さて今日は、前置き無しで『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/9 明治31年12月13日から明治32年2月17日(レファレンスコード:B03050003600)』を見ていきたいと思います。
1898年(明治31年)12月21日付『発第86号』より。

閣員更迭の件

前報告に亜ぎ、本月1日より同15日迄閣員更迭の概要を■ぐれば左の如し。

1日、漢城判尹尹致昊依願免官となり、李采淵其後を■き、参政朴定陽、宮内大臣閔泳奎、内部大臣閔泳煥、学部大臣李道宰、法部大臣韓圭卨(咼の上にト)、農商工部大臣権在衡、賛政金奎弘、参賛李容稙等亦依願免官となり、法部大臣署理には其協弁李萬教、農商工部大臣署理には其協弁申泰休命ぜられたり。
3日には参賛金明圭、4日には法部協弁李萬教、孰れも宮内府特進官に転じ、内部協弁尹雄烈之れに代り、内部協弁には閔丙漢命ぜらる。
同日、副将閔泳煥参政に、徐正淳、権在衡賛政に、朴定陽農商工部大臣に、沈相薫軍部大臣に、閔泳綺度支部大臣に、金明圭学部大臣に、李根命内部大臣に、朴斉純外部大臣に、而賛政李允用は臨時法部大臣署理并に臨時内部大臣署理に命ぜられ、李容稙復た参賛となれり。
5日、賛政李允用の内部大臣并法部大臣署理を解き、内部大臣署理に其協弁閔丙漢、法部大臣署理に其協弁尹雄烈命ぜらる。
6日、議政趙秉世宮内府特進官に転じ、外部協弁閔商鎬、学部協弁閔泳瓉、各其大臣事務署理を解く。
7日、宮内府特進官尹用求、従二品韓耆東孰れも賛政に任ぜられ、度支部協弁高永喜其署理大臣事務を解く。
10日、農商工部大臣朴定陽願に依り免官となり、其後任には翌11日を以て権在衡に命ぜらる。
12日、中枢院議長李鐘健の臨時軍部大臣署理を解き、之れを副将閔丙奭に命ぜらる。
同日又農商工部大臣協弁申泰休の其大臣署理事務を解く。
15日、漢城判尹李采淵依願免官となり後任を尹致昊に、警務使李根澔依願免官となり後任を■書院■金永準に命ぜらる。
右は、一目瞭然とならしむる為めに、別に其表を製し、■覧に■候。
此段及■報候。
敬具
8月16日のエントリーで、12月3日に日本を発つ事になっていた加藤公使。
日本に帰る前までは弁理公使だったのですが、どうも昇格したようで、この史料では特命全権公使になっております。

さて、史料の中身ですが8月16日のエントリー8月24日のエントリーでの更迭よりその頻度は減少しているとはいえ、8月29日のエントリー辺りでの日置の忠告はどこに行ったんだろう?(笑)
やはり、最終的に信用されないまま終わったって事なんだろうか?

取りあえず、これにも更迭表が付いてますので見ておきましょう。

元図を8月16日のエントリー8月24日のエントリーのように分かりやすく合体。↓

激しく更迭3 (クリックで拡大)

で、実は次の史料も大臣更迭の話。(笑)
1898年(明治31年)12月28日付『発第89号』より。

閣員更迭の件

前報告に亜で、15日以来閣臣の変動を記載せば、左の如し。

16日、宮内府特進官朴定陽を議政府賛政に、法部協弁尹雄烈を議政府賛政に、奎章閣学士閔丙奭を軍部大臣に任じ、前軍部大臣沈相薫及び前議政府賛政尹用求を孰れも宮内府特進官に転ぜり。
18日、議政府賛政朴定陽を度支分大臣に、度支部大臣閔泳綺を平安南道の観察使に、宮内府特進官尹用求を学部大臣に、学部大臣金明圭を議政府賛政に、警務使金永準を江原道観察使に転じ、警務使は賛政尹雄烈をして兼任せしめらる。
同日又参将朱錫冕を以て軍部協弁に任ぜらる。
20日、学部大臣尹用求宮内府特進官に転じ、其後任に度支部大臣朴定陽移り、度支部大臣には参政閔泳煥転じ、参政には議政府賛政徐正淳移り、趙秉鎬并に李道宰の2氏議政府賛政に任ぜらる。
21日、李載純を宮内府大臣に、法部大臣韓圭卨(咼の上にト)を宮内府特進官に転じ、法部大臣には議政府賛政尹雄烈任ぜらる。
22日、漢城判尹尹致昊は、中枢院議官の決議推薦に依り中枢院副議長に転じ、李采淵又漢城判尹に任ぜらる。
同日李根澔法部協弁に任ぜらる。
23日、中枢院議長李鐘健宮内府特進官に転じ、貴族院■李夏栄其後任を命ぜらる。

右は、閲覧に便ならしむる為め、別■に表■の上、及■報候。
敬具
大体落ち着いてきたのかな?
それにしても、特に尹用求の人事を始め、何がやりたかったのかさっぱり不明なのは相変わらず。

で、こちらも更迭表が付いてます。

元図をいつものように、合体。↓

激しく更迭4 (クリックで拡大)

さらに、さっきの表と合わせて12月分。

さらに合体 (クリックで拡大)

さらにさらに、8月24日のエントリーでの合体させた表と無理矢理結合すると、こんな感じ。 ↓

結合してみた (クリックで拡大)

ファイルサイズがでかすぎたので、人物判別出来ないくらいになっちゃったけど、やはり壮観。(笑)
日置が、組閣について口出ししたくなる気持ちは、痛いほど良く分かるよなぁ。


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一) 帝国の迷走(四十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二) 帝国の迷走(四十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三) 帝国の迷走(四十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)


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なんつーか、8月22日のエントリーくらいから、非常に長い史料が続いていて、間延びしている感じがしてとても嫌なdreamtaleです。
どうも。

愚痴っても、こればっかりは仕方ないので、続きを見ていきます。(笑)
『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/9 明治31年12月13日から明治32年2月17日(レファレンスコード:B03050003600)』の1898年(明治31年)12月13日付『機密第56号』、別紙甲号における内謁見の模様の続きから。

皇帝
内閣組織に関する一般の事例を推し、貴公使の勧告は至極可なり。
朕も亦た、之に則り閔泳煥、朴定陽を召喚し、之をして内閣組織の任に当らしめ、輿論の趨勢を察し善後策を行はしめんとす。
貴公使の意見、果して如何。

本官
聖意の在る所夫れ如此、閔朴両氏をして内閣組織の任に当らしめらるるに於ては、是れ至極適当と察せらる。
盖し一般の輿論も亦此に在るものの如し。

皇帝
我国臣僚の不忠実なる、往々其一身の安逸を是れ営み、首■両端敢て国家の危難を顧みざるが如きものあり。
現に閔泳煥、朴定陽の如きも、朕屡々旨を降し之を招くと雖も、病気と称し今に進宮せず当惑せり。
併し、尚ほ侍臣を遣し、今夜中には強ひて出頭せしむる様取計ふべし。
高宗は、日置の内閣組織に対する勧告は妥当であり、それに則って閔泳煥、朴定陽に内閣組織させようと思うんだけど、どうよ?と。
これについて日置は、至極適当な人選だと述べ、また世論もそれを望んでるみたい、と。

ここで高宗の愚痴。(笑)
ウリの家臣って不忠実でさ、保身第一で国の危難を顧みないような事が往々あるんだよね。
閔泳煥や朴定陽にしたってさ、ウリが命じて招いても病気とか言って来ねーしさぁ・・・。
まぁ、また使いを出して、今夜中には出頭するようにしてみるけどね。

誰のせいかと小一時間(ry (笑)

右にて退出を奏したるに、陛下は此時其左右に侍する宮内・外部2協弁及内宦に暫く退出を命じ、本官に接近すべき旨御沙汰ありて後、密かに

皇帝
此会の事変に関し、兪箕煥は5凶中の1に数へられ、其家宅を破壊せられ且つ其身甚だ危険の虞あるを以て、宮中の一隅に潜匿し置けり。
渠れは、事実何等不正の行為をなしたるものにあらず。
而して、徒に他に誤解せられたるは、深く遺憾とす。
就ては、本人を日本公使館の附近に転居せしめて、姑く貴公使の保護の下に置き、一は本人の一身を安全ならしむると、一は朕と貴公使との間を連絡し、種々打合を為さしめたし。

本官
政治上に関する事項は、先刻奏上したる如く責任ある大臣之を措置する外、何人と雖も之に容喙するを許さざるは一般の事例なり。
若し之に反し、陛下責任以外の人と政治を私議せらるること已往の如くなるときは、再び内政紊乱の原因たるべし。
将又兪箕煥の去就に関して説を為すものあり。
曰く、兪は日本公使館に在りとさなきだに(?)之を怪むものの如し。
故に若し之を公館附近に潜伏せしめたりとの説、一たび伝播せば、却て一般の感触を害し、当人の為めにも宜しからずと存ずれば、寧ろ今姑らく其儘宮中に止め置かれては如何や。
ここで謁見を終了しようとした時に、高宗が人払いをして密談。
8月20日のエントリーで「折角独立協会擁護側に立ったのに誤解されてる兪箕煥、カワイソス」と述べた、家まで破壊されたマジ可哀想な兪箕煥。
まだ身の危険があるため、現在宮中に隠してるんですね。
そこで、兪箕煥を日本公使館の近くに転居させて、日本の保護下に置いてもらい、本人の安全を図ると同時に、高宗と日置の連絡役として色々打ち合わせさせたいけど、どうよ?と。

これに対して日置は、さっきも言った通り政治上の事は責任ある大臣に任せるほか、誰にも容喙させないのが一般の事例であり、もし之に反して、以前からのようにその他の者と政治を私議するような事があれば、再び内政が乱れる原因になるだろう、と。
「一は朕と貴公使との間を連絡し、種々打合を為さしめたし」は確かにマズイですからねぇ。
更に、兪箕煥は日本公使館に居るんではないかという噂が既にあり、もし公使館附近に潜伏させたという話が伝播すれば、却って一般の感情を害するから、もう少し宮中に止めたら?と。

皇帝
否、政治上に関し取次を為さしめんとの意にあらず。
目下の形勢に徴するに、何時事変の■墻に起るなきを保せず。
朕為之憂惧措く能はざるものあり。
故に、此時の場合に臨み貴軍隊の保護を請はんとせば、須く緩急時機に応ずる設備なかるべからず。
是れ、兪箕煥をして貴館に接近する場所に寓居せしめ置くの必要ある所以なり。

本官
聖意の在る所、謹んで了承せり。
今より帰館の上、適当なる家屋を捜索したる後、再び何分の儀奏に及ぶべし。

右同様の件に付、警務庁補佐官阿比留銈作、同日宮中に招かれ兪箕煥と会見したる節、兪は本官に宛てたる陛下の其身上保護の依頼状を出し示し、本官の保護を求むる旨内々申出たる由、同人より内報有之候に付、彼此参酌するときは、陛下は一は兪箕煥の身上を気遣ひ、其保護を本官に依頼すると同時に、一は陛下御自身も危急に臨まば我守備隊の保護を求めんとの策に出でたるものの如し。
併し、其後陛下敦礼門に親臨親諭の結果、情態少しく平穏に帰したるを以て、此儀は一時中止せられたるものの如し。
高宗は、「いや、政治上の問題で取り次ぎしようってんじゃなくてね、これからどういう事態になるか分からんし、日本の保護をお願いする場合には、緊急連絡できる体制を取りたいなぁ・・・と思ってね。」と。
これを日置は了承して、退出。

この後、阿比留銈作が兪箕煥と会見した際に、高宗の身上保護の依頼状を出した事なんかを考えると、どうも一面では兪箕煥の身上を気遣ってるものの、もう一方では高宗自身も危急に臨めば日本の守備隊による保護を求めようという策に出たようだ、と。
しかし、その後の高宗の大英断によって状況は落ち着いたので、この話も一時立ち消えになった、と。
つうか、大英断に出れたのは、日本の保護という担保があったからだったりして。(笑)

さて、この後史料は、万民共同会への勅語別紙乙号と、褓負商への勅語別紙丙号となるわけですが、修飾過多でさほど重要な事が書かれているわけでもなく、省略させていただきたいと思います。


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一) 帝国の迷走(四十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二) 帝国の迷走(四十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)


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今日は、前回の1898年(明治31年)12月13日付『機密第56号』の別紙に入ります。
では、早速。

別紙甲号
11月25日謁見始末

皇帝
本日其筋の申出に由り、早速貴公使を引見す。

本官
帝国政府は、此次貴国の事変を聴き大に憂慮する所あり。
則ち、訓電を本使に与へ、陛下に進謁奏聞すべき旨を以てす。
依て、其筋を経て謁見の義願出たるに早速御採納相成、本使の光栄とする所なり。

皇帝
事変の結果、貴政府を煩はすに至りしは、深く遺憾とす。

本官
近日に於ける当地の形勢は頗る不穏にして、陛下御心労の程、外臣の深く恐察する所なるが、外臣に於いても陛下の為め、陛下の人民の為め、一は又一衣帯水を距てて利害を同くする敞邦の為め憂慮に堪へざるものありて、当地に発現する所の事項は、細大となく逐次之を本国政府に電報し置きたるが、本国政府に於ても本使の報告に由って事体容易ならざる者あるを悟り、本使に電訓を与へ、親しく奏上する所あらんことを命じたる次第なり。
何が故に斯く憂慮するかと云ふに、昨今の形勢を平たく形容すれば、恐れ多きことながら之を無政府の状態と云はざるべからず。
而して、当地に於て如斯混雑踵を生ずるときは、延いて全国の騒乱となり、或は更に進んで世界禍乱の原因となるやを保し難し。
是れ、貴国と土壌を接し隣好を重ぬる処の列国に於て、之を見て不安の念を為し、頗る不快を感ず可きは、陛下の素より御諒察せらるる所ならんと考ふ。
故に、若し今日の如く人民は妄りに乱暴を行ひ、政府之を制するの力なく、又政府の大臣にして一人として安んじて其職を執行する者なしと云ふが如き状態にして、猶久しく継続すべきに於ては、列国は遂に貴国の内政に干渉を為すの已むを得ざる場合に立至るやも計られず、果して斯る危機に切迫せば、最早臍を噛むも回復の道なきに至らん。
是れ、帝国政府が貴国をして独立の実を挙げしめん為めに、既往に於て数万の金銭と巨多の人命を犠牲にしたる、折角の艱難辛苦を一朝にして水泡に帰し、数百年の宗廟社稷と2,000万の忠良なる臣民とをして、云ふ可からざる禍境に陥らしむるやも未た知る可からず。
是れ、特に帝国政府の憂慮に堪へざる所なり。
之を公法に照らすに、某国が他国の内政に干渉するの権利を有する場合、少なからずと雖も国家の秩序紊乱し、政府之を回復する力なきときは、則所謂無政府と認め、他国は之に干渉するの権利を有する者なり。
貴国今日の状態は則ち無政府の状態なれば、若し進んで干渉をなさんとするものあるときは、其口実を見出すに於て何等難きを感ぜざるなり。
実に国家の危機切迫したりと云ふも、決して過当にあらざるべきを信ず。
陛下、大に憤励して社稷生民を危きに救ひ、列国の不安を除くの処置を施されんことを、実に寸時を忽にす可からざる急務なりと思考す。
茲に、特に陛下の御留意を願ひ度儀は、帝国政府の此勧告は、貴国独立の完全長久ならんことを熱望する所の真情に発したる者にして、又た帝国政府は今日此時此勧告を要する切迫なる事情を認めたるに依ることなり。
陛下、宜しく此意を諒し、一刻寸時も速に秩序回復を謀られたし。
挨拶まで報告しなくても良いだろうに。(笑)
まぁ、挨拶もそこそこに、いきなり日置が直球勝負に出ているのは分かるんですが。

日置は、まず現状を平たく表現すれば「無政府状態」だ、と。
で、ソウルでこのような状態であれば、そのうち半島全土に拡大し、あるいは更に進んで世界禍乱の原因となるかもしれない。
これは何も過大な表現ではなく、第一次世界大戦もサラエボ事件から始まってるわけで、何が引き金になるか分からないのが、この時代ですからねぇ。

このまま現在のように、人民はみだりに乱暴を働き、政府にはそれを制する力が無く、政府の大臣は誰一人満足にその職務を執行する者が居ないような状態を継続すれば、列国はついに大韓帝国の内政に干渉せざるを得なくなるかも知れず、もしそうなれば後悔しても遅いよ、と。
これを万国公法で言えば、国家の秩序が乱れて政府がその秩序回復できない、所謂無政府状態に陥った時に、他国はこれに干渉する権利を有する、と。

8月15日のエントリーで干渉権の話なのかより保護国的な話なのか迷って、少し調べてみたのですが、当時の学説もまちまちで明確な定義は見つからず・・・。
しかし、国家が主権を行使しうる状態かそうでないかというのは、かなり重要そう。
最終的には、干渉する口実として他の列国の理解を得られるか否かが問題だとは思うんですが・・・万国公法勉強するのは、面倒くさいなぁ・・・。(笑)

兎も角、国家の危機が切迫していると言っても過言ではないので、大いに奮励して国家国民を救い、列国の不安を取り除く処置を施す事が急務だ、と。

皇帝
朕も亦、公法に於ける無政府干渉の事に気付かざるにあらず。
為之日夜憂慮、殆んど寝食を安んぜざるものあり。
而して、今又た貴公使始め貴政府の勧告如此懇切。
朕豈に敢て銘心せざらんや。
今より期して秩序の回復に従事し、国内の安寧を保全し、力めて貴政府の勧告を有効ならしめんとす。

本官
凡そ何事に依らず、施行の方法其当を得ざるときは、事は目的を外づれて反対の結果を生ずること少なからず。
誠に事を始むる前に於て、充分の考慮と準備なかる可からずと信ず。
竊かに考ふるに、陛下には今や政府なきものの如く、閣臣其名あって其職を執るものなしと。
果して然らば、陛下が如何に治を望み、安を希はるるも、聖意を奉行する所の機関なき次第なれば、其目的を達すること困難なりと云はざる可からず。
既に目的を達すること困難なりとすれば、其結果の、希望に反し一層悪結果を来すやも不計に付、陛下が此際に於て最も要せざるる所のものは、強固なる政府の成立に在りと思考す。
然らば、如何にして政府は強固なるを得ると云ふに、陛下の御信任と人民の輿望と閣員の一致と、此三者を充分に有する所の政府に非ざれば、強固なる能はずと信ず。
更に進んで、右三箇要素を具有する所の政府を組織するの方法如何と云ふに、欧州各国及我日本等に於て行はるる例を云へば、陛下は其臣下中に最も信用を措かせらるる処の者にして、同時に最も輿望高き一人を推挙し、其意見を聞き他の閣員を決定、任命せらるること是なり。
則ち、如此すれば茲に始めて充分右三要素を具備する所の強固なる政府を組織するを得ると考ふ。
若し然らず、閣員の性情如何を顧みず、此処より一人、彼処より一人と任命するときは、到底相互間意見の一致を期すること能はざるを以て、遂に全く政府なる機関の運転を得る能はざるに至る可し。
今日此際如此なるときは、実に国家の大不幸と云はざる可からず。
亦た、若し如此なりとせば、如何に陛下の切実に就任を促さるるも、敢て此難局に当らんとするもの、恐らく一人もなかるべし。
之れ、今陛下の大臣は、或は病に、或は事情に口実を藉り、其職を執行せざる所以なりと恐察致候。
而して、前陳各国に於ける方法に拠り組織せられたる政府に対し、陛下は充分の信用を措き、誠実に之を保護誘導せらるること最必要なり。
何となれば、政府の義務は畢竟陛下の大権を奉行するに過ぎずして、前記三要素中、陛下の御信任は政府権力の根原にして、他の2は之を行ふに必要なる条件たるに過ぎず。
左れば、一旦陛下に於て御信任相成りたる上は、多少の非難あればとて、之が為めに任免、更迭を行はせらるる様にては、到底政府の事業挙らず。
従て、国家永遠の治を致すこと難し。
其何人の政府に入ると否とは、素より本官の云ふべき限りにあらざるも、兎に角此際強固なる政府を組織し、一方に於ては直に以て秩序の回復に必要なる手段を取らしめ、一方に於ては漸次改革の実を収めて、自然民怨を除去し、国家百年の経営を為さしむること肝要なりと信ず。
尚ほ、本使は貴国の平和回復を本国政府に電報する幸福なる時機の、一刻も速かに来らんことを希望す。
高宗も、万国公法での無政府干渉に気付いてないわけではない、と。
んー、そういうコンセンサスが広がってたのか、それとも知ったかぶりかは判断に迷う。(笑)
兎も角、これを期に秩序の回復に従事して、国内の安寧を保全し、日本の勧告を有効にするように頑張るよ!と。

これに対して日置は、やり方間違ったら目的を達成できないどころか、反対の結果を生むも事も少なくないと、さらにアドバイス。
現在、政府はないようなものであり、閣僚は名前だけで職務を執行するものが居ない。
そうであれば、いかに高宗が秩序の回復を望んでも、それを実行する機関が無いわけで、目的を達するのは困難だと言わざるを得ない。
ということで、まずは高宗の信任、人民の輿望、閣員の(意志?)一致を持った強固な政府を作るのが先決、と。 高宗の信任と人民の輿望って、結構難しいよねぇ・・・。

で、その3要素を持った政府を組織する方法は、欧州や日本の例で言えば、まず最も高宗が信頼し且つ輿望も高い人物を推挙し、その人物の意見に従って閣員の決定や任免を行うこと。
日本で言えば、国務大臣の奏薦権の話ですね。

もしそういう任命方式ではなく、あそこから一人、ここから一人と選んでいては、到底内閣間での意見の一致もできずに、結局政府の体をなさず、また、そんな選び方では、高宗が就任を促しても、この難局に好きこのんで当たろうとする者は一人もいないだろう、と。
これが、今の大臣達は病気や事情を口実に、その職務を放棄してる理由だ、と。
まぁ、都合によってどうせ直ぐに替えられるでしょという、高宗への不信感も大きいと思うんですがね。
日置も、その辺も含めて「前陳各国に於ける方法に拠り組織せられたる政府に対し、陛下は充分の信用を措き、誠実に之を保護誘導せらるること最必要なり。」などと、地味に釘を刺してるんでしょうけど。(笑)

で、一度信任したのなら、多少の非難があっても踊らされて任命や更迭を行うようでは、到底「政治」できないよ、と。
8月24日のエントリーの更迭表のような有様では、マジで無理ですしねぇ・・・。


途中ですが、今日はここまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一) 帝国の迷走(四十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)


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kawasige氏に、「放棄臭漂う場所」と呼ばれたdreamtale日記ですぅ。( ´H`)y-~~
_| ̄|○ ・・・ども。

さて、今日の本題に入る前に。
これまでの話を大雑把にまとめたものが、アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/8 韓国粉擾事件概要(レファレンスコード:B03050003500)』にあります。
内容自体は、これまで取り上げたものの重複ですので、改めて取り上げる事はしませんが、この読みづらくて放棄臭漂うブログよりは纏まってるので、見てみても良いかも、です。(笑)

さて、これまで見てきた『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/7 明治31年12月10日から明治31年12月31日(レファレンスコード:B03050003400)』に、若干紹介してない史料が残っているんですが、前回前々回と、1898年(明治31年)12月13日付の二つの史料を見てきました。
で、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/9 明治31年12月13日から明治32年2月17日(レファレンスコード:B03050003600)』にも同日付の連番の史料があり、恐らくは3つセットな感じだと思われますので、先にそちらの方を見ていきたいと思います。
史料は、1898年(明治31年)12月13日付『機密第56号』になります。

本官謁見の始末及敦礼門親臨の件

11月22日第67号及、同24日第68号御電訓接到。
即本官は、之を以て韓皇帝陛下へ謁見を乞ひ親しく奏聞する方、帝国政府の意志を貫徹するに於て得策と認め候に付、11月24日附を以て外部大臣に内謁見の儀申込候処、同25日午後6時参内、謁見可致旨回答に接し候。
依て、同日国分通訳官同伴参内、謁見致候。
其始末は、別紙甲号の通に有之候間、右にて御参照相成度候。
将又本官謁見後、皇帝は未曾有の大英断に出て、翌26日午後1時を以て敦礼門に親臨し、万民公同会及褓負商の2団体に対し均しく親諭。
和解せしむべき旨の詔勅を下し、同時に各国使臣を右式場に於て謁見せらるる旨、外部大臣より通牒に接し候折柄、首班米国公使も同様の通知に接したる趣にて、右参列前、使臣一同同館に会し、此に韓国宮内大臣の来臨を乞ひ、皇帝親諭の趣意を聞きたる上去就を決すべしとの通知同公使より到達致したるを以て、本官は翌日正午、各国使臣と共に米館に会し、打揃って宮内大臣の臨席を乞ひ其説明を求めたるに、該大臣は臨席の上、皇帝は此日会商2団体に向って親しく諭旨を下し、之れが解散を命ぜらるる外、敢て他意なき旨説明致候。
而して、米公使之を以て可否を各使臣に問ふに当り、露国公使は参列を拒否する理由として、各国使臣参列したる上皇帝親諭をなし、其結果首尾能く解散せば、使臣の参列が幾分か其効を助けたるの観あり。
従て、独立国皇帝の威厳を損ずるの嫌なき能はず。
若し又、之に反し解散せずとせば、使臣に於て其責任を分担せざるを得ざる場合となるべし。
故に、予め外務大臣の許可を得たる上ならでは、参列は難しと云ふにあり。

右露公使の懸念は寧ろ取越苦労にして、之を以て直に適当の理由と認むるを得ず。
何となれば、固と我より進んで、此式場に参列せんことを求めたるに非ずして、陛下自ら此席に於て謁見を望ませらるるにある次第なれば、皇帝の威厳を損じ、若くは責任問題の生ずべき筋とも考察せられざるを以て、本官始め、英・米・仏公使、独逸領事は、時刻差迫りたるを見て兎も角参内謁見すべしとの事に一決し、相■に式場に赴きたるに、是時陛下は已に親臨せられ、直に一同を便殿に引見し、「此次会商2団体衝突の結果、人心不穏の情況を呈し、朕、深く軫念に堪へず、此に本■とし2団体の重なるものを召喚し親しく説諭を加へ、之をして融和解散各其堵に安んぜしめんと欲す。依て各国使臣参列を求め、引見する所以なり。」との勅語を賜はり後一同は退て設けの席に就くや、陛下は先づ万民公同会員200名を呼出し、侍臣をして之に別紙乙号の詔勅を読聞かせ、且つ其首領株高永根、尹致昊、李商在を御前に引見し、親ら懇ろに諭旨を賜はり、右3名は一同を代表して左の4ヶ条実行を奏請せり。

第一 各協会復設の事
第二 五凶処分の事
第三 六条目実施の事
第四 褓負商解散の事

右4条目は、直に陛下の採納せらるる所となるや、一同は此に解散を諾し、陛下の万歳を三唱して退出せり。
嗣て、褓負商200名も亦、首領洪鐘宇、吉永洙、朴有鎮に引率せられ来りて御前に匍伏せり。
侍臣は、別紙丙号の詔勅を朗読し、更に之を訓読し、次て首領3名を御前に召し親諭せらるること、公同会員に於けると同一なり。
渠等は、褓負商規約の認可を奏請したるも、陛下は是れ自ら当局者の在るあり。
宜しく就て其処置を求むべしとて、懇々其解散を命ぜられたるに、渠等亦万歳を三唱し城外に退去せり。
於是、2団体孰れも此日を以て悉く解散することに一決し、一般人民は俄に安堵の想を為し、右は全く本官謁見の結果此英断に出でたるものと信用し、大に本官の勧告を徳とするの傾向に有之。
依て、其当時不取敢及電稟したる次第に有之候。
此段、別紙甲乙丙号相添、顛末及具稟候。
敬具
今回の内謁見は、8月12日のエントリーでの『第67号』と、8月13日のエントリーでの『第68号』に基づいて、8月15日のエントリーで万国公法に照らして高宗を説得したというものですね。
結果高宗が英断を下し、日置が「みんな僕の勧告おかげだっていってますぅ」とホルホルする、例のやつです。(笑)
ここでも、「皇帝は未曾有の大英断に出て」と報告されてますね。

で、その未曾有の大英断で、26日午後1時に臨御して万民公同会と褓負商の2団体に親諭して和解させ、同時に各国使臣もその会場で謁見するという通知があるわけです。
そこで、この26日の謁見前に各国使臣がアメリカ公使館に集まって、韓国の宮内大臣に「何すんの?」と聞くと、「いや、2団体に諭旨して解散させるだけだよ。」と。

これについてアメリカ公使が各国使臣に「どうよ?」と聞くと、ロシア公使は参列を拒否。
理由は、各国使臣が参列している場で高宗が親諭し、それで上手く行けば列国の力を借りてるみたいで、高宗の威厳をそこなう嫌いがないわけではない。
一方で、失敗すれば使臣がその責任を分担しなければならないだろう、と。
つまり、

<#`Д´>「上手く行かなかったんじゃないの!どうしてくれるの!」

って情況でしょうね。(笑)
だから、あらかじめ本国の外務大臣に許可を得なければ、参列は難しいという事ですね。
この辺8月16日のエントリーでも報告されていたわけですが、確かに責任転嫁されるかも知れませんが、それを負わなければならない義務は無いわけで。

勿論、日置は自分らが臨席させろといったんじゃなく、高宗が謁見を望んでいるんだから、それって取り越し苦労だよね、と。
いや、割と半島の場合、取り越し苦労でない場合も多いと思うけど。(笑)
で、日置始め、イギリス・アメリカ・フランス公使とドイツ領事は兎も角会場に向かおう、と。
行ってみると、高宗は已に来ている。
んー、高宗気合い入ってるなぁ。

高宗は、まず万民共同会の200名を呼び出して、詔勅を聞かせ、中心人物である高永根、尹致昊、李商在を引見。
そこで3人は、万民共同会を代表して各協会の復設することと、5凶、恐らくは、8月20日のエントリーで逮捕されていた17名の釈放後の要求にあった、趙秉式、閔種黙、兪箕煥、金禎根、李基東の5人を処分すること、8月10日のエントリーで取り上げた6条目を実施すること、褓負商を解散させることを奏請。
つうか、6条目自体も合わせれば、9項目を要求してる事になるわけですが。(笑)

この4項目を高宗は直ぐに採納。
すると万民共同会は解散を承諾し、皇帝陛下マンセーを三唱して退出。

次に、褓負商200名を呼び、万民共同会の時と同様に詔勅を聞かせ、中心人物である洪鐘宇、吉永洙、朴有鎮を引見。
彼等3人は、8月13日のエントリーで取り消された褓負商規約の認可を奏請。
つうか、中心人物3名は流刑にされたんだろうか?(笑)

この奏請に対して高宗は、自分たちの中に当局者が居るんだから、その処置を求めなさいとして解散を命じる。
で、これに従って褓負商もマンセーを三唱して退去。
っつうか、万民共同会の条件である「褓負商解散の事」と、褓負商の条件である「褓負商規約の認可」って、相容れない気がするんですが、気のせいでしょうか・・・。

兎も角、ここで目出度く2団体とも解散。
一般人民は、日置の謁見の結果このような大英断に出たと信用し、日置の勧告を徳とする傾向にある、とここでもアピールしてますね。(笑)


さて、史料はこれ以降、「当国形勢の危急なること、外国干渉の及ぶ場合等を万国公法に照し精しく説明」したとされる、とても楽しみな内謁見の内容を始め、別紙へと移っていきますが、今日のところは、ここまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)



今日も、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/7 明治31年12月10日から明治31年12月31日(レファレンスコード:B03050003400)』からになります。
今回も長めの史料なので、ちゃっちゃと行きたいと思います。
1898年(明治31年)12月13日付『機密第55号』より。

使臣会議に於て本官質問一件に関する件

客月23日の各国使臣会議に於て、本官は帝国政府の訓令に基き、韓政府は能く秩序を回復し得べきや否やに付各国使臣の意見を尋ねたりとの趣、在京城露公使の報告に依り在東京露公使より閣下に面談の次第有之、頗る御心念を悩まされたる由伝聞。
恐縮の至りに存候。
右に関しては、事情の通ぜざる廉有之やに相考候間、当時の状況左に開陳致候。
どうも、11月23日の使臣会議で、日置が韓国政府は秩序を回復できるかどうか意見を聞いた事に対して、ロシア側からクレーム的な話があったようですね。
で、それに対する日置の弁解というか、詳細な状況説明という事になります。

一.使臣会議
各国使臣会議と云へば、如何にも行々敷相聞へ候得共、当地に於ては毎週木曜日に於て議事問題の有無に関はらず倶楽部に会合することに定まり居りて、畢竟之れ一の親睦的雑談会たるに過ぎず、則ち客月23日に於ける会議は、翌木曜日の会を一日繰上げたる者にして、何人か特に之を請求したるものにあらず。
亦た、同日の会議に於て爾後当分の間毎日集会の事に定まりたるも、是とて何等一定の事件に付評議すと云ふにあらず。
唯毎日、各自の得たる新聞報告を互に交換するに外ならざりしなり。
而して本官は、此雑話中に於て唯漠然と左の談話を持出したるなり。
以前から、このブログで度々「使臣会議」を取り上げて来ましたが、日置が言うには毎週木曜日に倶楽部に会合してる親睦会的な雑談会だよ、と。
まぁ、その中で度々重要な話がなされているわけですが。(笑)
で、今回話題になっている使臣会議も、誰かがやろうと言って集まったわけではなく、その会議で当分毎日集会しようと決まったが、これも一定の事件を評議するというわけではなく、各自新聞報告で情報交換する事が目的だ、と。
その中で出た話、という前置きなわけですね。

一.本官の談話
唯今の形勢は、日に益々非に赴く様なるが如何でしょうか。
韓政府は何とか片を付けるでしょうか。
どうでしょう。(帝国政府の訓令云々の如きは、決して云ひたることなし)
之に対し独逸領事は、予は「グレートハウス」と同意見なり。
則ち、30人の欧米人巡査が居なければ、六ヶ敷からん。(其意は、「グレートハウス」は曩きに韓帝の密旨を帯び上海に至り、欧米人の無頼漢を韓帝の親衛巡査として傭来りたるも、当時輿論の反抗激しく、契約期間の給金を一時に支払ひ放還したることあり。此等の人を意味す。)
又、米公使は之に次て、韓国独力にては六ヶ敷からんと申述べたり。
他は孰れも、黙々の間に右意見に同意する者の如くなりしなり。
於是、独領事は貴君の意見は如何と反問致候に付、拙者も頗る危殆にして、如何に韓廷が之を処置し得るやは予言し能はざるも、拙者は今直に韓廷は独力にて片付け能はずと云ふは、或は速了にはあらざるやと考ふ。
何となれば、韓廷は秩序を回復する為めに、未だ凡ての手段を盡したるものと云ふ可からず。
則ち、当国警察及び兵力の能不能に就ては種々議論もあれども、兎に角今日迄は実際に警察力も兵力も用いたることなし。
此2者を実際に使用したる上ならでは、有らゆる措置を盡したりと云ふ可からざれば、今日直ちに韓政府を以て秩序を回復するに全く無能力なりと云ふは、拙者の敢てせざる処なりと答へたり。
使臣会議において日置は、韓国の形勢がどんどん悪くなっていく事に関し、韓国政府が何とか片を付けるかどうか、各国の使臣の意見を聞くわけです。
ドイツ領事は、グレートハウス同様に外国人巡査を導入しなければ難しいだろう、と。
7月30日のエントリーで傭入され、7月31日のエントリーで帰っていった外人巡査の件ですね。
で、アメリカ公使も韓国独力じゃ難しいだろ、と。
他の公使や領事も、語りはしないもののこれらに同意しているらしい。
韓国の軍隊や警察が無能力というのは、前提なんでしょう。(笑)

逆に意見を聞かれた日置は、どのようにして韓国政府が事態に処置するかは予言できないが、今直ちに韓国政府が独力で事態収拾できないとするのは早計ではないだろうか、と。
思ってもいない事を。(笑)
で、何故かと言えば、まだ韓国政府は秩序回復のために兵力も警察力も行使しておらず、全ての手段を尽くしたとは言えず、これを使用した上でなければ、韓国政府が秩序を回復する能力が全く無いとは敢えてしないと述べる。
んー、際立つ事になるだけの気もしますが。(笑)

一.本官が此談抦を開きたる理由
抑も本官が此問題を持出したる理由は、決して他の意見を聞かんとの意旨にあらず。
何となれば、他の意見は常に洩れ聞き居りて、本官には此前既に明白に分り居りたればなり。
某々公使の如きは、本官に会する毎に、日露協商は孰れも当国の世話をなすことを禁ずる者が、実に不幸なることなり。
併し、最早今日と成りては何とかせざれば迚も駄目なり云々と申居候。
然り本官は、他の意見を充分に承知致居たり。
故に態々此問題を持出し、本官の意見を表明し置くの機会を作りたるなり。
即ち、露公使は常に当国の事変を過大視して、何等生ずるときは直に干渉説を提出するの傾あり。
彼の云ふ処は、当国今日の形勢は、到底久しく持続すべからず。
果して、久しく持続す可からずとせば、誰れか外国より世話せざる可からず。
此場合に於て、若し日露両国にして拱手傍観せば、英米諸国必ず入込み来るべし。
一旦彼等が其勢力を扶植したるときは、之を除去すること極めて困難なれば、貴我両国は速に手を付けざるべからずと云ふにあり。
現に客月6日、則ち独立協会員の逮捕始まりたる翌日、同公使に面会の節も右の議論を提出して、其主意に拠り各々本国政府に訓令を請はんことを、本官に頻りに勧告せり。
本官は、此問題の関係する処極めて重大なるを以て、臨時代理の任に在っては到底御勧告に応ずること能はず。
又た、今日の形勢も今暫く経過を見たる上ならでは、果して貴見の如く危殆なるや否やを確むること能はずと受流したる処、貴君が此際に於て臨時代理たるは如何にも残念なり。
然らば、今加藤公使は東京に居らるること故、同公使迄電報し、同公使より政府に上申せしむることは出来ずやと申候に付、本日御話の次第は加藤公使に通告は致すべけれども、電報にては自然意味の不充分なるを免がれざる訳故書面にて申遣すことに致度。
当国の形勢も、唯今の処では或は3日、或は10日と云ふ程もあらざるべしと辞し置きたり。

露公使の態度は右の如くせき込み居る上に、当地の形勢日に非に赴き、且つ他使臣等も本官に向って、迚も韓政府は独立にて始末は附け能はざるべしと云ふ位なれば、露公使に向っても同様の言を云ひ居るものと想定したるに付、同公使が如何なる考を起すやも知れずと懸念したるを以て、他人の居る前にて日本の代表者の意見として、今直ちに韓廷を無能力と認めずとのことを表白し置くは、露公使の行為を牽制するの効力あるべしと信じたること第一の理由なり。

第二の理由は、当地の形勢は最初は兎もあれ、当時となりては到底兵力を用ゆるにあらざれば、鎮定すること困難なるべしと本官は断定したり。
而して、韓帝も亦兵力を用いたしとの意、実に切なりしも、事変の発端より英米2公使は、兵力使用に公然反対したる為め、帝は一に之を恐れて政府の実際力を正当に使用すること能はざる者と認めたり。
若し、当国の形勢にして彼等の云ふ如く、到底独力にて鎮定出来ずと云ふが如き程度に達し居るものとせば、此際尚ほ外国使臣が兵力の使用に反対して、韓廷を覇■するの不正なるを覚らしめ、英米2公使の態度を一変せしめんことを暗に期したるなり。
本官の意思は、素より他人の知るべき限りにあらざるも、該会議に於て述べたる本官の意見は、正しく前陳の如く有之。
若し必要も有之候はば、証明を得ることも決して難事に無之を信じ候。
為御参考右事情及具申候。
敬具
ロシア公使は、8月14日のエントリー等これまでの報告通り、不干渉を謳った日露協商は、到底長続きすべき理由も性質も有しないといつも公言しているわけで、常に韓国の事変を過大視して、何かあった時にはすぐ干渉説を出す傾向がある、と。

ところで、このロシア公使がマチュニンなのかパブロフなのか分からなかったのですが、1899年の1月にパブロフが着任していますので、これらを述べているのはマチュニンということになります。
7月31日のエントリーで加藤が「マチユニ氏は沈着公平の人物にて内外の評判宜しく、本官との関係は殊に親密なり。」としていた事と、日置の記すマチュニンとでは、相当ギャップがある気がしますね。(笑)
まぁ、7月24日のエントリーでマチュニンが、「時宜に依り、日露両国兵力を以て公然の干渉を試みんとするが如き私見を抱持」しているわけで、新任当時からこの時まで、変わってないと言えば変わってないんですが。

で、マチュニンから、イギリスやアメリカが介入する前に干渉しようぜ!
互いの本国に訓令してもらおうぜ!とするわけですが、日置は、いや自分は臨時代理公使だからと逃げる。
その上で、今すぐ韓国政府が無能だとは認めない、つまり積極的干渉するにはまだ早いと表明しておく事が、使臣会議における日置の発言の理由の第一、と。

もう一つは、日置は武力を使用しない限り、鎮定できないだろうと考えているが、イギリスとアメリカ公使は最初から武力使用に反対。
そのために高宗は、武力行使できないで居る、と。
で、到底独力では鎮定できないと言いながら、外国使臣が武力の使用に反対する事が不正であると分からせ、イギリス・アメリカ公使を翻意させる事が、第二の目的。

んー、日置も含めて裏で色々とありますねぇ・・・。
まぁ、外交ってそんなもんなんでしょうけど。


今日はここまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十)



さて、7月14日のエントリーで『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/2 明治30年9月27日から明治31年7月23日(レファレンスコード:B03050002900)』をスタートとした今回の連載ですが、2,3,4,5,6と終了し、前回で概算で200画像以上の史料を読破したことになりますね。(笑)
一ヶ月半のペースとしては、どうなんだろう?
ってことで、今回からは『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/7 明治31年12月10日から明治31年12月31日(レファレンスコード:B03050003400)』に入っていくこととなります。

1898年(明治31年)12月10日付『機密第54号』から。

事変に関する第一次謁見の件

11月21日午前11時、褓負商の団体大挙して万民公同会を仁化門前に襲撃し、棍棒を揮って之を退攘し其会場を奪ふ中、一般の人心大に激昂し、公同会員等も亦残党を鐘路に嘯集し対抗運動を試みんとする等、不穏の情形を呈し、物情頗る騒然たり。
夜に及んで、市民及公同会員の一部は城内各所に跳梁し、褓負商を教唆し若くは之に関係せる大臣及大官の邸宅を襲ふて之を破壊する等、亡状至らざるなく、殆んど乱兆を顕はすに至れり。
韓帝は恐怖啻ならず、茲に各国使臣を引見し、一は以て是を宮中に止めて夜中の警護を依頼し、一は以て其意見を聞き、騒擾鎮圧に従事せんと欲し、猝かに旨を朴外部に下し其通知に及ばんとせられたるも、朴外部は夜中各国使臣を煩はす事体穏当ならずとて之を諫め、且つ旨を帯び米公使を訪ひたる使者も亦た同様の復命を齎すありて、事情不得止、其翌朝を俟って各国使臣を謁見せらるるに一決し、同夜陛下は危懼の余り終に侍臣と佇立して夜を徹せられたりと云ふ。
本官は同夜、右謁見の通知に接したるを以て、予め各国使臣の意見を一致し置くこと必要と認め候に付、主席米公使に書柬を以て明朝謁見前、一応各国使臣を会同せられ度旨を請求し、翌朝同館に赴き各国使臣と会見の後(会見の結果は機密第52号参観)、相携へて参内致候処、当日韓帝は各国使臣各別に引見せらるる旨被仰出、即ち本官謁見の際に於ける勅語及言上は、別紙の通りに有之候。
此段、顛末及具申候。
敬具
8月15日のエントリーでの青木が「エッヘン( ´H`)y-~~」となっている謁見ではなく、その前の8月12日のエントリーでの謁見の話ですな。
謁見そのものや、使臣会議の内容に関して記載されていたこれまでと違って、ここでは周辺状況が記されております。

まず、これまでに無かった情報として、高宗が各国使臣を引見しようとした理由の第一は、各国使臣を宮中に止めて夜中の警護を依頼しようと。(笑)
なんかね、有事の際のシナリオとして作戦統制権を韓米連合司令官が行使するという部分は自尊心が許さないため、作戦統制権は韓国の単独行使を求める一方で、韓米相互防衛条約の維持、在韓米軍の駐留維持や有事の際の米軍追加派遣、情報資産など韓国軍の弱点分野に対する持続的支援、戦争抑止力や共同対応態勢の維持の4項目を保証するよう事前に米国の理解を得るものという、朝鮮日報の「【社説】同盟関係のイロハも知らない盧武鉉政権」を思い出すわけですが。(笑)

で、もう一方はこれまでの話通り、騒擾鎮圧に関して各国使臣の意見を聞く、と。
その二つの趣旨に基づいて、各国使臣に通知させようとしたところ、外部大臣の朴斉純が「夜中に各国使臣を煩わす事自体が穏当じゃねーだろ。┐(´ー`)┌」と諌言。
アメリカ公使館への使者も、同内容の復命をして意見を聞くだけになったんですな。

まぁその夜、高宗は怖いから侍臣と一緒にたたずんで徹夜。
憐れだよなぁ・・・。
米軍に、提示条件拒否られた時の盧武鉉は、徹夜するかなぁ?(笑)

さて、「本官謁見の際に於ける勅語及言上は、別紙の通り」とあるとおり、謁見の際の具体的内容が別紙として添付されておりますので、そちらを見てみましょう。

別紙
11月22日謁見始末

皇帝
這回の事変に関する情況の一班は、貴公使業に已に伝聞したるならん。
仍て惟に貴国大政維新に当り、幾回か如此事変に遭遇し、必ずや経験多からんと察せらる。
然るに、貴国政府は之に対し、如何なる処置を執り之を鎮定したるか。
是、朕が貴公使に就き親しく聞かんことを欲する所なり。

本官
(当日謁見に先ち、各国使臣米館に会合したるときに於ける一般の意向は、今日謁見を仰出されたる帝の目的は、民会を鎮圧する為め兵力を用ゆることに付、各国使臣をして同意を表せしめ、従て生ずる責を之に嫁せんとするに外ならざれば、各自宜しく警戒する可しと云ふが如く相見へ候に付、本官は殊更に以上の下問に対する直接の奉答を避け)聞く所に拠れば、昨日褓負商の団体大挙して、宮闕門前に集合する所の万民公同会を襲撃し、腕力を用いて之を逐攘したる結果、城内の人心大に憤激し、昨夜各処に跳梁し、大臣の邸宅を破壊する等、頗る不穏の状況を呈したりと云ふ。
為之、深く軫念を悩したるの恐あり、本使も亦た之を聞き、憂慮措く能はざるなり。
今や公同会と負褓商の間、益讐敵の念を深ふし、反目啻ならざるものの如し。
斯くては又何時大衝突を来すべきや計るべからず、事体極めて危殆なり。
之を要するに、市民の激昂一に此極に達したるは、直接に褓負商の暴行に原因すと聞くを以て、差向の処置として、貴政府たるもの一刻も速に之に解散を命じ、両者の衝突を防遏するに在りと信ず。
之を聞く褓負商は、至って柔順にして能く其筋の命令に服従すと。
果して然らば、今此を解散するは敢て難からざるべしと信ず。
高宗は聞くわけですね。
明治維新なんかでも、日本で同様の事があって経験豊富だと思うんだけど、日本ではどういう処置によって鎮定したの?と。

これに対して日置は、8月23日のエントリーでの各国使臣会議の話に出てくる、万民共同会の鎮圧に兵力を使う事に同意させ、そこから生じた責任を各国使臣に転嫁するつもりだろうという事を念頭に置いて、直接は答えない。(笑)
で、市民は激昂している第一の原因は褓負商の暴行なんだから、差し当たっての措置として一刻も早く褓負商を解散させて、万民共同会との大衝突を避けるべきだろうとした上で、褓負商は、政府の言う事は柔順に聞いて命令に従うそうだし、その解散って難しい事じゃないでしょ?と。
褓負商と政府或いは高宗との関係を日置は知ってるわけで、何か嫌味ったらしい。(笑)

皇帝
負褓商は、昨日直に場外に退去を命じ、今朝又警務使をして之れが退散を命じたるに、今其復命に因るに、彼等は麻浦に退去せしと云へり。
夫れ、褓負商は首班長なるものありて之を統率するを以て、其解散を命ずる敢て難きに非ざるも、協会民の跳梁に至っては頗る其処置に苦めり。

本官
本使一箇人の意見を以てすれば、貴政府たるもの刻下の急に応ぜんには、宜しく民論の趨勢を察し、名望門地あり且つ賢良なる人材を挙げて鞏固なる政府を組織し、文明の治に基き秕政を改良し、着々刷新を期せざる可からず。
而して猶ほ人民の猥りに暴発するものあるが如くなれば、断然なる処置を施す、固より不可なし。
凡し政府は、一国の治安を保全し、秩序を維持するの権利義務を有す。
若し苟くも臣民にして治安を妨害し、秩序を紊乱せんとするものあるが如くんば、之を鎮圧する為め相当の措置を為すは、政府当然の権能に属するなり。
高宗は、これまでも見られたように経緯説明。
褓負商に退去命令を出して、それに従って褓負商は西大門外に退去。
で、さらに退散命令を出したところ、麻浦まで退去したそうだということで、褓負商は首班長というものがあって統率しているので解散を命じるのは難しく無いが、独立協会民の跳梁に関しては大変処置に苦しんでいる、と。

日置は、個人的な見解と前置きした上で、韓国政府が現在の事態に対応するためには、民意を察して名望・門地を有し、かつ賢良な人材により鞏固な政府を作り、文明の治に基づいて秕政を改良・刷新しなければならないとするわけです。
そういった手だてを実施した上で、人民が妄りに暴発するようなら、断然たる措置に出てもしょうがないだろう、と。
んー、都合の良い部分だけ受取そうですが。(笑)

皇帝
然り。
誠に貴公使の言の如し。
加藤公使始め、貴代理公使は能く我国の事情に通暁するを以て、今更申迄もなき事ながら、韓人中には往々事端を滋し禍機を醸成せんと欲して、或は外国人に牽連して陰謀を企て、或は種々雑多なる風説を流布して人心を刺激するもの多し。
此等悖類の為めに、貴軍隊若くは居留人の軽動することなからんことを望む。

本官
曩きに陛下、李仙得をして旨を本使に伝へらるるに当り事詳に答奏したるが如く、我守備隊の応に勤むべき職務は、即ち公使・領事館及び居留民の保護にあり、之を置て他に何等関係を有せざるは勿論、苟も貴国人の為め使嗾せられ、其街中に陥り軽挙暴動するが如きは断じて無之を以て叡慮を靖んぜられたし。
猶、此機会に於て一言奏上致置度は、我居留民の京城にあるもの其数頗る多く、随て貴国人との交通頻繁なを以て、此次事変に際し貴国人の乱を避け、身を我居留民に寄するもの往々有之と聞く。
右は我居留民に於ても平素親交上止むを得ざるに出で、敢て他志なきを以て為之誤解の生ぜざる様致度し。
将又、我居留民は、貴国人と通謀して貴国の政治上に関し運動を為すを許さず。
否、堅く之を禁断するなり。
特に、此際に於ては本使は一層注意を加へ、取締を厳にし居るを以て、御懸念は全く御無用なり。

皇帝
貴公使の用意周到なる、夫れ此の如くなるは、朕の深く感謝する所なり。
一応、日置の言う事に納得してみせた後、前回の『機密第53号』にもあったとおり、韓廷は常に日本人が公同会に加担するという疑念を持っているわけで、これを呈して見せる、と。
反政府的或いは開化派の韓国人が、それに頼るという構図自体は高宗も理解しているんですね。

これに対して日置も、そのまま本務は公使・領事館及び居留民保護だから、これ以外に関係しないし、韓国人に使嗾されて軽挙暴動するようなことは断じて無いから安心しろ。
日本人居留地に逃げ込む者があるようだが、個人的な親交のよりやむを得ないものであり、他意は無いので誤解しないように。
居留民にも、韓国人と通謀して韓国の政治に関する運動への参加を堅く禁じているので、心配無用、と。
実際この辺は、前回最も気にしていた部分ですからねぇ。

因云、陛下は先づ各国使臣の意向を確め、兵力を以て万民公同会を抑圧せんと希望せられたるものと察せらる。
去れば、其劈頭第一に各国に於ける事例を問ひ、援ひて当国今日の形勢に移り諮詢せられたるものにして、英・仏公使、独逸領事は、本官同様専ら褓負商解散説を唱へ、米公使は自国の例証を援き曰く、米国は民主国にして民論を貴び、之を以て国是と為すが故、曾て米国政府は、兵力を用いて民論を鎮圧したる一士官を処刑したることさへありと述べ、露公使は之に反し、他国はいざ知らず、自国に於て若し今日の如き場合に臨まば、勿論兵力を用いて之を鎮圧すべしと奏したる由にて、此論著しく陛下の意に適合し、感触よかりしとの評判ありし。
ということで、高宗はまず各国使臣の意向を確認して、兵力で万民共同会の鎮圧を希望したようだ、と。
そのために、まずは各国の事例を聞いて、その後韓国の現在の形勢に話を移して誘導しようとしたんですね。
で、イギリスとフランス公使、ドイツ領事は褓負商を解散させろ、と。
アメリカは、民主国であり民論が最も大事であり、兵力で民衆を鎮圧した士官を処刑したこともあるよ、と。
ロシアは、他国はどうするか知らないが、ロシアだったら勿論兵力で鎮圧する。
この、ロシア公使の意見が、最も高宗の意志に適合して、感触が良かったという評判がある、と。

んー、これ以上はこの時点ではツッコミようが無い。(笑)


ってことで、今日はここまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九)
帝国の迷走(二十)



内閣大臣の更迭表なんかを見ていると、どれだけ乱れてたのか丸わかりで、視覚的には楽しいんですが、かなり無駄なテキストを起こした気にはなっている、dreamtaleです。
ども。

今日も、アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/6 明治31年11月16日から明治31年12月10日(レファレンスコード:B03050003300)』を見ていきます。
また長文の史料なんですが、今回は前回のようには後悔しなさそうな史料。
1898年(明治31年)12月10日付『機密第53号』より。

事変に対する一般の処置具報の件

韓京に於ける過般の騒擾に対する措置に就ては、追々具申の次第も有之候処、尚ほ其際本官が我守備隊及我居留民居留地に対し執りたる一般の処置、大要左に開陳及具報候。

一.我守備隊に対する処置
韓国軍隊及警察の無能力なるよりして、我駐箚隊は唯一の雄鎮として我公使館・領事館及居留民の保護に任ぜるのみならず、事実上に於ては間接に漢城一般の平和を維持せるものとして、韓国官民及内外人の甚だ重きを措く所なれば、其一挙手一投足は人心に非常の影響を与ふるを以て、本官は旨を守備隊長に伝へ、此際行軍演習等多少世の注意を惹くべきことは、勉めて之を避けしめ、兵士の遊歩区域も、之を日本居留地付近にのみ限らしめたり。
殊に事態の切迫に伴ひ、万民公同会も趙・閔・負褓商の徒も、自党の勢力を張り人心を維かんが為めに、各々盛んに流言浮説を捏造して、我守備隊より隠然援助を受け居る如きことを声言するに至りたるを以て、我将校士卒等には極めて言動を慎み厳然中立の地位を守り、苟も或一派に対して同情を表示する如き形跡なからしめんことを力めたり。
韓国軍隊も韓国警察も無能力。
日本の駐箚隊は、日本の公使館や領事館、居留民の安全を守るだけでなく、間接的に京城一般の平和を維持するものとして、韓国の官も民も外国人も一目置いている、と。
この時期、半島に駐留している日本軍や警察等が、どれほどの規模なのかは不明。
ただ、電信守備兵なんかもかなり減員したわけですし、それほど多い人数でも無いと思われます。
尤も、韓国軍隊も韓国警察も無能力というのは、開国直前からこの時までずっと、ですからねぇ・・・。

ということで、日本の駐箚隊は一目置かれると同時に、これまでの経緯もあって、今回の独立協会の一件に関しても一挙手一投足が注目の的であり、且つその動きによる影響は非常に大きいものなわけですな。
そこで日置は、恐らくは関連性を疑わせる等の誤解を極力避けるため、行軍演習等の少しでも世間の注目を惹くようなことを避け、兵士が歩く範囲も日本人居留地付近に限定、と。
西=ローゼン協定に抵触したとかいちゃもん付けられても、面白くないですしね。

しかし、事態が切迫するに従って、万民公同会側も、趙秉式や閔種黙や褓負商側も、どちらも虎の威を借るかのように盛んに「俺達、密かに日本守備隊から援助してもらってるんだぜ~」と流言浮説を流す。
巻き込むなよ。(笑)

従って、日本人将校や士卒には、言動を極めて慎んで厳然と中立の地位を守り、どちらか一方を応援したりするような事が無いように努めさせた、と。

而して去月21日、仁化門前に於て、公同会と負褓商徒との衝突より公同会員は多く逃避し、其幾部は敵の追撃を恐れて日本居留地とも云ふべき泥峴街方面に逃るるに及んでは、負褓商徒の之に追尾し来らんも料り難く、延ひては我居留民の生命財産に意外の災厄を来すの虞ありしを以て、即時守備隊の兵士6名をして泥峴街の周囲を巡邏せしめ、以て予戒せしめたり。
尤も右の巡邏兵には、我に攻撃を受くる場合の外、如何なることありとも手出しす可からざる旨を厳に内訓せしめ置きたり。
21日午後より26日皇帝の親諭に至る迄の間、城内には乱民日夜騒擾を極むるあり。
城外には麻浦津頭に負褓商徒の屯集して、将に城内に攻入らんとする姿勢を示すあり。
殊に不穏の風説盛んに流布するを以て、人心恂に形勢の危殆非常の度に達し、今にも漢城を挙げて一の修羅巷と化了するやも料り難かりしを以て、本官は我守備隊長と協議の上、万一の場合には守備隊の主力を以て公使・領事両館を護衛し、城内遠隔の地に居留せる本邦人は、一切引揚て泥峴街付近に集中せしめ、泥峴は要路要所に歩哨を附し出入の監査を厳にし、以て如何なることあるも災害の本邦人の生命財産に及ぶなき様の手筈を定め置けり。
又た、貞洞に在る諸外国公使館・領事館にては、少数のコサック兵ある外護衛兵を有するものなきを以て、各使臣中往々万一危急の場合には、我兵の一部を護衛に借受くること叶ふ間敷やを問ふものありたるを以て、予め内意を守備隊長に伝へ、万に一止むを得ざる場合には、本務を妨げざる限り、少詳の兵を貸与するを得べき丈の準備をなさしめ置けり。
そういう訳で、日本はどちらにも付かずに中立を守ろうとしていたわけですが、11月21日、つまり8月11日のエントリー辺りで起きた、褓負商による万民共同会襲撃事件で共同会員の多くは逃げ、そのうち褓負商の追撃を恐れて日本人居留地付近の泥峴街方面に逃げてきた者が居る。
勿論、褓負商の追撃などによって、もしかしたら日本人居留民の生命・財産に危害が及ぶかもしれないので、すぐさま兵士6名に泥峴街周辺を巡邏させて警戒態勢。
尤も、専守防衛に徹するように厳しく内訓しておいた、と。
こっちから手を出したら、それこそ干渉したと見なされる可能性もありますからねぇ・・・。
厄介な事で。(笑)

で、21日の万民共同会襲撃事件以降、これまで見てきたとおり、万民共同会による趙派の私邸破壊事件があったり、万民共同会が反撃に出て返り討ちにされ、不穏な噂も盛んに流れるなど、京城が修羅場と化すかも知れないため、遠くに住んでいる邦人も泥峴街付近に収容し、厳戒態勢。

また、諸外国の公使館や領事館では、少数のコサック兵、つまりロシア以外は護衛兵を持っているものも居ないため、万一の場合には日本の守備隊を護衛に借り受ける事は出来ないかな、と聞く者もあったため、守備隊長に万一やむを得ない時には、日本人護衛等に差し支えない限り、いくらかの兵士を貸与する事が出来るだけの準備をさせておいた、と。
確か、イギリスなんかは、水兵を入京させて公使館護衛に充ててましたな。
まぁ、韓国の軍隊や警察は無能力ですしね。(笑)

二.京城居留民及居留地に対する処置
我守備隊に於けると均しく、居留民の嚮背は実に両派の勢力の消長に一大影響を及ぼすべく、加之韓廷に於ては常に日本人が公同会に加担すとの疑念を挾み居るを以て、若し我居留民にして直接若くは間接に之に声援を与ふるが如き形跡ありては、甚だ好ましからざる義と信じたるを以て、本官は特に此点に苦慮し、領事と熟議して、我居留民は何れの党派に向っても一切直接・間接の干係を有することなからしめ、且つ苟くも騒乱を助長する如き言動は、一切之を禁圧せしめたり。
然るに、21日仁化門前の事変あるや、公同会員は孰れも皆我居留地方に向って逃走し、少時にして南山下和将台には韓人の山を築くに至れり。
而して、彼等の為す処を見るに、或は演説に或は謀議に只管再挙を画策する者と認めたるを以て、本官は直ちに国分通訳官を外部に遣はじ、和将台は我居留民地に接近し且つ其付属公園地なるを以て、此地に於て斯る会合を催さるるは迷惑なるに付、速に解散せしめられたき旨を照会して、我居留地附近に於ける彼輩の集合は、我の認容する所にあらざる意味を明にし置き、同時に我警部を現場に派して、同様の趣意を以て解散を論ぜしめたるに、彼等は容易に之に服して立去りたるも、中には「吾等は今や褓負商の襲撃に会ひ、僅に南山下に一安全の場処を占めたり。
思ひしに、再び解散を命ぜらる日本公使も亦酷薄なるかな。」との怨声を洩したるものもありと聞けり。
乍去、同日以来韓人の我居留民地に避難潜伏するもの、日に多きを加へ、中には公同会中の錚々たるものもありて、之れが為め我居留地は、或は公同会派謀議の本陣と化成せざるやの虞を生ぜり。
日韓人間個人的の交誼よりして、犯罪人にあらざる一般の避難者を容つつこと止むを得ずとするも、韓国内政に関係する事件に対しては、我居留地は厳然中立の態度を執るべきこと勿論なるを以て、本官は我領事と協議して、避難韓人に対し、苟も我法権の下に潜む以上は、単純なる避難者として謹慎蟄居するの外、何等運動ヶ間敷言動をなす可からざる旨を伝へ、若し之に遵はざるものは、一切居留地内に居住を許さざるべしと申渡さしめ置けり。
尚、我居留地に潜伏せる韓人中には、時に或は去りて鐘路の集会に出掛け、其他市中に於て各種の運動を為し、勢の不可なるに及んでは再び我居留地に逃帰る等、殆んど泥峴街を以て一の本営となす如きものなきを保せざるを以て、此等の輩に対しては一たび市内に還帰して群に■したる以上は、最早我居留地に潜伏するを要せざるものと見做し、仮令再び逃れ来るも一切之を収容せざる可き旨を厳重に申渡置き、尚ほ各人の挙動に就きては、我警察をして充分の注意を加へしめ置きたり。
韓廷が常に日本人が公同会に加担するという疑念を持っているというのは、これまで壮士が開化派を援助していた過去からすれば、当然の疑惑なわけで。
そんな中で、居留民が直接的に或いは間接的に声援するような事があれば、当然日本にとって好ましくない状況となりますわな。
そこで、居留民に向かっても厳正中立を守り、騒乱を助長するような言動を禁圧。

それなのに、何故か前述のとおり褓負商による万民共同会襲撃事件で万民共同会員が居留地近くに逃げてくる。(笑)
しかも、演説かましたり謀議したり再挙を画策したりと、日本の庇護の下で好き勝手やっているかのような行動に出るわけで。
マジ、迷惑だから。(笑)

日置も、韓国の外部に対して迷惑だから解散させろよ!と、居留地に逃げ込んでることを許容しているわけではない事を明らかにすると同時に、逃げてきた共同会員に対しても解散命令。
すると「折角褓負商から逃げてきたのに解散するとは、日本公使は薄情ニダ!<#`Д´>」という者も居たようだ、と。
いつもの、片務的な思い遣り要求ですな。(笑)

で、解散命令を出したのに日本人居留地に潜伏する者は日々増え、中には万民共同会の重要人物も居る。
李承晩とかこの中に居たら笑うのに。(笑)
日韓人の個人的友誼で、犯罪人ではない者を容れることは仕方ないとしても、韓国の内政に関する事件に対して日本は厳正中立の態度を保持しなければならない事から、避難してきた韓国人に対して、日本人居留地に逃げてきた以上は、単なる避難者として謹慎蟄居し、運動に見えるような言動を禁止。
これに従わない者は、居留地に居る事を許可しない、と。

居留地内に逃げこんだ韓国人中、時には鐘路の集会に出かけたり、市中で各種の運動をして、状況が不利になると居留地に逃げ込むように、何故か日本人居留地が拠点化している事から、一回市中に戻って運動したものは、最早日本人居留地に潜伏する必要性が無いものとして、再び逃げてきても収容しないと厳重に申し渡す。
都合によって華麗に立場を変えるのは、得意ですからねぇ。

三.各港居留民に対する処置
本官は、今回の事変の影響京城附近に止まり、差当り内地及各開港場に波及する如きことなかるべしと思料したれども、京城不穏の風聞は、漸に誇張して各地に伝播し、或は物情の不安を来すなきを保せざるを以て、22日各港駐在の我が領事に向って事変の原因・進行等を電報し、且つ本邦人には差当り何等危害の及ぶべき模様なきに付、各港駐留の我邦民は安堵業に従ふべき旨を訓達したり。
然れども、仁川は京城に接近し、干係も自ら重大なるのみならず、危機一転せば如何なる必要を生ずるやも計られずと存じたるを以て、当時鎮南浦方面へ巡航中なりし我警備艦鳥海号を仁川に呼寄せ、当分の間停泊すべき旨を訓令し置きたり。
26日皇帝親諭後、事態静穏に帰したるを以て一先づ諸般の警戒を解き、28日其旨を各港に電報し、同時に鳥海艦長へは任意の出港差支なき旨を達せり。
右具報申進候。
敬具
この、独立協会の動きが地方に波及する恐れは今のところ無いだろうけど、京城不穏の噂はその内誇張されて各地に伝播し、あるいは物情不安を来すかもしれないので、一応各開港場等には経緯を伝達。
つうか、「誇張」が前提になっているようで。(笑)
で、そのうちで仁川は京城に近く、関係も重大で、状況が一変すればどうなるか分からないので、一応警備艦鳥海号を寄港させておき、26日の高宗の親諭とともに、それら警戒態勢の解除がなされた、と。

なんで日本人を巻き込もうとするかねぇ・・・。


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八)
帝国の迷走(十九)
帝国の迷走(二十)



1898年(明治31年)11月23日付『機密第52号 当国近来国状具報并右に関する卑見具申の件』は前回で終わったわけですが、地勢的にあの位置になければ、本当に放置プレイで崩壊させてたかも知れませんねぇ。
まぁ、逆説的に日本が韓国の内政に干渉せざるを得ない原因があるわけですが。
現代においては、軍事的なものとしては意義を完全に失っているものの、経済的にはアジア他地域や世界的に連動する恐れはあるわけで、IMFなんかのお世話になったりするわけです。
では、IMFなんてなかった当時に於ては?(笑)

ってことで、今日もアジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/6 明治31年11月16日から明治31年12月10日(レファレンスコード:B03050003300)』を見ていきましょう。
1898年(明治31年)12月7日発『電受第410号』より。

万民公同会は、皇帝の親諭に基き一時退散したるに、皇帝の誓言一も実行せられざるを見て、昨日来再び鐘路に集会し、引続き示威運動を試みんとするの模様あり。
負褓商の一部分も其筋の内訓に依り、今尚ほ城の内外に潜み居りて、万民公同会の挙動に注目しつつあり。
結局、高宗は口だけ。(笑)
というわけで、万民共同会は再び集会し、示威運動しようとする雰囲気だ、と。
一方で、褓負商はその筋の訓令で、未だに潜みながらその挙動を監視中。
んー、もう一波乱あありそうな雰囲気ですねぇ。

続いては、またもや長文の史料。
まぁ、中身は人事の話であまり重要でもないんで、一気に引用したいと思います。
1898年(明治31年)11月31日付『発第81号』より。

韓廷閣■更迭の続き

独立協会が政府改造の目的を持って、■般改革を朝廷に迫りたる結果、屡次閣員の更迭を来しつつある儀は、本月16日附発第77号を以て及■報告置候処、猶又其後の交替を記載せば、正二品金明奎は去る17日農商工部大臣に任ぜられ、超て19日を以て申協弁の内部大臣署理を解き、漢城判尹鄭益鎔は去る20日依願免官同日参領李根■其後を襲ぎ、又21日に於ては、参政金聲根の代りに副将閔泳煥、内部大臣沈相薫の代りに従一品朴定陽、議政府賛政趙秉稷、同崔益鉉の代りに従一品徐正淳及中枢院議長李鍾健任命し、金根聲以下孰れも宮内府特進官に転じ、同日趙軍部協弁の同部大臣署理を解き、賛政李鍾健をして臨時之れを署理せしめ、其翌22日、李学部大臣の臨時内部大臣署理を解き、更に其署理を尹内部協弁に命ぜり。
同日又■きに逮捕を命ぜられ居たる尹致昊を特赦して、中枢院副議長に命じ、23日に於て再び尹を漢城判尹に転じ、同日閔度支部大臣の■■を裁可し、又負褓商に関係ありとて万民公同会(独立協会と皇国協会との連合協会)が攻撃■点となって政府に処罰方を脅迫したる、■米特命全権公使兪箕煥、又会員が民家を破壊せしを強圧せざりし■を以て、漢城判尹李根■を均しく懲戒免職に処し、24日参政閔泳煥の■職を聞届け宮内府特進官に移し、同時に内部大臣を命じ、朴定陽を内部大臣■参政に■叙し、李鍾健の軍部大臣署理を解き、閔泳煥臨時署理兼任を命ぜられ、宮内大臣閔丙奭は宮内府特進官に転じ、閔泳奎其後を襲ぎ、同時に同府協弁閔泳瓉其署理を命ぜらる。
又、李容稙を学部協弁より参賛に移し、従二品尹■求を其後任に命じ、参賛権在衡は農商工部大臣に、農商工部大臣金明奎は賛政に、警務使閔丙漢は宮内府特進官に転じ、従二品李根澔警務使となり、賛政金明圭を臨時署理議政事務に命じたり。
而辞して受けず。
25日、閔泳瓉の宮内府大臣署理を解き、同氏を学部協弁に移して同協弁尹■求を宮内府特進官となし、宮内府協弁を尹定求に、宮内府大臣署理を賛政金奎弘に命じ、26日、内部大臣兼軍部大臣署理閔泳煥、外部大臣朴斉純、学部大臣李道宰は、同日に於ける皇帝陛下が敦礼門外に臨御■議の時に■■せざりし廉を以て各■官を免ぜられ、同時に外部は同協弁閔商鎬、軍部は同協弁趙東潤、学部は同協弁閔泳瓉、各其大臣署理を命ぜられ、27日賛政李鍾健中枢院議長に■じ、翌28日趙軍部協弁の同大臣署理を解き、李鍾健之れを署理兼摂し、同日前内部大臣閔泳煥、前学部大臣李道宰、前外部大臣朴斉純の懲戒を特赦して復職せしめ、又各協会及其他より高泳根、李時雨、渠弘黙、尹履炳、兪奭濬、李南珪、尹夏栄、崔廷徳、金炳駉、姜相驥、洪鐘檍、宋達顕、金相範、李琦、都鎮三、李教奭、尹始栄、魚瑢善、宋秀晩、李秉胎、尹始炳、李徳夏、趙漢卨(咼の上にト)、玄済昶、鄭恒謨、元世性、金連植、李金煥、洪在箕、申海永、李秉膺、尹奭栄、洪鐘宇、金永祐、李承晩、朴夏成、李埈悳、李観済、鄭寅穆、洪在厚、金奎■、柳汶秀、南宮憶、崔錫彰、■河璡、劉猛、朴采東、沈殷澤、朴永駱、孫承鏞の50名を中枢院議官に任ぜり。
中枢院議官の数此如く増員したる源因は、畢竟前日来独立協会、皇国協会即ち万民公同会が熱心に中枢院官制の改革を主張し、并せて其議官を其協会より撰抜暗々裏に要挾したるの結果に外ならず、而右50名の内独立協会より推■せられたるものは17名なりと称す。
然るに、此17名は目下御■けを■さずとて夫々評議中なりと云ふ。
茲に閲覧に便ならしむる為め、別表を製し聊か区別明瞭ならしむる所あらんとす。
右及具報候。
敬具
長ぇ・・・。
さて、ここに書かれた事を理解できましたでしょうか。
入れ替えが激しすぎて、僕には無理です。(笑)

ただ、興味深い記述が1つあります。
まず1点は、万民共同会を独立協会と皇国協会との連合協会としている事。
今までの史料を見ても両者は敵対関係にあり、恐らくは誤りだと思うんですが、独立協会と直接激突したのは「褓負商」とされており、「皇国協会」の字が見えないわけで。
その辺から見て、ちょっと興味深い。

第2点は、中枢院の議官に選ばれている者の人名ですね。
「李承晩」と。
巷間、韓国初代大統領の李承晩が、独立協会に所属していたという話があるわけですが、とりあえず名前が残っているのは事実である、と。
まぁ、どのように同一人物である事を確認したのかは知りませんが。(笑)

さて、この文ではさっぱり要領を得ませんので、添付の別表を見てみましょう。

元図から、8月16日のエントリー同様、分かりやすいように、合体させてみた。 ↓

激しく更迭2 (クリックで拡大)


ついでに、かなりずれてはいるものの、8月16日のエントリーの更迭一覧表と合体させてみた。 ↓

合体してみた (クリックで拡大)


んー、壮観。(笑)
つうか、何がどういう傾向で起きているのかは分かっても、何を考えているのかがサッパリ分からないわけで。
まぁ、場当たり的な対応なんでしょうから、分からなくて正解なんでしょうけど。(笑)


少し早いですが、今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七)
帝国の迷走(十八)
帝国の迷走(十九)
帝国の迷走(二十)



前回から紹介している、1898年(明治31年)11月23日付『機密第52号 当国近来国状具報并右に関する卑見具申の件』ですが、高宗が殷の紂王に例えられてたり、高宗の勅命ほど信用出来ないものは無いと言われてたり、結構衝撃的な内容になっております。
まぁ、半島の歴史に詳しい人なら、「さもありなん」と思うのでしょうけど。(笑)

それでは、今日も1898年(明治31年)11月23日付『機密第52号 当国近来国状具報并右に関する卑見具申の件』の続きを。

形勢右の如くなるも、帝は其真象を了解すること能はず、唯一時の事変に驚怖して多少調和の方向に傾けるの状あるも、時機あらば忽ち転じて民衆を圧抑せんとの意志は、昨日本官謁見の時に於ける帝の言語中に、之を包含することを感ぜしめたり。
本官は、本月5日の独立協会逮捕事件の始まりたるに際して、其結果の容易ならざるを察し、直に露公使を訪ひ皇帝に勧告を試みんことを提議したれども、露公使は後援なき勧告は之を■棄せらるること明なれば、同意するを得ず。
即ち、干渉にあらざれば到底無駄なり。
日露協商は、遠からず破ぶらざる可からざる時機来る可しと信ずる旨を申居れり。
又、其後屡々英米公使等に対して、可成多数の声を以て、此際皇帝に信実なる勧告をむるを利なりと信ずる旨を以て勧誘したるに、英公使は敢て卑見なしと雖も、米公使の云ふ所は、吾等の助言は此迄幾度違背せられたるかを知らず、否、之を濫用せられたること少なからず。
予は韓帝に対する勧告の到底無益なることを知るとて、本官の命令を訝るが如く、現に日露協商の結果露国が手を引きて以来、僅に5、6月を過ぎざるに、此間に於ける経過は、当国の独立し能はざる充分の証拠を与へたるに非ずやと迄、極言致候。
冒頭記したような状況になってすら、高宗は事態の深刻さを理解できない。
一時の事変にビビッて多少調和の方向に出ても、時機あれば民衆を抑圧しようと思っているのは、11月22日の謁見での言葉の端々に感じる事ができた、と。

日置は、独立協会員逮捕事件が始められた際に、それによる事態の悪化を予測してロシア公使に高宗へ勧告しようと提議してみたが、ロシア公使は「後援のない勧告なんて、高宗にはほっぽらかされるんだから、干渉に出ない限り無駄だろ。( ´H`)y-~~ 」とスルー状態。
おまけに「西=ローゼン協定って、近いうちに破らなきゃ駄目な時機がくるっしょ?」と。

一方アメリカ公使は、「これまで何回我々の助言を違反した?いや、我々の助言を濫用したことすら少なくないだろ?俺は、高宗に勧告するって無益だと思うけど、お前何考えてんの?( ´H`)y-~~ 」と、こちらもスルー状態。
このように信義を失って、在韓米軍の撤退が早まったり、アチソン・ラインが宣言されたりするわけですな。(違

おまけに「西=ローゼン協定でロシアが手を引いてから、5~6ヶ月しか経ってないのに、その間の大韓帝国の動きは、独立できない充分な証拠だろ?」と極言する有様。
8月14日のエントリーでは、日置が述べた風味でしたが、アメリカ公使もそのように述べているわけで。

ロシア公使曰く、「高宗には、干渉しない限り何言っても無駄。」
アメリカ公使曰く、「大韓帝国は独立国としてやっていく能力が無い。」
独立協会の一件って、日本人が思う以上に大韓帝国の行方を決定づける、重要な事件だったのかも知れませんねぇ・・・。

事情此の如くなるに拘はらず、本官は一昨夜皇帝が各使臣を引見せらるるの通知に接するや、直に書面を主席公使に送り、明日の謁見に於ては必ず刻下の形勢に関する本使等の意見を徴せらるることと察するに付、謁見前各自の意見を打合はせ置く方便宜ならんと申遣し、同意を得たるに付、預め目下の善後策として別記7条目を勧告することに一同の同意を得んと欲し、覚書を懐にして昨日米館に会し、本官は目下の形勢は頗る容易ならざるものと認め、今日の場合を利用して爰に充分信実なる助言を帝に試み、幾分か此形勢を改良することを一般の利益なりと信ずるに付、可成は帝に対して連合勧告を為すことと致度との希望を述べたるに、米公使は、韓廷に対して抗議は之を為すことを得るも、勧告を為すは我訓令の範囲外なりと述べ、継て露公使は、日露協商あるが故に勧告を為す能ずと申出たり。
依て本官は、露公使が日露協商の為めに勧告を為す能はずと。
ならば本官も等しく為す能はざる訳なり。
乍併、本官の意見にては、日露協商は内政に干渉することを束縛するも、勧告と干渉とは決して同視すべからず。
殊に今回の如き、帝が進んで之を求むるに方り意見を述ぶるに、何等差支なきを辨じたる処、仏公使より兎に角一応謁見を為し、先方の言を聞きたる上、議すべきことあらば退て会議し、重て上奏することとしては如何との仲裁説出て之に決したり。
8月15日のエントリーでの謁見の、前日の模様ですな。
日置は諦めずに、みんなで高宗に勧告しようよ、と。
これに対してアメリカ公使は、「いや、訓令の範囲を超えるからパス。( ´H`)y-~~ 」
ロシア公使は、「西=ローゼン協定に引っかかるから、パス。( ´H`)y-~~ 」
「西=ローゼン協定に引っかかると言えば自分も勧告できないけど、自分の意見では、今回は高宗自らが意見を求め、これに対して意見を述べるんだから差し支えないんじゃね?」と必死で食い下がるものの、フランス公使の「ま、明日謁見してみてからで良いんじゃねーの?( ´H`)y-~~ 」という仲裁案で決まっちゃった、と。

韓国にとってではなく、日本にとって、日置のように事態が悪化しないように頑張るのが良かったのか、他国の公使のように放っておけば良かったのかは、後世の歴史が物語ってますな。

此場合に於て各使臣の口気を察するに、帝は是迄人の忠告を容れずして、唯悪事のみを働き今日の難局を醸し、今に至って吾等の意見を聞き、責を外国使臣に嫁せんとするに外ならざれば、之に利用せられて己れに思わざる禍を惹かざる様注意すべしと云ふの意は、蔽ふべからざるものありと雖も、尚深く実際の形勢に注目するときは、頗る微妙なる事情の此間に伏するものありて、一方に於ては、帝は国家を堵しても一度は独立協会を撲滅したしとの希望を抱き、一方に於ては、民怨は益々鬱積して制す可からず。
今若し帝に勧むるに、威力を以て民衆を鎮圧すべきことを以てするも政府に力なく、兵丁巡検の模様前陳の如くなれば、果して其効を奏し得るや否や、極めて疑はし。
仮りに政府が、一時其目的を達すべしとするも、今日の気焔は到底之を以て殲滅し終るべきに非ざれば、延いて全国の騒乱を醸すに至るの虞あり。
然らば、断然帝を恐嚇民意を容れしめんとするか、実際に威力を用いるの決心あるにあらざれば、帝は決して勧告を嘉納せざるべきを以て、改革の実施を見ること覚束なし。
加之ならず、此種の勧告を以て帝を牽制するときは、飽くことなき韓国民衆の気焔益々高まり来り、帝は従って益々窮策を用い、其結果収拾す可からざるに至るべき虞あり。
事情此の如くなるを以て、此際に於ける一挙一動は、極めて慎重を要するものにして、結局最後の決心なき以上は、各国使臣も亦明確なる態度を表すること能はざるは無理ならざる次第なりとす。
んー、何かこの史料、現代の半島の分析かと思っちゃいますね。(笑)

使臣会議での各国使臣の物言いからすると、高宗は人の忠告を聞かずに、ただ悪事だけを行って今日の難局を起こし、今になって各国使臣の意見を聞こうとするのは、外国使臣に総て責任転嫁するつもりだろうから、その高宗の思惑に利用されて、思ってもいない禍に巻き込まれるのは御免だね、というのは見え見え、と。
責任転嫁は半島の華。(笑)

さらに深く注目すれば、さらに微妙な事情があるわけで、高宗は国を賭けてでも一度は独立協会撲滅の希望を抱き、民衆は益々鬱積して抑える事が出来ない。
高宗に、武力で鎮圧するように述べたとしても、実行する力は大韓帝国には無く、しかも兵士や巡検は前回のように皇帝ではなく、万民共同会よりであるため、成功するかどうかは極めて疑わしい。
仮に一時的に目的を達したとしても、今日の民衆の意気込みは、到底それだけで殲滅できるものでもなく、そのうち全国に騒乱を巻き起こす可能性すらある、と。

そうなると、無理矢理高宗を脅して民意を受け入れさせるか、実際に武力を用いる決心がなければ、高宗は決して勧告を受け入れないだろうから、いずれの場合でも改革の実施は覚束ない。
それのみならず、こういった勧告で高宗を牽制すれば、飽くことなき韓国民衆の気焔は益々高まり、高宗はそれに伴って益々窮余の策を用い、そうなれば収拾がつかない事態に陥るかもしれない、と。
「飽くことなき韓国民衆の気焔」。
日本人は、戦後もず~っと目撃してきましたな。(笑)

というわけで、現在における一挙一動は極めて慎重さが必要であり、結局最後の決心がなければ各国使臣も明確な態度を表すことが出来ないのも、無理からぬ事だ、と。
この「最後の決心」は、「実際に威力を用いるの決心」の事なんでしょうね。
要するに、武力による介入の決心ということでしょう。

本官は、不干渉的日露協商は、到底久しく継続す可からざることを最初より確信するものにして、帝国政府の方針にして、少くとも或期限間は当国の平和を維持するを必要とするに於ては、積極的方針を取り、単独若くは他列国と共同して干渉するに非ざれば、其目的を達せざることを信ぜり。
盖し当国形勢は、之を物に例ふるときは、恰も一の腐朽したる家屋の如し。
之を風露に暴らし傍観するときは、忽ちにして墜落すべし。
若し之を久しきに維持せんとならば、常に必要の修理を加へ、場合に依りては土台、柱迄も取替る迄の大修繕を施すの必要ありと信ず。
帝国政府が従来取り来りたる放任政畧及び、其正と不正とを問はず、一に帝の慾望を充たすと云ふが如き、換言すれば、重病に罹れる者をして益々不養生をなさしめんとする政畧は、今日となりては断然之を一変せざる可からざることと信ず。
本官の意見にては、目今の趨勢に徴し、帝国政府に於て解釈し、又実施ぜざるべからざる問題は、結局左の数条に帰すべしと思考せり。

一.帝国政府は(露政府若くは其他と共同にてか)、断然たる決心を以て当国の内政に干渉し、帝を翼賛し、亦圧抑して弊政の改革を実行せしむ可きか

二.又は日本に在る亡命者、朴泳孝等と帝との間の媒介の労を取り、彼等をして今一応自治を維持せしむることを試むるか

三.或は此趨勢を此儘棄置き、愈々大破裂に至りたるときに於て、断然たる処置をなすか

目下幸加藤公使滞京中に付、兎に角対韓政畧に付永遠の方針御決定相成候事緊要と存候。
右事情具申旁、卑見及上申候。
敬具
西=ローゼン協定での不干渉方針って長続きしねぇだろと最初から確信してたって、まぁ実際にそうかも知れないが、この時点で口に出しちゃマズイっしょ?(笑)
で、日本の方針が大韓帝国の期間限定だとしても平和を維持する必要があるならば、積極的対応をして、単独か他国と共同かで干渉しない限り、その目的は達成できないだろう、と。

例えるなら、今の大韓帝国は腐って朽ちかけた家のようなもので、このまま風雨に曝しとけば、遠からずぶっ壊れるだろうから、もしこれを暫く維持するなら、常に必要な修理を行い、場合によっては基礎や柱まで取り替える大修繕が必要だろう、と。
だからって、何も日本が家ごと買い取って、支えてやる必要も無かったでしょうにねぇ。(笑)

で、これまで日本が取ってきた放任政策や、それが正しいか不正かを問わずに高宗のやりたいようにやらせるような、言わば重病人にさらに不養生させるような政略は、変えなければならない、と。
つうか、国家運営を韓国人に任せっぱなし=重病人に不養生させるようなもんですか。
素晴らしい例えですね。(笑)

ということで、日本の対韓政策は3つに絞られるだろう、と。
1つは、単独か他国と共同かで、断然たる決心を以て大韓帝国の内政に干渉し、高宗側につくか高宗を押さえつけるかする。
次に、日本に亡命している朴泳孝あたりを担ぎ出して、とりあえず一応の自治を維持させるか。
最後に、このまま放置しておけばいずれ崩壊するんだから、その時になってから断然たる処置に出るか。

放置して、崩壊しっぱなしにすれば良かったのに。( ´H`)y-~~


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六)
帝国の迷走(十七)
帝国の迷走(十八)
帝国の迷走(十九)
帝国の迷走(二十)



事情により昨日もお休み。
つうか、婆ちゃんの件が片付いたら、娘がおたふくって何よ?( ´H`)y-~~

さて、前回高宗が約束を守りそうもないために、内閣が総辞職してしまった大韓帝国。
高宗には、「信義」って決定的に欠けてますからねぇ・・・。

ってことで、今日はアジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/6 明治31年11月16日から明治31年12月10日(レファレンスコード:B03050003300)』より、1898年(明治31年)12月5日発『電受第406号』から。

第148号

昨夜、新内閣組織せられ、ボクエイクワン参政に任ぜられ、其他は前内閣と大差なし。
受任するや否、未だ詳ならず。
ボクエイクワンって、朴泳孝・・・じゃないよね?(笑)
まぁ、誰なのかは良く分からんけど、兎も角みんな高宗は口ばっかりだということで、総辞職を願い出て受け入れられたのに、高宗が改心しないなら再任させても無駄だよなぁ。
ということで、受任するかどうか不明、と。

続いて、1898年(明治31年)12月5日発『電受第407号』。

第149号

英国公使館護衛として、更に陸戦隊10名(武装)本日入京せり。
8月14日のエントリーで水兵6名が入京したのに続き、武装した陸戦隊10名が入京。
んー、8月14日のエントリーでは情勢不穏だったからだと推察したわけですが、寧ろ高宗等にプレッシャーかけるための兵力動員だったのかも知れませんねぇ。

次はまた長文の史料。
史料的に前後してしまいますが、大体8月13日のエントリーで、反独立協会派の家が破壊された頃の史料になります。
勿論、今回の史料も今までの集報のような形ですので、ツッコミ所は少ないんですが。
1898年(明治31年)11月23日付『機密第52号』より。

当国近来国状具報并右に関する卑見具申の件

目下当国の形勢紛擾。
終に底止する所なき有様に至れる次第は、追々稟申の趣にて御承知の義と思考致候。
是より先き、本官は事の此の如くなるべきを見るや、其趨勢の容易ならざる次第、他国の干渉あるべき事等を述べて、一方に於て断然政府の改革を実行し、一方に於て速に安寧秩序を回復すべきことを政府に、皇帝に勧告を試みたること幾回なるや知り難きも、竟に其効を見ず。
盖し政府なるものは、本官の電報にて御承知の如く日夜其人を更へ、確固たる成立を見るの時なく、皇帝は民衆の挙動に対して遺恨に堪へず、常に趙秉式、閔種黙、李容翊等の如き奸臣と謀議し、一に民衆に対し復讐の鬱憤を洩らさんとの悪念に取付かれ居ることなれば、忠臣は退けられ忠言は耳に入らず、曩きには趙秉式等を挙げて独立協会員の捕縛を行ひ、之に頓挫して終に今回褓負商を雇ひ、民衆を打撃せしむるに至れるものとす。
然るに、此最後の手段が民衆を激怒せしめたる度は殆んど測知すべからざる所にして、去る21日の夜の如き大臣等の家宅9軒を無惨に破壊し盡し、昨日の如きは一団の群衆籏を翻して復讐攻撃に向ふ等、殆んど狂気の有様あり。
又、褓負商等が宮城門前に万民公同会の集会を襲撃せし時、帝は厳尚宮を携へ簾を捲き出でて観覧したるのみならず、伝令使を用いて直接に指揮を掌りたり杯の言を云ひ伝へ、一般人民は帝を以て殷の紂王に比し、或は自分等は最早帝の臣民にあらずと絶叫するに至れる程にして、民怨の昂騰は、殆んど其極に達したり。
逮捕された17人の釈放後ってのは、ここに書かれているとおり、運動というより暴動状態になった時期なわけです。
しかし韓国政府はと言えば、8月16日のエントリーで「韓廷閣臣交迭表」を見たとおり、入れ替わり立ち替わりで政府の体を成していない。
高宗は、万民共同会の動きを極めて遺恨に思い、常に趙秉式一派と謀議し、万民共同会に復讐しようという念に囚われ、忠臣は退けられて忠告は耳に入らない。
で、逮捕事件が失敗すると、今度は褓負商を雇って万民共同会を襲撃させる、と。

で、この事がどれほど民衆を激怒させたかは計り知れず、21日の夜には大臣等の家9軒を破壊。
んー、8月13日のエントリーで焼かれた数について迷っていたわけですが、益々分からなくなってきた。(笑)
取りあえず、9軒以上16軒以下ということで。

そして、8月12日のエントリーで退去した褓負商を襲撃して逆襲にあったように、「狂気の有様」と日置が書くような状態に。
しかも、それに先だって褓負商が万民共同会の集会場を襲った時には、高宗が厳尚宮と共に観覧しただけでなく、伝令を使って直接指揮をとった等という話まで出てくる始末。
そのため一般人民は、高宗を殷の紂王に比したり、自分たちはもう皇帝の臣民ではないと絶叫したり、もう民衆の興奮状態は極限に達した、と。

ってか、殷の紂王って・・・。
いやいや、そんな大物では決してありません。(笑)

されば帝も、此目前の形勢には大に恐怖を生じ、遽に閔泳煥を参政に、朴定陽を内部大臣に任じ、又所謂7人の奸臣は之を流刑に処すべしとの勅命を伝へしめ、人心を融和せんと試みらるるの状あり。
乍併凡そ世上に韓帝の勅命程不信用なるものなきは、近く数十日来の事実に於て明白なるのみならず、目下の情勢にては何人が政府を引受くるも上下の間に板挟みとなり、到底満足の処置を施し得る見込なきを以て、閔・朴等も亦進んで其衝に当るの決心なきは明にして、今日韓帝の位置を実際に説明するときは、若し帝の側より趙秉式、李容翊、閔種黙、李基東、厳尚宮等数名を取去らんには、帝は全く孤立にして、彼の数千の兵丁巡検の如きは、此帝の為め銃を執り剣を操るべきや極めて疑わしく、風説に依れば、兵丁巡検は悉く人民に同情を持し、民衆に対し鋒を向くるが如きは、決して之を為さざるべしと誓ひ居るとのことにして、昨日の如き、巡検は某所交通遮断の命を受けたるも、己れは之を実施し能はずとて謝絶し、且つ附言して、帝は負褓商を傭用して民衆を解散せしめたれは、此事亦負褓商に托せらるるの方、適当なるべしと云ひたりとの伝説あり。
是れ、寧ろ実際の状態なるべしと察せらる。
で、人民が高宗を殷の紂王に例えたり、高宗の人民じゃねーと言うような状態ですので、当然高宗はビビる。
この一件以外にも、いつも引き金は自分で引いて、それがブーメランするだけなんですよねぇ・・・。(笑)

そこで、融和策に出ようとして、閔泳煥を参政に、朴定陽を内部大臣にして、所謂7人の奸臣は流罪にするという勅令を出す。
ところが、高宗の勅命ほど信用出来ないものは無い、と。(笑)
最悪だ。(笑)
そして、信用出来ない事が最近数十日間の行動で明白なだけでなく、現在のような情勢では、誰が政府を引き受けても上下の間で板挟みとなって満足な処置はできないだろうから、閔泳煥や朴定陽も進んでその任に当たる決心が無いのも又明らかだ、と。

ということで、高宗の側から趙秉式、李容翊、閔種黙、李基東、厳尚宮等数名が居なくなれば、高宗は孤立無援。
兵士や巡検も、高宗のために働くかは甚だ疑問であり、風説によれば、兵士や巡検は万民共同会に同情的で、民衆に矛先を向けるような事は絶対にしないと誓っているようで、昨日、つまり11月22日には巡検はある場所の交通を遮断するように命令されたけれども、巡検は「俺ぁこんなことできね。」と謝絶し、かつ付け加えて「高宗は褓負商使って民衆を解散させたんだから、この仕事も褓負商にやらせた方が良いんじゃね?ゲラゲラ」と言ったという話があるが、これは寧ろ伝説ではなく実際の状態だろう、と。

全然状況は違いますが、何故か隣国の大統領の顔が目に浮かぶのは、何故なんでしょう・・・?


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
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