東学党の早期鎮圧と、朝鮮の行財政改革と、朝鮮軍の組織の話があちこちで飛び交っているわけで、もしかして詳しく訳さなくても意訳だけで良いんじゃないかなぁ、と思ったり思わなかったり。(笑)
まぁ、それだけ第一のポイントになる重要な話なんで、良いんですけどね。

さて。
今日最初の史料は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』の40画像目から。
趙秉稷から大鳥公使への1894年(明治27年)6月17日『第14号』より。

照會事現拠由仁川至漢城各地方報状謂有貴軍兵在仁川来路要衝及沿江各処均設幕屯住等事査貴軍兵来此原為護館起居而該各処無貴国館舎亦無貴商居住況南道匪徒已就平定本国軍兵亦擬減停而貴兵在此者固属無用即応撤回迭経照請
貴公使査照速撤各在案而該各処屯駐軍兵尤足遺人詫訝甚足招人騷疑如
貴公使以交誼爲重自応準照本国所請迅即撤回倘仍遅延不撤実非本督辨之所望尤難解我政府之疑訝也相応備文照請
貴公使査照前後各文所開一併迅速撤回至切肹禱須至照会者
右照会
直訳はしんどいので、意訳気味に進めていきます。(笑)

仁川から京城に至る各地方の報告によれば、日本軍の兵は仁川からの要衡と漢江沿岸の各所に駐屯しているという。
日本軍は本来公使館護衛のために来た筈だけど、駐屯している場所には日本の公使館も無く、日本の商人が居住しているわけでもない。
まして、南道匪徒は既に平定されて朝鮮軍も撤収しようとしているのに、日本軍がそこに居るのは無用でしょ。
日本の撤兵については大鳥に何度も要請したのに、各所に兵を駐屯させてるってのは、更に人民の疑惑を招くだけでなく、多くの人が騒乱を起こすに足りる。
大鳥がもし交誼を重んじるなら、朝鮮の要請に応じて速やかに撤兵してよ。
撤兵を引き延ばせば、朝鮮政府の疑惑も解きにくくなるだろうし。
こんだけお願いしてるんだから分かってよ、と。

ってことで、日本軍は仁川に滞留しているだけではなく、仁川から京城への要衝と漢江沿岸の各所にも展開している模様。
まぁ、壬午事変とかでも避難に使われたルートですから、という理由は、簡単に成り立ちそうですが。

続いては、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』の27~28画像目から。
1894年(明治27年)6月17日付『親展送第41号』。

清国特命全権公使 汪鳳藻 閣下
外務大臣 陸奧宗光

以書簡致啓上候。
陳者朝鮮国に於ける目下の事変及善後の方法に関し、昨日御面晤の節帝国政府の提案として貴国政府江御協議致候要旨は、左記之通に有之候。

朝鮮事変に付ては、日清両国相戮力して速に乱民の鎮圧に従事する事。
乱民平定の上は、朝鮮国内政を改良せしむる為め、日清両国より常設委員若干名を朝鮮に派し、先づ大略左の事項を目的として其の取調に従事せしむる事。

一.財政を調査すること
一.中央政府及地方官吏を陶汰すること
一.必要なる警備兵を設置せしめ、国内の安寧を保持せしむること
右為念茲に申進候。
本大臣は、茲に重ねて敬意を表候。

敬具
29~30画像目の漢訳文については省略。

在日清国公使の汪鳳藻に、昨年の4月9日のエントリー4月10日のエントリー4月11日のエントリーで取り上げた会談内容中の日本の提案の要旨。
ある意味督促?(笑)

続いて31画像目。
小村から陸奥への1894年(明治27年)6月17日付『電受第258号』。

Mutsu,
Tokio.

李鴻章 appears to be very anxious to avoid a collision owing to extreme fear of Russia, advice of British Minister and sense of gravest responsibility in this year of anniversary.

Komura.
英国公使のアドバイスについては、昨年の4月16日のエントリーでも報告がありました。
李鴻章は、ロシアに対する極度の恐れと、そのイギリス公使のアドバイスと・・・「in this year of anniversary.」って何の事だろ?
西太后の還暦祝い?
それらのために衝突を避けようと苦慮しているらしい、と。
李鴻章も色々あるんだろうねぇ・・・。

さて、続いてはその返事になるのかな?
32画像目→31画像目の、陸奥から小村への1894年(明治27年)6月18日付『電受第216号』より。

Komura,
Peking.

Received your telegram of 六月十七日.
You may impart to those Ministers that in spite of assurances to the contrary by Corean Government there is every reason to believe that disturbance has not yet been quelled, that taking into consideration frequent occurrence of disturbance the dispatch of Japanese soldiers was neither imprudent nor unnecessary, that there is no fear of collision because Japan is taking every precaution to prevent it.
Inform British Minister alone confidentially that Japanese Government are not only anxious for speedy pacification of present disturbance but also with the hope to place in future peace and order of Corea on secure basis proposal is being made to China to enter into some understanding with Japan.

Mutsu.
6月17日の貴下の電文は受け取った。
貴下は、朝鮮政府による否認にも係わらず、騒擾はまだ鎮圧されていないと信じる充分な理由があり、騒擾の頻発を考慮すれば、日本軍の派兵は軽率でも不必要でもなかった。
日本はあらゆる予防措置をとっているため、衝突など決して無いって、それらの公使に伝えていいよ、と。
で、イギリス公使にだけは、内々に日本政府が現在の騒擾の迅速な和平を切望しているだけでなく、将来の朝鮮の平和と秩序を安定した基盤の上に構築する希望を持って、日本といくつかの合意を締結する提案を清国にしていると知らせてね。かな?
さっぱり自信ナスwww

内容を見る限り、上の1894年(明治27年)6月17日付『電受第258号』の話ではなく、4月16日のエントリーでの1894年(明治27年)6月17日発『電受第252号』への返事っぽいですね。

全州を奪還したと言っても、東学軍は逃げ散っただけなわけで、あまり致命的なダメージを受けているとは思えず。
東学軍を根絶やしにするか、民乱が起こらない程度に内政を改革しない限り、再発は妨げられないわけで。
言ってる事自体は間違って無いと思うんだけどなぁ。


ってことで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)
日清戦争開戦まで(二)