少しづつペース戻ってきた。
でも、先月から2日分くらいしか史料進んでねぇ。(笑)
何時になったら日清戦争開戦に辿り着くんだろ・・・。

< 2008年5月のエントリー >
冒頭に言ったとおり、今月はほぼ何もしてねぇ。

日清戦争開戦まで(三十三)

陸奥とロシア公使ヒトロヴォの対談。
朝鮮で内乱が再発しない手だてについて、何らかのコンセンサスが得られれば、日清戦争まで行かなかったかもね。
ま、清国に内容が正確に伝わっていたとして、それでも拒否というのもありうるわけですけどね。(笑)


日清戦争開戦まで(三十四)

陸奥とヒトロヴォの対談の続き。
清国軍撤兵したら、日本も撤兵するんけぇ?というヒトロヴォのツッコミを、言い訳っぽい理由でかわそうとする陸奥。
結局、日本に同意するか、同意しないなら邪魔すんな、の二択になっていきます。


日清戦争開戦まで(三十五)

イギリス公使は、もし朝鮮の領土保全と騒乱防止を基本にした申し入れがなされれば、王大臣は提案を考慮するだろうと申し入れてきた。
それ、日本の申し込みそのままじゃんwww
イギリス公使、分かってナスwww


日清戦争開戦まで(三十六)

大鳥が「日清戦争開戦まで(四)」で送った文書についての説明文書。
陸奥の言ってる要求で無理押しするより、たとえ清国と衝突が起きなくても、清国が先に撤退すれば朝鮮の事大根性利用できるだろう、と。
一週間以上も届かない文書ですが。(笑)


日清戦争開戦まで(三十七)

京城領事内田定槌の、対韓政策上申書。
折角朝鮮に大兵を送ったんだから、朝鮮を日本の保護国に汁!
朝鮮を独立国として取り扱って来たのは「過失」だ!
剛速球ばかり。(笑)


日清戦争開戦まで(三十八)

内田の対韓政策上申書の続き。
政治は腐ってるし、扶助してやんないと独立できねーよ、と。
おっしゃるとおりではありますが・・・。(笑)


日清戦争開戦まで(三十九)

さらに内田の対韓政策上申書の続き。
政治が腐ってるから、民も全くやる気無し。
でも、大改革すれば!って希望を持ってるらしいんですが・・・ねぇ?(笑)


日清戦争開戦まで(四十)

内田の対韓政策上申書の最後。
大改革っつってもヤツらだけじゃ無理。
でも、独立国として取り扱ってんだから、大改革させるには保護条約結んで日本が面倒みてやるしか無いっしょ、と。
まずは、約束は守られるべき物って事を教える所から始めないと駄目なんだよねぇ・・・。(笑)


日清戦争開戦まで(四十一)

月初めにやった陸奥とロシア公使ヒトロヴォの対談の要旨。
要約だから面白くはないけど、僕の書いた要約より分かりやすいかも知れない。(笑)


日清戦争開戦まで(四十二)

陸奥から大鳥への、有力な朝鮮人を引き入れるように試みろという指令と、清国の聶士成が牙山で出した布告に関する文書。
今後に係わってきそうな史料ですが、面白さは皆無。


日清戦争開戦まで(四十三)

まずは、聶士成が牙山で出した布告に関して、大鳥から陸奥への報告。
もう一つは混成旅団報告。
混成旅団報告の方は、斥候を出す話が多数見られたりで、徐々に水面下の動きが激しくなってきている事が分かります。


もう暫く週3回ペースで行くけど、もう少し早めたい気はする。
でないと、いつまでたっても終わらない。(笑)
( ´H`)y-~~



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そろそろ平日更新に戻したい気もするんだけど、英文史料や漢文史料が入ると途端に面倒くさくなり・・・。(笑)

さて。
前回、大鳥公使から袁世凱に対して、牙山の聶士成の告示に関して照会が行われていましたが、これに関して陸奥へも情報が送られます。
アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』から。
26→25画像目。
1894年(明治27年)6月26日発『電受第317号』より。

Mutsu,
Tokio

11. 加藤 not having arrived, I have not yet officially communicated to the Corean Government propositions mentioned in your telegram; but after private measures taken and many informations obtained, I have found that Corean Government being firmly convinced of the to suggest to China our propositions will not be carried out all those effectual reform will be made as long as Corea is under the influence of China.
I think it is absolutely necessary at this moment to decide the question of Chinese suzerainty.
Meanwhile having obtained a copy of proclamation issued by Chinese General 聶 in which it is stated that he has been sent to aid 属国.
I asked 袁世凱 六月二十六日 by official letter if it is true.
May I take such steps as I deem necessary to contradict the above proclamation even by force.
Answer immediately.

Otori
加藤が到着しておらず、まだ貴下の電文に言及された提案を、朝鮮政府には公式に伝達していない。
しかし、私的方法で入手した多くの情報によれば、朝鮮政府は・・・。
何を堅く信じてるんだ?(笑)
convinced of the to suggest ・・・」って明らかに何か抜けてるよなぁ・・・。

ま、兎も角、朝鮮が清の影響下にある限り、効果的な改革は成り立たないだろう。
清国の宗主権問題の解決が、絶対に必要だと思う。

清国の聶将軍が出した布告の写しを入手したが、そこには彼が属国援助のために送られたと記載されている。
私は、袁世凱に公文書を送って、それが事実なのか照会した。
上記の布告を否定するために、力づくでも必要と考える措置をとって良いか。
直ちに回答願う、と。

冒頭の加藤云々は、3月18日のエントリーの『電送第242号』または『電送第243号』の話。
要するに、加藤が詳細持ってきて朝鮮の内政改革云々とか言うけど、清国の影響下にある限り無理だべ。
聶の布告を足がかりに、宗主権排除するように動いて良いんけ?って事かな?

さて、次からはようやく6月27日の史料に入っていきますよ。
まずは、混成旅団の動き。
アジア歴史資料センター『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第8号(レファレンスコード:C06061758400)』より。

混成旅団報告  第8号 6月26日

情報

一 招討使洪啓董、巡辺使李元會等の引率して全州に向ひたる兵、追々帰京す。
未だ着京の原因を詳にせず。
目下偵察中の趣、公使館附渡辺少佐より報告あり。

一 振威縣より水源迄の間は、地方官沿道の土民に課し、材木及土石を運び、道路の修繕に従事す。
牙山の清兵進京の為め準備するものなりと、渡辺少佐より報告あり。

一 大同江附近異状無き旨、八重山艦長より報告を得たり。

一 郡山より入港の朝鮮国商舩顕益号は、朝鮮兵600名を馬山浦に上陸せしめ、猶ほ100名を仁川に上陸せしむ。
牙山碇泊の清国軍艦は、鎮遠、揚威、済遠、康丙、操江なり。
陸兵の屯処は、白石浦より凡そ一里半奥の山下に幕営せりと、八重山艦長より報告あり。

一 本邦より持来りし馬舩は、貯水又は架橋用に使用するの目的を以て、龍山に招致せり。


情報  6月27日

一 牙山附近に在る歩兵中尉有吉雅一の報告に、24日午后平澤縣発本日午前司令部に到着す。
曰く、牙山にある支那兵の件に就ては、前報に異ることなし。
曽て、仁川より斥候として派遣せられし歩兵中尉西山盛壽に、牙山附近にて會合し、西山は24日天安に向へりと。

一 在仁川兵站監の報告に、支那兵若干服装を変じ、江華に入込みたると云ふ。
依て仁川にある大隊より、将校斥候を派遣す。

一 福島中佐京城より齎し来りたる通報に、李鴻章は日本の対韓事件に一致する能はずと断言せるに付、戦争の用意を要すべしと、北京公使より外務大臣に報告せしとの通報を得たり。

一 6月26日午后8時20分天津発荒川より大鳥公使宛電報に、李鴻章は総理衙門の意を承け、6月25日提督葉に左の電報を発せりと。
曰く、清国政府は増加兵を葉に送るを欲せず。
目下の処忍耐せよ。
右、京城公使より通報し来る。

一 在京城福島中佐の通報に、松都(開城府)地方に出張せし偵察者よりの報告に曰く、昨23日松都を発し金川に向ふ途中、支那兵4騎に遭遇せり。
孰れも錆びたる銃器を携帯せり(10日以上困難なる旅行をなせしものと認む)云々。
右に付、明28日騎兵1分隊を開城府方向に派遣す。
尚ほ、下士斥候を水源府方向に出して、牙山方向を偵察せしむ。

一 本日午后3時、将校斥候を大同江に向て派遣す。

一 第二次輸送諸隊、本日仁川に到着するの予定なるを以て、長岡参謀を仁川に派遣す。

一 午后8時20分、在仁川兵站監の電報到着。
曰く、我運送舩続々入港す。

一 患者は極少数にして重症の者一人もなし。

右報告仕候也。
読めば大体とりあえずポイントだけ。

3月11日のエントリーで、洪啓薫は陸路、李元會は海路で全州から引き揚げる話が出ていましたが、その関係かな。
で、何で戻ってきたのか詳細不明、と。
まぁ、まだ清国軍滞在中なのに、何で朝鮮側だけ戻って来てんのよ、みたいな。(笑)

次の「水源」は、水原のことかな?
要するに、牙山方面と京城方面の間の道路を修繕してて、これは清国軍が京城に進むためのものだろう、と。

一つ飛んで、群山から馬山浦に600名、仁川に100名の朝鮮兵到着、と。

で、27日の報告まで飛んで2つめ。
仁川からの報告で、清国兵若干名が変装して江華に入り込んだってことなので、仁川から将校斥候を派遣、と。

3つめでは、李鴻章は日本と一致できないと断言したので、戦争の用意が必要だと、北京の小村から陸奥に報告したという通報を得た、と。
27日分なら、これからその報告が出てくるのかな?
っつうか、交渉決裂?(笑)

4つめは、天津の荒川から大鳥への電報で、李鴻章から葉志超に向けて、現状増援送れないから忍耐しろと電報があった、と。

後は、開城府から金川の途中で、清国兵と遭遇したので騎兵1分隊を派遣したり、水原方面に下士斥候を派遣したり、将校斥候を大同江に派遣したり。
第二次輸送隊が仁川に到着したり、と。
水面下での動きが激しくなってきましたねぇ・・・。


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
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日清戦争開戦まで(十二)   日清戦争開戦まで(四十二)
日清戦争開戦まで(十三)
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日清戦争開戦まで(十五)
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日清戦争開戦まで(十八)
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日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
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日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)


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今日は前置きなしで早速。
アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/1 明治27年6月8日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03050308100)』から。
24画像目。
陸奥から大鳥公使への、1894年(明治27年)6月26日発『電送第249号』より。

14. So far nothing very important learned about disposition of treaty powers you mention.
Will telegraph you as soon as I hear of it.
Regarding your forthcoming labor with Corean Government try to befriend 大院君 and other win over influential Coreans as a preliminary steps.
Let me know who will probably side with our cause.

Mutsu

If you require expense for that purpose reasonable sum may be allowed upon your application.
今までのところ、貴下の言及する各条約国の意向について、緊要な事項は知られていない。
情報を得次第、貴下に電信するだろう。
貴下と朝鮮政府との今後始まる作業について、予備段階として有力な朝鮮人を味方に引き入れるよう試みること、と。
その文中、最初は「大院君その他」と書いてるんですが、これを取り消し。
で、誰が日本側に与する可能性があるのか知らせろ、と。
経費が必要ならば、申し込み次第に適当な金額が許容されるはずだ。

前半は、4月25日のエントリーの1894年(明治27年)6月25日発『電受第308号』に対する返事ですね。
後半は、今後の内政改革等に関する工作の話。

つか、「大院君 and other」が書かれた理由と消された理由知りてぇ。(笑)

さて、続いては、アジア歴史資料センターの『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/4 明治27年7月2日から1894〔明治27〕年7月23日(レファレンスコード:B03050308400)』の15画像目から。
大鳥から袁世凱への1894年(明治27年)6月26日付照会より。

大日本特命全権公使大鳥

照会事照得現有敝国人由牙山地方来京者謄寫貴国聶軍門在該地方所貼告示一紙投稟前来本公使閲読之下未審此項告示実係聶軍門出示者否為特録呈貴総理査閲即希垂示明白以判真偽是為切盼為此備文照会
貴総理請煩査照可也須至照会者

大清総理交渉通商事宜袁
簡単に言うと、牙山経由で京城に来た日本人が、牙山地方で清国の聶軍門が別添写しの告示を出してたって持ってきたんだけど、これ本物?と。

次の16画像目が、その聶士成の諭達。

牙山に於ける聶提督の諭達

欽命頭品頂載記名提督山西大原総鎮統領直隷蘆防淮練馬歩等営巴圖隆阿巴圖魯聶為
凱切暁諭事竊爾朝鮮国全羅道属教匪作乱佔拒省会殺軍民爾
国王発電告急我
中朝愛恤属国不忍坐視不救
特諭
欽差北洋大臣李咨会欽命直隷提督軍門葉督同本統領率馬歩槍砲大隊前来征勦特念爾等本係良善或一念差失或為所脅従豈盡甘心従賊遽膺大戮殊堪憐憫
大兵到日爾等能悔罪投誠洗心革面均予免殺能将首悪獻出必加重賞若仍執逆不悟敢行抗拒悉殺無赦為此出示曉諭本統領紀律厳明令出法隨勿謂言之不早也各宜凜遵毋違特諭
右仰知悉

光緒20年5月初8日
告示 寔貼暁諭
頭品頂載・記名提督・山西大原総鎮統領直隷蘆防淮練馬歩等営巴圖隆阿巴圖魯であるところの聶・・・って肩書き長いんじゃ!ゴルァ!(笑)

えーっと、意訳。
全羅道で東学党の乱が起きて全州城を占拠し軍民を殺してると、高宗から急を知らせる電文がきた。
属国を哀れみいたわってるから、放置するには忍びないので、李鴻章は葉志超と聶士成に兵を率いて討伐させることにした。
本来善良な者が、魔が差したか他の脅しによって賊に従っているのだろうから、大殺戮にあうのは可哀想だ。
君たちが悔い改めて殺すのは免ずるし、賊の首持ってくれば重く賞するし。
もし抵抗すれば、容赦せず皆殺しだから。
( ´H`)y-~~ プハー

みたいな感じかな。

続いて、17画像目。

牙山に於ける聶提督の告示

統領蘆北台防軍記名提督山西大原鎮聶示

大兵入境 諭示商民
各安其業 毋得恐驚
兵勇購物 照給銭文
秋毫無犯 體恤下情
如有騷擾 喊稟来営
従重究治 決不稍軽
高招市價 示送重懲
特此暁諭 各宜凜遵

統領蘆淮防軍記名提督山西大原鎮聶示

奉憲檄飭 防営遠征
保護藩属 辨衛商民
自行軍旅 紀律厳明
購買物件 照給銭文
如有騷擾 或犯別情
軍法従事 決不稍軽
諭示兵費 各宜凜遵
前段の告示は、大兵がきたけどビビらず普通に生活してね。
物買うときはちゃんと金払うし、犯罪しないし、優しくするからさぁ。
もし騒擾があれば知らせてね。
犯罪者は軽い処分しないし、市場価格つり上げるようなヤツは重く罰するけどね。
ウフッ(はーと)、と。

前段が民に対するものであるのに対して、後段は軍に対するものになんのかな?
軍が遠征してきたのは、藩属を保護し、商民をまもるためだ。
規律は厳しくし、物を買うときには対価を払い、騒擾起こしたり何か犯罪犯せば、軍法に従って容赦しねーから、と。

まぁ、昨年の2月17日のエントリーとか見ても、犯罪犯さなくても無理矢理現地官吏に何とかさせそうだけど。(笑)

ってことで、これら聶士成が出した告示ってのは、マジでおたくの方で出したもの?っていう照会が袁世凱に行われたんですね。


ってところで、今日はここまで。



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日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)


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長文の史料をやってると、やる気が削がれていく気がしたり。
つうか、要約になってない要約書く意味、無ぇんじゃね?
そのまま史料のテキスト起こしだけで良いんじゃね?
なんて考えたりするdreamtaleです。
ども。

さて、今日の史料はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』に入っていきます。
3→2→1画像目の順になっている、 陸奥からロシアの西公使への1894年(明治27年)6月26日発『電送第246号』より。

・・・てか、冒頭で長文イヤン!って言ったのに、英文の長文史料かよ!(笑)
と思ったら、4~7画像目に和訳があるんで、そっちを見てきたいと思います。
では早速。

露国公使は、6月25日朝鮮事件に関し本大臣を訪問し、本大臣に左の如く告げたり。
清国政府は露国政府に斡旋を乞ひたるを以て、露国政府は日本国政府に清国との衝突を務めて避くることを同公使より勧告せんことを命じたり。
而して、目下両国の軍隊朝鮮国に駐在するを以て、衝突は実に危きに頻せるが如く思はると。
本大臣は之に対し、我政府の目的は朝鮮国の現状を改良し、其独立を鞏固永遠なる基礎に置かんと欲する外ならず。
而して此目的を達せんが為め、我政府は清国政府に向ひ、朝鮮国の内政改良の方策を議定するの業務に専ら従事せしむる為めに、両国協同委員の設置を提議せり。
而るに、清国は此提案を排拒したり。
加之ならず、清国政府は日本軍隊は之を朝鮮国より撤退すべしと要求するにも拘はらず、自らは現に朝鮮国へ援兵を増発することに従事し、己に朝鮮国に在る清兵2,500の外、更らに1,500の兵を同国へ送遣するの準備をなせり。
清国政府の挙動は実に前後矛盾せり。
且つ又日本国政府は、清国の朝鮮に対する慣用手段の沿革を熟知するが故に、我政府は不幸にも清国より唯だ一片の口頭の保証を以て、我兵を撤去するに足る充分の担保とは認むる能はざるなり。
何んとなれば、我軍隊と清国軍隊と同時に撤退する時は、暴徒再び起り、清国をして朝鮮国へ再び出兵するの口実を得せしむべければなり。
畢竟朝鮮国の独立は、其内政に根底的改革を施すを待て始めて永続するを得ることは、日本国政府の確信する所なり。
蓋し今日の形勢たるや、事情己むを得ざるに出でたるものにして、我より進で之を求めたるにあらず。
之を以て日本国政府は、左記の方法中其の一を実行するにあらすんば、我兵は撤去することを欲せずと述べたり。

第一 日本国と清国と協同し、朝鮮国の独立を永遠に保持し、同王国の現状を改良するの目的を以て其の方策を調査するの取極をなすこと。

第二 若し清国に於て右の如き事業に与かることに付き、絶対的の異議あるときは、清国は日本国に於て此事業を遂行せんとするの企図に対し、直接間接に論なく毫も干渉を試みざることを約すること。
終りに臨み、本大臣は露国公使に向ひ、日本国の朝鮮国に対する政略は平和的にして、且文明的のものなり。
而して清国に対しては、日本国は退守的の地位にあるものなりと宣言したり。
閣下は、前記の旨意に基づき露国政府へ宣言すべし。
前記の電文は、其の末尾に左の如く附記ありて在英公使へも転送せらるべし。
閣下は前記の趣意に従ひ、英国政府へ宣言すべし。
但し、在日本露国公使及び露国政府に関することは、悉く削除せらるべし。
5月2日のエントリーと、5月8日のエントリーで見た、ヒトロヴォと陸奥の対談要旨ですね。

「駐留」に関して言えば、清国の方が分が悪いわけです。
鎮圧依頼を受けて出兵したのですから、鎮圧したなら撤兵すべきで。
天津条約では「其の事定まるに及んでは、仍即ち撤回し再び留防せず。」なわけですが、鎮圧依頼を受けた国が撤兵していない以上、事が定まったと見なせない、というロジックを日本側としては使えるわけです。
しかも、更に本国から増援が来る話もあるわけで。

だからロシアも、んじゃ清国撤兵すれば日本も撤兵すんの?と言うわけです。

一方で、乱が治まったとは言っても、首謀者が捕まったわけでも無く、原因が取り除かれる事になったわけでも無い。
再発に対する対策を講じない場合、「定まった」と見なせるかどうか、という問題もあるわけでして。
増して、甲申事変を初めとする前例があるわけで、口約束だけじゃ撤兵できねーよ、と。

ってことで、朝鮮の独立保持と現状改良のための方策を調査する取り決めか、それに異議ある場合は邪魔すんな、ってののどちらかという撤兵条件に。

もっとも、実際に清国が撤兵してしまえば、天津条約違反だという批難には簡単には抗し得ない状況になったと思うんですがねぇ・・・。

最後に、朝鮮に対しては平和的かつ文明的だし、清国に対しては消極的だよ。
以上をロシア政府に宣言し、在イギリス公使に転送して、イギリス公使はロシア公使とロシア政府に関する事以外はイギリス政府に宣言してね、と。

さて、次は・・・。
同じくアジア歴史資料センター『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』の8画像目から10画像目になるわけですが、これ宛先が京城の大鳥と北京の小村になってるだけで、内容同じじゃん・・・。_| ̄|○

文頭に番号入ってるから省略しずらい・・・。
ってことで、一応英文の方も挙げておく事にします。
そんでは、1894年(明治27年)6月26日発『電送第247号、電送第248号』より。

Otori, Seoul
Komura, Peking.
13) The following telegram has been sent to 在露日本公使 and 在英日本公使.

Russian Minister called on me 六月二十五日, regarding Corea.
He informed me that Chinese Government had asked good offices of Russian Government and that in consequence Russian Government had instructed him to suggest to the Japanese Government that they should endeavor to avoid a collision with China which owing to the presence of troops of both countries in Corea seemed imminent.
I assured Russian Minister that our sole object was to ameliorate condition of Corea and place her independence upon firm and enduring foundation and that in fulfillment of that object we had proposed to Chinese Government the creation of joint commission devoted to the labor of formulating measures looking to an improvement in Corean administration.
That scheme, I added, had been rejected by China.
I then called Russian Minister's attention to inconsistence of Chinese Government in demanding the withdrawal of Japanese troops from Corea while actually engaged in dispatching reinforcements to Corea and making preparation for sending thither additional forces amounting in all to 5,500 soldiers, besides of the 2,500 already there.
Japanese Government, I continued, were familiar with the history of methods pursued by China in Corea and consequently that they unfortunately could not regard mere verbal assurances of China as a sufficient guarantee upon which to withdraw their force, since the withdrawal of their army with that of China might occasion renewal of the revolt and serve a pretext for reintroduction of Chinese troops into Corea.
In Short I said that Japanese Government were convinced that the continued independence of Corea depended upon the introduction of radical reforms in the administration.
I also told Russian Minister that present situation had been forced upon us by circumstances beyond our initiative or control.
Under these circumstances I said that Japanese Government did not feel at liberty to withdraw their troops unless one of the following course was adopted.

1st: That Japan and China joint in an arrangement to examine and devise measures having for their object the perpetuation of Corean independence and the amelioration of the condition of the Kingdom: or, 2nd: If China finds insuperable objection to taking part in such work that she shall engage neither directly nor indirectly to interfere with Japan in the prosecution of the undertaking.

Finally I declared to Russian Minister that our mission in Corea was one of peace and civilization, and that so far as China was concerned we are in defensive attitude.
You are hereby instructed to make declaration to Russian Government in above sense.
内容的には、在ロシアの西公使あての『電送第246号』と同じなので省略。


ってところで、今日はここまで。



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日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)     日清戦争開戦まで(四十)
日清戦争開戦まで(十一)
日清戦争開戦まで(十二)
日清戦争開戦まで(十三)
日清戦争開戦まで(十四)
日清戦争開戦まで(十五)
日清戦争開戦まで(十六)
日清戦争開戦まで(十七)
日清戦争開戦まで(十八)
日清戦争開戦まで(十九)
日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)
日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)



前回のラストでは、日本が独立国として朝鮮を公認してきた事と内政等への干渉に対する不都合や、諸外国の妨害を避けるため、朝鮮政府と保護条約を結んで、内治外交に干渉することが重要といってました。
今日はその続き。

京城領事の内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第26号』。
アジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の14画像目の右から3行目から見ていきます。

然りと雖ども、朝鮮国をして我日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結せんとするも、当国政府は果して之を承諾するや否や、又清国政府を始め他の諸外国政府より故障を申出づるもの無之や否や等の懸念も御座候処、帝国政府に於ては既に数千の大兵を京仁両地の間に屯在せしめ居る事にて候得ば、我外交官たる者の掛合方如何によりては意外にも容易に当国政府の承諾を得らるべくと存候。
尤も、かかる場合に臨みては、清国政府よりの故障は勿論可有之義に付、我帝国政府は右の目的を達する為め今後当地に於て清国と決戦を試むるの御覚悟有之度きものに御座候。
しかし、朝鮮に日本の保護を受けさせる条約を締結しようとしても、朝鮮がそれを承諾するかどうかや、清国を始めとする諸外国から異議申し立てされる懸念もあるけど、日本は既に数千の大軍を京城・仁川に駐留させてるんだから、外交官の交渉次第で意外に簡単に朝鮮の承諾を得られるだろう、と。
約束守る国相手なら良いんだけどね。
( ´H`)y-~~

で、そういった場合には、清国からの異議申し立ては当然あるだろうから、日本はその目的を達するために、今後朝鮮で清国を決戦する覚悟がほしいものだ、と。
そうだねぇ、同じ戦うなら、そっちの方が良いかもねぇ・・・。
まぁ、対清関係だけで済む話じゃないんで、そう上手くはいかないんですが。

んじゃ、続き。

然るに、之れが為め我国が他の諸外国と兵端を開くに至るべきや否やと云ふに、当国の成行に関し、最も利害を感ずるものは日清両国の外英露の2国に御座候処、若し英国にして清国の応援をなさんとすれば、露国に於て之が抵抗を試むる可く、又露国にして或口実を設け当国へ出兵せんとすれば、英国に於て之に抵抗すべしと雖ども、目下英露両国の状勢并に其関係を案ずるに、未だ当地に於て如此衝突を生ずべしとも思はれず。
従て、互に出兵を差控へ可きを以て、此両国は左迄意に介するに足らざる儀と存候。
又、米独仏の3国は、仮ひ一時其居留人保護の為め、仁川より水兵を上陸せしむる位の事は可有之と存候得共、我国と衝突を惹起する如き愚策を執らざるものと相信候。
そのために日本が諸外国と戦争すべきかどうかについては、朝鮮情勢に関係する国は、日清両国のほかにはイギリスとロシアがあるけど、もしイギリスが清国の応援をしようとすればロシアが抵抗するだろうし、ロシアが口実を作って朝鮮へ出兵すればイギリスが抵抗するだろうけど、現在のイギリスとロシアの状勢や関係を考えると、朝鮮でこのような衝突を起こすとも思えない。
ってことで、双方出兵は差し控えるだろうから、この両国はそれほど気にしなくて良いと思う。

また、アメリカ・ドイツ・フランスの3国は、居留民保護のために一時的に仁川から水兵を上陸させるくらいの事はするかもしれないけど、日本と衝突を起こすような愚策はとらないものと信じている、と。

「戦後」を考えなければそうかも知れませんがねぇ・・・。
ちょっと見通しが甘い気もする。

而して、我国が清国と交戦することは、朝鮮を以て我保護国となすの條約を締結するに付き、其妨害を除去するが為め最も必要なる而已ならず、従来清国政府が当国政府の当路者を自国に懐くるには、常に自国の強大を誇り、日本の小弱にして恃むに足らざるを説き、且つ不幸にして往時壬甲の役并に明治17年の変乱には、恰も日本兵が支那兵の為め討ち退けられたる如き形迹を現はしたるを以て、当国官民は自然清国に結托すれば日本は恐るるに足らざるものと誤認致居候に付、若し今般日清両国共に兵を当国に出したる後、一回も交戦することなくして互に兵を引揚ぐることにも相成候得ば、彼清国人は当国人に向ひ例の大言を吐き、日本兵は中国兵の威を恐れて終に本国へ帰れりなどと言触らすことなしとも計られず。
果して然らば、益々我国威を毀損する次第に付、此好機に臨み痛く彼清兵を打破り、当国人をして親しく我帝国の威風を目撃せしめ、以て清国の将来恃むに足らざるを知らしむること目下の必要と存候。
しかし、日本が清国と交戦することは、朝鮮を日本の保護国とする条約を締結するために、その妨害を除去するために最も必要な措置だ、と。

それだけでなく、これまで清国が朝鮮の当路者を自国に懐けるためには、常に清国の強大を誇り、日本が弱小で頼むに足りない事を説き、しかも壬午事変や甲申事変では、まるで日本兵が清国兵によって討ち退けられたかのように見え、自然と朝鮮の官民は清国と結託すれば日本は恐るるに足らないと誤認している。

もし今回日清両国が兵を朝鮮に出した後、一回も交戦せずにお互い軍を引き揚げる事になれば、清国人は朝鮮人に対していつもの大言を吐き、「日本兵は中国兵の威を恐れて終に日本に帰ったアル!」なんて言いふらすかも知れない。
もしそうなら、ますます日本の国威を毀損するわけで、この好機に臨んで痛烈に清国兵を打ち破り、朝鮮人に日本の威風を目撃させ、清国が将来頼むに足らない事を知らしめるのが、目下必要の事だと思う、と。

言う清国・信じる朝鮮。
そういう奴らを相手にしなきゃ駄目ってのが悲惨よねぇ・・・。(笑)

之を要するに、今回我国より如此大軍を当地へ御派遣相成候上は、此好機会を失ふ事なく、帝国公使館、領事館并に居留帝国臣民を御保護相成候外に、尚ほ一歩を進め、当朝鮮国を以て我日本帝国の保護を受けしむるの条約を締結し、自今我帝国政府に於て当国の内治外交に干与し、其進歩改良を図りて之を富強の域に導き、一は以て我帝国の藩屏を強固にし、一は以て当国に於ける我帝国の勢力を拡張し、併せて帝国商民の利益を増進するの御政策を執られ度きものと存候。
右及上申候也。
要約すれば、今回日本は大軍を朝鮮に派遣したんだから、このチャンスを逃さずに、公館及び居留民保護から更に一歩を進めて朝鮮に日本の保護を受けさせる条約を締結し、以後日本が朝鮮の内政・外交に関与して、その進歩・改良を行って富強の域に導き、一つには日本の防備を固くし、一つには朝鮮での日本の勢力を拡張し、併せて日本商民の利益を増進する政策をとって欲しい、と。

朝鮮半島は、緩衝地帯として安定してて貰わないと困るというのが前提なんだろうなぁ。
で、そのためには独立国としての意思と能力が必要なんですが、どっちも無い。
でも独立国認定しちゃってる。
だからこういう対応を提案することになったんでしょうけど、陸奥辺りはその辺どう考えてたのかなぁ。

ちょっと長くなりますが、次の16画像目の同じく内田から陸奥への1894年(明治27年)6月26日付『機密第27号』もやっておきたいと思います。

本日附機密第26号を以て及上申■■対韓政策に関する小官の意見は、為念大鳥特命全権公使の供一覧置候間、左様御承知■■度、此段申置候。
敬具
ってことで、大鳥公使にも念のため見せとくよ、と。


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一)     日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二)     日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三)     日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四)     日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五)     日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六)     日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七)     日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八)     日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)     日清戦争開戦まで(三十九)
日清戦争開戦まで(十)
日清戦争開戦まで(十一)
日清戦争開戦まで(十二)
日清戦争開戦まで(十三)
日清戦争開戦まで(十四)
日清戦争開戦まで(十五)
日清戦争開戦まで(十六)
日清戦争開戦まで(十七)
日清戦争開戦まで(十八)
日清戦争開戦まで(十九)
日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)
日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)



ドラマ用に分かりやすくした脚本もかくや、という朝鮮の惨状。
時代劇であれば、水戸黄門や大岡越前や遠山の金さんや仕事人が出てくるんでしょうがねぇ。(笑)

ってことで、 京城領事の内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第26号』の続き。
アジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の12画像目。
右から5行目から見ていきます。

扨又当国地方人民一般の状態を案ずるに、政府積年の弊政により、職業を励みて家産を起し之を蓄積せんとするの念全く消亡し、若し其勤労により多少の財産を貯ふる者有之候ときは、直に地方官の注目する所となり、種々の口実により之を貪ぼり取られ、其身体に迄如何なる災を及ぼすことあるやも測られ難き次第に付、人々自然に惰弱の習慣を養成し、唯僅に其口を糊し、雨露を凌ぐを以て足れりとし、赤貧洗ふが如きを以て最も安全の策なりと考へ、偶々多少の資産を貯ふる者あるも務めて之を秘密にし、家屋衣服の如きも可成之を質素にして、故らに貧困を粧ふ有様に御座候得ば、百般の農工商業は悉く萎靡して少しも開発すること無之候。
一方で、朝鮮の地方の一般ピーポーの状態は、長年の弊政のせいで、仕事を頑張って財産を作り貯めようという考えは全く消え失せ、もし勤労によって多少の財産を蓄える者がいれば、すぐに地方官に注目され、様々な口実によって奪われる。
その身体にはどのような災いが起きるか分からない、ってな状態のため、人々は自然と惰弱の習慣を形成して、ただ僅かに糊口を凌ぎ雨露を凌ぐ程度で十分だとして、非常に貧しくて何も持っていない状態が最も安全だと考え、たまたま多少の財産を蓄えた者がいても、努めて秘密にし、家や服装もなるべく質素にして、わざわざ貧困を装うような有様なので、様々な産業はことごとく衰えて元気が無く、少しも開発されることがない、と。

まぁ「停滞史観」とか言われたりしますが、実際ボロボロだったんだろ?と。(笑)

んじゃ、続き。

夫れ国家の貧富強弱は国民個々の貧富強弱に基き、国民個々の貧富強弱は一に国政の良否に基き、国政の良否は一に行政機関の善悪、百官有志の賢不肖に存するものに御座候処、今や当国行政機関は如此腐敗し、其百官有志如此暗愚残酷なる以上は、民力疲弊せざらんとするも得べからず、国力衰亡せざらんとするも得べからざる儀と存候。
然りと雖ども、若し夫れ当国の諸制度に根本的の大改革を加へ、歳入歳出の途を明にし、厳に官吏の私曲を制し、人民の権利義務を明確にして其生命身体財産の安全を計り、盛んに文明的の教化を敷きて専ら殖産興業の道を奨励したらんには、沃野の広き如此、砿山の饒多なる如此、沿海漁猟の利を有する如此、而も人口1,000万に垂んとする此朝鮮国のことなれば、百般の殖産事業は続々として振興し、外国貿易も亦隆盛に赴き、其富強に至るべきは期して俟つべきことと存候。
国家の貧富強弱ってのは国民個人個人の貧富強弱に基づき、個人個人の貧富強弱は国政の良否に基づき、国政の良否は行政機関の善悪や官吏の能力によるものだ。
しかし、今や朝鮮の行政機関はこのように腐敗し、官吏もこのように暗愚・残酷である以上は、民力が疲弊し、国力衰亡するのも仕方ないだろう、と。

しかし、もし朝鮮の諸制度に根本的な大改革を加え、歳入・歳出の使途を明確にし、官吏の不正を厳しく規制し、人民の権利・義務を明確にしてその生命・身体・財産の安全を計り、盛んに文明的な教化を行って殖産興業を奨励すれば、朝鮮は沃野も広く、鉱山も多く、沿海漁業の利を有し、人口1,000万人になるんだから、様々な殖産事業は次々に振興し、外国貿易も盛んになり、富強に至る事が期待できる、と。

正論ではありますし、以降の日本の援助の基本方針になるわけですが、やるのがヤツらですからねぇ・・・。(笑)

つうか、陸奥は「近代化十字軍」の必要性が無い旨を述べてるように、本来は関わらない方が良いに決まってるわけで。
でも、関わらなければ足を引っ張る。
いや、関わっても足引っ張られるか・・・。
迷惑な国だよなぁ。(笑)

然らば即ち、当国をして其独立を維持せしむる丈けの国力を養成せしめんには、是非共先づ其国政の大改革を行はざる可からざる義と存候処、之を改革するに当り、其方法如何はさて置き、果して当国政府自ら如此大改革を行ひ首尾能く其目的を達し得べきや否や、是れ甚だ覚束なき次第にして、或は望を現国王の御生父たる大院君に属する者も有之候得共、如此大事業は一朝一夕にして其功を奏す可きに非ず、必ずや5年、10年若くは20年前後の長日月を要するものに御座候処、同君仮ひ剛毅英邁の令聞ありと雖ども、70余歳の高齡に及ばれ居るが故に、其独力を以て此回天の大業を成就することは到底出来難きものと存候。
されば、当国政府を輔佐して此大改革を行はしむるものは、即ち我帝国政府の任にして、帝国政府が此事を行ひ、朝鮮国をして清国を始め其他の列国に対し厳然たる東洋の一独立国たる体面を保たしむるは、我国の為め最も名誉なる且つ最も安全なる策にして、亦我帝国の勢力を朝鮮半島に拡張する好手段に外ならずと存候。
ってことで、朝鮮の独立を維持させるだけの国力を養成させるには、是非ともその国政の大改革をしなければならないと思う。
その改革を行うにあたり、方法はさておき、果たして朝鮮自らがこのような大改革を行い、首尾良くその目的を達成できるか否かは非常に覚束なく、望みを大院君にかけてる者もいるけど、これほどの大事業は一朝一夕では効果が出ず、5年、10年、20年と長期を要するものなのだから、大院君に剛毅英邁の評判があるにせよ、70余歳の高齢だし、独力でこんだけの大業を成就するのは到底できないだろう、と。

つうか、そもそも大院君に期待するって時点でなぁ・・・。(笑)

で、そうなれば、朝鮮政府を補佐してこの大改革を行わせるのは日本政府の任であり、日本政府が大改革を行って、朝鮮に厳然たる東洋の一独立国としての体面を保たせれば、日本のために最も名誉且つ安全な策であり、日本の勢力を朝鮮半島に拡大する好手段に他ならないと思う、と。

だから、独立国としての能力を保持していない国に、独立国としての体面を保たせようとするから歪みが出るんだよねぇ。(笑)
まぁ、他に清国やロシアとの緩衝地帯をキープする、良い方法も思いつきませんし、そもそも依存体質の国が相手ですので、仕方のないところでしょうけど。

然るに、我帝国政府が当国の政府に干渉するは、従来当国を以て独立国と公認したるに拘はらず、自ら其独立の権利を侵害するの嫌も有之候処、右は万已むを得ざる次第に付、其不都合を避くる為め、并に諸外国の妨害を避くる為め、此際当国政府に申入れ懇々利害のある所を説明し、将来朝鮮国をして我日本帝国の保護を受けしむるの條約を締結し、内政の改革に関しても亦帝国政府の輔助を受けしむるの特約を為し、帝国政府は条約上の権利として当国政府の内治外交に干渉すること頗る肝要と存候。
尤も、日本政府が朝鮮政府に干渉するのは、従来朝鮮を独立国として公認してたわけで、自分でその独立の権利を侵害する嫌いもあるけど、これは仕方の無い事であり、その不都合を避けるのと諸外国の妨害を避けるために、この際朝鮮政府に申し入れて、その利害を懇々と説明し、将来朝鮮に対して日本の保護を受けさせる条約を締結し、内政改革についても日本の補助を受けさせる特約を結んで、日本は条約上の権利として内治外交に干渉する事が非常に肝要だと思う。

最終的にはそういう方向性に向かうわけですが、後の閣議を見ても日本はこの時点ではまだそこまでの考えは無く。

つうか、属国自主だの意味分かんねぇ事言ってないで、清国が朝鮮を保護国にしとけば分かりやすかったのに。
どうせ、実態としてそうだったんだから。(笑)


ってところで、途中ですが今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(三十六)
日清戦争開戦まで(七) 日清戦争開戦まで(三十七)
日清戦争開戦まで(八) 日清戦争開戦まで(三十八)
日清戦争開戦まで(九)
日清戦争開戦まで(十)
日清戦争開戦まで(十一)
日清戦争開戦まで(十二)
日清戦争開戦まで(十三)
日清戦争開戦まで(十四)
日清戦争開戦まで(十五)
日清戦争開戦まで(十六)
日清戦争開戦まで(十七)
日清戦争開戦まで(十八)
日清戦争開戦まで(十九)
日清戦争開戦まで(二十)
日清戦争開戦まで(二十一)
日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)
日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)



お仕事、全く新しい事を担当してたんですが、そちらも大分落ち着いてきましたので、そろそろ週三回くらいは更新するペースにしていきたいなぁ、と。
怠け癖がついてないかどうか不安ですが。(笑)

さて、前回は、京城領事内田定槌の意見書について、清国が朝鮮を属邦とするに至ったのは、日本が朝鮮を独立国として取り扱い、何もしてこなかった「過失」によるものだという、剛速球の意見までを見ました。
朝鮮に係わると、割とみんな剛速球投げるようになるんですよねぇ。
何故なんだろう。(棒

今回は、その京城領事の内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第26号』の続きを。
アジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の9画像目、左側真ん中辺りから。
今回も、長いので分割しながら見ていきます。
んでは早速。

去れば、今後当国に対し帝国政府に於て執らる可き御政策は、従来の如く単に朝鮮を以て一の独立国と公認するに止まらず、更に一歩を進め、其独立を擁護せらるるに非ざれば、今後益々当国に対して其勢力を失ひ、他日臍を噬むも及ばざる時期に相達すべく、而して其独立を擁護するには、勢ひ当国の外政に干与して清国及び其他の干渉侵畧を拒絶する而已ならず、其内政にも干与して之が進歩改良を計らざるべからざる儀と存候。
ってことで、今後朝鮮に対して日本がとるべき政策は、これまでのように単に朝鮮を一つの独立国と公認するだけでなく、一歩進んでその独立を擁護しなければ、今後益々朝鮮における勢力を失い、悔やんでも悔やみきれないようになるだろう。
しかし、朝鮮の独立を擁護するためには、朝鮮の外交に干渉して清国やその他の国の干渉や侵略を拒絶するだけでなく、内政にも関与して進歩改良を図らなければならないだろう、と。
いや、これも要約つうか解説になってねぇな・・・。(笑)

熟ら、当国内政の有様を観察するに、中央政府を始めとし、百般の行政機関は実に腐敗の極点に達し、民力の困弊実に名状すべからざるの有様に陥り候。
今其一斑を述ぶれば、従来当国政治上の実権は常に国王又は王妃の近親たる2、3の門族に帰するの例となり、各族互に権力を競争し、其競争に当りては各自家の利益を図るに汲々たるの外、国家の安危、王室の栄辱を以て眼中に置く者無く、現今の執権者たる閔族の如きも、自家の勢力を維持する為め清国政府の後援を借り、其結果として終に今日に至りては、其国をして清国の属邦たるの実を現はさしめ、其君をして清国の臣隷として之に事へしめざるを得ざるが如き勢に推移りたるも、自ら之に安んじ居る次第に御座候。
然るに、同族中にも亦互に権力を争ふ者有之。
其最も勢を得て顕要の位置を占むる者は、実際其位置に相当する丈けの智識才能を有する人物にはあらずして、唯最も奸佞にして国王又は王妃に多額の財物を進献する者に過ぎざれば、苟も其進献をなさざるものは仮ひ有用の人物たりとも、相当の官職を授けらるる事無之。
既に閔族中に於てすら尚且如此有様なれば、閔族以外の者にして朝官たらんとする者は、独り国王・王妃而已ならず、閔族の有力者にも亦贈賄せざる可からず。
而して、右は独り中央政府の官吏を登用する場合に於て然る而已ならず、各道の長官たる観察使を始とし、其他府縣州郡等に於ける地方官を撰任するにも亦同様の方法によるものに御座候。
朝鮮では中央政府を始めとして、さまざまな行政機関が腐敗の極みに達し、民の疲弊は名状しがたい有様。
その一部分を述べると、これまで朝鮮の政治的実権は、いつも高宗または閔妃の近親の2~3の門族に占められ、各族はお互いに権力を争い、そのためには自分達の利益だけを追求して国家や王室はアウト・オブ・眼中。

現在の執政者である閔族も、自分の勢力を維持するために清国の後援を受け、その結果として、現在では朝鮮を清国の実際上の属邦とし、高宗を清国の臣下として仕えてるかのような情勢になってるけど、自分からその地位に満足してる次第、と。
属国根性www

で、閔族の中でも互いに権力を争う者があり、その最も勢いがあり重要な地位を占めているのは、その地位に相当するだけの知識や才能を持っているからではなく、ただ最もずる賢くて高宗や閔妃に多額の財物を献上した者に過ぎず、それをしなければ例え有為の人材でも相当の官職が与えられる事は無い、と。
つうか、閔族でも即重用されるってわけじゃないのね・・・。
閔族も大変だなぁ。(笑)

で、閔族ですらこのような有様なわけで、閔族以外の者が朝官になろうとすれば、高宗や閔妃だけでなく閔族の有力者にも贈賄しなければならない。
これは、中央政府の官吏登用だけでなく、観察使や府縣州郡等の地方官の専任についても同様の方法によっている、と。

「売官」って言った方が通りが良いのかな?

右の次第に付、賢良跡を潜めて群奸頻りに進み、百官有志の職は皆此等鼠輩を以て充満致居候処、凡て此等の徒は在職中皆其職権を濫用して貪慾を擅にし、公然賄賂を収めて私曲を行ひ、其威に逆ふ者あるに当りては残忍酷薄の処置をなして毫も顧みる処なし。
而して其最も甚だしきは即ち地方官にして、例へば茲に観察使の職を得んが為め、進献贈賄等に10万金を費消したる者のありとせんが、当人任所到着の上は右の失費を回復し、且つ自家の嚢中を充たさんが為め、猥りに威福を張って強索を行ひ、或は部下の官吏に対して賄賂を誅求し、或は2、3の商人に特典を付与して多額の金額を貪り、或は種々の重税を賦課して細民を苦しめ、或は口実を設けて富豪を捕へ、之を牢獄に下して其財産を掠奪し、或は兇歉を名として防穀令を布き、相場の下落するに乗じ多額の穀物を買占めたる後、卒かに其禁令を解きて奇利を博する等、乱暴狼藉至らざる所なきは少しく当国の事情に通ずる者の熟知する所に御座候。
然るに、観察使を始め其他の地方官は皆生殺與奪の権を有するが故に、其配下に属する人民は仮ひ多少の虐政に逢ふことあるも、多くは之を忍耐して容易に抵抗する者無之候得共、虐政の度合漸く加はり、地方人民が最早忍耐する能はざる点に迄達するときは即ち発して民乱となり、地方の騷擾を惹起し、乱民共は直に地方官庁を襲撃して其官吏を殺傷すること往々にして有之候処、斯る場合に臨みては、地方官は自ら之を鎮定するの力なく、去りとて中央政府より一々兵隊を派して之を鎮定する暇あらず候に付、僅に其地方官の交迭を行ふときは直に静謐に帰するの例と相成居候。
而して、此種の民乱各地方に蜂起する者近年漸く其数を増加し、終には今度全羅忠清両道地方の大騷乱と相成り、中央政府と雖も之が鎮圧方に苦むに立至りたる次第に候処、今回の民乱は支那兵の来着を聞き一時其気息を収め、目下殆んど平定の有様には候得共、実際当国政府の自力を以て討滅したるには無之候に付、今後支那兵が本国に引上げたる後は又々早晩再発に至るべき儀と存候。
ってことで、賢くて善良な者は身を潜め、官職は皆こういった鼠輩で占められ、その在職中には職権を濫用して貪欲を欲しいままにし、公然と賄賂をもらって不正を行い、逆らう者については残忍酷薄の処置をして少しも気にする所がない。

その最も甚だしいのは地方官で、例えば観察使の職を得るのに賄賂等で10万使った者がいたとすると、そいつが着任すれば、使った金を取り戻し且つ懐を満たそうとして、人を思いのままに従わせて強く要求したり、部下の官吏に賄賂を厳しく求めたり、2~3人の商人に特典を与えて多額の見返りをもらったり、様々な重税を賦課して民を苦しめたり、口実を作って富豪を捕まえて牢屋に入れてその財産を略奪したり、凶荒を名目に防穀令を出し、相場が下落したら穀物を買い占め、その後防穀令を解除して儲けたり、乱暴狼藉が横行してるのは朝鮮の事情を少しでも知っている者は熟知している事だ、と。
つうか、時代劇の総集編かよ、みたいな。(笑)
まぁ、こっちは現実にあった話だけどな。
( ´H`)y-~~

しかし、観察使を始めとした地方間はみんな生殺与奪の権利を持っているため、その支配下にある人民は、たとえ多少の虐政にあっても多くは忍耐して抵抗する者も無かった、と。
ただ、虐政の度合いがどんどん進み、地方人民が我慢の限界に達したら当然民乱になるわけで、そうなれば乱民は地方官庁を襲撃して、その官吏を殺傷したりすることも往々にしてあった。
しかし、地方官は自分で鎮定する力が無く、中央は中央で一々兵隊を派遣して鎮圧する暇もなく、その地方官の更迭を行えば直ちに収まるのが通例になってた、と。
どんだけアバウトな国家運営やねん。(笑)

ってことで、この類の民乱・各地で蜂起する者は近年徐々に増加し、ついに東学党の乱が起きて中央政府と雖もその鎮圧に苦しむ状況になったけど、東学党の乱は清国兵の来着をきいて一端収束し、現在はほとんど平定された状況だけど、結局、朝鮮政府の自力で鎮圧したわけじゃないから、今後清国兵が本国に帰れば、遅かれ早かれ再発するだろう、と。

まぁ、全州城の奪還自体は自力と見ても良い気はしますが、単に奪還しただけですしねぇ。
全州和約等の「和解」した形跡も見られませんし、収束した原因が清国の到来であれ日本の到来であれ、乱の起きた根本原因が除去されていない以上は、遅かれ早かれ再発すると考えるのは妥当でしょうね。


ってところで、今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(三十五)
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日清戦争開戦まで(三十)



今日の史料は長いので、前回に引き続き前置き無しで。
アジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の7画像目。
京城領事の内田定槌から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第26号』より。
長いので、分割しながら。

対韓政策に関し意見上申の件

我帝国政府が、当朝鮮国に対する御政畧上の件に関し、小官に於て喋々意見を上申するは聊か職務外に亘る哉の嫌も御座候得共、其方針の如何は当国に於ける我帝国の勢力と帝国商民の利害に至大の関係を及ぼすものに有之、而して今や実に危機一発の間に差迫り居るものと相考候に付、僭越を顧みず茲に卑見を開陳して閣下の御参考を煩し度と存候。
抑も、今回海陸の軍隊を当国へ向け御派遣相成りたる目的は、唯だ東学党の民乱に付き当国に於ける帝国公使館、領事館を衛護し、帝国臣民の安全を保護するにありて、決して他意無之旨本月11日付機密送第13号を以て御通知に相成候処、我公使館領事館并に居留帝国臣民にして危害を受くるの虞あるに当りては、相当の方法により之を保護せらる可きこと勿論には候得共、折角如此大兵を御派遣相成候以上は、何卒更に一層有益なる目的に之を御使用相成度ものと存候。
而して、更に一層有益なる目的とは他なし当朝鮮国を以て我日本帝国の保護国となすことに御座候。
京城領事がこういう意見書を出すのは職務外かもしれないけど、日本のこれからの方針は朝鮮における日本の勢力と、日本の商民の利害に非常に大きな影響を及ぼし、また今の情勢は一触即発の状態だと考えて、僭越を顧みずに上申する。

今回の日本の出兵は、東学党の乱に対して公使館や領事館の護衛と日本人居留民保護が目的で、決して他意が無いという事は昨年の3月7日のエントリーで取り上げた、大鳥公使を除く総ての在外公使、在外領事に送られた電報で通知された、と。
『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/3 明治27年6月7日から明治27年6月15日(レファレンスコード:B03030204900)』の25画像目を見ると、各公使・領事によって番号が違い、「京」は確かに「機密送第13号」となってますね。

で、日本公使館や領事館や日本人居留民に危険が及びそうであれば、相当の方法で保護すべきであるのは勿論だけど、折角このような大兵を送ったのだから、更に一層有益な目的に使用したい。
それは何かと言えば、他でもない朝鮮を日本の保護国にすることだ、と。

結局、前回の大鳥も今回の内田も、その他これまで当ブログで取り上げて来た諸氏も、中身が分かれば皆「このまんまじゃ駄目だ、この国」と思うわけで。
一方で独立国として条約を結んでるわけで、そのジレンマと闘うわけですよ。
まぁ、駄目じゃなかったら東学党の乱も起きないか、起きてもすぐ鎮圧できるわけですが。(笑)

従来我帝国政府は、当朝鮮国を以て一の独立国と公認せる而已ならず、欧米列国をして其独立国たるを公認せしめたるにも拘はらず、清国政府に於ては陰に之を属邦と見做し、近年に至りては当国政府をして頻りに属邦たるの実を挙ぐるの政策を執り、着々其歩を進め、今や朝鮮国が清国に対し藩属国たるの姿を呈せるは、単に当国国王が清国皇帝に対する虚礼の上に止まらず、当地に於ける清国駐在官は当国政府の内治外交に干渉し、当国政府も亦謹んで其命を聴き敢て之に逆ふことなく、宛も属邦政府監督の為め本国政府より派遣せられたるが如き状を呈し、当国税関官吏も亦清国政府に於て雇聘せる外国人を以て之に充て、且つ清国人と朝鮮人との間に起りたる訴訟事件は、朝鮮人被告たる場合と雖も清国の法衙に於て之が裁判を行ひ、其他朝鮮国と清国との間に締結せる諸条約書中にも亦、朝鮮は清国の属邦たるが如き文句を記載致居候次第にして、今回清国政府が当国政府の請に応じ、東学党民乱鎮圧の為め数多の兵員を派遣したるも亦、朝鮮を以て其属邦とするの実を挙ぐる政策に外ならざるものと存候。
これまで日本は朝鮮を独立国として公認しただけでなく、欧米列国にも独立国である事を公認させた。
まぁ、日本が独立国としての能力も意思も欠落した国を、独立国とみなしたのがそもそもの原因だと思うんですが。(笑)

一方で1882年(明治15年)の「中國朝鮮商民水陸貿易章程」などで最初から属邦扱いしていた清国ですが、最近では朝鮮政府に対して頻りに属邦としての実効を挙げるための政策をとり、着々とその歩を進めて、今や朝鮮国は清国に対する藩属国な姿を呈している。
これは、単に朝貢等の虚礼上だけの話でなく、実際に内政や外交にも干渉しており、朝鮮側はそれを謹んで聴いているような有様であり、朝鮮駐在の清国官吏はまるで属邦政府監督のために本国から派遣されたかのような状態、と。
この「清国駐在官」ってのは、主に袁世凱なんでしょうねぇ。

で、朝鮮の税関官吏にも清国政府が雇った外国人を充てる。
これは、メルレンドルフ(P.G.Mellendorff:モルレンドルフ、モーレンドルフ)が筆頭って事になるのかな?

且つ、朝鮮人と清国人の間で起きた訴訟事件は、朝鮮人が被告の場合でも清国の裁判所で裁判し、先ほども述べた1882年(明治15年)の「中國朝鮮商民水陸貿易章程」などでも朝鮮は清国の属邦だという文言を記載している次第で、今回清国政府が朝鮮政府の要請に応じて東学党の乱の鎮圧のために出兵したのも、朝鮮を属邦にする実効を挙げる政策に外ならないと考える、と。

属国旗

だから属国旗。( ´H`)y-~~

扨て、我国を始め欧米諸国が独立国と公認したる朝鮮国が、今日の如く甘じて清国政府より属邦視せらるるに至りたる所以のものは、畢竟現政府の当路者たる閔族の所為にして、該族は曽て明治15年及明治17年の変乱に際しても、清国政府の力によりて其政権を恢復し、其後今日に至る迄自家の政権を維持する為め常に清国政府の力を利用したるを以て、清国政府の威令は自から閔族、即ち当国政府の上に行はれ、朝鮮国は終に清国に対し属邦たるの実を現はすに至りたる次第に御座候。
ってことで、日本を始め欧米諸国が独立国と公認した朝鮮が、現在のように甘んじて清国政府から属邦視されるに至った理由は、結局現政府の当事者である閔族の仕業であり、閔族は明治15年の壬午事変や明治17年の甲申事変の際も、清国政府の力によって政権を回復し、その後現在まで自分たちの政権を維持するために常に清国政府の力を利用してきたため、清国からの命令は閔族すなわち朝鮮政府に出され、朝鮮は遂に清国の属邦の実を表すに至ってしまった、と。
つうか、要約になってねぇな・・・。
(;´H`)y-~~

然るに、従来帝国政府が朝鮮国を以て独立国と公認するの政略を執られたるは、必竟他国の干渉侵畧を防ぎ之を開明富強の域に■き、一は以て我国の藩屏を築き、一は以て我国との貿易を盛んにせらるる御主意に外ならざる儀と存候処、已往十数年来帝国政府の政策は前述の如く清国政府の為めに蹂躪せられ、該政府は我国が対等国として交際する朝鮮国をして其属邦たるの実を挙げしめ、我国が開明富強の域に導かんとしたる朝鮮国をして益々退歩衰弱せしめ、以て我国威を辱かしめ、以て我藩屏を破壊し、以て我商民の利益を害したること実に少々に御座なく候。
然り而して、帝国政府の政策が如此清国政府の為め蹂躪せらるるに至りたる所以のものは、従来帝国政府は独立国の名義を重んじ、敢て其国政に干与すること無之而已ならず、清国政府の干渉をも制止することなく、徒に之を放任したるの過失より起りたるものと断定致候。
従来日本が朝鮮を独立国と公認する政略を執ったのは、結局他国の干渉・侵略を防ぎ、朝鮮を開明・富強の域に導いて、一つには日本の防壁とし、一つには日本との貿易を盛んにしようという主意に外ならないと思う。

しかし、それから10数年来、日本の政策は清国のために蹂躙され、清国政府は日本が対等国として国交している朝鮮を、属邦とし、日本が開明・富強に導こうとした朝鮮を益々退歩・衰弱させ、それによって日本の国威を辱め、日本の防壁を破壊し、日本商民の利害を害した事は多々あった。

で、日本の政策がそのように清国によって蹂躙された理由は、これまで日本は独立国の名義を重んじて、敢えて朝鮮の国政に関与しなかっただけでなく、清国の干渉も制止せず、無駄に朝鮮を放任した過失から起きたものだ、と。

いや、独立国として取り扱って来たことが「過失」だとか言われても。(笑)
まぁ、私も日本が独立国としての能力も意思も欠落した国を独立国とみなしたのがそもそもの原因だとは思うんですが。
キャッチャーが伴宙太じゃないのに、剛速球投げちゃ駄目。(笑)


途中ですが、長くなりましたので今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(三十三)
日清戦争開戦まで(四) 日清戦争開戦まで(三十四)
日清戦争開戦まで(五) 日清戦争開戦まで(三十五)
日清戦争開戦まで(六) 日清戦争開戦まで(三十六)
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日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)



仕事が忙しくて更新ができない上に、史料が長いエントリーが続いてました。
正直、長い史料は今は勘弁してほしい・・・。(笑)

さて、今日はアジア歴史資料センター『韓国内政改革ニ関スル交渉雑件 第一巻/2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日(レファレンスコード:B03050308200)』の23画像目から。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)6月26日付『機密第107号』より。

6月20日発本官電稟に対する説明

清兵を撤回せしむ可き最後の処置に付、本月17日機密第96号本62并翌18日発電信を以て及上申候(同信は八重山艦に附託して電信と共に送呈す可き準備致し、既に二口翻訳官補を仁川迄差下し候処、同18日支那電線開通の報を得候に付、八重山艦の出帆を相止め申候)に付、委曲御承知之義と存候。
然る処、去18日発貴電同20日致接到候処、其中御訓示相成たる京釜間電線の譲与、日本人に対する内地課税の廃止及び防穀令全廃の事を朝鮮政府に厳談する事は、此場合に於て時勢及徳義上、孰れの点より考案を下すも、断じて得策と為すこと能はず。
抑今回我兵の派遣は、一は我公館と人民を保護し、他の一は朝鮮若し民乱を平定する能はざるときは之を援助す可しと云ふ厚誼に外ならざるに、若し中途に於て俄然其目的を変じ、厚誼の為めに動きたる兵威を借りて、却て彼を強迫する爪牙と為す時は、独り朝鮮政府の怨を買ひ、永く我信用を当国に得る能はざるのみならず、各国政府と雖も必ず我挙動を是視せざるべしと被考候。
加之我国今回の挙は、朝鮮に於て日清両国の勝敗を決し、独立藩属の問題を定む可き緊要の時期と考ふれば、此度の結果にて我勢力は支那を凌駕して充分に伸張するか、若くは其反対の不幸を見るかは相定り可申と存候。
幸に我に利益ある結果を得たるときは、今後我より朝鮮を愛護せざる可からざる代りに、我当然得べき権利も充分伸張するを得べく、且つ少々位の無理も相通り可申と存候(縦令此際支那と衝突を生ぜずとも、支那より我を避けて自ら退くときは、同様の結果を得可くと存候)。
故に、此際専ら朝鮮官民をして我方に左袒せしむること自今の急務なれば、瑣末の難題を持掛け圧制的に其目的を達することは、断じて不得策と思考致候。
又、内地課税及防穀令の如きは、本條約に違犯するものなれば、兵威を借らずとも之を廃止せしむるを得べく、又仮令兵威を借りて一時全廃の保証を得たりとて、大体に於て我勢力伸びざるときは、退兵の後之を再施せざるを保す可からず。
彼等は、元山防穀に因り巨額の賠償金を払ひたるに懲りもせず、毎年各地に大小防穀あるは好事例にて、畢竟彼等は徳義心に乏く、自己の利益を図らんが為めには国家の利害を顧みざるに出づる結果と御推察候。
又、釜京間電線に付ては別に清韓間の約條有之。
仁川埋立工事は各国の異論に妨害を受け居るものなれば、若し我より強て之を迫るときは、徒らに朝鮮政府を困難の中に陥らしむるのみと存候。
故に、御訓示の事件を提出することは甚だ不得策に有之。
且つ、之を提出する道理なき訳と存候に付、去る20日其大意電信にて上申及び候次第に有之候。
右は、去る20日本官の電稟に対する説明として此段及上申候也。
昨年の4月18日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月17日付『機密第96号』は、この前日の6月25日にようやく到着しています。(笑)
で、それと「翌18日発電信」、つまり2月13日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月18日発『電受第266号』で、「清兵を撤回せしむ可き最後の処置」について上申したので委細承知してると思う。

しかし、2月12日のエントリーで取り上げた1894年(明治27年)6月18日発『電送第218号』が6月20日に到着し、その中で訓示している京釜間電線の譲与、日本人に対する内地課税の廃止、防穀令全廃を朝鮮政府に厳しく求めるってのは、時勢においても道徳上においても、断じて得策とすることは出来ない、と。
2月27日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月20日発『電受第291号』の焼き直しっつうか、詳細バージョンって感じですね。

で、今回の日本の派兵ってのは、昨年の1月30日のエントリーで大鳥に訓令されたように、第一に日本公館と人民保護を目的とし、他の一方では朝鮮がもし民乱を平定できない時には援助するという厚誼に外ならないのに、もし途中でその目的を変えて、厚誼のために派遣した兵威を借りて朝鮮政府を脅迫する道具にすれば、ただ朝鮮政府の怨みを買い朝鮮の信用が得られないだけでなく、各国政府も日本の挙動を座視しないだろう、と。
まぁ、そうですわなぁ。

で、日本の今回の挙は、朝鮮で日清両国の勝敗を決し、独立国か藩属国かの問題を定める重要な時期と考えるので、その結果として、日本の勢力が清国を凌駕するかその反対の結果を見るかわかるだろう。
もし日本が勢力を伸張させれば、今後日本が朝鮮を愛護しなければならない代わりに、当然受けるべき権利も充分伸張できるだろうし、多少の無理も通るだろう。
で、たとえ清国と衝突が起きなくても、清国が日本を避けて自ら撤退するときは、同様の結果が得られるだろう。
従って、今は朝鮮官民を日本側に引きつけるのが急務であり、小さな難題を持ちかけて圧制的にその目的を達しようというのは、断じて不得策である、と。

大鳥は、清国との力関係の決定後に、朝鮮人の事大根性を上手く利用すれば良いという立場。
割と、大鳥の言ってる事って、「それ清国のやってる事と何が違うの?」っていう世界な気がするんですが。(笑)
まぁ、従来「独立国」として取り扱ってきた結果が、「現状」ですからねぇ・・・。
一方で陸奥は、現状で清国と同等の権利を日本によこせって立場、かな?
最恵国待遇でもあれば、陸奥の言うことも「あり」なんですがね。
それでも陸奥の方が「独立国」としての取扱をしている気が。(笑)

で、内地課税や防穀令なんかは、元々条約違反なんだから兵威を借りなくても廃止できる。
逆に兵威を借りて一時全廃させたとしても、日本の勢力が浸透しなければ、撤兵後にまたやるだろ、と。
いや、日本の勢力が浸透しても、条約違反はやらかすと思うんですが。(笑)

朝鮮では、1889年(明治22年)の防穀令事件で多額の賠償金を払ったのにも懲りず、毎年各地に大小の防穀があるのは好事例で、結局彼等は道徳心に乏しく、自分の利益のためには国家の利害も顧みない結果だと思う、と。
出所が「全羅道地方旅行の我国人某」なのでソースとしては怪しいですが、昨年の1月8日のエントリーでも、東学党の乱が始まる大元になった古阜郡守の趙秉甲の防穀令の話が出てました。
で、その時に「っていうか、防穀令事件以外にも普通にあちこちで防穀令とか出てたのかなぁ・・・。」と疑問を呈していたわけですが、やはり結構あったようで。

で、釜山・京城間の電線については、別に清国と朝鮮間で約束がある、と。
高宗実録では高宗23年2月11日、つまり陽暦の1886年(明治19年)3月24日に『中國代辨朝鮮陸路電綫續款』という記事があり、その翌年の高宗24年3月25日、陽暦の1887年(明治20年)4月18日に「中國允譲朝鮮自設釜山至漢城陸路電線議定合同條約成」という記事があり、全7条の合同條約が見られます。
恐らくは、後者の話だと思うんですが、先客あり、と。
まぁ、陸奥も3月6日のエントリーの半公信等で見たとおり、取りあえず修繕させろや、という方向ではあるんですが、しょっちゅう使えなくなりますからねぇ。
俺に電線ひかせて保守させろ!って言いたくなる気持ちは、史料見てれば痛いほど分かります。(笑)

次に、仁川埋立工事は各国の異論で妨害を受けたものなので、もし日本が強いて迫れば、朝鮮政府も困るだろう、と。
ってことで、この機会を利用した利権の要求ってのは非常に不得策であり、単なる条約違反だったり、先約があったりでそれを提出する道理も無い。
だから、2月27日のエントリーで見た1894年(明治27年)6月20日発『電受第291号』として大意を上申した次第だ、と。

まぁ、折角の説明ですが、これまた7月4日まで着かないんですよねぇ。(笑)


今日はここまで。



日清戦争開戦まで(一) 日清戦争開戦まで(三十一)
日清戦争開戦まで(二) 日清戦争開戦まで(三十二)
日清戦争開戦まで(三) 日清戦争開戦まで(三十三)
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日清戦争開戦まで(二十二)
日清戦争開戦まで(二十三)
日清戦争開戦まで(二十四)
日清戦争開戦まで(二十五)
日清戦争開戦まで(二十六)
日清戦争開戦まで(二十七)
日清戦争開戦まで(二十八)
日清戦争開戦まで(二十九)
日清戦争開戦まで(三十)



前置き無しで早速。
さて、今日はアジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/7 明治27年6月13日から1894〔明治27〕年6月30日(レファレンスコード:B03030205300)』から。
11画像目→10画像目。
小村から陸奥への、1894年(明治27年)6月25日発『電受第311号』。

Mutsu
Tokio

It appears that arrival of 3,000 Japanese soldiers at 仁川 was decisive in changing attitude of 李鴻章 and convinced him of war in resisting Japanese action in Corea.
Most of foreign representatives have not yet grasped exact situation at this moment.
In the meantime Japan's vigorous and decisive action is necessary in order to give no time for European intervention and Chinese warlike preparations.
British Minister suggests that 王大臣 will be disposed to consider proposals if they are approached on a basis of the integrity of Corean territory and prevention of disturbances.
Telegraph your views regarding this suggestion.

Komura
3,000人の日本兵の仁川到着が、李鴻章の態度の変化を決定的にし、朝鮮における日本の行動を阻止する戦争を確信させたようだ。
いや、日本の追加派兵は、日本が撤兵しないなら清国人保護のため追加派兵すると言われ、更に5,500人が派遣される動きをキャッチしたからですが・・・。
つうか汪鳳藻、本当に清国の追加派兵について、李鴻章や本国政府から訓令受けたのかよ。(笑)
内政改革委員の件といい、追加派兵の件といい、清国政府あるいは李鴻章と、どういう連絡の取り方してんだよ。

で、大部分の外国代表者達は、まだ現在の正確な状況を把握していない。
差し当たって、ヨーロッパの干渉と中国の戦争準備に時間を全く与えないために、日本の主導的で決定的な行動が必要だ。
イギリス公使は、もし朝鮮の領土保全と騒乱防止を基本にした申し入れがなされれば、王大臣は提案を考慮するだろうと申し入れてきた。
この申し入れに対する貴下の見解を知らせて欲しい、と。

いや、清国に拒否された提議って、基本的に騒乱防止に関する件なんですが・・・。(笑)
領土保全ということになれば、日本側としては異論があろう筈もなく。
まぁ、「属邦保護」の話を含めて、清国側も異論がなければ、ですが。(笑)

さて、次からは26日付の史料に入っていきます。
まずは、混成旅団の動きから。
『明治27年 「秘密 日清朝事件 第5師団混成旅団報告綴」/混成旅団報告第7号(6月26日大島混成旅団長) 記載したる順序により諸隊仁川出発途中大なる困難を以て午後6時幕営地に到着す 竜山着後の給養は京城大隊に於て炊爨・・・(レファレンスコード:C06060160600)』より。

混成旅団報告第7号
6月24日

情報

一.本日、大同江視察の為め派遣ありし軍艦赤城号帰仁。
大同江附近極めて平穏。
平常に異なることなき旨、八重山艦長より報告あり。

一.在全州監衛髙嶌留学生電報。
6月21日午後7時、公使館落手のもの左の如し。

巡辺使今日帰途に就きたり。
一文銭万両火災者に下賜せらる。
泰仁の説諭懇加後おさまり帰る。
一.6月22日、渡辺巡査報告筆記左の如し。

今朝、沈参奉の妻(袁世凱の妾の母)来り、昨朝迄は何事のなかりしも、昨日正午頃より俄に様子異り、袁世凱は其婦女を仁川に赴かしめたり。
同氏の云ふ処に依るに、一昨日清兵平壌に着せりとの電報来りしかば、右平定不実入京することとならん。
然らば変事を生ずべしとの趣にて、斯くは避難せしめしなりと云ふ。

同人は、又渡辺巡査に勧めて其妻子を本日中に他所に移すべき旨を以てせり。
一.6月20日夜、某日本人の報告

清艦平安道鐵島来泊せりとの電報、閔泳純の許に本日達せりと云ふ。
一.全州髙島留学生電報左の如し(22日午后2時半公使館接手)

招討使午前9時帰途に着けり。
江華兵と清州兵(忠清道清州兵営の兵を指す)は暫らく残る。
一.嘗て開城府に出しありし士官斥候を、平壌迄前進せしむる目的を以て、其趣を同斥候に報ずる為め、22日午后公使館より使者1名を出発せしめたり。

一.一昨23日夜の報告に記載せし順序により諸隊仁川出発。
途中、大なる困難を以て午後6時当幕営地に到着す。
輸卒の人員、行李に比して少数なる為め、出発前兵站監に命じ人夫を雇ひ入れしむべき筈なりしが、韓人其命に従はざるものと見へ、一名をも雇入るること能はず。
已むを得ず、甚しきものにありては1駄分を2人にて運ばしむることとなり、之が為め大行李の到着は意外に遅延し、其全く到着せしは翌25日朝なりし。
茲に悲むべき一事は、途中に於て歩兵第11連隊第6中隊の現役兵1名、日射病を以て遂に死亡せり。

一.竜山着後の給養は、京城大隊に於て炊爨せしめ、翌25日昼食迄は京城より運搬して支給したり。

一.竜山附近幕営配置図は、別紙の如し(図面は略す)

右謹て報告仕候也

明治26年6月26日午前7時
混成旅団長 大島 義昌

参謀総長 熾仁親王 殿
・・・つうか、何で文書の途中がタイトルになってんのよ?
しかも、あんな長文ままで。(笑)
まぁ、ちゃんと混成旅団報告第7号って入ってるんで良いんですが。

で、肝心の中身ですが、それほど重要な話も無く。
最初の赤城の報告では、大同江附近は平穏。
次の高島留学生の電報は、3月11日のエントリーの4)まま。

その次の渡辺巡査の報告が結構面白いかな?
3月24日のエントリーでの能勢領事の報告を始め、袁世凱の家族を含めた清国人の帰国の話が出てましたが、その関連事項ですね。
で、これは20日に清国兵が平壌に到着したという電報が来たから、近いうちに入京することになるだろう。
そうなれば何らかの事変がおきるだろうという趣旨で避難させたものだ、と。

つうかさ、正式な清国の拒否回答は3月6日のエントリーで見たとおり6月22日。
それに対する日本側の遺憾表明と撤兵拒否は6月23日に送付されるわけで。
それなのに、3月24日のエントリーでも21日には帰国開始してるわけで、袁世凱の動き、早すぎ。
やる気なんじゃん。(笑)

次は、清の船が平安道の鐵島に来たという電報が、閔泳純の元に20日に届いた、と。
閔泳純ってのは、実際にこの時代にいる人なんですが、名前が本当に合っているかは不明。
つうか、「某日本人の報告」なんで、割と真偽も不明。(笑)

続いての高島留学生の報告は、これまでまだ出てきてませんが、22日に公使館の元に届いたもので、招討使も帰途に着いたけど、江華兵と清州兵は暫く残る、と。
まぁ、3月11日のエントリーでも予想されてた動きですけどね。

次は、前に開城まで斥候に出してた士官を平壌まで前進させるため、その斥候に向けて使者を発した、と。
まぁ、先ほども「20日に清国兵が平壌に到着したという電報が来た」という話がありましたからね。

その次が、仁川から京城近郊まで部隊を移した件の報告。
特に、荷物運びが大変だったようで。
結局、6月24日午前1時に出発して、完全に移動が終わったのは25日の朝、と。
丸一日以上ですな・・・。
で、その中で日射病で1人死亡。
竜山到着後は京城大隊にメシを炊かせ、25日の昼までは京城からの運搬により支給。
最後の図面は省略されてますが、清書版である『明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」/混成旅団報告第7号(レファレンスコード:C06061758200)』の5画像目にありますので、御覧になりたい方はそちらをどうぞ。


ってことで、今日も長くなってしまいましたが、今日はここまで。



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