶えている。

実際、周囲の友人たちが結婚するようになり、僕は父の言葉の意味を理解した…。

もし、今、父が目の前に現れたら、僕は何と報告すればいいだろうか・・・?

子供(おそらく、特に男の子)の躾や行動は、「父親」の日頃の行動に強く影響を受けているという。

天国の父親にこれ以上、心配を掛けないように。そして、子供たちが立派に育っていけるように。日々の感情や怠惰な心に流されず、少々のことにへこたれず、立派な人間になれるように・・・。


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2016-04-03 21:59:56

祝「起業25周年」。「リンゴジュース」と「ポップコーン」。

テーマ:人生はすべて必然。
今から25年前、1991年3月27日。僕は人生で初めての会社を設立した。その9年後、36歳の終わり、2000年3月。山川さんたちと一緒にインタースコープを立ち上げた。そして、その後の6月、僕たちは大岡山から中目黒に引っ越した。早くても午前様という不夜城生活を考えると、30分でも通勤の時間は勿体無いし、体力がもたないだろうと思ったからだ。

その後、2005年3月。僕たちは恵比寿の今のマンションに引っ越した。人生で初めて住宅を購入した。

ベランダから見える借景(遮るものが何もない)は都会とは思えない静けさで、遠く多摩川の花火も見える。そして、この季節は、きれいな桜の花が咲く。

僕たち家族は全員、恵比寿という街も今の住まいもとても気に入っているが、長男が中学生、次男が小学生になる2年後を考えると、もう一部屋あった方がいいと思い、思い切って越すことにした。

正確には、部屋数は足りているのだが、その内の一部屋が窓が無い。恵まれていない環境の方が子供は立派に育つという話もあるが、僕は2人の子供に差をつけるのはしたくなかった。また僕自身、変化を求めてもいた。

出来れば、同じ恵比寿で新居を探したかったが、我々が望む条件(マンションでも戸建てでもどちらでも良かった)をクリアすると、僕たちの予算では手が届かず、長男があと2年弱、今の小学校に通える範囲内で、恵比寿から少しだけ離れることにした。

最初に購入し掛けたのは「都立大学」から徒歩7~8分の距離にある土地だった。呑川緑道の近くで、閑静な住宅街だったが、妻は「急行が止まらない」ということと、商店街が充実していないという理由で、実はあまり乗り気ではなかった。その土地は、幸か不幸か、購入代金のローンが通らず、お流れとなった。

次に購入し掛けたのは、目黒線で目黒から一駅の「不動前」から徒歩10分、目黒不動尊のすぐ近くにある新築の建売住宅だった。

その物件は何故か、ローンの審査が通ったのだが、駅から物件までの通り道が静かで、夜9時を過ぎると人通りが少なく、夜中でも人通りが絶えない恵比寿や中目黒に15年以上も住み慣れている僕たちには、夜道は少し怖い気がした。

契約の前日、僕は家族全員で不動前から物件まで歩いてみた方がいいだろうと思い、大阪出張から急いで帰宅し、雨の中を不動前の駅から物件まで、当時はまだ3歳だった次男をベビーカーに乗せ、傘を差しながら歩いてみた。結局、その物件は流すことにした。

ここ数年、年明けから3月までは猛烈に忙しい。法政大学MBAの修士論文の指導、HackOsakaというイベント、そして、シリコンバレーツアー。その合間を縫って、ほぼ毎週土日は「家探し」だった。最初は色々な物件を見に行けるということで楽しんでいた長男も、やがて、「いつになったら普通の週末が来るんだ!」となった。物件探しを始めて3ヶ月、僕も「本当に引っ越しできるのだろうか・・・」と半ば絶望的になっていた。

その時の僕は「52歳」。引っ越し自体は、長男が大学生になる頃まで伸ばすという選択肢もあったが、僕の年齢を考えると、その時点(ちょうど60歳)で新居を購入するのであればローンは組めないだろうからキャッシュ以外に選択肢はなく、不安定極まりない生活をしている僕自身のことを考えると、経済的には今しかないだろうと思っていた。

そんな時、たまたま妻が問い合わせをした不動産会社から提案された物件の中に、結果として購入した土地が含まれていた。駅から徒歩7~8分のその土地は昨年のGW、別の不動産会社から紹介されていた。値段が高く、ちょっと無理だな・・・と思い、見送っていた土地だった。

ところが、妻が見つけてきた不動産会社の提案資料を見ると、GWに見た時には「商談中」となっていた区画が「販売中」になっており、尚且つ、全区画に「参考プラン」が付いていた。「参考プラン」とは、その土地であれば、こういう住宅が建てられますよ!という、文字通り、参考としてのプランのことだ。

それを見ると、残っていた区画の中では一番安い土地でも、4LDKの家が建ち、尚且つ、近隣の関係で、実は日当たりがかなり良さそうなことが分かった。

当時は中国経済がまだ順調で、アベノミクスの効果もあり、都内の不動産価格は上昇しており、また、購入意欲が強く、良い物件は午前中に見たものが夕方には申し込みが入っていたということが普通だった。僕たちはもう一度、その土地を見に行き、紹介してくれた不動産会社に電話をし、購入の意思を伝えた。やはり、僕たちの後にもう一組、購入の申し込みが入った。

その不動産会社の社長はいかにも不動産会社の経営者という感じだったが、見覚えのある名前で、僕は、ひょっとして・・・と思い、ある知り合いに「ご無沙汰です。ところで、◯◯さんのお兄さん、◯◯で不動産会社を経営されていませんか?」とfacebookでメッセージを送った。するとその翌日、「弟です」という返事があった。

また不思議なことに、その不動産会社に行った日は、その土地の近くで、妻の従姉妹の子供に2度も会い、インタースコープ時代に学生インターンをしていた人間(その土地の近くの住人)にばったり会ったりと、なんと一日に5人の知り合いにあった。学生時代にインターンをしていた彼には当然、僕らが買おうとしていた土地の周辺事情について、根掘り葉掘りと質問をした。

4~5ヶ月を掛けてやっと土地を見つけた後は、約3ヶ月、建築家の方との設計の期間になった。毎週、とある住宅メーカーのモデルハウスに家族4人で通う日々が始まった。

次男は「リンゴジュース」と「ポップコーン」にありつけるためか、毎週、楽しみにしていたようだった。長男は「建築」という仕事に興味を持ったようで、その建築家の方から頂いた設計の際に使う定規を使って、暫くの間、住んでみたい家の図面(勿論、素人図面)を書いては、僕たち夫婦に見せる日々を送っていた。

一昨日の土曜日、上棟式を行った。苦労をして見つけた土地に上物が建ち、初めて、建物の中に入った。僕が中学一年生だった時、両親が新居を建てた時のことを思い出した。

引っ越しは6月下旬。あと2ヶ月とちょっと。すぐである。

少しずつ、今の家の中を片付ける必要があり、昔の書類や写真を整理していると、20代の頃の写真や結婚したばかりの頃の写真が出てくる。

実は、それらの写真を見ると、僕はとても哀しい気持ちになる・・・。何故だろう?と考えた。その理由は「何故、もっとプロダクティブに時間を過ごさなかったのだろう・・・?」という思いがあることだと気づいた。

勿論、当時の僕は一生懸命に生きていたし、人生を浪費していたわけではない。でも「何故、あの時、こうしなかったのだろう・・・」と思うことがたくさんあり、この先、それを取り返せる時間があれば話は別なのだろうが、数日前に「53歳」になった現実を考えると、何とも哀しい気持ちになってしまう。

田坂広志さんが「若さがいかに貴重かということに気がつくのは、その若さを失ってからだ」ということをご自身の著書で書かれていたが、「光陰矢の如し、学成り難し」という言葉の意味を今になって実感せざるを得ない自分自身がなんとも情けなく、愚かに思えてくる。

僕に出来ることは、これからの時間を悔いのない時間にすることしかない。今、こうしてブログを書くことにしたのも、そういう思いからだ。

ところで、僕にとっての2冊めの著書「挫折のすすめ」にも書いたが、学部しか出ていない僕が、法政大学経営大学院の客員教授を仰せつかることになったキッカケは2009年の夏、自宅のソファーでドラッカーを読んでいた時に頂いた、小川先生(法政大学経営大学院イノベーションマネジメント研究科創設者、教授)からの一本の電話である。

その小川先生とは最近、LINEでやり取りをすることが多い。そのLINEで、小川先生が4年前の今日、書かれたブログを紹介された。

詳細は是非、そのエントリーを読んでみて頂きたいが、小川先生が学生の頃、東横線の「都立大学」に住んでいたことや、当時、お世話になった伯母さんの話が書かれている。小川先生のその時の心境、時代背景、亡くなられた伯母さんのこと等が、リアルに伝わってくる。そのエントリーを読んで、僕は「文章を書くことが好き」なことを思い出し、ここ最近の思いをブログに残しておくことにした。

はたして、20年前の僕が、小川先生のそのエントリーを読んだら、今と同じような心境になっただろうか・・・。

少しカッコつけて?表現すると、ここ最近、若さに哀愁を感じるようになったが、そういう年齢になってからでないと分からないことや感じないことがあるのだろう・・・。

facebookで頂いた誕生日祝いのメッセージに対するお礼に書いた、今までの人生で最も大きな挑戦に目処をつけたら、2006年から2011年初頭まで、毎月20~25本ぐらいのエントリーを書いていた頃のように、また、頻繁にブログを書きたいと思っている。

文章で食べていける才能は無いが(言うまでもなく)、「文章を書く時間のある人生」を送りたい。
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2016-03-13 21:30:11

「起業25周年」。創業と卒業。

テーマ:人生には勇気と自信が必要だ。
2011年のゴールデンウィーク。家族の反対を押し切り、僕は新幹線で福島駅へ行き、駅前でレンタカー(ガス欠リスクが少ないプリウス)を借りて、相馬港に向かった。

1995年の阪神淡路大震災の時も現実を自分の目で見てみたいと思ったが、関西出身でもない僕は、単なる野次馬に過ぎず、そんな迷惑な話はないだろうと思い、神戸に行くのは思い留まった。

しかし「3.11」は、僕の出身地である東北(僕は福島県郡山市の出身)に起きた大震災であり、尚且つ、福島原発事故により、福島県は「筆舌に尽くし難い」大惨事に見舞われ、僕には自分の目で確かめる権利(理由)があると思った。

テレビのニュースやYOUTUBEで散々、津波の動画や破壊された町並みを見ていたが、実際に相馬港に近づくと、その「異様な光景」に言葉を失った・・・。

あれから5年。福島県出身ではあるが東京に住み始めて30年以上になる僕は、何事も無かったかのような生活を送っている。しかし、現地には今も避難所生活を余儀なくされている方々がいることを考えると、何と言っていいのか?どう考えればいいのか?言葉に窮する。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、被災された方々が新しい生活に立ち向かって行けるよう応援したい。物理的には何もできないが・・・。

ところで、3月は僕にとって、とても大切な月である。

1991年3月27日。僕は人生で初めて「会社」というものを設立した。

株式会社クリードエクセキュート(1991年3月27日設立)、株式会社インタースコープ(2000年3月9日設立)、株式会社ドリームビジョン(2006年3月4日設立)、そして、サンブリッジの仕事を始めたのが「2011年3月1日」。

そして、誕生日は「3月30日」。

今年3月で、起業してから「25年」。僕ぐらいの能力で、よくまあ今日まで、やって来れたものだ・・・というのが偽らざるを得ない心境である。

また、今年の3月は僕にとって「卒業」の年でもある。2012年10月から関わってきた「大阪 Global Innovation 創出支援事業」の契約が今月末で満了となる。

先日の「シリコンバレーツアー報告会」の時、「そうか、いよいよ終わりなんだな・・・」と思った。

正直、無理難題の連続で、スタッフ共々ヘトヘトになりながら取り組んで来た。

例えば2013年2月のカンファレンス。当初は僕が担当ではなかったが、途中から僕がKeynote スピーカーの招聘責任者となり、超過密スケジュールの500startups, Dave McClure を呼び寄せたり(結果的に、Dave は伝説となる名演説をしてくれた!)、この予算でそこまで求めるか?(失礼!)というスケジュールで毎週、東京と大阪を新幹線で往復したり(それは途中で勘弁していただいた。感謝!)。また、今年のシリコンバレーツアーでは、連れて行った学生の中の2人が現地で「インフルエンザ」に罹ってしまい、急遽、フライトをキャンセル。夜中に救急病院に連れて行ったりと、まあ、楽しいツアーだったw。

身体は勿論、心も酷使した3年6ヶ月だったが、それなりの成果も出ており、胸を張っていいと思っている。

もし、10年後、大阪に「Global Startup Community」が出来ていたとしたら(そう簡単ではない)、それは紛れも無く、橋下さんの功績である。

行政としては、前代未聞な政策であり、他の自治体も大阪市の政策を参考にし、類似の施策を実施している。そんな大阪市の政策の実行に関与させていただいたことを、とても光栄に思っている。

ところで今年は、ある人と一緒にシリコンバレーで新しい会社を立ち上げる計画を進めている。

36歳の終わりにインタースコープを立ち上げた頃、後で振り返った時、「30代最後の3年間は僕の人生で2番目に高いピークになるだろう」と思ったと同時に、僕の人生のピークは「53~57歳」だろうと何の根拠もなく思ったが、事実として、37~39歳はインタースコープ急成長の3年間となり、御三家の一角に伸し上がった。

プライベートでは今年は新居も建つ。「好事魔多し」。心して掛かろうと思う。

一方、大前研一氏は「予言は自己実現する」と言っている。

36歳の時に思ったことが実現するかどうかは、自分自身の努力次第。

「幸運」に「感謝」しつつ、2人の子供たちに父親のカッコイイところを見せられるように!
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