やっぱあれだね。
連載してて60回過ぎると、集中力が続かない。
というか、他の話に移りたくなってしょうが無くなる。
そういう面では、気ままに史料を投げっぱなしにできる、ENJOY Korea掲示板が気楽。(笑)


< 2007年4月のエントリー >
ようやく終わったというか、終わらせた東学党の乱。
日清戦争前後の話にも、今後移ろうとは思っているんですが、まぁ、暫くの間はちょっと休憩な感じで。


東学党の乱(九十八)

大鳥公使と袁世凱の会談の模様。
ここで袁世凱が言った、「然るに、朝鮮政府の疑惑心と恐怖心とに依り、他の浮説に迷ひ如何なる珍事を惹起すやも測られず」は、関係諸国が常に困らされる斜め上。


東学党の乱(九十九)

このエントリーも引き続き大鳥公使と袁世凱の会談の模様。
袁世凱の「日清両国は条約によっていつでも朝鮮に出兵できる」は、気になるところ。
天津条約を拡大解釈し過ぎじゃなかろうか。


東学党の乱(百)

記念すべき連載100回目。
の割にあんまり面白くねぇー。(笑)


東学党の乱(百一)

東学党の乱を受けての日本側の対応が閣議決定されます。
結局、内乱を完全に鎮圧するためには、反乱分子を根絶やしにするか、対応策を立てるかのどちらかしか無いわけで。
というか、「頼むから自立してくれよぉ」という声が、行間から聞こえてきます。(笑)


東学党の乱(百二)

陸奥から大鳥へ、閣議決定の内容を含めた電文。
「今の東学党の乱が鎮定して平和に戻ったとしても、更に今後日清間で紛議となる事が起きるのは避けることができないだろう。」ってのは、割と当たり前の憂慮で。


東学党の乱(百三)

何度も言ってるけど、「日本政府の派兵は、条約に基づいて自分で護衛の体制を整える事に外ならず、東学党の乱が完全に鎮定しなければ、日本の護衛兵を撤兵させるわけにはいかないんだよね。 ( ´H`)y-~~ 」
っていう通知。
勿論、これに対する返事にも「全州和約」は出てこないよ。(笑)


東学党の乱(百四)

閣議決定に基づいて、在日本清国公使汪鳳藻との対談。
「御承知の通り、朝鮮は元来貴国と我国と協同して扶植せざれば、殆ど其国安を維持し能はざる程の国柄」って、直球投げちゃ駄目だよ、陸奥。(笑)


東学党の乱(百五)

引き続き、陸奥と汪鳳藻との対談。
日清共同での東学党の乱の鎮圧に対する、汪鳳藻の返答に、陸奥、押され気味。
やはり中国ってのは一筋縄ではいきませんなぁ。


東学党の乱(百六)

陸奥と汪鳳藻との対談の最後。
最初から、朝鮮に関して善後策を講じる事と、日本が撤退できる条件を述べるだけで良かったんじゃねーの?と。(笑)


アービン(一)

この頃になると、もう他の事書きたくてしょうがない状態。(笑)
ってことで、医療宣教師アービンについて。
まぁ、日本側がマークする理由も分かりますわな。


アービン(二)

結局、ネタにしかなっていないような「アービン」の話。
自分の病院の既婚看護婦に手ぇ出しちゃ駄目だろ、と。
つうか、その史料の続きの「耶蘇信徒は韓国政府の支配を受けず」の方が面白ぇ。(笑)

東学党の乱(百七)

閣議決定及び汪鳳藻との対談が、大鳥公使に伝達されます。
尤も、朝鮮の電信が不通になっていたようなので、いつその電報が伝わったかは、今のところ不明。
イギリスの青木公使からの電報や、天津の荒川領事からの電報等、重要っぽい史料は多いものの面白くは無し。


東学党の乱(百八)

大鳥公使以外の在外公使にも、閣議決定及び汪鳳藻との対談が伝達されていきます。
また、清国の小村臨時代理公使からは、在清の各国公使の反応が電報されていますが、正に当時の国際情勢の縮図。(笑)


東学党の乱(百九)

大鳥から陸奥への、「陸兵を撤回せしむ可き最後の処置」についての伺い。
清国にまず撤兵させ、それを以て民乱が鎮定した実証とし、その後日本兵を撤兵させるって手順もそうですし、全体として妥当な案だとは思うんですが、書翰では届くまで1週間もかかり。
おまけに電信は不通。
使えねぇ。(笑)


東学党の乱(百十)

連載「東学党の乱」の最後のエントリー。
メインな筈なのに、とても久しぶりな感じがする東学軍や政府軍の動きに関する史料で締め。(笑)
結局、全州は奪還して賊軍にも勝ったけど、逃散しただけで「鎮圧」と言えるのか、と。


東学党の乱、ここまでのまとめ

ここまでの動きを、年表形式でまとめてみました。
結局、朝鮮側の政府軍や東学軍の動きに関する史料が少なすぎて、110回も連載した割に流れ程度しか掴めなかった気も。(笑)
つうかさぁ、「全州和約」ってやっぱり嘘だろ?(笑)


朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)

1945年(昭和20年)9月1日に、半島出身の軍人・軍属・徴用等による朝鮮人集団移入労務者を返すための通牒が出されます。
「昭和20年7月30日附勤発第848号」やら「厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」」やら、気になる記述もあって、個人的にかなり興味深い史料。
今後、気が向いたら掘り下げるかも。


朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)

運輸省の鉄道総局から各鉄道局長宛の通牒がメイン。
陸路を含めた輸送計画ですね。
徐々に具体案が決まっていく感じ。


朝鮮人集団移入労務者の帰国(三)

この回は、恐らく長野県の対応と思われる文書が中心。
出自が分からんので、史料としては使いづらいものが多いです。


朝鮮人集団移入労務者の帰国(四)

次官会議による「引揚民事務所設置に関する件」が一応メインってことになるのかな?
でも、この辺は関連史料も見つけていかないと、ちょっと厳しいのは厳しい。
まぁ、いずれ関連史料見つけた時の対応って事で。


朝鮮人集団移入労務者の帰国(五)

1945年(昭和20年)9月28日付『厚生省発健発第52号』の「終戦に伴ふ内地在住朝鮮人及台湾人の処遇に関する応急措置の件」がメイン。
興生会の具体的な中身を調査すれば、もう少し深めて見れる筈なんだけど、今んとこやる気無し。
xiaoke氏に期待。(笑)


「募集」関係史料(一)

以前、zeong氏が「「強制連行」の実態を語る史料発見!」であげていた史料のテキスト化。
ぶっちゃけ、「rx178の最近気になる朝鮮半島」さんのところなんかでもテキスト化されたり、結構有名な史料かとは思うんで、わざわざやる必要も無かったんですが、ちょっと時間が欲しい時期だったので、手抜きでエントリーした感じ。(笑)


「募集」関係史料(二)

この回もzeong氏があげていた「「強制連行」の実態を語る史料発見!」の続き。
つうか、手抜きその2。
いやぁ、ゴールデンウィークを前にして、忙しくて。(笑)


ってな感じで、割と気力に欠けている月だったかなぁと思わないでも無いなぁ。
やりたいことが多すぎるのかも知れないし、サカつくのせいかも知れない。(笑)



AD

前回は、1940年(昭和15年)8月22日付『企計G人後第5号 朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定』を全文取り上げたため長くなりましたが、今日はその分短めに。(笑)

ということで、今日はその1940年(昭和15年)8月22日付『企計G人後第5号』の「朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定」の別紙を見ていきたいと思います。
アジア歴史資料センター『大日記甲輯昭和15年/朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件(レファレンスコード:C01001832500)』の8~9ページ目になります。
んじゃ、早速。

別紙
工場労務者の従事すべき事業及作業の種類

朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定事項第二の三の(一)に依る、朝鮮人工場労務者の従事すべき事業及作業の範囲は、左の通とす。

一.事業の種類
(一) 金属工業
(二) 機械器具工業
(三) 化学工業
(四) 電気業
とし、可成軍需工場又は生産力拡充計画に依る工場たること。

二.作業の種類
金属試験工、分析工、製銑工、製鋼工、非鉄金属精錬工、鋳物工、鍜工、熱処理工、溶接工、製罐工、旋盤工、タレツト工、研磨工、フライス工、歯切工、機械組立工、機械検査工、電力電路工、アルミニユーム製造工、軽金属製造工(但しアルミニユームを除く)、電極工
やはりというか何というか、作業種類は金属材料製造業関係が殆どですね。

次。
前回の1940年(昭和15年)8月22日付『企計G人後第5号』「朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定」の第三の一にあった、「厚生省は、毎年5月末日(本年に限り9月25日)迄に、別紙要項を具備したる工場別斡旋申込書を取纏め、朝鮮総督府に通報するものとす。」の別紙要項に当たるもの。
10~11ページ目となります。

別紙
朝鮮人工場労務者斡旋申込書記載要項

一.雇傭主の氏名及住所(法人に在りては其の名称、主たる事務所の所在地及代表者又は代理人名)
二.労務者の就業場の名簿及所在地
三.労務者の就業すべき事業の種類
四.斡旋を受くべき労務者数(単身者家族持別及職種別)
五.斡旋を受くべき労務者の年齢範囲
六.賃金の額(最高、最低、普通)及其の支給方法
七.食事、宿舎、其の他日常生活に要する費用の額及其の負担方法
八.貯金及稼働奨励方法
九.福利施設及補導方法
一〇.就業の日時及期間
一一.労務者の輸送方法
一二.其の他参考事項
単身者と家族持別の労務者数とか、結構細かいですね。
で、これを各事業者が厚生省に提出し、厚生省で取りまとめて総督府へ。
総督府では、これに対する労務者について斡旋計画を作成して厚生省へ送付、と。

んで、最後。
前回の1940年(昭和15年)8月22日付『企計G人後第5号』は、「「別紙」のとおり決定されたので、実施方よろしく」というものだったわけですが、それを受けての陸軍内での通牒って形になるかな?
1~2ページ目。
1940年(昭和15年)9月5日付『陸密第1822号』より。

壹第3664号
朝鮮工場労務者内地移住斡旋に関する件

副官より陸軍航空本部総務部長、陸軍技術本部総務部長、陸軍兵器本部総務部長、陸軍燃料廠長、陸軍運輸部長、陸軍被服本廠長、陸軍糧秣本廠長、陸軍製絨廠長及陸軍衞生材料本廠長ヘ通牒案(陸密号)

首題の件、別冊寫の通協定せられ、陸軍に於ては之を準用することに定められたるに付、別紙斡旋申込書記載要項に準じ調製し、毎年5月20日(本年に限り9月20日)迄に陸軍省整備局長宛送付せられ度依命通牒す。
追て陸軍は、成るべく本協定に準拠すべくも、雇傭期間、従事せしむべき事業及作業の種類等は、適宜変更することを得るに付申添ふ。

陸密第1822号 昭和15年9月5日
「朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定」が定まって、陸軍でもこれを準用することに決まったので、上であげた「朝鮮人工場労務者斡旋申込書記載要項」に準じて要項を調製して、毎年5月20日、昭和15年に限り9月20日までに陸軍整備局長宛てに送れ、と。

厚生省への提出期限より若干前という事は、陸軍の募集も要項を作って、厚生省経由で朝鮮総督府って形で行われてたのかな?

で、陸軍ではなるべく「朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定」に準拠するけど、雇傭期間とか従事事業や作業種類は適宜変更できるので、申し添える、と。


ってことで、ゴールデンウィークにも入った事だし、サクッとお終い。(笑)



「募集」関係史料(一)


AD

今日は、手抜き。(笑)

以前、zeong氏が「「強制連行」の実態を語る史料発見!」であげていた史料をテキスト化。
勿論、作成年の1940年(昭和15年)を見ても分かるとおり、「募集」「官斡旋」「徴用」の三段階のうち、一番最初の「募集」の時期にあたるわけですので、簡単に言えば「募集」期も所謂「強制連行」に含める人に見せたい史料、ということになろうか、と。
その辺踏まえないと、自爆するからね。( ´H`)y-~~

んじゃあ、アジア歴史資料センター『大日記甲輯昭和15年/朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件(レファレンスコード:C01001832500)』から。
つうか、「幹施」って何だよ、アジ歴。( ´H`)y-~~

まぁ、誤字というか読めてない目録は、いつもの事なので置いておいて、順番的にはまず14ページ目から見ていった方が良いのかな?
ってことで、1940年(昭和15年)7月26日付『企画院第三部発後第28号』より。

企画院第三部発後第28号
昭和15年7月26日

企画院次長 植村甲午郎

陸軍次官 阿南惟幾 殿

朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定の件

標記の件に関し、関係各省関係官の間に於て別紙の通協議致候処、貴省の御意見承知致度、此段及照会候。
追而御意見無之場合は、本案を以て決定と致度。
左下の戦備課のハンコには、別紙は当課に保管すとあるものの、「別紙」はついておらず・・・。
兎も角、関係各省で協議したんで、陸軍省の意見聞いて、もし何も意見なければこの通り決定するよ、と。

んで、これに対する回答が、12~13ページになります。
1940年(昭和15年)7月31日付『陸普第5191号』。

次官より企画院次長植村甲午郎宛回答案(陸普)

本月26日附企画院三部発第28号を以て照会に係る首題の件、異存無之に付了知相成度、此段及回答候。
追而陸軍作業庁要員の斡旋を依頼する場合は、本協定を準用するも、若干変更することあるべきを承知せられ度。
特に異存無いよ、と。
ただ、陸軍作業庁の要員を斡旋依頼する場合は、この協定は準用するけど若干変更することがあるだろうから、宜しく。

じゃあその協定とやらは何よ?っていう、今回の史料の本題が、3~11ページという事になります。
まぁ、決定日から見て、照会時のものからは変更はあったんでしょうけどね。

ってことで、まずは3ページ目。
1940年(昭和15年)8月29日付『企画院第三部発後第54号』より。

企画院第三部発後第54号
昭和15年8月29日

企画院次長 小畑忠良

陸軍次官 阿南惟幾 殿

朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定の件

7月26日附企画院三部発第28号を以て御照会に及び候標記の件に関し、別紙の通決定致候條、本件実施方に関し格別の御配慮相煩度、此段及依頼候。
追而本件発送先、左記の通に為念申添候。


内務、陸軍、海軍、商工、拓務、厚生の各次官
というわけで、「別紙」のとおり決定されたので、実施方よろしく、と。
その「別紙」が、4~11ページの1940年(昭和15年)8月22日付『企計G人後第5号』とその「別紙」になります。
まずは、4~7ページ目の『企計G人後第5号』の方から。

朝鮮人工場労務者内地移住斡旋に関する協定
  企計G人後第5号
  1940年(昭和15年)8月22日
  企画院第三部

第一 目的

本協定は、内地工場に於ける労務需給の調整と、朝鮮に於ける技術水準の向上に資することを以て目的とす。

第二 方針
一.労務動員実施計画綱領に基く朝鮮人工場労務者の内地移住に関しては、昭和14年7月の朝鮮人労務者内地移住に関する協定に基く募集に依るものの内、一部は朝鮮総督府に於て之を斡旋することを得るものとす。
斡旋に依る朝鮮人工場労務者の内地移住に関しては、本協定に依るの外、昭和14年7月の協定に依るものとす。

二.斡旋に依る工場労務者数に付ては、関係庁に於て毎年之を協定するものとす。

三.本協定に基き、斡旋に依り内地に移住せしむべき工場労務者に付ては、左に依り取扱ふものとす。
(一) 労務者の従事すべき事業及作業の種類は、概ね別紙に依ることとし、帰鮮後就労せしむべき工場と同一資本系統の工場を可成選定するものとす。

(二) 労務者は概ね年齢14歳以上20歳未満の男子にして、修業年限6年の尋常小学校を卒業したる者、又は之と同等以上の学力を有し、思想堅実、身元確実、身体強健なる者たること。

(三) 労務者の採用は、朝鮮総督府に於て斡旋したる者に付、雇傭主之を行ふこと。

(四) 雇傭期間は、之を2年以上5年以内とし、其の満了したる時は原則として之を帰鮮せしむること。
雇傭期間満了の際必要と認むるときは、労務者の一部に付其の雇傭を更新継続し得ること。

(五) 雇傭主は労務者に対し、其の徳性を涵養し、中堅職工たるに須要なる智識及技能を速に授くるものなること。

(六) 労務者帰鮮の場合に於ける、国家総動員法に基く従業者雇入制限令の適用に付ては、関係庁に於て迅速に之が処理を為すこと。

(七) 労務者の往路旅費及雇傭期間満了迄就労したる労務者、又は雇傭主の都合に依り解雇したる労務者の帰郷旅費は、雇傭主に於て原則として之を負担すること。
但し、往路旅費に付ては朝鮮総督府に於て其の一部を負担することあるべきこと。
本協定に依り、朝鮮内の工場に就労せしむる為帰郷する者の帰郷旅費は、新雇用主に於て負担するものなること。
第三 手順
一.厚生省は、毎年5月末日(本年に限り9月25日)迄に、別紙要項を具備したる工場別斡旋申込書を取纏め、朝鮮総督府に通報するものとす。

二.朝鮮総督府は、毎年7月末日(本年に限り11月25日)迄に、斡旋すべき労務者に付其の斡旋計画を作成し、厚生省へ送付するものとす。

三.厚生省より通報を受けたる雇傭主は、速に渡鮮銓衡の上、労務者を引率し工場に就労せしむるものとす。

四.渡航に際しては、雇傭主又は引率者は、朝鮮人工場労務者名簿を乗船地を管轄する警察署長に提示し、査証を受くるものとす。

五.雇傭主は、当該工場に本協定に依る労務者の台帳を備付け、常に稼動状況を明にし置くものとす。
この史料も、結構あちこちで取り上げられているようなので、簡単に。

まず、方針の「昭和14年7月の朝鮮人労務者内地移住に関する協定に基く募集に依るもの」。
これが、「募集」「官斡旋」「徴用」のうちの「募集」を指すものという事になるんでしょうね。
その内探してみたいと思いますが。

で、勿論この協定は、一義的には労働力不足の解消なのでしょうが、「年齢14歳以上20歳未満の男子」を対象者にして「雇傭期間は、之を2年以上5年以内とし、其の満了したる時は原則として之を帰鮮せしむること」、「雇傭主は労務者に対し、其の徳性を涵養し、中堅職工たるに須要なる智識及技能を速に授くるものなること」等から見ても、「朝鮮に於ける技術水準の向上に資すること」という目的も、小さくは無い筈で。
実際は、戦況の変化等のために目的を果たしたとは言い難かったでしょうけど、「強制連行」というよりは・・・ねぇ?(笑)

つうか、所謂「従軍慰安婦問題」で「広義の強制」なんて言ってる人達にとっては、この「募集」も「広義の強制」なんでしょうかねぇ?


ってところで、長くなりましたが今日はここまで。



AD

4月22日のエントリーからテキスト起こししてきたアジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』も、今日で終わりかな。

ってことで今日は、前にやった26~27ページ目を飛ばして、28~32ページ目ですね。
では早速。
1945年(昭和20年)9月28日付『厚生省発健発第52号』より。

厚生省健民局長
内務省警保局長

各地方長官殿
各地方総督府
第三部長殿

終戦に伴ふ内地在住朝鮮人及台湾人の処遇に関する応急措置の件

首題の件に関しては、朝鮮人及台湾人と内地人との間に最も緊密なる関係を確保維持するを旨とし、道義を重んじ、益々相互の信頼を昂め、永遠に亘り共栄和親の実を挙ぐるに努め、新事態に対処する左の応急措置に萬遺憾なきを期し、苟も両者間に罅隙を生じ、禍根を将来に■すが如きことなき様、特段の御配意相煩し度。


一.時局の急変の因る人心の不安・動揺を除去し、一時の感情に趨り、又は■見・誤解に基く軽挙妄動を防止する為、左の方途を講ずるものとす。

イ.内地在住朝鮮人及台湾人との接触・聨繁を更に密にし、正確なる内外の情勢と詐らざる事実とを周知せしめ、人心の安定を図り、且円滑裡に新事態に移行するが如く、中央及地方興生会、台湾協会等をして随時時局対応協議懇談会を開催せしむるものとす。

ロ.近時、朝鮮人又は台湾人の自主的団体にして、戦災者の援護、失業者の救済、帰鮮・帰台者の保護、其の他の社会事業を目的とするもの、又は文化運動を目的とするもの各地に結成せられつつあるも、右団体にして真に時局対応の諸施策実施に寄与し得るものは、之を活用するが如く措置するものとす。
二.帰鮮又は帰台を希望する者に対しては、其の希望を容れ、左に依り適切なる保護を与ふるものとす。
尚、引続内地在住を希望する者に対しては、従前の処遇を変更することなく、飽く迄も誠意を以て終始し、之が保護指導に付必要なる措置を講ずるものとす。

イ.帰鮮又は帰台者の輸送は、集団計画輸送の方法に依るものとす。
右計画輸送の順位は、差当り昭和20年9月1日警保局保発甲第3号「朝鮮人集団移入労務者の緊急措置の件」に依り、集団移入労務者を優先的に取扱ふこととし、一般既住者の輸送計画に付ては、追て之を指示するものとす。

ロ.地方興生会等をして、一般既住者の帰鮮又は帰台希望の取纏、乗車船券の共同購入、其の他出発準備に関する斡旋を為さしめ、右計画輸送の円滑なる実施に協力せしむるものとす。

ハ.帰鮮又は帰台の旅行は、相当長日数に亘るものあるを予想せらるるを以て、旅行中の食糧其の他の生活必需物資に関し、出発地地方庁は特別の配慮を為すものとす。

ニ.帰鮮又は帰台者の乗舩地に於ける一切の保護は、別途通牒に依る引揚民事務所、之に当るものとす。

ホ.中央及地方興生会、台湾協会等をして、帰鮮又は帰台待機中の者の保護及旅行途中の誘導、休憩所の提供、其の他の援護に萬遺憾なきをなきを期せしむるものとす。

ヘ.帰鮮希望者中、貧困にして旅費なき為帰郷し得ざる者に就いては、旅費の全部又は一部を地方興生会をして支出せしむるものとす。
(右に対しては、国庫補助の方途を構ぜられあり。)
三.興生事業は、概ね左の方針に依り実施するものとす。

イ.時局の急変に即応し、興生事業は人心の安定、帰鮮帰台者の保護斡旋竝に失業者救済、職業指導、生活相談、其の他内地在住者の保護に重点を置くものとす。

ロ.興生事業中、終戦に伴ひ不必要又は実施不可能と為りたる別紙事業は、之を停止し、其の他の既定計画事業は之を継続実施するものとす。

ハ.中央及地方興生会、興生委員等は猶其の儘之を存置するもとのす。

(別紙)
時局の急変に伴ひ停止すべき興生事業の概目

第一.地方庁に対する興生事業国庫補助中、停止すべき事項

一.教育施設の実施に関する事項
      (1) 興生教育講習会費国庫補助
      (2) 皇民教育施設費国庫補助
二.保険施設の実施に関する事項
      (1) 衛生思想普及費国庫補助
      (2) 保健指導費国庫補助
第二.興生会をして実施せしむべき国庫補助事業中停止すべき事項

一.壮丁錬成
二.兵事思想普及
三.興生勤労訓練所の設置
四.移入労働者定着指導
(指導班派遣・勤労者代表郷土派遣・家族代表内地招致)
五.会員章、国語読本等作成交付
六.勤労報国隊訓練
七.服装改善指導
八.指導者修練会及補導員講習会の開催(但し、別途新規事業として時局対応協議懇談会を開催するものとす)
興生会ってのは、厚生省の外郭団体って事で良いのかな?
別紙のうち、「兵事思想普及」とか「国語読本」とか「勤労報国隊」とか「服装改善指導」等に関しては、何やら面白い事言ってる人達も居るようなので、もう少し深く掘り下げても面白そうなんだけど、取りあえず今んとこやる気無し。

で、これまでも何度か出てきたとおり、朝鮮人及び台湾人の帰国に関しては興生会が重要な役割を担うようです。

また、『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』以降の話については、xiaoke氏が「▲流れを気にせずに」等で取り上げられていましたので、その後の調査結果と、ついでに興生会って何?ってとこまで調べてくれないか、期待しながら待ちたいと思います。(笑)


ってところで、今日はここまで。



朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(三)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(四)



一週間ほど前、鰻・サドゥ・組長等様々な通り名を持つyonakiさんが、「テキスト起こしって、写経に近いと思うの。」とおっしゃってましたが、今更ながら同感。
尤も、僕は説法するよりは写経が好きな坊主のようですが。
( ´H`)y-~~

さて、今日もアジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』の続き。
今日は、22~23ページ目からですね。
これも、「いつ、どこで、誰が、誰に」がサッパリ分かりませんので役には立ちませんが、一応参考までに。

打合事項

一.情報連絡に関する件
終戦に伴ふ内地在住朝鮮人の動向並に朝鮮内の情報等を確実に把握し、之が機宣の対策を講ずるの要ありと認めらるるを以て、今後中央、地方、相互に機を失せず、情報交換を緊密ならしむる為、其の連絡方法等に関し打合致したし。

二.休業労務者の応急措置に関する件
工場、事業場の事業廃止に伴ひ、移入労務者の大多数は休業の儘、現場に在りて帰鮮待機中なるも、其の間漸次勤労意慾減退するのみならず、自然好ましからざる言動を醸成するの虞あり。
依て、之が臨機就労指導其の他、穏当なる応急措置に関し打合致したし。

三.帰鮮者の計画輸送に関する件
集団労務者の計画輸送に関しては、既に厚生省より指示せられたる所なるが、一般在住朝鮮人の帰鮮輸送計画に付きては、今後確実なる資料に基き輸送関係当局と緊密に連絡し、具体的計画を樹立する方針なるを以て、之が円滑なる実施方法に関し打合致したし。

四.失業者対策に関する件
一般朝鮮人労務者並に中小工業関係者にして、時局急変の影響に依り職を失ひ、生活困窮に陥る傾向なきにしもあらず。
依て、之が就労斡旋、転職指導等に関し打合致したし。

五.補助金に関する件
終戦に伴ひ、昭和20年度下半期に於ける興生事業の計画左の通り決定し、経費交付さるる見込なるを以て、速急に之が事業を実施し、所期の目的達成に遺憾なきを期したく、之が実施方法等に関し打合致したし。
尚、■■補助金中、終戦に伴ふ事業中止したる事項に付ては、其の半額を減額補助すると共に、支会事務所設置費及興生相談所経費は増額補助の見込なり。



時局対応協議懇談会
補導員、其の他指導的地位に在る朝鮮人を支会毎に会同せしめ、人心の安定、帰鮮者輸送計画、失業者救済等、凡て時局の急変に依る影響及其の対策に関し協議懇談を遂げ、右を通じ在住朝鮮人に周知せしめ、以て■切なる指導を加ふる為、新に137,700円の補助金を交付する見込みなり。

六.興生事業将来の対策に関する件
昭和21年度以降の興生事業に関し、地方機構の■■■及之が重点的事業等に関し打合せを致したし。
人心の安定、帰鮮者輸送計画、失業者救済等々、色々面白いですが、やはり「いつ、どこで、誰が、誰に」がサッパリ分からないっつうのはつくづく残念ですねぇ。
まぁ、長野県下での対応協議ではないかとは、予測はしてるんですがね。

で、次の24~25ページ目は若干筋合いのハッキリしている史料。
1945年(昭和20年)9月20日の次官会議での、『引揚民事務所設置に関する件』。
文書番号等が書かれていないんで、次官会議でまとめられた原案なのか、決定事項が配付されたのか不明。
ただ、これまでの長野県の綴りっぽい事を考えると、配付資料の可能性が高いですね。
ま、現段階では深く考えてもしょうがないので、取りあえずテキストに。

引揚民事務所設置に関する件(昭和20.9.20次官会議)

一.方針
大東亜戦争の終結に伴ひ、本州、四国、九州及北海道(以下内地と称す)以外の地域より、内地に引揚を為す者及内地より朝鮮又は台湾に引揚を為す者に対する応急保護の実施に当らしむる為、関係府県に引揚民事務所を設置せしむるものとす。

二.要領
(一) 引揚民事務所(以下事務所と称す)は、門司、下関、其の他必要なる地に設置し、其の他の地には必要に応じ事務所の出張所を設けしむるものとす。

(二) 事務所は、所在地書簡の地方長官の管理に属し、左に掲げる事項を掌るものとす。
(1) 引揚民の接待、誘導、其の他輔導援護に関する事項
(2) 食糧其の他、生活必需物資の供与に関する事項
(3) 応急医療及助産に関する事項
(4) 宿舎の斡旋及提供其の他、施設の設営に関する事項
(5) 輸送の連絡調整、荷物の保管、其の他輸送に関する事項
(6) 其の他、引揚民の応急保護に必要なる事項
(三) 事務所に事務所長及所員若干名を置き、当該府県及関係各庁職員を以て之に充つるものとし、之が為、必要に応じ府県職員の増配置を為すものとす。

(四) 内務省、外務省、厚生省、農林省、商工省、運輸省、地方総監府、朝鮮総督府、台湾総督府、樺太庁、その他関係各庁及恩賜財団、戦災援護会、財団法人中央興生会、その他の関係団体は、事務連絡の為、其の職員を事務所に派遣し、事務所の運営に積極的に協力するものとす。

(五) 本事務所の設置に要する経費に付ては、国庫に於て特別の措置を講ずるものとす。


臨時引揚事務所機構案

一.事務所に概ね左の7班を置き、其の事務を分掌せしむるものとす。
総務班  庶務、人事、会計に関する事項、其の他他課の主管に関せざる事項
輔導班  接待、誘導、引揚証明書の交付、其の他生活相談に関する事項
医療班  医療及助産に関する事項
物資班  食糧其の他生活必需物資に関する事項
施設班  宿舎の斡旋及提供、其の他の施設の設営に関する事項
輸送班  輸送の統制、荷物の保管、其の他輸送に関する事項
帰鮮(台)班  帰還朝鮮人及台湾人の保護、輔導に関する事項
各班の班長には、高等官たる所員を以て之に充つるものとす。
勿論これは、見ての通り朝鮮人労務者のみの話では無いんだけどさ。
んで、実際に「臨時引揚事務所」なるものが設置されたのか、それともこれを元にして引揚援護庁なりが出来ていくのかは、もうちょっと深めて調査せんと分からんね。


ってところで、今日はここまで。



朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(三)



昨日は休むつもり無かったんですが、飲み過ぎてうpできませんでした・・・。
( ´H`)y-~~

さて、主要な部分は前回前々回で終わってるかとは思うんですが、一応全部テキスト化しておきたいと思います。

ってことで、今日もアジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』から。
今日はまず、19~20ページを。

国収号外

国民勤労動員署長

半島人労務者送還に関する件

標記の件に関し、工場、事業場側より種々照会有之趣なるも、右は■■上旬より集団移入半島人労務者、自由半島人労務者、帰鮮希■者の順位を以て、逐次貨車輸送に依り送還致すことと決定相成たるに付、此の旨工場、事業場主に示達すると共に、左記了知の上之が輸送■に関する諸般の準備相成様、可然指導すべし。

昭和20年9月15日
警察部長



一.今般送還せらるべき集団、自由半島人労務者に対する輸送等に関する諸般の準備に付ては、既に関係警察署長より各工場、事業場主に示達せられたる筈なるも、関係動員署長は当該警察署長と連絡協力し、右取扱に遺憾なきを期すること。

二.自由半島人労務者に関して■工場・事業場其の他の場所に集団的に就労し居りたる者にして、帰鮮を希望する者を指す。

三.半島人労務者(集団移入半島人労務者、集団的就労の自由半島人労務者を除く)及び一般半島人(一定の職業を有せざる者、自営業者等)にして、帰鮮を希望する者に対しての送還に付ては、追て決定の筈に付、関係警察署長に協力、現住所に於て平静に其の業務に従ひ待機する様指導すること。

四.輸送計画に付ては、目下輸送関係機関との連絡策定中に付、決定次第通報す。
尚、石炭山等に於ける熟練労務者にして在留希望者は、在■せしめ差支なきも、事業主に於て強制的に勧奨するが如きことなき様、充分指導すること。

五.帰鮮に際しての所持品は、携行し得る手荷物程度とし、有家族者の家族も同時に送還の筈。

六.釜山迄は、必ず事業主側より引率者を附し、釜山に於て引渡をなすものとす。

六.輸送能力の関係上、輸送完了迄は相当長期間を要する見込に付、其の間動揺せしめざる様関係機関に協力指導すること。

七.帰鮮せしむる迄は、現在の事業主をして引続き雇傭せしめ置き、給与は概ね従来通と為すべきも、8月15日以降差当り左の如く措置するものとす。

(一)従来通就業する者に付ては、事業主をして
(1) 賃金に付ては、賃金規則により従前通給与し得る如く計算を行はしめ置く■。
(2) 賃金の支給に付ては、当座の小遣として必要なる程度の現金を本人に手渡し、残額は各人名儀の貯金となし、事業主に於て保管せしめ置くこと。
(3) 右措置は、鮮内との通信杜絶に依る已むを得ざるものにして、将来帰鮮の際、貯金は必ず本人に渡す旨、事業主をして周知徹底をなさしむること。
(二)休廃止工場、事業場の移入半島人労務者にして、就業せざるに至りたるものに対しては、事業主は差当り標準報酬日額の6割以上の休業手当を支給し、宿舎食糧等に付従来通の取扱をなすこと。(今後の情勢に依り、右休業手当の支給に要する費用に就ては、国家補償の途を講ずることあるべきこと)

(三)家族送金(補給金を含む)に就ては、別途指示す。
八.集団移入半島人労務者にして遊休の儘事業主に雇傭せられある者に対しては、適宜道路工事、焼跡清掃、其の他臨時作業に集団労力として稼働せしめ差支なき旨、其の筋より通牒ありたるに付、本県に於ける之が運営に付ては別途指示ある筈なるも、管内に於て右の如き臨時作業をせしむる計画有之場合は、県に予め稟伺すること。
尚、此の場合の給与に付ては、8月31日国発第110号本職通牒別紙「勤労協力を為す者又は機動配置せられたる者に対する給与に関する件」に依ること。
ちなみに、「六」が二つあるのは史料ママ。
■の部分も、大体埋まる文字は分かるんだけど、取りあえず読解不可な状態の場所はそのままに。

これまで、長野県の用紙や長野県警察部の収受印が押されている史料が、一緒に綴られているということは、恐らく長野県内での話と思われます。
つまり、長野県の警察部長から、同県の国民勤労動員署長への文書という事になるかと。

つうか、テキスト起こししてる最後の方で気付いたんですが、順番等は違うけど、内容的に4月22日のエントリーの1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』とほぼ同じじゃん・・・。_| ̄|○
強いて言えば、「本県に於ける之が運営に付ては」以下の辺りかな?
まぁ、各県で個別対応な部分は当然あるんでしょうね。

さて。
次の21ページ目は、誰がいつどこに対して出したのか良く分からない文書なんですが、一応内容的に面白いので、参考までにテキスト化しておきます。

一.終戦に伴ふ興生事業の応急措置に関する件

内地在住朝鮮人及台湾人に対する処遇の如何は、時局の急変に伴ひ其の及ぼす所極めて広く、且つ重大なるもの有るべきを以て、誠意を盡して之に当るべく、興生事業の実施に関しては、差当り不必要又は実施不可能と為りたる事業は之を停止し、其の他の既定計画事業は之を継続実施すると共に、左記事項に付特段の力を効されたし。

(一)時局の急変に因る人心の不安動揺を除去し、一時の感情に■り、又は偏見誤解に基く軽挙妄動を防止すること。

(二)帰鮮又は帰台を希望する者に対しては、其の希望を容れ乗車・船券の購入其の他、出発準備に関する斡旋及旅行途中の誘導、休憩所の提供、食糧の斡旋竝に貧困者に対する旅費の支給其の他、適切なる援護に付、萬遺憾なきを期すること。

(三)尚、引続き内地在住を希望する者に対しては、従前の処遇を変更することなく、飽く迄も誠意を以て終止し、特に失業者救済、職業指導、生活相談其の他の保護指導に必要なる措置を講ずること。

(四)一般内地人に対する啓発施策は、些も之を弛むることなく、進んで興生事業に協力せしむる様力むること。
興生事業に関しては、後でも出てきますので、ここではサラッと触れるだけにしておきます。

ってことで、(二)について。
4月22日のエントリーの弁当は、興生会で支援するのか!?


・・・下らない終わり方で、今日はここまで。



朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)
朝鮮人集団移入労務者の帰国(二)



見つけた時に書いておく割には、長い。(笑)
まぁ、この年代あたりの日本語になると解説ほとんど不要だと思うんで、テキスト起こしてツッコむだけというスタイルでも「投げっぱなしだ!」と批難されなくて済むのではないか、と。(笑)

さて、そんなわけで今日もアジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』のテキスト起こしを。
今日は10ページ目からになるんですが、誰が誰に出した何日付けのもので、何で長野県の用紙なのか全く不明なので、割愛。
前回の1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』に沿わずに無統制に解雇して、解雇された朝鮮人が大挙として博多・下関に殺到して飲食にも窮する等、主旨が徹底されていない旨が書かれており、面白い史料ではあるんですが。

で、次の11~12ページ目も何故か長野県警察部の収受印が押されてる文書。
文字潰れ&擦れで非常に読みづらいんですが、朝鮮人の輸送方について、別紙の通り運輸省の鉄道総局から各鉄道局長宛の通牒があるので、それを含めて関係鉄道局と連絡して輸送してねという話らしいですね。

ってことで、13~15ページ目がその別紙にあたる運輸省の鉄道総局から各鉄道局長宛の通牒となります。
ちなみに、これも33ページ目に比較的見やすい物がありますので、そちらの方をテキスト起こししておきます。
1945年(昭和20年)9月12日付『運業輸二発第20号』より。

鉄道総局業務局長

各局長殿


関釜並に博釜航路経由旅客輸送の件

関釜並に博釜航路は去る8月28日より其の運航を開始したるも、現有輸送力を以てしては到底一般の輸送要請に応ずること至難につき、当分は一般旅客の取扱を停止し、専ら半島出身軍人、軍属並に集団移入労務者(徴用鮮人労務者)の集団復員輸送に充当し、左記に依り計画輸送方取計相成度。


一.期間
博多発  自9月15日 至9月末日
仙崎発  自9月17日 至9月29日
10月1日以降は、本省月間計画輸送に依る。
之が為、9月20日迄に本省に到達する如く、輸送要請提出のこと。
二.取扱範囲
復員軍人、軍属、集団移入労務者
輸送順位につきては、関係府県警察部と連絡のこと。
三.運航
区  間 船  名 定  員 運    航
仙崎・釜山 興安丸 4,500 下り奇数日発・隔日運航   
博多・釜山 徳壽丸 2,500 3日2往復運航        
四.船席割当(三等のみ)
仙崎発各1日平均
(東)500 (名)550 (大)600 (広)500 (四)100
博多発各1日平均
(門)310 (新)100 (仙)100 (札)150
五.其の他
(イ) 輸送計画は船便指定の前日正午迄に、下関又は博多に到着する如く計画のこと。
(ロ) 荷物は手廻品の携行のみに制限し、手荷物及小荷物扱旅行用品は、之が取扱をなさず。
(ハ) 食糧は、寡くも釜山到着迄に必要のもの7日分携行のこと。(列車内2日、船待2日、船内1日、予備2日)
(ニ) 船便指定証、集団代表に持参せしむるの外、集団名簿2通を携行せしむ。
釜山への2つの定期航路は、8月28日から運行開始。
これは、一部で非常に有名な釜山外国語大学日本語学科教授の金文吉が、浮島丸事件について「日本 軍部が故意で 起こしたという決定的手がかりがなる日本軍秘密文書を見つけた」と、いつもながらのサービス精神で自信満々に公表してくれた、あの『大海令第52号』の「6.8月24日18:00以後、特に定むるものの外、航行中以外の艦船の航行を禁止す」で航行が禁じられていたのが、8月28日から航行できるようになったという事でしょうね。

で、現在の輸送能力じゃ追っつかないので、当分一般旅客は取扱を停止して、朝鮮半島出身の軍人・軍属・徴用者の集団復員輸送を優先するわけです。
この時点では、「一般既住朝鮮人」については何も支持無いわけですが、優先順位としちゃ当然でしょうね。

で、「三.運航」で前回言ってたWikipediaの「在日コリアン」の項目の編集ノートで話が出ていた、日本政府の用意した帰国手段の明確な答えですね。
勿論、GHQ云々については、許可がなければ定期航路の復旧は出来ないとは思いますが、ゴタゴタの元になっている「指示」については、前回も言ったとおり、知らん。
( ´H`)y-~~

「四.船席割当」のカッコの中の文字は、恐らく東京、名古屋、大阪、広島。
四は分からんけど、四国?
博多発の方が、多分門司、新潟、仙台、札幌かなぁ。
自信は無い。

後は、「五.其の他」の(イ)で「輸送計画は船便指定の前日正午迄に、下関又は博多に到着する如く計画のこと」や、(ハ)で携行食糧に「列車内2日」とあることから分かるように、単純に船で輸送するだけはなく、日本国内の陸路も含んでの「輸送計画」なわけですね。

さて、淡々と次へ。
次は、17~18ページの電文を起こした文書になります。
16ページの、内務省警保局長から警察部長宛の1945年(昭和20年)9月8日接受電報訳文より。

移入朝鮮人労務者の送還順序に就ては、9月1日に通牒の通りなるも、土建以外に付いても早急に送還する要あるものは、別途考慮せらるることとなりたるを以て、右該当ある向は、速かに所轄鉄道局旅客課に連絡せられ度し。
前回の1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』で、「輸送順位は概ね土建労務者を先にし、石炭山労務者を最後とし、地域的順位に付ては運輸省に於て決定の上、関係府県・統制会・東亜交通公社に連絡す。」とあったわけですが、それ以外にも早急に送還する必要のある者は別途考慮することになったから、と。


取りあえず、今日はここまで。



朝鮮人集団移入労務者の帰国(一)



連載終わって小休止。
強制連行なんかについても、創氏改名なんかと同形式で見つけた時に書いておこう方式で書いていこうかと。
レファレンスコードのメモ書きばっかり溜まって来てるから、順次放出・整理しとかないと、忘れ去りそうで。(笑)
それだけ。

ってことで、「強制連行」というテーマに反して、初っぱなから返す話。(笑)
アジア歴史資料センターの『内鮮関係通牒書類編冊(レファレンスコード:A06030086000)』の3ページ目~9ページ目と26ページ目~27ページ目に、1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』という文書があります。

どちらが正式に流された文面かは不明ですが、ここでは、文字等読みやすさ等の観点から26ページ目~27ページ目をテキストに起こす方向で。
ってことで、1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』。

厚生省勤労局長
厚生省健民局長
内務省管理局長
内務省警保局長

各地方長官殿


朝鮮人集団移入労務者等の緊急措置に関する件

一.関釜連絡船は近く運行の予定にあり。
朝鮮人集団移入労務者は、次の如く優先的に計画輸送をなす。
尚、石炭山等に於ける熟練労務者にして在留希望者は、在留を許容すること。
但、事業主に於て強制的に勧奨せざること。

(1) 輸送順位は概ね土建労務者を先にし、石炭山労務者を最後とし、地域的順位に付ては運輸省に於て決定の上、関係府県・統制会・東亜交通公社に連絡す。
(2) 所持品は携行し得る手荷物程度とし、有家族者の家族も同時に輸送す。
(3) 内地輸送中の弁当に付ては考究中なるも、可及的多量に携行せしめること。
(4) 釜山迄は必ず事業主側より引率者を附し、釜山に於て引渡のこと。
(5) 目下の処、輸送能力僅少(1日平均1,000名以内)なるを以て、輸送完了迄には相当長期間を要する見込に付、其の間動揺せしめざる様指導すること。
(6) 帰鮮者の世話は、地方興生会をして極力之に当らしむると共に、下関の宿泊施設には中央興生会経営の移入労働者教育施設を利用せしむる方針なること。

二.帰鮮せしむる迄は、現在の事業主をして引続き雇傭せしめ置き、給与は概ね従来通と為すべきも、8月15日以降差当り左の如く措置すること。

(一) 従前通就業する者に付ては事業主をして

(1) 賃金に付ては、賃金規則により従前通給与し得る如く計算を行はしめ置くこと。
(2) 賃金の支給に付ては、当座の小遣として必要なる程度の現金を本人に手渡し、残額は各人名儀の貯金となし、事業主に於て保管し置くこと。
(3) 右措置は、鮮内との通信杜絶に依る已むを得ざるものにして、将来帰鮮の際、貯金は必ず本人に渡す旨の周知徹底を図ること。
(二) 休廃止工場・事業所及操業工場・事業所の移入朝鮮人労務者にして、就業せざるに至りたるものに対しては、事業主は差当り標準報酬日額の6割以上の休業手当を支給し、宿舎食糧等に付従来通の取扱をなすこと。
 (今後の状勢に依り、右休業手当の支給に要する費用に就ては、国家補償の途を講ずることあるべきこと)

(三) 家族送金(補給金を含む)に就ては、別途指示す。

三.集団移入労務者にして、遊休の儘事業主に雇傭せられある者に対しては、地方庁に於て適宜道路工事・焼跡清掃其の他臨時作業に集団労力として稼働せしめ差支なきこと。
但し、此の場合は従来の事業主と労務者の関係は其儘とし、一轄之を使用し、稼働場所は概ね同府県内に止め、之が掌握困難に至るが如き方面への転用は差控へること。
尚、此の場合に於ける給与に付ては、昭和20年7月30日附勤発第848号、厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」に依らしむること。

四.一般既住朝鮮人の帰鮮に就ては、帰鮮可能の時機に至らば詳細指示するに付、それ迄現住地に於て平静に其の業務に従ひ待機する様指導すること。
尚、集団一般朝鮮人労務者に対しては、可及的従来の雇用主をして引続雇傭せしめ、食住等は従来通の取扱をなさしめ、就労先なき場合は可及的一轄(組又は飯場毎に)他に転換せしむる様指導すること。

以上。
内地輸送中の弁当にまで気を配る、悪辣な日帝。(笑)

実際、どのように実行されていくかはこれから見ていくとして、取りあえず給与の面が興味深いですな。
特に、二の(一)とか、三の「昭和20年7月30日附勤発第848号」やら「厚生省勤務局長及軍需省管理局長通牒「勤労協力を為す者の給与」」なんかは、非常に気になる点ではあります。
ちなみに、四で「一般既住朝鮮人」が「集団移入労務者」と明確に分けられている点も面白い。

九州大学の出水薫教授が、「敗戦後の博多港における朝鮮人帰国について - 博多引揚援護局『局史』を中心とした検討 -」【PDFリンク】の中で「厚生省援護局編『引揚げと援護三十年の歩み』 ぎょうせい、一九七八」から引いていますが、

そこでは、集団徴用された朝鮮人労働者から優先的に「計画輸送」をおこなうこと、朝鮮人帰国者の世話は、戦前からの朝鮮人管理組織である「興生会」がおこなうこと、集団徴用された朝鮮人労働者以外の「一般既住朝鮮人」については「待機スル様指導スルコト」が指示されていた。
しかしながらこの通達には、誰が、いつから、どのようにして「計画輸送」をおこなうのか、その具体的な実施要綱はまったく含まれていなかった。
とあるように、僕が知りたい弁当の事や賃金の事には全く触れておらず・・・。(笑)
関係ないから触れてないのか、敢えて伏せてるのかは知るよしもありませんが。
( ´H`)y-~~

ちなみに、「出水せんせい」の当該PDF中の注釈に、

36) 四六年五月七日に、SCAPIN-九二七「引揚に関する総司部覚書」が指令された。これは三月一六日に指令されていたSCAPIN-八二二「引揚に関する総司令部覚書」を全面的に修正したもので、「以後の引揚を規律する基本的覚書となった」ものである。
とあり、関連して参考文献中に、「宮崎章「占領初期における米国の在日朝鮮人政策」、『思想』」っつうものがあるようで、Wikipediaの「在日コリアン」の項目でごたついてる、「GHQが何かしたのか」は、その辺調べれば何か出てくるかもね。

ただ、国立国会図書館の法令議会資料室のHPを見ると、昭和20年9月1日の閣議了解として「連合国最高司令官の要求に係る一般命令の実施に関する件」があります。

連合国最高司令官の要求に係る一般命令所定の事項中には、統帥関係以外の事項存するも、之が実施に付ては、此の際特別の法律制定の手続を執ることなく、行政上の措置に依り充分之が目的の達成に努むるものとし、今後の事態に依り特に必要を生じたる場合に於ては其の際に緊急勅令の制定等所要の立法措置を講ずるものとす。
最初に取り上げた1945年(昭和20年)9月1日付『警保局保発甲第3号』と閣議決定の日が同一ですので、関連する可能性は高いのではないかと個人的に思いますが、まぁ「連合国最高司令官の要求に係る一般命令所定の事項」が何か分からないうちは大した事も言えず。
要チェックとして書きとどめておくだけにします。

で、関連してWikipediaの「在日コリアン」の項目で問題になってる、「仙崎博多両港」云々に関しては、明日取り上げる史料に出てきますのでヨロシク。

つうかさ、「外征部隊及居留民帰還輸送ニ関スル件」の閣議決定(1945年(昭和20年)9月5日)より早いって、何よ?
( ´H`)y-~~


何か、「見つけたから書く」方式だと、整理ついてないのでゴタゴタしますが、取りあえず今日はここまで。




ちょいとまとめておかないと、自分でも分からなくなりそうなのでエントリー。(笑)
基本、長城での戦闘と全州陥落までは、1月15日のエントリーの年表が一番分かりやすいのかな?
ちょいと修正して、それに付け足ししてみます。

1894年(明治27年)2月15日
古阜民乱勃発。
古阜郡守の趙秉甲は単身逃亡。

1894年(明治27年)2月20日
趙秉甲は全羅監営に逃げ込むことに成功。
しかし、兵を貸してくれという願いは聞き入れられず。

1894年(明治27年)4月25日
一時沈静化していた東学軍の動きが、再び激しくなる。

1894年(明治27年)5月7日
正領官洪啓薫、新任全羅兵使李文泳、壮衛営兵762人、人夫64人が京城を出発。

1894年(明治27年)5月8日
正領官洪啓薫は3隊386人を率い、野戦砲4門、弾薬140箱と共に清国軍艦平遠で、李斗璜が1隊194人を率いて漢陽で、元世禄が1隊247人を率いて蒼龍で仁川を出港。
しかし、清国軍艦平遠は水路に馴れていないため、途中豊島沖で碇泊。

1894年(明治27年)5月9日
漢陽及び蒼龍は一足先に群山着。
それに遅れて群山沖に平遠が半速力で来るものの、水深不足により群山鎮沖合12哩で碇泊。

1894年(明治27年)5月10日
386人+洪啓薫&李文泳は、約100名が蒼龍、2~300名が漢陽に乗り換え、満潮を待ってようやく群山着。
直ぐに全州に向け出発し、朝鮮30里ほど進んで臨陂で一泊。
この時、清国人10名前後が全州に同行。

1894年(明治27年)5月11日
50里進んで大長村で昼飯を摂り、更に40里進んで、夕方全州到着。

1894年(明治27年)5月12日
古阜黄土峴において、官軍と東学軍激突。
官軍大敗。

1894年(明治27年)5月14日
東学軍は南下して、羅州方面へ向かう。
前任監営領将金某が、東学軍の鎮圧について招討使洪啓薫と口論となり、笞刑の後に斬殺されさらし首にされる。

1894年(明治27年)5月16日
招討軍200名が霊光・務安方面に出発。

1894年(明治27年)5月18日
朝鮮政府、御前会議。
高宗、播遷を主張するもやんわりと却下される。
閔泳駿の清国援兵の件も却下され、江華等から援軍を派遣する事を決定。
霊光九岫浦に居た漢陽号が東学軍に襲われ、転運委員金徳容・姜古阜が拉致される。
同時に捕まった日本人乗組員は間もなく解放。

1894年(明治27年)5月21日
援軍の江華営兵等約400人が仁川を出発。
一方、招討軍は新たに200名を霊光・務安方面に出発。

1894年(明治27年)5月22日
高宗が全羅道の監司を罷黜し、前古阜郡守の趙秉甲も捕縛し、その他の貪官汚吏や虐政をした者の罪を問い、慰撫の意を示したという綸旨を頒布して、それでも従わなかったら討滅しろと下教。
招討使洪啓薫自身が200人を連れて霊光・務安方面に出発。
清国士官もこれに同行。

1894年(明治27年)5月23日
霊光襲撃。
公廨文簿が焼かれ、武器・金・穀物・馬が略奪される。
前後して、井邑・興徳・咸平・霊光等各方面に移動し神出鬼没状態であるため、官軍はこれに振り回されっぱなし。

1894年(明治27年)5月29日
この頃、綸旨宣伝官の李周鎬が賊の陣地に行って綸旨を伝えて説得しようとしたところ、説得する前に滅多切りにされて、人馬共に死亡。

1894年(明治27年)5月30日
招討軍、長城付近にて「トロイの木馬」的作戦により、死者数300余りを出し大砲2門と多数の銃を奪われる大敗を喫す。

1894年(明治27年)5月31日
全州陥落。
拉致されていた金徳容・姜古阜が発見される。
高宗が貪官汚吏を処罰する旨の勅諭を発布。
閔泳駿、袁世凱を訪問し内々に援兵依頼。

1894年(明治27年)6月1日
高宗及び閔泳駿が清国への援兵要請を決定。
勿論、5月18日の御前会議で否決されたと思っている朝鮮政府は、誰もこの事実を知らず。
全州では、招討軍が東学軍と交戦し、東学兵を300余名討ち取るも官軍の死者は5~600名。

1894年(明治27年)6月2日
朝鮮政府、御前会議で清国出兵について議題に上る。
「袁世凱に朝鮮軍を指揮させるってどうよ?」という高宗の折衷案も実らず、結局高宗及び閔泳駿が袁世凱への内議を既に終えており、今更覆す事も出来ないと追認する形に。
一方日本政府は、済物浦条約及び高平臨時代理公使の知照に基づく出兵を閣議決定。
巡辺使李元會を初めとする平壌兵等1,100~1,400人が京城を出発。

1894年(明治27年)6月3日
朝鮮政府が清国に援兵を公式に依頼。
この3日夜から4日にかけて、清国軍艦4隻が出港。

1894年(明治27年)6月5日
日本政府、天津条約に基づいて出兵の通知を閣議決定。
大鳥公使、横須賀を出発。

1894年(明治27年)6月6日
東学軍、全州の門外に出てきて招討軍に敗北。
14歳の李福龍を初め、500人を討伐。

1894年(明治27年)6月7日
清国側・日本側、相互に出兵の知照。
この時点で、文中の「保護属邦」を問題視し、日本側は清国側に抗議。
朝鮮政府、清国に上陸差し止めを要求。

1894年(明治27年)6月8日
牙山に清国兵約1,000人が到着。
朝鮮政府、日本に派兵撤回の要求。
この後、再三にわたり同様の撤兵要求が行われる。

1894年(明治27年)6月9日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に仁川港に到着。
第二陣の清国兵500人が牙山に到着するも、上陸はせず。

1894年(明治27年)6月10日
大鳥公使、先発の海兵隊420人等と共に京城入り。
第三陣の清国兵600人が牙山に到着するも、これまた上陸せず。
この日から翌日11日にかけて全州で戦闘。
官軍が全州を奪還するも、その際殲滅した東学党は、実は囮にさせられた、ただの全州市民であったとの情報あり。

1894年(明治27年)6月11日
6月9日からこの日まで、順次日本の後続隊が出港する。
大鳥公使、旅団派遣の中止を要請するも間に合わず。

1894年(明治27年)6月13日
日本の第二陣の陸兵800人が京城に到着し、先発の海兵隊と交代する。

1894年(明治27年)6月15日
日本政府、朝鮮の内政改革を柱とする閣議決定。

1894年(明治27年)6月16日
外務大臣陸奥宗光、在日清国公使の汪鳳藻と会談し、閣議決定の内容を伝える。
忠清道監司から、「興徳取報内彼徒百余名直向茂長云百余名又向古阜興徳臨云」との電報あり。

1894年(明治27年)6月17日
大鳥公使は、内乱が鎮定されたのであればそれを目的に朝鮮に来ている清国軍が撤兵すべきであり、それを鎮定の証拠として今度は日本軍が撤兵する手順を決意。


大まかに、こんな感じかな?

さて、今回の連載で分かった点。

一.全州和約について
全州和約は締結されていない可能性が非常に高い。
もし結ばれていれば、高宗等の許可を得ない、現場(洪啓薫等)が勝手に行ったものと推測される。
勿論、日本政府には通知されていない。
仮に締結されていたとしても、洋夷排攘的な条文が全州和約にあるとすれば、駐留する名分は失われない。

二.東学党の乱の発端
苛政と転運事業への不満による。
1月18日のエントリーの「汽船使用器械購入のことなどは、大に不服を訴へ居ると云ふ。」は実に味わい深い。

三.清国と日本の出兵
清国への援兵依頼がそもそも必要無かった。(笑)
日本には済物浦条約及び高平臨時代理公使の知照という大義名分があり、巷間良く言われるような、名目も無くなったのに駐留等の言葉は当たらない。


こんなとこかな?
つうか、長すぎるから漏れもあるかもしれないけど。(笑)
まぁ、みんな呉知泳の『東学史』に踊らされすぎだよねぇ。( ´H`)y-~~


ってことで、本当に東学党の乱(春の部・第一次蜂起)お終い。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)  東学党の乱(百十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(六十四)  東学党の乱(八十九)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十五)  東学党の乱(九十)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十六)  東学党の乱(九十一)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十七)  東学党の乱(九十二)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十八)  東学党の乱(九十三)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十九)  東学党の乱(九十四)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(七十)    東学党の乱(九十五)
東学党の乱(二十一) 東学党の乱(四十六)  東学党の乱(七十一)  東学党の乱(九十六)
東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
東学党の乱(二十三) 東学党の乱(四十八)  東学党の乱(七十三)  東学党の乱(九十八)
東学党の乱(二十四) 東学党の乱(四十九)  東学党の乱(七十四)  東学党の乱(九十九)
東学党の乱(二十五) 東学党の乱(五十)    東学党の乱(七十五)  東学党の乱(百)


東学党の乱(百十)

テーマ:

今日で、東学党の乱もお終い。
3ヶ月半も良くやったねぇ。
で、何が分かったかと言えば・・・・・・・・・・・・。(笑)

さて。
今日最初の史料は、4月7日のエントリーで、趙秉稷から仁川に上陸した兵についての照会がありましたが、それについての返事となります。
1894年(明治27年)6月17日付『第50号』より。

逕覆者昨准来椷以我馬歩軍到仁下岸上下皆甚譁騷未知有何意見云々承詢各節本公使均已閲悉査我政府初聞貴国南道民乱猖獗益甚全州隨亦失守於是貴国政府恐難剋期剿滅請援於清国而清兵将大挙而来也我政府乃謂変乱之勢既至如此之甚則護使館護商民何可遅緩一日且乱勢即大則非寡兵之所能護衛此所以我兵之陸続派来原非別有意見而然也至来亟内称南道匪徒刻已平静云々一節与本使所聞有不相符者拠聞乱徒雖已棄退全州而金溝古阜等地尚有勢焔将熾者云況乎現聞清国援軍尚在牙山等地紮駐頗有厳如対敵之勢亦足以徴乱徒未帰平静矣果如是則我国亦置兵自行護衛使館商民勢所不可已也尚望貴督辨照諒并将此意以釋貴国上下之疑惑本公使是所厚望焉耑此佈復順頌台祉
昨日、「日本の騎兵と歩兵が仁川に到着して上陸したので、上下皆非常に騒がしくなったが、大鳥公使が何か意見を持っているのか分からない。」とした書翰は受け取った。
日本政府は、当初朝鮮南部の民乱の勢いが益々激しくなり、全州も陥落したということで、朝鮮政府では早期に剿滅できないと清国に援兵を要請し、清国兵が大挙として来た。
日本でも、変乱がそのように酷いのであれば、公使館と居留民を保護するために1日も遅れるわけにもいかず、内乱が激しさを増せば少数の兵では保護出来ないと考えて派兵したのであり、元々何かの意見があって派兵したわけではない。
直球。(笑)

で、送ってきた書翰には、「南道の匪徒はすでに平静になった」と称しているが、それは大鳥が聞いた乱徒は全州を遺棄して退却したが、金溝や古阜等で彼等の勢いがまだ激しいという話と符合しない。
まして今聞いたところでは、清国の援軍はまだ牙山等に駐屯し、その厳しさは敵と対峙しているかのようだという。
これは、乱徒を平定することが出来ていない証拠である。
もしそうであれば、日本も兵を置いて公使館と居留民を自ら保護しなければならない。
ということで、この意味を理解して、朝鮮上下の者の疑惑をすべて解いてくれることを非常に望んでいる、と。

前回の「陸兵を撤回せしむ可き最後の処置に付伺」で述べていたように、正論で対処。
平定したんなら、援軍を頼まれた清国は撤兵するはずだが、それをしないという事は平定できて無いんだろ?
あん? ( ´H`)y-~~ プハー
と。(笑)

さて。
上記史料中、金溝や古阜等で云々という話があります。
3月19日のエントリーでも、英文で「東学党は、6月10日、6月11日に全州で敗れ、金堤方面に逃走した。」なんて報告もあり、その他まだ取り上げていない、全州奪還後の東学軍に関する情報があるんですが、これは付日も誰が誰に出したものかもちょっと不明なので割愛しております。
「国王は、昨日始めて日本兵の入京は朝鮮に対し別に意味ある訳にあらざることを諒したりと云ふ」とか、かなりツッコミたくなる記述もあって、勿体ないんだけどなぁ・・・。(笑)

というわけで、素性のハッキリしている史料を見てみることにします。
今回の連載の最後の史料になります、1894年(明治27年)6月17日付『発第160号』より。

1)11日忠清道監司電報(我6月14日)
巡辺使返向公州今始初聞即当電報仰達而雖回陣時若由陸行則列邑莫可支保各処若将離散已有懲習景色噋々預為軫念伏望

2)13日忠清道監司電報(我6月16日)
依昨教電探於完伯美即見回電則巡辺使初不直請回軍大軍久留経費夥多水陸間承処分挙行計矣現今余党猖獗曷敢回軍云且興徳取報内彼徒百余名直向茂長云百余名又向古阜興徳臨云此輩一向閃忽伏悶
6月14日と6月16日の忠清道監司の電報ですが、ぶっちゃけこの二つは良く分かりません。(笑)
巡辺使ってのは、もう忘れちゃってるかも知れないけど、李元會の事です。

最初の「列邑莫可支保」とか二つめの「水陸間承処分挙行計」の辺が、特に意味不明。
大ざっぱに言えば、巡辺使が公州に戻るって初耳なんだけど、陸路使ったらホニャララ。

ということで全羅監司に聞いてみると、巡辺使が最初から回軍を主張してたんじゃなく、大軍が長期間駐屯していれば経費が非常に多くかかり、ホニャララ。
現在残党が猛威をふるってるのに敢えて回軍を言うのか。
且つ興徳の報告では、賊徒の100余人が茂長に向かったとか、古阜・興徳に向かったとか言ってるじゃない。

何で東学党の残党がまだ暴れてるのに、公州に戻るのよ?って感じだと思うんだけど、自信無し。(笑)

ってことで次。

3)同17日探報者の報告
賊党進出全州之時先以城内女子被男服先駐拒前陣又以良民爲中陳出西門招討使認以賊軍放回旋砲戮滅之徒輩従東門全軍逃出其所被殺実皆全州平民也彼所謂首魁全緑豆被殺云者雖登於電報然亦以伝聞之説也非認真確知也所以有全緑豆亦避生之説也現又橫行于扶安等地昨聞招討使派領官使之討平余党然東討則西走左右閃忽未易盡滅也
3つ目。
6月17日の探報者の報告。
賊党が全州を出る時に、まず城内の女子に男装させて官軍の前陣を阻むようにし、良民等を中陣として西門から出した。
招討使は彼等を賊軍と認め回旋砲を撃って殲滅させたが、賊徒は東門から全軍が逃げだした。
ということで、その殺された人々は、実はみんな全州の平民でした・・・。

3月12日のエントリーでの「500人余りを斬り」ではなくて、3月19日のエントリーでの「東学党は、6月10日、6月11日に全州で敗れ、金堤方面に逃走した。」の時だろうね。

つうか、それ以上に3月14日のエントリーで「招討使以為らく、此等の匪徒を遺し置かば、明春再び事を起すべし。寧ろ之を屠戮剿滅するに如かず」ってさぁ、もう市民を皆殺しにしちゃった言い訳に使うためじゃないよな?(笑)

んで、首魁である全緑豆が殺されたと電報でもあったけど、伝聞の説であって事実確認はしてないよ、と。
3月14日のエントリーで「全祿斗って、誰?」とか言ってた訳ですが、やはり「全緑豆」即ち「全琫準」で正解なようで。

その全緑豆も逃亡して生きてるという説もあり、現在扶安等の地で横行しているともいう。
昨日聞いたところでは、招討使は残党討伐に領官を派遣したが、東で討伐すれば西に逃げ、左右で光ったかと思えば消え、簡単には殲滅できないという、と。

この探報者の報告や先ほどの忠清道監司の電報によれば、全州奪還しただけで全然鎮圧できてませんが。(笑)
まぁ、勢力自体はかなり衰えてるんでしょうけど。

4)清兵に関する報告17日接す
清国兵留駐牙山策応其煩屡請還陳而以待天津指教以数多日遅留也朝鮮暦今月十一日支那救兵将官聶氏電報于我政府(朝鮮政府)曰期到全州地探察賊情而若平定則已猶未能討平則率師往伐後順師奉王命而帰還之意電達矣支那救兵等自牙山郡陸行駐留成歓駅所矣成歓駅則在忠清道稷山縣而三南大路也距京一百八十里或二百里内外間也
続いては、清国軍に関する17日接受の報告。
清国兵が牙山に駐留しているのは、マンドクセーから再三帰還要請して天津の支持を待ってるからだ。
で、6月14日に聶提督が朝鮮政府に、まだ平定できてないんだったら軍を率いて討伐して帰ると知らせてきた、って感じかな?

今回、最後なのに自信の無い訳が続くなぁ。(笑)

5)在全羅道全州留学生高嶋吾八電報(本月17日午後11時55分接到)
参礼(忠清道地にして公州全州の間にあり)に往く道、日本商民菊野訴へあり高山に立寄る。
参礼の電局全州に移した為め、今日5時到着。
直ぐ招討使を訪問。
東学離散。
全州鎮静。
巡辺使まだ参礼にあり、江華兵300武器引換への為め軍倉に往き、明後日又来るはず。
清兵来る模様なし。
巨魁は鹽つけにて京城に送ると云ふ。

右及御報申候也。
最後は留学生の高嶋吾八からの電報。
んー、これも前後関係が無いと分かりづらい・・・。

取りあえず、招討使を訪問したところ、東学党は離散し全州は沈静化した。
巡辺使はまだ参礼に居て、江華兵300人が武器引き換えのために軍倉に行って、明後日また来るはず。
清兵が来る様子は無い。
巨魁は塩漬けにして京城に送るという、と。

14歳の「巨魁」も塩漬けかなぁ・・・。


ってことで、今後の史料中にも関係記述は出てくるかと思われますが、取りあえずここまで。
というか、あまりに連載が長すぎたんで、次回で少しまとめてみようかと思います。
終わりじゃねーじゃん。(笑)



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十六)  東学党の乱(百一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十七)  東学党の乱(百二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十八)  東学党の乱(百三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(五十四)  東学党の乱(七十九)  東学党の乱(百四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十五)  東学党の乱(八十)    東学党の乱(百五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十六)  東学党の乱(八十一)  東学党の乱(百六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十七)  東学党の乱(八十二)  東学党の乱(百七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十八)  東学党の乱(八十三)  東学党の乱(百八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十九)  東学党の乱(八十四)  東学党の乱(百九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十五)  東学党の乱(六十)    東学党の乱(八十五)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(六十一)  東学党の乱(八十六)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(六十二)  東学党の乱(八十七)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(六十三)  東学党の乱(八十八)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(六十四)  東学党の乱(八十九)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十五)  東学党の乱(九十)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十六)  東学党の乱(九十一)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十七)  東学党の乱(九十二)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十八)  東学党の乱(九十三)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(四十四) 東学党の乱(六十九)  東学党の乱(九十四)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(七十)    東学党の乱(九十五)
東学党の乱(二十一) 東学党の乱(四十六)  東学党の乱(七十一)  東学党の乱(九十六)
東学党の乱(二十二) 東学党の乱(四十七)  東学党の乱(七十二)  東学党の乱(九十七)
東学党の乱(二十三) 東学党の乱(四十八)  東学党の乱(七十三)  東学党の乱(九十八)
東学党の乱(二十四) 東学党の乱(四十九)  東学党の乱(七十四)  東学党の乱(九十九)
東学党の乱(二十五) 東学党の乱(五十)   東学党の乱(七十五)  東学党の乱(百)