昨日のエントリーに引き続き、テロリスト安重根のお話を「安応七歴史」より。


東学党の乱の征伐を行った安は、その後キリスト教へ入信する。
安重根もフランス人宣教師洪神父から洗礼を受けた。
洗礼名は多黙といった。



フランス人なのに、何故に「洪」?と思ってはいけない。
中国でも日本でも韓国でも、良く外国人名は漢字による当て字がされる。
基本的には漢字の発音に相当するようなものが多いが、今のところ「洪」の本名は不明である。


1904年、仁川港湾において日露両国が戦火を交えたという手紙が来た。
洪神父が嘆いて、韓国の将来は本当に危いと言っていた。
安がそのわけを聞くと、洪神父は、「露国が勝利すれば露国が韓国の主人となり、逆に日本が勝利すれば日本は韓国を管轄するだろう」という。



日露戦争である。
洪神父はかなり正確な情勢判断をしている。
最も、裏返せばこの頃には既に諸外国によって、朝鮮王朝自体に統治能力は無いと思われていたのである。
いや、寧ろ開国以降、朝鮮王朝を所謂「文明国」として見ていたのは、日本だけであったのかも知れない。

安重根自身は、「安応七歴史」同様に、旅順の獄中で書かれた「東洋平和論」の中で、日露戦争についてこのように記載している。


日本の天皇の宣誓書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論ずる事無く、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。
もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、理に合うものであった。



韓国の民衆はそう思ったかもしれないが、宮中は以前のエントリーのとおり仏館播遷計画、ロシアへの保護請求、日露戦争に日本が勝てないと思っての再度の露館播遷計画、戦争直前の中立宣言など、「黄白両人種の競争」とも思わず、ただ自らの保身に汲々としていた。


快なるかな、壮なるかな。
数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打しただけで大破してしまったのである。
日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。
だからこのとき、韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分達が勝ったように喜んだ。



日露戦争に、日本が勝った事は、韓国民衆にとっても快事だったのであろう。