今日で今回の連載最後なわけですが、未だにjpn1_rok0氏のスレッド、【いい所なんだから、消すなんて野暮はよしなよ(w】における、「青山里で日本軍に甚大な被害を与えていたなら、日本軍は「逮捕」あるは「殺害」するチャンスなのに、何故「救済する」なのか」という論理を崩せていないどころか、これ、さらに補強してね?とも思われる史料が続いているわけですが、さて。

本題に入る前に、前回「600人いた仲間が50人にまで減ってるのは、屯田兵にする予定で6県に分散してるからという話かな。」と書いたわけですが、「金一派の現勢は此等を通じて僅に50名内外にすぎず」ってことは、勢力自体が600人から50人に減っちゃってるんですね。
で、屯田の方は計画に着手されてるだけで、残りの人数で屯田を実行してるわけでは無いですな、これ。
ってことで、前回の記述修正。
慌てて書いちゃ駄目ね。(笑)

では、前回の在間島総領事鈴木要太郎から外務大臣松井慶四郎への1924年(大正13年)3月15日『機密第83号』の続き。

【画像1】 【画像2】

三.屯田資金の運動

以上の計画により、今後前項各県には続々屯田的移住を奨励すべく、耕地購入其他に要する資金は一部募捐によるの外、鮮内外資産家を勧誘して投資庇援せしむるの方法を講じ、現に敦化県方面に於ける此等資金の運動は、左記3名により之を担任すべしと。

金碧秋 (本命金斗燮と同一人なるが如し)
劉治石 (前年上海国民代表会議に参列したる者なりと 柳振昊の変名にあらやの疑あり)
許泳鎮 (暴徒派許根の一族なりとの説あり)
資金繰りさえまだついてないようで。(笑)

【画像1】 【画像2】

四.金佐鎮の帰順に対する意向

親しく金佐鎮と面唔し、切に現在の大勢を説き帰順を勧告したる所、彼は之を一笑に附し、個人の利害得失の如きは素より念頭に置かず、運動の成否亦今にして論ずべきにあらざるも、既に男子意を決し、此大業に携はりたる以上之と終始するあるのみ。
再語るを止めよとて、厳然として制し、聴従の色なく、彼は飽迄将来に於て奏功の期あるを自信し居れり。
然ども、部下の大くは浮浪の雑輩にして、今や帰順して正業に就くの意■なきにあらざるも其資なく、且放縦思想の膏育に入れるを以て、已むなく之に与みするのみ。
故に此等は、相当の方策を以てせば、容易に招来するを得べき状態にあるは事実なりとす。
うーん。
金佐鎮本人とも会えちゃうのか・・・。

で、彼は現在の状勢を説かれ、帰順を勧告されても笑って「個人の利得は考えて居らず、運動の成否は今論じるべきではないが、既に男子が決意しこの大業に係わった以上は、最後までやる。もう言うな。」と述べるわけです。
まぁ、韓国人からしたら立派なせりふ。
日本人にしたら強がっちゃって、なわけですが。

金佐鎮はそのように述べるものの、部下は殆どやる気無し。
適切な手をうてば、簡単に反日運動止めちゃうような状態なのは事実だ、と。

日本も、帰順しないと聞いても慌てた様子は全くありませんねぇ。

【画像1】 【画像2】  【画像3】

五.其他の状況

(イ) 金佐鎮は現に支那服を着し、一般は白冶先生の号称を以て通じ、意気旺盛にして衷心大成を期し、毫も悲観の状なし。

(ロ) 一般は、粟飯に味噌等の素食に甘んじ、極めて窮乏の生計を為しつつあり。
 募捐金等は保管厳重にして之が浪費を許さず、散宿せる各幹部は、時々会議を為し居れり。
 支那官民は、金佐鎮一派の潜伏せるを知らずと。

(ハ) 李鴻来は、日本側警察機関に於て逮捕の手配を為し居れるを自覚し、本年1月初旬、和龍県南陽坪日本警察派遣所巡査林時玩を狙撃したる事実を放言し、今後に於ても独立運動の障害と為るべき特務密探等は、悉く殺害すべしと豪語し居れり。

(ニ) 金佐鎮一派は、目下額穆県に於ける赤旗団一派と相反目し、現に同団に加担せる安武等を暗殺すべき計画を為し居れるが如し。

(ホ) 間島各地方面に連絡機関を密設せるは事実にして、常時此等機関よりの通信絶へず、敦化・延吉の吐呑口なる哈爾巴岺咸興村居住李炳秀は其一人にして、同志の去来に便宜を供与し、其他通過支鮮人の情況査察並通信連絡の中継等を為し居れり。

(へ) 間島方面に進出する募捐隊員等は、哈爾巴岺以東間島境内に入る場合は、多くは包袋を肩にし、附近村閭間の交通旅行を装ひ、下脚部に達する長尾袋は之を袴の内部に隠し、以て遠来の旅行者にあらざるを装へり。
但し、夜間は袴の上より之を穿ち、行動の便に資す。
■衣は、表白裏黒を常用し、昼間は黒、夜間は白に表裏を転々して着用するを例とす。

(ト) 最近長白県射槍隊総辨姜承慶は、金佐鎮の招に応じ来到し、連絡に関する協議を為し居れり。

右及報告候

敬具

本信写送付先
北京公使 奉天 吉林 哈爾賓総領事
朝鮮総督 咸鏡北道知事 羅南憲兵隊長
朝鮮軍参謀長 第19師団参謀長 間島・琿春派遣将校
管内各分館主任 分署長
金佐鎮は、一般から白冶先生の号で知られ、意気旺盛。
でも、部下は粟飯に味噌等の粗食で、極めて窮乏の生計をなしつつある、と。
そりゃ600人から50人に勢力も減りますわな。

で、日帝とは面会しても、仲間割れはしっかり行ってるわけで・・・。
伝統ってのは、恐ろしいもんですなぁ。(笑)

さて、整理してみましょう。
(1) 3月13日のエントリーの『第88号』、今回の『機密第83号』、何れにおいても金佐鎮に帰順してほしいのは朝鮮人側、具体的には「海林鮮人長キンエイセン」と「在間島有力鮮人」である。
要するに、恐らくは無為徒食して迷惑だからという理由だと思われますが、朝鮮人側で金佐鎮に帰順を説き、これを受けて在ハルピン山内総領事は外務省に相談し、在間島鈴木総領事は金佐鎮に帰順の意思確認のため、特派に直接面会させたに過ぎない。

(2) (1)の結果として外務省は放置プレイ、金佐鎮は帰順なんてしないと壮語したので、間島でもそのまま査察報告したのみ。

(3) 外務省の放置プレイが効いたのか、『第88号』から『機密第83号』の1年間に、金佐鎮の仲間は600人から50人に減っている。

(3) 普段隠している拳銃は、金集めにまわる時に限って携帯している。

(4) 日本が査察に行っても直接会話するが、仲間割れは忘れない。

(5) 計画は色々あるが、ほとんど実行された気配が無い。

(6) 金佐鎮は壮語するものの、部下は極めて窮乏。

(7) 日本側が金佐鎮一派を「敵」として捉えているように見えない。

ってとこかな?
ほかにもあったら、コメント欄で指摘ヨロ。

さて、上記のとおり、悲惨な状況からさらに悲惨な状況になった事は分かりました。

・・・。
で、肝心のjpn1_rok0氏のスレッド、【いい所なんだから、消すなんて野暮はよしなよ(w】における「青山里で日本軍に甚大な被害を与えていたなら、日本軍は「逮捕」あるは「殺害」するチャンスなのに、何故「救済する」なのか」という論理に全く反論できていないどころか、補強しているようにも感じられる史料だったわけですが。

孤藍居士氏は、そんなにニコちゃん大王こと愼鏞廈氏を狩りたいんでしょうなぁ・・・。
まぁ、「617 :孤藍居士:2006/03/07(火) 12:45:22 ID:4igqJKjv 兎に角、あんたらもちょっとは気を付ける方がいいぞ。俺は反日ではないが、イルパでもない。知る限り隙が見えるなら、韓日問わず直ちに攻め始めるからな。」という孤藍居士氏なので、学匪たる愼鏞廈を攻め始めるのは、ある意味当然の所業ですがね。

では。


(了)



金佐鎮(一)
金佐鎮(二)