これまで見てきた通り、史料がアジ歴のあちこちに散らばってるので、中々纏めるのが大変・・・。
まぁ、漏れてる内容があれば、追々追加していきますので。

それでは前回の続きから。
この7月頃から、日本・朝鮮間では京釜鉄道関係の話が出始めたり、京城・元山間及京城・義州間電信線の還付に関して日本が閣議決定を済ませ、交渉に入り始めている時期に当たります。

京釜鉄道については、別途取り上げるつもりなので省略。
電信線の還付については、前の連載で説明済みってことで、先に進みたいと思います。

今日は、アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/8 明治29年3月25日から明治29年11月13日(レファレンスコード:B03050002300)』の、1896年(明治29年)7月12日発『電受第488号』からいってみましょう。

過日、紳士(dreamtale注:恐らく進士の誤り)鄭世虞なる者、現内閣員李允用・李完用・朴定陽・趙秉稷の一派、并に前金宏集内閣員に対し、過激なる弾劾的上疏を為せり。
然るに、被弾劾者の現内閣員は、之を一私人に対する誹譏讒謗と見做し、上疏人を相手取り名誉回復の訴を高等裁判所に提出し、大臣等自身に裁判所に出頭し、一昨日以来日々相手方と対質中なり。
右は多分、上疏人の処罰にて落着すべしと思はるれども、韓圭卨(咼の上にト)・沈相薫・李鍾健一派の使嗾に因り上疏したりとの風説あるに付、果して事実なるに於ては、内閣員中に一條の風波を生ずるやも測られず。
弾劾 (注:本文とは関係ありません)

つうかね。
何やってるのよ、と。(笑)

まぁ、弾劾的上疏とやらの内容が分からないので何とも言えませんが、わざわざ大臣が自分で裁判所に出向いて裁判する程の話なんだろうか。
この辺、声闘(ソント)の文化なのかも知れませんが・・・ねぇ・・・。

で、バックにはどうやら韓圭卨(咼の上にト)・沈相薫・李鍾健一派が居るようなので、何か起きるかもしれない、と。

続いて、4月28日のエントリーで駐米公使に任命された、李範晋に関する史料。
1896年(明治29年)7月16日発『電受第495号』より。

米国駐箚を命ぜられたる公使李範晋は、本■当地出発。
仁川より露艦に搭じ上海に赴き、同■にて便舩を待合せ赴任する筈なり。
という予定だったのですが、続けて1896年(明治29年)7月17日発『電受第499号』。

李範晋は、露艦に搭じて出発すべき旨電報し置きたるが、同人は本日仏艦バイヤールに搭じ芝罘へ向へり。
右便乗は全く偶然のことにして、別に何等の意味あるにあらず。
上海立寄の理由は明ならざれども、或は閔泳翊に面会の為めならんとの説あり。
又、赴任の途次、多分日本に立寄るべきに付、必要の御注意相成度し。
都落ちするとは言っても、注意すべき人物である事に変わりは無いわけですね。
まぁ、閔泳翊は1883年に始めて訪米した朝鮮人であり、↓の絵でも有名。



ちなみにこの図、週刊誌「ニューズペーパー」の1893年のものとしているWEBサイトが多いですが、実際は1883年9月29日のNEWSPAPERですね。
アーサー(Chester A.Arthur)アメリカ大統領(1881~1885)への拝謁ですし。

さて、普通に考えればこの行動、訪米経験のある人物から色々と聞いておくという話なのでしょうが、閔泳翊も禹範善殺害事件・ハーグ密使事件・安重根関係等でも名前が出てくる、中々のくせ者ですからねぇ。(笑)
日本が注意したくなるのも分かりますわな。

今日最後の史料は、冒頭の声闘の結果。
1896年(明治29年)7月20日発『電受第507号』より。

当政府内閣員より鄭世虞に対し高等裁判所に提起したる民事訴訟は、被告の敗訴に帰し、合計50円の賠償金を支払ふべしとの宣告を受け、且つ被告は更に刑事法廷に廻はされたり。
聞く所によれば、鄭は一狂人なりとして流刑に処し、他に影響を及ぼさずして結局すべしといふ。
背後関係について憶測が流れていたものの、結局上疏した鄭を狂人扱いで終了。
なんだかなぁ・・・。


ということで、今回はあまり大勢に影響のない史料ばかりでした。(笑)
今日はこれまで。



俄館播遷のその後(一)
俄館播遷のその後(二)
俄館播遷のその後(三)


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さて、前回で李範晋が失脚してしまったわけですが、これからどうなるんでしょうねぇ。
ってことで、早速先に進みましょう。

まずは、今後使うかどうか分からないけど、取りあえず取り上げておく史料。(笑)
アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/8 明治29年3月25日から明治29年11月13日(レファレンスコード:B03050002300)』から、1896年(明治29年)6月30日発『電受第462号』。

国王は、兎角義和君の日本にあるを好まず、今度同君の負債始末より遂に之を召還することを決し、外部大臣は遠からず李公使をして王命を伝へしむる筈。
尤も、「スペイヤ」氏に協議し、必要の盡力を求むべしとの事も訓令する筈なり。
又た同時に、目下留学中の士官6名并に慶應義塾学生も、其中50名を残し、悉く帰国せしむる由。
義和君は、高宗の三男李堈。
この時期、何故日本に居たのかは、まだ未調査。
っていうか、他の事も全部未調査。(笑)
最初に言ったとおり、取りあえずってことでテキスト化しておきます。

続いての史料は、再び朝鮮利権に関連して。
1896年(明治29年)7月1日発『電受第464号』から。

昨今、露公使と自国の外務大臣及び(ハバロフスク)総督并ニ在北京同国公使等との間、長文電報の往復頻繁なり。
右は多分、朝鮮政府より申込たる士官の雇入、公債の周旋等に関する用向ならん。
又、仏国公使と在北京同国公使并に在巴里某等との間にも、頻りに電信の往復あり。
之れは、多分義州鉄道に関する用向ならん。
而して、右鉄道と朝鮮公債とは、互に関係あるやに察せらる。
但し、鉄道に関する協議は、目下略ほ纒まりたる趣なり。
ロシア士官の雇入は、何度か結ばれる露朝密約の内の一つです。
ロシアは、これに関連していると思われる長文電報のやりとり。
つうか、山縣=ロバノフ協定辺りに違反しないのかなぁ・・・。

で、もう一方はフランス。
義州鉄道に関して長文電報のやりとりのようだ、と。

で、フランスの方に関してもう一つ。
1896年(明治29年)7月4日発『電受第469号』。

当国政府は、仏人グリイルの周旋にて極低利を以て300万円の国債を起し、日本銀行への償却に充つることに畧ぼ内定せるものの如し。
尤も、グリイルは京義鉄道報酬の意味に於て、此の周旋を為しつつあるやに聞ゆ。
京義鉄道の利権を売ってやったから、その見返りに低金利で300万借りて、日本から借りてた金を返す、と。
ちなみに、『京城洪州間及京城義州間鉄道敷設一件附京城義州間鉄道取極ニ尽力者褒賞ノ件/京城洪州間及京城義州間鉄道敷設一件附京城義州間鉄道取極ニ尽力者褒賞ノ件(レファレンスコード:B04010923500)』によれば、この年の4月頃には敷設許可が申請され、7月3日に許可されたようです。

まぁ、実際に借りて、実際に返還したかはまだ調べて無いんですが、それ以前に、最初に借りた300万どこにやったのよ?(笑)


今日はこれまで。



俄館播遷のその後(一)
俄館播遷のその後(二)


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EEZの海底調査から、何故に竹島の領有権問題に沸騰してるのか、イマイチ良く分からないフリをしているdreamtaleです。(笑)
ども。

さて、前回は長文の『機密第30号』を取り上げたわけですが、その中で還宮派の金宗漢と安駉寿等による、閔泳駿の流刑赦免と賄賂の話が出ていましたが、今日はそれに関連する史料から。
アジア歴史資料センター『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第一巻/8 明治29年3月25日から明治29年11月13日(レファレンスコード:B03050002300)』から、1896年(明治29年)5月23日発『電受第405号』。


【画像】

2月11日事変後、李範晋・李允用の計ひにて流刑10年に処せられ居りたる閔泳駿は、昨夜詔勅を以て其罪を赦免せられたり。
右は安駉寿、金宗源の一派が、先頃より専ら閔泳駿の為め運動したる結果にして、同派は尚ほ此上泳駿を入閣せしめ、還宮を速にせんとの目的を有するも、恐く其入閣は、当分の内困難なるべしと思考せらる。



金宗源は、金宗漢の誤りと思われる。
で、賄賂云々は兎も角、流刑赦免は現実のものとなったわけですね。
半島の政界って、こうやって細かくその時々の勢力分析を行わないと、流れが理解不能になるほど党争が激しいわけで、どうって事ない史料に見えても取り上げざるを得なかったり。
この辺の力関係、独立協会関係まで繋がっていくんじゃないかと睨んでるわけです。
先走り過ぎかもしれませんが。(笑)

この頃って、丁度小村=ウェーバー協定が結ばれた直後なので、その辺が関係して赦免が決定されたのかなぁ・・・。
ま、これは憶測ですが、。

で、次も前回ちょっと触れた「壮士」に関する史料。
今度は『韓国王露公使館ヘ播遷関係一件/5 明治29年2月29日から1896〔明治29〕年8月21日(レファレンスコード:B03050313800)』から、1896年(明治29年)5月29日発『電送第237号』。


【画像】

閣下の機密第30号信落手せり。
国王還宮首唱者の運動中には、壮士も加はり居るかに記載せらるれば、是等壮士の取締に付十分御注意ありたし。



この時期、3月12日のエントリーで見たとおり、「壮士」に対する警戒は多少薄らいではいるものの、要注意であることには変わりないわけで。

で、これに対する返信が、加藤代理公使から西園寺外務大臣臨時代理への1896年(明治29年)5月23日発『電受第426号』となります。


【画像】

答へ。
機密第30号に所謂壮士なるものは、朝鮮壮士即ち躍起連を指したるものにして、日本壮士のことに非ず。
要するに、右機密信に(朝鮮壮士)との注釈を脱したるなり。



ということで、前回も書きましたが、「壮士」が指すのは「朝鮮人壮士」だ、と。

この頃3月9日のエントリーの1896年(明治29年)5月30日付『機密第42号』が出され、山縣=ロバノフ協定も締結されて居るような状況です。
次第に李範晋やウェベルに不利な状況となっていくわけですね。
ということで、加藤代理公使から西園寺外務大臣臨時代理への1896年(明治29年)6月22日発『電受第449号』。


【画像】

李範晋米国駐箚公使に任ぜられ、徐光範は中枢院議官に転任す。
昨今、李範晋大に露公使の感情を害し、其勢力稍衰へたるに乗じ、韓圭卨(咼の上にト)、沈相薫、李鍾健、申箕善等相結托して之を排斥したる結果なり。
一説に、露公使も近く帰朝すべしと。
果して然らば、感情は害し居れども従来の関係も之あるを以て、将来範晋の身上を気遣ひ、予め其落付先を斯く周旋したるにはあらざるかと推測せらる。
委細は、尚ほ詳細探問の上報告すべし。



4ヶ月で都落ちかぁ・・・。
つうか、何をやってウェベルの感情を害したのかなぁ。

さて、俄館播遷といえば、その播遷以降様々な利権を外国に売り飛ばした事で有名なわけですが、それに関する報告を一つ。
アジア歴史資料センター『朝鮮鉱山関係雑件/咸鏡道ノ部/朝鮮鉱山関係雑件 咸鏡道ノ部 2.慶源、鐘城地方ニ於ケル鉱山(レファレンスコード:B04011054500)』から、1896年(明治29年)6月20日付『機密第44号』。


【画像】

当国政府は、今年4月中露国人ニスチンスキーなる者に、咸鏡道慶源鍾城2郡に於ける鑛山採掘事業を許可致たる旨は、其の当時已に御電報及置候処、諸般右に関する韓文の許可状1通入手致候間、翻訳の上為御参考差出候。
右申進候。
敬具



>『朝鮮鉱山関係雑件/咸鏡道ノ部/朝鮮鉱山関係雑件 咸鏡道ノ部 2.慶源、鐘城地方ニ於ケル鉱山(レファレンスコード:B04011054500)』のうち、最初のページの方は省略したんですが、5月4日付でも報告が出されているんですね。
ちなみに、鉱山の採掘権を売り飛ばす前に、既に3月中に京仁鉄道の敷設権をアメリカ人モールスに与えたり、総税務司のイギリス人ブラウンには度支部全体の出納事務を委任したりしているわけです。
では、どういった条件で許可しているのか、続きとなる許可状の翻訳版を見てみましょう。


【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】

一.大朝鮮国大君主陛下の政府は、露国人ミドロパン・タンニロビチ・ニスチンスキー又は其同業者に対し、咸鏡道の慶源・鍾城2郡に於て砂金採掘業を許可す。

二.此許可の年限は、金鑛採掘業開始の日より15年間と定む。

三.此2郡に於て採鑛権を得たる露国人ニスチンスキー或は其同業者は、砂金採得(所得)に従ひ、常に4分の1を大朝鮮国大君主陛下に上納すべきものと定む。

四.若し採鑛すべき場所を発見するに当り、銀或は鉄或は石炭其他の鑛物を発見するに於ては、又上項の規定に則りニスチンスキー或は其同業者に許可すべし。
但し、石炭鑛脈の如きは採掘年限を特に25年と定む。

五.右に許可せる2個の年限各満期の後は、ニスチンスキー或は同業者に於て採鑛に使用したる一切の機械及び器具は、総て大朝鮮国大君主陛下に納むべきものとす。

六.ニスチンスキー或は其同業者に於て、採鑛又は準備の為め使用すべき機械及び材料は、総て自辨とす。

七.採鑛に供する為め、緊要なる材料又は機械等の物件を朝鮮に輸入するに当りては、朝鮮政府は無税通関を許可す。

八.採金高を計量するに当りては、双方信実にして且経験ある者各一名を撰定し、相互公式の帳簿に拠り検査するものとす。

九.以上8節に云ふ公式帳簿と称する書冊に記載の事柄は、毎週一回双方検査人立会の上、各自の帳簿を引合せたる後、一々記名調印するものとす。

十.双方公式帳簿中には、一字たりとも一切之を変じ、又之を削改することを許さず。
若し万一、意外の誤書あるときは、朱線を書し之を消し、且つ朱筆を執つて本字を書し、猶傍らに朱字を以て誤正を証す可し。

十一.ニスチンスキー或は其同業者に於て、採鑛事業に関する人夫を雇用するには、外国人又は本国人夫を雇用するは勝手たるべしと雖ども、成るべくは本国人夫を使用する事に注意すべし。
特に土方人足に就ては、外国人足は総員の10分の1を超過するを得ず。
・(イ+尚)し又本国人夫の雇賃銭、外国人夫より高値なるときは外国人を雇入るること利益なるを以て、人夫を他国より呼寄せ使用する事を得。
而して、使用済の後は朝鮮を立去らしむべし。
斯る場合に当りて、外国人夫が朝鮮に来着したる時は、必ず朝鮮海関に於ては特に名簿に彼等を記載し、以て証となす。

十二.朝鮮政府は将来、ニスチンスキー或は其同業者と、朝鮮官吏或は人民間に互に交渉すべき事柄あれば、相当の幇助を与ふべし。
又、採鑛に使用する材料を朝鮮に輸入するに当り、朝鮮地方の通行を阻碍するなく、又其鑛山産出物を輸出するに当り、斤量及び多少を詳細に記載したる鑛務監督官の証明書を以て海関に交附せば、之を免税すること。

十三.朝鮮鑛山監督官に於ては、人夫の雇入又は其居住等の事は一切関係せざること。

十四.鑛山産出物4分の1を大朝鮮国大君主陛下に納むるには、ニスチンスキー或は其同業者に於て毎月之を納むるものとす。
但し、初1日と15日を過さず朝鮮監督官に交付するときは、同官は之を受領したる後帳簿に記載し、直に現品を上納す。

十五.石炭の一款に至っては、其炭質如何に就き専門家に現品の鑑定を求めたる後、代価を定め、4分の1を税納すべしと雖ども、双方熟談の上代価を以て支払を得べし。
其代価を以て支払ひたる総ての石炭は、皆ニスチンスキー或は同業者の専有に帰し、朝鮮政府に於ては外国に向け該石炭の輸出を防止するを得ず。

十六.ニスチンスキー或は同業者が、採鑛事業を為すに当りては、他人の墳墓を犯さざるものとす。

十七.・(イ+尚)し起鑛の地区内に人家、或は田畑、或は■田等あるときは、朝鮮政府の慣例により其所有主には之に相当なる地所を代給し、他処に移転を命ずべし。
然れども、ニスチンスキー或は其同業者は、該田畑に■植しある穀物成熟し収穫を了らざる前に於ては、手を下さざるものと定む。
又該田畑或は家屋代価は、朝鮮政府に於て取極めたる代価を以て支払ふとも、若くはニスチンスキー或は其同業者に於て該所有主等と双方私談整ひ売買するも妨げなし。

十八.・(イ+尚)しニスチンスキー或は其同業者に於て、採鑛地より海岸又は境界まで、鉄道若くは馬車鉄道の布設を便利なりと認め布設せんとするときは、朝鮮政府は此採鑛許可条約中に鉄道若くは馬車鉄道布設の件を并せて許可する旨の條目を加へ、此後右の通路を開設するに便にすべし。
右通路を建築する地所を検分するに当り、若し人民の家屋竝に田畑あるに遇へば、是亦上項第17条の例を按じ、代価を支辨するものとす。
若し朝鮮政府に於て15年の鑛山年限と、25年の石炭年限を経過したるの後、該鉄道并に附属物を買収するを以て得策と認めたる時は、適宜之を買取するを得べきもとす。
又其代価は、須く経験ある者の決定する所に拠るべし。

十九.採鑛許可期限15ケ年の内、朝鮮政府は咸鏡道該2郡の採鑛権を他人に許可することなかるべし。
若し、ニスチンスキー或は其同業者が、其与へられたる2郡に於て開始すべき事業を、此許可條約批准の日より起り12ケ月内に着手せざれば、他人に許可するものとす。

二十.・(イ+尚)し或は明瞭ならざる廉あれば、露国文を以て原文として、之に拠り決定すべし。
但、此に朝鮮語を以て明晳に翻訳したるものを添付し、官証となす。



資源を掘り出す財力も、技術も、人材も、何もなかった朝鮮に於いては、仕方ない条件だろうね。
ただ、18条とかはどうかな、とも思ったり。
しかも、ロシア人も朝鮮官吏も、ちゃんとこの条件を守るかどうか、甚だ疑問ではあるわけですが。(笑)


今日はこれまで。


俄館播遷のその後(一)


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最近、連載とかせずに、気ままに取り上げたい史料を取り上げてみたい誘惑に駆られています。
amebloのシステム上、左のブログテーマ一覧に15個しか設定できない仕様になっているので、その辺何とかできたらねぇ・・・。
取りあえず、自分で忘れている事もあるし、初めてのお客さんにも親切に案内できるように、何か纏めみたいなものを作りたいとは思ってるんですが。

ってことで、今日からはここ最近取り上げてきた、「露館播遷」や「小村=ウェーバー協定」等を踏まえた上で、俄館播遷以降の朝鮮側の状態についてちょっとやってみたいと思います。

では早速最初の史料。
アジア歴史資料センター『韓国王露公使館ヘ播遷関係一件/5 明治29年2月29日から1896〔明治29〕年8月21日(レファレンスコード:B03050313800)』から、1896年(明治29年)5月15日発『機密第30号』。
ちょっと長いので、半分づつ区切って。

李範晋の位地并に挙動
曩に李範晋の出でて法部大臣の任に当るや、現政府に反対する大院君派若くは日本党と目指さるる者を芟除し、1は以て現政府の地位を鞏固にし、1は以て10月8日并に11月28日事変に関する前裁判を飜覆せんとの目的に出で、十数人を逮捕したる上、更に現内閣に利益なる裁判を下し処分を了るや、先づ之を一段落として法部大臣の任を辞し、間もなく奎章院なる閑職に就きたるも、其実政府部内に於ける勢力は依然として前日と異ならず、所謂黒幕の地位に立ち、暗に前年の世道を意味し居る者の如し。
尤も、現内閣員中には還宮説を唱へ、陰に李範晋を攻撃するもの(尹総理・朴内部・趙農商工部・韓法務)なきにあらざるも、如何せん範晋は李允用と深く結托し、露公使の後楯を頼み威権を専にし、殆んど李範晋独歩の内閣に較しき観あれば、容易に反対者の為め動かざるる如き事なきは勿論、同人の地位は先づ今日の形勢にては寧ろ堅固にして、従つて還御の事の如きも当分の中実行せられざるに似たり。
李範晋等の最も恐怖し、最も危懼する所のものは日本人にありて、是迄も屡々風説に迷はされ、猝に大警戒を加へたる事実あり。
去れば、彼は説を為して曰く、国王還宮の事甚だ危険なり。
故に露兵の保護を頼むか、若くは充分信用ある近衛兵の組織成る乎、何にせよ完全なる護衛兵の準備なき以上は、還御の事極めて不可なりと主張し、甚しきに至つては、彼は王命ありと雖ども応行し難しとの決心を披露せりとの事なり。
外部大臣李完用は、寧ろ還宮論に同意し居る傾あるも是迚て李範晋との衝突を恐れ、表面上反対の運動を為すが如き事なくして、唯だ陰に館外の還宮論者に気脈を通ずる模様あるより推せば、彼れは風行を望んで甲乙孰れの脈にも投じ得べき余地を存し、其一身の安全を謀るに過ぎざるなり。
李範晋は、2月5日のエントリーに見られるように1896年(明治29年)2月22日に法部大臣兼警務使となり、在ロシア公使館朝鮮政府の地位を鞏固にすること及び春生門事件の裁判を翻させるために、大院君派や日本党と目される者の粛正を実行。
今回の話には関係無いんですが、この「大院君派」や「日本党」って書き方、中身が分かるとちょっと面白いんですよね。
まぁ、そのうちに取り上げる事もあるかも。

で、李範晋は粛正が終わった後法部大臣を辞めて閑職についたが、勢道政治のように黒幕の座にあって政府部内に勢力を保っていた、と。
しかし、俄館播遷でも取り上げましたが、ロシア公使館から出るべきだという声は当然あるわけで。
ロシア公使館から出るべきだとして陰に李範晋を攻撃する、総理大臣尹容善、内部大臣朴定陽、農商工部大臣趙秉稷、法部大臣韓圭卨(咼の上にト)等の内閣員も居るものの、李範晋と李允用が結託してウェベルを後ろ盾に専権状態であり、還宮派のために動くことは無いと思われ、当分ロシア公使館から高宗が出てくる事はないだろう、と。

内閣を牛耳っている李範晋一派としては、当然怖いのは日本の動きであり、噂に惑わされて大いに警戒するほどビビッていたため、李範晋は「還宮するのは危険だ」と主張してきかない。(笑)
つうことで、ロシア兵の保護か新しく信用のおける近衛兵が組織されなければ、還御はダメ、ゼッタイ!と。

まぁ、2月15日のエントリーのように親衛隊とすら反目状態なわけで。
こういう事が、播遷中の露朝密約でロシア人軍事顧問を雇う事になる原因かもしれませんね。

で、李完用は還宮論の方に同意しているようだけども、李範晋との衝突を恐れて表面上反対運動のような事はしてない、と。
しかしながら、陰では還宮論者に気脈を通じているようなので、風向き次第でどっちに転んでも保身できるようにしているに過ぎないと、小村は見てるわけです。
2月19日のエントリーの、日本と気脈を通じるような動きも、その風向き次第という延長線上にあるのかもしれませんねぇ。

還宮主唱者の運動
官民間に還御説を主唱するもの漸く其熱度を高め、隨て種々の計画を企つるものあり。
今、当館に於て探聞したるものの中、一、二を挙れば、本と閔派にして、而かも同派の謀略家と称せらるる金宗漢、安駉寿等の輩は、国王の平素最も信任せらるるの閔泳駿を配所より召還し、其力に頼りて李範晋の地位を動かし其権力を殺き、還御は勿論、内閣をも変更せんとの希望を抱き、先づ宮内大臣李載純に賄賂を贈り、其歓心を買ふて以て之と結托し、竟に国王を動かし已に流刑赦免の計に及ばんとする際、忽ち李範晋の阻碍する所となりて果さず。
故に更に李範晋、厳尚宮(国王寵妃)をも載純同様の手段を用ひて賄賂を喫せしめんとの目論見にて、李範晋の欲する程度を探り見たるに、範晋の欲望は意外なる多額に出で、金・安等の力能く之を負担し得べきにあらざるにより、閔泳駿の父閔斗鎬に計りたるも、是迚て調金に至らざりし為め、先づ姑く之を中止するに至れりとか申す■。
然れども、金・安等の一派は他の手段に拠り、せめては国王の還御を達せんとして元老大臣株の人々に遊説し之を其同盟に入れ、日を期し百官を率ひて露館に押寄せ、露公使に説くに還宮の止むべからざる所以を以てし、次に国王に迫るに、現今の位地は臣民たるものの一日も安ぜざる所なれば、速に復御せらるべしと強請し、直に王駕に扈従して還宮するにあらざれば此席を退かずとて、無理にも国王を擁して露館より出御せしめんとの魂胆有之由。
尤も、其中には壮士も加はり、又旧訓練隊をも利用し、巡検にも其運動を助けしめんとするものの如し。
此計画の主謀者は、固より金・安等なるべきも、内部大臣朴定陽、農商工部大臣趙秉稷、法部大臣韓圭卨(咼の上にト)、内閣総書李商在、警務使金在豊等も亦た、隠然之に加はり居るにあらざるかの疑なきにあらず。
然れども、安駉寿の平素為人を察し、其二端主義より推すときは、此回の謀計が果して実行せらるるや否頗る不確実なるも、兎角右の隠謀あるは事実なるが如し。

一.本年1月以後、地方暴徒の巨魁と覚しきもの時々城内に往来し、密に政府部内の動静を窺ひ、或は匿名の建白書を内閣に提し国王の還御を促したるも、毫も効験なき為め、一同は昨今京城を去りて皆其受持地に引揚げたりと云ふ。
其主唱する所に拠れば、彼等は各地の暴徒を連合し、大挙して京城に入り、国王を擁し宮中に奉じ、兼て其護衛の任に当るべしとの事なる由。
又、此等暴徒間に奔走する重なる者は、大院君派中而かも末流の者にして、左程世間に信用せられたるものにあらずとの事なれば、是迚て容易に事変に及ぶべしとも思はれず。

右の外、種々雑多の風説有之候得共、孰れも漠然雲を攫む如き無根の流言作説にして、毫も信ずべき価値無之ものと存候。
尤も、当国人一般の感情は、昨今に至り何か一大事変起るなるべしなど切に唱導する折柄なれば、偶々何等想像説を為すものあるや、忽ち針小棒大今にも事変の起るべきが如く伝ふる者往々有之候。

右、目今の情況為念及報申候。
敬具
高宗が王宮に帰るように主張している者のうち、日本大使館が探聞した事の中で例示すれば、もと閔妃一派の金宗漢や安駉寿等は、2月8日のエントリーで見たとおり喬桐郡に流配されていた閔泳駿を呼び戻し、彼の力で李範晋を押さえ込んで還御どころか内閣も変更しようと考え、まず李載純に賄賂を贈って結託し、高宗を動かして流刑を赦免させようとしたが、李範晋の邪魔で失敗。
そのため更に、李範晋と厳尚宮にも賄賂を贈ろうと考え、どのくらいの賄賂で李範晋が動くか探ったら、とんでもない額だったんで中止した、と。
つうか、李範晋も額は兎も角、賄賂で動くんかい。(笑)

仕方がないので、元老大臣及び百官を引き連れて高宗に直談判し、還宮するように無理矢理説得する魂胆があるようだ、と。
この計画には壮士も加わり、旧訓練隊や巡検なんかも引き入れ予定。
ちなみに、23画像目上端にあるとおり、この壮士が日本人壮士を指すなら止めさせなきゃ駄目だろ、と確認するわけですが、この壮士は朝鮮人壮士であるという返答があります。

で、金宗漢や安駉寿だけではなく、現政府中の者も隠然とこの計画に加わっているらしいく、この計画が実行されるかどうかは不明だが、隠謀があるのは事実のようだ、と。

そして、暴徒の巨魁も城内に往来して政府の動向を窺ったり、匿名の建白書で還御を要求したりするものの効果が無いため受け持ち地に一旦帰り、各地の暴徒を連合して京城入りし、国王を担いで宮中に入れ、その護衛を行う等と言ってるわけで。
まぁ、この時期金九のような暴徒も居れば、還宮を目指す暴徒もいたんでしょうねぇ。

で、この暴徒間で奔走しているのは大院君派の末端構成員らしいっつうことですが、既に単純に暴徒が「閔妃殺害事件と断髪令のせい」と一括りにはできないですな。


今日はこれまで。




前回のショックが尾を引いてますので、今日も簡単に・・・。
今日は、山縣=ロバノフ協定。
アジア歴史資料センター、『独露ノ膠州湾及旅順口租借問題並ニ韓国保全ニ関スル日露協定摘要/2 韓国問題ニ関スル日露両国間協商一件 1(レファレンスコード:B03041182100)』から。

茲に又、同年3月山縣陸軍大将の特命全権大使として、露国皇帝戴冠式に参会するを機とし、同大使をして親しく露国政府の当局者と会同し、韓国問題に関し彼我の意見を交換し、日露両国間協商を遂げしむることに廟議一決し、西園寺前外務大臣より閣議を経て同大使へ訓令する所ありたるを以て、同大使は、此訓令を帯び露都莫斯科に至り、戴冠式に係る諸式挙行中露国前任外務大臣「ロバノフ」と会見し、種々論議の末同年6月9日協議全く整ひ、左の議定書に双方記名調印を了せり。


議定書

日本国皇帝陛下の特命全権大使、陸軍大将山縣侯爵及露西亜国外務大臣「ル・スクレテール・プランス・ロバノフ・ロストウスキー」は、朝鮮国の形勢に関し其の意見を交換し、左の諸條を協議決定せり。

第1条
日露両国政府は、朝鮮国の財政困難を救済するの目的を持って、朝鮮国政府に向て一切の冗費を省き、且其の歳出入の平衡を保つことを勧告すべし。
若し、万止を得ざるものと認めたる改革の結果として、外債を仰ぐこと必要となるに到れば、両国政府は其の合意を以て朝鮮国に対し其の援助を与ふべし。

第2条
日露両国政府は、朝鮮国財政上及経済上の状況の許す限りは、外援に藉らずして内国の秩序を保つに至るべき、内国人を以て組織せる軍隊及警察を創設し、且つ之を維持することを朝鮮国に一任することとすべし。

第3条
朝鮮国との通信を容易ならしむる為め、日本国政府は其の現に占有する所の電信線を引続き管理すべし。
露国は、京城より其の国境に至る電信線を架設するの権利を留保す。
右諸電信線は、朝鮮国政府に於て之を買収すべき手段附き次第、之を買収することを得るものとす。

第4条
前記の原則にして、尚ほ一層精確且つ詳細の定義を要するか、又は後日に至り商議を要すべき他の事項生じたるときは、両国政府の代表者は、友誼的に之を妥協することを委任せらるべし。


秘密條款

第1条
原因の内外たるを問はず、若し朝鮮国の安寧秩序乱れ、若くは将に乱れんとするの危懼ありて、而して若し日露両国政府に於て両国臣民の安寧を保護し、及電信線を維持するの任務を有する軍隊の外、其の合意を以て更に軍隊を派遣し、内国官憲を援助するを必要と認めたるときは、両帝国政府は其の軍隊間に総ての衝突を予防する為め、両国政府の軍隊の間に全く占領せざる空地を存する様、各軍隊の用兵地域を確定すべし。

第2条
朝鮮国に於て、本議定書の公開條款第2条に掲ぐる内国人の軍隊を組織するに至る迄は、朝鮮国に於て日露両国同数の軍隊を置くことの権利に関し、小村氏と「ル・コンセイエー・デター・アクチュエル・ド・ウエバー」氏の記名したる仮取決は、其の効力を有すべし。
朝鮮国大君主の護身上に関し、現に存在する状態も、亦特に此の任務を有する内国人を以て組織せる一隊創設せらるるに至る迄は、均しく之を継続すべし。


3月4日のエントリー等を見ても、ロシアに行く以前から韓国問題に関する話し合いは行われる予定だったわけで。

で、第1条は最大の難問である財政再建の話。
これは日清戦争前からの課題ですからねぇ・・・。
つうか、4月6日のエントリーとかで話になった300万円の恵与の話とか、政変につぐ政変が無ければ、どうなってたんだろうなぁ・・・。

2条は軍事面に関して。
外国からの軍事的援助っつうのは、日清戦争に限らず壬午事変や甲申事変等、半島騒乱の原因ともなっていたわけで、まぁ、他国に頼らない独自の軍事力と警察力を持たせる、と。

3条が電信線。
ここで、日本が占有する電信線について、日露両国の合意が得られていたのね。
で、代わりにロシアは京城からロシア国境、恐らくウラジオストック辺りになるのだろうけど、電信線の架設の権利を留保、と。
ただ、朝鮮政府が買い戻しの準備ができ次第、買収できるんですね。

4条は、その他何かあった場合に、友好的に妥協しよう、と。

で、秘密條款が2つ。
1つめは、これまた日露の衝突回避の為の条文ですね。
2つめが、小村=ウェーバー協定の効力確認。

つうか、別に秘密にする必要も無いような・・・。(笑)




何か、最近低調。
あんましやる気が出ない。
んー、困った。

まぁ、やれる分はやりましょうってことで、今日もアジア歴史資料センターの『朝鮮ニ於ケル電線関係雑件 第一巻(レファレンスコード:B04011011500)』から。
前回の『秘発第2522号』から、あまり関係しない部分を一気に飛ばして、大隈から加藤公使へ宛てられた、1897年(明治30年)9月1日発『機密送第74号』を見てみましょう。

日朝電線通連の義に付ては、去7月8日発第92号電信を以て御来示の次第有之候に付、直ちに其趣を逓信大臣■照会致候処、同大臣に於て日朝電線通連條款草按を起草し、之を基礎として朝鮮政府と談判を開始し度旨別紙甲号の通回答有之候に付、去月5日発第64号電信を以て京釜電線復旧の計画あるに拘らず、朝鮮政府に於て通連を承諾すべき見込あるや、更に貴官の御意見問合候処、同日発第101号電信を以て貴答を得候に付、更に逓信大臣に対し、目下朝鮮政府に於て京釜間の電線を復旧するの企あるを以て、其落成に至る迄、一時簡易なる方法を以て通連を行ふは、格別電線通連條款を訂約し正式の通連を行ふ義は、朝鮮政府に■承諾すべき見込無之に付、一時簡易なる方法を以て通連を行ふこと能はざるに於ては、此際通連談判に着手するを見合せ、後日時機を見計らひ正式の通連を申込候方可然旨申送候処、今般同大臣より、右條款草案は可成的簡易軽便なる方法に即きて起草したるものにして、到底其中より除去すべき条項無之義に付、若し之に依り通連をなすの見込なき以上は暫らく通連を見合せ、後日京釜間朝鮮政府電線の復旧を竢ち、釜山に於て彼我電線の通連を再■するの外致方無之義と思考する旨、別紙乙号寫の通申来候に付、■今暫らく通連を見合に至候方可然との意見に有之候得共、右條款草案にて■易に協定を■べき■見込■■■■、其旨至急御申越相成■、■■■■也。
これに貼付された甲号が、4月23日のエントリーでとりあげた秘発第2339号、乙号が前回の『秘発第2522号』ということになります。
で、肝心の本文なんですが、最後の方がさっぱり読み取れないんで、イマイチ良く分からない。(笑)
まぁ、野村逓信大臣の意見を受けての再照会って事ではないかと思うんですが。

で、この返事見れば良いか等と、安易か事考えてたら、この続きが無ぇー。(笑)
いや、笑い事じゃ無く、マジ困った・・・。
何にも考えないで始めたツケが。

ということで、今回の連載は一旦休載って事になりました。
ゴメンなさい。m( _ _ )m
その内、史料探し出して続けたいと思います。
では・・・。_| ̄|○



京元間・京義間電信線還付(一)
京元間・京義間電信線還付(二)
京元間・京義間電信線還付(三)
京元間・京義間電信線還付(四)
京元間・京義間電信線還付(五)
京元間・京義間電信線還付(六)
京元間・京義間電信線還付(七)
京元間・京義間電信線還付(八)



気がついたら『朝鮮ニ於ケル電線関係雑件 第一巻(レファレンスコード:B04011011500)』も半分終わっちゃってますね。
早く、もっと面白い話題に移りたいなぁ・・・。
というわけで、さっさと話を進めましょう。

前回の加藤増雄公使からの、電信の通連についての交渉が可能である旨の電信を受け、外務大臣大隈重信は早速逓信大臣野村靖へ回答を出します。
1897年(明治30年)8月14日発『機密送第26号』より。

7月31日秘発第2339号を以て、日朝両国電線通連の件に関し御照会相成候処、目下朝鮮国政府に於て京釜間の電線を復旧するの企あり。
該電線は、3、4ヶ月後落成する見込なる趣に有之候に付、客月9日附機密第24号を以て申進候通、其れ迄の間一時の取計として簡易なる方法を以て通連を行うは、格別御意見の如き電線通連條款を締約し正式通連を行ふ義は、目下朝鮮国政府に於て承諾すべき見込無之候間、一時簡易なる方法を以て通連を行ふこと能はざるに於ては、此際通連談判に着手するを見合せ、後日朝鮮国所有の京釜間電線の落成を待て、時機を見計ひ正式の通連を申込み候方可然と存候。
右御回答旁申進候也。
ということで、前回省略したような、通連條款草案のような面倒くさい方法ではなく一時簡単な方法で約束して、京釜電線が出来上がったら正式な條款なりを締結するってどうよ?と。
韓国に対して他省が正論を述べ、外務省が甘やかす構図ってのは昔から。(笑)

つうか、京釜間の日本軍が引いた軍用電線はどうすんだろ?

で、これに対する逓信省からの返事が、1897年(明治30年)8月23日発『秘発第2522号』。

朝鮮国京城に於て日朝電線通連之件に関しては、当省意見の如く電線通連條款を訂約し正式の通連を行ふ儀は、目下朝鮮政府に於て承諾すべき見込無之に付ては、一時簡易の方法を以て通連を行ふこと能はざるに於ては、此際通連談判を見合せ、後日京釜間朝鮮政府電線の修築落成するを待ち、時機を見計へ正式の通連を申込む方可然との旨、本年8月14日付機密送第26号を以て御照覆之趣承致候。
然るに、右條款按之儀は、可成的簡易簡便の方法に即きて起草せしものにて、単に電線接続の事と電報料金計算等の事を規定するに過ぎざるを以て、既に簡易の極なるものに有之。
而して、草按第3條以下の條項は、皆料金の計算等に伴ふ必要の事項を規定するものに有之、右は従来朝鮮国と電報上の経験に徴すれば、理由書に於て詳悉候通り、彼れに於て或は電線の通連を避くるが如き、或は料金の支払を渋滞するが如き、諸般の煩累を招きたる事例一にして足らざる次第も有之故を以て、電報料金に付ては不得止猶此の如き規定を要するに至りたる次第にて、右は到底除去し難き條項と思考候。
若し以上草按の上、更に簡易の方法を求むれば、右電報料金に関する規定は之を除去せざるを得ざる儀と相成可申候。
然れども、料金の計算を為さずして電信の通連を為さんとするは、到底行■からざる事に有之候。
就ては、本件は御■議の通り■く相見■せ、後日京釜間朝鮮政府電線の復旧を竢ち、釜山に於て彼我電線の通連を再■■するの■致方■之儀と思考候條、右に御了知相成度此段申進候也。
前回、内容について「これまでの條款なんかと違って、朝鮮の主権を損なうような条項もなく、単に料金や電報の取扱い等についての取り決め」と書いた通連條款案ですが、まさにこれはその通り。

で、これ以上簡単にするんだったら料金規定を削るしかないけど、電信線繋げる以上それってありえねぇべ?と。
だから、京城・釜山間の電信線が復旧して、正式な通連をするときにちゃんとすればどうよ、という話かな?
まぁ、真に正論なわけで。
でも、あの長文の料金規定見ると、私でも(´・д・`)エェーッと思いますからねぇ・・・。(笑)
朝鮮政府が対応できるかは甚だ疑問。


ちょっと早いけど、今日はこれまで。



京元間・京義間電信線還付(一)
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ENJOY Koreaで遊んでいると、ブログを書く時間が激減。
ブログを書いてると、ENJOY Koreaで遊ぶ時間が激減。
悩みどころ。(笑)
まぁ、実生活の方も色々と忙しいわけですが。

さて、朝鮮と日本の電線の接続については、一旦交渉が中止されていたものの、京城・元山線の開通と共に再び俎上にのぼってきました。
今日は、その続きから。
逓信大臣野村靖から外務大臣大隈重信&陸軍大臣高島鞆之助への、1897年(明治30年)7月31日付『秘発第2339号』から。

朝鮮国電線の儀に付ては、京城より義州に到る線路、既に開通して清国陸線に連接し、元山線亦過般其通信を回復したる趣に有之。
就ては、釜山・京城間及仁川・京城間に於ける我軍用電線を以て、右等朝鮮政府の電線に通連し、軍事通信の傍ら日清戦役以前に於けるが如く、広く万国通信の需要に応ずる事切要の儀と確信致候。
特に、元山との通信に至りては、最も其必要を感ずる次第に有之候。
仍て、別按の通閣議請求致度。
尤も、通連條款草按第3條但書第1項・第2項・第3項に於ける両国政府の料金分収方は、明治18年我臨時代理公使と朝鮮督辨交渉通商事務との間に締結せし、海底電線設置條款続約第4條に依り、我政府が朝鮮政府の電線に対して有する官報半価の権利上、勢ひ斯の如き規定を要するに至りたる次第に候得共、翻て右分収方法の実際に於ける適否如何を按ずるに、右は料金の徴収計算授受の手続に、極めて煩雑複雑を来たすの事情有之のみならず、草按第3條本文の料金は、既に現行官報半価料金よりも遙に低額たるものなるを以て、同條の場合に於ては更に官報半価の権利を維持するの必要可無之。
因て、右但書3項の規定は之を全廃し、而して総て其本文の規定に依らしむるも亦一の便法と思考候に付、朝鮮政府と談判の模様に依りては、或は右の便法を執るも可なる儀と確信致候條、本議に対し何分の御意見承知致度、此段及御照会候也。
んー、この1年で必要性に変化があったのかな?
それとも、単に使えないから要らないだったのか。(笑)
兎も角、通連の必要性を認め、閣議請求する、と。

で、これに閣議稟請案と通連條款草案が附されているわけです。
閣議稟請案は、『秘発第2339号』とほぼ同内容のため省略。

そして、『秘発第2339号』でも若干内容に関して言及されている、通連條款草案とその理由書は、テキストに起こそうと思ったんですが、文中でも言及のある第3条が実に長い。(笑)
おまけに、これまでの條款なんかと違って、朝鮮の主権を損なうような条項もなく、単に料金や電報の取扱い等についての取り決めになっていますので、これもまた省略しちゃいますので、各自確認お願いします。

んー、何かこのまま単純に接続して、料金等だけの話になっちゃったら、これまで取り上げてきたのって何だったのかという気もしないわけでも無いなぁ・・・。(笑)

ってことで次の史料は、上記の史料に関して再度加藤公使への照会文。
1897年(明治30年)8月4日付『電送第262号』から。

朝鮮政府に於ては、京釜間の電線を復旧するの企ある由なるが、電線通連の件は、其に拘らず彼に於て承諾すべき見込ありや、今一度御探知の上御意見申越ありたし。
んー、いつの間にか京釜間の電線の話も出てきましたねぇ。
これはこれで、別にやらなきゃならなくなるかな・・・?

で、これに対する加藤の返事が、1897年(明治30年)8月5日付『電受第317号』。

朝鮮政府は、京釜間電線は3、4ヶ月の後に落成の見込に付其節は正式の通連を行ふべきも、其れ迄の間は、当地に於て一時の取計として電信接続のことを行ひたしとの目的を以て■議せしなり。
兎に角、彼我の間大なる便利を得ることなれば、簡■にして速かなる方を望む。
この辺、かなり最初の方と朝鮮側の態度が変わってきてるなぁ・・・。
まぁ、恐らくはロシアと日本の勢力均衡を図る狙いとか、色々とあるんでしょうが、この辺は朝鮮国内の政治勢力を検討しないと断言は出来ませんね。


ということで、今日はこれまで。



京元間・京義間電信線還付(一)
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京元間・京義間電信線還付(五)
京元間・京義間電信線還付(六)



んー。
自分で紛争地域であることを宣言しちゃいましたね、韓国。
しかも、国連海洋法上強制紛争解決の手続きを排除するための宣言書を出したところで、紛争を強制解決されない手段なだけであって、拿捕等の強硬措置を執った場合、国連海洋法条約違反であることを免れるわけでは無いんですがねぇ。
んー、最早何を考えてるのか分からん。(笑)

さて、本編のほうは話が進んでいるのやら、いないのやら。
取りあえず、年数だけは進んでますね。(笑)
ってことで、今日もアジア歴史資料センターの『朝鮮ニ於ケル電線関係雑件 第一巻(レファレンスコード:B04011011500)』から。
1897年(明治30年)6月25日付『機密送第56号』。

京城元山間電線開通に付我電線通連の件

京城・元山并に京城・義州間電線朝鮮政府へ引渡の結果、我電線との通連■に関し、去る明治29年7月23日電信を以て原特命全権公使より意見を具して請訓有之候に付、■■逓信大臣の意見を問合せ、去年7月31日付機密送第59号を以て同公使へ回訓■■候処、其後同公使より■送の7月31日付機密第53号接■、彼我両線通連に関し其利害を具し、之を断念するを得策とする旨■に具申有之候に付当時其意見を採用し、通連の義は一先づ中止のことに相成居候■、今般京城・元山局電線開通の旨承知致候に付ては、京元局電線に我電線を通連せしむるは、固より官民一般の■金を■事■■■居之義■此際朝鮮政府に向て通連の議を申込とするときは、彼に於て之を承諾すべきや否や、貴官の御見込一応承知致度、何分の義、電信を以て御回報相成度。
其模様次第、本大臣より逓信大臣へ協議し、■■訓示■候。
此段及訓令候也。
下書きだと、流石に読みづれぇ~。(笑)
結局、通連要求は取りあえず中止してたんですな。
で、今回京元電線が開通したわけだけど、どうするよ?と。

これに関連して、逓信大臣野村靖からも外務大臣大隈重信に照会があるわけです。
1897年(明治30年)7月7日付『秘発第2084号』。

日朝電線通連の儀に付ては、昨29年11月11日付通第6099号を以て及御照会置候次第も有之候処、爾後何等御回議無之。
朝鮮政府へ談判■模様、将又貴省之御意見承知致度。
殊に頃日来、仁川よりの報道に拠れば、京城・元山間の電線も既に通信の開通を挙げたる趣に有之。
就ては、義州・元山両線とも、既に開通したる今日、猶未だ日朝電線通連の実を挙げ得ざるに於ては、海外通信の関係上遺憾不寡候に付、本問題は何の途速に協商を了せらるる事必要の儀と被存候条、前記談判之模様并に貴省之御意見、至急御回示相成候様致度、右及御照会候也。
嗚呼。
前回の逓信省からの照会に、外務省は返事出してなかったのかよ。(笑)
つか、半年以上も放っておく逓信省も逓信省ですが。

で、こちらも京元線開通の話を聞いて、照会を出してよこしたわけですな。
んー、朝鮮半島って、本当に大事だったんだろうか。(笑)

さて、朝鮮公使は原敬から代わって朝鮮弁理公使となったのは加藤増雄。
彼から、外務大臣大隈重信に機密送第56号の返事が来ます。
1897年(明治30年)7月8日付『電受第291号』より。

第9■号

機密信第56号を以て御来示の電線通連の件は、彼に於て■議すべき見込みあり。
而して、成るべく簡易の方法を以て、至急取極方行はれ易しと信ず。
御都合次第、電報にて御訓示ありたし。
取りあえず、見込み有りとの返事。
この辺の態度の変化には、恐らく俄館播遷から帰ってきた事が関係あるんだろうね。

で、今日最後の史料。
1897年(明治30年)7月9日『機密送第24号』より。

日朝電線通連の義に付、本月7日附秘発第2084号を以て御申越之趣致了悉候。
右に関しては、客年9月30日機密第33号を以て及御照会候末、同年11月19日付通第6099号を以て御回答の次第も有之候に付、右通連の義は、一と先中止のことに致置候処、今般京城・元山間電線■開通のこと承■致候を以て、此際朝鮮政府に向て右通連の義申込み、彼に於て之を承諾すべきや否や在朝鮮加藤公使の意見問合■候処、本件は、彼に於て承諾すべき見込あり。
且つ通連に関する相互の取極は、簡易の方法に拠るを得策なりと信ずる旨回答有之候。
付ては、其方法等御詮議の上、至急何分の御来示相成度、此段及御照会候也。
こうして、加藤公使の答えを受けて、日朝の電線の通連に関して再度の協議が始まる事となったのでした。


今日はこれまで。



京元間・京義間電信線還付(一)
京元間・京義間電信線還付(二)
京元間・京義間電信線還付(三)
京元間・京義間電信線還付(四)
京元間・京義間電信線還付(五)



たまに、崩し字が酷くて読みづらい史料にぶつかると、「俺、何でこんな事やってんだろう」と疑問に思ったりもするdreamtaleです。(笑)
ましてや、今回の連載は当初の目的から外れまくりで・・・。
京城・元山間の電信線や、京城・義州間の電信線と接続しようが、しまいが、割とどうでも良い話なんですよねぇ。
まぁ、丁度良い区切りがつかずに、泥沼に嵌ってるだけなんですがね。
困った。(笑)

それでは今日も、アジア歴史資料センターの『朝鮮ニ於ケル電線関係雑件 第一巻(レファレンスコード:B04011011500)』に基づいて話を進めて行きます。
前回は原公使を始め朝鮮で電信事業に従事している者も、京元や京義線と電線繋げなくても良くねぇ?という意見だという所まででした。
これについて、外務大臣臨時代理の西園寺公望から逓信大臣白根専一に照会が為されたりするんですが、これは省略。

で、再び原公使からの請訓を見てみたいと思います。
1896年(明治29年)9月16日付『機密第72号』。

日朝電信通連に関する件

去明治27年以来、我に於て管理致居候京元及び京義間の両電線は、御訓令に依り去7月17日を以て公然朝鮮政府に還附したるに付ては、彼我両線の通連は、事実上断絶に帰したる義に有之候。
然るに、目下の状況にては、寧ろ通連を断絶せしめ候方利益なる可しと信じ、去7月23日附電信を以て不取敢御訓示を仰ぎ、同月30日附機密第53号信を以て委回及具申置候処、同31日附機密第59号を以て、「日朝間電信の通連方に付ては、日朝間万国電報取扱細節を以て規定有之。而して一昨27年末、我軍用線を以て釜山・京城・仁川間に公衆通信を開始するや、自然の結果として仁川郵便局京城出張所と京城朝鮮電報局とは、恰も釜山郵便電信局と釜山電報局との如く、電報取扱料金の整理を為す可きものと解釈し、別に取扱細節を改めざりし義に有之。就ては、今回京元間及京義間電線を朝鮮政府に返還を為すも、亦別に取扱細節を解釈適用し支障無之と思考致候。就ては、仁川及釜山と、元山・義州・平壌等に発着電報料金分収方に関しては、仁川郵便局長をして京城電報局に協議を遂げしむる筈に有之候旨、逓信大臣より回答有之」たる御回訓相成了承致候。
然るに右御回訓到達前、則ち7月31日、松村仁川郵便局長は主務省の訓令を帯び、朝鮮政府と料金分収の協議を為すべき趣きを以て入京し、一応本官の意見をも承知し度旨申出候に付、先づ27年末、我軍用電線を以て公衆通信を開始するに際し、日朝間万国電報取扱細節を逓信省の意見の如く解釈適用する為め、朝鮮政府に対し如何なる手続を為しあるやを取調候処、其当時仁川郵便局は、主務省の訓令に従ひ通知したることは分りたれども、其何人に向って如何なる通知を為したるや、更に書類の徴す可き者なし。
又、去27年12月5日附送第118号、井上公使宛公信を参看したるも、是は単に公使の心得迄に達せられたる者にして、従って朝鮮政府に向っては、公使よりも何等通知したること無之。
右の次第に候得ば、我軍用電線を以て公衆通信を開始するや、自然の結果として釜山に於て施行の為めに取極めたる電報取扱細節を、当地に適用することに朝鮮政府の合意を得たる形跡なき者と考候得共、兎に角、今回は主務省訓電の通り通連の事は定り居る者として、朝鮮政府へ料金分収の協議を為さるる方可然旨松村局長に■示し、同局長は其後両3回朝鮮政府の当局者と談判致候由に候得共、先方に於ては、元より釜山に於ける電報取扱細節を当地に適用することを認諾不■る而已ならず、軍用電線を以て公衆通信を取扱ふことにすら異議を有する模様にて、結局分収の協議にも至らずして止みたる趣に有之候。
斯る上は、今後我政府に於て日朝両線の通連を施行せられんとせば、去7月30日付機密第53号を以て申進候通り、更に朝鮮政府と相当の取極を為すの外無之と存候得共、本件に関しては前記公信を以て開陳致候事情もあり、朝鮮政府の意向も前述の次第に候得ば、通連の義は寧ろ此際廃止相成候方得策と存候。
右に関する委細の事情は、既に其筋より御承知相成居候義と存候得共、為念此段及具申候。

敬具
京元間・京義間の電信が、朝鮮政府に還付された後の経緯のまとめですね。
つうか、日朝間万国電報取扱細節についてどういう手続きをしたか、誰も経緯知らないって何よ?(笑)

で、そういう状態なので、日朝の電信線を繋げるには、別途相当の取り決めをする他は無いと思うけど、繋げなくても別に問題ないだろうし、現地の担当者は料金計算面倒くさいし、朝鮮政府とは交渉にすら至らないし、やっぱ止めちゃった方が良いんじゃね?と。

その後これを基に、逓信省に照会が行われ、その返事が、1896年(明治29年)11月19日付『通第6099号』ということになります。

日朝間電線通連廃止の御意見を以て、原公使の具申寫を添へ再応御照会之趣了承候。
然る処、京城・義州間電線は、明治18年12月21日締結、海底電線設置條款続約に拠り、在釜山本邦電信局に通連をなさざる可らず。
其他の朝鮮電線は、明治16年3月3日締結、日朝間海底電線設置條款に拠り、亦外国電報に関し在釜山本邦電信局に通連をなさざる可らず。
而して従来朝鮮政府は、一昨夏朝鮮事件の起る迄は、釜山・京城間の電線に依り右両條款の通連を実行したるものなるが故に、今日京城・義州間及京城・元山間の電線にして朝鮮政府の管理に復帰するも、同政府は再び釜山・京城間の電線を復旧する迄右電線を使用せざるか、否らざれば現時公衆通信の用に供ずる我京釜間軍用電線に通連するか、孰れか其一を撰ぶに非ざれば、條款違反の責を免るべきものに非ずと認められ候。
且又、従来朝鮮の電信に付万国通信に関係ある事項は、本邦より之を万国電信総理局に通知し、同局より更に之を各電信同盟国に通知するの例に有之。
現に、元山開局の如きも右通知の手続を履行したるものに有之候に付、今日是■の地方と通連廃止の報告を発するは甚だ遺憾の至りに付、可成通連を継続する様致度。
其取扱方は、朝鮮政府に於て再び釜京間電線を開設するに至るときは、総て一昨夏以前の有様に復する義に付、此際別に細節を規定せず、先に申進候通、日朝万国電報取扱細節を適用し得ることと解釈致度、又朝鮮に於て欧文一語に付10銭の統一料金施行の義、事実に有之候■、其料金分収方は、当分の内釜山及仁川と京城以外の朝鮮電報局との国内通信には、総て朝鮮政府と其電報料金を折半し、京城以外の朝鮮電報局と海外各国との間に発着する電報にして、京城以外朝鮮電線に継送するものは、其国内料金の金額を朝鮮政府に交■することに致度候■、此段同公使の御訓令相■候■致希望候。
乍去、若し今日の場合右通連問題に関し、朝鮮政府に交渉をなすは得策に非ずとの御意見に看之候■、其旨を以て公使へ御訓令相■候とも敢て、異議無之■御答旁此段及御照会候也。
んー。
日清戦争前に日本と朝鮮の電線が接続してたのかどうか、分からなくなっちゃった・・・。
4月9日のエントリーとどっちが正しいのかな?
現場の意見の方が正しいとは思いますが、一旦保留。

で、朝鮮政府は、京釜間の電線の復旧するまで京義・京仁線を使用しないか、そうでなければ京釜間の軍用電線に接続するかしなければ、條款違反である、と。
約束守るようなら、苦労しねぇっつうの。(笑)

で、相変わらず日朝万国電報取扱細節を適用しとけば良いんじゃね?と言うわけです。
まぁ、普通の国相手なら当然ですわな。
しかし、一方で通連問題に関して朝鮮政府に交渉することが得策ではないという事であれば、別にそりゃそれで良いよ、と。
軽っ!(笑)


ってなわけで、今日はこれまで。



京元間・京義間電信線還付(一)
京元間・京義間電信線還付(二)
京元間・京義間電信線還付(三)
京元間・京義間電信線還付(四)