飽きた飽きたと言いながら、結構頑張ってやってるなぁ、と自画自賛。(笑)
もう少し早く話が進展しないかなぁとは思ってるんですが。

< 2008年7月のエントリー >
もう少し、日清戦争開戦前の話では無い話も盛り込んでいきたい処なんですが、如何せん日清戦争関連の史料をまとめる方に手一杯で、他の史料を読む時間も無く。
休日は休日で家族サービスしたりですしぃ。
と、誰に向けてるのかも分からない言い訳をしてみたり。(笑)

朝鮮人ノ氏ノ設定ニ伴フ戸籍事務取扱方ニ関スル件

2年も前の宿題。(笑)
巷間、総督府の強制により後半に「幾何級数的」に増加したと言われる、その統計数字について、「全て内地人式の創氏なのか」という点と、「戸主が届け出を行った時点でのカウントでは無いのではないか」という疑問が。


日清戦争開戦まで(五十六)

仁川港中立問題に関する史料。
居留地って、租借地ではないだろうから朝鮮の主権が及ぶ地域なのかな?
だから、特別に中立にしてよ、という話でしょうねぇ。


日清戦争開戦まで(五十七)

前半の上海港中立問題や、後半の元山の上野領事からの文書は、そんなに重要な話では無いですね。
It does not seem politic at present to attempt expulsion by force of Chinese soldiers at 牙山.」については、杉村の在韓苦心録の「乍去在牙山ノ清兵退去セシムルコトハ、現下ノ政略ニ背ク」だと、「by forceが抜けてる」とか「politic"s"じゃなくてpolitic」なんて違いがありまう。


日清戦争開戦まで(五十八)

清国側の動きに関する史料と、ロシアの動き、っつうか在清国ロシア公使の動きに関する史料。
長い割に、話としては全く進んでない。(笑)


日清戦争開戦まで(五十九)

牙山の聶の布告に関する、李鴻章との往復文書と、日本兵の入京差し止めに対する朝鮮政府との往復文書。
前半は話が前進しておらず、後半は割とリンク集。(笑)


日清戦争開戦まで(六十)

在朝鮮公使館側の発案による属邦問題に対する言及の話と、京釜線の電信線架設についての話と、上海港中立問題についての話。
属邦問題に対する言及の話は、何度も出てくるので新鮮味に欠けますねぇ・・・。


日清戦争開戦まで(六十一)

上海の中立問題と、日本の内政改革要求の補足について。
日本の内政改革要求の補足である、陸奥から大鳥への内信は、これから重要になってくるんじゃないかな。
要チェック。


日清戦争開戦まで(六十二)

朝鮮駐留中の清国兵の動きについての照会と、属邦問題に関する返事の督促。
後はロシア本国の動きに関する史料。
「お前、俺に東学党の乱は鎮圧したって言ってたけどさぁ、本当は掃討できないから清国にまた頼んで剿滅しようとしてんじゃね?」ってのは、割と悪辣な照会。(笑)


日清戦争開戦まで(六十三)

イギリスとアメリカの動きについて。
China is suzerain of Corea.」という李鴻章の声明や、「Minister for Foreign Affairs requested me to induce you to communication of your demands on China and Corea」っていうイギリス政府の要求など、英文史料の割にはかなり面白いというか興味深い内容。


日清戦争開戦まで(六十四)

前半部分がロシア本国の動き。
ポイントは、後半部分の「If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty」と、その返事の「I received your teregram 12 before resorting to violent measure wait for further instruction.」。
どれが何に対する返事なのかは、押さえて貰いたいところ。


日清戦争開戦まで(六十五)

旅団報告と混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報。
旅団報告の臨検チックな話と、京城龍山間の軍用電線架設の話以外は、そんなに重要ではなさげ。
後は、京城入りしたわけじゃなく、龍山布陣ってのもポイントなのかなぁ。


日清戦争開戦まで(六十六)

混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続き。
朝鮮側の妨害工作の数々は結構面白い。
後は、水原遷都の話と清国軍による日本人抑留の話も、今後チェックしときたいポイント。
まぁ、これっきりな可能性もあるわけですが。(笑)


日清戦争開戦まで(六十七)

混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続きと、仁川の能勢領事から大鳥への報告。
軍としては、清国軍に京城方面を攻撃させて、それを迎撃するスタイルをとりたいようで。
ただ、軍略としてあれこれ考えて、日本軍有利な状況を作り出そうという所までは兎も角、実行に移す前に2月4日のエントリーの大島への訓示くらいは守れや、と。


内政改革要求の話あたりから、ゆっくりではありますが色々な事があちこちで起きてます。
メモっておかないと、今後ツッコんだり補足したりするの、忘れそう。(笑)



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さて、今回も前回に引き続いて混成旅団参謀の長岡外史から川上操六への文書を見ていくことにします。

アジア歴史資料センターさんが、どういう意図で切り分けたか分かりませんが、『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(2)(レファレンスコード:C06060161100)』の左2行から『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(3)(レファレンスコード:C06060161200)』へと続きます。
んでは早速。

○ 京城内の行軍
昨26日は、竜山幕営の一個大隊并に山砲中隊の整々堂々南大門を入り、京城内に行軍せしめたり。
本日は、外交武官とも協議し、成し得る丈けの騎馬隊(副官砲兵隊馬を以て)を編成し、京城内に入れんとする予定に有之候処、公使■不承諾を申し越したり。
我々の信ずる処に依れば、此の如き示威行軍を行ふときは益々世凱を困蹙せしめ、清兵の入京を余義なくせしめ、韓廷の決心を堅ふし、其内閣の更迭を速ならしめ、一挙数得の事と相考へ候得共、外交は六ヶ敷もの。
公使は断然承諾を拒みたり。
昨日26日は、龍山に幕営している一個大隊と、山砲中隊が正々堂々南大門から入って京城内を行軍・・・って・・・。
勝手に示威運動してんじゃねぇ!( `H´)y-~~
アホかっ!

で、本日、つまり6月27日には外交武官とも協議して、できるだけの騎馬隊を編成して京城に入れる予定だったけど、大鳥は不承諾。
当たり前だろ!( `H´)y-~~

で、長岡等はこのような示威行軍を行えば、益々袁世凱を困らせて清国軍の入京を余儀なくさせ、韓廷の決心を堅くしてその内閣の更迭を加速させ、一挙数得だと考えたけど、外交っつうのは難しいもんで、大鳥は断然承諾を拒んだ、と。
しかもそんな浅はかな考えかよ!
外交は六ヶ敷もの」じゃねぇ!
立派なのは髭だけかっ!( `H´)y-~~
と、大鳥も思ったんじゃないかなぁ・・・。(笑)

つうか、清国兵が入京すると、何か得になるのかなぁ?

○ 遷都(水源府)の事は、威力を以ても拒み得べき予定に有之候得共、彼れ野戦を知らざる清兵、其水源府附近に固着し、出でて京城に入ることを試みざるときは困りものに御坐候。
是れ月日を費やすと、又我旅団を二分せざるを得ざればなり(漢城守備并に義州街道に備ふる為めに)。
水原遷都の件については武力を使っても拒む予定だけど、野戦を知らない清国兵が水原附近から動かず、京城に入京することと試みない場合には困った事になる。
これは、月日を費やすことと、旅団を二分しなければならないからだ、と。

ああ、前回も言ってたとおり、「拙速を貴び、巧久を厭ふ」んだから、相手側に籠城っつうか待たれるのは嫌で、攻めて来てくれた方が良いのか。
兵力分散も免れるし。
その辺で「得」なんですね。
まぁ、そもそもどうやって開戦するんだよっていう、根本的な対外的問題があるんですがね。(笑)

○ 旅団の工兵隊、通信術卒業者少く、3通信を備ふれば、勤務の交代を為さしむること能はず。
建築卒は僅に5、6名に過ぎず、然れ共建築の義は如何様にもせらるべく奉存候。
他日器機着の上は、直に京釜間に架設着手の見込に御坐候。

○ 右件々少暇を得て句卒記述し、閣下に上る乱筆御用捨奉願上候。
最後に電信関係で、工兵隊に通信術卒業者も建築卒業者も少ない。
まぁ、建築はなんとかなると思うし、後日器機が届けばすぐに京釜線架設に着手する見込みだけど、通信技師の方は足りんよ、と。

現地軍の参謀だから仕方ないのかも知れませんが、全体的に少なくとも2月4日のエントリーの大島への訓示くらいは守るように努力せいや。(笑)

さて、続いては『駐韓日本公使館記録2』から見ていくことにします。
仁川の能勢領事から大鳥への、1894年(明治27年)6月30日付『機密諸第9号』より。

目下清国軍艦の当地方に派遣せられ居るものは、仁川に鎮遠、平遠、揚威、超勇、探江、飛虎の6隻にして、其牙山にあるものは済遠、廣丙の2隻とす。
而して、平山八重山艦長の意見に拠れば、本港碇泊の清国軍艦は、各国軍艦の外域に位置を占めて、当時他に向て其錨地を移さざるものの如しとの事に有之候。
猶、目下在港各国軍艦は、英国アーチャー、仏国アンコンスタン、独イルチス、米ボルチモーア、露コレイツの5隻にして、英国軍艦は猶2隻両3日中に入港可致旨、アーチャー艦長より伊藤武蔵艦長へ直話致候趣に有之候。
米国軍艦より水兵入京の件、爾後独探問中に有之候処、陸路入京は困難に付水路に由る事となり。
夫れが爲め、スチームランチ1隻の備付なりしを俄かに2隻に増し、被服食料品等必要品は一切艦船又はボートに搭載し、スチームランチをして曳き往かしむる由にて、右艀船は堀久に於て何時にても調達する事に相成居候に付、米国駐在公使より電申次第出発の準備相整ひ居候趣聞込むに付、不取敢此段申進候也。
まぁ、清国の軍艦は兎も角として、諸外国の軍艦も結構来てんのね。
中でもアメリカ軍艦ボルチモアからは、水兵が京城入りの話が出ており、陸路で京城入りは難しいので水路によるらしい、と。

んー、アメリカの入京は、何が目的なのかしらん。


ってところで、ちょっと早めですが今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
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日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)



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今日は、前回に引き続いて、アジア歴史資料センターの『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(1)(レファレンスコード:C06060161000)』を。
2画像目左から2行目より。
では早速。

○ 昨日旅団長入京、公使に協議の件洩聞き
1 外務衙門へ要求
仁川龍山共、朝鮮官吏其人民の我傭役に応ずるものを脅威し、事後捕盗庁に勾引する等種々の流言を放ち、若くは直接に告諭し、甚しきは廃井を修理したるものに汚穢物を擲げ込む等、我軍を妨害すること甚だし。
而て人民は、我傭役に応ずるを好むの実歴々たり。
朝鮮官吏の此の如き処置を為したるもの厳罸に処せられ度事。
爾今、各市街に掲示し、此等のものを戒飭すること。

2 大本営より釜京間に軍用電信架設の命令に接す。
不日着手すべきを以て、朝鮮政府篤く保護すべきこと。
並に、此電信は一時のものにあらずして、永久架設の権を我帝国に譲ること。

3 牙山に於て我帝国臣民を支那兵隊恣に■ことしたることの報告に接す。
十分厳談を要す。(日本新聞社主の書生、牙山に於いて抑留せられ、夜を以て逃れ帰る)

3 京城目下人心恟々たり。
国王陛下に敬意を表し及び戒厳する為め、若干の兵隊を以て王城を守備に充てらるる名誉を与へらるること。
此時公使より、袁世凱万策極まり、国王を奉じて水原府附近の離宮に移るべき兆候ありと説を聞く。
依て、一層前説を主張せられたれ共、公使其協議に応ぜず、漢江を警戒すべき旨を告ぐ。
漢江の警戒は、今日十分に施行しあり。
他日銃声一発せば、沿岸の渡舟を我有に握るの準備は既に成れり。
故に、外国兵を渡河せしめ、半途に撃つと撃たざるは、我旅団の掌中に握れり。
つうか、3が2個あったり、結構誤字多いな・・・。(笑)

大島旅団長が京城入りし、大鳥公使と協議したことを漏れ聞いた。
いや、参謀なのに協議内容を漏れ聞くって。(笑)

まず一つ目は、朝鮮政府への要求。
仁川でも龍山でも、朝鮮の官吏が日本の雇傭に応じた朝鮮人を脅し、「対日協力者は後で逮捕汁!<#`Д´>」なんて噂を流したり、直接言い聞かせたり、甚だしいところでは、使われてない井戸を修理したものに、汚穢物(多分糞尿)を投げ込むなど、日本軍への妨害が酷い、と。

でも朝鮮人は日本に雇われるのを好む実態はハッキリしてる。
朝鮮人官吏でこのような事した者には、厳罰に処して欲しい。
今後は、各市街に掲示して、これらの事について戒飭すること、と。

つうか、妨害工作やってるのバレバレじゃ、駄目よねぇ・・・。(笑)

で、二つ目。
6月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月27日付『機密受第860号』なんかでも見たとおり、京釜電信線の架設については軍でも訓令が出ています。
で、遠からず架設に着手するだろうから、朝鮮政府は手篤く保護すること。
また、この電信線は一時的なものではなく、永久架設権を日本に譲ること、と。
頻出の話題ですな。

三つ目。
どうやら日本人が牙山で清国軍に抑留され、夜に逃げ帰ってきたらしく、十分厳談する必要がある、と。
んー、前回の臨検的な話といい、朝鮮国内で清国軍が何やってんだよ。

最後に、京城の人心は恐れおののいており、高宗に敬意を表するとともに、厳重に警戒するため、若干の兵によって王宮の守備させろ、と。
しかし大鳥は、袁世凱は万策極まって、高宗を水原附近の離宮に移させる兆候があるという話を聞いた、と。
じゃあ一層王宮守備しなきゃ駄目じゃんと言ったけど、大鳥はその協議には応じず、漢江附近を警戒すべきだと告げた、と。

漢江の警戒は現在も十分に行っており、後日銃声が1発でもすれば、沿岸の渡し船を日本側に握る準備は既にできた。
ってことで、外国兵に渡河させて途中で撃つか撃たないかは、混成旅団の掌中に握っている、と。

んじゃ続き。

○ 拙速を貴び、巧久を厭ふ。
右は先般旅団長入京、昨日入京のときも懇々協議せられたり。
何となれば、清国は平分は朝鮮政府の御馳走になり、他の半分は奪掠して生活す。
接待使と云へるべきものを差遣し、道路の通行架橋の周旋至らざる所無きに引換へ、我旅団は薪炭味噌醤油迄の運搬せざる可らず。
兵の生活上に要する諸品は、総て本国の供給を仰がざるを得ず。
又、兵の起居に於ても、其不潔、其不規則。
清兵は能く韓人に類す■之毎日入浴せしめたる。
我兵卒は渡韓後未だ1回も入浴せざるものあり。
衛生及び給養の困難、彼此全く趣を異にす。
是、我旅団の拙速を貴ぶ所以に御座候。

若し荏苒日日を経過せば、幕営に代へて一部の廠営を為さしめざる可らざるものと愚考仕候。
昨26日の如き、其天幕内に於ては正午1百度に達したりと云ふ。
まぁ、そもそも朝鮮の依頼で来た清国軍と、日本の公使館及び日本人保護のために来た日本軍とでは、待遇が違うのは当たり前。
まして、清国軍のように掠奪はできないわけで。(笑)

ってことで、必要物資は全部日本本国から供給を請わなければならない。
おまけに、衛生状態も悪く、清国軍は毎日入浴させてるけど、日本軍は渡韓してから1度も風呂に入ってない者もいる。

これが、兵站・衛生等の面が混成旅団が拙速を貴ぶ理由・・・なのか・・・。(笑)

で、もしこのまま日数が経過した場合、幕営ではなく一部の廠営を作らなければならないと考えている。
6月26日正午なんか、天幕内の気温100度になったと言うし。
本当に水が沸騰する気温まで上がったのかなぁ・・・。

さて、この続きが何故か別ファイルになってますので、今度はそちらを見ていきましょう。
『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(2)(レファレンスコード:C06060161100)』より。

○ 兵站監部の勤務は、兵数の増すに従って敏活を増さざる可らざるに、却て委縮す。
是れ、朝鮮官吏が袁世凱の内諭に応じ、我旅団の不自由を成べく増さしめんとする姦策に基く。
昨日、外務衙門へ公使よりする知照若し効無くんば、威力を以て之を為し遂ぐるか、若くは小蒸気舩10艘許りを追送せらるより外策なし。

漢江の水路兵站線は、最終に至る迄維持するの考案にあり。
清兵商人服を以て江華府に入り込むとの説あり。
偵察の上若し信なれば、預め送兵を要するものと愚考仕候
江華府派兵のこと、目下公使へ照会中に有之申候。
承諾を得ば、1個中隊を分遣さるる予定なり。
兵站の監督部の仕事は、兵員増加に伴って活発にならなければならないのに却って委縮している。
これは、朝鮮官吏が袁世凱の内諭に応じて、日本軍の不自由をなるべく増加させようという姦策に基づく、と。
冒頭の傭役の邪魔とか、井戸への汚穢物投げ込みとかも、その関係じゃねーの?(笑)

で、大鳥が昨日外務衙門へ出した知照の効果が無ければ、武力でそれを為し遂げるか、小さい蒸気船10艘程度を追送するしかない。
この文書が6月27日付けのものなので、6月26日に出した知照ってことなんでしょうけど、関係しそうなもんが見あたらない・・・。

兎も角、漢江の水路を使った兵站線は最後まで維持する考えだ、と。

清国兵が商人の格好で江華府に入り込んだという噂があり、偵察の上でもし本当なら、予め兵を送る必要があると考える。
その派兵については、現在大鳥に照会中。
もし承諾を得られれば、1個中隊を送る予定、と。


ってことで、今日も途中までですが、ここまで。



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前回に引き続き、30日の史料を見ていきたいと思います。

今日は、いつものように旅団報告から。
アジア歴史資料センターの『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/第10号、6月28日(レファレンスコード:C06061758600)』を見ていきます。
んでは早速。

第10号

6月28日

一 昨27日命令せる東十里東方高地に出ずべき部隊は、同日午前10時54分在京城歩兵第11連隊第1大隊より軍曹以下15名を出し、毒縣島に通ずる道路を監視せしむる旨、一戸少佐より正午6時報告し来る。

一 八重山艦長の報告、午後2時在京城福島中佐より通知あり。
其要領左の如し。

操江は6月26日午前9時、牙山より仁川に入港す。
午後3時、独艦イルチス号神戸より入港す。
午後5時、武蔵を以て浪速等先導出迎の為め、港外ベーカー(小島)附近に出ず。
6月27日午前4時、操江出港す。
同日午前、揚威牙山より入港。
午前10時、能勢領事より本邦人力武平八所有スクーナー形舩順駅丸、本月26日忠清道屯浦より帰仁の折、同夜12時頃白石浦沖航行中支那軍艦ボート1艘来り、内4名舩中に入り何名を積み居るやを尋ねたるに付、悉皆米なることを示したるに、舩内処々を捜索し帰りたりと。
其節同舩の目撃したる所に依れば、牙山碇泊の軍艦にして(ランプ)を点ぜずと云ふ。

一 龍山兵站司令部の報告に、午後3時左の物品を竜山に揚陸し、京城に向ふたりと報告す。

天津機器局(光緒5年4月製造)開花砲子 五拾箱位
二号槍薬 拾 箱位
独乙製弾薬 拾五箱位
甲戌別合副五拾斤入 貮拾箱位
大砲(但旧式) 貮  門

一 京城并龍山間軍用電線を架設し、通信を開く。

一 午前7時、在京城福島中佐より、兵庫丸、住ノ江丸、三河丸、熊本丸、越後丸、和歌ノ浦丸、酒田丸は第二次輸送諸隊を載せ、軍艦浪速号之を護衛し、昨27日午後5時46分仁川に到着する旨報告あり。

一 歩兵第11連隊より1中隊を露梁渡場附近に出し、同渡場及銅雀津の渡場を監視せしむ。

一 歩兵第11連隊第2大隊の3中隊及第1大隊の2中隊は、午後3時過ぎ当幕営地に到着す。


6月29日
一 昨28日午後3時40分、平壌発電報、同午後6時京城着、土橋中尉の報告左の如し。

 支那兵をらず。

一 水原方向に出したる騎兵斥候の報告午後3時10分到着。
曰く、軍浦場及水源地方に支那兵を見ず。
当斥候は、尚南陽方向に進で捜索せんとす。

一 第二次輸送諸隊の内昨日到着せる残余は、本日午前2時半仁川出発。
炎熱の為め行厨腐敗。
為めに大なる困難に遭遇し、其先頭4時頃揚華津に到着す。
先着軍隊よりは急々行厨を炊爨し、直ちに揚■鎮に向て輸送し、以て兵の饑渇を救ふの手当をなす。

右報告仕候。
支那軍艦ボート1艘来り、内4名舩中に入り何名を積み居るやを尋ねたるに付、悉皆米なることを示したるに、舩内処々を捜索し帰りたりと。」って、臨検?臨検?(笑)

他に特記しておくのは、「京城并龍山間軍用電線を架設し、通信を開く。
「京城」がどこを指してるか不明ですが、大体4~5kmの距離って感じで良いのかな?
その間に軍用電線を架設した、と。
これも建前的には2月12日のエントリーの仁川の要衝や漢江沿岸への兵員配置と同じく、公使館警備の方法として必要不可欠だから、って事になるのかな?
つうか、今までどっかでこの軍用電線の話出てきたっけ?と思ってたら、アジ歴の『明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」』の中に、混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報が綴られてますので、一応引用してみたいと思います。
長いので、多分途中でぶった切る事になるかと。
まずは、『明治27年自6月至9月 「明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/川上中将閣下に上る私報(1)(レファレンスコード:C06060161000)』から見ていきましょう。

川上中将閣下に上る私報   長岡参謀

小官は、第二次輸送兵を迎ふる為及び監督部と協議の目的を以て漢江を下る途中、■暇を得申候間、2、3景況申述候。

○ 兵を龍山附近に置かれたる顛末
去る23日午後、公使より仁川の兵を京城に集めよ。
第二次の兵も亦爾かするを望むと云ふ電報に接したり。
公使の考にては、京城に一大隊にては少なきを感ずる如しと雖も(上原少佐の言)、目下京城に多数の兵を容るる策の得たるものにあらず、却て混雑を生じ、特に夜戦に在って然ればなり。
目下、旅団直接に牙山方向を顧慮せざる可らず。
次に、義州街道を顧らざる可らず。
然るに、義州街道には今日迄士官斥候より何等の報なし。
旅団目下の策は、先づ牙山よりするものを撃ち、次に義州街道に当たんとするに在り。
此目的の為めには、龍山附近を適当の陣地を愚考仕候。

京城の大隊は、京城の死命を握れり。
龍山諸隊は、南大門に通ずる諸道路を扼せり。
諸隊の歩哨は、総て京城を瞰下し、南山の歩哨と通信旗を以て交通するを得る。
其歩哨線より余計に退きて龍山附近に幕営したるは、他日一朝渇水の際、漢江の水にて兵馬を養はんが為なり。

漢城附近図(2万分1)不精甚だし。
昨26日より3個の器械を以て測図に着手せしめらる。
測図完成後は、配布略図を出ずべし。
3月7日のエントリーで清国が日本の提案を拒否し、追加派兵の噂が入った事によって出された1894年(明治27年)6月22日発『電送第236号』の中で、「you are hereby instructed to concentrate all troops to 京城 immediately notwithstanding you may have more or less fear to create complications.」という訓令が出され、23日午後には大鳥から仁川へ軍の移動指示が出され、4月14日のエントリーの1894年(明治27年)6月24日発『電受第300号』で報告があったように、6月24日午前1時に仁川を出発してます。

で、上原少佐は「大鳥公使は京城に1大隊じゃ少ないと感じているらしい」と言ってる、と。
つうか、訓令による京城への兵力集中なんですが・・・。(笑)

うけど、現今京城に多数の兵を入れるのは、却って混乱を生じ、夜戦になればなおさらなんだから不得策だ、と。
旅団的には、第一に牙山方面、第二に義州街道を考慮しなければならないが、義州街道では現在偵察士官からは何の報告も無いので、まずは牙山にいる清国軍を撃って次に義州街道に当たるのが目下の策。
この目的のためには、龍山附近への布陣が適当と考えた、と。
当然ですが、純軍事的な見方。

で、京城の大隊は京城の死命を握っており、龍山の諸隊は南大門に通じる諸道路を押さえる。
諸隊の歩哨は京城を見下ろして、南山の歩哨と通信旗で交信可能。
その歩哨線よりも更に下がって龍山に幕営したのは、今後渇水になった場合、漢江の水で兵馬を養うため、と。
仁川では、水で非常に苦労してましたからねぇ・・・。

で、京城附近の地図は非常に不正確のため、6月26日から測図に着手し、それが完成したら略図を作る、と。


途中ですが、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)   日清戦争開戦まで(六十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




7月18日のエントリーで取り上げた、西公使から陸奥への1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』について、「「過刻電信を以て申進置候」って事は、これからやる英文電信の方に出てくるのかな?」なんて書きましたが、ここで出てることになります。

アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/8 明治27年6月29日から明治27年7月2日(レファレンスコード:B03030205400)』から。
8画像目。
ロシアの西公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第344号』より。

Mutsu,
Tokio.

I declared 六月二十九日 to Russian Government contents of your last telegram regarding Corean question.
Russian Government consent to the object of our demands but do not approve.
Keeping troops because presence of both troops might cause serious collision between Japan and China and draw in also other Powers, therefore Russian Government recommend to withdraw our troops together with that of China and to settle this question diplomatically.
I explained them however that our troops should have been withdrawn long ago if we were sure that no more revolt will take place and our object can be attained after withdrawal of force, but present situation does not permit to do so.

在露公使
で、9~10画像目がこの電信の和訳になってますので、そちらを参考にして進めていきましょう。

西は、6月29日に朝鮮問題に関する陸奥の最後の電信の趣旨をロシア政府に宣言した、と。

陸奥の最後の電信ってのは、5月26日のエントリーの1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』の事かな?
恐らく、その文中の「閣下は、前記の旨意に基づき露国政府へ宣言すべし。」を受けての宣言を思われ。

で、7月18日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』でも見たように、ロシアは日本の要求の主意には同意。
ただ、日本兵を朝鮮に長く留まらせるのは、日清両国間に激烈な衝突を来たし、他の国々もそれに引き入れられる恐れがあるため、日本兵の駐韓が長期に渉るのは賛成しない。
ってことでロシア政府は、清国兵と共に日本兵を撤兵して、外交手段によってこの問題を結局させる事を忠告した、と。

西公使はこれに対して、韓国の変乱に再発の憂いが無く、且つ撤兵後に日本の計画する目的を達成しうる確実な見込みが付けば、すぐにでも撤兵できるけど、朝鮮の現在の情勢って、到底日本が撤兵させられるような状態じゃないしぃ~、と。

続いて史料は、アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』から。
55画像目を境に、英文電報とその訳文が載っており、どっちも重要っぽいので両方テキストに起こしておこうと思ったんですが・・・。

あああ。
訳文の方、7月14日のエントリーでもうやってるうぅぅぅぅ!
電信番号違うから、気付かなかったぁぁぁ!
しかも、触れておくべき事、触れて無ぇ!
_| ̄|○

気を取り直して、取りあえず英文電信の方をテキストにしておきます。
55→54→53→52画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』。

Mutsu,
Tokio

(12) 加藤 arrived morning 六月二十八日 and I have been reported fully your instructions; being firmly convinced that no effectual reform could be made unless China trampled down and Corea put under our influence as stated in my telegram 11 六月二十六日 and in order to carry out the Japanese Government.
I have 六月二十八日 sent official letter to the Corean Government appending copy of a letter from 在日本清国公使 to you and demanding explanations in a day whether they recognize suzerainty of China as mentioned in that letter; if they answer that they do not recognize it I shall press 袁世凱 on the one hand to withdraw Chinese soldiers immediately on the ground that the presence of those soldiers under the pretext of protecting dependent state is prejudicial to independence of Corea and also Corean Government on the other hand to drive out Chinese soldiers and if unable to do so in their power we have to take the matter into our hand.
If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty; if Corean Government prefer an equivocal course of reply that though they have been said to be a dependet state of China they have an autonomic right in respect to the internal affairs and foreign intercourse, I shall also resort to the same measure to be taken in the first case; in any case it is most necessary on our part to give assurance of our legitimate intention to other treaty powers in order to keep them in a neutral position, and such assurance you and I will give utmost; on the occasion of the audience 六月二十六日,
I have mentioned to the King administrative reform of this country and I going to present officially Corean Government our proposal at the earliest opportunity.
Use such means as you think the best to notify this telegram to 小村 and give him necessary instruction.
What measures will Japanese fleet take at this moment.
Remit at once 10,000 Yen.
Telegraph immediately your instructions.

Otori
まぁ、それこそ7月14日のエントリーでやった話。

触れておくべき事ってのは、「If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty」の部分。
訳文だと「若し又朝鮮政府に於て其属邦たることを認むると返答せば、我兵を以て直ちに王室を圍み、江華島條約第一條を破りたるものとして彼より辨明と謝辞を求むべし。」の部分。

以前、「囲む」「besige」を占拠・占領と読む不思議な人と話した事がありますが、一番最初にそれ系統の話が出てきたのがこの時、という事になります。
朝鮮が清国の属国だと言ったら、日本兵で王宮を囲んで、江華島条約の第1条を破ったとして弁明と謝罪を求める、と。

6月23日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『機密第110号』の中では、「又、若し朝鮮政府は清国の属邦に相違なき旨返答したる時は、我は一応督弁に面会して其利害を説明して、公文を撤回せしむべし。彼若し我説に服せざるときは、公然朝鮮政府に向て彼が修好條規第一款に背き、且つ訂約已来17年間我を欺きたる罪を責め、兵力を以て之に迫り、彼をして謝罪の実を挙げしめ、我に満足なる補償を取るべし。」と表現されていた、全く解決になって無ぇ話でした。(笑)

多分、この1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』での「besiege royal palace」も占拠・占領計画の証拠なんだろうなぁ、不思議な人にとっては。(笑)

これで29日の史料は終わって30日の史料に入っていくんですが、順番無視して、先にこの1894年(明治27年)6月29日発『電受第327号』に対する返事から見ていきましょう。
58画像目。
1894年(明治27年)6月30日発『電送第266号』。

Otori
Seoul

20 I approve(received) your (teregram 12) demanding explanation from Corean Government but before resorting to violent measure wait for further instruction.
「貴下の朝鮮政府からの説明要求について賛成するが、しかし」が、単に「貴下の電信12号を受け取った」に変わってます。
で、暴力的手段に訴える前にさらなる訓令を待て、と。


長くなりましたが、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)   日清戦争開戦まで(六十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




海の日ですが、普段通りに更新。

今日は、英文電報の方を見ていきたいと思います。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』から。
38→37画像目。
イギリスの青木公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第334号』から。

Mutsu,
Tokio.

"The Times" 六月二十八日 contains statement of 李鴻章 about Corean question to the effect that China is suzerain of Corea.
Insurrection finished desires to withdraw but conjointly with Japan.
China admits our right to send troops but declines to overtures for joint occupation and administration or introduction of reforms to King with Japan and other Powers.
Please notice danger of last passage I have also previously established relations with "Times."
I am of the opinion that 天津 Treaty constitutes on China's part admission of a conjoint military protectorate.
This can be maintained by International Law and I used this argument here with good effect, You should not lose sight of this point in our favour.
I am taking also cautious means to draw over British Government to us by showing that China cannot be trusted with guardianship of Corea against Russia which is chief motive of British very friendly attitude toward China.
I recommend to publish eventually 天津 Treaty and your proposals to China together with our intention of introducing civilization into Corea.
Please send sufficient extra expenditure for political and personal purposes.

在英公使
6月28日付けのタイムスは、朝鮮問題について清国は朝鮮の宗主国である旨の李鴻章の声明を載せている。
反乱は終結したので、日本との同時撤兵を希望する。
清国は日本の出兵権は認めるが、日本や列強との共同占領や共同統治、共同での高宗への改革提議についての提案は拒否している。

・・・つうか、何その共同占領とか共同統治とか「列強との」とかって。(笑)
しかもお前、「在京城公使の力で高宗を説得して、行政なり財政なり軍事なりを助言・勧告するのはオッケー」って言ってたじゃん。
分かっててやってるのやら、本当に分かってないのやら・・・。

で、最後の一節に注目して欲しい、と。

んー、ピリオドとかの場所が違う気がする・・・。

私は前もってタイムスとの関係を樹立した。
私は、天津条約は清国側と共同軍事保護権を制定したものであるという見解を持っている。
これは国際法によって主張することもできるし、イギリスではこの論拠により良い効果を収めた。
我々に有利なこの点について、見逃してはならない。

つうか、天津条約で共同軍事保護権が成立したって、本当かよ。
青木、何かずれてる処があるっぽいので、信用できねぇんだよなぁ・・・。(笑)

で、私は、イギリスが清国の方に非常に友好的な態度をみせる根本的な動機である、ロシアに対抗するための朝鮮の保護について、清国に任せられない事を見せることで、イギリス政府を日本側に引き込む慎重な方法をとっている。
私は、ゆくゆくは天津条約と清国との共同による朝鮮への文明化の導入についての提議を発表することを提言する。

最後に、政府や個人を目的にした充分な追加経費を送れ、と。
ここでも工作費ですね。

さて、続いてはアメリカの反応。
同じく38画像目から。
アメリカの建野公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第336号』より。

Mutsu,
Tokio

On receiving your telegram of 六月二十二日 I explained informally to the Secretary of state situation in Corea.
I infer from a conversation with secretary of state today that the Corean Minister has asked intervention of United States representing that China is prepared to withdraw troops but that Japan declines to do so demanding changes in Corean Government.
Although the United States will not interpose in the Corean question, it is desirable that I should be more fully informed as to the attitude of Japan.

在米公使
39画像目に訳文が載ってますが、面倒くさいのでテキスト化は省略。(笑)

6月22日の貴下の電信ってのは、恐らく3月4日のエントリーで西公使経由で送られた1894年(明治27年)6月21日発『電送第234号』の事でしょう。

それを受け取った後、アメリカの国務大臣に面会して朝鮮事情を非公式に説明した。
本日の国務大臣との面会から、朝鮮公使が清国は撤兵を望んでいるのに、日本は朝鮮政府の変化を厳しく要求し、撤兵を拒絶しているという事を述べ、アメリカの調停を願っていると推測される。
で、アメリカは朝鮮問題に関して中間に立つ事はしないだろうけど、建野はもう少し日本の意向を詳しく知りたい、と。

まぁ、アメリカは利害があまり直接絡まないので、建野公使のとこにもそれほど情報行って無いんでしょうね。

続いては、再びイギリスの青木公使からの電信。
40画像目。
1894年(明治27年)6月29日発『電受第338号』。

Mutsu,
Tokio

Minister for Foreign Affairs sent for and told me that British Minister to China reported that 李鴻章 had invited Russia to intervene in the Corean question in order to exercise pressure on Japan.
Under these circumstances a great complication might arise to which England could not be indifferent.
Minister for Foreign Affairs requested me to induce you to communication of your demands on China and Corea probably with a view of mediating for their acceptance.

在英公使
これも41画像目に訳文が載ってますが、それもテキストにはしないでおきます。

イギリス外務大臣に呼ばれ、在清イギリス公使の報告によれば、李鴻章は朝鮮問題について日本に圧力をかけるために、ロシアの仲裁を頼んだ、と。
このような状況を受けて、大きな紛糾を生じる恐れがあり、そうなればイギリスとしても無関心ではいられない。
イギリス外務大臣は、日本から清国及び朝鮮政府に向かって提議した要求の件を、陸奥から通知するように青木に請求してきた。
日本の提議を承諾させるように仲裁する目的だろう、と。

んー、パワーゲームだねい。(笑)

つうか、昨年の4月16日のエントリーの1894年(明治27年)6月16日付『電送第208号』の心得の部分の話とか、5月26日のエントリーの1894年(明治27年)6月21日発『電送第234号』とか、どうなってるんだろう???


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)   日清戦争開戦まで(六十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




さて。
今日は前置き無しで早速。

今日の史料は、『駐韓日本公使館記録2』から見ていきます。
まずは、1894年(明治27年)6月29日付『第62号』から。

敬啓者竊聞清国兵丁之屯駐天安者向全州前行等説本公使雖未悉此説之果属確実惟曩拠貴暦甲午五月十五日第十五號
来文内開昨接我巡辺招討両使電稟内称湖南匪魁既已就殲脅従餘党之散逃者齊訴乞哀亦皆釈去兵器翕然帰化妖氛永銷云々而今忽有淸兵南下之説本公使聞之竊不得無所疑惑者焉蓋謂
貴督辨雖向本公使聲明南匪業已剿定而実則未曾一體肅清因由
貴政府更請清兵前進以期収剿滅実効者乎爲此函請
貴督辨明晢垂
示以釈本公使之惑則幸甚耑此泐佈順頌
台祉
天安に駐屯している清国兵が全州に行ったという噂を耳にした。
この話が果たして確実なものかどうかはまだ分からないが、2月13日のエントリーでとりあげた1894年(明治27年)6月18日付『第15号』では、「巡辺使と招討使の両使から、「湖南の匪賊の主魁はもう殲滅し、脅されて従っていた者も逃げ散って、一斉に哀願しながら武器を捨てて帰順したので、妖気は永遠に消えた」と言ってきた。」とか言ってたのに、清国兵南下の話聞いたら信じられなくなってきたよねぇ。
お前、俺に東学党の乱は鎮圧したって言ってたけどさぁ、本当は掃討できないから清国にまた頼んで剿滅しようとしてんじゃね?と。

もの凄い罠チックな照会。(笑)
「頼んで無いnida!<#`Д´>」って言えば、東学党の乱が鎮定されている筈なのに、朝鮮政府に断り無く勝手に軍を動かす清国について突っ込めるし、「頼んだnida。<;`Д´>」って言えば、鎮圧報告自体が嘘に。
結局、「そんな話は知らないnida!」ってしか返事できないという。
まぁ、その時は知らないで通せるかも知れませんが、事実が出てきた時には同じ事か。

で、同日付けで属邦問題についての照会の督促も行われています。
1894年(明治27年)6月29日付『第63号』。

逕啓者所有貴国自認為清国属邦與否昨経以公文第五十九号照詢限於本日内確切核覆等因在案而迄今仍杳如不見
明覆惟査此事攸関甚重不可稍事従容因限本日夜十二點鍾務必確覆倘仍宕延則本公使亦自有所決耳特此預先聲明即希 貴督辨諒照可也肅此順頌
晩安
貴国が清国の属邦であることを自認するかどうか、6月25日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『第59号』で照会して、今日中に返事寄越せって言ってあったけど、まだ明確な回答もらってねぇんだよなぁ。( ´H`)y-~~
重大でのんびりしてられる話じゃないから、今夜12時までに必ず返事よこせよ。
もし引き延ばしたら、俺も考える所があるからな、と。

6月18日のエントリーから始まる1894年(明治27年)6月28日付『機密第110号』や、7月14日のエントリーの1894年(明治27年)6月29日発『電受第112号』で述べてた大鳥の考えどおりに、矢継ぎ早に属邦問題について手を打ってる感じ。

で、これに対する外務督辨趙秉稷の回答。
1894年(明治27年)6月29日付の書翰より。

逕復者頃展
大函悉為清国属邦與否本日夜十二鍾務必確復一事閲悉種切査本督辨値有要公進
宮稍緩修復斂悚良深擬於明天内容圖佈復尚望諒原可也耑此順頌
台祉
清国の属邦か否かについて今日の12時までに返事しとってのは見たけど、俺ちょっと参内しなきゃ駄目なんで回答を延ばしてくれよ。
明日中には回答すると思うからさ、と。

この書翰を日本側で受け取ったのは、30日の午前3時半。
既に期限過ぎてますが・・・。
つうか、即答できんもんかね?(笑)
まぁ、「誰か」の指示がなきゃ返事もできないのかも知れませんが。

さて、続いてはロシア方面の動向について。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/10 明治27年6月29日から明治27年9月8日(レファレンスコード:B03030207000)』。
13画像目から。
1ヶ月半も経った8月14日になってようやく接受された、在ロシアの西特命全権公使から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日付『機密第8号』より。

本月26日を以て、朝鮮事件に付閣下よりヒトロヴォ公使へ御答への趣相通ぜられ、之を当国政府へ可申渡との電信は、昨28日晩に■■有之候。
本日は、当国の外務次官シーシキン氏は不在なりし由(外務大臣は猶病気にて府外に在り他人に会はず)。
アジア局長に面会し、我政府より貴国政府へ申出之事あり。
右は誰へ話して然るべきやを問ひしに、若し朝鮮事件なれば拙者聴くべしとの答へに付本人に御訓諭の趣を陳へ、且同局長は之に対し、当国政府の名を以て猶勧告したる大略は過刻電信を以て申進置候通りにて、■り■■■於ては我邦の朝鮮をして内政を改革せしめ、其独立を保たしむるの目的には賛成する所なるも、之を達する為め乱既に定りし後、猶兵を彼地に留め置て両方の兵の衝突すべき危機を顧みられざるの一事に至ては解せざる所なり。
如何となれば、若や両国の兵衝突して遂に戦争に■■■日には、各国の交渉亦自ら免れざる所なれば、其戦争たる両国間の事に止らざるべし。
然る時は、貴国の責任亦大なるを知るべし。
故に我政府に於ては、貴国の清国と共に早く兵を引揚せられ、所望の件には交際手段に由て平和的に談判を遂けらるるを望み、之を勧告すとの趣意にて有之。
又拙官には、貴国に於て既に我政府の目的を賛成せらるる以上は、其目的の早く達するを望まるるこそ当然と思ふなり。
我方に於ては平和趣意なるを以て、若し内乱再発の虞なく、且後ちに尋常の外交手段に由て我目的を達し得る見頭あれば兵は既に引揚げし事なるべくも、事此に至り、清国に於て我要求の一を承諾せざる間は外に致方なし。
両国の兵、出先に於て衝突の危きは、我に於ても顧みざるに非ず。
故に之を避くるの術は盡し居れり。
然ども是固より其安全を保証し得らるべきに非ず。
何れにしても、現今の論は清国の取捨如何に在れば、将来の出来事に至ては我の知る所に非ず。
隨て、我の責に任ずべきに非ず等の趣を以て弁じ置候。
然れども、到底各々自己意見の弁論に止り候。

抑々、当国の朝鮮に於けるや漸々之を懐て、平和手段を以て永遠其利を収むる方略を取り居、且常に我邦の朝鮮を分取するに意あるを疑ひ居候へば、清国の朝鮮を保護し其成形を保たしむるは我邦の侵略を防ぐ為め利ありとして居候処、今忽ち事変発して兵を用ひざるを得ざるに至候如きは、其好まざる所なり。
故に是非とも之を止めんと欲する事と■察候。
然し、若し調停の策行はれずして弥々我と清国と戦争にても相成る日には、当国は朝鮮国の完全を維持するを名として清国に同するか、或は独立の軍事挙動を為すか、何れにしても最初は朝鮮恢復を以て事とし、自己の私なきを示して思を朝鮮に帰するの策に出づべくして、略取の企てには及ばず候処と存じ候間、此段御参考に供し置候。
拙官の意見を陳ずれば、若し我方に於て清露両国と兵を交へ勝算ある者とせば、全力を挙げて我目的を達するも可なりと雖、今仮りに英国我に與之する者としても、英の利害関係の大小を考ふれば其応援の程度亦測り難く、且朝鮮自ら既に我の敵対の地位に在れば、此挙たる到底我邦の不利に帰する者と断定せざるを得ず。
故に、程善く処に局を結ばるる方得策と存じ候。
此段得貴意候也。
敬具

追て過日電信を以て数ヶ月前露国政府より清国に約するに、朝鮮国を完全に傷けざるべし。
亦其国事にも干渉せざるべきを以てせりと聞けりと報じ置候処、右は弥々事実なりしと聞かれ、此2、3月頃清露両国間に於てパミル問題を議するに当り、当国の在北京公使■■清国に於ては太た我の朝鮮を侵すことあるべきを憂へ居るにより、今若し我より其意なきを保たば大に清国の驩心を獲るを得べしとの趣を申出、由て之に従ひ右様約せしめたりとの事に候。
26日云々ってのは、5月26日のエントリーでやった1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』の事でしょうね。
ヒトロヴォとの対談中の、撤兵に関する趣をロシア政府に宣言しろってヤツ。

で、西公使は結局ロシアのアジア局長と面会してその旨伝えると、それに対して局長はロシア政府の名で何か勧誘したらしい。
「過刻電信を以て申進置候」って事は、これからやる英文電信の方に出てくるのかな?

で、ロシアとしては日本の朝鮮の内政改革と独立保持ってのには賛成するけど、その目的を達するのに、まだ兵を朝鮮に留めて清国と衝突する危険を顧みないのは解せない、と。
もし戦争になれば、各国の交渉も自然と免れず、それは戦争した日清両国の間に止まらないだろう。
そうなれば、日本の責任は重い。
だからロシア政府は、日本が清国と共に早く兵を引き上げ、日本の言う内政改革と独立保持については外交手段で平和的に談判する事を望み、これを勧告するって事だった、と。

そこで西公使は、ロシアが既に日本の目的に賛成した以上は、その目的を早く達成する事を望むのは当然だ。
日本は平和を趣意としているので、もし内乱再発の恐れがなく、かつ通常の外交交渉で日本の目的を達成できる目途が立ってれば撤兵するだろうけど、事ここに至って清国が日本の要求の一つでも承諾しない間は仕方ない、と。

日本も両国の兵が朝鮮で衝突する危険性を顧みていないわけではなく、それを避ける術は尽くしている。
しかし、安全を保証できるわけではない。
いずれにしても、現状清国の出方次第なので、将来何が起こるかは日本の知るところではなく、日本の責任とすべきでないといった趣を述べておいたけど、これは個人的意見としての弁論に留めている。

ロシアはそもそも朝鮮を徐々に手懐けて、平和的手段で永遠にその利益を得る方略をとっており、いつも日本が朝鮮を分捕るつもりじゃないかと疑っているので、清国に朝鮮を保護させとくのは、日本の侵略を防ぐために利益があるとしているので、今事変が起きて兵を用いるような事は好まない。
だから、是非ともそれを止めようとしているのだろう、と。

しかし、もし調停が不調に終わって日本と清国が戦争にでもなれば、ロシアは朝鮮の完全を維持する名目で清国に与するか、あるいは独自に軍事行動を起こすか、いずれにしても最初は朝鮮の回復を目標として、自分の私心が無いことを示して朝鮮に近づく策に出るだろうから、ロシアによる侵攻って事にはならないだろうと思う。

西の意見としては、もし日本が清露両国と交戦して勝算があるなら、全力で日本の目的を達成するのも良いだろうけど、例えイギリス辺りが日本の側についても、その利害関係を考えればどこまで応援してくれるかは分からないし、第一朝鮮自体が既に日本に敵対する地位にあるんだから、こういう公道は日本の不利になるものと断定せざるを得ない。
ってことで、適当なところで手を打った方が得策だと思う、と。

追伸部分では、数ヶ月前にロシアが清国に、朝鮮を傷つけずその国事にも干渉しない事を約束したと言う話を3月17日のエントリーの1894年(明治27年)6月23日発『電受第298号』でも報告したけど、これは事実だったようで、2~3月頃に清露両国の間でパミール問題の会議で、ロシアの在北京公使は清国では日本の朝鮮侵略を憂いているので、今ロシアにはその意思が無いことを約束すれば、清国の歓心を買うことが出来るだろうという趣を申し出、それに従ってそのように約したという事だそうだ、と。


何か、気がついたらもの凄ぇ長くなってるので、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)   日清戦争開戦まで(六十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




最近、やっててつまんねーのはアレか?
朝鮮政府の話がほとんど無いからか?(笑)
いや、昨今の竹島問題関係見ても何とも思わなくなったように、単に飽きただけなんだろうか。

ってことで、残念ながら今日最初の史料も朝鮮政府関係ありません。
アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/1.上海港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143500)』の3画像目から。
上海の大越総領事から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日付『機密第38号』。

日清両国開戦の場合には当港外国居留地を局外中立と見做さんとの議に付申進

別信にも申進置候通り、当港に於ては日清両国の危機は旦夕に逼れり、否既に開戦せり等風説頗る盛にして、両国の平和は到底維持すべからざる事殆ど一般の信ずる処に有之候。
然るに、昨日筆頭領事に出会候処、同氏の説にては、若し愈開戦の場合に至らば、先年清仏戦争の時の如く、当港外国人居留地を以て局外中立国と見做す事最も好都合なるべく、就ては其際領事会議を開き、其議決によりて北京公使へ電請し、清国政府の承諾を得べしとの事に有之。
右は在留本邦人保護の為めには得策と存候得共、多少軍略上にも関係を有する儀に付、別紙甲号の通り電請に及び候処、同乙号通り御回答相成、了承致候。
右御回訓の通り、領事に於て当港外国人居留地を局外中立となすの権なきのみならず、清国政府及外国公使に於て右■の相談を整ふるも、之を承諾すると否とは本邦の自由に可有之候■、本件は港内水面及び支那街等とは全く関係なく、単に外国居留地のみに関するものにして、居留人民の安全を目的とする一の「フィクション」に過ぎざる義に可有之候。
元来、我居留民は、皆純然たる商人の■に有之候得■、清国官民に於て或は暴力を以て我に加ふるの虞なきにもあらず、■つては若し当港を局外中立地と致し候時は此等の恐れも有之■義と存候に付、予め貴■相伺ひ候次第に有之候■、別紙の通り御回訓相成候に付ては、今後若し本件に付領事会議相開候得共、小官は事に託し出席せざるの考に有之候。
右、御承知相成度付、■申進候也。
別紙甲号が、7月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『電受第321号』、乙号が前回の1894年(明治27年)6月29日発『電送第262号』ですね。

■の部分で話が変わってくる可能性も大きいですが、取りあえずやっておきます。

上海ではもう日清は激突するだろうという見方で一致しており、大越が上海の筆頭領事に会った時に、筆頭領事はもしいよいよ開戦となったら、先頃の清仏戦争の時のように上海外国人居留地を局外中立国とみなすのが最も好都合であり、ついてはその時には領事会議を開いて、その決議を北京公使に電請して清国政府の承諾を得ようって事を言ってた、と。

これは、上海在住日本人の保護のためには得策だと思ったけど、多少は軍略にも関わってくるので別紙甲号のとおり陸奥に聞いてみたけど、乙号のとおり返事があったので了解した。

回答のとおり、領事には上海港の外国人居留地を局外中立とする権限が無いだけでなく、清国政府や外国公使の間でそのような取り決めが為されても、それを承諾するかどうかは日本の自由だけど、今回の一件は港内や中国人街とは関係なしに、単に外国人居留地だけに関するもので、居留人民の安全を目的とした一種の「フィクション」だ、と。
つうか、「フィクション」は、そのままの意味で受け取って良いんだろうか?

で、元々日本人居留民は純然とした商人だけど、清国の官民から日本人に対して暴力を加えてくる恐れがあるかもしれないので、上海港を局外中立地にすればそういう恐れもなくなるんじゃないかと思って陸奥に聞いたけど、回答もらったんで、今後は領事会議が開かれても出席しないつもり、と。
つうか、出席しないっつうのは、情報集めた方が良い外交官としてはどうなんだろう?(笑)

さて、続いての史料はアジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の48画像目。
陸奥から大鳥への、1894年(明治27年)6月29日発『電送第264号』より。

Otori,
Seoul

19 Have you received my telegram 17 sent through 在釜山総領事館.

Mutsu
7月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日発『電送第259号』を、釜山総領事館にも送れ、と。

さて、続いては栗野政務局長が6月29日に携帯していったという、陸奥から大鳥への内信について。
同じく、『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』の48画像目から。

今般栗野政務局長を特派し、齎送致候訓令中に列載し朝鮮政府江勧告すべき事項に付ては、単に口頭にて彼の約束を取置候のみにては他日其成を責るべき場合相生候に当りて、又斯る約束は致せし事ありとか無しとか水掛け論に日を費し、例之朝鮮風の■手段の為め、含糊に帰するの懸念有之候に付、已に訓令中にも申述置候通是非公文を以て御照会相成、而して彼にて如何なる事情を申立候とも夫等には御聞入なく、必ず公文にての回答、即ち我政府の勧告を容るべしとの約束を取附被置候様致度。

尤、其内にも第1項の官司の職守を明かにし、地方官吏の情弊を矯正するといふ一事に付ては、我に向て必ず之を実行する事を約束せしむるの外、差向き評判宜からざる人物を免黜遷転せしむる事にて満足可致置。

又、第2項の外国交渉の事宜を重じ職守其人を擇ぶといふ一事に付ては、訓令中の理由書に記載せし通、君側に出入する権閥の旁議当局者の意見を左右し、其極遂に動もすれば其人を換へ、後任者は前任者の責に任せず、新任者と旧任者とは其言語に差違を生じ、徒らに両国交渉の事件を淹滞し、責任の帰する所なしといふが如き悪風有之候に付、将来言行一致の行動をなす事を得る実力家、即ち所謂勢道と申す如き人物を外国交渉の当局者に任命せらるる事と致度所存に付、其御含にて御談示相成度。

又、裁判・会計・兵制・警察・幣制に関する各項に至ては、今といふて今実行し得らるべき事にも無之候へ共、差向き必ず改良すべしといふ明約を取附置候而已にて満足可致置。

但し、交通の便を起すといふ1項に付ては、電信の事も鉄道の事も確乎たる約束と共に早々着手為致候事最も必要に有之。
電信の事は新たに架設するとも、又は現今の京釜線を買上るとも、何れに致せ純然たる朝鮮政府の所有、即ち他の干渉を受けざる線路を設けしむるか、又は我政府にて代りて架設し若くは買上る場合には、之を我政府の監督の下に置く事■ほ、今日清国政府の京釜線に於けるが如くするか、何れにても宜敷。
又鉄道の事は、是非京城釜山仁川間に布設せしむる様致度。
若し此等工事の為め資金を要するとの事なれば、我政府にて其周旋致遣候ても差支無之候に付、兎に角速かに実行為致候様御談じ附け相成度、右御心得迄に内信を以て申上置候。
尚、其他は栗野の口述に譲り候。
草々敬具
6月4日のエントリーから始まっている、閣議決定に基づく内政改革の要求項目を列記した、1894年(明治27年)6月27日『親展送第76号』の補足みたいなもんですね。

まず、何を置いても口約束じゃなく公文で約束を取り付ける事、と。
単に口約束の場合には、後日やるって言ったべ!?などと責めるような事が起きれば、「いや、そんな約束はしてないnida!<#`Д´>」などと水掛け論に日を費やし、いつものように有耶無耶な状態になる懸念もあるので、公文で照会してその回答も公文で出させろ、と。

で、内政改革要求のうち、1つめの官司の職守云々については、将来的に実行する約束をさせる他、差し当たって評判の良くない人物を罷免・左遷させる程度で良い。
裁判・会計・兵制・警察・幣制についても、すぐにどうこう言う問題ではないので、必ず改良するって約束すればOK、と。

ま、内心は『蹇蹇録』の記述「朝鮮の如き国柄が果して善く満足なる改革を為し遂ぐべきや否やを疑えり」のように、全く期待はしてないと思いますが。(笑)

で、外国交渉の事宜云々について。
訓令の理由の中でも言ってるけど、権閥の横やりが外交当局者の意見を左右し、遂には交代させられて、後任者は前任者の言ってた事と違う事言ったり、いたずらに交渉を引き延ばし、発言に対する責任もないというような悪風があるので、将来言行一致の行動ができる実力家、所謂勢道と呼ばれるような人物を外交交渉の当局者に任命することにしたいと思うので、その辺ヨロ、と。

つうか、高宗自体が言を左右にするだろ、とかツッコんじゃ駄目?(笑)
ま、誰がなっても同じ事で、結局自分らの都合のみで言う事変わるとは思うんですが。

で、「今後の話で約束すればおk」という上記項目とは違って、交通の便を起こすって1項については、電信についても鉄道についても、確乎たる約束と共に、早急に着手する事が大事。

電信については、新しく架設するにしても、現在の京釜線を買い上げるにしても、どっちにしろ他国の干渉を受けない純粋な朝鮮政府の所有か、日本政府が代わって架設・買い上げする場合には、日本政府の監督下に置くか、今の清国政府の京釜線のようにするか、どっちにしてもヨロ、と。
あぁ、やっぱり朝鮮政府単独所有であれば、それはそれで良いわけね。
つうか、京釜線って清国の所有だったのか?

鉄道については、仁川・京城・釜山間で敷設するようにしたい。
もし、この工事の資金が必要なら、日本政府が周旋しても差し支えないので、とにかく速やかに実行するように談判して欲しい、と。

もしこれが受諾されてれば、どうなってたかなぁ・・・。


と、答えの出ない疑問を抱きつつ、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)   日清戦争開戦まで(六十)




前回は何かリンク集みたいになっちゃいました。
これまで、結構マメに取り上げてたのが分かったわけですが、果たしてそこまでする程の話題だったのか、という根本的な疑問が・・・。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の31画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日発『電受第112号』の電信訳文から見ていきたいと思います。
では早速。

加藤外務書記官は6月28日朝来着し、本使は貴大臣の訓令を委しく承りたり。
6月26日第11号本使の電信に述べたる如く、支那を圧倒し朝鮮を我威力の下に置くに非ざれば、到底有効の改革を遂ぐること能はざることを確信するが故に、日本政府の目的を遂げんが為めに6月28日本使は朝鮮政府へ公文を送り、之に陳ぶるに、在日本清国公使より貴大臣へ宛たる書翰の寫を以てして、朝鮮政府に向け議政府は果して右清国公使の書翰に述べたる如く支那の属邦なることを認むるや否やに付、1日を期して辨明を与ふべきを要求せり。
而して、若し朝鮮政府が其属邦たることを認めずと返答せば、本使は一方に於ては袁世凱に向て支那が属邦を保護するとの口実に依り清兵を派遣し、現に朝鮮に駐在せしむることは朝鮮の独立に害ありとの理由を以て直ちに清兵の撤回を求め、又他の一方に於ては朝鮮政府に向て清兵を追出すことを求むべし。
而して万一朝鮮政府に於て自力を以て清兵を追出すこと能はざる場合には、我に於て自ら其事に任ぜざるを得ず。
若し又朝鮮政府に於て其属邦たることを認むると返答せば、我兵を以て直ちに王室を圍み、江華島條約第一條を破りたるものとして彼より辨明と謝辞を求むべし。
若し又朝鮮政府に於て曖昧の返答を為し、朝鮮は支那の属邦なりと称すると雖ども内治外交に関しては朝鮮政府に於て自ら断行の権ありと云ふときは、矢張り第一の場合に於けると同様の処置を執るべし。
何れの場合に於ても、他の條約国をして局外中立の地位を守らしむる為め、日本政府の正当なる目的に関し、我より保証を与ふること最も緊要なり。
而して此保証は、貴大臣及び本使に於て飽迄之を与へんと欲す。

6月26日謁見了致、本使は当国行政改革の事を国王に奏上せり。
且つ本使は、最近の様を以て我が提議を公然朝鮮政府に提出すべき積りなり。
本電信の趣は、貴大臣に於て最も適切とせらるる方法を以て小村臨時代理公使へ御通知あり、尚ほ必要の御訓令を同代理公使へ附与せられたし。
此時に際し、我が海軍は如何なる処置に出づへきや。

金1万円直ちに御廻付を乞ふ。
貴大臣の訓令は直ちに電報ありたし。
  原書朝鮮内政整理
この電信は6月30日に届いています。

「6月26日第11号」ってのは、5月30日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』の事ですね。

内容的には、6月20日のエントリー6月23日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月28日付『機密第110号』と同様の話がメインですね。

属邦問題で迫るって案。
案っつうか、もうやっちゃってますけどね。
去年の1月30日のエントリーでは、電訓を請う暇が無い場合に大鳥が臨機処分できる筈だったわけですが。(笑)

その他、大鳥の発案については小村にも陸奥が最も適切だと思う方法で通知し、必要な訓令を付与してね、と。
まぁ、属邦問題で迫るわけですから、清国の本国とも関係してくるしって事でしょうかね?

その場合、日本の海軍はどういう処置に出るべきか、と。
ああ、「清国の本国とも関係してくるし」じゃなくて、開戦前提の話かも知れないなぁ。

で、1万円要求。
工作費かな?

最後にすぐ訓令よこせ、と。

続いては、英文電報に行ってみますか。
『日清韓交渉事件ノ際二於ケル軍用電線架設関係雑件/1.軍用電信線架設ノ件(レファレンスコード:B07090434500)』から。
8画像目。
まずは右側の1894年(明治27年)6月29日発『電送第263号』より。

Otori,
Seoul

(18) Telegraph engines and materials shipped today.
If this telegram reaches you inform me of it.
電信技師と材料は今日送られた。
もしこの電信が届いたら、教えてくれ、と。

4月25日のエントリーでチョロッと触れましたが、2画像目の1894年(明治27年)6月23日発『電受第296号』で、釜山電信線修理のための材料要求が出されてましたが、その関係かな。

続いて左側の1894年(明治27年)6月29日発『電送第265号』。

Eitaki,
Fusan

Not fighting soldiers but 軍用電信隊 numbering about 100 including engineers and labourers who are going by 東京丸.

Mutsu.
戦闘要員ではない技師や労働者約100名の軍用電信隊が、東京丸で向かった、と。
電信を作る部隊って事かな。

今日最後の史料は、アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/1.上海港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143500)』より。
2画像目左側。
陸奥から上海の大越総領事への1894年(明治27年)6月29日発『電送第262号』より。

Okoshi,
Shanghai.

Refrain from taking any part in question of making 上海 neutral port.
I have to confidentially inform you that Consuls have not such authorize.

Mutsu
7月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月28日付『電受第321号』に対する返事ですね。

上海の中立港化の論議について参加することは、差し控えろ。
領事はそのような認可は出来ない旨、貴下に親展で通知する。かな?

勿論、日本側から戦争を前提とした中立港の議論に、この時点で積極的に参加する必要も無く。
つうか、逆にまだやっちゃ駄目、みたいな。(笑)


ってことで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)   日清戦争開戦まで(四十一)
日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)   日清戦争開戦まで(四十三)
日清戦争開戦まで(十四)   日清戦争開戦まで(四十四)
日清戦争開戦まで(十五)   日清戦争開戦まで(四十五)
日清戦争開戦まで(十六)   日清戦争開戦まで(四十六)
日清戦争開戦まで(十七)   日清戦争開戦まで(四十七)
日清戦争開戦まで(十八)   日清戦争開戦まで(四十八)
日清戦争開戦まで(十九)   日清戦争開戦まで(四十九)
日清戦争開戦まで(二十)   日清戦争開戦まで(五十)
日清戦争開戦まで(二十一)  日清戦争開戦まで(五十一)
日清戦争開戦まで(二十二)  日清戦争開戦まで(五十二)
日清戦争開戦まで(二十三)  日清戦争開戦まで(五十三)
日清戦争開戦まで(二十四)  日清戦争開戦まで(五十四)
日清戦争開戦まで(二十五)  日清戦争開戦まで(五十五)
日清戦争開戦まで(二十六)  日清戦争開戦まで(五十六)
日清戦争開戦まで(二十七)  日清戦争開戦まで(五十七)
日清戦争開戦まで(二十八)  日清戦争開戦まで(五十八)
日清戦争開戦まで(二十九)  日清戦争開戦まで(五十九)
日清戦争開戦まで(三十)



さて、今日は前置き無しで。
『駐韓日本公使館記録2』から。

5月28日のエントリーで大鳥から袁世凱への、「これ牙山でお前んとこの聶が出した布告だって言うんだけど、マジ?」という質問に対して、6月11 日のエントリーで「良く分かんねーから聶に聞いてみる」という袁世凱の返事が出されてましたが、その関係。
1894年(明治27年)6月28日付の文書より。

逕啓者日前貴国統領聶軍門在牙山地方貼出告示是否真偽照請明示当承覆称先行査詢前途俟准覆文再行照知等因在案准査此事関係緊要即希務速査覆是所盼禱耑此泐佈順頌
日祉
この前の聶の布告の真偽照会に対して、調査して知らせるって返事きたけど、これ緊要な話なんでなるべく早く調査・回答してよね、と。
回答の督促ですね。

で、同日1894年(明治27年)6月28日の袁世凱の回答から。

逕復者頃奉来書以催査聶軍門告示真偽事希速査覆等因准此査該項告示昨己具文抄録専人送往索覆俟接覆文当即布達可也特此奉覆即頌
勳祺
その件はさぁ、昨日確認の文書送ったから、その返事待ってよ、と。
そば屋の「今出ました」じゃないだろうな。(笑)

さて、次からはようやくというか何というか、6月29日の史料に入って行きます。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』の31画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月29日付『機密第112号』。

先般来、当国政府より我護衛兵入京拒絶の義に関し、種々故障申越候に付一々辨駁致置候趣は、曩に本月13日附機密第92本59号を以て及具報置候処、爾後引続き別紙之通り往復を重ね候末、我に於て取合はざるを以て、其後は遂に何等申越さざる事と相成候。
依て、別紙往復寫16通相添此段及稟報候也。
あれ?
1894年(明治27年)6月13日付の『機密第92号』ってやってないぞ?(笑)
ってことで、先にそっちを。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』の49画像目。
1894年(明治27年)6月13日付『機密第92号』。

公使館護衛兵上陸進京之儀に付統署督辨と往復の件

公使館護衛兵派遣之儀、朝鮮政府へ通知したる顛末機密第83号信を以て杉村臨時代理公使より及上申候処、本官入京の前日(6月9日)同代理公使より本官護衛水師兵300名隨帯入京の儀、外務督辨へ別紙甲号の通り及御通知候処、同夜督辨より兵員入京差止め方に付同乙号之通り回答旁請求有之候に付、再び右に対し翌10日杉村代理公使より同丙号之通り来意に応じ兼候旨相断り申候。
然るに、其日又同件に付別紙丁号の通り改めて督辨より照会有之候に付、同戊号之通り杉村臨時代理公使より彼の請求に応じ難き旨照覆に及候趣に有之候。
依て、右往復文寫5通相添此段及上申候也。
機密第83号は、昨年の2月24日のエントリーから26日のエントリーで取り上げたヤツ。
で、50画像目の別紙甲号が、同じく昨年の2月24日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月9日付『第43号』。
51画像目の乙号も昨年の2月24日のエントリーの1894年(明治27年)6月9日付文書。
52画像目の丙号が昨年の3月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月10日付『第44号』。
53画像目の丁号も同じく昨年の3月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月10日付『照会第10号』。
54画像目も同昨年の3月2日のエントリーの1894年(明治27年)6月10日付『第45号』ですね。
要するに、日本の護衛兵入京差し止めの話。

で、本題の『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第二巻/1 甲午〔明治27年〕5月初9日から明治27年7月9日(レファレンスコード:B03030206100)』の1894年(明治27年)6月29日付『機密第112号』に戻って、朝鮮政府による日本の護衛兵入京差し止めの件について、一々弁駁しておいたのは機密第92号で報告しておいたけど、その後別紙のとおり書翰の往復を重ねた末、日本が取り合わないので終に何も言ってこなくなった、と。(笑)

で、それに付属してる別紙が16通・・・。

まずは、これまたまだ取り上げてなかった、32画像目。
6月12日付『第47号』。

敬啓者刻接仁川来電悉於本日下午四點鍾我国陸兵約八百名到仁当夕起程可於明日進京拱衛我使館矣所有在京海兵須待該陸兵進京応行交代回仁帰艦也爲将函達
貴督辨照諒可也耑此泐佈順候
晩安
今日の午後4時に陸兵800人が仁川に到着し、夕方仁川を出発して明日京城入りし、海兵と交代するそうなんで、ヨロ、と。
んで、これへの回答が33画像目。

敬復者刻奉
来函為本日下午四點鍾貴国陸兵八百名到仁当夕起程可於明日進京拱衛貴使館所有在京海兵須待陸兵進京応行交代回仁帰艦一事本督辨閲悉之下殊甚訝惑査現在南匪已平完城克復等由業經函明早已
亮悉惟漢京原無険慮因前次貴兵無故調来反致騷然政宜立施撤還籍資釋疑方稱
貴公使処事公允亦属本督辨之所厚望也何以次此又添多兵陸続進京以致都下人民転益驚疑此本督辨之尤未可解尚望
貴公使更加三思先飭在館海兵亟行撤回并将抵仁陸兵勿令前進以安人心而敦友睦至所盻禱耑此佈復順頌
夜安
書翰読んだけどさぁ、何で東学党の乱は平定して京城にも危険は無いって言って、日本兵が理由も無く入ってきたら騒擾が起きるから撤兵しろって言ったじゃんか。
それなのに、今度また多くの兵を京城に進めて都下の人民を驚かすって何でよ?
ウリには理解出来ないニダ。
だから、先に公使館に入った海兵も撤兵させて、同時に仁川に到着した兵も入京しないようにして、人心を安定させてくれよ、と。

で、34画像目は昨年の3月24日のエントリーでやった1894年(明治27年)6月13日付『第48号』。
35画像目が昨年の3月12日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月12日付『照会第12号』。
36画像目が昨年の3月24日のエントリーの1894年(明治27年)6月13日付『照会第13号』。
37画像目が、昨年の4月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月15日付『第49号』。
38画像目は同じく昨年の4月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月16日付け書簡。
39画像目が昨年の4月19日のエントリーの1894年(明治27年)6月17日付『第50号』。
40画像目から今年のエントリーに入って、2月11日のエントリーでの1894年(明治27年)6月17日『第14号』。
41画像目は2月12日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日付『第51号』。
42画像目は2月14日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日文書。
43画像目は2月13日のエントリーの1894年(明治27年)6月18日付『第15号』。
44画像目が2月18日のエントリーの1894年(明治27年)6月19日付『第52号』。
45画像目が2月20日のエントリーの1894年(明治27年)6月20日付文書。
46画像目が3月7日のエントリーの1894年(明治27年)6月22日付『第54号』。
47画像目が3月17日のエントリーの1894年(明治27年)6月23日書簡。
以上16通、と。

結構マメに取り上げてんなぁ・・・。
まぁ、その分話が進まないわけですが。(笑)


ってことで、今日はここまで。



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