先月の中頃に東学党の乱の第一期連載を終了し、その後は見つけてあるのにまだ公開してない史料を載せてるだけなんですが、何故か非常に長く・・・。
サガだな。(笑)


< 2007年5月のエントリー >
今月の前半戦は関東大震災について。
その後は、何故か取り上げることとなってしまった土地調査事業について。
法令なんかだと、解説部分が少なくて済むのでちょっとラッキー。(笑)

関東大震災関係史料(一)

関東大震災発生以降、日本政府の出した法令を取り上げて、整理してみる試み。
連載第1回となったこの回は、1923年(大正12年)9月2日付『勅令第396号 非常徴発令』と1923年(大正12年)9月2日付『勅令第397号 臨時震災救護事務局官制』について。
まぁ、ハッキリ言ってつまんない回。(笑)


関東大震災関係史料(二)

この回は、1923年(大正12年)9月2日付『勅令第398号 一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件』と1923年(大正12年)9月3日付『勅令第400号 関東戒厳司令部条例』について。
「東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡」に戒厳令(準用)が適用されることになります。


関東大震災関係史料(三)

1923年(大正12年)9月3日付『戒副第3号 関東戒厳司令部編成完結の件通牒』と1923年(大正12年)9月3日付『勅令第401号 大正12年勅令第399号中改正の件』、1923年(大正12年)9月3日付『戒命第1号』について。
戒厳令(準用)の施行地域が、東京全域と神奈川県に拡大されます。


関東大震災関係史料(四)

この回は、1923年(大正12年)9月3日付『関東戒厳司令官命令第1号』、1923年(大正12年)9月3日付『関東戒厳司令官告諭』、1923年(大正12年)9月4日付『閣甲第143号』について。
そろそろ既存の謬説が、どのように整合させているのか気になる話が出てきてますね。


関東大震災関係史料(五)

1923年(大正12年)9月4日付『関東戒厳司令官命令第2号』、1923年(大正12年)9月4日付『勅令第402号 大正12年勅令第399号中改正の件』、1923年(大正12年)9月5日付『関東戒厳司令官命令第3号』について。
これら史料を見ていると、流言と自警団は兎も角、そこに何で国家的関与とかいう話が出てくるのか、全く理解できません。


関東大震災関係史料(六)

この回は、1923年(大正12年)9月5日付『内閣告諭第2号 鮮人ニ対スル迫害ニ関シ告諭ノ件』、1923年(大正12年)9月6日付『通牒』、1923年(大正12年)9月7日付『勅令第403号 治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件』について。
法令関係を流れで見ると、日本政府や関東戒厳司令部が何考えてたのか直ぐ分かるのに、良くみんな妄想できるよなぁ。( ´H`)y-~~

関東大震災関係史料(七)

この回は、1923年(大正12年)9月7日付『勅令第404号 私法上ノ金銭債務ノ支払延期及手形等ノ権利保存行為ノ期間延長ニ関スル件』、1923年(大正12年)9月7日付『勅令第405号 生活必需品ニ関スル暴利取締ノ件』という、朝鮮人迫害やら虐殺やらとは関係ない、普通の史料。

つうか、朝鮮人の悪事に関する噂は「流言」で、日本人の悪事に関する噂は「証拠」にされてる現状って、何なんだろう、と。
総てが本当でも、総てが嘘でも、どちらでも無いと思うんですがねぇ。
お前等、もうちょっと真面目にやれや、と。
( ´H`)y-~~


土地調査事業に至るまで(一)

ひょんな事から取り上げる事になった、土地調査事業の話。
まずは概要を知るために、統監府度支部が1910年に出した『韓国財政施設綱要』を見ていく事に。
朝鮮の土地制度は、やはり興味深いです。
勿論、「アバウトすぎて使えねー」は変わりませんが。


土地調査事業に至るまで(二)

この回も、『韓国財政施設綱要』の続き。
土地調査事業を開始する前に、朝鮮人測量技師の養成に努めている話が書かれています。
入念な準備が行われてます。


土地調査事業に至るまで(三)

土地調査の試行、旧慣調査、土地調査局官制と調査開始についての回。
推測に過ぎないのでエントリーの中では触れてませんが、旧慣調査の結果って多分大事。
多分、これと民籍が土地調査の基本になっていくと思われるので。


土地調査事業に至るまで(四)

同じく『韓国財政施設綱要』の続きより。
土地調査の方法と現況について書かれています。
結局土地調査は、測量と調査事務に大別され、「日帝の土地収奪」と呼ばれるものは調査事務の方だろう、と。
調査事務は、面・洞の境界調査→地主の申告→地押→見取図→所有者&土地の地位・等級調査の順番で行われるってのは、重要なんじゃないかな。


土地調査事業に至るまで(五)

今度は、『最近朝鮮事情要覧』から土地調査事業の概要をみております。
ここでは、沿革・目的・効果について。
既存の説の前提が「奪われた」なのが分かっているからそれなりに面白いけど、読むと至って普通な内容。


土地調査事業に至るまで(六)

この回も引き続き『最近朝鮮事情要覧』から。
良く言われる270万町歩ってのは、予定だろ、と。
ちゃんと測量してからでないと、実数が出ないのは当たり前。


土地調査法

今度は、法令面から土地調査事業を見てみる試み。
まずは、大元となる大韓帝国期の1910年(明治43年・隆煕4年)8月23日『法律第7号 土地調査法』について。
つうか、無申告の土地を奪うのが目的なら、罰則規定作んないだろ、と。
( ´H`)y-~~


土地調査法施行規則

この回は、1910年(明治43年・隆煕4年)8月23日『度支部令第26号 土地調査法施行規則』から。
「日帝の収奪」でよく言われる、この土地申告書のどこが複雑なのかと、小一時間(ry
地主総代の話はどこにいってると、更に小一時間(ry


朝鮮総督府臨時土地調査局官制

1910年(明治43年)9月29日『勅令第361号 朝鮮総督府臨時土地調査局官制』と、1910年(明治43年)10月1日『朝鮮総督府訓令第11号 朝鮮総督府臨時土地調査局事務分掌規定』。
突っ込みどころも無く、ただそれだけ。(笑)


土地申告心得

1910年(明治43年・隆煕4年)8月24日『土地調査局告示第2号 土地申告心得』より。
法令面では、これと次の「地主総代心得」が面白いですね。
ちゃんと女性地主にも配慮してたり。
やっぱり、利害関係ある人が複数居る場合と係争中の案件という、「そりゃ当たり前に面倒にならざるを得ないだろ」と思う件以外は、何も複雑じゃない気がしますが。


地主総代心得

謬説へのツッコミのメインになる話。
土地調査事業の周知、行うことの説明、申告書のとりまとめ、記載事項の確認。
全部地主総代の仕事ですが、何か?と。( ´H`)y-~~



初期の土地申告期間

初期の各告示から見た申告書の提出期限について。
土地調査事業開始当初は、基本的に申告期間が告示から90日前後なわけですが、近隣の郡が次々に申請し、測量調査が先行しているスケジュールで、申告期間90日が「短い」って何?と。


土地調査事業に関する質疑応答(一)

『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』から、「調査事項(明治43年11月17日局議決定)」と題された質疑応答集的なものを取り上げています。
つうか、日帝、細かすぎ。


土地調査事業に関する質疑応答(二)

この回も質疑応答から。
いや、調査する人って、マジ大変だったと思う。(笑)


土地調査事業に関する質疑応答(三)

質疑応答の続き。
「共有」の林野についてもちゃんと言及されてるわけで、後はどのような処理がなされたか、ですね。
趙錫坤なんかが、「代表的なこととして、血縁或いは地域共同体による独特な方式で規制されていた土地所有関係が解体された点が挙げられる。これに対する実証的・理論的な作業が必要だろう。」なんて言ってるとおり、実証的な研究・論文を見たことがほとんどないので、処理内容なんかについては、今のところサッパリ分かりませんが。


土地調査事業に関する質疑応答(四)

この回も質疑応答の続き。
河川敷の話なんかが興味深いです。


土地調査事業に関する質疑応答(五)

この辺から、土地調査事業に至るまで(四)で取り上げた、面・洞の境界調査→地主の申告→地押→見取図→所有者&土地の地位・等級調査の順番のウチ、面・洞の境界調査に関する質疑応答に入っているようです。


これまでの学説や巷間の話って、法令なんかの話は随分適当なんだなぁ、とつくづく思う月だったり。
整合とるために、部分抽出するとかヤメレ、と。( ´H`)y-~~



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さて。
今日は前置きなしでアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』から、質疑応答の続きを見ていっちゃいましょう。

第三十二問
道路、溝渠を隔て、直接垈の便益に供せらるる土地は、地主の同一なる田、畓(水の下に田)に接続したる場合と雖、尚垈として別筆に調査する主旨なるや。


地主の同一なる田、畓(水の下に田)、林野は、雑種地に接続する場合に於ては、第一問の答に準じて調査するを可とす。
道路や溝渠を隔てて垈のために使われている雑種地が、垈に含まれるのか、田、畓(水の下に田)に含まれるのか、って事かな?
これに対して、5月25日のエントリーの第一問の答えに準じて調査できるっつうのは、垈ではなく田、畓(水の下に田)等の附属地とみなして合併調査できるって事か?
んー、疑問符ばっかり。(笑)

第三十三問
洞の廃合に際し、地勢、戸数等の点に於ては併合の必要を認むるも、人情、風俗又は異姓者多き等の事情に拠り、併合を欲せざるが如き場合にも、強制的併合を断行する程度まで立入る主旨なるや。


府尹、郡守等に協議し、適実の調査を為すことに努むべし。
洞の統廃合等の整理に関してですね。
地勢や戸籍などの観点からは併合の必要があるけど、人情や風俗、姓等の問題があって併合を嫌がってるような場合も、強制的に併合を断行するほどまで立ち入る主旨か?と。
これに対しては、府尹、郡守なんかと相談して、適切に調査するよう努力してくれ、という微妙な返事。(笑)
まぁ、無理矢理統廃合っつうのは無しねって事で。

第三十四問
面、洞疆界調査に関し協議すべき地方庁は、府郡なるや、又は道なるや。


(甲) 第一次を府郡とし、第二次を道とす。
(乙) 変更又は分合に関しては、大体の方針を予め府郡と協定し置くを要す。
(丙) 疆界が府郡以上に関係するときは、府郡吏員の立会を求むべし。
但、府郡より立会の必要なき旨の回答ありたるときは、此の限に在らず。
(丁) 府郡吏員の立会にて決定し難しと認むるときは、道吏員の立会を求むべし。
(戊) 変更又は分合の調査を為したるときは、調査員の実地調査に着手する前に公布せらるる様、府郡をして速に道に稟申の手続を為さしむべし。
5月13日のエントリーでも「調査事務は先づ面洞界を調査」とあったとおり、面や洞の境界についての調査の話。
境界の調査について協議すべきなのは府や郡なのか、それとも道なのか、と。

これに対する返事がかなり詳細になっています。
まず、一義的には府や郡。
ついで道に対する協議ってことで、より小さい行政区分が先。

次に、境界変更や分割・統廃合については、大体の方針をあらかじめ府や郡と協定しとけ、と。
現代の市町村合併なんかでも揉めてる所が多いわけで、まぁ当然府や郡との事前協議が必要なわけですね。
先ほどの、第三十三問が少しだけ分かった感じ。
府尹、郡守等に事前協議して、それから適切な面・洞の境界調査をしろって事だったのね。

続いて、境界が府や郡の区割り以上に関係するときは、府や郡の立ち会いを求める事。
但し、府や郡から立ち会いの必要が無い旨の回答があれば、この限りではない。
道を跨ったりする場合かな?
府や郡に立ち会いを求める事、と。

4番目は、府や郡の立ち会いでも決定できない時は、道の吏員に立ち会いを求めろ、と。
下で解決しきれない時に、その上役が出てくるのはある意味当たり前ですね。

最後に、境界変更や分割・統廃合の調査をしたら、調査員が実地調査に着手する前に公布するよう、府や郡に速やかに道に稟申の手続きをさせる事、と。
調査してから、「いやそれ無効」とか言われても困りますし、これから調査する事を事前に公布する事によって、実地調査でのゴタゴタを成るべく減らしたいって事なんだろうねぇ。

第三十五問
概況図二葉に亘るとき、道路、溝渠に依り接合部分の判明なるものは、仮地番及疆界の記載を省略することを得る旨を規定せられ居るも、其の判明の程度明かならざるが如し。
右は単に道路又は溝渠に依りて接合することの判明なる場合なりや。
又は、分岐或は屈曲等に依りて接合部分を知ることを得る場合なりや。


後段の場合とす。
要するに、甲乙両葉中毎筆の地界は接合せざるも、甲葉何れの地点と乙派何れの地点が接合すべきものなることを明かにするの必要あるを以て、若し描画したる道路・溝渠のみにて不判明なるときは、相互の接合すべき地点12箇所を表示し置くを可とす。
一見非常に難しい話に見えますが、内容的には簡単。
概況図が2枚になったとき、どの部分で接合すれば良いか分かるようにしろって話です。
川や道路があればどの部分で2枚の概況図をくっつけるか分かりやすいわけで、基本概況図に仮地番や境界を省略できるわけです。
んで、その判別がしづらい時は、相互に接続すべき部分12箇所を表示しとけば良いよ、と。
それだけの話。

第三十六問
概況図調製に当り、1、2筆にて其の部分の描画を終る場合に於ては、次葉紙を用いず、余白に接合部分を明かにして記載するも妨げなきや。


妨げなし。
「接合部分を明かにして」が分かりづらいですが、要するに概況図を作るに当たって、もう少しでその部分を書ききれる場合には、新しい紙を使わずに余白に書いて良い?って事かな。
で、おっけぇーと。

ちなみに、「概況図」はこんな感じ。

概況図 (クリックで拡大)


ってところで、今日はここまで。



土地調査事業に関する質疑応答(一)
土地調査事業に関する質疑応答(二)
土地調査事業に関する質疑応答(三)
土地調査事業に関する質疑応答(四)


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エンコリにある史料を貼って、それが元で成り行きで取り上げざるを得ない雰囲気になった土地調査事業。
未だにそこまで話が進みません。
何でこうなるかなぁ。(笑)

ってことで、今日もちゃっちゃと先に進みましょう。
アジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』から、質疑応答の続き。

第二十四問
道路又は河川(堤防を包含す)の地域内と認むべき土地は、現に之を耕作せるもの、又は建物を建設せるものある場合に於て、其の権原の明かなるものの外は、之を道路又は河川の区域内として調査すべきや。


然り。
河川敷に代表されるような、道路や河川の区域内と認める土地は、現状耕作を行っていたり建物を建築していても、その権原が明白な物以外は、これを道路や河川の区域内として調査すべきかという質問に対して、そうしてちょ、と。

まぁ、現代でも河川敷に勝手に小屋建てたり、耕地化してたりする場合もあるわけで。
他にも土地調査事業における河川敷に関するトラブルについて、今日「ぁゃゃ婦警さん」という別名を襲名したhitkot氏から、以前「洪水で河川敷の地形が変化した時、それまで河川敷を使っていた農民が洪水で消失した部分を新出現した砂州で補填するというローカルルールでもめ事が多発」って話を聞きました。
地目と所有権等は別だって事でしょうかねぇ。
まぁ、その辺は最終的な所有権がどのように整理されたかという話になるんで、保留ってことで。

第二十五問
林野中に点在する墳墓地は、林野に包含せしめて然るべきや。


然り。
「点在」ってのがポイントなんだろうなぁ・・・。
林野の中に墓が点在してるときは、林野に包含させて良いのかという質問に対して、その通り、と。
ただ、朝鮮では風水の影響が強かったりするわけで、問題になったりしなかったかなぁ。
まぁ、先ほどと同様に、地目と所有権が違うのかもしれませんが。

第二十六問
墳墓地の為に植樹したる地域は、実地の状況に依り之を墳墓地として調査し然るべきや。


然り。
今度は墳墓地メインなのが明らかな場合について。
それは墳墓地として調査。
結局、実況次第ってことなんでしょうか。

第二十七問
調査法を適用せざる林野に介在又は接続する墳墓地は、林野に準じ調査せざるも差支なきや。


然り。
今度は調査法を適用しない林野間にあったり、接続している墳墓地は、林野に準じて調査しなくても差し支えないか、と。
で、差し支え無いって言うんですが・・・。
さっき、実況次第って言ったんですが、実はどうでも良い分野だったりして。(笑)

第二十八問
市街地に於ける道路敷地と垈の敷地との間に在る排水溝渠は、道路に包含せしめて調査すべきや。


溝渠として調査すべきものとす。
但、幅約三尺に満たざるものは、道路敷地として調査することを要す。
さすがに市街地の排水溝渠は道路等には含めず、溝渠そのものとして調査。
でも、次の幅約三尺以下の溝渠は、道路敷地として調査かぁ。
前回の第十九問で、真ん中で道路とそれ以外に分けていた小溝とは、何が違うのかなぁ・・・?

第二十九問
市街地に於ける垈は、一戸を以て一筆と為すべきや。
将た、地主の同一なるものは幾戸に亘るも一筆と為すべきや。


一戸を以て一筆とし、調査するものとす。
但、区域の明かならざるものは、数戸に亘るも区域の明かなる範囲を限り一筆とす。
市街地での敷地は、「地主」での括りより、戸別での括りで調査が基本。
但し、区域が明白でないものは、数戸に亘っていても区域の明らかなものを一筆とする、と。
これは、長屋みたいな状態の時かな?

第三十問
地位等級査定の参考となるべき規定以外の使用細目は、調査員各自の見込に依り調査すべきや、又、監督員に於て之を指定すべきや。


調査を要すと認めたる使用細目は、監督員に於て之を指示し、直に之を本局に報告するものとす。
んー。
「地位等級査定の参考となるべき規定以外の使用細目」って、何だ?
土地調査法」第3条の地目に掲げられた種類以外の土地の事かな?
ちょっと違う気もするなぁ・・・。

まぁ、分からない事は分からないとして、調査が必要だと認めた使用細目は、監督員が調査を指示し、すぐに本局へ報告するものとする、と。
用途による使用細目の括りを、あちこちバラバラの基準でやるわけにもいかない事から、こういう手順になるんだろうね。

第三十一問
垈の使用細目は、官庁、官舎、私立学校等の如く、唯其細目のみの調査に止むべきや、或は何官庁、何々官舎、何私立学校の如く、其の名称をも調査を要するや。


後段の如く、各其の名称をも調査すべし。
ああ、やっぱり地目とは違うんだ。
その地目が何で使われているかって、そのまんまの話らしいですね。

で、垈の使用細目はどこまで細かく調査すれば良いの?という質問に対して、その名称も調査すべし、と。
一般民家だったら、○○家とかまで調査すんのかな?
最終的な、調査報告見なきゃ、良く分からんね。


ってところで、今日はここまで。



土地調査事業に関する質疑応答(一)
土地調査事業に関する質疑応答(二)
土地調査事業に関する質疑応答(三)


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中々言いたい部分まで辿りつきませんな。
おまけに、単純に見つけた史料だけ紹介してくつもりだったのに、どんどん関連事項調べちゃったり。
また書きたい事が溜まったり。
そうしているウチに、前に書いた別テーマのエントリーに追加でエントリーしたくなったり。
内実は色々と大変。
( ´H`)y-~~

ってことで、今日もアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』から質疑応答の続きを見てみましょう。

第十五問
林野の調査は、田、畓(水の下に田)と同じく其の申告に基き所有権を認め然るべきや。


小面積の林野を除き、面積稍広くして共有、公有、国有等の疑ある林野は、証憑書類を提出せしむるか、其の他適実の方法に依り調査するものとす。
林野についても申告により所有権を認めるべきかという質問に対して、小面積の林野以外で共有、公有、国有の疑いのある林野は、証拠書類と提出させるか、その他適切な方法で調査するものとする、と。
これも答えになってんのか・・・。(笑)

ただ、注目しておきたいのは「公有、国有」以外に、「共有」もちゃんと認識している所ですね。
「全国的に分布していた、一族の土地や村の共有地も大部分没収された」なんて言ってるサイトもあるわけですが、果たしてどうなんでしょうねぇ。(笑)

第十六問
道路の調査を為すに当り、(甲)田、畓(水の下に田)又は草坪等の間に至りて止まる耕作道路の類にして、区域明かならざるか又は狭小なるものは、実地の状況に依り、道路となさずして畦畔に準ずべきや。
(乙)一所有者の土地のみに通ずる市街地以外の道路は、其の両側地の所有者の異なると否とに関せず、全て両側地の畦畔として調査すべきや。
(丙)同一地に達する数條の道路ある場合に於て、部落の通路に関係なく且公衆用と為す必要なしと認むるときは、実地の状況を斟酌して、主要なるものを道路と為し、其の他は畦畔に準ずべきや。
(丁)道路が垈を貫通する状態に在りて、其の貫通する部分は道路の形状を有せず、垈の一部と視るべきものなるときは、其の部分は垈とし又垈との一部と視るが為に、短距離の間に於て道路の断■数箇所に及ぶも、尚垈の一部と為すべきや。


道路たる形状を備へ、且容易に変更改廃せざるものは、総て道路として調査するものとす。
現在の日本の地目でも公衆用道路ってのはあって、しかも色々とトラブルもある分野だったりするわけですが。

まぁ、ここでも道路について色々な質問が出てますが、答えとしては基本道路の形状を備えて変更とか改廃が簡単にできないなら、全部道路として調査してちょ、と。
「道路たる形状を備へ」という前提もありますし、まぁ妥当なとこ。

第十七問
水道道路は、地表が他地目に使用せられあるものも、尚之を水道道路として調査すべきや。


水道道路として買収又は寄附を受けたるものは、水道道路として調査すべきものなり。
んー。
一昨年の4月12日のエントリーに見られるとおり、保護国時代には各地で水道工事があったわけで、日本から技師を呼んだり、用地買収しに行ってるとこを見ると、埋設配管の水道作ったんだろうなぁ。
で、「土地の者が吾々の土地を掠奪に来たのであると大騒ぎして、吾々を襲撃せんとした事もあった」なんてのを見ると、やっぱり色々あったんでしょう。(笑)

ってことで、水道道路として買収又は寄附を受けたものは、表層部の地目が何であっても水道道路として調査、と。

第十八問
鉄道所用の土取場は、如何に調査すべきや。


線路に沿ひたるものは線路内に包含せしめ、隔離したるものは相当地目を付すべきものなり。
線路引くための土砂採取場について。
線路に沿ってるものは線路内に含め、離れているものは相当の地目を付す、と。
ツッコミようもないので、次へ。

第十九問
道路附属の小溝及道路と竝行せる小溝にして、図上に現はすことを要せざるものは、道路に包含せしめて調査すべきや。


溝の中央を以て疆界と為すものとす。
側溝みたいなもんに対する質問。
パッと見、何言ってるか分からなかったんだけど、溝の中央から道路寄りは道路の付属物。
溝の中央から外側部分は、外側の土地の付属物とするって事だろうなぁ。
っつうか、大丈夫か?それで。(笑)

第二十問
溝渠が一筆地中に孕在する池沼の一端に流入し、更に他の一端より流出せるものは、如何に調査すべきや。

溝渠が同一の幅を以て池沼内を貫通するものと看做して、調査すべきものとす。
細けぇーよ、日帝・・・。_| ̄|○
しかも、どういう意味合いがあるのか俺には分かんねぇ・・・。
とりあえずそのまま、池沼に流れ込む溝渠と出て行く溝渠は、同一の幅で池沼を貫通していると見なして調査するとだけ理解しておこう。(笑)

第二十一問
高低なき土地にして、畦畔を以て田、畓(水の下に田)との疆界と為すものは、如何に調査すべきや。


畦畔の中央を以て疆界とす。
まぁ、明確にどっちかのものでない限り、真ん中で境界ってのは一番良い方法でしょうね。

第二十二問
河川に沿ひたる堤防は、河川に包含せしめて調査すべきや。


河川に沿ひたる堤防は、河川に包含せしめて調査すべきものとす。
但、其の堤防が道路なるときは、道路として調査す。
河川に沿った堤防は、河川に含めて調査。
但し、別用途で使用されている場合はその用途による地目で調査、って解釈で良いんじゃないかな。

第二十二問
前項の場合に於て、幅員広闊なる堤防の中央に道路あるも、尚全部を道路として調査すべきや。


然り。
堤防の幅員が広く、その真ん中に道路があるような場合でも全部を道路として調査すべきか、という質問に対して、その通り、と。
まぁ、第十六問と同様に、道路としての形態を有していれば、道路として調査ってのが基本ルールなんだろうなぁ・・・。

つうか、堤防の道路と聞いて、真っ先に「金八先生」のイメージが浮かんでしまうウリだよー。(笑)


ってとこで、今日はここまで。



土地調査事業に関する質疑応答(一)
土地調査事業に関する質疑応答(二)



やってみて分かったんだけど、測量なり土木建築なりの知識が無いと、「なんとなく~じゃないかな?」程度の話しか今のところできなくて、ツライ。(笑)
まぁ、手ぇつけちゃったのはしょうがないので、今日も続きを。

ってことで、前回に引き続きアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』から。

第七問
上層地が垈にして、下層地は河川又は溝渠なるときは、其の崖脚は何れの所属と為すべきや。


河川又は溝渠の区域と認むる地点迄を垈の所属となすものとす。
河川又は溝渠の区域と認められる地点まで垈の所属って、当たり前じゃ・・・。(笑)
それがどういう基準かを聞きたいんだと思うんだが。
まぁ、「見て分かれ」っつう話なのか。(笑)

第八問
崖脚を下層地の所属と為す場合に於て、其の崖脚が刈草等の収利あるものなる場合に於ても、差支なきや。


差支なし。
これは多分第七問に継続する質問かな?
河川等が下層地で崖脚をその所属とした場合、崖脚に刈草等で利益がある場合も下層地の所属にしちゃって良いのかという問いに対して、良いよ、と。

普通の田やなんかに附属させるなら、別に問題になるとも思えないし、多分そういう話だと思う。

第九問
畦畔及崖脚の本地に対する面積の割合は、調査を要せざるや。


畦畔及崖脚が、総面積の4分之1に及ぶときは、其の割合を概況図に記入することを要す。
前回の第一問の答え(乙)でも、附属地が総面積の4分の1あるときは、その地目と面積の割合を概況図に記載する事になってました。
それと同じですね。

第十問
崖脚の面積広大にして崖脚地と認め難きものも、本地に量入するや。


崖脚の面積広大にして林野等と認むべきものは、実地の状況により相当地目を付し、別筆に調査するものとす。
こっちは、前回の第三問の答え「合併調査は、畢竟本地の附属地と看做すべきものを合併するの精神なるを以て、実地の状況に依り附属地と看做し難きものは合併するの限に在らず。」の考え方ですね。
実地で見て、崖脚があまりに広くて附属地とみなせないものは、別筆で調査するんですね。

第十一問
高低ある甲乙耕地間に在る畦畔及崖脚の程度は如何。


高低1間以内にして所属明かならざるものは総て、中央を其の疆界とす。
高低差のある耕地間の畦畔や崖脚については、高低差が1間(約1.8m)以内で所有関係が不分明なものは、全部中央を境界にする、と。
道や河川といった、公共的な土地に関するこれまでの質問とはちょっと違って、私有地間の附属地に関する取り決めと考えて良さそうです。
真ん中分けですね。

第十二問
法律第14條の介在地とは如何。


介在地とは、主として法第3條第1号及第2号の地目の土地(林野を除く)を以て包囲せられたる土地を云ふ。
故に、突出したる林野にして、法第3條第3号の地目の土地を以て遮断せらるるものは、介在地と認むる限に在らず。
法第14条の介在地ってのは、「林野には土地調査法を適用しないけど、調査地の間に介在しているものはその限りじゃない」ってことで、林野のこと。
で、それ以外の土地に包囲されてる林野を「介在地」と。
但し、道路や河川等で分断されてるものは、介在地とは見なさない。

林野に関して別項目というか、基本的に調査対象から外れているってのは、何か意味あんのかな?
測量が難しいから後回し、とかいう話な気もしますが。

第十三問
調査地間に介在したる林野は、総て調査すべきや。


面積大約5万坪以内の介在地は調査を要す。
但、民有と認むるものに付ては、其の権原に関し相当調査するものとす。
調査地間の介在地は全部調査すんのかって質問に、5万坪以内の介在地は調査が必要って、返事になってない気が。(笑)
つうことは、5万坪以上の土地は「介在地」とは見なさないってことか。
いや、5万坪以上か以内かって、測量しないと分からないんじゃ・・・。(笑)

で、但し民有地と認める林野は、その権原に関して相当調査すること、と。

第十四問
調査地間に介在する林野にして面積5万坪以内なるときは、2洞以上に跨ると、樹木の蓊鬱たるとを問はず、総て調査すべきや。


然り。
「介在地」で5万坪以内の時は、2洞に跨ってようが樹木が鬱蒼と茂ってようが、全部調査すんの?という質問に対して、その通り、と。
質問者、面倒くさいんだろうなぁ・・・。(笑)


何か、調査者って色々大変だなぁと思いつつ、今日はここまで。



土地調査事業に関する質疑応答(一)



土地調査事業において、所謂「歴史問題」となっている収奪だの何だのとは若干かけ離れていますが、それなりに面白いので書いておこうか、と。
長いので、一問づつ区切って書いていこうと思います。
それでは早速、いつも通りアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』より、35ページ目~。

調査事項(明治43年11月17日局議決定)

第一問
田、畓(水の下に田)中に孕在又は接続する異地目の土地を、田、畓(水の下に田)として調査する面積は、如何なる程度に拠るべきや。


(甲) 本地の面積に比し、約5分之1以内にして附属地と看做すべき土地は、本地に合併するものとす。
但、附属地1箇所の面積約300坪以上なるとき、又は垈及雑種地中の鹽田、鉱泉池等特に別筆となすの必要あるものは、此限りに在らず。

(乙) 本地、附属地を通じて総面積300坪以内の土地は合併調査す。
但、合併さるべき土地が総面積の4分の1以上なるときは、其の地目及面積の割合を概況図に記載することを要す。
初っぱなから難しい話。(笑)

土地調査法」の第2条に、「土地は、地目を定め地盤を測量し、一区域毎に地番を附す。」とありますので、地目を決定して調査しなければならないわけですが、田、畓(水の下に田)とは異なる地目が含まれている場合、どの程度の調査面積であれば、田、畓(水の下に田)として調査できるのか、という事かな。

で、それがメインの地目に対して5分の1以内で附属地とみなす場合は合併。
ただし、附属地とみなすべき1ヶ所の面積が300坪以上の時、または垈や鹽田、鉱泉池といった特に別筆とする必要がある場合を除く、と。

次に、総面積が300坪以内の土地は基本的に合併調査。
ただし、そのうち4分の1以上が附属地の場合は、その地目や面積の割合を概況図に記載しなければならない、と。

うぇー。
面倒くせー。(笑)
つうか、手続き面倒くさいの、申告者じゃなくて調査者の方じゃないか?(笑)

第二問
田又は畓(水の下に田)に合併調査すべき場合の地目は如何。


田を畓(水の下に田)に、畓(水の下に田)を田に合併すべき場合は、面積の大なる地目、其の他は田、畓(水の下に田)の地目による。
田と畓(水の下に田)の合併は、面積の大きい方の地目で。
それ以外の合併は田、畓(水の下に田)の地目で書くこと、かな?
まぁ、田畓(水の下に田)が一番のメインってことで。

第三問
総面積300坪以内の場合に於て、例へば50坪の田に250坪の林野を合併するも差支なきや。


合併調査は、畢竟本地の附属地と看做すべきものを合併するの精神なるを以て、実地の状況に依り附属地と看做し難きものは合併するの限に在らず。
第二問の答えに従うと、300坪以内の土地で林野の方が広い場合も「田」って書くのかよ、という疑問が出てくるのは当然なわけで。
その場合は、「附属地」かどうか考えて合併しろよ、と。

第四問
合併調査せんとする場合に、本地と合併さるる土地との間に非常の高低あるか、又は合併さるべき土地の面積が、其の近傍に於て所有者の異なる等の為に別筆となるべき面積と稍等しき場合にも合併すべきや。


前段は別筆とし、後段は附属地と認め得べきものに限り合併調査するものとす。
合併されるべき土地に大きな高低差がある場合は別筆として調査。
合併されるべき土地が、近くの別な所有者の土地と同じくらいでかくても、附属地の場合には合併調査、と。
さっきから、解釈が合ってるかどうか、不安。(笑)

第五問
下層地が耕地にして、上層地は河川、溝渠の堤防若は道路なるとき、其の崖脚は何れの所属となすべきや。


(甲) 上層地の所属とす。
但、実地に於ては崖脚地の傾斜緩にして、耕地との区域明かならざるもの尠からず。
此場合に於ては、耕地の鍬入地点を以て疆界とすること。

(乙) 耕地に畦畔あるか、又は耕地の附属と看做すべき荒蕪地ありて、鍬入地点が崖脚に達せざるものと認めらるべきものは、其の畦畔又は荒蕪地は、耕地に属するものとす。
堤防や道路の法面にまで気を配る、悪辣な日帝。(笑)
基本、法面は上層物の付属地。
但し、法面の傾斜が緩く、耕作地との境が明瞭でない場合には、耕作地の鍬入れ地点を境界にする、と。
こうやって土地を奪っていくんですね。(棒読み

逆に、畦や未墾地が間にあって、それが法面に達していないと認められる場合は、その畦や未墾地は耕地に附属するものとする、と。
ま、普通の解釈。

第六問
下層地が河川、溝渠又は道路にして上層地は耕地なるときは、其の崖脚は何れの所属と為すべきや。


(甲) 下層地が道路なるときは、耕地の所属となすものとす。
但、特に道路の為に切取りたる部分は、道路の所属と為す。

(乙) 下層地が河川なるときは、耕地の所属となすものとす。
但、実地の状況が河川の部分を為すものと認めたるものは、此限に在らず。

(丙) 下層地が溝渠なるときは、溝渠として必要なる地点迄を除き、耕地の所属と為すものとす。
但、特に溝渠の為に切取りたる部分は、溝渠の所属と為す。
今度は上下関係が先ほどと逆。
下層地が道路の場合は、法面も耕地の附属地。
次の「切取りたる部分」が良く分かんないんですが・・・。
わざわざ道路を通すために作った、加工部分ってことなのかなぁ?

次が川の場合。
これも法面は、基本耕地の附属地。
つうか、これも「実地の状況が河川の部分を構成してる時」のイメージが湧かねぇ・・・。(笑)

で、下層地が溝渠の場合も、溝渠として必要な点までは耕地の附属地。
これも「切取りたる部分」・・・。_| ̄|○
単純に言うと、河川、溝渠、道路を構成するのに必要な部分はその附属地で、それ以外は耕地の附属地って事なんだろうけど・・・。


難しすぎてショックを受けながら、今日はここまで。(笑)




本来は、全ての申告期間を追えれば良いのでしょうが、中々史料も見つからず。
極めて初期の分だけ、いつもの史料に載ってるので取り上げておきましょう。
ってことで、今日は簡単に、サラッと済ませます。

んでは、いつもの通りアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』、33~34ページ目より。
今日は画像見ながら進めていきたいと思います。
まずは、隆煕4年8月24日『土地調査局告示第4号』。

土地調査局告示第4号 (クリックで拡大)

土地調査局告示第4号

左の区域内に土地を所有する者は、本告示日より起算して、下記期間内に土地調査法第5条に依り、其土地を申告す可し。

隆煕4年8月24日 土地調査局総裁 高永喜

区   域  申告書提出期間 
京畿道 富平郡
  同  陽川郡
  同  金浦郡
  同  通津郡
慶尚北道大邱郡
30日
30日
90日
90日
90日
前回前々回同様、隆煕4年8月29日『官報第4768号』で告示されたものになります。
つまり、8月29日から起算して、富平郡と陽川郡が9月27日まで。
金浦郡と通津郡、大邱郡が11月26日までの申告期間ですね。

富平郡は、5月12日のエントリーで「経験的調査」として、前年の11月に調査着手し2月に外業も終えていた場所になります。
で、そこと京城よりに隣の陽川郡が30日以内。
恐らく、陽川郡も先行的に進んでいたんじゃないかなぁ。

で、そこから北へ隣接している地域の金浦郡と通津郡へ。
それと、一つだけボツッっと飛んで、慶尚北道の大邱郡。
これが90日以内、と。

続いて、明治43年9月15日『土地調査局告示第5号』。

土地調査局告示第5号 (クリックで拡大)

土地調査局告示第5号

左の区域内に土地を所有する者は、下記期間内に土地調査法第5条に依り、其土地を申告すべし。

明治43年9月15日 土地調査局副総裁 俵 孫一

区   域  申告書提出期間 
京畿道 始興郡
  同  安山郡
  同  果川郡
明治43年12月15日限
  同
  同
朝鮮総督府臨時土地調査局官制が裁可されたのが1910年(明治43年)9月29日ですので、その前までは土地調査局のままだったんですね。
併合は既に済んでいるので、年号は明治。
で、副総裁の俵孫一名で告示が出されているという形。

俵孫一
(俵 孫一)

告示日が不明なので、このままだと92日間くらいになるんですが、9月17日が告示日で90日後が提出期限だったと思われます。
最初の申告地よりは、南側に降りてきた感じですね。

続いて、明治43年10月13日『臨時土地調査局告示第1号』。

臨時土地調査局告示第1号 (クリックで拡大)

臨時土地調査局告示第1号

左の区域内に土地を所有する者は、下記期間内に土地調査法第5条に依り、其土地を申告すべし。

明治43年10月13日 朝鮮総督府臨時土地調査局総裁 山縣 伊三郎

区   域  申告書提出期間 
京畿道 仁川府 明治44年1月20日限
今度は臨時土地調査局官制が施行されて、臨時土地調査局、と。
んで、官制の第3条通りに政務総監の山縣伊三郎が総裁になっております。

山縣伊三郎
(山縣 伊三郎)

これ、100日後という形になるんですが、告示日が10日も遅れたとは少し考えづらいよなぁ・・・。
今度は仁川府、と。

で、今日の最後。
続いて、明治43年11月8日『臨時土地調査局告示第2号』。

臨時土地調査局告示第2号 (クリックで拡大)

臨時土地調査局告示第1号

左の区域内に土地を所有する者は、下記期間内に其土地を申告すべし。

明治43年11月8日 朝鮮総督府臨時土地調査局総裁 山縣 伊三郎

区   域  申告書提出期間 
京畿道 江華府
  同  果川郡
本告示の日より明治44年2月28日まで
  同上
今度は期間が随分延びてます。
113日間かな?
告示日が20日も遅いってのは流石に無いでしょう。
恐らく「3ヶ月後の属する月の末日」くらいに期限が整理されたんじゃないかと推測。
で、今度は北側の江華郡と喬桐郡。

隣の郡とかが次々に申請し、測量調査等が先行したスケジュールで進んでいる中、90日間でも申告期間が短いってなんだろう?
( ´H`)y-~~



今日はこれまで。



地主総代心得


多分、今日の内容が法律関係では一番大事な話。
これまで巷間の謬説って、どういう経緯でそういう話になってんの?と、つっこまざるを得ない史料になります。

今日の「地主総代心得」も、隆煕4年8月29日『官報第4768号』に掲載されたものになります。
ってことで、いつも通り官報の画像を見てみましょう。
つうか、前回の官報画像の3枚目がそれなんですが。(笑)
まぁ一応ってことで、1910年(明治43年・隆煕4年)8月24日『土地調査局告示第3号 土地申告心得』。

土地申告心得3&地主総代心得 (クリックで拡大)

で、前回と同様の流れでアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』を見ていくことにします。
34ページ目。
1910年(明治43年・隆煕4年)8月24日『土地調査局告示第3号 地主総代心得』。

地主総代心得

第1条
地主総代は、土地調査の趣旨を周知せしめ、地主又は利害関係人に対し其行ふべき事項を説示する等、事業の進行上官民の利便を図るに勉むべし。

第2条
地主総代は、土地調査に関し極めて公正を保ち、苟も或私曲の行為有る可ず。

第3条
地主総代の従事すべき事務は、大概左の如し。
一 洞里の疆界及実地調査の引導に関する事項
二 申告書類の取纏に関する事項
三 疆界標の建設及保存に関する事項
四 地主其他関係者の実地立会及召喚に関する事項
五 土地の異動に関する事項
六 前各号外に調査官吏の指示に係る事項
前項第二号の境遇に、地主総代は其申告書相当欄内に認印するを要す。

第4条
地主総代は、一洞里の疆界確定したる時は、速に申告書類の纏集を為す可し。

第5条
地主総代は、申告書及毎区域疆界標に記載したる氏名、地目及字番号等を調査し、其符合に勉む可し。

第6条
地主総代は、土地申告に係る事項又は未申告土地に関し、調査上参考となるべき事を知得したる時は、直ちに調査官吏に申出づ可し。
まぁ、ツッコミ所は後で纏めるとして、左記に条文を見ていきます。

第1条では、地主総代は土地調査の趣旨を周知し、地主や利害関係人にやるべき事を説示する等、事業の進行に当たって官民の利便を図るように努力しろ、と。
早くもつっこみたくてウズウズしますが、グッと堪えて先へ。(笑)

第2条は、地主総代は土地調査に関して公正を保て、と。
当然の話ですね。

第3条は、地主総代の仕事に関して。
まずは、土地調査に当たっての案内。
調査員や測量員が現地を知っている筈もなく、案内人は当然必要。
次に、申告書の取りまとめ。
それから、境界標の建設と保存に関する事。
土地調査法』第6条等の実地立ち会いや、その呼び出しに関する事。
土地の異動に関する事。
その他、調査官吏の指示に関する事項、と。

で、第2号の申告書類を取纏めたら、申告書の地主総代認印欄に押印しろ、と。
土地申告書の一番右下の欄ですね。

第4条では、一洞里の境界が確定したら、速やかに申告書類を取り集めろ、と。

第5条では、申告書や区域疆界標の記載事項を調査して、それが符合するように努力しろ。,br>
最後の第6条は、土地申告や未申告の土地に関して調査する際に、参考になるような事を知ったら、直ぐに調査官吏に申し出ろ。

さて。
巷間、「申告制であり、多くの農民は文盲で文書による登録ができず、そもそも布告を理解できなかったために土地を奪われた」という趣旨の話を良く見ます。
(゚Д゚)ハァ?と。(笑)

土地調査の趣旨周知、地主や利害関係人への説明、申告書の取りまとめ等、『土地調査法施行規則』の第4条「一洞(又は之に準ずべき区域)若は数洞を通じ、2人以上」選定された、土地総代がやることになってますが。
誰が文盲?
誰が理解できなかった?

記載事項が煩雑?

地契衙門文書

係争地等以外は、10年も前の地契衙門時代から記載に必要な内容は変わってませんが?

反日感情等から申告しなかった?
未申告地について参考となる事の報告も地主総代の仕事ですが?

最後に、zeong氏から言われて気付いたんですが、この地主総代という制度。
日本の地租改正の時も同様の制度でしたが、何か?と。
( ´H`)y-~~

まるで連載終了かと思えるほどツッコんでみたわけですが、まだ続きます。(笑)


今日はこれまで。



土地申告心得


いよいよ今日辺りから、面白い話になってきます。
ってことで、表題の「土地申告心得」。
読んで字の如く、土地の申告に当たっての心得ですね。

実はこの「土地申告心得」も、大韓帝国官報によって公布され、その後1910年(明治43年)8月29日『制令第1号 朝鮮ニ於ケル法令ノ効力ニ関スル件』で効力が引き継がれた形になっています。
まずは、その官報から見てみましょう。
隆煕4年8月29日『官報第4768号』から、1910年(明治43年・隆煕4年)8月24日『土地調査局告示第2号 土地申告心得』。

土地申告心得2土地申告心得1
土地申告心得3&地主総代心得 (各々クリックで拡大)

勿論、これまで同様にハングル混じりではどうしようも無いわけで。
ってことで、今日もアジア歴史資料センターの『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』を見てみる事にします。
ただ、これまでと違ってハングルの箇所にルビがふっているだけ。
仕方がないので、そのルビを元にテキストに起こしてみます。

それでは31~33ページから、1910年(明治43年・隆煕4年)8月24日『土地調査局告示第2号 土地申告心得』。

土地申告心得

第1条
土地調査法施行規則第2条の申告書は、本心得に依て調製す可し。

第2条
社団、財団及共公
(官報上では公共)団体又は廟、祠、壇、殿、寺院等の所有に係る土地の申告書は、其管理人より此を提出す可し。

第3条
利害関係人より申告する場合には、其関係及申告の事由を具したる書面竝其土地に関する証憑書類を添付す可し。
但、利害関係人数人なる時は、可成連署して申告するを要す。

第4条
所有権に関し紛争有る土地の申告には、其要領を記したる陳述書、関係地の略図及証憑書類を添付す可し。
但、訴訟繁属中に係る者は、其要点、起訴番号及起訴年月日を陳述書に記載するを要す。

第5条
申告書は、一洞里を通して一度に調製し、連続せる土地は此を一区域として記載す可し。

第6条
地目は、地方の称呼に依り記載し、一連続地にして数種の称呼有る時は、各々此を記載す可し。

第7条
一字番号の土地を分割したる者有る時は、「何字何号の内」と記載す可し。

第8条
垈にして家屋に番号有る者は、其番号を記載し、字番号及四標の記載は此を省略することを得。

第9条
外国人は、氏名に右肩に其国籍を記載す可し。

第10条
姓名は、民籍に登録すると同一の文字及字画を用ひて記載す可し。

第11条
婦人にして名を有せざる者は、幼名を記載し、尚ほ右肩に「何某妻」又は「亡某妻」と記載す可し。

第12条
管理人又は利害関係人より申告する場合には、申告書氏名欄の前行に地主の住所・氏名、次行に申告者の住所・資格・氏名を記載す可し。
但、地主不明の者に対しては、「(不明)」、地主死亡し其相続人未定の者に対しては「亡何某」と記載するを要す。

第13条
地主、管理人及利害関係人等多数に亘り、申告書氏名欄に記載し難き時は、住所の記載を省き、氏名欄に「(連名書添付)」と記載し、別に各自の住所、資格、氏名を記載したる連名書を添付す可し。

第14条
申告書の文字は、楷書を以て明瞭に記載す可し。

第15条
申告書、事由書及陳述書等には、氏名の下に捺印す可し。
但、印顆を所持せざる時は、手訣又は拇印を押することを得。

第16条
申告書に記載したる氏名、地目及字番号は、一区域の疆界に建設したる標杭に記載したる者と符合するを要す。
で、この後に記載例が来ますが、こっちはテキストに起こさずに、画像そのままで対応しときます。

○ 申告書記載例
土地申告書記載例 (クリックで拡大)

○ 申告書中住所氏名記載例
申告書中住所氏名記載例 (クリックで拡大)

土地調査法施行規則』の第2条「土地調査法第5条の申告は、別記書式に依り地主に於て之を調製し、土地調査局に提出すべし。」の申告書の書き方ですね。
第1条はそのまま。

第2条は、社団や財団、公共団体、宗教的施設等の、所謂「地主」とは違う土地所有者の申告書に関する件。
その場合には、管理人が提出しなさい、と。

第3条は、利害関係者が申告する際の申告方法。

第4条は、現に所有権に関して紛争がある土地の申告について。
紛争の要領を書いた陳述書と、関係する土地の略図、証拠書類を添付。
ただし、現在訴訟継続中の場合は、要点と起訴番号と起訴年月日を陳述書に記載すること。

第5条は、申告書を作成する土地の範囲。
洞里っつう単位で一度に調製し、連続している土地は一区域として記載、と。
この辺単位が違うのでちょっと日本人には理解が難しいですが、とりあえずはそういうもんだと思っておいて下さい。(笑)
ちなみに、記載例に(第5条後段例)として載っているのは、この「連続せる土地は此を一区域として記載」の例ですね。

第6条は地目の書き方。
地方の呼び名で書いて、数種類の呼び名があるときは、それぞれ記載、と。
記載例では、「田、畓(水の下に田)」と書かれていますね。

第7条は、これまた「一字番号」というのが具体的に何か分かりませんが、その中で土地を分割して所有している者の記載方法。
記載例には「人字三号の内」とあります。

第8条では、垈で家屋に番号が付いてる者は、その番号を記載すれば字番号や四標は省略しても良いよ、と。
「垈」は敷地で良いのかな?
記載例では、そのまま「何洞何統何戸」と。

第9条は外国人地主について。
名前の右肩に国籍を書け、と。
住所氏名記載例の右から2番目ですね。

第10条は、名前は隆煕3年3月6日『官報第4318号』で公布された、『法律第8号 民籍法』に基づいて登録してるのと同じ字、同じ字画で書けよ、と。

第11条は、女性の場合。
昨年の9月27日のエントリーで、1940年代に至っても「金氏、韓姓女等の称呼を有する女子」についての疑義が出されているように、昔の朝鮮女性に名前が無いのは、結構普通な話。
閔妃ですら名前分からないもんね。( ´H`)y-~~
で、その場合には幼名を書いて、更に右肩に「何某妻」又は「亡某妻」と書きなさい、と。
住所氏名記載例の右から3番目。

第12条が、管理人等の地主以外が申告する場合。
地主の住所氏名をまず書いて、その次に申告者の住所・資格・氏名を書け、と。
但し、地主が不明な場合には「(不明)」、地主が死んで相続未定の場合には「亡何某」と書くわけですね。
住所氏名記載例の右から4番目は、第2条の場合における管理人の申告書記載例。
右から5番目が、地主不明の場合の記載例。
右から6番目が地主が死んで、相続未定の場合の記載例ということになります。

第13条は、その土地に関係している者が複数居る場合。
申告書の氏名欄等に書ききれない場合には、別添で連名書を付けて、氏名欄に「(連名書添付)」って書いておけ、と。
住所氏名記載例の左端ですね。

第14条が、字は楷書で明瞭に書け、と。
まぁ、当たり前。

第15条がハンコについて。
氏名の下に捺印しろ、と。
んで、ハンコ持って無い場合には、手訣か拇印を押しても良い。
・・・手訣って、手形かなぁ・・・。

最後の第16条は、申告書に記載した氏名や地目、字番号は、一区域の境界に建てた標杭と同じでなければならない、と。

ちなみに、最後に残ってる住所氏名記載例の一番右の「(共有例)」は、第3条の利害関係人が複数居る場合の事例かな?

ってことで、申告書の書き方で面倒くさいのって、利害関係ある人が複数居る場合と係争中の案件という、「そりゃ当たり前に面倒にならざるを得ないだろ」と思う分しか無いんじゃないかなぁ。
勿論、読み書きできない場合は論外ですが。
尤も、この読み書きに関しても、実は・・・。(笑)


ってことで、長くなりましたが今日はここまで。




えー。
読む前に前もって読者諸氏に忠告します。
今日のエントリーは、つまらないよ。( ´H`)y-~~


さて、これで心おきなく表題の件へ。(笑)
土地調査法」や「土地調査法施行規則」は、1910年(明治43年)8月29日『制令第1号 朝鮮ニ於ケル法令ノ効力ニ関スル件』で効力継続したわけですが、残念ながら5月12日のエントリーで画像を提示した、1910年(明治43年・隆煕4年)3月14日『勅令第23号 土地調査局官制』は使えないわけで。
そこで新たに出される事になったのが、表題の1910年(明治43年)9月29日『勅令第361号 朝鮮総督府臨時土地調査局官制』ということになります。

んでは、早速。
アジア歴史資料センターの『御署名原本・明治四十三年・勅令第三百六十一号・朝鮮総督府臨時土地調査局官制(レファレンスコード:A03020867400)』より。

朕朝鮮総督府臨時土地調査局官制を裁可し、之を公布せしむ。

明治43年9月29日
内閣総理大臣 侯爵 桂太郎

勅令第361号
朝鮮総督府臨時土地調査局官制

第1条
朝鮮総督府臨時土地調査局は、朝鮮総督の管理に属し、土地の調査及測量に関する事務を掌る。

第2条
臨時土地調査局に、左の職員を置く。
総裁      
副総裁   1人 勅任
書記官 専任 3人 奏任
事務官 専任 2人 奏任
監査官 専任 1人 奏任
技師 専任 4人 奏任
書記・技手 専任 50人 判任
第3条
総裁は、政務総監を以て之に充つ。
朝鮮総督の指揮監督を承け、局務を掌理し部下の官吏を監督す。

第4条
副総裁は総裁を佐け、総裁事故あるときは其の職務を代理す。

第5条
書記官及事務官は、上官の命を承け局務を掌る。

第6条
監査官は、上官の命を承け実地業務の監査を掌る。

第7条
技師は、上官の命を承け技術を掌る。

第8条
書記及技手は、上官の指揮を承け庶務及技術に従事す。

第9条
朝鮮総督は、必要と認むるときは臨時土地調査局事業費予算の範囲内に於て、監査官、書記及技手を増置することを得。

第10条
朝鮮総督は、必要と認むる地に支局又は出張所を設くることを得。
支局及出張所の名称、位置及管轄区域は、朝鮮総督之を定む。

附則
本令は、明治43年10月1日より之を施行す。
いや、突っ込みどころも無く、至ってフツー。
1910年(明治43年)9月29日『勅令第361号 朝鮮総督府臨時土地調査局官制』と比較すれば、官制上は大幅に人員がリストラされてますが、実際に書記とか技手とか、どんどん増員されるわけですしね。

ってことで、今日は本当にこれだけ・・・・・・にしようかと思ったんですが、この官制にプラスして、同様にこれから先のエントリーで使うことになるとは思えない史料があるんで、ついでにそっちも紹介しておきます。
アジア歴史資料センター『朝鮮土地調査法関係一件/1 明治43年12月24日から明治44年1月9日(レファレンスコード:B03041645800)』の30~31ページ。
1910年(明治43年)10月1日『朝鮮総督府訓令第11号 朝鮮総督府臨時土地調査局事務分掌規定』より。

朝鮮総督府臨時土地調査局事務分掌規定

第1条
朝鮮総督府臨時土地調査局に、庶務課、調査課及測量課を置く。
課に課長を置く。

第2条
庶務課に於ては、左の事務を掌る。

一 機密に関する事項
二 官印及局印の保管に関する事項
三 文書の接受、発送竝編纂保存に関する事項
四 統計報告の材料聚集に関する事項
五 土地所有権の争議に関する事項
六 会計に関する事項
七 他課に属せざる事項
第3条
調査課に於ては、左の事務を掌る。

一 調査事務の計画及実行に関する事項
二 調査事務の監督に関する事項
三 土地台帳及帳簿調製に関する事項
四 土地調査委員会に関する事項
第4条
測量課に於ては、左の事務を掌る。

一 三角測量の計画及実行に関する事項
二 三角測量の監督に関する事項
三 図根、細部測量の計画及実行に関する事項
四 図根、細部測量の監督に関する事項
五 地図の調製に関する事項
六 土地の面積計算に関する事項
附則
本令は、公布の日より之を施行す。
現在でも国や地方公共団体等では、部局等毎に普通に決まっている事務分掌規程。
それの朝鮮総督府臨時土地調査局版。

やっぱりこれ以降使わんだろうなぁ・・・。(笑)
ま、一応。


そんな感じで、今日はここまで。