6月とかは、1ヶ月で2日分の史料しか進まなかったりしたんですが、今月は約1週間分も進んでたり。
書簡による報告等が少なくなって、恐らくスピード重視で電信メインになってるからだとは思うんですが、おかげで英文史料ばっかりに。(笑)
訳すの面倒くせぇ。

< 2008年9月のエントリー >
なんか、淡々と外交交渉が進んでる印象。
あまり笑いどころは無い。(笑)

日清戦争開戦まで(八十一)

清国との開談条件が重要なエントリー。
1.朝鮮の内政改革を基礎として開談を申し入れるなら異議は無い。
2.清国が朝鮮独立の問題を起こさなければ、日本も触れない。
3.撤兵については開談当初に取り決める。
4.朝鮮の政治上・通商上、清国と同等の権利・特権の保持。
一方、朝鮮に対する改革要求の方も、着々と進んでいる模様。


日清戦争開戦まで(八十二)

イギリス外務大臣と青木公使の面談内容の史料だけで終わったエントリー。
青木、話どこまで通じてるんだろうか・・・。


日清戦争開戦まで(八十三)

清国がロシアの干渉に期待しているらしいという小村からの電報と、聶の布告に関して強硬な抗議を申し立てる事を訓令した陸奥から大鳥への電報が重要かな。


日清戦争開戦まで(八十四)

内政改革要求に関する草案提出の話と、イギリスに対して「日清戦争開戦まで(八十一)」の開談条件が最大限の譲歩である旨、及び日本側の撤兵条件について伝える訓令が重要。


日清戦争開戦まで(八十五)

イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・オーストラリア・オランダ・イタリア・ドイツ・清国・ハワイ・メキシコの日本公使等に向けて、これまでの経緯の概略が伝達されます。
余計な話が無い分、まとめとしては結構見やすいと思う。


日清戦争開戦まで(八十六)

在清国イギリス公使から、清国側で開談の受入意向を伝えてきた史料が重要かな?
後は電信関係。
朝鮮政府が修理したから、日本の軍用電信架設は朝鮮の主権侵害になるんじゃね?と。


日清戦争開戦まで(八十七)

清国との交渉が始まれば、日本の提案が拒否された事を根拠に拒否し、聞くだけにしろという訓令が出されます。
イギリスはイギリスで、朝鮮を独立国扱いしてねーし。(笑)


日清戦争開戦まで(八十八)

なんか、省略されてるのか何なのか分かりませんが、どんどん英文電信の中身が分かりづらくなってきてますが・・・。
栗野から陸奥への電信は非常に興味深いんですが、やはり詳細が不明。


日清戦争開戦まで(八十九)

『駐韓日本公使館記録』から、これまでの漏れてた分をまとめてやったエントリー。
自衛以外には開戦しないと明言してるんだから、清国の入京を武力で阻止するなんて攻撃的手段取んな、って電信が重要。
つうか、内政改革がポーズ云々の話もそうだけど、陸奥って、単に外交上の言質を守ってるだけじゃね?と。


日清戦争開戦まで(九十)

一人で勝手に盛り上がった、天佑俠(天佑侠)に関する史料を取り上げてるエントリー。(笑)
ま、日本人商人から強盗してるっつう史料なんですが。
つうか、天佑俠(天佑侠)が東学党の乱に合流とか全琫準との会見とかいう話、時期的に考えて凄ぇ眉唾なんですが。( ´H`)y-~~


日清戦争開戦まで(九十一)

聶の布告について、袁世凱から所謂「属国自主」の回答。
もう一つは、清国におけるこれまでの経過整理。
別紙はこれまでのエントリーで取り上げてきてるんで、割とリンク集の様相を呈しておりますが。(笑)


日清戦争開戦まで(九十二)

イギリスの調停斡旋に基づく、日清交渉関係の資料が中心。
つうか、言葉不足過ぎて、どういう進行になってるのか良く分からん。(笑)


日清戦争開戦まで(九十三)

大鳥公使に対する、清国政府との交渉中に実質的利益の確保に努めろという訓令。
小村臨時代理公使からの、良く分からない清国との実際の交渉状況。
西公使からの干渉拒否回答後の反応に関する報告の3点。
イギリスを介した日清の会談関係の話って、重要な局面迎えてる筈なのに・・・。(笑)


そろそろ英文史料、勘弁して欲しいんですが・・・。(笑)



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何か、前よりかなり日付が進むテンポが速くなって、何か史料抜けてんじゃないかとビクビクしているdreamtaleです。
ども。

さて、今日もアジア歴史資料センターから見ていきます。
『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の40画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月8日発『電送第307号』より。

Otori
Seoul

(33) British good offices at Peking may have effect before long resulting in negotiations with Chinese Government.
In anticipation of the possible turn of event, you should in the meantime secure every possible material advantages such as railway, telegraph line, and other pending questions mentioned in instructions brought by 栗野.
Because advantages thus secured prior to opening of negotiations will be so much gain to remain intact.
Notwithstanding the above prospect of negotiation you need not avoid conflict in case of actual provocation.

Mutsu
北京でのイギリスの調停は、まもなく清国政府との交渉をもたらすだろう。
事態の変化の可能性を予想し、その間に栗野の届けた指示で言及した、例えば鉄道、電信及びその他懸案事項等の実質的な利益を可能な限り確保すべきだ。
なぜならば、交渉開始に先だって確保した利益は、その多くが依然として得たままとなる筈だからだ、かな?

んー、9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』とか、前回の1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』って、やっぱ時間稼ぎのための手段なんだろうか?

でも、それだったら清国に返答遅延させとけば良いしなぁ・・・。
もしかして、対清交渉を見据えてるんじゃなくて、その後にあるイギリスとかの諸外国との交渉まで見据えてるのかな?
ま、個人的な推測ですが。

で、前述の交渉の見込みにもかかわらず、実質的な挑発が行われた場合には、戦争を避ける必要は無い、と。
日本から能動的に戦争はしませんと宣言してるわけですが、清国から「挑発」があった場合には戦うのは吝かではないって事で。

ただ、9月19日のエントリーの一番最後の史料を見るに、清国兵の入京程度では「actual provocation」にはならないようですし、諸外国に戦争の起因として説明出来うるような「挑発」ってのが、「conflict」の前提になるんでしょうね。

さて、続いては『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』を見ていくことに。
18画像目右側。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第385号』より。

Mutsu
Tokio

I am acting in communication with British Minister, he thinks Chinese government will make proposals.
The rumor of the departure of 李鴻章 for 北京 is not true.

Komura
私は、イギリス公使と連絡をとって動いており、彼は、清国政府が提案をすると思っている。
李鴻章が北京に向けて出発したという噂は、事実ではない。

前回の1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』に対する返事なんかな?
それとも、1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』に対する返事なのかな?
これまた端折りすぎて良く分からん。
勘弁してくれ。(笑)

続いて、同じく19→18画像目。
西から陸奥への、1894年(明治27年)7月8日発『電受第386号』より。

Mutsu
Tokio

Your last telegram regarding reply to 在日本露公使 received 七月五日.
I had an interview with chief of the Asiatic Department 七月六日 who said to me that no telegram of it has been received yet from 在日本露公使.
I explained him contents of your reply, He found it not very satisfactory stating that nothing has been made against a dangerous collision, then pointing out disinterestedness of our object.
I evidenced inconsistencies of Russian Government's doubt and that in case they repeat similar advice to Japan the consequence will be very serious as at present it is impossible for us to withdraw troops.
He said that he will consult with Minister for Foreign Affairs who lives in the country being very ill and promised to inform me in all case of their decision before instructions be sent to 在日本露公使.
I am doing my utmost to keep them from further intervention.
I want to have here somebody will acquainted with English on account of Corean question.
Please send immediately for a tissue one of the members of Legation in Europe.

Nissi
んで、何故か飛んで22→23画像目に訳文があるので、そちらもテキストにしておきます。

在日本露国公使への回答に係る貴大臣の最近電報は、7月5日接受せり。
7月6日本官は、亜細亜局長に面晤せり。
同氏曰く、右に関する電報は未だ在日本露国公使より接受せずと。
依て本官は、貴答の要領を同氏に説明せしに、同氏は右にては衝突の危険を予防するものなきを以て、甚だ不満足なる旨申聞けたり。
故に本官は、我目的の全く私を計る意に出でたるに非ざる旨を表示し、且つ露国政府の疑念と事実相違の旨を証明し、若し露国政府にして日本へ対し同様の忠告を再びするに於ては、事体甚だ軽からざることとなるべし。
如何となれば、今我兵を撤回することは、到底出来得べからざることなればなりとの旨を答へたるに、同氏曰く、外務大臣は目下重病にて田舎に保養致し居れども、同大臣と協議を遂ぐべしと。
且つ、兎に角在日本露公使へ訓令を発する前に、露国政府の決議を必ず本官へ告知すべき旨約束せり。
本官は、露国政府をして此上の干渉をなさしめざる様、全力を尽し居れり。
ロシア公使への回答に係る陸奥の電報ってのは、8月25日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第277号』かな?
それを7月5日に受け取り、翌6日にロシアのアジア局長に面会。

アジア局長は、その回答に関する電報はまだヒトロヴォから受け取ってないよ、と。
そこで西が、回答の要領をアジア局長に説明すると、衝突の危険に対して何もしていない状況について非常に不満。
ってことで、日本の目的は私欲では無いことを指摘し、ロシア政府の疑念の矛盾を証明し、もしロシア政府が日本に対して同様の忠告を再び行えば、事態は非常に深刻化するだろう。
なぜなら、現在日本にとって撤兵は不可能だからだ、と。

アジア局長は、外務大臣は現在重病で田舎で保養中だけど、彼と協議すると言うわけです。
そして、とにかくヒトロヴォに訓令を出す前に、彼らの決定を必ず西に告知すると約束した、と。
で、私はロシアのさらなる介入を妨げるため、最善を尽くしている。

次の2行が、和訳から抜けてますね。
朝鮮問題のために英語に精通した者が必要だ。
早急に欧州の公使館の職員を一人送って欲しい、と。

んー、これまでの英文電報見るに、英語に精通した人物って、あちこちで必要そうな印象なんですが・・・。(笑)


今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(九十二)
日清戦争開戦まで(四十三) 
日清戦争開戦まで(四十四) 
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)


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何故かこのところ長いエントリーが続いて、ちょっとグッタリ。
今日は長くなんなきゃ良いなぁ。(笑)

ってことで今日最初は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
17画像目右側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』より。

Komura
Peking

Have you seen 王大臣.
If so with what result and have you imparted it to British Minister to China what did he say.
Telegraph these to me as soon as possible.
It is rumored that 李鴻章 went to Peking.
Is it true.

Mutsu
もし貴下が王大臣と会ったのならば、その結果とそれを在清国イギリス公使へ伝えたかと、彼が何と言ったかについて、できるだけ早く私に電信するように。
李鴻章が北京に行ったという噂があるが、それは事実か?
かな?

いっつも悩むんだけど、ピリオドの場所分かりづれぇ・・・。
つうか、クエスチョンマークとかも、ちゃんと書いてくんねぇかなぁ・・・。(笑)

続いては、同じく17画像目の左側。
今度は、小村から陸奥への電信ですね。
1894年(明治27年)7月7日発『電受第384号』より。

Mutsu
Tokio

At an interview 七月七日 総理衙門王大臣 asked whether I was not instructed to enter into discussion as suggested by British Minister.
I explained that the proper course now to be followed was for Chinese government to make proposals, and they promised to answer after a consultation 七月九日 at the latest.

Komura
7月7日会談で総理衙門王大臣は、イギリス公使によって示唆されているように議論に入るよう指示されなかったのかどうか尋ねた。
私は、現在従うべき適切な進行は、清国政府によって為される提案だと説明した。
彼らは、遅くとも7月9日まで協議した後の回答を約束した。

先ほどの1894年(明治27年)7月7日発『電送第304号』を受けての返事なのかな?
つうか、端折り過ぎてて、どういう話になってるのかサッパリ分からん。(笑)

で、これで7月7日の史料終わりかな。
次からは7月8日の史料に入って行きましょう。

まずは、『駐韓日本公使館記録2』から。
前回冒頭の袁世凱からの書簡を受けての返事になります。
1894年(明治27年)7月8日付書簡より。

大日本特命全権公使大鳥 爲
照会事接准貴暦光緖二十年六月初五日貴総理来文内開聶軍門所出告示字様係照我国與朝鮮向来体制制応行各節辨理数百年例案備載章籍可考固非初出新裁云々等因准此本公使査我国政府以朝鮮認作自主独立之邦即拠日朝訂約以来暦所践行実在事蹟断不可移者也所有原委己罄之於我暦本月初三日本公使公文内旡煩再敍至所詔例案章籍者固不可推究之於今日亦非本公使所応與聞也為此備文照会
貴総理請煩諒照可也須至照会者
右照会
大清総理交渉通商事宜 袁
貴下の公文書内に、聶軍門の告示の中の文字については、清国と朝鮮がこれまでずっと維持してきた体制で、これによって様々な事を数百年の習わしとして処理してきて、文書にも載ってるし、言うまでもなく、今回が初めってってわけじゃ無いってあった。
日本政府は日朝訂約で朝鮮を自主独立の国と認めて以来、ずっと実行してきており変わるものではない。
8月29日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日付けの書簡の話をもう一度書く気はないけど、習わしとか関係ねーから、と。

話、ずれてんだろ。( ´H`)y-~~
ってことかな?(笑)
単なる「習わし」に基づく表現なら、「属国」という記述をやめても何ら問題無いわけですしねぇ。

「宗主国」とか「属国」って一言で言うけど、「条約体制」下における「冊封体制」について、どういう義務や権利関係になってるのか、明確に説明できれば問題無かったんじゃないかなぁ。(笑)

さて、続いてアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』に戻りましょう。
24画像目右側。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月8日発『電送第306号』より。

Komura
Peking

Received your telegram of 七月七日.
See British Minister at once and telling him promise of 王大臣 ask him to induce 王大臣 to make proposals not much differing from the sense of four points suggested by me as soon as possible stating that delay will make Corean situation more serious and dangerous and that if Chinese proposals greatly differ from those points negotiation could not be smoothly and speedily concluded.

Mutsu

If proposals they make are similar to those made by Russian Government, Japanese government will be forced to decline to enter into negotiation for Japanese government cannot accept the same proposal after the refusal of Russia.
先ほどの、1894年(明治27年)7月7日発『電受第384号』は受け取った。
早急にイギリス公使に会い、王大臣の約束について話し、私の提案した4点の意味と大きく違わない提案をし、遅延は朝鮮の状況をより深刻且つ危険にし、もし清国の提案がそれらの点と大きく違えば、交渉は円滑且つ迅速には結了しないと、王大臣を説得するよう求めろ、と。

9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』では、例え前提に基づいた提案が行われても、断る気満々に見えましたが・・・。
前提と全く違う提案がされた場合に、「約束が違う!」と怒って席を立つのとどう違うんだろう?

で、もし、彼らにより行われる提案が、ロシア政府により行われたものと同じようなものであれば、日本政府はロシアの提案を拒絶した以上、同様の提案を受け入れることはできず、交渉に入ることを断らざるを得ないだろう、と。

つうか、良くあんだけの電文から、こんだけの返事を返せるな・・・。
何か他にも電文とか来てんのかしら?


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(六十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(九十)
日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(九十一)
日清戦争開戦まで(四十二) 
日清戦争開戦まで(四十三) 
日清戦争開戦まで(四十四) 
日清戦争開戦まで(四十五) 
日清戦争開戦まで(四十六) 
日清戦争開戦まで(四十七) 
日清戦争開戦まで(四十八) 
日清戦争開戦まで(四十九) 
日清戦争開戦まで(五十)


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んー。
右側のShiftキーが、散歩に出たまま帰ってこない・・・。
どうも、飼い犬が壊してどっかに咥えていったらしいんだが。(笑)
使いづれぇ。(笑)

って、どうでも良い話は置いておいて、今日は『駐韓日本公使館記録2』から。
袁世凱から大鳥への、1894年(明治27年)7月7日(光緖20年6月初5日)付書簡より。

大清駐紮朝鮮総理交渉通商事宜袁 爲
照覆事照得本年六月初一日准
貴公使照会内開
聶軍門告示字様一案准此査
聶軍門所出告示字様係照我国與朝鮮向来体制応行各節辨理数百年例案備載章籍可考固非初出新裁至朝鮮與各友国立約交際内治外交向由自主竝
曾與欧西各国照会聲明在案無俟
貴公使来文声明本総理久己知悉惟
貴公使如何視断非本総理所敢與聞相応備文照覆
貴公使請煩査照可也須至照会者
右照会
大日本特命全権公使 大鳥
8月29日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日付けの書簡に対する返事ですね。

その書簡の中で、聶軍門の告示の中の文字については、清国と朝鮮がこれまでずっと維持してきた体制で、これによって様々な事を数百年の習わしとして処理してきて、文書にも載ってる。
言うまでもなく、今回が初めってってわけじゃ無い。
朝鮮が各友邦と条約を結んで交際することになった時、内治外交については自主になったし、曽て西欧各国とも照会文により声明した前例があるのを大鳥の照会前から知ってるけど、君がどう思うかは私の関与するところではないね。
かな?

自主云々の西欧各国との文書で有名なのは、シューフェルト条約の時の照会文ですね。

< 参考スレ >
■『属国文書』の背景説明

ってことで、所謂「属国自主」について述べた返事って事になるのかな?

んじゃ、次。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/5 明治27年7月2日から明治27年7月19日(レファレンスコード:B03030206500)』から。
22画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月7日付け『機密第30号信』より。

本件にて総理衙門大臣、当地英国公使オコノル氏を訪問並に本官より英公使に申聞の件に関する往電は、別紙甲号寫の通り。
又、在日本露国公使よりの公文、並に在英我公使よりの電文、並に在日本英国代理公使の晤談、並に本官より英公使に内話の件に関する来電は乙号の通り。
又当地仏国公使ヂヱラルド氏方に到達の電報、並に同公使所存の件に関する往電は丙号の通り。
又、英公使独立語云々申聞の件に関する往電は丁号の通り。
又、在日本露公使へ回答の件に関する来電は戊号の通りにて、此来電末文の訓令に依り露公使と往復の次第は、早速在天津並に芝罘我領事に致転電候。
又、在日本英国代理公使より当地英公使へ通知の次第、並に其義本官より英公使に通知の件に関する来電は己号の通りに候。

貴方6月11日附機密送第10号信を以て御回送の、両陛下大婚25年の御祝儀に対せらるる清国皇帝陛下への御答翰、去る28日到達。
全権公使在任に候はば、無論謁見捧呈可相成筈に候得ど、臨時代理の本官にては謁見の有無難計とは存候も、兎に角一応総理衙門に可申入と存候に付ては、時節柄該王大臣の言動を見聞して、衷情を推測するの方便にもと存じ、去る3日総理衙門に罷越、先づ謁見の義を談判以後、果して該王大臣より朝鮮問題に言及有之候。
徐用儀より、此程伝聞する処に拠れば、在東京露公使は今般の件に付、何等貴国政府へ申入たる由に候処、貴国政府は最早其申入れに対し御回答有之候哉と相尋候間、其義更に承知不致候得共、本官一個の考にては、我政府は其申入に対し拒絶の意を表せしならんと存候。
其故は、右の如き申入れを許容するに於ては、向後とも朝鮮事件に対し干渉せしむる先例となるべきのみならず、或る国の如きはこれを口実として更に求むる所なしとせざるを以て、可成は他国の干渉を避くるを得策と認定すべければなりと。
此語、固より一場の私語として相答候処、重て徐用儀より、今度の件にて貴国政府の御意見は広く他国政府の知る所と相成る上は、何とか好き辨法も可有之と云ひたる如く、只管平和主義にて専ら露人即ち目下在天津同国公使カウントカシニー氏の仲裁に従事しつつあるを頼み、流石に日本も我を折るならんと思考するものの如くに被見請候間、此際露国の干渉を拒ぎ、且つ朝鮮国内に我国の地位を強固にすべきに於て、機一髮時を失なふべからず。
又、英人の朝鮮に於ける意句は、露人の南下を阻止せんとするに在るは申迄もなき事にて、是迄の行掛の上、彼等は我国の朝鮮に於ける施為に対し、如何の観念を抱き居り候哉。
或は、寧ろ清国と提携するに如かずと思考するにはあらざる歟と推測せられしことなきに非ず。
然るに、今般我国の施為は如何にも敏捷活溌、一切万端彼等の意表に出で、彼等も改観して、心中或は頼母敷念に居るならんと推測せらるることなきにあらざる折柄、我国の朝鮮を管理の義を英公使に説得するは、差して困難にもあらざるべしとの件に関する往電は庚号の通り。
又、英公使総理衙門王大臣と面晤以後、来館談話の次第、並に至急訓令の請求、並に此上或は條約を議訂せられんにも、之を廃棄せらるる様の事あるを予防の為め、批准済迄は我兵の駐韓は必要なるべく、而して清国の政府唯一の目的は撤兵に在るべしと思考の件に関する往電は辛号の通りに候。

当方6月28日附機密第28号信を以て申進の、露国代理公使ウエバー氏当地に就任以後未だ1個月をも経ざるに、又々京城に赴任の為め昨朝当地出発。
右は、必定途中天津に於てカシニー氏には勿論、或は李鴻章とも鼎坐打合せ何等計画の次第可有之と存じ、不取敢壬号の通り電報差立、同日癸号の通り電訓に付、本日午後3時総理衙門に致越、王大臣に面晤可相成候。
右申進候也。
経過整理ですね。

まず、総理衙門大臣がオコノルを訪問した時の内容について、小村が応答したという別紙甲号は、32画像目。
8月4日のエントリーの1894年(明治27年)6月30日発『電受第339号』ですね。

で、在日本ロシア公使からの公文と、青木公使からの電文と、在日本イギリス代理公使の申し入れ、小村からイギリス公使への内話に関する乙号は、32→31画像目。
8月18日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電送第271号』。

フランス公使からの情報と所存についての丙号は30画像目。
同じく8月18日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電受第347号』。

イギリス公使の、独立という単語に関する丁号も30画像目。
8月25日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電受第352号』。

ロシアの介入への対応についての戊号は29→28画像目。
8月27日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第280号』。
で、これについては、訓令中にあるとおり天津領事と芝罘領事に転伝した、と。

それから、在日本イギリス代理公使から在清国イギリス公使への通知と、青木への通知に関する己号が28→27画像目。
9月1日のエントリーの1894年(明治27年)7月3日発『電送第287号』。

で、これまで取り上げていませんが、6月11日付『機密送第10号』で送られてきた、天皇大婚25年の御祝儀に対する清国皇帝への返書が6月28日に到着。
小村が臨時代理公使という地位なので、謁見出来るかどうか分かんないけど、もしかしたら王大臣の言動とかで、その内心を探れるかも知れないんで、取りあえず7月3日に謁見を申し込みに行ってみたら、やっぱり朝鮮問題に言及があった、と。

で、王大臣の一人の徐用儀から、在東京のロシア公使が今回の件について何か日本に申し込んだって聞いたけど、それに対して何か返事した?と聞いてきたので、知らんけど、俺の考えでは日本政府はその申し入れを拒絶するだろうね。
だって、そんな申し入れを受け入れたら、今後朝鮮での事に干渉させる先例になるだけじゃなく、某国なんかはそれを口実にして、更に求めるところが無いとは言えないわけで、なるべく他国の干渉を避けるのが得策だと思うからね、と答えておいた、と。

これは公的立場じゃなくて私的立場で述べた話だけど、徐用儀から更に、今回の件での日本政府の意見は広く他国政府に知られたわけで、何か良い方法もあんじゃね?と言われたように、ひたすら平和主義を取って、カシニーが仲裁してんだから流石に日本も折れるだろうと考えているように見受けられたので、ロシアの干渉を防いで朝鮮国内の日本の地位を強固にすべき事について、チャンスを逃してはいけない。

また、イギリスの朝鮮での意向ってのは、ロシアの南下を阻止する事にあるのは言うまでもなく、これまでの行きがかり上、日本の朝鮮における行為に対してどのように思っているだろうか。
あるいは、寧ろ清国と提携しといた方が良いと考えてるんじゃないかと思われる事も無いわけではない。
しかし、日本の今回の行為は素早く、活発であり、総て彼らの意表をつき、彼らも見方を改めて、心中では頼もしいと思っているのではないかと推測される部分もなきにしもあらずなので、日本が朝鮮を管理する事についてイギリス公使に説得するのは、それほど困難じゃないだろうという庚号は、27画像目。
9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発『電受第361号』ですね。

つうか、電文より凄ぇ長ぇ。(笑)

で、イギリス公使と王大臣が会談して、日本公使館に来て話したことと、至急の訓令請求と、条約の内容が決まっても廃棄されちゃうのを予防するため、批准が済むまでは日本軍の駐韓は必要だけど、清国の唯一の目的は撤兵だろうという辛号は、26画像目。
9月12日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電受368号』。

次に、7月9日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『機密第28号信』で言ってたウェベルの就任から、1ヶ月も経たないのに、彼は昨日の朝京城に赴任しに出発した。
これは、途中の天津でカシニーは勿論、李鴻章とも何か計画するのかも知れないという別紙壬号が、26画像目右側。
9月17日のエントリーの1894年(明治27年)7月6日発『電受第380号』。

同日、25画像目の癸号、つまり9月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』のように電訓があったので、7月7日午後3時に総理衙門に行って王大臣に面会するだろう、と。

一部のまとめだけなのに、何か凄ぇ長くなったな・・・。


ってことで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)   日清戦争開戦まで(九十)



さて。
前回は、アジ歴等で見つからずにこれまで漏れてた史料について、『駐韓日本公使館記録』の電信控を基に書き起こしてみました。
今日からはまたアジ歴等を中心にした話に戻ります。

まずは、『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の18画像目左側。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)7月6日発『電送第301号』より。

Otori
Seoul

31. 軍用電信隊 sent at your request and now being placed in awkward position.
They cannot be now recalled without doing anything.
Moreover present repair is very poor causing interruption so easily and so often.
So under any pretext such as furnishing men and materials to Corean Government try to make more substantial repair or to construct a new line so that to give employment to 軍用電信隊.

Mutsu
軍用電信隊は貴下の要請により派遣され、現在まずい立場に置かれている。
何も為す所無く呼び戻す事は出来ない。
それに加えて現在の修理は非常に粗悪であり、非常に簡単に、また非常に頻繁に途絶の原因となる。

従って、よりしっかりとした修理を行うとか、新しい電信線を架設する朝鮮政府の試みに技術者と物資を提供するなど、何らかの口実に基づいて軍用電信隊に仕事を与えろ、かな?
何か、単語が抜けてる気もしないでも無いんですが。(笑)

これで、6日までの史料は終わりかな?
んじゃ、7日の史料に入っていきましょう。
最初は、『駐韓日本公使館記録2』から。
釜山の永瀧から大鳥への、1894年(明治27年)7月7日付け『親展ノ一』より。

長崎縣平民馬木健三は、此程昌原府龍潭の金鉱試堀の為め、長男辰次郎と共に同処に赴き居りし処、去6月30日午後7時頃、群馬縣人元陸軍大尉田中次郎、福岡縣人大原義剛、石川縣人吉倉睡聖并に鈴木某外8名は、荷物運搬の為め雇入れたる韓人2名を伴ひ同処に至り、馬木に面談して云く、近頃全羅道地方に於て東学党騷擾を起し、続て支那兵は之を鎮圧の為め已に牙山に上陸せりと聞く。
自分等も、此際国家の為め応分の力を盡さん為め全羅道地方に出張の途次なるが、当地近傍に在る韓人の旅家に於ては米飯を得ること能はざるに依り、何卒今夕は自分等一行を此処に止め、且賄ひ呉れよと懇ろに請求したるに依り、馬木は一夜の事なれば敢て差支なしとて之を諾し、直ちに雇人に命じ食事の用意を為さしめし処、田中等は尚ほ語を進めて、馬木父子に向ひ兼て礦山用に貯蔵せる火薬を分配し呉れ間敷やと云ひしに依り、馬木は之を否みしに、彼等は再三再四之を懇望したるも、馬木父子は他品なれば兎も角、火薬は決して付与し難き旨を以て固辞せしに、田中等は一たび口に発して而して遂行する能はざるが如き卑怯なるものにあらず。
若し強て之を否むに於ては我々も決する所あらんとて、恐嚇の体を示し、尚ほ馬木父子を麻縄にて縛し、倉庫番人奥田友太郎をして鍵を出さしめ、直ちに火薬庫の鍵を開き、且つ他の倉庫の鎖鑰を破壊して火薬2罐(凡そ10斤)、ダイナマイト2函(凡そ120発)、雷管凡そ百三、四十発、導火5把と、外に各所の鍵凡そ10個計りを奪取し、同夜12時過ぎ龍潭を発し全羅道に赴くと称し咸安に向け出発せり。
初め田中等が馬木父子を対面せし時は、語調も頗る丁寧にして互に寒喧を敍し、且つ吉倉、大原、田中は曽て釜山及京城に於て面識あるものなれば、雙方打解けて旧を語り、新を話し、互に腹蔵する所なかりしが、火薬授受の事よりして遂に一波瀾を生じ、強談の末終に前陳の如き暴行に及びたるものにして、右12名の日本人は何れも仕込杖及び短銃等を携帯し、火薬横奪の際は馬木の住せる家屋の周囲を警護して出づる事能はざらしめたり。
依て、馬木辰次郎は右遭難の次第報知の為め、本月1日龍潭を発し当港に来るの途上、尚ほ3名の本邦人に邂逅せし処、同人等の語気よりして推測するときは、何れも右暴行者の党類なるが如しと。
以上は、去3日馬木辰次郎が当館に申報する所の要領なり。
該旅行者は、何れも本館より内地通行券を受領して出発したるものにあらず。
又、一時に出発せるものにもあらずして、1、2名づつ出発したるものなるべきに依り、其姓名及旅行先も確と分明ならずと雖、該人員中には新聞通信員と称し、内地より渡来し直ちに出発したるものも可有之、其形跡甚だ疑しきを以て、不取敢該本邦人に対し取調を要する義有之に付、捜索の上当館迄て護送すべき様、当港監理署に依頼致置候。
又た、両3日前内地より来港せし本邦人等の言ふ所に拠れば、福岡玄洋社員凡そ4、50名は当国に来援の支那兵に対し乱撃を加へ、因て以て日清両国の葛藤を引起さんとの目的を以て、漁船に乗り、対洲を経て当国(来港の地は未詳なれども、何れ未開港場の海村ならんと被存候)に渡来せんことを目下計画中に有之趣に候。
依て、是亦直ちに外務大臣へ并せて具報に及び置候。
右為御参考及御通報候。
敬具
天佑俠(天佑侠)キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!! (笑)

長崎県の馬木健三と、その長男の馬木辰次郎が、金鉱試堀のために昌原府龍潭に行ってた、と。

この馬木健三、2月6日のエントリーでも昌原の金礦採掘の話で当ブログに出演済みなんですが、中々可哀想な人生を送ってるようで。
今回の天佑俠による強盗事件の他にも、1897年(明治30年)には、『金九は誰を殺したか(二)』で出てきた大久保機一と並んで、「2万124円59銭7厘 馬木健三」として被害損害額算定のリストの中に名前が見られますし、1901年(明治34年)の史料にも、活貧党の類と目される暴徒の襲来を受け、金品を強奪された上、重傷を負わされたという記録が残ってたりします。
カワイソスwwwww

すると、6月30日の午後7時ころに、田中次郎、大原義剛、吉倉睡聖、鈴木某外8名が馬木のところに来た、と。
ま、漢字間違いはあるんですが、所謂「天佑俠」のメンバーですね。
田中侍郎・大原義剛・吉倉汪聖に、鈴木は鈴木天眼かな?

で、最近全羅道地方で東学党の乱が起き、支那兵が鎮圧のために牙山に上陸したと聞き、自分たちも、国家のために相応の尽力をしようと全羅道地方に出張する途中だが、この辺じゃ米飯を得る事ができないんで、何とか今日は自分たちを泊めて飯を喰わせてくれないかと馬木に言ってきたんですね。

馬木は、一晩だし良いよと承諾。
直ちに雇人に命じて食事の用意をさせてると、田中達は更に鉱山用に貯蔵してる火薬を分けてくれないかと言ってきた。
馬木が拒否したところ、それでも再三再四懇望してくる。
更に馬木は、他の物なら兎も角、火薬はあげらんないよと固辞。
それで、事態一変。(笑)

「有言不実行の卑怯者じゃないぞ!もし強いて拒否するなら、こっちにも考えがある!<#`Д´>」と恐嚇。
で、馬木親子を麻縄で縛り付け、倉庫番に鍵を出させて倉庫から火薬・ダイナマイト・雷管・導火線と各所の鍵を奪い、夜中の12時に全羅道に行くと言って咸安に向け出発した、と。

強盗じゃん・・・。( ´H`)y-~~

最初は語調も丁寧だったし、吉倉・大原・田中とかは以前釜山とか京城で面識があったんで普通に話してたんだけど、火薬の話で一変して上のような暴行に及んだもので、これら12名の日本人は皆仕込み杖や短銃で武装しており、火薬を強奪した時には馬木の家の周囲に見張りを立てて、家から出られないようにした、と。

ん?
12名?
田・大原・吉倉・鈴木外8名だから、14名じゃないんけ?

兎も角、馬木辰次郎は事件の通報のために釜山に来る途中、さらに3名の日本人に会ったけど、その語気からするに暴行者の同類だろう、と。
以上が、馬木辰次郎が7月3日に釜山総領事館に通報してきた要点。

で、これらの旅行者はいずれも釜山領事館で内地通行権を受け取って出発した者ではなく、また一斉に出発したものでもなくて、1~2名づつ出発してるんで、姓名も旅行先もはっきり分からないけど、その中には新聞通信員と称して日本から来た者もあるようで、その形跡が非常に疑わしいので、取りあえずそれらの日本人に対して取調が必要だから、捜索の上釜山総領事館に連行するよう、釜山の監理署に依頼しておいた、と。

また、3日前に来た日本人が言うには、福岡の玄洋社員約4~50人が、朝鮮に来た支那兵に乱撃を加えることによって、日清両国の葛藤を引き起こそうという目的で、漁船に乗って対馬経由で朝鮮に渡来する事を計画中との話なんで、陸奥に併せて具申しておいた、と。

テラ迷惑www
つうか、何しに来たんだ、お前等。
強盗?(笑)



今日も長くなりましたが、とりあえずここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九) 日清戦争開戦まで(八十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)



んー。
アジ歴にも無くて、日本外交文書にも見当たらない電信って、どうやっても見落としちゃうなぁ・・・。
つうか、『駐韓日本公使館記録』の中でも文書番号が無く、控えとして記録してる分に辛うじて残っているような状態なんで。
見つからなくても仕方ないよね。( ´H`)y-~~

ま、文書番号も無く、原本も無い史料は取り上げるの気乗りしないんですが、文書中に連番が付いてる文書だけでも取り上げないと、話が通じない事もありますし。
と、言い訳してから見落としフォロー。(笑)
ってことで、以下『駐韓日本公使館記録』から。
まずは、1894年(明治27年)6月30日発の電信から。

(16) Send by telegraph to 仁川 as additional allowance 7140 Yen, out of which distribute 140 Yen to each 奏任官, at 京城 and 仁川, 80 Yen to each 判任官, 36 Yen to each policeman.
Receive 300 Yen for yourself, give 500 Yen to 加藤外務書記官, keep 3,000 Yen as extraordinary fund.
Details by mail.
んー、電信冒頭のNoが前後してる気がする・・・。

まぁ、内容的には大したことありません。
割増手当7,140円を仁川に送れ。
その中から京城と仁川の各奏任官に140円、各判任官に80円、各警察官に36円を分配しろ。
300円は貴下が受領し、500円は加藤に与えろ。
3,000円は臨時資金として保管しろ。
詳細は郵便で、かな?

いいなぁ、手当増。(笑)

で、続いて1894年(明治27年)7月4日発の電信。

(18) Some 判任官 appointed before while others lately and some busy while others not, I will distribute special allowance in your telegram of 六月三十日 to them according to such distribution as I deem impartial.
I will also give some to students.
Have sent 袁世凱 strong protest against proclamation of 聶.
Received your telegram 24.25.
判任官には、任官時期の差や業務量の差があり、6月30日の貴下の電信の特別手当の分配は、私が公平だと思う分配に従って支給するだろう。
また、学生にも同様にいくらか支給するだろう、と。
ま、ここまでは先ほどの電信の返事。

で、聶の布告について強い抗議を袁世凱に伝えた、と。
9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発『電送第290号』に基づく抗議でしょうね。

最後に、貴下の電信24号と25号を受け取った、と。
24号ってのは、8月27日のエントリーの1894年(明治27年)7月2日発『電送第279号』。
25号が9月5日のエントリーの1894年(明治27年)7月4日発の電信ですね。

んじゃ、次に1894年(明治27年)7月5日発の電信。

(29) Your telegram of 18 received.
You can distribute in such a manner as you think best and you can also spend the remaining sum in any way whatsoever at your discretion.
I have already remitted 10,000 Yen as per my telegram 16, 21 and hope are enough for your requirements.
上のNo18の電信を受け取った。
貴下は、貴下が最善と考えるような方式で分配でき、残余金も貴下の裁量によりどのように使う事ができる。
私は、電信16号、21号により1万円を既に送り、貴下の要求を満たす事を願う、と。

んー、16号と21号が見つからない・・・。
7月23日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』では、大鳥が1万円要求したけどねぇ・・・。
まぁ、そんなに大事そうな話じゃないし、良っか。(笑)

続いて、同じく1894年(明治27年)7月5日発の電信。

(19) 聶 now on the way to 水原 from 全羅道 and may arrive there within a few days.
It is rumored here that he may come in 京城 under the pretext of audience with 2000 troops.
This appears to be well founded because some preparations are being made at 果川 for their arrival.
If it becomes more certain I am going to urge Corean Government not let him enter into 京城 with such a large force and at the same time to 袁世凱 with the reasons that it will bring violent collision between Japanese and Chinese soldiers in 京城 which will cause great damage to lives and properties and must be prevented by all means on the ground of humanity.
If 聶 enters 京城 with large force in spite of my protest I shall prevent them by force.
聶は現在全羅道から水原に来る途中であり、数日のうちに到着するはずだ。
こちらでは、彼が謁見を口実に2,000人の軍を引き連れて京城にくるという噂がある。
彼らの到着に備え、果川に多少の準備を整えていることから、この噂は十分な根拠があるようだ。
もし、それがより確実になれば、私は朝鮮政府と、同様に袁世凱に対して、入京は日清両国の軍隊間に激しい衝突の原因となり、生命と財産に大きな被害をもたらす筈だから、人道主義的立場で何としてもこれを阻止しなければならないという理由で、そのような大軍を京城に入れる事を許可しないように要請する筈だ、かな?

清国軍の水原入りの話は、5月30日のエントリーの混成旅団報告なんかでも出てましたね。

で、もし私の抗議にも係わらず、聶が大軍を連れて入京すれば、我々は武力によってでも彼らを阻止するだろう、と。

つうか、8月15日のエントリーの1894年(明治27年)7月1日発『電送第270号』なんかでも、「refrain from any violent offensive measures」って言われてんだろうが!
少しは頭使えよ!( `H´)y-~~

次は、ようやく連載に追いつく、1894年(明治27年)7月6日発の電信。

(30) Regarding your telegram 19 no objection to protest to Corean Government and 袁世凱 against entry to 京城 of 聶 with large troops as you proposed, nor do Japan shrink from coming to collision on actual provocation.
But taking offensive steps by preventing his entry by force does not give us reasons because we have represented to foreign powers as I informed you already that Japan would never go to war unless defensively compelled to do so.
British Government is very anxious to give good offices between Japan and China and after repeated correspondence between Peking, London, and 東京, I have finally replied to them that Japan may be disposed to entertain proposal if it comes from Chinese side on the following basis.

1st: no question of independence is to be raised by Japan on condition that China will not raise the question of dependency.
2nd: Corean administration to be organized in the sense of second clause of my original proposal.
3rd: withdrawal of troops to be so arranged at the commencement of negotiation as to obtain future security for Japan.
小村 is working with British minister in China regarding the matter.
Under these circumstances avoid offensive conflict without actual provocation.
貴下の電信19号について、聶の大軍の入京に対して、朝鮮政府と袁世凱に抗議しようという貴下の案に異論はない。
そしてまた、日本は実際の挑発によって発生する衝突についてもまた恐れない。

しかし、既に貴下に知らせたように、日本は自衛のためやむを得ない場合を除き、決して開戦しないと列強に明言しているため、清国の入京を武力で阻止するという攻撃的手段をとることは、理にかなわない。

ほら。
やっぱり指摘された。(笑)

で、イギリス政府は日清間の調停に非常に苦慮しており、北京、ロンドン、東京間で通信を重ねた後、私はもし下記を基本として清国側から申し入れがなされれば、受け入れてもよい意向を最終的に返答した。

第一に、清国が朝鮮の属邦問題を取り上げないという条件で、日本も独立問題を申し立てない。
第二に、朝鮮の政権は、日本の最初の提案の第2条を基に組織される。
第三に、撤兵は、日本の将来的安全の確保に応じて、交渉の冒頭で取り決める。

小村は、この問題に関して在清イギリス公使と取り組んでいる。
このような状況下で、実際的挑発なしで衝突する攻撃的な態度は避けろ、か?

つうか、内政改革がポーズ云々の話もそうだけど、陸奥って、単に外交上の言質を守ってるだけじゃね?


非常に長くなりましたが、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
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日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八) 日清戦争開戦まで(八十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




今日は前置き無しで早速。

前回の最後の史料で、「別紙の通り今朝発電に及びたる次第」とされていた、その別紙に該当する電文から見ていきたいと思います。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』から。
1画像目。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月6日発『電受第374号』。

Mutsu
Tokio

3. It is reported that Council of Ministers in Peking has decided to counsel the Emperor of China to resist by force our demand and recalled Special Envoy on the way to 京城.

Okoshi
北京の廟議では、日本の要求を武力により拒否するよう、清国皇帝に勧める事を決定し、京城に向かっている特使が呼び戻されたという報道がある、と。

んー、前回の話を見てたので「reported」を報道と訳せたけど、そういう知識皆無なんだからソースが何かを書かないと駄目じゃないんかな?

さて、続いては『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』から見ていきたいと思います。
39画像目。
9月12日のエントリーで、京城からとんぼ返りするらしい栗野から陸奥への電信になります。
1894年(明治27年)7月6日発『電受第378号』。

Mutsu
Tokio

大鳥 manner of negotiations would not attain speedy result, while keeping foolhardiness for indefinite period is not only very difficult but will cause several disadvantages, Under these circumstances it seems to be highly recommendable that Japanese Government should send immediately special ambassador with extraordinary powers to effect our object.
I shall leave here immediately by 近江丸.

Kurino
大鳥の交渉方法では、迅速な成果は得られないだろう。
向こう見ずさを無期限に保持するのは非常に難しいだけでなく、様々な不都合を引き起こすだろう。
これらの状況下で、日本政府が、我々の目的を達成する驚くべき力を持つ特別大使を早急に送るべきであることを、非常に推薦する。
私は直ぐに近江丸で出発するつもりだ、と。

具体的な話が何も無いんで良く分からん。
憶測するなら、栗野の持って行ったのは内政改革に関する3つの文書なわけで、「keeping foolhardiness for indefinite period」とか見ると、抜本的改革したい大鳥と、7月16日のエントリーの内信程度の条件で良いって栗野の話とぶつかったって雰囲気なんだけど。
まぁ、憶測はヤバイので忘れよう。(笑)

兎も角、交渉について、大鳥じゃ駄目だから別の大使を特派した方が良くね?って話。(多分)

続いては、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』に戻って16画像目右側。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月6日発『電受第380号』より。

Mutsu
Tokio

Weber left here for 京城.
He said that Russian Minister could not leave 天津 for the present as he was still in communication with 李鴻章.

Komura
ウェベルは当地を出発して京城に向かった。
彼は、ロシア公使がまだ李鴻章と連絡しているため、当面は天津を発つ事ができないと述べた、と。

結局、ウェベルって何しに行ったんだっけ?(笑)
3月4日のエントリーとか見ると、カシニーの離任に併せて新任公使がくるまでの代理として北京に向かい、結局カシニー残留で無駄足になったって事かな?

次。
同じく16画像目の、今度は右側。
青木から陸奥への、1894年(明治27年)7月6日発『電受第381号』。

Mutsu
Tokio

Most of influential English papers publish leading articles in conformity with my view that 天津 treaty conveys also on Japan right to protect and demand reforms and preserve the integrity of Corea.
Public opinion is worked to interest British Government in our favor.
Minister for foreign Affairs is anxiously waiting for your acceptance of French.

在英公使
最も影響力の大きいイギリスの新聞は、天津条約は、日本にも同様に改革を保護及び要求し、並びに朝鮮の保全に正当な権利を与えていると、我々の見解と適合する社説を載せている。
世論は、当方を受益者としてイギリス政府に関係させる役に立つ。
外務大臣は、フランスの支持を受けることを切望している、かな?

読みづれぇ・・・。

天津条約云々ってのは、その締結理念そのものと、やっぱり第2款が関係してんじゃねーかなぁ。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六) 日清戦争開戦まで(六十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八) 日清戦争開戦まで(六十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九) 日清戦争開戦まで(六十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)   日清戦争開戦まで(七十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一) 日清戦争開戦まで(七十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七) 日清戦争開戦まで(八十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




三連休に、11月1日で休止するという高速フェリーの「ナッチャンRera・World」に乗ろうと思ってたんだけど、諸事情により中止。
1回乗ってみたいんだよね・・・。

全然関係無い話から始まりましたが、本題に。
今日の史料は、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』の31画像目。
陸奥から小村への、1894年(明治27年)7月5日発『電送第299号』より。

Komura
Peking

You will see 総理衙門王大臣 and tell them that you are ready to communicate to Japanese Government whatever proposal they make and if they enter into discussion on the basis of negotiations, you will decline to do so on the ground that the proposals made by Japanese Government having been rejected by them, you are now only to hear what they propose.
But you will impress upon them that Japanese Government will never agree to the withdrawal of troops before some definite arrangement made at the commencement of negotiations, besides not only existing internal disturbance in Corea is still to be feared Japanese Government had already refused to listen to the advice of Russian Government on this subject.
You will also see British Minister and impart to him what will pass between you and 総理衙門王大臣.

Mutsu
総理衙門王大臣に会い、清国側がどのような提案をしても日本政府に伝達する用意があると伝えて欲しい。
もし、交渉の基礎によって協議が始まれば、日本の提案が彼らによって拒否された事を根拠に拒否し、彼らの提議を聞くだけにすること、と。

ああ。
もう日本単独での朝鮮内政改革の話が始まっちゃってるんだから、今更口出してくんじゃねぇ、って感じなのか。(笑)
結局、所謂「第一次絶交書」の時にもう終わってるのか。
つうことは、この交渉自体イギリスの顔を立てつつ、内政改革とかの時間稼ぎするって感じ?

しかし、交渉の始めに、何らかの明確な協定が成り立つ前には、日本政府は決して撤兵には同意しないだろうし、それだけでなく、現存する朝鮮の国内騒乱は未だに憂慮に値するとして、日本政府は既にこの問題に対するロシア政府の勧告を拒否した事を強調すること、と。
交渉は拒否するつもりなんだから、撤兵も実施されませんわな。

で、貴下はイギリス公使に面会し、貴下と総理衙門王大臣の間で交わされた内容について伝えること、と。

んじゃ、次。
同じく『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』なんですが、32→33画像目、よく見たら7月3日発の史料ですね・・・。_| ̄|○

まぁ、日本の関係者が出した文書ってわけじゃないから、いっか。(笑)
イギリス外務大臣のキムバーレーから7月3日に発出され、在日本イギリス臨時代理公使パゼットが7月5日に受けた電文を、どうやってたか知り得たらしい。
その訳文。

日清両国間速に和親の談判を開始するに非れば、露国は欧州各国の連合仲裁を喚び起すこと疑ひなし。

以下内密。

清国は、朝鮮に於ける其の地位及主権貢礼の事に就ては、最も恋々し居れり。
貴下は、日本政府へ左の事を内密に表示すべし。
即ち、清国は此等の点よりも、寧ろ実際的緊要事項は畏らくは却て容易に譲歩するならん。
故に女皇陛下の政府は、日本が右の数点を採て談判第一着の條件とせざらんことを望む。
否熱心に勧告す。
且つ、此等の問題は雙方より提起せざらんことを望む。
朝鮮国にして一朝独立せんが、外国干渉の機会之れより多きを加へんのみ。
而して、同国を管督保護する日清両国の権力は之より衰へん。
談判を速に開始することは、最も緊急のことたり。
且つ、同時又は止むを得されば追次に兵員を撤回すること、最要点なるべし。
出来得る丈の助力を、在北京日本臨時代理公使に与ふべき旨、在清英公使「ヲコンネル」氏へ訓令を発すべし。
日清間で、速やかに和親の談判を開始しなければ、ロシアはヨーロッパの連合仲裁を喚起する事は疑いない。

清国は、朝鮮での宗主権や朝貢について、最も執着している。
貴下は日本政府に対して、清国は宗主権や朝貢の点より、むしろ実際的な緊要事項について却って簡単に譲歩するだろう。
従って、イギリス政府は日本が以上の数点について、談判の第一条件としない事を勧告し、これらの問題は双方から提起しない事を望む。

朝鮮が独立すれば、外国干渉の機会はそれ以前より多くなるだけで、朝鮮を監督保護する日清両国の権力は衰えるだろう。
談判を速やかに開始する事が最も緊急の事であり、同時に、またはやむを得なければ順番に撤兵することが、最要点だろう。

できるだけの徐力を小村寿太郎に与えるべき旨、在清イギリス公使のオコンネルに訓令をだす、と。

要するに、朝鮮なんか独立させたら外国からの干渉が増えるだけなんだから、清国とか日本の庇護下って事で良いじゃん。( ´H`)y-~~ みたいな。
独立国扱いされて無ぇ。www


ってことで、これで7月5日の史料は終了。
次からは、7月6日の史料に入って行きます。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03030206200)』の20画像目。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月6日付7月12日接受の『機密第42号』から。

清国廟議全然我要求を拒絶するに一決せりとの風説

今朝の北清日報は、北京通信者よりの電報として掲げて曰く、

総理衙門諸大臣は、朝鮮事件に関し皇帝陛下の諮詢に応ずる為め、本月2日廟議を開けり。
列席の王大臣は、慶郡王を始めとし福錕、孫毓汶、徐用儀、廖壽恒、崇禮の五大臣にして、張蔭桓は大鳥公使と談判の為め朝鮮へ出張を命ぜられ、既に出発せし後なりしを以て列席せざりし。
議場に於ては随分激論もありたる由なるが、徹頭徹尾平和を主張したるは慶郡王一人にして、余の諸大臣は、所謂日本政府の傲慢無礼を痛く攻撃し、若し日本にして斯く多数の兵士を送らず、且つ第一に清国と協議を遂げんには、互に事の齟齬を来す事もなく、清国に於ても大に日本の懇望を満足せしむる事ありたらんに、彼れの挙動は之に反し、我が中国を蔑如せるの甚しきものなり。
我は此際一歩も彼に抂ぐべからず。
若し然らずんば、天下公衆の嘲りを如何んとの主意にて、其旨陛下へ奉答する事に決したり。
聞く所に依れば、福錕も亦窃に慶郡王に同意せしも、他の熱心なる主戦論者に反対するの勇気なく、遂に多数の意見に雷同せりとの事なり。
右奏問の結果として、皇帝よりは張蔭桓を呼戻すべしとの勅命下り、即時に急飛脚を立てて張氏の後を追はしめたり云々。

右は或は事実とも被存候に付、既に北京公使館より探知の上電報相成御承知かとも存候得共、念の為め別紙の通り今朝発電に及びたる次第に有之。
尚、其後当地へ到来の電報は益々危機切迫の模様に相見へ候。
右及報申候也。
要約するとそもそも日本が中国に相談もせず、大軍を送ったのが悪い、と。
つうか、傲岸無礼って何やねん。(笑)
中国人にとっては「面子」ってかなり大事なものらしいんで、それ潰したから許せん!みたいな感じでしょうかねぇ?

ってことで、清国内部では主戦論に傾倒という報道。
まぁ、この頃の新聞って、どこの国でもかなり好き勝手というか、いい加減な記事書いてるんで、どこまで信用できるかは分かりませんがね。(笑)

で、これに別紙が付いてるんですが、「今朝発電に及びたる次第」とあるとおり英文電報として出てきますので、次回取り扱う事にしたいと思います。


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四) 日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五) 日清戦争開戦まで(六十五)
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日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七) 日清戦争開戦まで(六十七)
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日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二) 日清戦争開戦まで(七十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三) 日清戦争開戦まで(七十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四) 日清戦争開戦まで(七十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五) 日清戦争開戦まで(七十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六) 日清戦争開戦まで(七十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七) 日清戦争開戦まで(七十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八) 日清戦争開戦まで(七十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九) 日清戦争開戦まで(七十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)   日清戦争開戦まで(八十)
日清戦争開戦まで(二十一) 日清戦争開戦まで(五十一) 日清戦争開戦まで(八十一)
日清戦争開戦まで(二十二) 日清戦争開戦まで(五十二) 日清戦争開戦まで(八十二)
日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六) 日清戦争開戦まで(八十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




前回は、一回やった話のまとめだし、長いしってことで、史料のテキスト化だけで終わっちゃいました。
いや、決して楽をしたわけではなく・・・。(笑)

さて、今日からは7月5日の史料に入って行きます。
今日は、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/2 明治27年6月28日から1894〔明治27〕年7月15日(レファレンスコード:B03050308200)』より。
18画像目。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)7月5日付7月12日接受の『機密第40号』から。

蔡滙滄当港道台の命を帯び来談の件

前の会審衙門裁判官にして目下道台の外務課長たる蔡滙滄、一昨日当館へ来訪し申出候には、本日は道台の命を受け来館したる次第に候が、其用向と云ふも他の義に無之、頃日来当地方にては日清国の交渉益々困難を極め、今にも開戦の報知に接すべしとて風説頻る盛なるに付、此際若し貴国に於て当港其他長江沿岸等へ軍艦派遣相成候様の事ありては、人心益々激昂し、或は貴国居留民に向って危害を加ふる等の恐れ不尠に付、右軍艦派遣の義は貴官より差止められたし云々。
依而小官に於ては之に答へ、右は折角の頼談なれども、小官に於て応じ難きの事に有之。
若し軍艦派遣の必要を認むる時は、我政府は何時にても之を派遣すべく、小官に於ても其派遣を請求し得るも、之を差止むるの職権なきは貴官に於て御諒知を願ひ度。
乍去、只今の処にては、政府も小官と同じく軍艦派遣の必要を認めさるべき旨相答へ、更に進んで右風説の趣事実となり、両国果して開戦の場合に相成候共、元来戦争なるものは一ケ人間の関係にあらざる故、無害の居留商民等を敵視すべき謂はれもなく、就ては我邦に於ては必ず在留貴国商民の生命財産等に向って充分の保護を与ふべく、貴国に於ても必ず同様の処置を取らるべき義と信ずれば、仮令へ両国干戈を以て相見ゆるも、在留商民は互に其地に安んじ居る事なるべしと語りたるに、蔡氏に於ても同様の考なる旨を答へ、暫くして立帰り候。
右蔡氏来談の真意は以上に外ならざるや否や、固より推測に止まる義には候得共、2、3日前当港にては、我邦より開戦の前に先ち軍艦を当港及び長江沿岸等に派遣すべし等の風説ありたるを以て、内々其虚実を探らん為め来りたるものかとも被存候。
右申進候也。
道台ってのが詳しく分からないけど、何かの役所らしい。
そこの外務課長の蔡滙滄ってのが7月3日に上海領事館を訪問。
最近上海地方では、日清間の交渉が難航し、今にも開戦の報道に接するだろうという噂が非常に盛んで、そういう時にもし日本から上海港や長江沿岸等に軍艦を派遣するような事があれば、中国人が激昂して日本の居留民に危害を加える恐れもあるから、その軍艦派遣は大越から言って差し止めて欲しい、と。
つうか、仮定に仮定を重ねて、その仮定に基づいて差し止めろって。(笑)

それに対して大越は、出来無ぇよ、と。
俺には、派遣を要請する事は出来るけど、差し止める権限は無いってのは了解して欲しい。
まず仮定を受け入れた上での返事、ヤサシスwww

しかし、現在までは日本政府も大越同様に派遣の必要無いと思ってんだろ。
もし噂が事実になって開戦になっても、無害の居留商人等を敵視する理由もなく、日本では在留清国商民の生命財産等を充分に保護するだろうから、清国でも必ず同様の処置を取るだろうと信じてるので、もし日本と清国が戦争になっても、在留商民はお互いに普通に居れんじゃね?と。
思ってもいない事を。www

で、それに対して蔡氏は同様の考えである事を伝え、暫くして帰っていった。
つうか、「同様の考え」なら差し止めいらねぇし。(笑)

ってことで大越は、推測に過ぎないけど、蔡の来訪って日本の軍艦が来るって噂を確認しに来たんじゃね?と。

さて、次。
次は、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/9 明治27年6月19日から明治27年7月3日(レファレンスコード:B03030205500)』の30画像目左側。
北京の小村から陸奥への、1894年(明治27年)7月5日発『電受368号』より。

Mutsu
Tokio

After an interview with 王大臣 七月四日 British Minister came to this Legation to tell me that he was requested by them to convey the expression of their willingness to receive me to discuss basis for negotiation.
I ask for immediate instructions.
Detention of troops until the ratification of a convention ought to be insisted upon as precaution against its possible rejection so far as Chinese Government concerned.
The only object of negotiations is the immediate withdrawal of troops.

Komura
7月4日の王大臣との面談後、イギリス公使が当館を訪れ、彼は交渉の基礎について話し合う事を受け入れる意欲の表現を伝えるよう依頼してきたと述べた。
早急に訓令を願う、と。

で、清国政府が拒否する可能性を警戒して、協定が批准されるまで軍の駐留を強く主張すべきだ。
交渉の唯一の目的は、軍の即時撤退だ、かな?
撤兵したら、あとは交渉お終いってのは充分考えられる範囲ですわな。

さて、続いては電信関係の話に飛びます。
『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』の18画像目右側から。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月5日発『電受370号』より。

Mutsu
Tokio

釜山浦 telegraph line having been already repaired by Corean Government the construction of military telegraph line by our hand would amount to the violation of Corean sovereignty.
Therefore it is desirable to wait till it is decided to commence hostilities.
Meanwhile necessary investigations will be made upon the telegraph road.
栗埜 arrived 1.30. p.m. 七月五日 will leave 七月六日.

Otori
釜山浦の電信線は既に朝鮮政府によって修理された。
我々による軍用電信線の架設は、朝鮮の主権に対する侵害を意味するだろう、と。

へぇ。
自力で直したんだ。

ってことで、戦闘開始まで待つ事が望ましい。
んー、既に戦争前提で話ししてますな・・・。
ま、交渉が上手くいかないってのは、火を見るよりも明らかではありますが。(笑)

それまでの間、電信を引く経路に必要な調査をする。
9月5日のエントリーで、仁川に7月4日に到着していた栗野ですが、京城には7月5日午後1時半に到着。
んで、7月6日に出発するだろう、と。
滞在期間、短っっっ!(笑)


ってことで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二) 日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三) 日清戦争開戦まで(六十三)
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日清戦争開戦まで(二十三) 日清戦争開戦まで(五十三) 日清戦争開戦まで(八十三)
日清戦争開戦まで(二十四) 日清戦争開戦まで(五十四) 日清戦争開戦まで(八十四)
日清戦争開戦まで(二十五) 日清戦争開戦まで(五十五) 日清戦争開戦まで(八十五)
日清戦争開戦まで(二十六) 日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七) 日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八) 日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九) 日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




何つうか、外交の経緯をたどるってのは、結構面白いなぁと感じる昨今。
いや、英文電報は嫌なんですが。(笑)
後は、対朝鮮外交の直球で笑える部分がもっと増えてくれると・・・。

さて。
9月5日のエントリーで在オーストラリアの臨時代理公使から、「日本の行動の主な理由と目的を送信してくれ」と電信が来てました。
それに関連するのかしないのか定かではありませんが、これまでの経緯について説明する文書が各国公使等に送られます。

アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/10 朝鮮事件 一(レファレンスコード:B03030205600)』より。
いずれも1894年(明治27年)7月4日起草で、7月5日発遣の『機密送第26号(英)、機密送第20号(仏)、機密送第18号(露)、機密送第25号(米)、機密送第11号(澳)、機密送第13号(蘭)、機密送第12号(伊)、機密送第17号(独)、機密送第13号(清)、機密送第30号(布哇)、機密送第7号(墨西哥)』。
長いですが、一回やったことのおさらいなんで、一気に引用してみます。

朝鮮国に於ける東学党変乱の為め帝国より同国え出兵せし義は、已に去月12日附之書翰にて申進置候処、斯る事変の累起するときは、竟には日清韓の葛藤より延ひて東洋大局の紛乱を引起すに至らざるを保せず。
就■■此際、日清韓の間に於て将来執るべき政策を籌画して、以て永く東洋大局面の平和を維持することを謀るは、実に目前の急務なりと廟議一定したるを以て、本大臣は本邦駐箚清国公使に晤会して屡々利害関繁の在るところを論述し、清国政府に向て左の善後策、即ち

一.朝鮮事変に付ては日清両国相戮力して、速かに乱民の鎮圧に従事する事
一.乱民平定の上は、朝鮮国内政を改良せしむる為め、日清両国より常設委員若干名を朝鮮に派し、先づ大略左の事項を目的として其取調に従事せしむる事
一.財政を調査する事
一.中央政府及北方官吏を陶汰する事
一.必要なる警備兵を設置せしめ、国内の安寧を保持せしむる事(6月17日附)
以上の諸項を提議致置候処、其後数回の面談の節も彼は専ら、善後之辨法は撤兵の後に再議する事として、変乱も已に平定したれば先つ撤兵ありたしとのみ主張して已まず。
但し、若し我に於て其請求に応ぜざる場合には、彼に於ても更に重兵を派遣するに至るべしとの事に付、本大臣は我に於ては未だ変乱鎮定したることを認めざれば、今遽かに撤兵し難し。
兎に角、我提議に対する清国政府の確答を承りたき旨相迫り、竟に彼より公文を以て左の通り答覆致来候。

一.韓乱告平已不煩中国兵代剿両国会剿之説自無庸議
一.善後辨法用意雖美止可由朝鮮自行釐革中国尚不于預其内政日本素認朝鮮自主尤無干預其内政之権
一.乱定撤兵乙酉年両国所定條約具在此時無可更議(乙酉年の條約とは天津條約を云ふ)(6月22日附)
此回答たるや、取も直ざす我提議を拒絶したるものに有之。
然るに、廟議は最初より斯る場合あることを予期し、一旦清国政府に向て商議を開きたる後は其結局を見るまでは撤兵せざる事、及若し清国政府にして我意見に賛同せざるときは、帝国政府の独力を以て朝鮮政府をして政治上の改革を為さしむることに決定致居候を以て、一方は大鳥駐韓公使に電訓して全兵を京城に入れしめ、一方には更に清国公使に向て左の書翰を送附せり。

閣下は貴国政府の訓令に従ひ、朝鮮国変乱鎮定并に善後の辨法に関する帝国政府の提案を御拒絶相成候趣、貴簡を以て御申越相成致閲悉候。
顧みて朝鮮国刻下の情勢を察するに於て、貴政府と所見を同ふする能はざるは帝国政府の遺憾とするところに有之候。
之を既往の事蹟に徴するに、朝鮮半島は朋党争闘内訌暴動の淵叢たるの惨状を呈し、而して斯く事変の屡々起る所以は、独立国の責守を全ふするの要素を欠くに職由するものと確信するに足るべき義に有之候。
疆土接近と貿易の重要とを慮るに於ても亦、朝鮮国に対する帝国の利害は甚だ緊切重大なるを以て、彼国内に於ける斯る惨情悲況を拱視傍観するに堪へず候。
情勢此の如くなるに当り、帝国政府措て之を顧みざるは、啻に平素朝鮮に対し抱持する隣交の交情に戻るのみならず、我国自衛の道にも背くの誚を免れず候。
帝国政府に於て、朝鮮の安寧静謐を求むる為めに種々の計画を施すの必要は、已に前述の理由なるを以て、更に之を看過する能はず。
今にして遅疑施す所なくして日を曠ふせば、該国の変乱愈々長く滋蔓するに至るべく候。
是を以て、帝国政府に於て其兵を撤去するには、必ず将来該国の安寧静謐を保持し、政道其宜を得ることを保証するに足るの辨法を協定するに非されば決行し難く候。
且つ、帝国政府が斯く撤兵を容易に行はざるは、啻に天津條約の精神に依遵するのみならず、復た善後の防範たるべくと存候。
本大臣が斯の如く胸襟を披き、誠衷を吐くに及び、仮令貴国政府の所見に違ふことあるも、帝国政府は断じて現在朝鮮国に駐在する軍隊の撤去を命令する事能はず候(6月22日附)
而して朝鮮政府に向ては、大鳥公使に左の提議案を授て之を同政府に照会し、其公文の回答を徴する事を訓命せり。

曩きに我帝国が貴国との旧交を尋き隣好を修むるや、深く東洋大局に顧念する所ありたるを以て、独り自ら率先して條約を訂結して平等の権利を確実ならしめ、章程を設立して通商の便益を皇張せしめ、因て以て貴国の一独立国たることを万国に彰表せり。
爾来、我政府が貴国に向て施為するところ、一として貴国をして日々に隆盛を致して以て愈よ独立自主の実を挙げしめんと勉めたるに非ざるはなし。
而して、苟も貴国政府にして内に自ら追思回顧せられたらんには、必ず歴々として其事実を識認せられずんばあらず。
然るに、貴国徒らに旧章を墨守し、宿弊未だ除かず、是を以て騷乱相継ぎ、民心乖離し、国家の秩序を紊乱し、邦土の安寧を危殆ならしめ、屡々累を隣邦に及ぼす。
若し今に方て之が救済の道を講じ、振作の計を為されずんば、其極遂に収拾すべからざるの勢となり、独り自国独立の根基を寬鬆にするのみならず、延ひて大憂を東洋大局に及ぼすことあるに至るべし。
是れ、我国が隣邦の情誼に於て、又我帝国自衛の道を顧みるに於て一日だも拱手傍観するに忍びざる所なり。
故に我政府は、此際貴国政府に向て独立自主の実を挙げ、王室の尊栄を永遠に維持する長計を求むるの外、更に左に列裁するところの事項を勧告し、以て貴国内治の改良を促さんとす。

一.官司の職守を明かにし、地方官吏の情弊を矯正する事
一.外国交渉の事宜を重じ職守其人を擇ぶ事
一.裁判を公正にすること
一.会計出納を厳正にすること
一.兵制を改良し及警察の制を設くる事
一.弊制を改定すること
一.交通の便を起すこと
又、以上の事項を同国政府に勧告すると同時に、帝国の利益に関し左の事項を要求せしめたり。
即ち

従来清国人民が、該国に於て他の各国人民に比して特有する所の一切の利益には、帝国臣民も之に均霑する事
両国政府間に現に尚ほ懸延未決の事項を、急速処辨せしむべき事
然るに、我兵を撤せざることに付ては、朝鮮政府の驚惶は申すに及ばず、清国政府に於ても陽には大兵を朝鮮に派遣すべしとか、又は開戦の準備已に整へりとか揚言するに拘はらず、内実は余程周章狼狽致居候者と見へ、今日迄の模様に因れば、総署よりは在北京英公使を経て英国政府へ。
又、李鴻章よりは在北京露公使を経て露国政府へ居仲調処を依頼せしが如く、英国政府は在倫敦帝国公使に向て、両間に立て調処を試みんとするの意嚮を顕はし、同時に在本邦英国臨時代理公使は在北京英公使と頻りに往復するところありて、彼我の間に周旋を試み居れり。
又、露国政府よりは、在本邦同国公使をして左の書面を帝国政府に提出せしめたり。

朝鮮政府は、同国の内乱既に鎮定したる旨を公然同国駐箚の各国使臣に告げ、又清兵竝日本兵を撤回せしむることに付、該使臣等の援助を請へり。
因て、本官の君主たる皇帝陛下の政府は本官に命じ、日本帝国政府に向て朝鮮の請求を容れられんことを勧告し、且つ日本が清国政府と同時に在朝鮮の兵を撤回することに付故障を加へらるるに於ては、重大なる責に任ずべきことを忠告す。(6月30日附)
因て、帝国政府は之に対し廟議を盡したる末、左の回答を露国公使に与へたり。

露国特命全権公使閣下より送付せられたる公文中に、朝鮮政府は同国の内乱既に鎮定したる旨を、公然同国駐箚の各国使臣に通告したりと記載せられたるも、帝国政府が接受したる最近の報告の趣に拠れば、不幸にも朝鮮政府の該通告は大早計に出たりと言はざるを得ず。
然り而して、右最近の報告にして帝国政府が確信するが如く事実なるに於ては、啻に事変を醸成するの原因未だ芟除せられざるのみならず、日本兵員を派遣するの已むを得ざるに至らしめたる変乱も、猶ほ未だ全く其跡を絶つに至らずして、之が処分を要するものの如し。
而して、今若し該変乱の根源にして全然掃攘せられざるときは、将来又常に擾乱紛騷を引起すことを免れず。
帝国政府の措置は疆土侵略の意に出たるものに非らずして、全く現在の形勢に対して已むを得ざるの必要に応ずるに外ならず。
是故に、帝国政府に於て朝鮮国内の形勢全く平穏の域に復し、将来復た何等の虞なかるべしと認むるに於ては、目下朝鮮に在る所の日本兵員を撤回すべきことは、下名は之を露国特命全権公使閣下に明言するに躊躇せざるなり。
帝国政府は、露国皇帝陛下の政府が友厚なる勧告に対して、謝意を表すると同時に、両国政府間に幸に現在する相互の信議と好誼とに因り、今下名がなせし明言は、露国政府に於て十分信を置かるべきことは、帝国政府の信じて疑はざる所なり。(7月2日附)
尚又、米国政府へも朝鮮政府より依頼せしこと有之候由にて、在本邦米国公使より其政府の命を受け、本問題に関する実際の事歴を尋来候。
本件の成行は、対手国の模様次第にて、尚今後如何可相成哉は今より預言難致候得共、先づ今日迄の経過一通り及御通知候。
尚、本大臣と清国公使(6月16日)、露国公使(6月25日)との対話概要各一通、為御参考及御送付候。
右申進候敬具

在英・露・清・公使えの分には、左の追書を加ふ。
追而本件に関し、過日来電信にて御往復致居候事有之候得共、今茲に之を綜述するときは反て記事の錯雑を招き易く候に付、総て之を省略致置候間、其心得にて本文御閲読相成度候。
まぁ、これまでの外交経緯の概要なんで、特に補足なし。
つうか、「中国尚不于預其内政日本素認朝鮮自主尤無干預其内政之権」とか、すげぇ懐かしい気分になるくらいやってんだなぁ・・・。(笑)


ってことで、今日は単純に史料のテキスト化でおしまい。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一) 日清戦争開戦まで(六十一)
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