サカつく5は、6年目に続き7年目も3冠達成。
おまけに、アジアチャンピオンズカップも優勝。
でもワールドチャンピオンズカップでは、1回戦でチェルシーにボコボコにされた・・・。
( ´H`)y-~~ プハー


< 2007年2月のエントリー >
今月もやはり東学党の乱メイン。
つうか、最早東学党の乱ではなく、出兵する日清両国と、その間でおろおろしてるだけのような朝鮮を見ているだけの気がしますが。
更に悲しいのは、1ヶ月使って史料が1週間分も進んでない事だったり・・・。
_| ̄|○


済物浦条約

まぁ、済物浦条約そのものもそうですが、高平臨時代理公使の知照も重要なんですよねぇ。
つうか、カテゴリーの方に「法律・条約」みたいな項目作った方が良いかしら?


天津条約

この条約の知照に端を発し、「其の事定まる」の見解の相違が、最終的に日清戦争に繋がっていくわけで、そういった意味では重要な条約ではあります。
ま、中身は大した事ありませんが。


東学党の乱(五十三)

メインは袁世凱と閔泳駿の問答書。
「将は威令なく、兵は規伍なし。」と一刀両断する袁世凱。
勿論、「彼徒相敵するを欲せず。」という閔泳駿の言い分にも一理ありますが、問題は両方が並立できる事でありまして・・・。(笑)


東学党の乱(五十四)

メインは日本から清への出兵通知になるのかな?
「明治18年4月18日、両国政府にて締結の約書に遵び、左のことを貴王大臣に知照すべき旨、唯今本国政府よりの訓令に接せり。
朝鮮国に於て変乱重大の事件有之、帝国兵員を同国へ派遣するの必要有之候に付、帝国政府は帝国兵員を同国へ派遣の筈に有之候。」
相手が清国なので、出兵理由自体には済物浦条約云々は書いてないんでしょうね。


東学党の乱(五十五)

日本の出兵を知らない雰囲気の内田定槌の報告がメインになるのかな?
ただ、内容的にかなり穏便な方法を提案している内田にしても、清への警戒感は強く、大院君から聞いた京城で不穏な動きがある話もあって、「相当の兵員を呼寄せ置くこと、当地の警備上頗る肝要の義と存候」なわけですが。


東学党の乱(五十六)

内田定槌の報告の別紙、渡辺巡査と大院君の面会の模様。
京城でも必ず蜂起し、大院君は関係してないけど、軍を率いてた事があるから、閔氏は足の骨も残らないのは分かる。
公使や領事がこの際に閔輩との間を行ったり来たりしてれば、あるいは被害を受けるかもね。
大院君、面白過ぎ。(笑)


東学党の乱(五十七)

日本、清国、アメリカ、フランス、ロシア。
どんどん外国の軍艦派遣の話が出てきます。
朝鮮の治安維持能力を疑っているのか、清国を疑っているのか、日清の衝突を疑っているのか・・・。( ´H`)y-~~


東学党の乱(五十八)

大臣間で援兵は受けない事に決まったにも係わらず、東学党の乱にビビッて勝手に援兵頼む閔泳駿。
「外国軍隊、呼ばない方が良いよね。でも、我が国の家臣で号令指揮に値する人材居ないし、袁世凱にお願いして、全州等で巡辺軍とか招討軍とかの指揮してもらうってどうよ?」と、馬鹿な事言い出す高宗。
終わってます。( ´H`)y-~~


東学党の乱(五十九)

勝手に援兵頼んだ閔泳駿と高宗。
突然発表されて、他の大臣みなビックリ。
当たり前だ。(笑)
そして、「もし日本が出兵してきたらどうする?」と聞く高宗と、「袁世凱が何とかしてくれるっしょ。」と答える閔泳駿。
駄目だ、こいつら。(笑)


東学党の乱(六十)

日本の出兵通知に関する件がほとんど。
そのため、面白い話題がない回。
つうか、英文電報なんて嫌いよっっっっ!


東学党の乱(六十一)

この回は、2006年の2月24日のエントリーにもやった事がある、清国の出兵通知に関する件がメイン。
勿論、ポイントは「保護屬邦舊例」。


東学党の乱(六十二)

嗚呼、この時の冒頭で「日清両国の行文知照も済んだということは、1894年(明治27年)春の東学党の乱は、そろそろ終わりを迎えるはず。」なんて書いてるよ・・・。
_| ̄|○
・・・えーっと、ポイントはやっぱり清国の出兵通知に対する、「帝国政府に於ては、未だ曽て朝鮮国を以て貴国の属邦とは認居不申に付、此段御回答旁言明致置候。」という返事中の文言でしょうね。


東学党の乱(六十三)

久しぶりの戦地の状況がメイン。
戦闘を優勢に進めた記述がありますが、清州兵の援軍を求める辺り、戦況的にどうなのかは微妙。
数万人居るとされる東学軍のうち、300人やそこらを討ち取っても、割と焼け石に水なわけで。


東学党の乱(六十四)

清国軍の上陸差し止めの話。
日本軍の上陸差し止めの話。
場当たりな対応に出る朝鮮政府が微笑ましいです。(笑)


東学党の乱(六十五)

清国兵上陸に当たっての、上陸予定地方での受け入れ準備の模様。
何で、単なる清国兵が上陸する地方というだけで、金やら人やら馬やら牛やら米やらを供出しなければならないのか、良く分からないわけですが。
つうか、人電信って「電」信じゃ無ぇだろ。(笑)


東学党の乱(六十六)

東学党の乱(六十五)」の清国兵上陸の受け入れ準備の話。
「罪なき者に向て猥りに出銭など命ずる故、東学党も起るなりなど、甚だ不穏の言を吐くものあり。」って気持ちは、非常に良くわかりますね。


東学党の乱(六十七)

閔泳駿が単独で暴走し、当然朝鮮政府内では異議を唱える者が出てくる。
そこで、清国兵の上陸中止要請。
後は袁世凱の、朝鮮如きで日清が激突せんでも良いだろ臭のする談話。(笑)


東学党の乱(六十八)

この日も袁世凱の談話が中心。
尤も、素で面白い話も、史料的に面白い話も無い、つまらない回。( ´H`)y-~~


東学党の乱(六十九)

このエントリーでは、種々の朝鮮人の愚痴が中心。
つうか、駄目だろこいつ等。(笑)


東学党の乱(七十)

このエントリーでも、朝鮮人の愚痴が中心。
つうか、「我朝鮮に対して中立若くは保護国の資格を与へ(英国との間に密約を結ぶ事。之れば、目下の行掛上清国政府の斡旋に一任すべし。)、余命を存するの方法もあらば至幸なり。」って、併合の時とかにも似たような論調見るんだよね・・・。( ´H`)y-~~


東学党の乱(七十一)

朝鮮から来た、出兵の撤回要求。
やんわりと、「いくらいちゃもんつけても、無理なものは無理」と言う杉村。(笑)


東学党の乱(七十二)

撤兵要求を速やかに日本政府に伝えるっていったんじゃないの!<#`Д´>
いや、伝えるって事しか言ってないから。(笑)
つうか、直接出兵の通知を受けてないうちに、撤回要求できるって神経がなぁ・・・。


東学党の乱(七十三)

結局、「いや条約に基づいて護衛兵置くから。」って言われれば、朝鮮側って本来抗弁できないんですよねぇ。
このエントリー、個人的に好き。(笑)


東学党の乱(七十四)

【条約に拠り】\_( ´H`)y-~~ 「東学党の乱(七十三)」同様、ここ重要。
んで、杉村がロシアの臨時公使(ウェベルか?)に言った「朝鮮の変乱って不意に怒る事が多いから、決して今平穏だからって安心するわけにいかないんだよね。」も、多分今後重要。


東学党の乱(七十四)

この回は、つまんないから読まなくて良いよ。( ´H`)y-~~


やっぱり、朝鮮が絡んでないと、色んな意味でつまらないですなぁ・・・。



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東学党の乱(七十五)

テーマ:

さて、上陸差し止めくらってる筈の清国兵ですが、どうやら上陸はしてる模様。
筑紫の士官からの視察報告を、1894年(明治27年)6月9日付文書から。

支那兵到達之報告

昨8日午後6時、支那招商局汽船図南号、兵馬を搭載し牙山湾に入港。
歩兵概数600。
指揮官聶氏。
馬匹数十頭。
砲隊はなきが如し。
右兵員、6時40分より艀船に乗組、8時頃にて終り、艀船は内島海辺に寄泊。
潮を待て、今朝2時頃牙山村保里原の上陸点に向へり。
該地は、内島より3里余なり。

右、軍艦筑紫士官の視察報告
6月8日午後6時、図南号が兵馬を登載して牙山湾に入港。
2月16日のエントリーでは、太沽から来た水兵は、海晏と図南で運ぶとありました。
ちなみに、海晏号も後の史料で名前が出てきます。
で、図南号に乗船しているのは兵数約600人で、指揮官はこれまでも何度か見たとおり聶士成。
馬数十頭で、砲兵隊は無い模様、と。

これらの兵員は艀船に乗り込む。
で、この潮を待つってのは、恐らく満潮になるのを待って、6月9日午前2時に上陸場所に向かった、って事だろうな。
2月18日のエントリーでは、6月6日には水原沖に着いており、6月7日に上陸予定という話でしたが、上陸差し止めでこの日まで足止め喰ってたのかな?

続いて、もう一丁清国兵上陸に関する報告。
仁川の能勢領事から大鳥特命全権公使あての、1894年(明治27年)6月9日付文書から。

清国軍牙山上陸状況報告

漢陽の帰報に拠ると、昨日午後6時頃、支那汽船(玄海丸位)洪州のアンソン(牙山より少々沖合)に投錨するや否、陸上よりは直に朝鮮はしけ船10余隻を出し、兵員の上陸に従事したり。
漢陽は午后9時、支那士官数名を搭載し本港に来りたれども、其抜錨の中も尚盛に上陸せしめ居たりと云ふ。
兵数は、1,000人なりと申居候。
平遠は、凡半里外の処にありて、諸船の入港するを認め直ちに3発の祝砲を打発せりと。
尚、1隻の汽船は本日中に来着■にて、今日の分は漢陽が水先をなす筈なりと。
清国領事は、アンソンより凡半里程の処にありしが、昨日汽船の入港を認むるや、直にサンパンにて本船に赴きたり。
袁世凱本日下仁の噂如何。
仁川兵50名、大砲2門(1門は昨日鎮山号にて出発せりと)、本日顕益号にて出発の筈。
これは、例の漢陽号の日本人乗組員の報告なのかな?
6月8日午後6時頃に清国汽船(先ほどの圖南号?)が牙山沖に投錨。
陸からは艀船10隻余りが来て、上陸準備。

漢陽号は、清国士官数名を乗せて午後9時に仁川に来たけど、その出港時もまだ上陸準備してたという、と。
兵数は1,000人。
まぁ、まだ正確な兵数が分かるはずもなく。
で、平遠号は、各船が入港したのを確認して、祝砲を3発撃った、と。

他に1隻の汽船が6月9日中に来着し、その分を漢陽が水先案内する筈、かな?
清の領事は牙山沖から半里ほどの処にいたが、8日の汽船の入港を確認するや、サンパンで漢陽に来た。
袁世凱が今日仁川に来るという噂、マジ?
仁川兵50名と大砲1門は、顕益号で出発予定、と。
んー、最後の方、報告自体が駆け足なせいか、イマイチ理解できねぇ・・・。

兎も角、先ほどの報告と併せて考えるに、清国兵を乗せた汽船は6月8日に牙山沖に来て、上陸準備を始めたって事は間違いないようで。

続いては、上の清国軍牙山上陸状況報告にも、一部関連している内容になります。
仁川の能勢領事からの探報書。
1894年(明治27年)6月9日付『京第31号』より。

一.顕益船には、大砲1台、弾薬1艘、干魚2艘及木綿(国王より兵士へ賜ふ装服用)、草鞋等を積入、是に仁川兵50名乗組たり。
仁川監理署南宮挓之を率ひ、本日郡山に向け出港。
一.公州は未だ陥らず、清兵之に拠居す。
一.顕益号は30人の乗客あれども、一切雑人の乗込を許さず。
一.只今京城より、外衛門李主事順信昌に来り、「タウセンド」と談判僅に捗れども、何たる事を知らず。
一.明4日頃、両軍法聖に於て戦闘の通牒をなしたる由。
一.数日前、政府は戦没者の為、喪服数百枚公州に送りし由。
一.袁世凱、今朝牙山より漢陽にて来仁。
直に入京。
一.本月6日、慶済号にて清国水兵30名乗組、牙山へ向ふ。
一.7日、午前2時、漢陽清士官3名を乗船し、同日午後2時俄然牙山へ向け出帆。
一.8日、招商局海晏にて清兵1,000人を乗せ、牙山に正午頃着。
一.同日午後1時、慶運号馬山へ向け出帆。
清国兵士の艀用。
顕益は、先ほどの清国軍牙山上陸状況報告にもあった仁川兵50人、大砲1門の他、弾薬・干魚・木綿・草履などを積み入れて、これを南宮挓が率いて6月9日に仁川出港、と。
この50人の仁川兵って、2月7日のエントリーで漢陽号を下ろされた兵だろうなぁ。
後は、高宗から兵士に下賜される装服用の木綿の話は、1月27日のエントリーでも平壌兵に支給した話と同じ流れかな?

そういえば、1月19日のエントリーで「今般新制の夏服装」という話もありましたので、結果的には民乱起きてる最中に、軍装を新制に改めた事になるんでしょう。
つうか、制服そのものじゃなくて原料支給かよ。(笑)

次は、公州はまだ陥落しておらず、清兵はここを拠点にしている、と。
清国兵はまだ上陸したかしないかという時期なので、多分公州には着いてない筈。
となれば、この清兵は清州兵の事だと思うんだけど、どうかな?

3つ目は、先ほどの顕益号には30人の乗客がいたが、一切身分の低い者の乗り込みを許さなかった、か?
何の意味がある報告なのか、良く分からん。(笑)

4番目。
今京城から外部衛門の李主事が順信昌に来て、タウセンドと談判が少しはかどったみたいだけど、何の事だか分からない、かな?
つうか、3つ目と同じで意味が良く分からん。

李主事ってのは、2月25日のエントリーなんかで、日本兵の撤兵要求の話にも出てくる李鶴圭だと思うんだけど、同姓いっぱい居そうなので保留。
順信昌ってのは、仁川にあるアメリカ商人タウンゼント(W.D.Townsend)の店。
朝鮮の外務省がアメリカ人商人に何の用事があるんだろう?

5つ目。
つうか、6月9日の史料に「明4日」が出てくるのが既に意味分かんねぇ。
陰暦でも5月6日だしなぁ・・・。
両軍は、招討軍を始めとした政府軍と東学軍で良いのかな?
両軍は法聖で戦闘の通牒を行った。
ん~、やっぱり意味不明。

6つ目は、数日前に政府は戦没者のために、喪服数百枚を公州に送った。
そのまんま。

次も状況が良く分かんないんだよなぁ。
袁世凱は、6月9日の朝に牙山から漢陽号で仁川に来て、直ぐ京城入りした、と。
先ほどの史料でも「清国領事は、アンソンより凡半里程の処にありしが、昨日汽船の入港を認むるや、直にサンパンにて本船に赴きたり。袁世凱本日下仁の噂如何。」とかあったんだけど、いつの間に牙山に行ったんだろう?

8つ目は、6月6日に広済号に清国水兵が30人乗って、牙山に向かった、と。
9つ目、6月7日に漢陽号は清国士官3名を乗せて牙山へ。
10番目、6月8日に海晏号は清国兵1,000人を乗せ牙山へ。
最後は、6月8日に慶運号が清国兵士の艀用に馬山へ。

上陸差し止めの件と、牙山上陸、そして袁世凱の牙山行きがどうからんでくるのか、非常に興味深い史料ですが、ここまで簡潔過ぎるとさっぱり分からないですな。


今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十一)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十二)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十四)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(二十五)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(六十五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(四十六)  東学党の乱(六十六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(四十七)  東学党の乱(六十七)
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東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


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東学党の乱(七十四)

テーマ:

ケンチャナヨの条約締結。
ウリナラ解釈。
<∩`∀´>アーアーアーアー 聞こえないニダ。
ま、知らないフリして謝罪と賠償求めるよりはマシか・・・。( ´H`)y-~~

ってことで、前回前々回に引き続いて、アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』より。
1894年(明治27年)6月9日付『機密第83号』。

此時督弁申出の要領、■左の三点に有之候。

一.近日来南道に民乱興りたるも、漢城は極めて静謐なり。
且つ南道の民乱も、官軍大捷後賊勢窮縮。
久しからずして鎮定せんとせり。
故に今日は、壬午年(明治15年)の形勢と素より同日の論にあらず。
又、若し気遣ふべきことあれば、本衙門より衛兵を各館に送る可し。
故に、毫も貴国より兵員を派駐する必要を見ず。

二.此静謐の日に、貴政府若し兵員を派して使館を衛るときは、各国之に倣ひ兵を派して使館を衛るべし。
是れ朝鮮の為めに危険なるのみならず、実に不面目なり。
且つ、朝鮮の危険は東洋の局面に害ある論を俟たず。
貴国は我邦と交際久く、隣誼を重じ、大局に注目せらるることなれば、斯る不祥なる俑を作ることを敢てせられざるべし。

三.貴国兵丁若し京城に入らば、城内人心の洶々は勿論にて、却て意外の弊端を開かんことを恐る。
外部督弁趙秉稷が、日本兵の上陸が不要だとする理由3つ。
まぁ、これまでと重複してるんですが、一応。(笑)

まずは、いつもどおり京城は平穏で民乱も終息しつつあり、現状壬午事変の時とは状況が違う、と。
で、もし何かあれば朝鮮政府で護衛兵送るから、日本の派駐は必要ないでそ?

信用できるか。
( ´H`)y-~~


2つ目は、京城が平穏なのに日本が派兵して公館を護衛すれば、他国もこれに倣うだろう、と。
これは朝鮮にとって危険なだけでなく、不面目であり、且つ朝鮮の危険は東洋の情勢に害があるのは論じるまでもない。
日本は朝鮮との交際も長く、隣国の友誼を重んじて大局をわきまえ、悪しき前例を敢えて作らないように望む、と。

日本以外の国と、公使館護衛に関する条約結んでんのか?
( ´H`)y-~~


3つ目。
日本兵が京城に入れば、京城の人心が騒がしくなるのは勿論で、却って意外な弊害を起こすかもしれない事を恐れる、と。

治安維持能力があるなら、鎮圧すればよい。
鎮圧できないなら、日本による公館や居留民保護はやはり必要。
日本は条約に基づいて行動しており、無問題。
( ´H`)y-~~


と、全部にツッコミ入れたところで続き。

右談判は凡そ2時間に渉りし処、其中小吏来りて袁世凱氏の手函(直筆と認めたり)を呈したれば、督弁速に之を懐中に収め、小用と称して直ちに別間に退きたりしが、再び復席して前述の言を再三繰返したる末、拙者は飽迄貴代理公使の御申出に不同意を唱ひ、且つ貴兵の入京を拒む可しと申出候に付、拙官は、我政府は條約に従て兵員を入京せしむるものを、如何なる方法にて之を拒まるるやと問詰め候処、督弁は、「之を拒むとは、兵力を以て之を拒むの謂に無之。辞を以て之を拒むと云ふことなり」と申出候(右袁氏手凾は、或は我を恐嚇する手段として為したるにあらざるやと被推測候)。
当日の談判は前陳の通りにて、彼は我兵入京の通知を受けながら、種々故障を並立て、終に「承知せり」との一言を申出でざる訳に有之候。
而して我兵上陸差止の儀に付ては、彼は一面駐東京公使に電訓して貴大臣閣下に請願し、一面は官員を仁川に派して、大鳥公使に談判する方法を執ることならんと被推測候。
拙官統理衙門に往て不在中、別紙甲号の督弁手凾到達致し、夕刻に及んで別紙乙号の通り照會有之候に付、翌9日同丙号の通り回答及置き候。
然るに8日、夕刻俄国臨時代理公使来訪。
目下漢城の形勢静穏なるに、貴国政府が兵員を派駐せられんとするは如何なる御都合にやと相尋ね候に付、拙官は、我国は條約に拠り警備の為め公使館に兵員を置くの権利を有せり。
右は近年暫く之を廃撤したる処、先般来当国内民乱相興り、甚だ危険と気遣はるるに付、我政府は派兵の詮議に及ばれたることと推考せられたり。
拙者は、永く本国に在勤して少く経験あるが、当国の変乱は不意に興る事多し。
故に、決して目前の静穏を視て安心する訳に至り兼ぬるなりと相答置候。
右及内申候也。

追て風説に拠れば、清兵の先隊は既に牙山に到着したるも上陸を許されざるが為め、切りに袁世凱に迫り、袁氏は之を閔泳駿に転迫するも、国王を始め政府の議は之を不可として承知せざるが為め、袁・閔の両氏は当惑致居るとの事に有之候。
杉村と趙秉稷の話し合いは2時間に及んだが、その最中に袁世凱の手書きの書翰が届き、趙秉稷は直ぐにそれを懐に収めて一時退席。
杉村は、この袁世凱の書翰は、もしかしたら杉村を脅す手段として使ったのかもしれないと予想。
朝鮮相手にするときは、常にそういうの意識してないとね。(笑)

んで、戻ってきた趙秉稷は、先ほどの3つの主張を再三繰り返す。
杉村は、趙秉稷の申し出に対して飽くまで不同意を告げ、しかも「日本兵の京城入りを拒むだろう」という趙秉稷に対し、「どうやって拒むのよ?( `H´)y-~~」と問い詰めると、「いや、拒むってのは兵力で拒むってんじゃなくってね、言葉で拒むって事ですよ。」と。
これをシカトぶっこいて、条約に基づいて兵を入京させたら、「概念無い奴!<#`Д´>」って言うんだろうなぁ・・・。(笑)

ってことで、この日の談判はこれまで書いたとおりに、日本兵の入京の通知を受けながら、あれこれと理由を付けてOKしなかった、と。
日本兵の上陸差し止めについては、一方では駐東京公使に電訓して陸奥外務大臣に請願し、もう一方では仁川に官吏を派遣して大鳥公使と直接談判する方法をとると思われる。

んで、杉村が統理衙門に行ってて不在中、別紙甲号の趙秉稷の書翰が来ており、夕方別紙乙号のとおり照会があったので、翌日丙号のとおり回答しといた、と。
ちなみに、別紙甲号、別紙乙号、別紙丙号の3つとも、順番は乙・甲・丙の順番になってますが、2月23日のエントリーで取り上げ済みに付き今回は省略。

で、6月8日にはロシアの臨時代理公使が杉村を訪れ、今京城は平穏なのに、日本政府が兵員を派駐するってどういう事?と尋ねてきたので、日本は条約で警備の為に兵員を置く権利があるの。
最近は護衛兵を撤廃してきたけど、この間から朝鮮で民乱が起きて危険を感じるので、日本政府は派兵について詮議したんじゃね?
俺も朝鮮長くて経験あるけど、朝鮮の変乱って不意に起こる事が多いから、決して今平穏だからって安心するわけにいかないんだよね、と回答。(笑)

【条約に拠り】\_( ´H`)y-~~ ここ重要。

最後に追伸として、清国兵の先発隊はもう牙山に到着したけど上陸が許可されなかったため、しきりに袁世凱に迫り、袁世凱は閔泳駿に迫るけど、高宗はじめ朝鮮政府は上陸不可として承知しないため、袁世凱も閔泳駿も当惑してるってよ、と。

え~っ。
高宗も上陸不許可ぁ~?(笑)


今日はここまで。



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東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十二)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)  東学党の乱(七十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


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東学党の乱(七十三)

テーマ:

清国兵の上陸差し止めようとしたり、日本兵の上陸を撤回させようとしたり、何だか必死な朝鮮政府。
じゃあ、最初から東学党の乱の鎮圧、真面目にやっとけよ、と。(笑)

さて、それでは今日は前回の続きより。
アジア歴史資料センターの『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』。
1894年(明治27年)6月9日付『機密第83号』の続きより。

翌8日早朝、李主事督弁の使として参館申出候には、昨午後、貴命の趣き直ちに督弁へ申送り候処、拙者に参内せよと申来り候に付、昨夜参内を為し宮内より於て督弁より親しく使命を受け、即夜之を奉じて参館すべきの処、深更に付今朝早く参館せり。
扨督弁の使命には、此度貴政府より派兵の御通知は実に意外にて、我政府は一同驚愕せし所なり。
目下漢城は甚だ静謐にして、毫も気遣ふ可きことなし。
且つ南道の民乱とても最早鎮定に■んとせり。
右は、此招討使電報にて委細御諒悉なるべし(此時陰5月3日、招討使勝利の電報を示せり)。
然るに、貴国政府は如何なる御趣意にて派兵可相成哉。
若し貴国より派兵相成るときは、俄英等の各国も之に倣ふて派兵す可く、左の時は我国の為め却て危険を感ずるのみならず、実に不面目の次第に有之候。
依りて、何卒貴政府へ御申立之上、兵員の上陸を差止め、速に引返され候様御取計ひ下度。」と申出で候に付、拙官は、「我政府派兵一事は、未だ公然貴督弁閣下に御通知及びたる訳にあらざれば、本日面謁して公然御通知申上候後、何分之御意見を承るべし」と相答へ、夫より余談に移り候処、李主事は我政府にては既に清兵の援助を要せずと相認め候に付、昨夜(6月7日夜)清国政府へ電報して、兵員の上陸を差控へん事を請求したる旨相洩し候。
扨同日午前11時、統理衙門に赴き外務督弁に面接して御電訓之趣き相告げ候処、督弁は前述李主事申出の趣意に、條約上の誤解説と苦情とを打混じ永々と申出で候に付、一応は明晰に弁明致し候得共、彼れは充分條約上拒む可からざるを承知しながら、其意実に辞を設けて我兵の上陸を差止めんとする者なれば、素より当方の弁明に服すべき筈無之。
依て拙官は、「我政府は條約上派兵衛館の権利あれば、今般其必要を認め派兵相成ることなり。
而して、今日我外務大臣の訓令を奉じ、其事を貴督弁へ御通告する迄の事なり。
且つ派兵要否の認定も我政府に在ることなれば、貴督弁に其不必要なる事に付き千言万語を重ねられたりとて、我政府にて必要と認めたる以上は貴説を聴くに及ばざる事なり」と断言致候。
6月8日早朝。
主事の李鶴圭が趙秉稷の使いとして、日本公使館に来る。
昨日杉村の言ってた事を趙秉稷に申し送ると、参内しろと言われたので、6月7日夜に参内して宮内で趙秉稷からの命を受け、直ぐに夜のうちに来るつもりだったんだけど、もう夜中だったので今朝早くに来ました、と。

その趙秉稷の命では、今回の日本政府の派兵通知は実に意外で、朝鮮政府では一同驚愕している、と。
日本かどうかは兎も角、清国に出兵依頼すれば他国がどう反応するか、朝鮮政府でも予想済みだった筈だけどなぁ。(棒
で、2月23日のエントリーでも見られた、京城は静謐で少しも気遣う事は無いし、招討使の電報によれば東学党の乱も鎮定に向かってるのに、何の理由で派兵してくんの?
もし日本が出兵すれば、ロシアやイギリス等の各国もこれに倣って出兵し、そうなれば朝鮮のために却って危険を感じるだけでなく、面目つぶれちゃうべ、と。

いや、東学党の乱を単独で鎮圧できず、清国に援兵依頼した時点で、朝鮮の面目なんてものは無いんだが。( ´H`)y-~~
つうか、ロシアやイギリス等に、済物浦条約のような兵力駐留できる条約あんのか?と。


ってことで、どうか日本政府に申し立てて兵の上陸を止め、速やかに引き返すように取りはからってくれないか、と申し出てきたんですね。
これに対して杉村は、派兵の話、お前が面会拒否ったからまだ公然と通知されてないだろ?
今日、会ってから公然と通知して、その後に意見聞くわ、と。
正論。(笑)

李主事の余談として、朝鮮政府はもう清国の援助は不要と認めたので、6月7日の夜に清国政府に兵員の上陸を差し止めるよう請求した、と。
この辺、多分2月16日のエントリーの上陸差し止めの電文の写しの話と繋がるのかな?
っていうか、前回の趙秉稷は居留守じゃなくて、マジでその話で参内してたのかもね。(笑)

午前11時。
統理衙門に行って趙秉稷に面会し、電訓の趣を告げる。
趙秉稷は、先ほどの李主事の言ってた事にプラスして、条約上の誤解説と苦情をない交ぜにして長々と言い出したので、一応明晰に弁明しておいたけど、彼は条約上拒否できないのを充分に分かっていながら、言葉を並べて日本兵の上陸を差し止めようとしているので、最初から日本の弁明に服すべき筈もなく。

っていうか、「条約上の誤解説」ってのは、日本に対して条約の解釈間違ってると言ってるのか、条約の解釈を間違えた話をしているのか、どっちかなぁ・・・。

まぁ、どっちにしてもウリナラ解釈ですが。( ´H`)y-~~

ってことで杉村は、「日本は条約上、派兵して公館を護衛する権利があり、今回その必要を認めて派兵することになっただけ。
で、今日陸奥外務大臣の訓令を受けて君に通知してるだけの話。
増して、済物浦条約では派兵が必要かどうかの認定は日本側が行う事になってるから、君がいくら派兵不必要だって話を並べても、日本政府で必要と認めた以上は、君の話聞く必要ないんだよねぇ。( ´H`)y-~~」と断言。(笑)

済物浦条約の第5条中の「日本公使に於て警備を要せずと認むるときは、撤兵するも差支なし。」と、1885年(明治18年)7月18日高平臨時代理公使の知照中の「将来若事ありて再護衛を要するときは、仍随時兵を派して護衛せしむ」が根拠になってるわけで、杉村の言うとおりイニシアチブは一方的に日本にあるわけです。
勿論、これを締結する事になった理由は壬午事変の狂乱なわけで、割と自業自得。

朝鮮政府の悪政によって民乱発生。
独自に鎮圧できずに、他国に援兵を依頼。
この時点で朝鮮政府に治安維持能力が無いと見なされて当然であり、そういう日本の判断により、条約に基づいて派兵。
これが日本側の論理という事になるでしょう。


ってところで、今日も短め&史料途中ですが、ここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十一)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十二)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十四)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(二十五)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(六十五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(四十六)  東学党の乱(六十六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(四十七)  東学党の乱(六十七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(四十八)  東学党の乱(六十八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(四十九)  東学党の乱(六十九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十)   東学党の乱(七十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十一)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十二)  東学党の乱(七十二)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


東学党の乱(七十二)

テーマ:

もうここまで来たら、開き直って連載続けようかと。
看板だけ掛け替えてもしょうがないし、東学党の乱と日清の出兵って密接に関わってるしね。
ってことで、今日も史料を見ていきます。

今日最初は、杉村から趙秉稷への、大鳥公使入京に関する通知。
1894年(明治27年)6月9日付『第43号』より。

敬啓者刻准仁川来電称本日下午我大鳥公使抵埠擬於明日午前四點鍾隨帯護衛水師兵三百名由陸路進京因将水師兵登陸縁由特先知照貴政府等因准此相應具由函達貴督辨査照可也耑此泐佈順頌
台祉
今日の午後、大鳥公使が仁川に到着。
明日午前4時には、水兵300人を護衛に陸路京城に向かうため、水兵上陸の理由を特に先づ朝鮮政府等に知照しなさいというので、書翰送るからよろしく、と。

勿論朝鮮政府は、今まで話があったとおり京城に水兵が来ると困るということで、撤回を要求します。
1894年(明治27年)6月9日付文書より。

敬復者刻准貴来函内開我大鳥公使抵仁埠擬於明日午前四點鍾隨帯護衛水師兵三百名由陸路進京云々等因准此査漢城現甚安静貴兵丁切不可無故調来各情形昨已面達竝行照会旋准貴復文内速稟貴政府査核等語在案業詎料不移時而兵奇隨至致使我都下人心大生驚慮寔出本督辨厚望之外也我政府自聞貴公使臨港早派本署参議閔前往労迎俾敍各情諒邀貴公使涵亮尚望貴代理公使速将各項詳細情形電達貴公使除公使一行隨員外所有護衛水師竝勿用卸岸即施撤還以敦切隣友睦免生一城騷訛至切盻禱專此函復并頌
日祉
杉村氏の書翰を見れば、大鳥公使が仁川に到着して明日午前4時には水兵300人を同行し、陸路京城に向かうとありました。
しかし、現在京城は非常に安定しており、日本兵は理由無しに送るべきでないとの事情を昨日面会して申し上げ、同時に照会までしました。
そして、その回答には「速稟貴政府査核」ともあったのに、幾らもしないうちに軍に関する連絡が京城の人心を大きく驚かす事態になるって、どういう事よ?と。
ウリナラ解釈発動ですな。

意見そのものについては日本政府に伝えておくと述べただけで、出兵撤回については既に日本政府の訓令もあり、杉村は遺憾だけど朝鮮政府の意見に同意できないとしっかり述べてるんですがね。
つうか、現代を見てもそうですが、開国期から併合まで、勝手なウリナラ解釈に日本が振り回されてるだけな気もしてきた昨今・・・。( ´H`)y-~~

で、これは私が深く希望していた事とは違う、と。
当たり前だ。(笑)

朝鮮政府は、大鳥公使が仁川に来ると聞いて、参議の閔を派遣して歓迎し、ついでに各情況を述べたいので、よろしくお願いできないかなぁ。
で、杉村代理公使には、速やかに詳細な情勢を公使に電報で知らせ、公使の随行員以外の水兵は、下船させずに直ぐ撤収させて、隣国との友睦を持って京城で騒ぎが起きないようにしてくれないかなぁ、と。
割と思い遣り要求。(笑)

さて、続いてはこれら公使館護衛兵の派遣に関する、通知の顛末についてのまとめの報告。
アジ歴では、『東学党変乱ノ際韓国保護ニ関スル日清交渉関係一件 第一巻/4 明治27年6月9日から〔明治27年6月21日〕(レファレンスコード:B03030205000)』にあります。
1894年(明治27年)6月9日付『機密第83号』より。
長いので、適当なところで分割して。

公使館護衛兵派遣の儀通知顛末

本月7日午後3時半頃、我政府より派兵入韓之儀既に清国政府へ御通知済に付、明治15年済物浦條約に従て再び公使館護衛兵を置く可きに付、其旨外務督弁に面会して之を告ぐ可しとの御電訓を拝接致候に付、直ちに外務督弁へ面会の儀申入れ彼の返答を待て参署候処、主事李鶴圭面接して、督弁には急御用にて只今参内したれば明日午後面会す可しと申伝候に付、拙官は一応彼が忽諾忽変の不都合を詰責致候得共其効なく(此時督弁の轎子は衙門の玄関前に有て、而して督弁何れへ参りたるやと尋ねたるに、人々の対ふる所一ならず。察するに、衙門内に潜匿したるものならん。蓋し彼一度面接を承諾したる後、何方よりか我派兵の事を聞込み匆卒の際返答の定案なく、一時の窮策より面会を避けたるものか)、依て急に人を王宮に派せしめ帰署を促したる処、暫時にして督弁の答書を持参し(此間時間短くして、王宮へ往復せしものと思はれざりし)、余儀なき公用ありて本日は面会難致、乍去明日屹度面会す可しとの趣意に有之。
依之拙官は、来署の大意を李主事に漏したる後、「斯の如き要急事件なれば、平生とは違ひ是非共督弁へ御面会を遂げたる上、我外務大臣の訓令を御伝申さねば相成らざる次第なり。就ては、明日午前10時には、必ず面会相成候様取計はれたし」と申入れ置き、其日は致帰館候。
まずは6月7日の模様。
済物浦條約に従って公使館護衛兵を置く事を外務督弁に伝達しろとの電訓を受けて、杉村は趙秉稷に面会を申し込み、オッケーと言われて行ってみると、急用で参内したので不在だ、と。
お前、直ぐ承諾して直ぐ変更ってどうよ?と詰責してみたけど、効果は無かった。

ところが、趙秉稷の駕籠は衙門の玄関前にあり、人々に趙秉稷どこに行ったのと聞いてもその理由はバラバラ。
そのため杉村は、一回面会を承諾した後、どこからか日本の派兵の話を聞いて、一時の窮余の策として面会を避けてるんではないかと予想。
んで、王宮に人をやって帰ってこいと促すと、しばらくして趙秉稷の答書を持参。
但し、この時間は短く、王宮へ往復したとは思えない、と。
居留守、乙。(笑)

その答書は、しょうがない公用があって本日は面会できないため、明日必ず面会しようという趣意。
そのため杉村は、ここに来た大体の理由を主事の李に伝え、こういう緊急な要件だから、いつもと違って是非とも趙秉稷に面会して、陸奥外務大臣の訓練を伝えなきゃならんのだよね。
じゃあ、明日午前10時には必ず面会するように取りはからってね、と申し入れ、この日は戻った、と。

居留守使っても、問題は全く解決しないんですが・・・。
基本、「<∩`∀´>アーアーアーアー 聞こえないニダ」なんでしょうか?(笑)



ちょっと早めで、史料も途中ですが、今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十一)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十二)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十四)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(二十五)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(六十五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(四十六)  東学党の乱(六十六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(四十七)  東学党の乱(六十七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(四十八)  東学党の乱(六十八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(四十九)  東学党の乱(六十九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十)   東学党の乱(七十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十一)  東学党の乱(七十一)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十二)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


東学党の乱(七十一)

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東学党の乱、置いてけぼりなまま、連載70回を越えたわけですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
( ´H`)y-~~ プハー
まぁ、区分けするのも難しいんでこのまま行きますが、全州陥落で打ち切って、別な名前で始めるってのもあったかなぁ・・・。

さて、清国の出兵に関して、上陸中止の話などでバタバタしている朝鮮政府。
一方で、日本の出兵に対しては、撤回要求があるわけです。
1894年(明治27年)6月8日付『照会 第9号』より。

大朝鮮督辨交渉通商事務趙

照會事照得漢京現甚安静不宜有他國兵丁調來京内至人心騷動各情形午間已面達詳情迄未聞貴代理公使有所決止自不得不再爲貴代理公使詳言之査前時南道教匪猖獗都下稍起謠疑近日該匪回守全州迭經創挫気勢漸迫我都下因以人心甚安毫無驚擾早爲各國人所共亮如貴國兵丁當此甚安無警之時忽而調來護館詎非于已安之地而故擾之于無警之際而故騷之且漢京爲我國輦轂重地又爲各國玉帛會所固應各求安堵毋渉險慮今貴兵丁無故調來都下人心必至大騷各國人民均生疑慮萬一有奸人藉端生事是因貴兵丁之來置我都城于險地非我政府及本督辨之所望也貴政府素明時局向敦友睦應不願置我都城于險地況乙酉夏間貴護館兵丁撤回後本衙門曾會同各國駐京使員商訂章程各公館保護之事宜由本衙門主之該章第二條如遇有事加派四十人厳密護衛久經允照各在案縦或漢城有所危險亦應由本衙門派兵護衛況値此京内毫無危險本無所用其護衛乎如貴兵來護反使人心驚疑至一城渉于危險之境其得失利害瞭然可判即望貴代理公使速電達貴政府以各項詳細情形即施還兵之挙以敦友睦免生枝節至切盻禱相應備文照會貴代理公使請煩査照迅即施行須至照會者

右照會

大日本臨時代理公使杉村
派兵撤回の要求については、2月16日のエントリーで「日本兵士上陸の事を停止せらるべき様、本官より帝国政府へ請求致し呉れべき旨依頼ありたり。」とありましたが、その依頼の話ということになります。

外部督弁の趙秉稷からの照会で、京城は今非常に安定しており、他国の兵を京城に入れても人心を騒がすだけです。
それぞれの事情は、既に昼に面会したときに詳細に述べましたけど、未だに杉村の決定を受ける事ができないので、やむを得ず更に詳しく述べます。
以前、東学党の勢力が盛んな際京城で風説が起きて疑われたましたけど、最近東学党は全州を守るために帰り、再三気勢を挫かれて徐々に逼迫してきているので、京城の人心も非常に安定しており、外国人の皆様も良く分かっているところでございます。

このように安定して警備が必要無い時に、日本兵士が急に来て公館を護衛するというのは、安定した所にわざわざ騒擾をもたらす行為ではありませんか?
且つ、京城は我が国王の居る重要な場所であり、各国の公館が集まっている所です。
そこに今兵士が来れば、京城の人心は必ず大きな騒ぎとなり、各国人民も皆疑心を生じるでしょう。
この時、もし悪事を企む者がこれを切っ掛けに事を起こすような事があれば、京城に来た日本兵のために京城が危険な地となってしまい、これは朝鮮政府と私の望むところではありません。

日本政府が元から時局を良く分かっているとおり、友誼を厚くしてきたのは京城を危険な場所にする事を願わなかったからです。
1885年(明治18年)の夏に日本が公使館護衛の兵を撤兵した後、本衙門では京城駐在の各国公使と会同して結んだ章程の第2条に、「もし何か起きれば40名を派遣して厳密な護衛をする」とあります。
従って、京城に危険な事が起きれば、当然本衙門から兵力を派遣して護衛する筈ですが、今京城には少しも危険な事もなく護衛をする必要がありません。

しかし、日本の軍隊が来て護衛をするれば、かえって人心を驚き疑わせ、京城を危険の境地に至らせるでしょう。
その利害得失は、容易に判断ができると思います。
従って、杉村代理公使には速やかに日本政府に詳細な情勢を電報し、すぐに撤兵して友誼と親睦を温め、ほかに影響が出ないようにする事を望みます。
よろぴく ♡、と。

単なる修辞部分を削れば、大体こんなもんかな?
つうか、それでも激しく無駄がある気がしますが・・・。
やっぱり、これ系の漢文は超訳した方が良いかな?

さて、続いての史料も、同じく趙秉稷からの1894年(明治27年)6月8日付の書翰になります。

敬啓者日前以南道教匪掠陥全州意将蔓延州郡稍有謠疑日來迭得南道來電匪徒囿守全城気勢日促都下極甚安静本督辨深知漢城断無意外之慮應函告駐漢各使員即抒疑慮毋惑浮謠特此布達請貴署理公使慰亮可也耑此順頌
大安
数日前に東学党が全州を陥落させ、それが他の州や郡にも蔓延するかのような懐疑があったけど、この頃南道から来る電報を見れば、東学党は全州を固守しているが気勢は日々慌ただしく、都下は非常に安定していると言います。
私は、京城も断じて意外な事が起きる心配は無い事を知り、京城駐在の各公使等に告げて、直ちに疑いや心配を晴らして、噂に惑わされないでくださいと告げますので、各国の署理や公使はヨロ、と。

ま、要するに東学軍は京城まで来ないから、安心してちょ、と。
んで、それを以て日本にも撤兵してねって事ですな。
勿論、2月16日のエントリーで見たように、「本官は断然之を拒絶せり。」なわけで。(笑)

その拒絶にあたるのが、1894年(明治27年)6月9日付『第42号』になります。

以書簡致啓上候。
陳者貴暦甲午5月初5日貴公文第9号を以て、漢京現甚安静不宜有他国兵丁調来京内至人心騷動各情形午間已面達詳情迄未聞貴代理公使有所決止自不得不再爲貴代理公使詳言之云々等情御申越之趣致拝悉候。
今般我政府派兵一事は、我外務大臣の電訓を奉じ昨日既に貴督辨に面述致候通り、我暦明治15年8月30日済物浦に於て訂結したる貴我両国約條第5款に従ひ、警備の為め兵員を派駐せしめ候事なれば、素より他意ある次第に無之候。
依て、貴督辨の為めに茲に再び声明致置候。
将又御来文中、是因貴兵丁之来置我都城于險地一節は、全く本代理公使の想像外に有之、毫も斯の如き道理あるを発見せざる所に候。
就ては、御来文中即施還兵之挙一節は、既に我政府の訓命あれば、本代理公使は遺憾ながら貴意に符同致兼候。
尤も、御来意一切は、速に従ひ我政府へ稟達方取計可申候。
此段照覆得貴意候。
敬具


漢訳文
為照覆事昨准貴暦甲午五月初五日貴督辨第九号公文内開漢京現甚安静不宜有他国兵丁調来京内至人心騷動各情形午間已面達詳情迄未聞貴代理公使有所決止自不得不再為貴代理公使詳言之云々等因本署使均已閲悉査
此次我政府派兵一事乃儀遵照我暦明治十五年八月三十日於済物浦所訂両国約條第五款派駐兵員以充警備竝無別故等情本署使奉有外務大臣電札即於昨日造謁貴督辨剖晳面敍矣而今據前因縁特再為声明又来文内称是因貴兵丁之来置我都城于險地一節實出於本署使意料之外而所敍各情決無是理至称即施還兵之挙一節本署使既奉有我政府札飭于今惜難勉同尊意也除仍当将来文各節従速転稟我政府査核外相応備文照覆貴督辨査照可也須至照會者
1894年(明治27年)6月8日付の公文『第9号』受けとったよ。
でもさ、今回の日本の派兵の一件は、陸奥外務大臣の電訓によって昨日面会して述べたとおり、済物浦条約第5条に従って警備のために兵員を派駐させるだけで、他意があるわけじゃないよ。

だから、君のためにもう一度言っとくね。
公文中に、「是因貴兵丁之来置我都城于險地」という一節は、僕の全くの想定外で、どうやってもそういう理屈が成り立つとは思えないよ。
従って、公文中の「即施還兵之挙」については、既に日本政府の訓令もあるし、僕は遺憾だけど君の意見に同意できないんだよね。
まぁ、意見そのものについては、速やかに日本政府へ伝達しとくからさ、と。

杉村一人で判断できる問題じゃないのは確かですな。( ´H`)y-~~


今日はここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十一)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十二)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十四)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(二十五)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(六十五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(四十六)  東学党の乱(六十六)
東学党の乱(七)    東学党の乱(二十七)  東学党の乱(四十七)  東学党の乱(六十七)
東学党の乱(八)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(四十八)  東学党の乱(六十八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(四十九)  東学党の乱(六十九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十)   東学党の乱(七十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十一)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十二)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


東学党の乱(七十)

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今日は竹島の日。
韓国側からは、何やら敗北宣言も出てますが、居直られてもねぇ?(笑)

で、竹島の日ということは、実はウリの結婚記念日なわけで、しかも錫婚式だったりするわけです。
勿論、「スイート10なんて、宝飾業界の陰謀には乗せられん!」と、居直ってみたり。

さて、今日は前回の続き。
杉村臨時代理公使から陸奥外務大臣への、1894年(明治27年)6月8日付『機密第82号』の最後、『別紙丙号』の続きを。
金嘉鎭氏を訪ひたるに、爰には兪吉濬居合せ何か相談中(兪吉濬は、曾て朴・金諸氏と率先して革命を唱へたる人物にして、17年には折柄米国滞在中にして革命に参与するを得ず、帰国後暫く閉門を命ぜられ、其後特に許されたるも閔氏に容れられず)と見受けらる。
予は先づ一通りの挨拶を了へたる後、清兵借来の事に関する問を興せり。
右両氏は徹頭徹尾清兵の招来を以て不可とし、且仄に清兵借来の説あるを聞き、同志6名は借兵の不可なること国家の長計にあらざる主要を挙げ、各権門を歴訪し停止説を主張せしも、閔族は恰も聾の如く其利害を暁らざるものの如く、又た実際中には借兵の大害なることを知りたるも、殊更に暁らぬ振りするのみ。
何となれば、全羅地方民暴発の此に至りしは、本と地方官の貪虐に出でたるものにして、其地方官撰択良からざりし責は閔氏一門に帰し、即ち所謂売官・売職は之れが原因となりたるものなれば、該民乱益々猖獗を逞ふするの結果は、終に閔氏一門の地位に危険を与ふるに至るものなれば、閔氏は己の地位を維持する為めには、国家の利害を顧みずして進んで袁世凱氏と結托し、袁氏も亦た自家の手腕を顕はさんとする矢先き、1も2もなく閔氏の請を容れ、結局借兵を決定したるものにして、閔氏を除くの外我国民として借兵の処為を是認するものは、盖し1人もあらざるなり。
然れども、最早借兵の一事は其筋より袁氏に照会せられ、袁氏は李中堂に取次ぎ終に表沙汰となり、今や将に其兵員の1,500は牙山に向って来らんとす。
事已に此に至る。
恐らく朝鮮の亡兆此に縁由するにあらざるなきか。
今此輩は殆んど絶望の地に立たんとす。
只だ、能ふならば日清両国間に熟議の末、我朝鮮に対して中立若くは保護国の資格を与へ(英国との間に密約を結ぶ事。之れば、目下の行掛上清国政府の斡旋に一任すべし。)、余命を存するの方法もあらば至幸なり。
然らざれば我朝鮮は、必ず東洋に於ける各国の紛争点を化し、之を保すべからず云々。
并に、閔氏は世論の借兵の不可を論ずるを慮り、今日俄に清兵下陸見合方の会議を宮中に開きたる由の話ありたるも、大略安氏の宅にて聞き得たる所と同しければ此に略す。
又た、右2氏は我日本の之に処する運動を、何かと切に問を与せども、予は未だ最近の所聞に熟せざれば詳からざる旨を以て答辞をせり。
今度は金嘉鎮を訪問。
ここでは兪吉濬と何か相談中。
金嘉鎮と兪吉濬も、徹頭徹尾清国兵を呼ぶのに反対。
んで、借兵の話が出ているのを聞いて同志6名で兵を借りる事に反対して歩くんですが、閔氏の一族は利害が分からないのか、本当は借兵が大きな害になると知っていても知らないふりしているのか、「<∩`∀´>アーアーアーアー 聞こえないニダ」と。(笑)

その理由は、東学党の乱がこんなになったのは、元々地方官の貪虐のせいなわけで、その地方官の選択を間違えたのは閔氏一門の責任だ、と。
勿論、売官・売職がその原因なわけで、東学党の乱が激しくなればなるほど閔氏一門の地位が危うくなる。
ってことで、自分の地位を維持するためには、国家の利害を考えずに進んで袁世凱と結託し、袁世凱のほうでも自分の手腕を見せようと思ってた矢先なので、そのまま閔氏のお願いを受け入れて借兵を決定したのであって、閔氏以外の朝鮮人で借兵を是認する者は一人もいない、と。

・・・高宗は?(笑)

しかし、もう借兵は袁世凱に依頼され、袁世凱から李鴻章に取り次がれて表沙汰になり、もう1,500人が牙山に来ようとしている。
既にここまで来ちゃって、恐らく朝鮮の滅びる兆しって、これに始まるんじゃなかろうか。
朝鮮、絶望の淵に立とうとしてるよ。(´・ω・`)
ただ、できるならば日清間で熟議して、朝鮮に中立国か保護国の資格を与えてもらって、国家の命運を長らえるなら幸せっす。
そうじゃなきゃ、朝鮮は必ず東洋の火薬庫になって、命運保てないよ、と。

何か知らんが、こいつ等の話凄ぇイライラするんだが。( `H´)y-~~

で、先ほども黄耆淵の話にあったとおり、閔氏は世論が借兵反対なのを慮って、上陸見合わせに関しての会議を開いてるっつう話もあったけど、大体安駉壽のとこで聞いたのと同じなので省略。
また、2人から「日本はどうすんの?」って聞かれたけど、僕まだ最近の話は詳しく知らないから、と誤魔化しといた、と。

長くなってきたけど、次で最後なのでやっちゃいます。

帰路、左捕盜庁兼扈衛大将申正熙氏を訪ふ。
同氏は、以上の役目を并帯する外、此頃臨時軍務司を命ぜられたれば頗る繁忙の由にて、此日も進営して折柄帰宅休息中なりし。
扨て軍務司とは、法官と交渉して軍事に関し万事周施役にて、同氏と成岐運氏此度任選せられたり。
同氏の話に拠れば、袁氏の要求に拠り昨日(6月5日)軍馬34を出し、今日も亦150疋を出せり。
孰れも牙山に向て出発せしめたり。
尤も、昨日30の馬匹は、清巡査4、5名、人夫若干を乗せ、本日150匹の分は扈衛庁附の騎兵をして同行せしめたり。
又た、招討使洪啓薫氏は、目下全州を囲んで相対峙し、匪徒の縛に就くもの数多ありとの電報に接せし。
巡辺使李元會氏は、発京後日行3里の処、急ぐべしとの命令に依り日行を4里に早め、明日(8日)公州に入るべしとの報あり云々。
尚ほ、同氏は清兵借来の事を以て大不可と為せり。
予其理由を問へば、黙して答へず。
帰る途中、申正熙を訪問。
申正熙の話によれば、袁世凱の要求で6月5日に軍馬34頭を。
6月6日には150頭を出し、いずれも牙山に向かって出発。
最初の軍馬34頭は、清国の巡査4~5名と人夫若干名を乗せて、150頭の方は扈衛庁の騎兵に同行させた、と。

招討使の洪啓薫は今全州を囲んで賊と対峙し、賊を多数捕縛したとの電報を受けた。
巡辺使の李元會は、京城を出て日に3里進んでたけど、「急げよ!」と命令を受けて日に進む距離を4里に早め、明日6月8日に公州に入るだろう、と。

ちなみに、申正熙も清兵を借りるのには大反対。
しかし、理由は黙して語らず、と。

つうか、なんで高宗は責められないんだろう?(笑)


今日も短めに、ここまで。



東学党の乱(一)    東学党の乱(二十一)  東学党の乱(四十一)  東学党の乱(六十一)
東学党の乱(二)    東学党の乱(二十二)  東学党の乱(四十二)  東学党の乱(六十二)
東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
東学党の乱(四)    東学党の乱(二十四)  東学党の乱(四十四)  東学党の乱(六十四)
東学党の乱(五)    東学党の乱(二十五)  東学党の乱(四十五)  東学党の乱(六十五)
東学党の乱(六)    東学党の乱(二十六)  東学党の乱(四十六)  東学党の乱(六十六)
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東学党の乱(八)    東学党の乱(二十八)  東学党の乱(四十八)  東学党の乱(六十八)
東学党の乱(九)    東学党の乱(二十九)  東学党の乱(四十九)  東学党の乱(六十九)
東学党の乱(十)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十)
東学党の乱(十一)  東学党の乱(三十一)  東学党の乱(五十一)
東学党の乱(十二)  東学党の乱(三十二)  東学党の乱(五十二)
東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


東学党の乱(六十九)

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サカつく5、4年目の7位、5年目の3位を経て、6年目に再びJ1制覇を含む国内3冠。
でもアジアうんちゃらカップなんかは、いつもJリーグチームに途中で負け続けている昨今、如何お過ごしでしょうか。
( ´H`)y-~~

さて、前回前々回で見てきた杉村臨時代理公使から陸奥外務大臣への、1894年(明治27年)6月8日付『機密第82号』の最後。
国分書記生が各朝鮮人から聞いた話の報告、『別紙丙号』を見ていきます。
長いので、分割しながら。

6月6日金嘉鎭・安駉壽・黄耆淵・申正熙諸氏歴問之節諸氏の直話

此日、午後2時より閔應植(江華留守兼海事總判使)、閔泳達(判書)、沈相薫(判書)3氏を先づ訪問したるに、孰れも召命あり入闕したる由に付、転じて楊州牧使黄耆淵氏を訪ひ、何故今日閔・沈等の諸氏は入闕したるやと問ひたるに、同氏は今日清国より借兵其他全州地方民擾の事に関して会議あるとの由にて、閔氏始め其他権門家は国王の召命に拠り入闕したるものなりと云へり。
まずは、閔應植と閔泳達と沈相薫を訪問したものの、いずれも呼び出されて王宮へ行ったそうなので、楊州牧使の黄耆淵に訪問先変更。
で、閔氏や沈氏って何で王宮に行ってるの?と聞くと、今日清国の借兵の話と、その他東学党の乱の話について会議あるそうで、閔氏を始めとする権力者は高宗の命令で王宮に集まってるんだよ、と。

そのまんまなので、ツッコミも無く早速続きを。

次て、典圈局幇辨安駉壽氏を訪ひたるに、折柄主事金鶴羽其他2、3の人、額を集めて何か切に相談中の模様に見受けられたり。
金主事は先づ予に向って語を発し、予等此頃借兵の挙ありと聞き、大不同意にして切に権門に向って建議を為すと雖も、毫も採用せらるべき途なく、故に斯の意気相投ずるもの相集りて一條の不平談を為しつつあるなり。
又た聞く処に拠れば、出兵清師は李鴻章より厳重なる訓令を発し、若し牙山到着の上形勢を察して強て兵士の上陸を要せざるに於ては、可成示威の方針を執り、務めて穏便なる進退を為し、敢て軽挙あるべからずと誡めたるやに云へども、其実支那兵に将たる士官等は、只だ自国の広大なるを心から自ら誇るの外世上の形勢に通ぜざるに因り、当国は兵を上陸せしめ後日如何なる差支あるやなど毫も相辨へざれば、彼れ等牙山到着の上は、前後を争って勝手次第に上陸して、蹂躙に等しき所為を為すならん。
実に気毒なるは、此に使役せらる我国人と、並に附近の農夫なり。
其上第一恐るべきは、支那兵一旦上陸の端緖を開くに於ては、魯国は之を好機として元山、永興、若くは北境便宜の地に其兵を上陸するの虞なきか、予の深く我諸大臣等の意向此に及ばざりしを歎じて止まざるなり。
今聞く。
借兵の一事に付不可を唱ふるもの漸く増加したるに依り、閔氏は頗る疚しき処あるに似て、更に其借兵の説を一変し、清国に向って清兵の上陸を見合せられたしと断るべしとの提議を議し、即今右に付会議中の由。
聊予輩発見の偶然ならざりしを諒りしならん。
然れども、事已に去れば、今更徒らに上陸中止の事を以て清国政府に請ふも、恐らく無効ならん。
又た、袁氏の如きは其初め、自から兵を帥ひて出剿すべしと高言したる程なれば、今閔氏の云ふ如き朝令暮改、児戯に類する所為に同意すべき筈なし(自身統率の事は、李中堂の命に拠り中止せらる云々)。
去れば、借兵上陸一事は終に決行せられ、前途幾多の弊害は是れより萌芽するならん云々。
又た安氏は、予が退出せんとするに際して、「予は、此度弾薬買入の為め貴国に派遣を命ぜられたれば、最近便より出発の筈なり。孰れ其中公使に御打合すべし。されども、先づ以て御含迄申置くなり。」云々。
同氏は此時召命ありとて、入闕の支度を為し居りたり。
黄耆淵の続いて安駉壽を訪問すると、金鶴羽ほか数人と何やら相談中の模様。
金は、国分に向かって「いや、最近清国から兵借りる話聞いてさ、馬鹿じゃね?と思って建議しようとしたんだけど、採用される筈も無いから、こんな風に意気投合してるやつらとダベって愚痴ってるんだよね。」と。
もう遅いしね。( ´H`)y-~~

「でさ、聞くところによれば、出兵してきた清軍は李鴻章から厳しい命令を受けてて、もし牙山に到着しても、情勢見て上陸しなくて済むようなら、なるべく示威行為だけする方針だからって言うんだけどさ、清の士官とかって自分の国が大国なのを誇るだけで外の世界の事知らないから、上陸すればどうなるかなんて考えないで先を争って勝手に上陸し、蹂躙に均しい行為をするに違いなく、清国出兵に使われる朝鮮人と近くの農夫カワイソス。」
つうか、小さな国でも外の世界の事知らない奴らもいますが・・・。
大体、清を呼び入れたのは誰なんだ、と。(笑)

「大体さ、一番恐れるべきなのは、清が一旦上陸の切っ掛けを作れば、ロシアもチャンスと見て元山や永興とか、北方の便利の良い場所に兵を上陸させないかどうかとか、諸大臣の考えがそこまで行かない事にがっかりだよね。」
それ以前に、東学党の乱も鎮圧できない朝鮮政府にがっかりだよね。(笑)

「今さぁ、清兵借りる事について反対派が増加してきたから、閔泳駿も非常にやましいところがあるようで、兵を借りる話を一変して、清国に上陸を見合わせろと言おうって提議して、それを今会議してるらしいけど、ここまで来て今更上陸中止を清国にお願いしても、恐らく聞いちゃもらえないでしょ。
それに袁世凱なんかは、最初自分で兵を率いて征伐に行っちゃる!とか言ってたくらいだから、今閔泳駿が言ってるような朝令暮改っつうか、子供の遊びのような話に同意する筈もなく・・・。
結局清兵は上陸して、将来の様々な弊害は、ここから始まるに違いない。」
当たり前だ。( ´H`)y-~~
つうか、こいつ等はこいつ等で、どうしろと言うんだろう?

国分が退出しようとすると、安駉壽は「俺、今回弾薬を買い入れるために日本に行けって言われたから、一番早い便で出発する予定。
そのうち打ち合わせしたいんだけど、まず教えておくね。」と
で、呼び出し受けて王宮に行く準備をしてる。

これが、4年位してようやく事の本質に気付き、高宗を退位させて純宗にしようという上疏なんかに向かう事になるわけですね。(笑)


途中&今日も早めですが、ここまで。



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東学党の乱(十)    東学党の乱(三十)    東学党の乱(五十)
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東学党の乱(十三)  東学党の乱(三十三)  東学党の乱(五十三)
東学党の乱(十四)  東学党の乱(三十四)  東学党の乱(五十四)
東学党の乱(十五)  東学党の乱(三十五)  東学党の乱(五十五)
東学党の乱(十六)  東学党の乱(三十六)  東学党の乱(五十六)
東学党の乱(十七)  東学党の乱(三十七)  東学党の乱(五十七)
東学党の乱(十八)  東学党の乱(三十八)  東学党の乱(五十八)
東学党の乱(十九)  東学党の乱(三十九)  東学党の乱(五十九)
東学党の乱(二十)  東学党の乱(四十)    東学党の乱(六十)


東学党の乱(六十八)

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前回の袁世凱の言を見るに、なんか必死だねという感想しか出てこない私は、多分ひねくれ者です。( ´H`)y-~~

さて、今日も杉村臨時代理公使から陸奥外務大臣への、1894年(明治27年)6月8日付『機密第82号』の別冊から、まずは「杉村臨時代理公使之書翰」とされる『別紙甲号』から見てみたいと思います。
ただし、何故か欠落してるページがあるんですよねぇ。
ま、取りあえず。

慰廷仁兄大人如面啓者日來屡承

聞照知會一切感泐莫名至此次奉派貴國兵未悉業由山海關登程來韓否并聞貴國兵除到牙山下船分另有到群山下船之隊云々此果屬確毫否又聞於前日貴國理事前赴南地時率領七八十名貴國人内有帶軍器者云果如是則莫非貴國兵若干業有先計此地而然者耶此原屬據風聞而測度而己即希將前關各節詳細見示以解迷惑萬幸々々大鳥公使大約可於明後日或後日抵仁方此公忙之際瑣續情神之處客再晤分也肅此專布併候 (以下欠文)
慰廷ってのは、袁世凱の字(あざな)らしい。
内容的には、清国軍を派遣するって聞いたけど、もう山海関を出発して朝鮮に来てるってマジ?
それから、牙山に上陸する部隊の他に、群山で上陸する部隊も居るって聞いたけど、マジ?
それから、噂だと清国の理事が南方に向かう時、武器を携帯した清国人7~80人を率いていたっていうけど、最初から清国軍がその地方に行くのを計画していたんじゃねぇの?
まぁ、全部風聞によるものなんだけど、回答ヨロ、と。

山海関を出発した話は、2月6日のエントリー等で見られ、2月18日のエントリーで力武商店の屯浦出張員が、6月6日には水原沖合に来てるって言ってましたなぁ。

次の、群山に上陸する部隊云々ってのはちょっと見あたらない。
強いて言えば、2月6日のエントリーで大院君が「法聖・群山・木浦の3ケ所より来る事確かなり」と言ってたくらいかなぁ。

最後の清国理事が兵を率いて云々の話は、2月7日のエントリーで見ることが出来ますが、7~80人ってのは船から下りた仁川兵であって、戦地に向かう兵の話ではありませんでしたね。

続いて、これに対する袁世凱の回答、『別紙乙号』に移ります。

杉村臨時代理公使の書函に対する袁氏口頭の回答

袁氏曰く、只今杉村大人の書函に接したるも、書柬の回答にては盡し兼る所もあれば足下の来館を乞へり。
因て、先づ右書翰に対する回答を為すべし。
我国の兵は、本日を以て聶氏兵500名を率ひ塘沽を発したれば、明日は到着すべく、又葉氏は1,100名を率ひ明日山海関を発する筈に付、明後日は到着の筈なり。
而して、右は孰れも牙山より上陸の手筈なり。
尤も、最初は群山へ上陸の方好都合なりしも、全州既に陥りたる後なれば、最早全州に向ふの必要もなく、又当方より牙山に出迎之人員万端の仕度整ひ居りて、群山には何の用意も無之故、無論同処に向ふべき筈なし。

次に我理事を公州へ出張せしむるに付ては、通信の為め電信技手1名、此に属する人夫若干、其他賄方及従者を召連れたる外、当館より巡査4名及街上取締の巡査12名を弓率したれば、合計20余名の人員を連れ行きたるのみ。
決して7、80名の多数の人員を引連れ行きたるにあらず。
又軍器携帯云々は、只だ公州着の上、唐理事は前途探偵の為、前述引連れたる巡査と共に出張する事あるべければ、万一の準備の為め銃器を携帯せるまでにして、兵丁云々とは更に関係なき次第なり。
右様の銃器は、各々護身の為め所有する事。
猶、貴国商人に在ても此位のものは所有し居る事なるべし。
貴国政府へ出兵通知し、或は昨日李中堂より電報を発せられたる由。
貴公使へも、貴政府に於て右知照に接せられたる事故、已に電報ありし事と想像す。
如何んや。
返事。
袁世凱は、書翰貰ったけど、文書の回答だと書ききれないとこもあるから、来てもらったんだよ、と。
お前が来い。(笑)

兎も角、これで鄭書記生が袁世凱の所に行って、話聞くわけですね。
で、今日聶が清国兵500人を率いて天津を出発したので、明日には着くだろう、と。
また、葉は1,100人を率いて明日山海関を出発する筈なので、明後日到着する筈。
で、どっちも牙山に上陸する手筈、と。

最初は群山に上陸した方が都合良かったんだけど、全州も陥落しちゃった後なので、もう全州に行く必要無いし~。
牙山には出迎えの人員を向かわせて準備万端整ってるけど、群山には何の用意もしてないので、勿論群山に行くわけも無く。( ´H`)y-~~ プハー
これが杉山の書翰での清国兵出発の話と、群山上陸部隊の話に対する回答。
ぶっちゃけ、日本がこれまで入手した情報と、あまり相違無い気がします。

次に、清国理事の公州出張の話。
出張したのは、理事、電信技手1名、人夫若干名、賄い方、従者の他、清国公館の巡査4名と街上取締りの巡査12名の合計20余名だけで、決して7~80名なんて大人数引き連れて行ったんじゃないよ、と。
んー、街上取締りの巡査ってことは、清国で朝鮮の警察権の一部も持ってたのかな?

で、武器携帯に関しても、公州に着けば偵察のために巡査と一緒に出張する事もあるだろうから、万一のための護身用に武装してるだけで、兵士とか全く関係無い。
日本の商人だって、その位のものは持ってるでしょ?と。

最後に、出兵通知についてはもうやったから、杉村にも既に電報あったと思うけどどうよ?と。
んー、面白い話が全く無ぇ・・・。


で、この後、一番長い「国分書記生が朝鮮人を歴訪して聞取りたる談話」についての『別紙丙号』があるんですが、取りあえず今日は早めに。



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東学党の乱(三)    東学党の乱(二十三)  東学党の乱(四十三)  東学党の乱(六十三)
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いつの間にか、最初このサイズにしたいと思っていた文字サイズが追加され、丁度良い大きさになってたり。
昔の記事も、このスキンで大をポチッと押せば文字が大きくなり、何か見やすくなったんじゃないかと思います。

さて、この頃になると、東学党の居る全羅道や忠清道ばかりじゃなく、京城でも怪しい話が色々と・・・。
ってことで、今日は杉村臨時代理公使から陸奥外務大臣への、1894年(明治27年)6月8日付『機密第82号』より。
非常に長いので、取りあえず分割しながら見ていく事に。

清国出援に付韓廷不服党の運動並袁氏の密話

朝鮮政府が清兵借来に至りたる顛末は、本月6日附機密第81号信に縷述致候処、其後探聞する所に拠れば、諸大臣(閔氏にあらざる)を始め政府部内には、不意の出来事に驚き異議を唱ふるもの有之。
就中、若し清兵入韓せば日本必ず出兵す可く、然るときは俄兵も亦入韓す可きに付、将来朝鮮は各国の戦場と為る可しとの説は最も勢力を占め、之が為め閔氏内々顧る所ありて、清兵来韓しても姑く其上陸を差止む可しとの姑息案を提議したるも、清国は素より之を諾す可き模様なく、去6日7日の両夜とも、王宮に於て諸大臣の大会議を開きたる趣に有之候。
将又清兵出来に付ては、外国人にも之を非難するもの有之。
殊に我政府の挙動は、袁世凱氏の予期外に出でたる様子にて、同氏も近頃内々心配を懐き居るやに被察候。
別冊国分書記生が朝鮮人を歴訪して聞取りたる談話、并袁氏が鄭書記生に対して為したる密話は、其内情を窺ふに足る可くと存候間、御参考の為め右申進候也。
『機密第81号』は、2月8日のエントリー2月9日のエントリーの2日に渡って見た、清国への出兵依頼の顛末の話でした。
で、その後探った結果、閔氏以外の諸大臣を始め、政府部内では閔泳駿の単独暴走に驚いて、異議を唱える者がある、と。
まぁ、当然ですわな。( ´H`)y-~~

で、とりわけ清兵が朝鮮に入れば、日本は必ず出兵するだろう。
そうなればロシア兵も朝鮮に入ってくるだろう。
そうなれば朝鮮は各国の戦場となるだろうという説が最も勢力を持ち、この為閔氏はそれを内々気にしており、清国兵が朝鮮に来ても、しばらく上陸を差し止めようという、姑息な案を提議。
尤も、清国は当然そんな話は相手にもしない、と。
自分等で公文で出兵依頼してますからねぇ・・・。

で、この上陸差し止めの話は、2月16日のエントリーでは「上陸中止要請したと見せかけるための偽造」と思われていたわけですが、今回は、他の大臣の圧力から閔泳駿が逃げるために、姑息な案に出たんだ、と。
まぁ、日本の出兵を止めるという観点では、二つの話は矛盾しないんですが、いずれにせよ清国にも日本にも通用する筈が無いわけで。(笑)

で、6~7日の2夜にわたって王宮で諸大臣会議を開いた模様、と。
清国の出兵については、外国人にも非難する者が居る。
特に日本の挙動については、袁世凱の予想外だったようで、最近密かに心配しているように見える、と。
んで、別冊のとおり国分書記生が朝鮮人から聞いた話と、袁世凱が鄭書記生にした密話は、その内情を知るのに足りるだろうと思い、報告します、と。

ってことで、別冊の方を。

6月7日鄭書記生袁氏と応対筆記
別紙甲号、杉村臨時代理公使之書翰に対し、袁氏は同乙号之通り口上にて回答を述べ終りたる末、同氏辞を改めて曰く、扨我一己の私談として今より腹蔵なく談話致すにより、貴方よりも何事も隔意なく話されたし。
昨日、俄国代理公使の話に拠れば、我国此度の出兵に付、日本政府よりも当国に兵を繰出し貴国の兵に拮抗すると云へば、一方には賊兵を討じ、一方には日兵を防がざるべからず、御注意ありたしとの事に付、我は大に笑て曰く、目下日清の間に何の理由ありて兵を交ふるの必要ありや。
若しありとするも、必ずしも此国に於て干戈相見るの必要なかるべしと答へたり。
今朝又或る外人我に向て曰く、日本は支那の出兵に対し、又必らず軍艦を此国に送りて将に貴国に不利あらんとす云々。
我曰く、聞く日本政府は大鳥公使を派し、巡査20名を率ひ軍艦に搭じ将に来らんとすと。
夫れ我国今回の出兵は、当政府の依頼に依り已むを得ず之を承諾したるまでにして、我れより之を求めたるにあらず。
素より日本は軍艦を出し、我兵援兵の景況等を視察するは当然の事なれば、之を以て直ちに我れに不利なるものあらんとは云ひ難かるべし。
且つ大鳥公使とは、以より極めて親密の交際を為し、深く大局に達したる人なるを信じ居れば、同氏にして来らるるを以て見るも、日本政府の他意なきを知るに足るべしと答へ置きたり。
此外北京に於ても、各国公使中我總理衙門に向て種々離間が間敷事を告るものありとて、過般同衙門より注意ありしも、我に於ては断々として如此事あるを信ぜざるなり。
又日本軍艦は、戒厳して砲門を開くの準備整ひ居れりとか、又は京城の日本官吏より、各居留民へ弾薬300発を給与せりとか、種々の説を聞きたる事多し。
然れども、余以謂く我国の形勢は陸は欧州各国と接攘し居るのみならず、浜海の地のみにて実に7、8,000里に渉り、自国を防禦するに汲々として余日なし。
而して此国が小国なるにも拘はらず、沿海亦7、8,000里に渉る故に、此国を有するも之を守り得る乎得ざる乎は、実に衆人の知る所なり。
何を苦しんで、自ら能はざる事をなすものあらん。
此を以て見るも、我国が此国を如何に処するやは瞭然たるべし。
然れども、万々一日清外之国をして此土地を占領せしむる事あらば、東方全局之一大変たり。
故に、一は以て此国に於ける我に貿易を維持し、一は以て他人の手出しを防ぐに在り。
想ふに、日本とても我国と同感にして、先年伊藤伯と我李中堂との間に於て、此国に対し利害相関するの点を研究せられ、日清の平和を保つべしとの懇談もありし事なれば、此国に関する事より貴我両国は平和を破らんことを望むも、決して破るべからざるの関係ありとす。
今や幸に、大鳥公使と不日にして相見る事を得べし。
我は今日迄の事情を漏さず設営して、我が二心なきを明らかにすべし。
他人の離間説を信じ、雙方隔意を生ずるが如き事あらば、瑣末の小事より遂に此国に於て貴我の平和を失するに至るべし。
此れ即ち他人の策に乗ぜらるるものにして、雙方の不利、恐らくは此より甚しきものなし。
若し杉村君にして他の間言を聴かれ、我に疑ふところあらば、何事にても無遠慮尋ねられたし。
我答にして他日相違の事あらば、実に相対するの面目なからん。
請ふ、君帰て之を杉村君に語れ云々。
杉村の書翰、別紙甲号と、袁世凱の回答、別紙乙号は後ほど出てくるので省略。
で、肩書き関係なしに一個人としての話と前置きした上での談話。

6月6日、ロシアの代理公使の話によると、清国出兵に対抗して日本も朝鮮に出兵した場合、一方では賊の討伐をし、もう一方では日本兵を防がなければならず、注意しろ、と。
袁世凱は笑って答え、今日清間で何の理由があって交戦する必要があるだろうか。
もし有ったとしても、必ずしも朝鮮で激突する必要無ぇだろ。( `ハ´)y-~~

さらに6月7日の朝、ある外国人が袁世凱に、日本は清国の出兵に対して必ず軍艦を朝鮮に送ってきて、清国が不利な状況になるんでねぇの?と。
これに対しては、日本は大鳥公使を派遣して、巡査20人を率いて軍艦で来るそうだ。
清国の今回の出兵は、朝鮮政府の依頼で仕方なく承諾しただけで、清国から求めたわけではないよ。
元から日本が軍艦を出して、清国の援兵の状況をうかがうのは当然の事で、これが直ちに清国の不利とは言い難い。
しかも大鳥公使は、私とは前から極めて親密な交際をしており、事情通である事を信じてるので、大鳥公使が来るって事を見ても日本政府に他意が無い事は充分分かるだろ。( `ハ´)y-~~

で、北京でも各国公使の中で清国の總理衙門に向かって色々離間策のような話をする者がいると、先日總理衙門から注意あったけど、私は断固このような事があるとは信じていない。( `ハ´)y-~~

日本軍艦は、厳戒態勢で既に砲門を開く準備が整っているとか、京城の日本官吏から居留民へ、弾薬300発を至急したとか、様々な説を聞くことが多い。
しかし、私が思うに清国は陸で欧州各国と繋がってるだけでなく、海岸線だけでも実に7~8,000里にわたり、自国防衛に汲々としている。
しかし、朝鮮は小国であっても海岸線7~8,000里にわたるため、朝鮮を占領しても守る事ができるかできないかは、もうみんな知ってる、と。
なんでわざわざ苦しんで、自分から出来ない事する奴が居るだろうか。
これを見ても、清国が朝鮮をどのように処置するかは、明らかだろ。( `ハ´)y-~~

しかし、万一日本と清国以外の国が朝鮮を占領する事があれば、それは東洋の一大変事だ、と。
従って、一つには朝鮮での清国の貿易を維持し、もう一つには他人の手出しを防ぐのが重要。
思うに、日本も清国と考え方は同様であり、去年伊藤博文と李鴻章の間で、朝鮮に対する利害が互いに係わる点を研究して、日清間の平和を保とうという懇談もあったので、日清両国は、朝鮮に関する事で平和を破ることを望んでも、決して破る事は出来ない関係にある、と。

幸い、近々大鳥公使と会えるし、今日までの事情を漏らさずに述べて、清国が2心ないのを明らかにしたい。
他人の離間説を信じて、片方に隔意が生まれるような事があれば、些細な事で朝鮮での日清の平和を失う事になるだろう、と。
んで、杉村君も他の話を聞いて清国を疑うところがあれば、何でも遠慮なく言ってきてね。( `ハ´)y-~~

端々に「朝鮮如きで」という感情が伺えるのは、気のせいですか?(笑)


ってところで、今日はこれまで。



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