朝鮮戸籍及寄留例規(六)

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さて、面白い話は9月28日のエントリーで終わってしまいましたので、後はサクサク進めて、今日で終わっちゃいたいと思います。
それでは今日も、朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」の続きから。

【画像4】

【1429】
家を異にする者の氏定まりたる場合の、氏の更正方。

(戸2.3.28)(昭和15年9月監督書記事務打合会決議)


五七 昭和14年府令第221号第3條第2項の更正に付、当事者より戸籍謄抄本を添付の上申出(職権発動を促す意味に於て)ありたる場合、更正して差支なきや。

決議
差支なし。
んー、内部の監督書記の打ち合わせの際の決議だけあって、専門的すぎて良く分からん。
昭和14年府令第221号第3條第2項に書いてるとおり「但し更正することを妨げず」ちゃうんかい、と。(笑)

【画像4】

【1430】
戸主相続届出前に為したる氏の届出は有効なり。

(戸2.3.28)(昭和15年9月監督書記事務打合会決議)


五九 新戸主より戸主相続届出前に為したる氏設定届は有効なりや。

決議
有効なり。
んー、これは旧民法というか朝鮮民事令的にどうなんだろう?
戸主権を、戸主相続の届出以前に行使可能かという問題になると思うんだけど、戸主が隠居した場合なんかは当然に届出が必要条件になるんだろうけど、死亡による戸主相続の場合は、届出の有無に係わらず死亡という実態が相続開始要件って事で良いのかな?
調べるの面倒臭いので、余り深く突っ込まずに「フーン」ということにしておきましょう。(笑)

【画像4】

【1431】
錯誤に因り戸主と為りたる戸主の氏設定届の効力、及其の復活戸籍に於ける氏の記載方。

(戸1.2.29)(昭和16年7月30日附京城地方法院開城支庁判事稟伺 同年8月8日附法民乙第458号 法務局長回答)


戸主相続権なき者が戸主となりたる戸籍に於て、当該戸主が昭和14年制令第19号附則第2項の期間内に設定届を為したる氏の効力に関し、左記両説あり。
甲号を相当と思料せらるるも、尚氏に関する戸籍記載例に付ても他に適切なる先例等見当らず、聊か疑義有之たるに付、何分の■御回示相仰度此段稟伺す。

甲説
戸籍上戸主たることの記載が錯誤なること明なる場合に於ても、当該戸主の為したる氏の設定届は之を受理せざるべからず。
而して、一旦之を受理し戸籍記載を為したる上は、其の家を表彰すべき氏は定まり、従って戸籍訂正に依り前戸主の戸籍を復活し、戸主たりし者が其の家を去り又は其の家に止まる場合たるとを問はず、其の家の称呼たる氏に変更を来すものにあらず。
故に之を無効とするは、氏制度の趣旨に反するを以て有効なり。

乙説
錯誤に因り戸主となりたる戸主と雖氏の設定届を為し得べきも、戸主相続権なき者、即ち錯誤に因る戸主相続は無効にして、当然前戸主の戸籍に復活せらるべく、此の場合復活戸籍には、前戸主の旧姓其のものを以て戸籍を編製するの外なきを以て、此の点に於て無効なり。


回答

首題稟伺の趣了承。
僭称戸籍相続人の戸主権の行使として為したる法律行為中、少くとも第3者に対する法律行為を除く以外の法律行為は、戸主相続の回復に依りて当然無効に帰するを以て、前戸主の戸籍を回復する場合に於ては、昭和14年制令第19号附則第3項の規定に依り氏を定め、之が戸籍記載を為すべきものと思考す。
(乙説の通)
戸主権を持たない者が、錯誤等により戸主として氏の設定届をした場合の対応について。

甲説は、戸主の記載が錯誤だと明らかな場合でも、その戸主が出した氏の設定届けは受理しなければならない、と。
まぁ、これまでも錯誤に関して、戸籍記載通りに取り扱う事になってましたからね。
で、その場合にも一旦届けを受理して戸籍記載してしまった以上、その家の呼称が定まったのであって、前戸主の戸籍を復活したからと言って元に戻すのは、氏制度の趣旨に反するから有効だ、と。
こちらを開城支庁の判事は相当だと考えてるんですね。

一方乙説は、同じく錯誤の場合であっても戸籍通り取り扱っても、錯誤による戸籍相続は無効であり、当然に前戸主の戸籍を復活した場合、前戸主の旧姓により復活戸籍を編制するのが当然だ、と。
こちらを法務局長は採るんですね。
さらに届出期間は勿論過ぎてますので、昭和14年制令第19号附則第3項の規定「前項の規定に依る届出を為さざるときは、本令施行の際に於ける戸主の姓を以て氏とす。」によって、姓をそのまま氏として戸籍記載すべきと考える、と。

んー、どの辺が日本式の氏の強要なんですかねぇ・・・。(笑)

【画像4】

【1432】
氏制度施行前絶家と為りたる家族が一家創立したる場合、原戸籍及新戸籍には氏更正の記載を要せず。

(戸2.1.21)(昭和16年10月釜山戸籍事務協議会決議)


氏制度施行前絶家又は家消滅したるも、未だ除籍せられざる家籍に在る者が、届出期限経過後一家創立の届出を為したる場合、絶家又は消滅したる家籍及一家創立に因る新戸籍に、氏更正の記載を要するや。

決議
氏更正の記載を為すことを要せず。
うーん。
戸主相続人が居ない場合に他に戸籍記載者が居る状況って、どんな状況なんだろう?
兎も角、そういう場合であって届出期限を過ぎた後に一家創立の届出をした場合、新しく調製する戸籍には氏更正の記載は不要だよ、と。
ここも、あまり深く突っ込まないで先に進みましょう。(笑)

次で、最後になります。

【画像4】

【1433】
氏の更正を為す場合の戸籍に記載すべき日附。

(戸2.3.27)(昭和16年10月裁判所戸籍主任会議決議)


五〇 氏の更正を為す場合、戸籍に記載する日附は昭和15年8月11日とすべきものなるに不拘、実際に更正を為したる日附を記載したるものあり。
之を其の儘となし置くも差支なきや。

決議
差支なし。
これまでの記述を見るに、氏の設定届けを出した場合は訂正。
姓がそのまま氏になる場合には更正と呼ばれ、厳密に分けられております。
そうであるなら「実際に更正を為したる日附」ってのは実に興味深い記載ですね。

勿論、9月25日のエントリーでの戸籍謄本や戸籍抄本の交付を請求による戸籍記載の更正という可能性はありますし、更に事後に姓を氏にする処理を行うわけですから、その日付である可能性は、当然あります。
また、これが当初からの疑問点である氏の設定率の統計に、どのように絡んでいるのかも不明。

尤も、こういう記載がある以上従来の言説の確認作業というものが必要になると思うんですがねぇ。
逆に、氏の設定率の統計が所謂「設定創氏」が氏の設定のみを指しているとしても、従来の姓を氏とする場合には「更正」になるんだから当然であって、日本風(内地人式)の氏を政策的に強要したという論拠にはならんよ、という反論も可能ですな。

宿題も結構あって、不明点も多かった今回の連載再開でしたが、得た物は多かったようです。


ってことで、今回はここまで。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)
朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件
高元勳
朝鮮戸籍及寄留例規(一)
朝鮮戸籍及寄留例規(二)
朝鮮戸籍及寄留例規(三)
朝鮮戸籍及寄留例規(四)
朝鮮戸籍及寄留例規(五)


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朝鮮戸籍及寄留例規(五)

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前回、金英達氏の論拠は否定しましたが、当然まだどっちなのかは分かりません。
まぁ、放っておけば勝手に姓が氏になったわけで、戸籍謄本や戸籍抄本の交付を請求でも問題にならないということは、好きこのんでわざわざ届け出る人は実態として殆どいないとは思いますがね。

ってことで、今日も朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」の続き。
今回は続けて2つ。

【画像3】

【1424】
未就籍者も、昭和15年8月11日以後は其の姓と同じき氏を有す。

(19.5.47)(昭和15年4月22日各地方法院長、各支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


(第1244項掲出)


【1425】
氏設定に伴ひ名を変更する場合、氏届出期間を失する虞あるを以て、先づ氏設定届を先に為さしむるを適当とす。

(19.7.33)(昭和15年6月33日各地方法院長、各支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


(第1134掲出)
嗚呼。
第6節しか入手して無かったよ・・・。_| ̄|○

まぁ、最初の【1424】はタイトルどおり、未就籍者も届出期限以降は姓と同じ氏を有するってことなんだろうけど、戸籍に載ってない人に関する規程って、何か意味あるんだろうか・・・?
次の【1425】については、創氏改名強制論者でも名前については強制ではなかったと認めている話。
尤もこれは、差別を残すせいとか阿呆な事言ってる人が居ますが、じゃあ皇民化政策って結局何やねん、と。(笑)
つうか、韓国でも親しい間では名前で呼び合うわけで、それが変わらなかった事に何の問題があるんですか、と。
どうせ話を作るんなら、もっと上手く辻褄合った話を考えて欲しいですな。(笑)

【画像3】

【1426】
無籍者の氏設定届は受理すべからず。

(19.7.33)(昭和15年6月3日各地方法院長、各支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


一乃至四(略)

五.無籍者の氏設定届は之を受理せしめざること。
これ、さっきの【1424】と関連しそうに見えますが、多分未就籍者の場合父又は母の戸籍に入る予定がある者を指し、無籍者は本当に戸籍が無い者になるのかな?
日本の戸籍法だと、無籍者については新戸籍を編製する事になってますが、朝鮮戸籍令ではどうだったんでしょうねぇ。
いづれにしても、無籍者の氏設定届は受理しない、と。

【画像3】 【画像4】

【1427】
名の変更許可申請の理由と異る氏の届出あるも受理差支なし。

(19.7.33)(昭和15年6月3日各地方法院長、各支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


首題の件に関し、京城地方法院開城支庁判事より、別紙甲号の通照会あり。
同乙号の通回答したるに付、為参考通知す。


(甲号) 氏設定名変更に関する件 (昭和15年5月27日法務局長宛 開城支庁判事照会)

首題の件に関し左記事項疑義有之に付、如何に取扱ひ可然哉、至急何分の御回示相仰度此段稟伺す。

一.氏の設定届出前、「平山」なる内地人式氏と定めたき理由あるを以て名変更許可申請を為し、之が許可ありたる後氏設定届を同時に提出するに■り、名変更許可申請書記載の氏、即ち「平山」なる氏と異なる例えば「松本」なる氏設定届を為す場合、之が氏設定届は受理し差支へなきものと思料せらるるが如何。

二乃至四(略)


(乙号) 氏設定名変更の取扱に関する件 (昭和15年6月3日開城支庁判事宛 法務局長回答)



一.差支なし

二乃至四(略)
氏設定届けを出す前に「平山」っていう氏にしたいからという理由で名の変更許可申請を提出し、その許可後に氏設定届けを理由とは異なる氏で出した場合、その氏設定届けって受け取るしか無いと思うけどどうよ?という疑義に対して、うん、そうだね、と。
まぁ、珍しい事例ではあるんでしょうな。

【画像4】

【1428】
在外帝国公館に於て、法定期間内に受理したる氏設定届の送付を受けたるときは、期限経過後到達するも受理すべし。

(19.11.49)(昭和15年9月18日各地方法院長、各支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


在満帝国大使館に於て、法定期間内に受理したる氏設定届を本府外事部長経由の上、本籍地府邑面に送付したる処、期限経過後到達したるの故を以て之を返戻する向少からざるも、右は朝鮮戸籍令第49條に依り適法の届出なること勿論なるを以て、自今斯る不当の措置なき様留意せしめられ度く、尚昭和14年朝鮮総督府第221号第3條第1項但書の規定に依る戸籍記載の更正は、氏設定を為さざりしこと明なる場合に非ざれば之を為し得ざること勿論にして、従ふて本籍地外居住者に付ては当分の間更正を為すべきものに非ざるも、若し既に斯る更正を為したる後、前記の如き氏設定届書の送付を受けたるときは、職権に依る戸籍訂正の手続を執らしむる様、管下府尹邑面長に相当指示相成度し。

追て自今在外帝国公館に於て受理したる戸籍届書類を返戻せんとする場合に於ては、先づ之を監督裁判所に提出せしめ、監督裁判所に於て其の適否を調査したる上、本府外事部長経由返送せらるる様致したし。
もう既に、氏設定期間を過ぎた9月18日の通牒ですんで、面白くはならないようで。(笑)

まぁ、長々と書いてますが、要は在外公館で期限内に受け付けた届けが、自分のとこに到着したのが期限後だからって返戻すんな、と。
更に、朝鮮以外で朝鮮民事令の改正等が周知徹底されているかといえば、恐らくそうではないわけで、氏設定をしない事が明白な場合に戸主の姓をそのまま氏とするんだから、本籍地外に住んでる者が氏設定届を出したら、職権で戸籍訂正の手続きをとる様に管轄の府尹邑面長に指示しなさい、と。
半島外在住朝鮮人に対する緩和措置ですな。

で、手続き方についても、在外公館で受け付けた戸籍届書類を返戻する場合は、監督裁判所で審査を受けてから返送しろ、と。
お役所仕事防止。(笑)


さて、今日はここまで。
次回で再び一旦休載予定。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
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朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
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朝鮮戸籍及寄留例規(四)


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朝鮮戸籍及寄留例規(四)

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はい。
今日は前置きなしで朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」の続きを。

【画像2】 【画像3】

【1423】
依用すべからざる旨定められたる氏を用ひたる届出の効力。
傭女、傭人等、戸籍記載に依り其の家の家族に非ざること顕著なるものを除き、錯誤に因り入籍したる者も戸籍訂正を為さざる限り其の家の氏に更正す。
制令第19号附則第2項、朝鮮人戸主には一家を創立したるに非ざる女戸主をも包含す。
新羅、高麗等を依用したる届出は、受理せざるを可とす。
内地人式読方を為し得る姓を氏と為す届出を強て為す場合は受理す。
戸主死亡し、未だ絶家とらざる戸籍の氏の更正方。

(19.5.48)(昭和15年4月22日各地方法院長、各支庁(除開城)上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


首題の件に関し、別紙甲号の通京城地方法院開城支庁判事より照会あり。
乙号の通回答したるに付、御了知相成度為参考通知す。


(甲号) 氏の設定に関する件 (昭和15年3月18日法務局長宛 開城支庁判事照会)

首題の件に関し、左記の通り疑義有之に付、至急何分の御指示相仰度此段稟伺す。

一.府尹邑面長、左記に違反したる氏の届出を受理し、戸籍記載を為したる場合、朝鮮戸籍令第28條の適用ありや。
 (1) 昭和14年訓令第20号第1條。
 (2) 御歴代の御諡号、白河、東山等を氏としたるもの。
 (3) 昭和15年1月16日「昭和14年制令第20号及同年朝鮮総督府令第222号の運用に関する件」通牒中の左記の2。

二.昭和15年1月16日附前記通牒中、「顕著なる神宮名又は神社名、歴史上及現代の功臣の氏に付ては、通牒例示以外のものに付実務上に於ては如何なる範囲に制限せしむべきや。

三.戸籍上「傭女」「傭人」等の附籍者又は家族たる者の連子にして他家の相続人たる者、他家の家族が錯誤に因り其の家に入りたるものに付、戸主が氏の届出を為したるとき、及姓を氏とし記載を更正するに■りては、之等錯誤が戸籍上明白なるものに付ても、悉く氏に関する更正、訂正を為すべきや。

四.制令第19号附則第2項朝鮮人戸主中には、一家を創立したるに非ざる女戸主をも包含せらるるや。

五.往古朝鮮に於ける国名たる新羅、高麗等を依用したる氏の届出は、受理し差支なきや。

六.林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ、強て届出を為す場合は受理するの外なきや。

七.相続に因り戸主となりたる単身戸主、氏制度実施前又は氏確定前死亡(3年内は絶家の手続を為し得ず)したる場合、氏の届出期間を経過し府尹邑面長が姓を氏としたるに付為す戸籍の記載の更正は、亡戸主欄に為すべきや。
若し一家創立すべき家族ある者に付ては、之が記載を為さざるときは、氏確定せざるものと思料せらる。
尚、此の場合の氏は如何に定むべきや。


(乙号) 氏の設定に関する件 (昭和15年4月22日開城支庁判事宛 法務局長回答)

首題の件、左記に依り了知相成りたし。

一.(1)朝鮮戸籍令第28條の適用あり。
 (2)、(3)右の適用なし。

二.戸籍事務取扱者の適切妥当なる判断に依るの外なきも、努めて寛闊なる取扱を為すべし。

三.傭女、傭人等戸籍記載に依り其の家の家族に非ざること顕著なる場合を除くの外、錯誤に因り其の家に入りたる者と雖も戸籍訂正の手続を為さざる限り、其の家の氏を称するものと■ふべく、従て之が戸籍記載を更正すべきものとす。

四.貴見之通。

五.可成受理せざるを可とす。

六.貴見之通。

七.戸主死亡し、未だ絶家と為らざる家に付、昭和14年制令第19号附則第3項の規定に依り姓を以て氏としたるときは、府尹邑面長は単身戸主なると否とを問はず、亡戸主の事項欄に左の如く記載し(事項欄の記載のみを以て足る)、家族に付ては一家を創立すべき者なると否とを問はず、昭和14年本府訓令第2号様式の記載を為すべし。
氏の届出を為さざるに因り昭和十五年八月拾壱日何を氏とす。
現在北朝鮮にある、開城の判事の疑義と法務局長によるその回答が、各地方法院や各支庁に送られた形となっております。

まずは、府尹邑面長が3つの例示に違反した氏の届出を受理して戸籍記載しちゃった場合、朝鮮戸籍令第28條の適用はあるのか、と。
相変わらず、朝鮮戸籍令のちゃんとしたものは見れて無いんですが、漢字ハングル混じりのテキストを見かけたので、それを見ると、どうやら一度記載してしまった戸籍の訂正等の規程のようです。
というか、これ9月25日のエントリーの【1418】とほぼ同義じゃないかと思うんですがねぇ。
要は、御歴代御諱又は御名と、一家創立の場合以外に戸主の姓じゃない姓を氏にした場合だけは、当然法令違反になりますので訂正等の処置対象になるんですが、9月25日のエントリーの【1416】のように法令で定められているわけじゃない縛りは、受け付けちゃったらそのままね、ということですな。

二つめは、9月25日のエントリーの【1416】中での「顕著なる神宮名又は神社名」とか「歴史上及現代の功臣の氏」とかって、基準は何よ?という疑義に対して、現場の人に任せるけどなるべくおおらかにね、と。
こういう質疑応答って、現場の担当者困るだろうなぁ・・・。(笑)

三つめはちょっと難解っぽく見えるけど、要は戸主が氏の届を出したり姓を氏として記載更正した場合には、戸籍上で他人と見なされているものはそのまま。
錯誤などであっても、戸籍上その家の者とされていれば、戸籍訂正の手続きしない限りそのまま戸籍更正しなきゃ駄目っていう、当たり前の話。

四つめも当然の話で、6月19日のエントリーの制令第19号附則第2項「朝鮮人戸主(法定代理人あるときは法定代理人)は、本令施行後6月内に新に氏を定め、之を府尹又は邑面長に届出づることを要す。」の戸主には、女戸主も含まれますよ、と。
それ以外どうせいっちゅう質疑ですな。

五つめ。
昔の国名である、新羅とか高麗なんかを氏とした届出は、受理しても差し支えない?という疑義に対し、成るべく受理しない方が良いなぁ、と。
9月25日のエントリーにおける、【1416】等の制限事項としては決められていなかった話なんでしょうね。
つうか、ここでも「可成」とか、何故か曖昧にしちゃう。(笑)

そして六つめ。
これが、9月25日のエントリー冒頭で紹介した、金英達著の『創氏改名の研究』における「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」の話。
ところが、金英達氏の引用部分である「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」では質疑は終わってないわけで。
「強て届出を為す場合は受理するの外なきや」という続きがあって、「貴見之通」と。

つまり、届出が必要無い場合であっても、強いて届出が出されれば受理せざるを得ない。
金英達氏が、この引用元からどうやって「戸籍窓口の実際においては、そうした創氏届は受理しなかったことが推測される。」という結論を導き出したのか、とても不思議。(笑)

部分引用で日本批判?
それとも史料記述が読めない?
これに言及せずマンセーしかしてない水野直樹や宮田節子って、馬鹿?


氏の設定は内地人式しか許可されてなかったという、もっとクリティカルな史料載せとけば良いのに。
俺の手間ばっか増えるじゃん。(笑)

ってことで最後の7つめ。
届出等出す前に戸主が死亡したときの手続き事例。
とりあえず、単身戸主であっても家族がいる戸主であっても、亡戸主の事項欄に「氏の届出を為さざるに因り昭和十五年八月拾壱日○を氏とす。」と記載。
その家族については、昭和14年本府訓令第2号様式の記載をしなさい、と。
嗚呼、また宿題が増えた・・・。_| ̄|○  (笑)

ということで、金英達氏の「戸籍窓口の実際においては、そうした創氏届は受理しなかったことが推測される。」という主張について、引用は部分引用であり、実際には正反対の事が書かれてましたとさ。
ま、まだ朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」は残ってますので、連載はもう少々続きます。


今日はこれまで。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)
朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件
高元勳
朝鮮戸籍及寄留例規(一)
朝鮮戸籍及寄留例規(二)
朝鮮戸籍及寄留例規(三)


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朝鮮戸籍及寄留例規(三)

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疑問点というか、宿題が増えていくばかりの今回の連載。
困った。( ´H`)y-~~
ま、不定期連載って最初から言ってるから、後から悠長に調べてみようっと。(笑)

ってことで、今日も朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」の続きを。

【画像2】

【1420】
従来の姓にして内地人式の読方を為し得るものを氏と為す場合、届出及戸籍記載に之を明にする要なし。
右の如き姓を他姓の者に於て氏と為すことは差支なし。

(19.3.40)(昭和15年1月26日咸興地方法院長稟伺 同年2月6日法務局長回答)


首題の件に関し左記の通疑義有之に付、何分の御指示相仰度此段稟伺す。



一.林、柳、南、桂の如き姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地人式の読み方を以て氏と為さんとする場合、届出及戸籍記載に付之を明かにするの要なきや。

二.他姓の林、柳、南、桂等を内地人式の読み方に従ひ氏と為さんとするには、昭和14年制令第20号第1條第2項の、自己の姓以外の姓を氏として用ひんとするものに該当すと認め、許すべからざるや。


回答

首題の件、左記に依り了知相成りたし。



一.其の要なし。

二.差支なし。
9月25日のエントリーで取り上げた、金英達著の『創氏改名の研究』における「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」の話とはまた別の話です。

まず1番目。
林、柳、南、桂のような姓の者が、内地人式の読み方で氏の設定を行おうとする場合、届出や戸籍にはその旨書くの?という疑義に対して、いや、イラネ、と。
そもそも戸籍に読みが必要なわけでもなく、さらに理由の記載も要りませんってことでしょうね。
というか、この時点で既に林、柳、南、桂のような姓の者が、そのままで届出する場合について想定されているわけで、「事実上、設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていた」とする論拠としてはふさわしくないですな。

次に、他姓の者、つまり金さんや朴さんが林、柳、南、桂等の氏を設定しようとする場合、昭和14年制令第20号第1條第2項「自己の姓以外の姓は、氏として之を用ふることを得ず。」に引っかかるとして、却下なの?と。
これに対しては、いや、問題ないよ、と。
んー、要は林、柳、南、桂等は内地人式の氏と見なされてるって事だろうなぁ。
良く言われる「南太郎」と創氏改名するのって、現場ではどうか分かりませんが、法令上や質疑応答上では不可能ではないんですな。

【画像2】

【1421】
金氏、韓姓女等の称呼を有する女子の家が創氏したるときは、右「氏」、「姓女」等は其の儘に為し置くの外なし。
姓を以て氏と為す場合、姓を朱抹して新に氏を記載する要なし。

(19.3.41)(昭和15年1月25日咸興地方法院長稟伺 同年2月9日法務局長回答)


首題の件に関し左記の通疑義生じたるに付、何分の御指示相煩度此の段稟伺す。



一.金氏、韓姓女等の称呼を有する女子の属する家に氏設定せられ、姓を朱抹したる場合、右「氏」、「姓女」等の処置如何。

二.姓を以て氏と為す場合に於ても、戸主の姓を抹消の上新に氏を記載するを要するや(例へば金 朱― 金某等の如し)。


回答




一.其の儘と為し置くの外なし。
但し、努めて命名届を為さしむる様取計はれたし。

二.其の要なし。
朝鮮の女性に名前が無かったという話は頻出なわけですが、1940年に入ってもやはり無いままの人も居たんでしょうなぁ・・・。
ということで、金氏や韓姓女といった呼び名の女性がいる家が、氏を設定し姓を朱書きで抹消した場合、「氏」とか「姓女」とかどうするよ?という疑義に対して、まぁそのままにしておくしか無いでしょう、と。
勝手に名前付けるわけにもいきませんからねぇ。
ただ、当然その場合には、なるべく命名届を出させるように取りはからってね、と。
まぁ、当たり前の話。

次。
姓をそのまま氏にする場合も、戸主の姓を抹消して新しく氏を記載する必要があるのかという疑義に対してイヤ(゚⊿゚)イラネ、と。
9月25日のエントリーでの戸籍謄本や戸籍抄本の交付を請求による戸籍記載の更正を念頭に置いているのか、この後8月に訪れる法定創氏のための疑義か、姓をそのまま氏とする届出がある事を念頭に置いているのかは分かりませんが、普通に姓を氏とする場合の質疑応答があるってのは、面白いですなぁ。

【画像2】

【1422】
氏設定届の取扱方。

(19.3.45)(昭和15年3月15日各地方法院長、同支庁上席又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


府邑面に於ける戸籍届書類の取扱方に関しては従来屡注意を促したる処なるも、尚之が取扱振に付非難の聲を聞くは頗る遺憾とする所なり。
殊に氏設定に関し、職業の記載方又は府尹邑面長の氏名の記載洩、其の他戸籍の記載に支障なき些細なる錯誤遺漏等を理由として届書の返礼を為す向等ありて、届出人の蒙る煩労少からざるのみならず、氏設定届受理の際寄附を強要し、又は氏設定届書の返戻に際し之が戸籍抄本交付手数料を返還せざるが如き事例ありて、半島統治上一時代を画すべき氏制度の運行上、人心に及ぼす悪影響少なからざるものあり。
各位に於ては、一層監督を厳にし、斯る不当の処置なきを期せられたし。

追而■下府邑面戸籍事務管掌者に対しても、右の趣旨伝達相成度。
氏の設定で、職業の記載や府尹邑面長の名前の記載洩れなんかの、直接戸籍記載に関係ない些細な誤記や遺漏で届書の返戻って・・・。_| ̄|○
しかも氏設定届を受理するときに寄附を強要・・・。_| ̄|○
氏設定届書の返戻に当たって、戸籍抄本交付手数料を返還しない・・・。_| ̄|○
_| ̄|○ ばっかりです。(笑)
悪辣な日帝ですね!(笑)

つうことで、そういう不当な処置をしないように一層監督を厳しくし、各所管府邑面の戸籍事務管掌者にもその旨伝達しろ、と。


今日はこれまで。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)
朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件
高元勳
朝鮮戸籍及寄留例規(一)
朝鮮戸籍及寄留例規(二)


朝鮮戸籍及寄留例規(二)

テーマ:

前回から再開した創氏改名の連載。
朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』の中から、「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」を見ております。
その続き。

【画像1】

【1417】
氏の届出受理件数報告記載方

(19.2.58)(昭和15年1月25日各地方法院長、各地方法■支庁上席判事又は一人の判事宛 法務局長 通牒)


昭和14年本府訓令第77号(朝鮮人の氏の設定に伴ふ戸籍事務取扱方に関する件)第5條に依る報告には、(イ)氏別件数表、(ロ)職業別件数表の外、左記の表追加提出せらるる様致度。

(ハ)所在地別件数表
 一 鮮内居住者  件
 二 内地居住者  件
 三 満州居住者  件
 四 支那居住者  件
 五 其の他     件
総督府訓令第77号「朝鮮人の氏の設定に伴ふ戸籍事務取扱方に関する件」も見ないと駄目だねぇ。
宿題が増える。(笑)
兎も角、これによって後に統計資料が作られるんですね。

【画像1】

【1418】
受理すべからざる氏を誤て受理したる場合は、昭和14年制令第20号第1條に該当するものの外、其の儘に為し置くべし。

(19.2.56)(昭和15年2月1、2日釜山地方法院管内戸籍事務協議会決議)


氏の設定に付ては、昭和14年制令第20号第1條の規定以外に制限したる例示多数あり。
斯る氏の届出を誤って受理したるときは、其の措置如何。

決議
昭和14年制令第20号第1條に該当するもの以外は、受理したる以上其の儘と為し置くの外なし。
前回も見ましたが、昭和14年制令第20号第1條以外にも色々と留意事項がありました。
しかしながら、明確な法令違反となる昭和14年制令第20号第1條に該当するもの以外は、受理しちゃったら仕方ないからそのままにしておくしか無いよね、と。
当然の話ではあるんですが、多分過酷な統治の一環なんでしょう。(笑)

【画像1】 【画像2】

【1419】
氏の届出件数報告は本籍人のみにて足る。
外国人式の姓或は従来の姓名を其の儘依用する氏の届出は適法ならず。

(19.2.56)(昭和15年1月26日清津地方法院長稟伺 同年2月6日法務局長回答)


首題の件に関し左記の通疑義有之に付、至念御回示相煩稟伺す。



一.監督裁判所が氏の届書の送付を受けたるときの訓令第77号附録第4号書式の報告は、本籍人のみにて足れりや。
又は本籍人、非本籍人たることを問はず報告を要するや。
若し然りとせば、本籍人、非本籍人に区別し報告すべきや。

二.氏の届書又は氏名変更の届書竝に更正報告に依り為すべき戸籍副本の更正は、戸籍事務取扱規程第10條に依り戸主の姓の氏名のみにて足れりと思料す。

三.氏の設定に付、外国人式の姓或は従来の姓名を其の儘依用することは、立法の趣旨に反するものと思料す。
然らば、訓令第77号附録第4号書式、氏別、三其の儘の氏、とは前項を除く単に内地人式と認め得べからざるもの(例へば、本貫或は■■地等を用ひたる場合の如きもの)のみを指すものと思料す。


回答

首題稟伺の件、左記に依り了知相成りたし。



一.本籍人のみにて足る。

二.貴見の通。

三.貴見の通(但し、本貫又は■■地の名称を用ひたる氏と雖も、内地人式と見做し得るものも存し得べし)。
1については、先ほどの総督府訓令第77号で報告するのは、本籍が当該監督裁判所管内にある者だけで良いのか、届出を受けたものは全て報告するのかという疑義に対し、本籍人だけでよいよ、と。

次に2。
って、今度は戸籍事務取扱規程を調べなきゃ駄目か・・・。_| ̄|○
現代日本で言えば、戸籍の正本は市区町村で、副本は管轄法務局で保存されている。
新戸籍を調製した場合なんかに、市区町村長が管轄法務局等に副本を送るわけです。
で、氏の届出書や氏名変更の届出書、更正報告によって行う戸籍の副本の更正は、戸主の姓の氏名だけで良いよ、と。
「戸主の姓の氏名」が既に分からない。(笑)
推測すれば、各届出は戸主が行うわけで、それに附随する副本の更正も戸主の分だけで良いよって話だと思うんだけどなぁ。
ま、やっぱり戸籍事務取扱規程か・・・。

続いて3。
氏を設定するに当たって、外国人のような姓や従来の姓名をそのまま使うのは、立法の趣旨に反すると思うんだけど、そうすると総督府訓令第77号の付録第4号書式の氏別の「3.其の儘の氏」って、外国人のような姓や従来の姓名をそのまま使ったものを除く、単純に内地人式の氏以外のもの、例えば本貫や(発祥地?出身地?)等を用いた場合を指すんだと思うんだけど、どうよ、と。
これに対して、その通りだけど、ただ本貫とか使ってても内地人式の氏と見なせるものもあるよね。

後述するけど、前回の金英達の「設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていた」の論拠としては、こっちの方がマシな気がするんだよねぇ。
ただ、文中「姓と姓名」については区別されてるっぽいので、論拠とするに微妙だったのかな?
というか、これも総督府訓令第77号見なきゃ駄目か・・・。

※2008.6.24補記
「三.其の儘の氏」と読んでましたが、正解は「三.其の他の姓」でした。
ついでに、「一.従前の姓と同一の氏」と別途記載あり。
「論拠としては、こっちの方がマシな気」は、気のせいでした・・・。
_| ̄|○


なんか、宿題が増えただけの気もするけど、今日はこれまで。(笑)



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
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朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
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朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件
高元勳
朝鮮戸籍及寄留例規(一)


朝鮮戸籍及寄留例規(一)

テーマ:

不定期連載を掲げていた創氏改名の連載です。
ちょいと前、某サイトの掲示板でヒントを頂きまして、その結果辿り着いたお話。

まずは、金英達著の『創氏改名の研究』から一部抜粋してみます。

朝鮮総督府法務局の『氏制度の解説』(1940年2月)には、次のように解説されている。
「<期間内に氏を届出でなかった場合はどうなるか>
昭和15年8月10日迄に氏の届出を為さなかった場合は、2月11日に於ける戸主の姓がそのまま氏となります。従って従来の金や李をそのまま氏としたい者は届出をしないで放って置けば良い訳です。」

実務上では、「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」という1940年4月22日付の法務局通牒(7)でうかがわれるように、戸主の姓をそのまま氏とする創氏届は必要ないとされており、戸籍窓口の実際においては、そうした創氏届は受理しなかったことが推測される。

ということは、事実上、設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていたのである。
この、「法務局通牒(7)」の出典が、朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規(朝鮮戸籍協会 1943年12月)』になります。
内容的には例規集なわけですが、取りあえず金英達氏の根拠となっている文は後回しにして、『朝鮮戸籍及寄留例規』の「朝鮮民事令中戸籍條規及朝鮮戸籍令 附記 第6節 氏の設定」について、順に見ていきたいと思います。
画像、ちょっと小さめだけど、その辺は勘弁。

【画像1】

第6節 氏の設定
(民令附則(昭和14年制令第19号)、朝鮮人の氏名に関する件(昭和14年11月制令第20号)、朝鮮人の氏の設定に伴ふ届出及戸籍の記載手続に関する件(昭和14年12月府令第221号))

【1415】
戸主の姓又は前男戸主の姓を以て氏としたる戸籍に付、氏の校正未済のまま其の謄抄本の交付請求ありたるときは、之が校正を為したる上作製交付すべし。
従前の戸籍中、「本貫」欄は「姓及本貫」に訂正すべきものとす。
氏設定に因る戸籍訂正の記載は、新戸籍に移記を要せず。
氏の届書は、10日毎に取纏め、監督裁判所に送付すべし。

(19.2.56)(昭和15年1月10日各地方法院長、各地方法■支庁上席又は一人の判事宛 法務局長通牒)


氏の設定に伴ふ戸籍事務の取扱に付ては、左記事項留意せしめられたし。



一.昭和14年制令第19号(朝鮮民事令中改正の件)附則第3項に依り、戸主の姓又は前男戸主の姓を以て氏としたる戸籍にして、昭和14年朝鮮総督府令第221号(朝鮮人の氏の設定に伴ふ届出及戸籍の記載手続に関する件)第3条第1項但書の規定に依る更正手続未済のものに付、其の謄本又は抄本の交付請求ありたるときは、同規定に基く戸籍記載の更正を為したる後之を作製交付すること。

二.戸籍中「本貫」欄を「姓及本貫」に訂正し「本貫」の次に「姓」を挿入するに当り、欄内に記入し難きときは欄外に記入を為すも差支なきこと。

三.新戸籍編成の場合に於て、氏設定に因る戸籍の訂正の記載(届出を為さざる場合の戸籍の更正を含む)は、之を新戸籍に移記するを要せず。

四.氏の届書に付ては(朝鮮戸籍令第27條及戸籍事務取扱準則第18條の規定に拘らず)、10日毎に之を取纏め、監督裁判所に送付せしむること。
まずは1。
これが、6月21日のエントリーで設定創氏が必ず日本風の氏であるという俗説に、最も疑問だった点。
本来の戸籍業務上どう処理すんの、と。
自動的に姓が氏となる8月まで待てというのは理不尽だろうと思ったわけ。

最も、ここで明確に書かれている通り、戸主の姓や前男戸主の姓を氏にする事にした場合、戸籍謄本や戸籍抄本の交付を請求されたら、戸籍記載の更正をした後謄本や抄本を交付しなさい、と。
特に設定届けは必要ありませんでした。
ウリの予想、外れ。(笑)

次は戸籍の訂正方法に関する件。
一応、戸籍の画像はToron Talkerさんの所からお借りして置いておきます。

戸籍

この戸籍は法定創氏のものなわけですが、「氏の届出を為さざるに因り昭和15年8月11日李を氏としたるに付更正す」と記載があり、先ほどの戸籍記載の更正ってこういう感じなのかな?

次が、新戸籍を編成する場合について。
新戸籍を編成する時は、設定創氏の場合の戸籍訂正の記載も法定創氏の場合も含めて、新戸籍に書く必要は無いよ、と。
新しく独立して一家創設した場合とかの話かな?

4番目が、氏の届出書は10日ごとに取りまとめて、監督裁判所に送りなさい、と。

【画像1】

【1416】
用ふることを得ざる氏

(19.2.56)(昭和15年1月16日各地方法院長、各地方法■支庁上席又は一人の判事宛 法務局長通牒)


氏に関する諸法律は、本年2月21日より施行せらるる処、氏の設定及氏名の変更に付ては、左記事項留意の上之が運用に遺憾なきを期せられたし。



一.御歴代 御諱及 御名は別表の通

二.氏の設定に付ては、御歴代 御諱 御名の外、御歴代の追号、皇族の宮号、王公族の称呼、顕著なる神宮名又は神社名(例へば伊勢、櫃原、宮崎及靖國等)、皇室に由結深き家(例へば近衛、鷹司等の如き5摂家及久邇、■■等臣籍に降下せられし家)、歴史上及現代の功臣の氏(例へば東郷、乃木、西園寺)等を使用したるときは之を受理せしめざること。

三乃至六(略)
6月21日のエントリーでやった、制令第20号の第1条第1項で言われたものより、さらに細部にわたる留意事項ですね。
結構縛りがあります。
というか、これ韓国人に説明するの面倒くさそう。(笑)


今日はこれまで。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)
朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件
高元勳



んー、アジ歴が再開するまで10日以上あるのに、終わっちゃうなぁ・・・。
まぁ、考えても仕方ないんで、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』を取りあえず終わらせちゃいたいと思います。

目下の政況

民会、已に聲を収めて以来、当国の政況は意外に平穏にして、皇帝は少権謀少術数に余念なく、在朝在野の政治家も徒に蝸牛角上の小党争を以て其日を過すの有様なり。
而して、現内閣は寧ろ比較的に鞏固にして、且つ皇帝の信任を有するものの如し。
但し、民会の一派は、皇帝政府が民会の解散に際し声明したる条項の、一も実施せられざるを見て、機会に乗じて再発せんと企つるものなきにあらずと雖、万民共同会の首なるものは已に多くは時の非なるを見て敢て起たず、末流に至りては多少運動に飽き奔走に疲れたるの観なきにあらざれば、更に一の好題目を捉へ来るに非ずんば、今更蜂起するの気勢を有せざるものの如し。
現在の状況は意外に平穏。
高宗は小さい権謀術策に余念無く、政治家もつまらない小競り合いで日々を過ごす。
駄目だ、こりゃ。(笑)

ただ、現内閣は比較的強固で高宗の信任もある。
万民共同会の一派は、高宗が解散の際に約束した事を一つも守らないので、機会があれば再起しようとする者が無いわけではないが、主な者は時機ではないとして敢えて起たず、末端の者に至っては運動に飽きて、奔走に疲れた観が無いわけではなく、何か起きなければ再び蜂起する気力も無いだろう、と。
んー、やっぱり駄目だ、こりゃ。(笑)

つうか、この頃李承晩が投獄されてる筈なんですが、話題にものぼらねぇ。(笑)

顧って各国使臣の態度を観察するに、米国公使アレン氏は在韓10余年。
能く当国事情に通じ、又如何にして韓国上下の感情を害せずして自国の利益を獲取すべきやの秘術を知れるの人也。
所謂米国派なる青年政治家は、多く氏に頼りて自家の勢を張らんとし、アレン氏亦た之れを利用して己れの手足をなし、両々相待って氏の勢力及び皇帝の信任等、実に大なるものあり。
而して、前任シル公使が常に露公使と結託して我政策を阻害したるに拘はらず、氏は就任以来勉めて本官と交誼を敦ふし、互に友助を与へ居れり。
目下帰朝中。

仏公使、英公使、独領事に至りては、利害の干係自ら異るものあるによりて、政治上に於ける勢力の範囲は、日米露3国使臣の如くにあらず。
従って、之れを韓京政界の一勢力として論述するを要せざるも、但だ露公使バウロフ氏は着任日浅きに拘はらず、北京以来の名声、自ら人をして其の何事か仕出来すならんとの感想を起さしむるを得て、氏の挙動に就ては内外人斉しく注目を怠らず、其一挙一動は多少の波動を政界に与ふるを見る。
過去3ヶ月内に於て民会の声を収めたるに乗じ、厳尚宮が皇后に冊立せられんとの希望と、趙秉式、閔種黙の野心とは、所謂露国派の躍起運動を来し、従って露公使は其黒幕、寧ろ傀儡師たるやの感ありしと雖、氏は趙、閔の徒の不人望は殆んど極点に達し居れば、彼等を助けて彼等が受くべき悪名を分担■するを不利なりとし、遂に充分の尻押はなさずして止みたるが如し。
但だ、氏は曰く「朝鮮には外交は不用なり」と。
乃ち、勉めて宮中府中の好感情を求むるに汲々とし、多年来の懸案たりし捕鯨用借地一件に就て稍々強硬の態度を示したる以外には、何等顕著なる行動に出ざりしものの如し。
氏、目下賜暇帰朝中、上海露国総領事ドミトレウスキー氏臨時代理公使たり。
此人は、東洋にあること20余年。
頗る事情に精通すと雖、寧ろ学者的の人物にして其他に著明なる特調を発見せず。
要之今漢城政界の有様は、当国にしては近年稀なる静謐と云ふべし。
是れ盖し日本に在る亡命者と連絡を有せる民会の一派、及安駉壽部下等の一団と、露国の勢力を後楯とせる趙秉式、閔種黙等の一団とは常に両極端にあり、利害相反するを以て自然に政界の中心点を保てるのみ。
一旦其の一方に高圧力の加はるあるに至らば、政界の紛擾又た昨年の如きものあるべし。
是れ駐韓日露公使が、慎重の態度を持続するか否にありて決定せらるべき問題なり。

日韓両国の干係、上下官民の区別なく其国家の接近せる如く、個人も日に益々近接し来り。
従って、貿易も漸次増進し、各港市に於ける本邦人の総数2万に達せるのみならず、各種の目的を有して内地にあるもの皆な平穏に其業務に従事することを得べし。
顧みて本官就任当時の状況を回想し之れを比較するときは、彼の我に対し我の彼に対する状態の差異、実に著しきものありと存ず。

以上は、本官が在任3ヶ年間に取扱ひたる著大なる事務の概要なり。
不敏不詳、固より赫々の功を奏する能はざりしと雖、排日本感情の最熾なるときに来り感情融和の目的を達し、日韓親和の今日に於て去る其間漸次我地歩を進むると同時に、我に背馳せる勢力と利益の拡張を多く阻害して、幸に大過なきを得たるは、素より我陛下の御稜威の然らしむる所なりと雖、又た歴任の本省大臣に於て能く本官の意見を容れ、時に応じ事に臨みて必要なる訓令指揮を与へられたるに由らずんばあらず。
而して、直接には我公使館員、間接には各港の領事館が克く本官の意を体し、職務に精励して本官を補佐したるの功績は、本官が之れを報告するに於て極めて満足する所なり。
右、及具申候也。
区切る程の内容でも無いので、一気に最後まで引用してみました。

アメリカ公使のアレンは、もう在韓10年余りだ、と。
『アレン小伝』によれば、韓国に来たのは1884年(明治17年)9月に京城米国公使館付医師になったのが最初のようである。
その後、甲申事変で閔泳翊等の治療に当たったり、春生門事件で1月15日のエントリーのように水兵を率いて王宮方面から帰ってくる所を見られたりというエピソードの持ち主。
当然韓国の事情にも精通し、またどうすれば韓国上下の感情を悪くせずに自国の利益を獲得するかという秘術を知っている人だ、と。
俗に言う米国派の青年政治家は、多くはアレンに頼って自分の勢力を広げようとし、一方でアレンはこれを利用して自分の手足として使い、双方相まってアレンの勢力と高宗の信任等は非常に大きい。
で、アレンの前のシルはウェベルと結託して日本の政策を邪魔してきたが、アレンは就任以来加藤と交誼を深め、お互いに助力しあっている、と。

フランス公使、イギリス公使、ドイツ領事については、利害関係が異なる事から政治上の勢力は日米露の3カ国使臣とは違い、これを韓国政界の勢力として論述する程ではない。
ただ、ロシア公使パブロフは着任して日が浅いのに、北京駐在の頃からの名声で人々に何かしでかすだろうという感想を与え、その挙動は内外人が皆注目し、多少の波動を韓国政界に与えているようだ、と。
過去3ヶ月以内に万民共同会が活動していない状況に乗じて、厳尚宮の皇后に冊立してもらおうという希望と、趙秉式や閔種黙の野心が相まってロシア派の必死な運動が起き、ロシア公使パブロフがその黒幕というより傀儡師のように感じると。
ただ、趙秉式や閔種黙なんかは、その人望の無さはほとんど頂点に達してるので、彼等をわざわざ助けて自分にまで悪評が及ぶのを恐れて、最終的に充分な後押しができずに「躍起運動」は終了したようである。
この辺、「帝国の迷走」では扱わなかった範囲なんだけど、確かに盛り上がりというか「フーン。で?( ´H`)y-~~」くらいで終わるような有様だったので、カットしたわけで。

で、パブロフ曰く「朝鮮には外交は不用なり」と。
んー、当時の朝鮮に関しては極めて正しい手法。(笑)
結局朝鮮に於いては、外交的に問題を解決しようとする日本より、高宗や閔妃、厳尚宮なんかの歓心を買うだけのロシアの方が、有利に話を進める事が多かったわけで。
まぁ、高宗自体が気分屋なので、情実だけで外交するのも限界があるわけですがね。
ということで、パブロフは宮中府中の好感情を求めるのに汲々として、長年懸案事項だった捕鯨用の借地の話でやや強硬姿勢を示した以外は、全く顕著な行動に出なかった、と。

要するに、現在の韓国政界は韓国としては近年まれに見る静かさだ、と。
高宗は小さい権謀術策に余念無く、政治家もつまらない小競り合いで日々を過ごしてても、韓国としては静謐なんです。(笑)
これば、日本に居る亡命者と紐帯のある万民共同会の一派や安駉壽の部下等の一団と、ロシアを後ろ盾にする趙秉式や閔種黙等の一派が、いつも両極端に居るため政界の微妙なバランスが取れているに過ぎず、一度その一方に高圧力が加われば、政界の紛擾はまた1898年のようになるだろう、と。
これは、日本公使、ロシア公使が慎重な態度を保持し続けるかどうかに賭かってる、と。
つうか、それぞれ両極端の勢力がバランス保ってたら、ほとんど前には進みませんわな。

いずれにしても、日韓関係は上下官民の区別なく、個人も日々接近してきた、と。
貿易も漸次増進して、各港市に在住する日本人の総数2万に達するだけでなく、各種の目的で内地に居る者も、皆平穏に従事している。
加藤が就任した当時の状況から較べれば、雲泥の差だ、と。
露館播遷中の就任ですから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)

で、最後に各方面の協力について記して、加藤増雄の在韓公使時代の話は終了となるわけです。
政治的にも大混乱な状況であり、ロシアとの関係においても非常に困難な時期にあって、これだけの事を行ってきた加藤増雄。
もうちょっと知られても良い人物ではないかな、と思ったりする今日この頃です。


おしまい。



加藤増雄の在韓時代(一)
加藤増雄の在韓時代(二)
加藤増雄の在韓時代(三)
加藤増雄の在韓時代(四)
加藤増雄の在韓時代(五)
加藤増雄の在韓時代(六)
加藤増雄の在韓時代(七)
加藤増雄の在韓時代(八)
加藤増雄の在韓時代(九)
加藤増雄の在韓時代(十)
加藤増雄の在韓時代(十一)
加藤増雄の在韓時代(十二)
加藤増雄の在韓時代(十三)
加藤増雄の在韓時代(十四)



加藤の回顧に関する今回の『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』も、既に連載14回目。
ってことで、今日もはりきって行きましょう。

引続き本官は、在朝の有力者及び民会の首領と度々交渉仲裁を尽したる末、結局政府に於ては民会の輿望に■ふべき人士を多少政府に採用し、且つ今後漫りに民会員に対して、危害を加へざるべしとの担保を与ふる迄の譲歩をなさしめ、民会に伺っては漫りに国情の紛擾を加へんよりは、徐々に退きて政府の果して弊政の改革を実行すべきやを監視せよと説き、同時に政府方の腕利き閔泳綺と民会の首領高永根、尹致昊等の間に胸襟を開きて融和せしめ、延きて民会の重立ちたるものをも説得し、密に政府に勧めて韓文新聞紙を買収せしめ、其筆法を一転して政府弁護に勉め、以て民論の気炎を殺ぎたり。
如斯昼夜斡施尽力の結果、遂に旧■12月25日、即帰任後10日にして民会は自ら鐘路の集会を解散し、政府は閔泳煥、朴定陽を収容して民意に副ふを勉むることとなり、漸く紛擾一段落を見るに至り■り。
爾来今日に至る迄幸に民会の再興を見ず、政府も割合に手強く秩序を維持し得るを以て、無事に経過し来れるを得たりと雖、民会派も菲政改革の実挙らざるを機として、稍もすれば再び起たんとするの気鋒を示すこと一再にして止まらざれば、不遠多少の紛擾を見るやも計られず。
この辺は、9月3日のエントリーのとおりですね。
政府側には万民共同会に信頼されている者を入閣させ、且つ今後は万民共同会の参加者に危害を加えない担保を与えさせる。
万民共同会側に対しては、紛擾事件をむやみに起こすよりは、一歩引いて政府がちゃんと弊政改革するかどうか監視しろ、と。
で、反目が著しい政府の閔泳綺と万民共同会の高永根や尹致昊を会見させて融和を図り、さらに万民共同会の重要人物を説得。
一方で政府にはハングル新聞を買収させて政府弁護させる事により、世論が先鋭化するのを防がせる、と。

こうした加藤の尽力で、ついに12月25日に万民共同会は鐘路での集会を解散。
政府は閔泳煥と朴定陽を入閣させて万民共同会の意に沿う事に勉め、ようやく紛擾は一段落、と。
それ以来今日まで万民共同会は再興しておらず、政府も手堅く秩序維持をしており、無事に経過してきているが、万民共同会も秕政改革の実効が挙がらない事を切っ掛けに、ややもすれば再起しようという動きがでるのも再三あるため、遠からず多少の紛擾を見るかも知れない、と。

だから、弊政改革しろ、と。(笑)

木浦海壁築造一件

本件は、元来木浦・鎮南浦租界章程に拠りて当国政府の義務に属する事業にして、其義務を果さしめたるに過ぎざれば、其自体に於て必ずしも重要なりと云ふ能はざれども、何分其規模の比較的に大なると、財政に困難せる当国政府に於て費用を支出せしむるとの為めに、最近難件の一となりたるなり。
初め木浦開港の実施さるるや、其位置の恰好なると港湾の適当なる為め、間もなく邦民多数の往住を見るに至り、朞年ならずして居留民の数千に達したる杯、殆ど他に比類なき長足の進歩をなしたり。
而して、彼等は先づ居留地区の買収に対し皆資本の大半を固定したるも、海壁にして成るなくんば此等の土地は概して埋立に着手する能はず、空く固定資本を抱きて拱手し居らざる可らざる有様なるを以て、同港駐在久水領事は、其居留地会頭たる資格を以て堅牢持久の海壁設計を提出し、主席公使たる本官より韓廷に向って工事着手を要求せんことを申請せり。
韓廷は、固より国費多湍の折柄、一開港場の海壁工事に10万円に近き金員を支出すべき意なきは勿論なれども、木浦の経営は即ち殆んど本邦人の経営にして、海壁の利益は本邦人民が殆んど全部を享受すべきものなるを以て、本官は主席の地位を利用して本件の進行を計企し、先づ各国使臣の同意を得て公然韓政府に照会し、且つ内部より種々の秘密手段を以て其結局に勉めたれども、何分開港の事務は凡て総税務司ブラオン氏の管掌にあるを以て、当局官吏を相手としては到底妥協の見込なきを認め、更に交渉の方向をブラオンに転じたるには昨年7月にして、海壁を築造せんことは、他の使臣の思惑も如何あらんと躊躇せしも、本官は種々の方面より之れを論説交渉し居る中、9月に至り本官は一事帰朝したるに拠り、不在中日置臨時代理公使は、漸次交渉の歩を進め、大体に於て同意を得、設計をも認めしむる迄に運びたり。
12月本官が帰任するに及んで、日置書記官を以て尚ほ交渉を継続せしめたる結果、遂に工費の全部9万5,000円を韓国政府より支出し、工事は一切木浦各国居留地会に一任することに妥協したる上、久水居留地会頭の上京を促し、結局本案の調印を見るに至りたり。
工事は、居留地会より更に日本人に請負はしむることとなるべければ、海壁其物の利益と共に、其工費は木浦に於ける本邦人を潤すべきに付、両途に於て木浦に於ける我邦の経営上、極めて有利の事たるべし。
本官は、本件に関しては特に日置書記官が能く本官を助けて、這般の好結果を収めたる功労を認めずんばあらず。
木浦鎮南浦租界章程って何?と思ったものの、アジ歴は当然お休み中。
しかし、世の中便利なもんで、他にも知る手だてはあるんですな。
ってことで、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに、1906年(明治37年)総督府編『韓国ニ関スル条約及法令』というのがあります。
その中で、「鎮南浦及木浦各国居留地規則」というのがあります。
漢文になっている条文の方のタイトルが「鎮南浦・木浦各国租界章程」であり、調印日が1897年(明治30年)10月16日調印ですので、おそらくはこれでしょう。

つうか、大韓帝国になった直後に史料中のような条約っておかしいと思ったら、「各国」なのね。
278画像目には、閔種黙、加藤増雄、アレン、スペール、プランシー、ジョルダン、クリーンと名前が見られます。
まぁ、取りあえず第1条の該当部分を抜き出してみましょう。

海壁及埠頭

海壁及埠頭は、該港の為め必要ある時に方り、必要なる場所に於て韓国政府之を建設し、且其の費用を以て之を維持修繕すべし。
右海壁及埠頭竝に貨物の陸揚及取扱の為め埠頭に属する開放地の部分は、税関事項に限り韓国政府の管轄に属し、一切の課税を免ず。
但点灯及警察事務は、居留地会之を行ふ。
附属の地図を見ても良く分からんのだけど、泥地部分を埋め立てる話なのかな?
まぁ、兎も角当該規則においては、ご覧の通り海壁の設置は韓国政府の義務なわけで、その義務を果たさせただけなので、それ自体は重要じゃない、と。
しかし、規模もでかいし韓国政府には金は無いしで、結構交渉が難しい件になったんですね。
いや、それ以前に「朝鮮国ニ於テ日本人民貿易ノ規則(日朝通商章程)」とか、「暫定合同条款」とか、「日韓協約」その他諸々、約束を守らせる方が困難だと思ったり。(笑)

木浦開港以来日本人の多くが住むようになり、貿易港として有力になる。
で、日本人は居留地の買収の手当も済んだのに、海壁が出来なければ埋立に着手できないため、手をこまねいている状態であり、木浦駐在の久水領事が木浦居留地会頭の資格で海壁設計図を提出した上、加藤に工事着手を韓国政府に要求してくれ、と。
まぁ、韓国政府には金も無いわけで、一つの港の海壁工事に10万円近い金を出す意志が在るはずもなく、また木浦はほとんど日本人の経営であり、海壁作っても日本人の利益にしかならない。
そこで加藤は、まず各国使臣の同意を得て、公然と韓国政府に照会すると同時に、内部には「秘密手段」で迫って実現を図ったものの、開港の事務は総税務司のブラウンが管掌しているため、当局官吏に言ってもしょうがないってことで、交渉相手をブラウンに絞る。

そんな中で、加藤は日本へ一時帰国する事になり、日置臨時代理公使がその交渉を進め、しかも大筋で合意に達するわけですな。
というわけで、加藤の帰国後も日置に交渉を継続させた結果、遂に9万5,000円の工費全額を韓国政府から支出させ、工事は木浦居留地会に一任させる事に成功。
この件の調印に至った、と。
んー、日置すげぇ。(笑)


今日はこれまで。
次回で終われる・・・かな?



加藤増雄の在韓時代(一)
加藤増雄の在韓時代(二)
加藤増雄の在韓時代(三)
加藤増雄の在韓時代(四)
加藤増雄の在韓時代(五)
加藤増雄の在韓時代(六)
加藤増雄の在韓時代(七)
加藤増雄の在韓時代(八)
加藤増雄の在韓時代(九)
加藤増雄の在韓時代(十)
加藤増雄の在韓時代(十一)
加藤増雄の在韓時代(十二)
加藤増雄の在韓時代(十三)



巷間の独立協会に関する言説って、誰が作って誰が広めたんだろう?
疑問。

ってことで、今日も『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』から。

負褓商との衝突

独立協会の勢力日を追って熾なるや、皇帝及び政府は如何に之れを制御すべきやに極めて苦心したるものの如し。
之れに言論の自由を与へんが、非常の勢を以て菲政の攻撃を試み、民心自ら皇室政府に離背せんとす。
之れが運動を箝制し有力なる会員を鋤去せんが、一層反抗の気炎を高め、市民は一斉閉戸休業以て皇帝の反省を促すに至る。
政府大臣は、協会の鋭鋒に犠牲たらざらんことを勉むるの外に、何等の経論あらざるのみならず、皇帝亦た之れを如何ともする能はざるに至れり。
然れども、若しも皇帝にして誠意誠心能く民意の在る所を察し、奮然として国政刷新の実を挙ぐるの決心と勇気とをおこさば、是実に韓国の大慶事なりしなり。
不幸にもて極めて憶病にして、極めて猜疑深く、嫉妬、自負、軽薄、残虐、凡そ君主としては甚だ不合格なる韓帝は、在廷臣僚以外に趙秉式・閔種黙等の奸細の進言を納れ、協会の存在を以て君威に続すものとなし、如何にもして之れを押潰さんと決心して、遂に内命を伝へて無頼漢の集合たる全国の負褓商を招集するに至りたり。
是より先き、独立協会は已に解散し、更に膨張して万民公同会と化せしを以て、人民の同情を有する民会と、皇帝が内々使嗾せる負褓商との衝突は、民心をして一層皇帝に背かしむると同時、端なく民会を挑発して遂に暴力に対するに暴力を以するものとなられたり。
此際に於て露公使は、先天的非民主主義の見頭より寧ろ皇帝に同情を有し、日英米3国の公使は、各其立脚点より多少民会に同情を有したりしが如し。
独立協会の勢力拡大に連れて、高宗や政府はどう制御するか非常に苦心した、と。
言論の自由を与えれば、凄い勢いで秕政を攻撃して民心は皇室や政府から離れていく。
運動を押さえつけて有力会員を取り除けば、さらに反抗の気運が高まり、市民も扉を閉じて休業して高宗に反省を促す。
政府の大臣は攻撃されないように汲々としているだけで、高宗もまたどうすることも出来ない、と。

つうか、素直に秕政を改めろ。( ´H`)y-~~

当然加藤も、もし高宗が民意を察して誠心誠意国政を刷新しようという決心と勇気が起きれば、これは韓国にとって大慶事だと。
しかし。

「極めて憶病にして、極めて猜疑深く、嫉妬、自負、軽薄、残虐、凡そ君主としては甚だ不合格なる韓帝」・・・。
加藤語録最高。(笑)


ってことで、独立協会の存在に怯えて押しつぶそうと決意し、遂に褓負商の無頼漢を集める事になるんですね。
独立協会は已に解散命令を受けて解散しており、更に膨張して万民共同会に名前を変えており、人民の同情をバックにする万民共同会と高宗の使嗾による褓負商の衝突は、民意は更に高宗から離れていく。
その衝突は、遂に暴力に暴力で対抗するような有様になっていった、と。
この際、ロシア公使は皇帝側、日本・アメリカ・イギリスの3公使は民会側に多少の同情を有していたんですね。
つうか、加藤はこの場には居ないんで、恐らく日置の事なんでしょうけどね。

皇帝の内肯と賃銭との干係より、無意味に雲集せし無頼の負褓商と、其挑発によりて自ら「暴民」と化了せる所謂民会との間に、紛争又紛争を重ねたる結果、遂に収拾す可らざる状態となりたるに至り、皇帝は余儀なくせられて

敦礼門に親臨

し、各国使臣及政府大臣列席の上にて親しく両派の首領を諭し、以て一時の平和と秩序とを回復するを得たり。
然るに、越て2旬、万民公同会は皇帝の誓約一も実行せざれざるを見て、再び奮起して運動を開始し、褓負商亦た其筋の内訓に依りて潜かに屯集し始め、形勢再び切迫せり。
是れ実に

本官帰任

当時の状況なり。
高宗の内命と金銭の関係から、無意味に集まった無頼の褓負商。
その挑発によって、自然と「暴民」になった万民共同会。
已にどっちもどっちになってしまった両者の間で紛争に紛争を重ねた結果、収拾不可能な状態に。
まぁ、はっきり言って単にグダグダなだけなんですが。
ここで、日置曰く「大英断」の敦礼門親臨となるわけですね。
で、高宗主導の褓負商派と万民共同会の双方を諭すという、極めてマッチポンプ的な雰囲気の中、一時平和と秩序の回復を見た、と。

ところが、高宗は約束したことを一つも守らない。
で、再び万民共同会は運動を開始し、褓負商も秘かに集まり始めて、形勢は再び切迫していた、と。
これが、加藤が帰任した時の状況。
やはり、前回の独立協会が道を誤らなければ、腐敗しきった韓国政界の清涼剤として内外の人望を得るだろうという希望は、粉々に砕かれたのでありました。(笑)

実際を云へば、当時皇帝は最早策の出づる所を知らず、政府大臣等は民会の鋭鋒に怯ぢて政務を見ず、凡て無政府の有様なるのみならず、民会と雖、従来の行掛上の不得止騎乕の勢を示すものの、実は寒気の襲来と財政の困難の為めに、稍々持あぐ■の気味ありたる折柄なれば、皇帝・政府・民会挙げて本官帰朝を鶴首、以て問題の解決を見んとせしなり。
本官は極めて自重の態度を示し、仁川着の当時、密勅を奉じて本官へ面談の為め下仁し来れる兪箕煥にも面会せず、只だ時事に関する正確なる状態を研究せんと力めたり。
当時本官の見る所を持ってすれば、民会なるものは既に極端に走り暴民の列に投じたるものにして、其の中に頭角を顕はせる輩は已に雌伏し了りたれば、自余末流軽■の徒は因より取って代りて政府を組織すべき能力と抱負もなく、只だ漫りに民情を擾乱するに過ざれば、断然之れを抑制し、政府をして秩序を回復するの余地を得せしめざる可らず。
又た、負褓商が密旨を楯として跳梁を極め、一般人心に疑愼の念を与ふる如きは、勿論之れを制止せざる可らずと思考せしを以て、帰任の翌々日を以て皇帝に進謁し具さに政見を陳奏したる上、御諮問に応じ、(1)負褓商解散の事、(2)信任ある鞏固なる政府を組織すべき事、(3)弊政改革の事、(4)宮廷の刷新、(5)文明の政綱に則るべき事等を目下の急務として縷述数時間に渉りたる結果、皇帝は大に悟る所あり、一に本官の言に従ふべき決心を示されたり。
又た、此機会に於て皇帝が兼て本邦にある亡命韓人が隠然民会と気脉を通じ、之れを煽動せる由を気遣ひ居られたるに対し、帝国政府は断然右亡命者連を関東に退去せしめ、其行動を充分抑制し置きたることを言上し、帝国政府が民会に■■せるやの疑念を除くを得たり。
実際には、高宗はもう打つ手が無いし、政府大臣は万民共同会にビビッて政務を執らず、無政府状態。
一方で万民共同会もこれまでの行き掛かり上で、騎虎の勢いを示すものの、実は寒気の到来と財政困難のため、これまた打開策が無い状態。
ということで、皇帝も政府も万民共同会も、加藤に問題を解決してもらおうと首を長くして待つような状態に。
この辺、9月1日のエントリーで紹介済みなわけですが、改めて見ても、やっぱりどんな状況やねん、と。(笑)

ここで、加藤は慎重な態度を示し、密勅を持って待っていた兪箕煥にも面会せず、冷静に状況の把握と分析に努める。
結論として、現状の万民共同会は極端に走って暴徒化しており、見込みのある者は已に雌伏しているので、残余の者には取って代わって政府を組織する能力も抱負も無いと判断し、政府側に秩序を回復させる手段をとらせる方が良いだろうと考えるわけですな。
で、高宗に謁見して9月2日のエントリーのように5つ程を目下の急務として奏じるんですね。
で、高宗は大いに悟って、加藤の言に従うべき決心をする、と。
まぁ、いつも通り口だけ大将なんですが。(笑)

一方で、日本に亡命している韓国人が万民共同会と隠然気脈を通じ、煽動しているのではないかという高宗の心配に対し、日本は亡命者を関東に退去させ、その行動を抑止しているので安心してね、と。


今日はこれまで。



加藤増雄の在韓時代(一)
加藤増雄の在韓時代(二)
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