長らく続いてきた安重根の話も、今日で取りあえず一区切り。
最後は、年表形式で伊藤暗殺後を見てみたい。


1909年10月26日
伊藤博文(69歳)ハルピン駅で安重根により暗殺
ロシア東清鉄道警察署長心得ニキフォーロフにより、安重根逮捕
全身検査後、ロシア始審裁判所検事と韓国人通訳とによって訊問
即日、ハルピン日本総領事館に移送

10月27日
外務大臣小村寿太郎よりハルピン日本総領事館川上俊彦に対し、当該裁判について関東都督府地方法院に付する命令
伊藤博文の国葬を勅令(レファレンスコード:A03020818200 [画像1] [画像2]

10月30日
検察官溝淵孝雄による訊問開始

伊藤博文の殺害理由である十五ヶ条を陳述

11月 1日
伊藤博文の遺体 横須賀に運ばれる
安重根ほか容疑者8名 旅順監獄へ移送
(安重根、金成玉、金麗水、金衡在、劉東夏、卓公圭、鄭大鎬、禹徳淳、曹道先)

11月 2日
伊藤博文の遺体 新橋駅に到着し枢密院官邸に入る

11月 4日
伊藤博文 国葬

11月13日
伊藤博文暗殺事件 関東都督府法院で審問開始

1910年2月7日
関東都督府地方法院で伊藤博文暗殺事件裁判開始(第一回公判)
安重根は、伊藤が韓国併合のために働いた事を指摘し、暗殺するに至った政治的理由を開陳

2月 8日
伊藤博文暗殺事件 第二回公判
2月 9日
伊藤博文暗殺事件 第三回公判
 
この二回の公判において、禹徳淳、曹道先、劉東夏に対する訊問及び証拠調がなされる
禹は、伊藤の暗殺を企図したが、結局中止したと供述
曹、劉は、ただ通訳を依頼されて同行したのみで、伊藤暗殺については全然預かり知るところは無いと述べる

2月10日
伊藤博文暗殺事件 第四回公判、論告求刑
 
検察官の溝淵孝雄は、禹徳淳、曹道先、劉東夏の知識程度が低いことを理由に政治的動機を否定
安重根についてもその政治的動機を否定し、安の知人が韓国総督府によって処刑された事から伊藤を恨み、私的復讐を遂げたに過ぎないと論ずる事に重点を置く

求刑は、安重根については殺人罪により死刑
禹、曹については殺人予備罪により三年の懲役
劉については殺人幇助罪により一年六ヶ月の懲役

2月12日
伊藤博文暗殺事件 第五回公判、最終弁論
 
弁護人は、当初ロシア人二人、イギリス人一人、スペイン人一人、韓国人二人が出願していたが、関東都督府地方法院は、これらのものは完全に日本語を了解しないという理由で全て不許可
日本本国に居住する弁護士紀志某の弁護出願も何故か却下
結局、官選により住大連の水野吉太郎、住旅順の鎌田正治両弁護人が出廷している

2月14日
判決言渡
 
安重根:殺人罪により死刑
禹徳淳:殺人幇助罪により懲役三年
曹道先:殺人幇助罪により懲役一年六ヶ月
劉東夏:殺人幇助罪により懲役一年六ヶ月
判決文において、判官の真鍋十蔵は伊藤殺害の動機に触れ「その決意、私憤に由るものに非ず」としている

2月19日
安重根 関東都督府高等法院への控訴権を放棄
(関東都督府の法院は二審制)

3月26日
旅順監獄で安重根の死刑執行



この裁判の経緯に、主に司法面からの種々の疑念があるのは事実である。

1.ロシアによる安重根らの引き渡し
 
当時の鉄道というものが利権となっていたのは、旅客収益や物資輸送面もさることながら、沿線、駅、果ては駅周辺の都市に至るまで、警備等を名目とした警察権等にもあったのである。
一種の治外法権であり、租界に近い。
故に列強は鉄道の敷設権を欲したのである。
ロシアが、ロシア東清鉄道附属地内における事件の司法権行使の権利を放棄したのは、やはり対日外交上の配慮であったのだろうか。


2.関東都督府地方法院での裁判
 
根拠として、「清韓通商条約」第五条(清国領土内における韓国人には韓国法を適用するとして、韓国の領事裁判権が認められている)及び「第二次日韓協約」第一条(韓国人の外交保護権)に依っている。
しかしながら、これらは外交と司法の分限の混同であって、本来は韓国の刑法によって領事裁判に処するか、韓国の司法機関に引き渡すべきでなかったか。


3.弁護士選任
 
前述のとおり、多数の弁護士の申し出があったのであり、これらを不許可としたのは、安らの弁護士選任の権利を制限するものではないか。


4.行政権による司法権への干渉
 
外務省政務局長倉知鉄吉が、高等法院長に12月3日に会い、「死刑の希望」を伝えたのは事実である。
これに対し、関東都督府法院での裁判でもし「無期徒刑(無期懲役)」になった場合、検察官に控訴させ、高等法院で死刑を宣告する約束が為されたとされている。
また、いかなる考慮があったのか、外務大臣小村寿太郎は安重根の裁判延期を希望している。
そもそも関東都督府は外務省の監督に属しており、司法権の独立を担保するのは難しかった。

ただし、これらは司法手続におけるものであって、事件の本質を左右するものではない。


安重根は、定義としてのテロリストに明らかに当てはまる。
もし本人の弁の通り、「独立軍義兵隊の参謀中将」であったとしても、「独立軍」が、日本国政府、外務省、在外公館を訪れ、国際法規に基づく正式の宣戦布告を行った事実はない。
また、安重根は、私服を着用、武器を隠蔽して民間人を装い、軍事行動を行ったことになる。
これは、「ハーグ陸戦規定」の第1款 第1章 第1条及び第2条に違反している。
そして、何より安重根が殺害したのは、日本国軍人ではなく、軍の階級及び指揮権を持たない「非戦闘員」である伊藤博文であり、安重根の行動は、非戦闘員の保護を義務づけた国際法に違反している。
よって、テロリストでなければ、戦争犯罪者と呼ぶのが適当であろう。


(取りあえず安重根シリーズ 完)